22 お前は命を奪った経験はあるのか?

「凶の殺気は置いておくとして、サツキ。

 これで完全に外へと出られるようになったが、お前はこの世界で何をしたいんだ?」

 訊かれ、今一度考え込む。

 俺が何をしたいか――って? そんなの決まってる。前世では適わなかったこと――人と触れ合いたい、世界と触れ合いたい――だ。

 まぁ、野郎はちょっと敬遠したいけど。


「世界と触れ合いたいか……そうなるとあれしかないな」

「あらそうね。あれしかないわね。残念だけど」

 俺の想いを聞いた二人は同じ結論を指し示してくれた。

「冒険屋だな」

「冒険屋ね」


「冒険屋……か」

 ゲームを参考にして世界運営をしているとロロさんが言っていたけど、それが確かなら冒険屋は世界を駆けずり回る何でも屋。世界と触れ合いには最適職か。

「それ、俺に出来るかな?」

「サツキは、防御力だけなら伝説級。護衛任務には最適だろうな」

「あらあら。戦闘力は微妙ですけどね」

 むっ。

 図星なだけに言い返せない俺がいた。

 まぁ、採取とかもあるだろうから、そっちを頑張るって手もあるかな。


「ただただお姉様。お姉様が冒険屋になるには問題が一つありましてよ」

 問題?

「渡来人が冒険屋になる場合、公営の冒険屋組合にて一つの試験があるのです」

「筆記試験とかか?」

 それだとさすがに難しい。

 リグラグの歴史とか地理とか問われてもちんぷんかんぷんだ。有益な薬草もやばい毒草も何も解らない。

「いえいえ。組合が課しているのは討伐テストですの」

 あー、異世界物で良くある、ゴブリンを狩ってこいとかのあれか。

「試験としては妥当だと思うけど、それの何が問題なんだ?」


「じゃあ訊くが、サツキ。お前は命を奪った経験はあるのか?」


 命を奪う。

 言われてみれば確かにそうだった。

 討伐すると言うことは、対象を殺すことなのだ。

 殺す。

 生き物を殺す。

 生まれてこの方、生き物を殺した経験なんて皆無だ。

 唯一あったとしても虫までだ。

 それも、蚊ばかりだ。

 ゴキブリもあるにはあるが、数えるほどな上に殺虫剤のスプレーを吹き掛けての殺害だ。

 スリッパで叩きつぶしたことすら無い。


 そんな現代っ子な俺に動物を殺せなんて、酷なことでしかない。

「無さそうだな」

 俺の顔色からマスターは察したようだ。

「だが、それが出来ないことには冒険屋の試験は突破できない」

「冒険屋以外では?」

「職人の類は無理だろうし、このままここでウエイトレスか、あとはせいぜい貴族や富豪の屋敷でメイドくらいだな。商人や農家に嫁ぐって手もあるが」

 提示されたのは論外すぎた選択肢だった。

 さすがに嫁になる気は無い。

「あらあら、お姉様。何でしたら、お姉様は一生私が養って差し上げますわよ」

「うっ、さすがにそれは……」

 くねくねと妖艶な笑みで俺を誘ってくる姫さんの申し出を何とか断る。いくら何でも自分よりも年下の少女に養われるなんて、男としての矜持が許せない――男じゃないけど。


    ・

    ・

    ・


 ウエイトレスを続けるかどうかは冒険屋の試験を受けてからと言うことになり、まずはその試験攻略の為にも生き物を殺すことに慣れようと、鉄の髭亭の裏庭に連れて来られてきた。


 そんな俺の前には足を縛られた一羽の鶏が逆さに吊り下げられていた。

 鉄の髭亭に出入りしている肉屋に頼んで仕入れて貰っただ。普段は肉の状態で届けられるらしい。

 双剣の剣先で突っつけば、身動ぐ鶏。

「あらあらお姉様。勢いよくずばっとやっちゃってみてくださいませ」

「そうだ、サツキ。躊躇えば躊躇うほど、殺り辛くなるぞ」

 二人は俺にこいつを絞めさせようと、やる気満々だ。


 そうは言うが、木から吊す際に触れた身体は温かく実感させられる鶏の生に、精神的負荷が凄かった。

 それでも、

「やるしかないんだ」

 ギュッと双剣の柄を握りしめる。この世界の住人として生きて行くには覚悟を決めるしかなかった。


「ごめん」


 そんな呟きを零し、奥歯を噛み締めながら剣を振るう。

「クケッ――!?」

 斬り方が浅く、突然の痛みにけたたましく鳴き声を上げ、身をくねり出す鶏。その激しさに尻込みする。今にもこの場から逃げ出したい俺の身体だったが、背後から押し留められた。

