ぼうずにしたら500円ハゲがあったんだ

夢見るライオン

 ぼうずにしたら500円ハゲがあったんだ


 それまで僕は女の子というのは、誰にでも親切で心優しい天使のような生き物だと思っていた。


 そう。


 あの日までは……。


 僕が教科書を忘れたら両隣の女の子が争うように見せてくれたし、給食のあげパンが好きだと言ったら、あげパンが出るたびに僕のトレイには食べきれないほどのあげパンが並んだ。


「こんなに食べられないから志岐君食べて」

「私はゼリーもあげるわ。志岐君好きだったよね」

「私はうずら卵をどうぞ」


「いいの? お腹すくんじゃないの?」


「全然大丈夫よ」

「志岐君にあげたいの」


「ありがとう。みんな本当に優しいね」

 僕が笑顔で感謝すると、みんな満足気に自分の席に戻った。


 こんなやりとりを見ても、担任も他の男子達も何も言わないのには訳があった。



 僕の母さんはその半年前に長い入院生活の末に亡くなっていた。


 母さんは僕が小学校に入る前には入退院を繰り返すようになり、小学三年生になる頃には寝たきりになっていた。


 病院以外で過ごした記憶はほとんどない。


 日に日に痩せていく母さんを、どうする事も出来ずに見守るしかなかった。


 母さんとの思い出のほとんどは哀しみで埋め尽くされていた。



「志岐のお母さん、やばいらしいよ」

「あと一ヶ月ももたないらしいって」


 友達が噂している声も聞こえてきた。



 でも僕は信じてたんだ。


 母さんは奇跡の一人になって、突然治って元気になるって。


 僕が信じていれば、きっと現実になるって。


 だから僕は心の準備なんてまったく出来てなかった。


 突然降りかかった死に呆然として、全然受け入れられなかった。




「どこに行くんだ、走一郎」

「どこって学校だよ」

「今日は休んでいいんだよ」

「病気でもないのに休めないよ」


 母さんの葬式の翌日も、僕はランドセルを背負って家を出た。

 父さんは「お前が行きたいなら行きなさい」と言って、それ以上引き止める事はしなかった。


 

 僕は幼い頃から負の感情を出す事を自制してきた。

 僕が泣くと母さんが悲しそうにするから。

 僕が怒ると母さんが困った顔になるから。

 僕が淋しそうにすると母さんが辛い顔になるから。



 母さんは綺麗に笑う人だった。


 病気の痛みに顔を歪めていても、僕が病室に入ると

そうちゃんを見たら痛みが飛んでいっちゃったわ」

と温かな笑顔で迎えてくれた。


 母さんは綺麗に食べる人だった。


「このお野菜が私の病気をやっつけてくれるのよ。だから感謝を込めて世界一美味しそうに食べるの。

 今まで食べた中で一番美味しいよってね」

 母さんが食べる物は、本当に世界一美味しそうに見えた。


 母さんは綺麗な姿勢でいつも座っていた。


 痛みで体をくの字に曲げていても、僕が病室に入ると

「走ちゃんを見たら元気になっちゃった」

と言って背筋を伸ばして座った。

「痛みが無い時ぐらい世界一綺麗な姿勢でいたいじゃない」

 それが口癖だった。


 だから痛みの無い僕は、いつも綺麗な姿勢で、いつも世界一美味しそうに食べて、いつも笑っている事にした。


 一度学校で残したあげパンを、見舞いに行った病室で食べた事がある。


「走ちゃん、美味しそうに食べるね。

 世界一美味しそうね。

 母さんも病気が治ったら、走ちゃんに負けないぐらい美味しそうに食べるわ。

 どっちが美味しそうに食べるか競争だね」

 

