25  それを埋めてしまうなんて勿体ない

「さぁさぁ、お姉様。着きましたわ」

 草むらの上に軟着陸するハンマー。あっと言う間――とまではいかないが、あーっと叫んでいる間に着いた気はする。

 ああ、地面に足が着いてるって、なんて素晴らしいのかも。

 生身で空を飛ぶって行為は絶叫マシーンの比ではなかった――もっとも、絶叫マシーン以前に遊園地の類には行ったことすら無かったんだけど。

 心の中で涙を流す俺がいた。


 それにしても、短時間とは言え三十分ほどハンマーの柄に跨がっていたものだから、股間が痛い。

 よく、魔女は箒の柄で空を飛べるよな。

 姫さんは痛くないのか?

 振り返れば、ケロッとしている姫さんがいた。その手に握られてるハンマーへと視線を落とし、気付く。

「あー、姫さんずるいぞ! 自分だけハンマーの部分に腰掛けていただろ」

 そう。

 冷静に考えれば、そうだった。柄だけに体重を掛けていた俺と違い、姫さんはハンマー部分に尻を預けていたのだ。


「あらあら、お姉様。私が見てる分に途中から体勢を変えて、何やら腰を小刻みに――」

「うわぁ、うわぁ、うわぁ!!」

 声を荒げ、姫さんの言葉を遮る。

 誰が聞いてる訳でもないんだけど、俺の人間性を守るにはそれしかなかった。

「あらあら、くすくす」

 …………。

 完全にやり込められる俺だった。


「それでお姉様。どちらで見かけたのか解りますか?」

 ぐるりと見渡すが、全てが似たような風景で見覚えなんて無かった。

 無理だな。

 ここまで連れて来られはしたんだけど、目印の無い大森林の中から探すなんて無謀すぎた。


「あっ、いたいた。いましたね」

「やはり飛んでいたのは嬢ちゃん達だったか」

 現れたのは、獣人コンビのハチトラだった。

「あらあら、獣が二人で何してるのかしら?」


「仕事ですよ、姫君。自分達は護衛依頼で海沿いの町へと行っていたんです。今はその帰りで」

「そっちこそ、どうして空なんて飛んでいたんだ? って言うかそのハンマー、空まで飛べるんだな」

 ハチが答え、トラが感心していた。

「俺達は――」

 ネス町の現状とここまで来た理由を説明する。


「ほう。我らが離れたネス町ではそんなことが起こっていたのか」

「それでジャイアントモスの繭探しですか」

「ああ、それでこれから探すところなんだけど……二人は獣人なんだろ? 匂いで解らないか?」

 ふと思い付いたことを訊ねてみる。頭の形状からして、人間よりは鼻が良いはずだ。

「あいにくと、我らはジャイアントモスの匂いを知らないからな……」

 渋い顔をするトラ――って言っても、ライオンの表情なんてほとんど解らないんだけど。


「いや、待って下さい、トラ。モスの繭は解らなくても、サツキさんの形跡は追えるかも」

 一週間くらい経つ俺の匂いの形跡を辿ってみると言いだした。

「そんこと出来るのか?」

「我には無理だ。だが、ハチは我よりも鼻が良いからな。可能だろう」

 相棒の能力に全幅の信頼を寄せているトラだった。

 ハチがヒクヒクと鼻を鳴らし、そして森の一点を向いた。

「こっちです」


 ハチを先頭に後に続く俺達。ふと、一つの疑問が過ぎった。

「なぁ、姫さんはどうやって探すつもりだったんだ?」

「あらあら? 物探しの符がありますの。精度はいまいちですけど、枚数を使えば何とでもなりますわ」

「へー、そんな便利な物があるんだ」

 素直に感心していると、前を行くトラが小声で教えてくれた。

「嬢ちゃんよ。物探しの符は確かに便利だがな、あれは無茶苦茶値段が高いんだぞ」

 詳しく聞けば、一枚で鉄の髭亭に一週間は泊まれる価格らしい。

 それをばらまく様に使うと言うのは、姫さんの姫たる価値観ってとこか。


「ねぇねぇ、お姉様。そう言えば、お姉様はどうして森の中に入ったんですの?」

「ああ、それなら――」

 思いだした。

 自分がそこへ何をしに行っていたのかを。


「ハチ、トラ! それ以上進むな!! 止まれ!!」


 意識するよりも早く、俺は前を行く二人の進行を止めようと叫んでいた。

「何だ何だ?」

「何事ですか、サツキさん」

 歩みを止め振り返る二人の獣人。

「いいから、それ以上進んではいけない」

 うっすらとした記憶でハッキリしないが、目的の地までもう少しのはず。だからこそ、ここで留める必要があった。


「いけないって? 別にやばい匂いも気配もしませんけど?」

「ああ、そうだな。さすがにヤバい魔物がいれば我にも解るぞ」

「あらあら、龍が出てきても返り討ちにしてみせますわよ」

 三者三様でキョトンとしている。

「そう言えば、サツキさんの匂い以外にも微かな腐敗臭が――」


「だから止まれと言ってるんだよ」


 バサッバサッバサッ――

