04/25/12:30――嵯峨公人・たまり場の喫茶店
遠慮を知らない女だ、と思う。
ちょっとでも意識を逸らせば鞄の重みで傾いてしまう躰を直立させ、歩く速度は普段よりもやや落としぎみの公人は、それでも平然とした顔のまま移動をしていた。
帰る――わけではない。
いや、心底から今すぐ帰宅して荷物を降ろしたいのは山山だったのだが、ちょうど昼時であったため、たまには外で食事をとろうかと思っていたのだ。せっかくの遠出――といっても電車で二十分程度の距離ではあるものの、足を運んだのだから利用しない手はない。
料理もまた趣味に限りなく近い領域でやってはいるが、いかんせん舌を肥やすにはいろいろな料理を食べなくてはならない。他人の手で創られたそれを食べることで、己の料理も発展するのだ。さすがに見た目と年齢のこともあって、高級料理店には足を向けられないのだが。
「――お」
昼過ぎになってやや人通りが多くなった企業街をふらふらとしていたが、人通りが減った辺りで高層ビル群がなくなると、車の音が遠い位置にてその店を発見した。周囲を見るが駐車場はなく、田舎道とまでは言わないが、人はほとんどいない。そんな中にある喫茶店だ、採算が合うのかどうかと思考を飛ばす。
道路よりも三段ほど低い位置に作られた喫茶店、名はSnowLightと横文字になっている。面白そうだと迷わず扉を開けると、戸の内側についていたベル――いや鐘が、からんと音を立てた。
「いらっしゃいませ」
さて、どうだろうか――などと観察してみたが、そう言った店主はカウンターの中から顔を見せて、こちらを見た後に。
「どうぞ、お好きな席へ」
一瞬の迷いもなくそう言ったため、公人は隠しきれない笑みを口元に浮かべながらカウンターに向かった。
通りに面したテーブル席に二人、対面に位置する壁側に一人の客がいるだけでカウンターには誰もいない。昼時なのに繁盛はあまりしていないようだし、席に座って隣の椅子に鞄を置く動作と共に内部をざっと見るが、酒類は見当たらなかった。つまり、夜に繁盛する酒場の類でもなさそうだ。
「ご注文は?」
「っと、そうだな、じゃあ――ランチはあるか?」
「あるよ。焼き鮭か、カルボナーラだね」
「じゃ、カルボナーラで」
「わかった」
言いながら作業を止めた店主は紅茶を公人の前に置く。
「少し待っててくれ」
「――おい、俺がカルボナーラにするってわかってたのか?」
「ただの勘だよ。なんとなく、そう感じたから用意しておいた。今のところ、店じゃお冷は出さないからね。おしぼりは出すよ。一見さんに対しての、ささやかな俺の楽しみだ」
「へえ……美味い。フォションか?」
「よくわかるね」
「以前に飲んだことがあるだけ。ダージリンだけだから、当たるとは思わなかった」
「今は?」
「フォートナムメイソンのアッサムとオレンジペコが空いてるな」
「メイソンか、うん、あれもいいね。たまに仕入れるけれど、まだ客に出したことはなかったかな」
「店主」
「一夜だ。姫琴一夜」
「そうか。俺は――公人だ。ここは喫茶店だよな?」
「もちろん。ただ俺の趣味だから、いろんなことはしているよ。常連客はそれなりにいるけれど、まあ客入りはそう良くはないね。採算もぎりぎり合ってるかどうかってところだ。安定してるよ」
「人を見る目があるな、さすが。見透かされてると悔しがる前に呆れるぜ」
「不愉快に思う人じゃないだろうってところまで、きちんと観察はしているよ。それと公人くん、その鞄に入っている――〝本〟だけれど、ここなら好きに読んでいいよ」
「――そりゃ助かる」
魔術書に気付いたとなると何者だこの野郎、などと思いつつも極力顔には出さないように苦笑して見せた。
「とはいえ、ここにくる客としては珍しい部類だね。初めてとは言わないけれど」
「俺が未熟だってことだ、しょうがねえ」
「ははは、余計なお世話だったかもしれないね。――はい、お待たせ」
