13 忠義に生きた犬の名前
入り口近くの五番テーブルへとジョッキを置くと、待っていたとばかりにそれらを呷る客達。カウンターへと戻ろうとした俺の背中に、
「兄さん、ここが鉄の髭亭みたいですね」
「おう、ここか。英雄ドアがやってるって酒場は。
邪魔するぜ」
来店してきた新たな客の声が聞こえてきた。
振り返っては、
「獣人?」
思わず目を大きく見開いた。
やってきたのは、獅子の頭を持つ大男と垂れた耳を持つビーグル犬のような頭をした細身の男の二人連れだった。
「ん? 嬢ちゃん、獣人は珍しいか?」
ぱふっと、獅子頭が肉球付きのでっかい手を俺の頭に載せてきた。
「あっ、俺は渡来人なんで」
「へー、渡来人ですか。奇遇ですね。
自分達が子供の頃に暮らしていた孤児院の院長先生も渡来人なんですよ。名前も彼女からいただきました」
孤児院の……
思っていた以上に、渡来人は多いようだ。
「我は獅子王トラだ」
「自分はハチです」
トラ……ハチ……
「――ぷっ」
想定外の、ある意味想定通りの名前を聞いて思わず吹いてしまった。
まだ、タマミケポチシロよりはマシなんだろうけど。
「我らの名の何がおかしい、小娘」
いきなり膨れあがったプレッシャーに、全身が震えた。
怒ってる。名前を馬鹿にされたと思って怒ってる。
だから、
「べ、べ、べ、べつにそんなつもりは……」
慌てて弁解するも、上手く口が回らない。
「じゃあ、何だと言うのですか?
あっ、自分も怒ってますから」
口調は丁寧だが、ビーグル犬の人も怒っているみたいだ。
「それはその……貴方たちが言っている院長先生って、たぶん俺と同じ世界の出身者で、貴方たちの名付け方法が何となく解ったからで」
しどろもどろになりながらも何とか言いのけることが出来た。
「ほう、院長と同郷か。ならば許してやろう」
騒がしかった店内を静まり返らせるほどだったプレッシャーがかき消えた。
「お嬢さん、貴女の名前は?」
「サツキ。渡来人のサツキです」
「サツキさんか。
いつでもかまいませんが今度宜しければ、自分達の院長先生と会ってやってはくれませんか。彼女はこの地に転生してきて数十年。故郷の話も聞きたいでしょうし」
そう頼まれれば断る理由は無かった。
「それで嬢ちゃん。
我らの名付けの方法はなんなのだ?」
「えぇっと、トラさんのは――」
どう言うか考えながら口を開ける。
「我のことはトラでいいぞ」
「自分もハチで」
敬称は要らないと二人は言った。
「じゃあ、トラ。まずは貴方の名前なんだけど、それは俺の世界――って言うか、俺の国において大型猫科の種族名で、龍とも並び称される名前なんだ」
「ほぅ。龍か……」
この世界には虎はいないようだけど、龍はいるみたいだ。
「そしてそちらのはハチは、俺の国では逸話にもなっているほどの有名で、もっとも忠義に生きた犬の名前なんだよ」
共に若干大げさだけど、嘘は言っていない。
さすがにペットの犬猫に付けるポピュラーな名前の一つだとは言えなかった。
これでタマとかポチだったら、さすがに誤魔化しようがなかったんだよな。
でも、獅子頭でトラってのも凄い名付けだよな。
ビーグル犬の顔でハチってのも合ってないし。
口には出さずに胸の中でそう思う俺だった。
ゾクッ――
突然、身体が身震いした。
周りでは宴会中の客達が身体を強張らせ、固まっている。それは獣人の二人も同じで、歴戦の強者とも思える彼らもまた身構えることなく動けないでいた。
そんな突如店内を襲ったプレッシャーの主は、開かれたトイレの扉の向こうから現れた。全てを凍てつかせるほどの冷たい波動をまとって。
「あらあらあら、貴方方、私のお姉様に何をしようとしてますの?」
澄んだ声音だと言うのに、酷く底冷えを感じさせる言葉が響き渡った。
カツン、カツン――と、硬質の足音を発てて、歩み寄ってくる姫さん。彼女が一歩近付く度に、頭に置かれた手からトラの震えが激しくなっていくのが解る。
「ひ、姫さん! 誤解だ、誤解!
