第2話 英雄の子

報告を受けた諸葛亮は少年に冷や汗混じりに言った。


「お父上の際は趙将軍の執り成しがありましたし、今と事情が違いましたからお咎め無しでしたが…貴方はそれが軍律違反と知りながら敵陣に近付いた訳ですよね」


「いえっ、そんなつもりでは…」


「後程沙汰を出しますから覚悟しておきなさい」


「そんなっ、丞相、丞相ーっ!」


半泣き状態な張雲の前にその若者が現れたのは諸葛亮の姿が見えなくなって四半時が過ぎた頃だった。鍛えあげられたがっしりとした体型とは不釣り合いな端正な顔立ちに張雲は目を見張る。


(見るからにご立派な貴公子だけど誰だろう、見たことないな?)


自分とあまり年が違わない感じの彼は張雲の顔を見てクスリと笑い、


「名は体を表すとはこの事かもしれないな」


張雲は歳の割に同世代の兵卒よりも体が大きかった。それを必死に屈める姿に若者は更に笑みを深め、


「お前に選ばせてやろう。責を受け止め降格された上に前線で死ぬか、またはこの趙広の頼みを…」


張雲はその名に再び目を見開いた。


「趙…って事はあの趙将軍のご子息で?!」


「そうだ、そのニ子にあたる」


趙広はすらりとした長身を屈めると張雲の正面に座り、こう呟いた。


「お前の父の事は亡き父によく聞かされている。極めて有能な男であったそうだな」


「……はぁ?」


困惑する張雲だが趙広は尚も続ける。


「我等兄弟は厄介な責を押し付けられ往生しているのだ。お前の力が借りたい」


「そんな…俺はそんな大層な事は…第一親父だってお気楽な厄介者でしたよ」


「…うちのに比べればマシだ。死んで更に厄介事を生みおって…」


「貴方様のお父上は趙雲将軍ですよね?」


「そうだが、どうした?」


「マシってどういう事です…?」


「あの人は戦に於いては天才だったが生活能力は無きに等しい…母と兄上がどれだけ苦労されたと思う?」


天は人にニ物を与えぬものらしい。驚く張雲の耳に諸葛亮の声が届いたのはその直後の事だった。


「おや、珍しい顔に会いましたね。お久しぶりです趙広殿」


「丞相閣下もお変わりが無く、広も安堵の息を漏らしております」


「心にも無い事を言うものじゃありません、今度は何をねだりに来たのです?あまり我が儘が過ぎるとまた亡きお父様が枕元に立ちますよ」


「大丈夫です、出るとしたら阿斗さまの所の方が先でしょう」


趙広の人の善さげな笑顔は万人うけしそうなものだった。勿論それは諸葛亮にも有効で、


「まったく…貴方には敵いませんね」


「そう言われると照れますね」


「その人の話をズレて受け止める辺り、お父上にそっくりです」


「近頃は顔も、と…」


「紛い物のようで薄気味悪いですねぇ…」


「それ近ごろ兄上もよく言うのです…ひどいなぁ」


趙広は深いため息を吐きながらその場に膝をつき、意を決したように言う。


「私も元服を果たしたからには父のように武人として生きとうございます。ですが兄一人に負担を掛けたくはございません。丞相お願いです、この張雲殿を我が兄の補佐に…!!」


