12 これで何とかこの世界で生きていけそうな気が

 スキルの説明を読む限り、殺気変換を身に着ければ魔装を使うことなく、俺は自分の存在を偽装できるようになるらしい。

 それはそれで今すぐ身に着けたいスキルなんだけど……

 習得条件はもう一つあり、殺気操作(改)とやらを覚える必要があった。

 ちなみにその殺気操作はどうやって覚えるかは、現時点では不明のままだ。スキルツリーにも載っていない。

 今しばらくは、ウエイトレスの制服を脱ぐことは出来ないようだ。


「お姉様?」

 固まったまま思案していた俺に、キョトンとした姫さんが声を掛けてきた。

「ああ、ちょっとな。これで何とかこの世界で生きていけそうな気が――」

 言い掛けた言葉を止める。

 最大の難題がクリアできたと思えば、次の懸念事が俺の頭を悩ましてくれた。当面の仕事と住む場所――所謂、生活基盤を確保する必要があったのだ。

 そんな難問に頭を悩ましていると、


「マスター。さっきの化け物な殺気は何だったんだ? 魔族でも襲来してきたのか?」

「俺はまた、姫さんが暴走したかと思ったぞ」

 階段からガヤガヤと騒がしい集団が降りてきた。見た感じ、この宿の泊まり客のようだ。

「あっ! マスター、ウエイトレス雇ったんだ」

「何、ウエイトレスだと!?」

 どっと集団が俺の元へと駆け寄ってきた。

「あの……俺は別にウェィ……」

 俺の言葉など聞く耳持たず、ジロジロと見分してくる一団。基本、無骨でむさ苦しい野郎が主体だけど、女性も何人か混ざっており、中にはアマゾネスばりに鍛え上げられた肉体を持つ人もいた。


「鉄の髭亭のウエイトレスってことは、この娘も強かったりするのか?」

「とても強そうには見えないな」

「見えない以前に、ただの町娘レベルだろ。戦士のオーラが全く感じられないぞ」

 口々に何かを言っているんだけど、精神的に一杯一杯な俺の耳には意味消失したノイズとしか聞き取れなかった。

 ただでさえ着慣れていないウエイトレスの制服姿を、複数の連中に見られているのだ。気恥ずかしいことこの上ない。

 正直逃げ出したいけど、こうもぐるりと周りを囲まれてしまえば逃げる隙も無かった。


「あら? まぁまぁまぁまぁまぁ、あなた方はお姉様の初仕事を邪魔しようとするのですわね」


 姫さんがそう口にした途端、あれだけ騒がしかった店内は水を打ったかの様に静まり返った。

「――おい、今何回だ?――」

「――奇数だ、奇数――」

「――奇!?――」

 ひそひそ話が聞こえたかと思えば、脱兎の如く俺の周りから離れる客達。そのまま空いていた椅子へと行儀よく腰掛ける。

 その統制された行動に呆然としていると、

「そう言うことで仕事だ、サツキ」

「老師?」

 いきなり三角巾を被った頭の上にペンと紙の束を載せられた。

「注文と配膳ぐらいは出来るな? 端から順に聞いてこい。

 あと、儂のことはマスターと呼べ、良いなサツキ」

 一方的に命令される。

 気が付けば、俺と老――マスターの間で雇用関係が成り立ってしまったようだ。


「えぇっと、焼ききのことネスス猪のステーキが二人前ですね」

 流されるままに注文を受けては、鉛筆っぽい筆記具を用いて、紙質の悪い伝票に記していく。

 見様見真似――と言えるほどの外食経験の無い俺なんだけど、ドラマやアニメでウエイトレスが出ているシーンを思いだしてはそれをなぞってやってるんだけど、結構さまになっている気がする。

 まぁ、自画自賛なんだけど。

 もっとも、客に愛想を振りまく余裕など始めから無いため、何処か淡々と、そして黙々とルーチンワークをこなしていってるように見えるだろうな。


 それはそれとして、無遠慮な視線を浴びるって結構恥ずかしかった。

 人前に立つことを避けて生きてきた日陰者。視線を集めてみたいと思ったことは多々あったが、ここまで精神に来るとは思ってもいなかった。

 女は男のいやらしい視線が解ると聞くけど、本当にそうなんだな。周りの視線が胸やら尻やらに痛いぐらいに突き刺さるのがよく解る。

 それでもさほど顔に集まらないのは、町娘の擬態が完璧なんだろう。

 これでもし三角巾を外したりしたら――と考えると、先ほどのカイルの暴走を思いだしては身震いした。


 と、そのカイルはラリーラさんが自警団詰め所へと連れていった。

 彼女は、俺を鉄の髭亭にまで引き連れていって戻ってこない隊長に困っていた隊員に頼まれ、向かえに来たらしいのだ。

 老師――じゃなくてマスターは独りカウンター向こうの厨房で調理をし、姫さんはカウンター席の中央席に陣取っては俺の仕事ぶりを眺めていた。


「二番テーブル、猪鍋上がったぞ」

「はぁィ――うわっ!?」

 カウンターへと料理を取りに行こうと踵を返した途端、慣れないミュールに足を取られて体勢を崩す――も、

「お姉様、大丈夫ですの?」

 姫さんが支えてくれた――んだけど、どうやって?

 今俺がいるのは彼女から遠く離れた店内最深部だ。カウンターにいる彼女が支えに来られる距離じゃないんだけど……

 謎の多そうな姫さんだった。


 夕食だけが目当ての客が引け、酒盛り目当ての客が目立ち始めた頃合。突然目覚めた空腹感を退治すべく、カウンターの片隅でマスターに作ってもらった賄い食に舌鼓を打っていた。

「ん~、んまい」

 それは思わず身悶えするくらいの美味さだった。

 空腹と言う最高のスパイスが限界以上の効果を発していることもあるんだけど、何よりこの世界に転生してから食べたモノが携帯食の干し肉ばかりだったこともあり、猪肉のステーキのきのこシチュー掛けが美味すぎるのだ。


 ほっぺたが落ちそうってこういう時に言う言葉なんだろうな。ただ、

「姫さん、じぃーっと見つめられていると恥ずかしいんだけど」

 料理を堪能している俺の隣では、ニマニマとした笑みを浮かべた姫さんが俺を眺めていた。

「あらあら、いいじゃないですか。お姉様って美味しそうに食べているんですもの。知ってまして? ドアってば昔は料理がド下手でしたのよ。どれだけの肉を炭にしたことやら」

 ケラケラと楽しそうな姫さん。俺の頼みを聞き入れてくれる気は無さそうだ。


「ねぇ、ねぇ、お姉様」

「ん?」

 ステーキから顔を上げる。

「その三角巾、外しても宜しくて?」

 唐突に伸ばしてきた彼女の手から守るように、頭の三角巾を両手で押さえる。客は減ったからとは言え、今店内に残っているのは酔いどれ客ばかりだ。

 そんな状況で超絶美人な女給状態になったりしたら、俺の身が危なすぎる。


「何故!?」

「だって今のお姉様って、魔装のおかげで魅力半減ですもの。折角美味しそうに料理を食べているお姉様を、最高の魅力で堪能したいと思いまして」

 あまりにくだらなく、到底受け入れられる頼みではなかった。

 それでも手を伸ばしてくる姫さん。それを躱しつつ料理を平らげる俺。

「おい、遊んでいるならこいつを五番テーブルに運んでくれ」

 カウンターの上に泡のこぼれそうな三つのジョッキが置かれた。

「あら? では私は少し席を外しますわね」

 そう残してはトイレの扉へと向かう姫様だった。

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