「ありがとさん。いただきます。……ん、薄めの味付けなんだな。パルメザンはちゃんとブロックをすりおろしてるし、パスタも塩がきちんとしみこんでる。黒こしょうの量ってより、パンチェッタの種類が違うのか?」
「よくわかるね」
「俺も何度か作ったから。薄味なのに濃厚か……卵とチーズは結構多目って感じだな。茹で汁の加減も問題か。――しかし美味いな。この味は作れたことはねえ」
「ありがとう。けれど、さすがに専門店には負けるよ」
「俺も高級料理店にはまだ顔を出せないからな、そっちとは比較できねえけど」
「レシピのない料理の挑戦は?」
「――まだだ。たぶん、今の俺じゃ成功しない」
「やってみないとわからない」
「発想がないなら、成功が見えないだろ?」
「なるほどね」
「――ご馳走様」
「じゃあ食器は下げるよ。食後も紅茶でいいかな?」
「頼む――ん?」
失礼と、壁側の席にいた男性が移動してきて一つあけた隣の席に腰を下ろす。
「お食事が終わったようなので、少し話をと思いまして。珍しい客だと私も思っていたところでしたので――父さん、私には珈琲を」
「話って俺にか?」
「ええ。私は
「一応ではなく正式に、だ。どうぞ公人くん、紅茶だ。時間があるようなら付き合ってやってくれ」
「俺はべつにいいけどな、なんだってんだ」
「なんだって、それはあなたが魔術師のようだからですよ」
「そうなのか。けど、俺は魔術師じゃねえよ」
「――違う、と?」
「違うも何も、魔術師ってのはなんなんだ。まずはそこだろ。基準でもあるのか?」
「……まさか、組織には属していないと? では誰に習ったのですか?」
「本に教えてもらってる」
「――独学だと、そうおっしゃるのですか。それでは命がいくつあっても足りませんよ」
「おー、三回くらい死にかけたな。まだ生きてるからそれでいいだろ」
「よくはないでしょう……」
呆れたように吐息を落とした狼牙は、珈琲を一口。
「あなたのような人が」
「公人」
「――公人は間違いなく珍しい部類の人種ですよ」
「比較する対象も知らねえよ。ただ狼牙は詳しそうだ。やっぱり隠しておいた方がいいんだよな、これ」
「まあ、面倒を起こしたくないのならば、隠しておくのが賢明でしょう。そもそも在野の魔術師は教皇庁魔術省、魔術師協会の両方にとって在野は嫌うものですから、下手をすれば強制的に排除されてもおかしくはありません――常識ですよ」
「んなこと言われたってなあ」
「――軽く見ているようですね」
「重く見てどうする。狼牙は、自分が他人と違うからって特別意識するのか? せざるを得ない状況を、あえて求めるのか? そうじゃねえだろ。魚には魚のルールがある、それと同じで俺には俺のルールがある。ただそれだけで、特別なことなんてねえよ」
「……では何故、魔術を得ようとしているのですか?」
「ん? 変なことを聞くんだな。魔術がありゃ俺は刃物を創れる。それ以上に理由が必要なのか?」
「――」
「ははは、狼牙より公人くんの方がしっかりしてるな。いや――理解している、といった方が近い」
「理解ですか?」
「できることを、やる。やりたいことをやる。義務はなくとも責任は発生するものだからね、それを含めて。ただ狼牙の言うことも一理ある。危険に対する嗅覚は、どうしても身に着けるのは難しいからね」
「そんなもんか。つってもまだ、大したこともできねえけどな」
「何ができるのですか?」
「何も。ああ冗談じゃねえよ、ただ俺の尺度で見れば、今の俺は何もできねえのと同じってことだ。だから魔術師でもねえよ」
ただ。
「そんな俺でも、狼牙が――違うってのくらいはわかるぜ。説明しろって言われても無理だけどな」
「私は魔法師ですから」
「まほう……そんなもんもあるのか」
「魔術とは違うものですが」
「法と術じゃかなり隔たりがあるな。額面通りに受け取ればだが」
「それで構いません」
「なるほどなあ。狼牙は、いつもここにいるのか?」
「いいえ、私はあちこち出歩くことが多いので、あまりこの場所に留まることはしません……が、少し前までは不肖の姉がいまして、そのせいで拘束されていましたが」