驚いたのは張雲である。


「補佐って、ちょっと待ってくださいよ。俺はホントにただの兵卒で、親父も暢気者なんですってば!!」


「ならば尚更、趙広殿と代わって頂かなくては…」


諸葛亮はそう言って不敵に笑うと落胆する張雲に告げる。


「今すぐ大邑へ向かい、趙統の補佐として趙将軍の墓守りに従事なさい」


「墓守り、ですか!?」


驚く張雲に若き将は苦々しい顔で言った。


「父の墓は少々訳ありでな、様々な輩に狙われておるのだ」


「なんですって、それは早く行かねば!!」


「じゃあ任せたよ」


趙広は爽やかな笑顔でそう言うと何やら包みを取り出した。


「これは父の形見の一つだ、持って行くといい」


「干し柿じゃないですか。なめてるんですか!?」


半ばキレかかった張雲に答えたのは諸葛亮である。


「趙統殿は親に似ず、可愛いげのない方でしてね。何か趙雲殿絡みの品を持っていかないと補佐として認めて下さらないでしょう」


「だからって干し柿ですか?」


「そんなのを託すのは趙雲殿亡き後、趙広殿だけです」


「その趙将軍って俺らが知る英雄とは違う御人なのでは?」


張雲は冷や汗混じりに二人の顔を見比べるが、彼等はそれぞれ違う笑みを浮かべるばかりである。


(黒い笑みと緩そうな笑みを同時に見る機会なんかそうそうないよな…)


張雲が成都を後にしたのはその翌日の事だった。大邑は当時も今ものどかな土地だ。張雲はとある村の入口で茶店に入り、主に問う。


「すまない、趙将軍の墓の場所を伺いたいのだが…」


「将軍さまの御陵に何の用だね?」


急に店内の雰囲気が変わり、張雲は戸惑った。


「いや、さる御方から頼まれて…」


「オメェさも墓泥棒かや!?」


主が取り出した物に張雲は焦る。


「鎌?…俺なにか悪い事を言ったのか!?」


気付けば店内には他にも鍬を持った男や薙刀を手にした女などもいる。


「まったくしつこいんだから!!」


「若さまはオラ達でお守りするだぁ!!」


いきなり地獄絵図と化した店内に張雲はガタガタと震え上がる。


「俺はただ丞相閣下のご命令で…!!」


「んなモンは知らねぇ。オラ達は趙家の若様の味方だかんな!!」


「だからその若様にも頼まれたんだってば、これが証拠の干し柿だ!!」


暴徒達は張雲が手にした干し柿に驚愕を覚えた。


「これは趙将軍が亡くなられる前にちっこい若様と作られた干し柿だべ!!」


「あんの若様は食いしん坊じゃけ、いっぱい作っておられたんじゃあ」


張雲は自分で突き出しておきながら恥ずかしくなってきた。


(なんか他に無かったんですか趙広さまぁ…)


しかし信じて貰えなかったら恥をかき損なだけに、今は一安心である。


だがそれも一瞬だった。


張雲は喉元にあてられた剣に目を剥く。


「動くな。さもなくば貴様の首をはねる」


少しでも動いていたらその言葉通り、首と胴は離れていただろう。蹴られて思わず倒れ込んだ張雲の目に、年端の変わらぬ若者の姿が映る。


(目が翡翠みてぇな色して,まるで絵姿に登場するような優男だな。…でも誰かに似てるような気も?)


張雲が記憶を辿っている間も若者は敵意を露にしたままだ。


「貴様、この干し柿をどうやって手に入れた?」


「趙広さまから頂いたんです」


「嘘つけ、あの食いしん坊が他人にやるか。しかもこれは病に倒れた父があれの為に作ってやったものだぞ」


「父!?…ってことは貴方さまが趙統さまで!?」


「いかにも、私が趙統だ。…貴様は?」


「はい、張雲と申しますです!!」


若者が青ざめたまま叫んだ途端、趙統の顔が僅かだが緩んだ。


「ではお前はあの張某の息子か?」


「そうです」


張某が洛神に会った話を知らぬ者など蜀にはいない。そして彼が息子に尊敬する英雄の名をつけた事も…


張雲は記憶の彼方に在った笑顔を思い出す。


(ああ、あの優しい御仁が趙将軍だったのだ)