 森全体が烈しく鳴動し、無数の鳥たちが飛び立っていった。そして目の前では、何故か手にしていた武器を投げ捨て俺に向けて手のひらを見せる二人の獣人がいた。

 確かあれって、獣人族の服従の合図だったかな? 少し違う気もするけど……

 どうやら無意識に殺気放出が強に切り替わっていたようだ。

 これ幸いと、静まり返った二人と姫さんを残し、俺は一人で奥へと立ち入っていった。


「位置的に言えばこいつだよな」

 足下には黒く乾燥しきった物体が転がっていた。

 こいつはあの時この場所で俺がしていた――うんち。

 ここまで乾いてしまえばどうってこともないんだけど、さすがに人目に付くのは憚られた。

「さっさと埋めて隠してしまうか」

 スコップの代わりにしようと腰に装備してる双剣の柄に手を掛ける。

「まぁまぁ、それを埋めてしまうなんて勿体ない」

「――――」

 背後からの声に俺の身体は固まっていた。


 恐る恐る振り返れば、ニヤニヤとした笑みを浮かべる姫さんがいた。

 おいおい、嘘だろ。

 事が事なだけに、俺は誰かが近付いてきてもすぐ解るように気配を探っていた。なのにこいつは近付いてきていた。

 俺の気配感知の網を越えて。

「ど、どうやって!?」

「あらあら、達人級ともなれば気配を消すスキルの一つも習得してますわ」

 俺とは格が違いすぎた。

 だからと言って、こいつを渡す訳にはいかない――って言うか、守る物が自分の排泄物だってのがしまらないな。


 絶対に渡さないとばかりにキィッときつめに睨み付け――れば、姫さんが楽しげに笑い出した。

「クスクス。冗談よ、冗談。いくらお姉様がした物だからって、それを収集するような危ない趣味、持ち合わせていないわ」

「…………」

 どうやら完全に遊ばれていたようだ。


 乾燥しきったそいつを埋め終えると、離れた位置で控えていたトラハチコンビを呼んだ。

「おいおい、我の知ってるジャイアントモスの繭よりも一回り以上でけえんじゃねえか?」

「あのサイズなら、トラの身体も納められそうですね。入ってみますか?」

 しきりに感心する獣人二人。見上げる先には、あの日見て驚き慌てふためいた繭がそのまま残っていた。


「姫さん。あれをどうやって下ろすんだ?」

「あらあら、そうね。繭自体は砕けていても問題無いから、下の木を倒すのが手頃かしらね?」

 ハンマーをブンブンと振り回しては巨木の幹へと水平に添え、

「いきますわよ!」

 そして大きく振りかぶっては、斧を振るうように叩き付けてみせた。


 ドッシーンとした重みのある音が響き、次第に走っていくひび割れ。ミシミシと千切れる音を発て、繭が作られていた巨木は倒されていった。

 何て言うか、無茶苦茶過ぎだ。

 繭の作られた木は直径二メートルぐらいしていた巨木だ。それをハンマーの一撃で割るなんて、人間業じゃ無い。

 その証拠に居合わせた二人の獣人も、俺と同じようにあんぐりと口を開けていた。

「あらあら、呆けたお姉様も可愛いくてずっと見ていたいんですけど、繭の回収も――」


 ぴぎゃぁぁぁぁぁぁ――!


 その鳴き声は、俺達の頭上より突然降り注いできた。

「おいおいおい、どうして龍が現れるんだ!? どう言うことだ、ハチ!」

「そんなの自分だって知り――トラ、あそこを見て下さい」

 ハチが指差す先は倒された木の頂点。その上に作られていた大きな鳥の巣だった。

「飛龍の巣!? 卵を壊したのか!!」

 どうやら巨木にはジャイアントモスの繭以外にも龍の巣があったようだ。


 ぴぎゃぁぁぁぁぁぁ――!

 ぴぎゃぁぁぁぁぁぁ――!


 二匹の飛龍が大きく旋回しては激しく鳴き叫ぶ。相当に怒っているのが解った。

「姫さん、どうす――」

 呼び掛けた言葉は、飲むしかなった。

 その狂気に満ちた歪んだ笑みを見てしまったら。


「あらあらあらあらあらあらあらあらあらあら――

 こんなところに巣なんて作っちゃって、悪い龍じゃないかしら」


 嬉々として嗤い、臨戦態勢に移るべくハンマーを握りしめる姫さん。不意に何かを思いだしたように、俺の方へと顔を向けてきた。

「お姉様――は、大丈夫か。そこのトラハチ。死にたくなかったら、お姉様を連れて離れていなさい」

 それだけ告げると、姫さんは大きく跳躍しては木々の幹を蹴り上がり、上空の飛龍の元へと届いてみせた。


「ほう。龍を前にして臆せず挑むとはな。屠龍姫の二つ名、伊達ではなさそうだ」

「感心してないで離れますよ! ここにいたら、彼女の邪魔になります!! さぁ、サツキさんも、早く!」

 ハチに促され、その場を離脱する。

 遙か上空では二匹の龍相手にハンマーを振るう姫さんの姿があった。

 そして、


 カサッ――


 枯れ葉を踏む掠れた音が横から届いてきた。

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