第2話 声はなく
「あぁ、痛えなあ」
床に臥した男が、ぼんやりと床の板目を見て呟いた。
鬼将軍とまで呼ばれた男も、病の前ではただの無力な人間だ。幾千の人を屠ってきた腕は瘦せ細り、縦横無尽に馬を乗りこなしていた脚は立つことさえままならない。
「そりゃ痛いだろうね。そんなんになるまで戦ばっかしてるからだよ」
薬屋は呆れたと言わんばかりの口ぶりで男を窘めた。
口を動かしながらも、細い指はまるで別の生き物のように無駄のない動きで薬草をすり潰していく。
「毎日見てても、その手際だけは見飽きねえな」
額に汗を浮かべたまま、男は笑みを浮かべた。
一ヶ月おきに買い込んでいた薬は、三週間おきになり、一週間おきになり、とうとうその日ばかりの薬を買うようになった。
それがどういう意味か分からない薬屋ではない。
男は、死神を待つばかりだった。
「……毎朝、さ。戸を叩いた後にアンタの返事を待つ間、冷たい感じが足元から這い上がってくるんだよね。人の生き死になんて山ほど見てるのに」
薬屋の声は震えていた。
男はなんと声をかけていいのかわからず、ただ揺れるまつ毛を見つめていた。
ややあって、男は口を開いた。
「……俺ァな、毎朝お前さんの声を聞くと、あぁ、生きてんなあって、安心する」
「どうして……アンタなんだよ……」
薬屋の涙が落ちて、胸の上にパラパラと降ってきた。涙はほんのりと温かかった。
戦場にはないものだった。
戦場とは、人情で刀が鈍り優しさが隙に変わる世界だ。
誇りで刀を研ぎ忠誠に命を懸けていた男にとって、命の重さなどあってないようなものだった。
薬屋に逢うまでは。
「戦士は戦場で死ぬのが誇りだと思ってたけどよ……その情けねえツラを好きなだけ眺められるってんなら、床の上ってのも悪くねえなあ」
男は薬屋の涙を指で拭った。後から後から溢れてくる涙を、何度も何度も指で掬った。
骨身に染みるような寒い日が訪れたのは、その日のことが思い出話になり、笑い話になったころのことだった。
「おい寝坊助! 薬屋だよ!」
薬屋の声が、冬の空に響き渡る。
「おーい! 薬屋だってばー!」
にゃおん、とどこかで猫の声がした。
お題 《将軍》《薬屋》《猫》
まどろみの空蝉 八坂つくも @8saka99
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