「今はいねえのか」
「いえ、ようやく落ち着いてくれましたので、私も外に出られることになったのですよ。ひどく苦労しました。ああ本当に、……しばらくここへは近寄りたくはないほどに」
大変そうだなあ、などと他人事に思っていると、ぎくりと顔を強張らせた狼牙が視線だけを左右に投げ、カウンターに突っ伏した。何事かはすぐにわかる。
「ろう……あ、いたいた、狼牙。こっちいた。ねえ狼牙ちょっと」
「姉さん、少し静かに。店内ですよ」
「あ、うん、ごめんねとーさん。でさ狼牙――ん? あ、ごめん、お客さん。あたし姫琴雪芽っていうの」
「ああ、俺は公人だ。よろしくな」
「んー。でさ狼牙、そろそろ本がなくなるんだけど」
「……買いに出ればいいでしょう」
「小遣いは?」
「父さんに」
「場所は?」
「…………」
「おい、おい狼牙、一番手っ取り早い方法を教えてやろうか。女の言うことには従っておいて、それとなく方向性を見せて誘導すりゃいい」
「おー、公人っていい人だ。そうだよね、うん」
「まあ良い女は男に気付かせずに従わせるもんだけどな」
「む、生意気な」
「安心しろ、俺だって知ってるだけで経験したわけじゃねえからな。おい狼牙、いつまでくたばってんだ」
「……公人」
「嫌だ。俺は付き合わないし手伝わねえよ。そんな暇もなけりゃ、余裕もない。けどまあ、たまには顔を出すけどな」
「ふうん。あ、父さん、あたしにもミルクティちょーだい」
「その前に、テーブルの片づけを」
「あ、うん。わかった」
素直は素直なんですよと、狼牙は躰を起こして頬杖をつく。雪芽は客の去ったテーブルの片付けを始めていた。
「あの能天気さだけはどうにかならないものかと」
「当人がどう考えてるかってことだろ」
「それもわかってはいますが……。そういえば公人はどこの学校に?」
「俺は桜川中学だな。まだ一年目」
「ここから近い、公立でしたか。となると年齢もそう変わりありませんね。私も姉さんもそのくらいです。VV-iP学園付属中学に席を持ってはいます」
「ま、この辺りならほとんどあっちだよな」
「そちらはどうですか?」
「人数の話なら、学年ごと二から三クラス単位ってところだ。静かなぶん、やりやすくはあるな。あんまし部活動にも熱は入れてねえし、授業内容もほどほどって感じだ」
「……何故?」
「主題を抜くなよ、おい」
「失礼、これも癖のようなものです。改めて、どうして桜川中学に?」
「単純に学費の問題。将来的な返却も視野には入れたんだが、俺個人の目的や選択肢を考慮した上で付属を蹴った――って、お前は教員か何かか。小学校出る時に似たようなことを言った覚えがあるぜ」
「なるほど。早熟ですね」
「なんだそりゃ。俺は必要なことをやってるだけだ。狼牙だってそうだろ」
「――何にとって、必要だと?」
「心の安定を保つために必要なんだよ。面倒は背負わないに限る」
「ははは、それは確かに」
「だから人付き合いも苦手なんだ。ま、年上の連中はそうでもないんだが」
「年上?」
「初老から先の連中な。まあ会議とかそういう面倒なのもあるけど、そりゃ仕事だししょうがねえ」
「仕事ですか?」
「ああ、俺は大したことしてねえけどな」
公人の住んでいるマンションが、公人の資産として登録されているため、管理人の手配はともかくとして資産管理そのものは公人がやらなくてはならない。その繋がりでのことだ。
もちろん、それに加えてほかの付き合いもあるが。
「こうして出逢ったのも何かの縁、か」
「さて、では何の縁でしょうね」
「――ああ?」
「人と人とが出逢うのは縁ですが、それが誰の縁なのかは意識した方が良い、という話ですよ」
詳しく聴きたいところだ――と思ったのもつかの間、雪芽が片づけを終えて戻ってきてしまった。
世の中、なるようになるもので、思い通りにはならないのである。
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