「姫さ……」

「お姉様。やりましょう」

 澄ました笑顔の向こうには何の感情も感じられない。ただ、逃げることを許さないとした意思だけは感じ取れた。


「ごめん」


 震える手で二度目の斬り付けを放つ。

「ケッケッケッ!!」

 鶏が動くものだから、先ほどよりも甘かった。

 まだ死なない。

 返り血を浴びながらも、三度目の斬り付けを行う。

 切り込み方が下手すぎるのが解っている。だから、左手の短刀で首を押さえ、右手の短刀で挟むように斬り付けた。


「ごめん」


 そんな呟きと共に斬られた首が、地面に落ちた。

「…………」

 仕事を成し遂げた達成感も無ければ、命を弄んだ高揚感も無い。あるのは空っぽな寂寥感だけだ。

 握っていた左右の双剣は手から滑り落ち、地面に突き刺さった。

 血まみれの両手を見ては、無意識に併せていた。


 許しを請うわけでもなく、ただただ漠然と。

「お姉様。

 お姉様はそれで救われるなら止めはしませんが、救われたいと思っての行為でしたらお止めなさいませ」

 凜とした姫さんの言葉が俺の耳朶を打った。

 憔悴しきった胡乱な眼差しを、彼女へと向ける。

「お姉様は、謝罪されたからと言って自らに振り下ろされた凶刃を受け入れる気がおありなのですか?

 そんなの、ありえませんわよね?」

 答える前に否定された。


「いいですかお姉様。元来、命のやり取りには崇高な思想も憐憫の感情も無く、ただ淡々と、そしてひどく利己的であるべきなのですわ。

 そこにくだらない思想や感情を乗せると、いつか心をいびつに歪ませ壊すことになりますわよ」

 シビアだった。

 命のやり取りは俺が考えている以上に平淡としていたものだった。


 真逆――

 ――とまではいかないが、食に関わった全ての命を尊び感謝する日本の考えとは明らかに違った割り切りに、俺は今一度異世界に転生してきたことを実感していた。


「ではでは、お姉様。

 お姉様の心構えが出来上がったところで、もう一羽、いってみましょうか?」

「え?」


    ・

    ・

    ・


 その後も数羽の鶏を絞め、解体の訓練だとネスス猪の皮剥から内臓の取り出し骨格から肉の分離作業をさせられることになった――それも、数体分のを。

「内臓グロ……気持ち悪い……血の臭いが……」

 スプラッタ映画を立て続けに何本か見せられた気分で、ベッドの上で項垂れていた。

「あらあら、お姉様。

 返り血はすっかり綺麗に落ちたはずですわ」

 姫さんが何やら言っているが、頭が上手く回らない。解体作業が終わった後、自室の風呂へと連れ込まれたんだけど、記憶が曖昧だ。

 全身血まみれ状態の俺を姫さんが洗ってくれたっぽいが、何をどう洗われたのやら? ハッキリしているのは、隣で腰掛けている姫さんの肌が、やけにてかてかで艶々なことくらいだ。


 そして何故か、その脇にはクローゼットから引っ張り出してきた無数の衣装が転がっている。

「はいはい、お姉様。次はこちらのドレスにしましょうね。あっ、コルセットは不要だと思いますけど、ラインが良くなりますから着けましょうね」

「…………」

 フリフリのゴスロリっぽい衣装やらシックな赤のドレスやらを着せられていくが、今の俺には抵抗する気力も湧かず、

「いやんいやん♪ さすがですわ、お姉様。愛らしい衣装も良かったけど、妖艶なドレスも似合うだなんて、素晴らしすぎますわ。あっ、でもでも、純血を現した白いドレスの方が似合うかしら?」

 されるがままに姫さんの着せ替え人形と化していた。


 ベッド脇にある鏡台へと胡乱な眼差しを向ければ、

「――――!?」

 鏡に映り込む自分の姿を見て、目が醒めた。

 そこに居たのは、艶のある白地に金糸で彩られたドレスを纏った、姫さん以上にお姫様らしい姫の姿があったのだ。

 一瞬誰なのかが解らなかったのだが、薄翠色の髪が自分の姿だと主張していた。

「これって……」

「あらあら? 正気に戻りましたのね、お姉様」

「俺、なのか?」

「はい、お姉様ですわ。

 城から持ち出してきていた姉様のドレスなんですが、思った通りよく似合ってますの」


「お姉さんの!? いいのか、俺なんかが着たりして……」

 出所を聞いて恐縮してしまう。

「あらあら、いいのですわ。姉様もお姉様に着て貰って本望だと思ってますわ」

 そう言われてしまえば、返す言葉が浮かばなかった。

 俺の身嗜みを整えると、服装に合わせた髪型にしようとブラッシングを始めた。

 長い髪を梳かれるのは不思議と心地よく、俺の悩みを吹き飛ばすには丁度良かったのかも知れない。


 ただ、

「まぁまぁまぁまぁ、お姉様。舞踏会にでられますわ。

 あっ、でも、お姉様を殿方にエスコートさせるのはダメですわね。いっそ私が……」

 姫さんの手によって仕立て上げられた俺の姿は可憐で美しく、俺をそっち系の道に傾倒させるには十分過ぎる美があった。

 あー、やばいかも。

 着飾るのが楽しいと思えてきた。

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