目の前の若様の笑顔はそれによく似ていた。張雲は改めて胸の前で手を組むと新たな主に礼を尽くす。


「どうか私めをお側に置いて頂きたく…」


「それは構わないが、お前に勤まるかな?」


趙統は言葉を遮るようにそう言うとすごい勢いで店から飛び出した。


「どういう意味ですか、って、えぇっ!?」


慌てて後を追う張雲が見たものは墳墓に群がる無頼共の姿だった。


「貴様等、ひとの親の墓を掘り返すんじゃないっ!!」


「うるせぇ、青紅の剣は俺等が頂く」


「だから、んなものは無いと何度言わせるんだ!!」


趙統は慣れた様子で槍を振るい、瞬く間に無頼共を殲滅させてゆく。張雲は恐る恐る口を開いた。


「あの…いつもこうなんですか?」


「あぁ、毎日この調子だ。…無理だと思うんならすぐに成都に帰るんだな」


張雲がオロオロと様子を伺っている間にも無頼共の攻撃が休まる様子はない。


(助けなきゃ、でもどうやって?)


戸惑う張雲の視界に先程の者達の姿が入る。


(これだ!)


張雲は片手に鋤をもう片方には鎌を持って叫んだ。


「けっ、怪我したくなければ帰ってくんろ!!」


その姿は笑いと恐怖を醸し出している。


(コイツは危ねぇ…)


誰もが思わず後ずさる中、趙統の声だけが響いた。


「ゆけ、張雲。お前の農民魂を見せ付けてやるのだ!!」


張雲は『何ソレ!?』とも思ったが、取り敢えずそれらを振り回してみた。体つきが立派な彼の動きはさらなる恐怖を誘う。


(こうなりゃ自棄だ)


と得物を振り回す様に無頼共は一目散に逃げてゆく。


「オメェやるでねーか」


「アタシ等にはなかなか出来ない芸当だよぅ。すごいねぇ」


先程自分を取り囲んだ者達が笑顔を浮かべるのを張雲は照れ臭そうに見る。趙統は槍を置きながら言った。


「亡き父は長坂の戦いにおいて青紅の剣というものを得たらしい。だが俺も広もそれを一度も見てはいないのだ。もしかしたら劉備さまに献上したかもしれないが、今となっては真偽を確かめようがない。なのにああやって剣を盗みに来る輩が後を絶たなくてな…」


「それは大変ですね」


張雲が冷や汗混じりに答えた理由は目の前で残党が落とし穴に落ちていったからである。


光の加減で青くも紅くも光ることからそう名付けられたその宝剣が史実に登場することはない。だが曹操軍の運搬担当者であった夏侯恩を倒した趙雲とその従者であった張某が何らかの宝を手に入れた可能性も否定出来ないという話もある。


「ったく余計なことしやがって、クソ親父…」


ぼそりとそう呟く趙統に張雲はかける言葉が見つからない。どこの家も大変なんだなぁ、とため息を洩らした時だ。古い記憶が頭に過ぎった。


何かの戦の折、父がぼそりと言ったのだ。


『おら、あのお方におねげぇしてみるだ』


そう言って一月ほど行方をくらませた際、何かを持っていたように思える。


(あれってかなりでかかったよな…)


それは体格の良い、馬鹿力な父でもやっとの思いで抱えていた代物だ。しかもそれはいやに重く、装丁も立派な…


「剣だ、あれは確かに剣だった!!」


いきなり叫んだ張雲に趙統が不審な目を向けて言う。


「何だ、いきなり?…まさかお前、心当たりがあるのか?」


張雲の父、張某は彼の戦において趙雲と共に行軍している。まさか、と皆がざわつく中、張雲は記憶を呼び戻そうと頭を抱えた。だがそれを過ぎるのはくだらない戯言ばかり。


『おらはこう見えても昔はモテてたんだぁ。趙将軍の嫁御とも仲が良かったんだぞぅ』


名も遺さず逝ったその佳人を張雲は一度だけ見る機会があった。異国情緒漂う女性は翡翠のような瞳を夫に向け、幸せそうに笑っていた。それがあの父を…あり得なかった。


「ぜってぇ嘘だって…」


深いため息と共に蹲った張雲を誰が責められよう。


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