 母さんはその頃には流動食しか食べられなくなっていた。


 だから僕は未来の対戦のために、給食であげパンが出た時は世界一美味しそうに食べるようにした。

 あまりに美味しそうに食べるため、僕のあげパン好きが有名になったほどだ。



 葬式の翌日の給食もあげパンだった。

 朝、いつも通り学校に来た僕を、みんなは腫れ物に触るように気遣った。


 僕はいつも通りの笑顔で、綺麗な姿勢で、綺麗に給食を食べていた。

 みんなはあまりに平然としている僕を、ちらちらと覗っている。



 僕は意地になってたんだと思う。

 同情されたくなんかない。

 僕は可哀想なんかじゃない。

 僕は昨日までと同じ、世界一綺麗な笑顔の母さんの息子なんだ。

 なにも変わらない。


 いつもと同じように世界一美味しそうにこのあげパンを食べるんだ。


 かぷりとあげパンにかぶりついた。

 美味しそうに美味しそうに噛み砕く。

 いつも通り、いつも通り。


 なのに、充分に噛み砕いたはずのあげパンがどうしても喉を通らない。


 舌で喉に追いやっても追いやっても戻ってくる。

 その内、今までどうやって物を飲み込んでたのか分からなくなった。

 いつも自然に出来てたのに、飲み込み方が思い出せない。


 噛み砕いて、噛み砕いて、もう固形の部分なんて何も残ってないのに、飲み込めない。


 逆に喉の奥から熱いものが込み上げてきた。


 ずっとずっと昔に経験してしばらく忘れていた感情。


 なんだっけ、これ?

 なんだっけ、これ?


 思い出すよりも先に嗚咽おえつが洩れていた。


「……っく、うう……うぐっ……うう……」


 あげパンを口に頬張ったまま、得体の知れない激しいものが洩れ出る。


「うあ……ああ……うう……わあああ……」


 止まらなかった。


 心が勝手に叫ぶ。

 口が勝手に慟哭する。

 涙が勝手にこぼれ落ちる。



 誰か止めてよ。


 僕は泣きたくなんてないんだ。

 僕の意志を無視して勝手に体が叫ぶんだ。



 誰か助けて。



 僕はあげパンを口に頬張ったまま早退した。


    ◆         ◆


 恥ずかしい事をしてしまったと思った。

 もう学校へ行けないと思った。

 そして公休の一週間まるまる休んだ。


 きっと当分泣き虫とからかわれるんだと思った。

 みんな僕の大泣きを話題にしてわらってると思った。


 もうこのまま学校へ行きたくないとも思ったが、僕以上に母さんの死にショックを受けている父さんを心配させたくなかった。


 でも学校へ行ってみると、信じられない出来事が僕を待っていた。


 

「志岐君、もう大丈夫なの?」


 教室に入るなり女子の集団が僕を取り囲んだ。


「あ、うん。大丈夫。

 この間は騒がせてごめん」

「謝る事なんてないわよ。

 私、志岐君の気持ちよく分かってるから」

「え? そうなの?」


 この子もお母さんが死んだのかと思った。


「志岐君、困った事があったら私達に何でも言ってね」

「食事はどうしてるの? 女子が順番に夕食を届けようかって言ってるのよ」


「ええっ? そんなの悪いからいいよ」


「遠慮しなくていいのよ。

 私達『志岐君を助ける会』を作ったの。

 お料理でもお掃除でも何でも言いつけてね」

「いや……でも……」


 僕はとんでもなく人気者になっていた。


 どうやら女の子というのは、悲劇とかそういうものに弱いらしい。

 まるで自分の事のように悲しんで、助けてあげたくなるらしかった。



 僕は女の子って生まれながらの天使なんだなと思った。



 僕の周りにはいつも女の子が群がって、土日になると誰かしら世話を焼きにきてくれた。


 正直言うと、掃除も食事も僕の方がうまかった。

 女の子達の作る食事は、時々食べられないほど酷いものもあった。

 でも僕の為に一生懸命作ってくれた事が嬉しかった。


 こうして僕は母さんが死んだ悲しみを、たくさんの女の子達に救ってもらった。


 今も感謝している。


 だから、その後どれほど女の子の醜態を見ても、それすらも可愛くて愛すべき存在だと思っている。どれほど騙されたとしても、きっと憎むことなど出来ない生き物だった。


 でもクラスの男子達は時々女子の悪口を言っていた。


「くっそ、あいつらドッジボールのコート、女子が優先だって貸してくれないんだぜ」

「じゃあ一緒にやろうって言ったら、俺達とはやりたくないって言うしさ」

「俺なんか暑いから上靴脱いで座ってたら、臭いから脱ぐなって怒られたよ」

「俺っちは口が臭いからしゃべるなって言われた」

「俺は、そこの体操服取ってって言ったら、汚いもんつまむみたいにして渡された」

「俺達だってそこまでされたら、さすがにへこむっての」

 