トラもハチも俺をどうこうする気は無いから」
「あら? まぁまぁまぁ、でも、そのお姉様の頭を握り潰そうとしている手は何かしら?」
姫さんがそう指摘すれば、速攻で俺の頭から手を離すトラ。ハチと並んで姫さんに対して手のひらを見せた。
「おい、あれって――」
「ああ、獣人族の降参の合図だな。獅子族がやるのなんて初めて見たぞ」
近くの席からそんな囁き声が聞こえてきた。
どうやら犬が腹を見せるのと同じ意味合いらしい。
「す、す、済まない。
我らに嬢ちゃんをいたぶる気なんて微塵も無い」
「ふーん」
トラハチの肉球を眺め眇めては、身を退く姫さん。俺の手を取ってはカウンターへと連れ戻っていく。
そんな俺の背に、トラ達の呟きが聞こえてきた。
「ありゃなんだ? 何者なんだ、あの女騎士様は?」
「ここが英雄ドアの店なら聞いたことがないか? もう一人の化け物を」
「化け物――って、あれが屠龍姫か……末恐ろしい姫さんだな」
「同感です。あれには自分達じゃ敵いませんね。たとえ百人いても瞬殺されますね」
「災難だったな、獣人族の。奢ってやるから楽しんでいけ。
マスター、酒だ、酒! あとつまみも追加だ。じゃんじゃん持ってきてくれ」
客の一人がそう言うんだけど……それって俺が配膳するんだよな?
正直、微妙にやりづらい――かも。
その後二人の獣人は常連客と飲むだけ飲むと、酔ったまま鉄の髭亭に部屋を取り二階へと消えていった。
後から聞いた話なんだけど、二人は傭兵稼業を生業とし、護衛の仕事でネス町へと訪れたらしい。そして、かねてより来てみたかった英雄ドアの店に顔を出したのだ。
その際、あわよくば一手勝負を――と考えもしていたらいいけど、申し出る前に姫さんの洗礼を受けて戦う前からあえなく撃沈したことになる。
しかし、
「姫さんって何者なんだか?」
客の居なくなった店内をモップ掛けしながら、独り言ちた。
ハッキリ言って彼女が何者か解らない――って言うか、
「どうして姫さんは俺なんかに懐いてるんだ?」
「それなら、お前さんは姫の姉君に似ているからだな」
俺の呟きに、カウンターで水仕事をしていたマスターが応えてくれた。
「似てるって、顔が……ですか?」
仮にそうだとすると、絶世の美人となる。自画自賛が混ざってる気がするけど……
「顔か……まぁ、似てると言えば似てる方だが、どちらかと言うと雰囲気だな」
内面男の俺に似てるお姫様って、残念すぎる気が……
想像しては、内心冷や汗を浮かべる。
「そのお姉さんは?」
「死んだよ。姫を庇ってな」
予想は出来ていたけど、重たい内容だった。
しかし、そんな身の上話を聞かされてしまえば、姫さんの過剰なスキンシップを無碍にはあしらえないよな。
今後の対応をどうしようかと悩む。
そんな件の姫さんは、俺を自分の部屋に泊めると言って聞かず、今も俺が店の清掃をしている間に自分の部屋の片付けを行うべく上へと引っ込んでいた。
まぁ、ちょっと病んでる気がしないでもないけど、可愛い妹分とでも割り切るかな。
一人息子の俺としても、兄弟姉妹には憧れがあったりしたし。
モップに力を込めながら、そんなことを考えていた。
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