第5話 Night Telepathy
小さな問題が重なって大きな問題になるもの、らしい。
そういうことが起きるとどうなるか、というと、
「今から帰ってもほとんどゆっくりできない……」
問題を特急で片付けた代償が長時間の残業と午後10時の退社だ。
今から自宅に返ると1時間以上かかる。
睡眠時間はもちろんほしいし、ゆっくりする時間も欲しい。
そこでふと思いついた。
彼の力を借りよう。
電話をすると彼はまだ、起きていた。
バラエティ番組か何かが聞こえてくる。
「ごめん、今日、泊めてくれない?」
「ああ、唐突だな。別にいいぞ。下着と寝巻は用意しておいてくれ」
「ありがとう」
「飯、うちで食うか?」
「え、いいよ、悪いし」
「気にするな。ちょうど、余ってたんだ」
「じゃあ、ありがたく」
「待ってるよ」
断られるかな、とも思っていたけど、割とあっさりとOKがもらえてしまった。
むしろ、ノリノリ。
彼の家は僕の会社から3駅の場所にある。
駅から歩いて10分と距離も近い。
玄関ホールでルームナンバーを指定してコール。
「はい、高橋です」
「小野寺です」
「鍵、あけたぞ」
「うん、ありがとう」
エレベータに乗って彼のいるフロアに向かう。
自分が住んでいるアパートよりもずっと、きれいで、設備も整っている。
たぶん、家賃も高いのだろうな、と考えている間に彼の部屋の前まで来てしまった。
呼吸を整えて、扉をノックして、ゆっくりと開ける。
廊下の奥から竜一は顔を覗かして、
「お、来たか。風呂も沸かしてあるぞ」
「……お邪魔しまーす」
「なんか、ザ・彼女って感じだ」
「外から見ればそのものだと思うよ」
「違いない」
事情を知らない人から見ればそうだろう。
細かいことをいうと引っかかるところはあるけど、僕はこういうことがしてみたかったんだ。
「先にお風呂入ってもいいかな」
「その間に食事の用意はしておこう」
「用意って」
「温めるだけだよ」
なんか、それ以上のことをしそうな気もする。
やや、申し訳ないなぁ、と思いつつ、脱衣所に向かう。
前に遊びに来たことがあるから、少しは勝手知ったるなんとやら。
スーツを脱ぎ、しわにならないよう畳んで、下着も畳んで。
髪はアップにして濡れるのを避ける。
シャワーを浴びて、身体を洗い、そして湯船に入る。
一日の疲れがお湯に溶けていくような感覚。
「はぁ……気持ちいい……」
思わずそんな言葉がこぼれる。
風呂から上がり、用意されていたタオルで身体を拭く。
新しく買った下着を身に着けて、そこで気が付いた。
彼にパジャマがないことを伝えるとすぐに寝巻を用意してくれた。
「俺の奴だけど、着れるか?」
扉越しに彼の声がする。
無事に着られたので一安心。
「大丈夫だったよ、ありがとう」
「すっかり忘れてた」
「ま、仕方ないな。飯は用意できているぞ」
リビングのテーブルには一人分の食事が用意されていた。
肉野菜炒め、卵スープ、ごはん、ひじきの煮物。
「おいしそう」
「口に合えばいいがな」
「いただきます」
最初に卵スープに口をつける。
ふんわりとした卵の食感が優しい。
身体の奥に残っていた緊張をほぐすような味付けで、味わっているつもりであっという間に飲み干してしまった。
全体的に彼の作る料理はおいしかった。
簡単なものだけに技量の違いがわかりやすいというか。
「どうした、難しい顔をして」
「料理上手だなって」
「何なら教えようか」
「そうしてくれると嬉しいな」
「うむうむ、家に招く口実が増えてよい」
「え、なにそれ」
「特に深い考えはない」
即答。
「うん、じゃあ、そういうことにしておこう」
「灯は負けず嫌いだな」
「向上心があると言ってほしいかな」
「ふむ、では、そういうことにしておこう」
そっくりと返されてしまった。
でも、こういう食事は楽しい。
誰かと一緒に食べるのは。
誰かと一緒に話すのは。
「ごちそうさまでした」
箸をおくと、すっと彼の腕が伸びてきて、食器をてきぱきと片付けていく。
「あ、片付けるよ」
「気にせずにソファでくつろいでいるといい」
「うん、ありがとう」
完全にお客様になってしまっている。
何かで恩返ししたい、と思いながらソファに座る。
思ったよりも腰が沈んで驚いてしまった。
とても、いいソファらしい。
横になるとそのまま、寝てしまいそうなぐらい。
「寝てもいいぞ」
「さすがにそれは悪い気がするからいいよ」
「そうか。それにしても、ずいぶんと遅い時間になったんだな」
「仕事でちょっと問題が起きてね。特急で片付けてたんだ」
「後で報酬弾んでもらえ」
「そうしてもらおう。割が合わないもの」
何だろう、彼と話していると元気が出てくる。
彼とならこの先、何があっても何とかなるんじゃないかって漠然とした希望。
洗い終わると彼は僕の隣に座って、
「ま、何かあったらうちに来るといい」
「そんなこと言うと、どんどん来ちゃうからダメ」
「その辺、ブレーキをかけるのはいいところだ。あまり断られるとへこむが」
「僕がそこまで甘えていいのかってたまにね。お返しができないし」
「お返しか。……膝枕とか」
僕は膝を叩いて、おいで、と一言。
彼はすぐに寝ころんだ。
頭がちょうど、膝の上にきたはいいけど、胸が邪魔で顔が半分ぐらい隠れている。
のぞき込もうとすると、
「顔に、当たっている……ここまでは、さすがに要求しない」
「役得だと思ってあきらめなよ」
「あきらめとはいったい」
「もう、情緒のかけらもないなぁ」
そういいながら頭を撫でると、彼はゆっくりと目を閉じる。
「こういう夜も悪くない」
「そうだね。ほんと、悪くない」
「今度は時間があるときに、だな」
「うん、残業は悪い」
僕の言葉に彼は笑う。
僕たちの穏やかな夜はこうして更けていった。
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