第3話 続、英雄の子
大邑はのどかなところだ。商人で溢れ帰った成都と違い、時間もゆっくりと流れているような気がする。ただ一部を除いて。
張雲は墓である土まんじゅうを見上げながら深いため息をついた。
(こうしてる間にも皆は国の為に戦ってるんだよなぁ)
蜀軍は幾度となく北伐と称した戦を繰り返していた。かつて共に戦った者達の安否と今の己の状況に思わず頭をかきむしりたくなる。
(なんで俺はこんな所でこんな事をやってるんだ)
剣の代わりに鍬を持ち、盾の代わりに鋤を持つ。そして鎧を脱いで農夫を思わせるいでたちで賊を蹴散らして墓の周りを駆け巡る生活…
(俺、本当に何やってんだろう?)
絶対に知り合いに見られたくない。そう思いながら鋤を振り回す張雲を趙統は申し訳なさそうに見て言う。
「お前達親子には本当に迷惑をかける」
「そんな、うちの親父に比べれば趙将軍の方が絶対マシですって!」
張雲が必死にそう言うのを趙統は小さく笑みを浮かべながら亡き者に思いを馳せた。
(そういえば張某もいつもそうやって必死に親父に何か言ってたな)
そういう血なのか、と苦笑しつつならば賊に剣を振る自分は父とどう違うのかと考える。
(親父はいつも何を思って戦ってたんだろう)
趙統の知る『趙雲』という男は争いごとが好きではなかった。なのでよく聞く英雄譚もぴんとこなかったりする。
近所に住んでた人の善い張飛というおっさんはいつも酔い始めると同じ話をした。
「おめぇのとうちゃんはなぁ、百万の敵兵の中から阿斗を救いだしたんだ。たいしたもんだぜぇ。ま、俺には敵わねぇがなっ」
酔っぱらいの話程信頼性に欠けるものはない。
(俺にはまったく信じられないんだが……)
家庭内における父親像なんてそんなに違うものではない。趙統にとって父は他所のそれと大差ない普通の人であった。寧ろ、家の事はなに一つできない不器用な男だったのだ。
(あの酔っぱらいも気難しいヒゲ親父も世間一般じゃあ英雄扱いだもんなぁ。世の中わかんないもんだわ)
かつて美髯公と呼ばれた御仁のそれを弟と編み上げてモジャモジャにした際、諸葛亮が真っ青になり倒れそうになったことを思いだし、心の中で小さく手を合わせる。
(ごめん、俺も結構やってたわ)
美髯公に謝り倒す父に代わり、説教したのは母だった。
『ほら、統謝りなさい。じゃなきゃご飯抜きだよ』
気の強い人で父はいつも尻に敷かれっぱなしだった。少し色素の薄い髪と翡翠のような瞳を持つこの人を妻にするには周囲の反対もあったろう。なので母は生涯一度も趙将軍の妻と名乗ることはなかった。
その結果、誰も彼女の正体を知らず今の世に至る。なので、孫夫人…俗にいう孫尚香、孫呉の姫であるという恐ろしい説もある。まぁ記されている趙雲の性格上、姫とそんな関係になろうものなら自決しかねないもんだが…
当然、趙統も母の素性は知らない。母譲りの翡翠の瞳を疎ましく思う者も少なくはなく、父の友人である諸葛亮は趙統を庇い、幼くして継いだ領地と地位を妬む者達から守る為に彼を前戦から退けた。
『お前は御父上と違う道を歩みなさい』
北伐の最中にそう言った丞相の目には光るものがあった。今、その傍らには弟がいる筈だ。長坂の英雄によく似たその姿は戦場にこそふさわしい。
羨ましくないと言えば嘘になる。本当は自分だって趙家の長子として戦場を駆けてみたかった。だが諸葛亮はおろか、阿斗こと劉禅さえもそれをよしとしなかった。
『統、お願いだから墓を守っておくれ』
皇帝直々に言われてはやらない訳にはいかない。
だから趙統は近頃こう考えることにしたのだ。
(此処に賊をけしかけてるのは都のお偉いさんか…)
彼らが趙統をこの地に縛り付けておく理由はわからない。だがきっと何かしらあるのだろう。
その為に割りを食った張雲には悪いが趙統には考えがあった。
(賊を相手に実戦経験を積ませて貰うのも悪くない。いつかきっと役にたつ筈だ)
今の御時世であのしたり顔の軍師将軍、諸葛亮が彼らを辺境で遊ばせておく訳がない。
今日はいつもより空が青く感じる。なんだかぼやけて見えるのは張雲がいつもより以上に鋤を振り回しているからだろうか。
「チックショーっ、てめぇら人様の墓に手ぇ出して無事に帰れると思うなよーっ!」
そう叫びながら暴れまわる張雲に英雄の子は改めて天才軍師の采配に戦いた。
適材適所、まさにそれである。
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