 他の男子達の話は、僕の知る女子とは別人だった。


「あーあ、志岐はいいよな。

 お前には絶対酷い事言わないもんな」


「母さんの事でみんな同情してるからね」


「まあな。今だけ許すよ」

「でも、あれって志岐だからだと思うんだよな。

 俺っちの母さんが死んだとしても、絶対あんなに優しくなんかしてくんないぜ」

「そうだよな。

 もともと志岐ってモテてたもんな」


「え? そうだっけ?」


 自分がモテてた記憶はない。

 ただ、みんなのような酷い事を言われた記憶もない。


「そりゃモテるだろ。真面目で勉強も出来てスポーツも出来て、しかも顔もいいもんな」

「お前の茶色がかった髪が萌えるんだってさ」


「俺の髪? 茶色いかなあ?」


 そういえば母さんは茶色がかった髪色をしていた。


 僕はその時人生最大のモテ期を迎えていたらしい。

 もしそのままモテ続けていたら、僕の人生は違っていたかもしれない。

 もう少し自惚れて、もう少し自意識過剰で、もう少し調子に乗ってたかもしれない。


 だが、僕のモテ期は残念ながら突然終わりを迎える事になった。



 母さんが死んでから、もともと無口だった父さんはますます無口になった。

 ただ一つ、テレビで野球観戦している時だけは一時的に活気づいた。

 好プレーにはしゃぎ、点が入ると「よしっ!」とガッツポーズをとった。


 僕は野球をやろうと思い始めた。

 ちょうど四年生に進級して仲良くなった友達が少年野球のチームに入っていた事もきっかけになった。


「父さん、俺、野球チームに入りたいんだけど」

 僕が言うと、父さんは破顔して喜んだ。

「そうか、そうか。走一郎は母さんに似て運動神経いいもんな」


 僕は昔からスポーツは何でも出来た。

 足も速くて運動会で負けた事がない。


 そういえば小三の終わりに関西から転校してきた女の子に一度だけ負けそうになった。

「足、速いね」と僕が感心して言うと、「初めてかけっこで負けた」と驚いていた。

 僕も女の子に負けそうになるとは思わなかった。


 あの子、なんて名前だっけか……。

 真っ黒に日焼けして、気持ちのいい笑顔の子だった。


「母さんって運動神経良かったの?」

「そうだよ。ずっと陸上の選手だった。

 走ってる姿が綺麗だったよ」

「そうだったんだ」


 病気で臥せってる姿しか見た事がなかったから知らなかった。


 僕と父さんは週末には少年野球チームに申し込みに行って、翌週から練習に参加する事になった。


 ただ、チームに入るために、一つだけ決まり事があった。

 

 それはもちろん、野球といえばぼうず頭だった。


「練習までにぼうずにしてきてね」


 僕はそれを特に嫌とも思わなかった。

 むしろぼうずにする事で、なんだか野球選手に近付けるような誇らしい気持ちだった。

 だから「分かりました!」と喜んで請け負った。


 帰り道でさっそくバリカンを買って、その夜父さんに刈ってもらった。

 そうして十分ほどでぼうず少年が出来上がった。


「あれ?」


 満足気に鏡を覗き込んでいて気付いた。


「父さん、こんなとこにハゲがあるよ」


 左横に1円玉大のハゲがあった。

 左指で触れてみると、それがなじみのある感触だと思い出した。


 僕は負の感情が出そうになると、知らず知らずそこを撫ぜていた。


 母さんの前で泣いてしまいそうになった時、もう母さんが助からないんじゃないかと不安になった時、僕はいつもそこを撫ぜて心の平静を保っていた。


 感触はなじみがあるけど、髪に隠れていたので目にしたのは初めてだった。


「ははは。野球部あるあるだな。

 なかなか愛嬌のある位置にあるな。

 ははは」


 僕は父さんが笑ってくれたので、むしろ嬉しかった。

 ハゲのおかげで父さんの笑顔を一回ゲット出来た。


 だから、そのハゲで僕の人生が一変してしまうとは思いもしなかった。


  ◆            ◆


「おはよう」


 翌日笑顔で登校した僕に、男子達は目を丸くして駆け寄った。


「おおっ! お前志岐か?

 丸ぼうずじゃん!」

「うっわーっ! 別人だな。

 誰か分からんかった」

「ぎゃははは! 触らせろ、触らせろ!」


 男子に囲まれもみくちゃにされるのが人心地つくと、遠巻きにして見ている女子の視線に気付いた。


(え?)


 みんな悲壮な顔をして、怒りさえ含んでいる。


 いつもは席につくまでに数人の女子が「おはよう」と声をかけてくれるのに、今日は誰一人近付こうともしない。


「おはよう」


 僕の方から声をかけても、「お、おはよう」と言って目をそらされた。


 数人ずつが固まって、何かコソコソ話している。

「ショック……」という言葉がちらほら僕の耳に届いた。



 さらに昼休み、友人の発した言葉で僕は女子人気を底辺まで下げる事になった。


「ぎゃははは! 

 見ろよ、志岐の頭、ハゲがあるぞ!」

「わははは、ホントだ。

 触らせろ、触らせろ!」

「うっわ、だっせえ! 志岐だっせえ!」


「あははは、めっかっちゃった」

 僕はそんな事とも知らず、呑気に笑って返した。


 そして、その日の給食は久しぶりのあげパンだったが、僕のトレイには余分なあげパンがのせられる事はなかった。

 教科書を忘れても、女子はお互いにゆずってなかなか見せてくれなかった。

 

 極めつきは、消しゴムを落とした女子に拾ってあげると、「触らないで!」と奪い取られた。


 何が起こっているのか分からなかった。

 僕は頭はぼうずになっても、昨日と同じ僕だ。

 何も変わらないのに……。




「ハゲがうつるって言われてるみたいだぞ」


 帰り道で友人の一人が教えてくれた。


「え? うつるわけないじゃん」


「ま、女子ってそんなもんだから……」


 他の男子連中は僕より女子の実態を分かっているようだった。



「これでお前も俺たちモテない男子の仲間入りだな」

「ウエルカム志岐!」


 こうして僕のモテ期は終わった。


『志岐君を助ける会』はその日のうちに解散となった。

 僅か半年ほどの出来事だった。


 小三のバレンタインに50個ほどもらったチョコは、小四で1個になった。

 いや、1個でも有り難い事らしい。


 その後中三まで、いつも1個だけ下駄箱に入れられている。


 誰だか分からないが、甘い物があまり好きじゃない僕がどこで売ってるチョコだろうかと、お店を探し回るほど美味しかった。

 結局、その包装紙は100均のもので、手作りらしいと知って驚いた。


 そして誰だか分からないままに卒業した。

 もうあのチョコが食べられないのかと思うと残念だった。



 しかし、世の中って何が起こるか分からない。

 特に女の子が絡むと、もうまったく予測がつかなくなる。


 その後の僕は、男子からは人気があったが、女子にはよく陰口をたたかれてたようだ。


 1円ハゲはピッチャーとしてピンチに立たされるたびに撫ぜている内、1円から100円へ、そして今では500円ハゲに成長し続けている。


 でも女の子も、このハゲも僕は嫌だと思った事はない。


 だって、二つとも、母さんを失って折れそうになっている僕を救ってくれたから。

 僕が今あるのは、この二つの存在があってこそだから。


 感謝している。




 そうして僕は高校生になった。



 そしてかけがえのない存在に出会おうとしていた。


 いや、ホントはもうとっくに出会ってたんだ。


 かけがえのない、ただ一人の存在に……。


 その後の僕の人生に大きく関わってくる……彼女と……。




 高一の夏、僕はようやく彼女を見つけた。



                                  終わり





 志岐君のその後を描いた「野球部のエースをアイドルスターにしてみせます」も良かったらご覧下さい。


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ぼうずにしたら500円ハゲがあったんだ 夢見るライオン @yumemiru1117

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