第2話 Eden

どうにでもなれ、と思ったけど、どうにかなるとは思っていなかった。

病院と役所と百貨店を行ったり来た甲斐もあって、生活が足元から崩れるような事態は避けられそうだった。

役所の手続きが一番難儀だと覚悟していたけど、これは思っていたよりも楽に終わってしまった。

なんでも顔が変わってしまう人は多いのだとかで、性別が変わってしまったのもその手続きの応用らしい。

意外だったのが会社の同僚たちの反応で、驚きも何もなくすんなり受け入れてくれた。

仕草でわかるから違和感ないそうだ。

いや、驚いてくれて構わないんだけど。

むしろ、驚いてくれたほうが治療に役立つのだけど。

身体が変わったことにあっという間になれたように、周囲の人も変化をあっさりと受け入れた。

どうも、僕の日常は思ったよりも頑丈で粘り強いようだった。

生活が確立したから次は問題の原因探しに入りたい。

変身願望はとくにはなかったし、今までの生活が不満かといえば、そういうわけでもない。

それは、非の打ち所がない完璧なものではない。

些細なものをあげれば、社食が値段の割に味も量も微妙だとか、満員電車の通勤が嫌だとか、スマホの電池がもたなくなってきたとか。

ほかにも探せばいろいろ出てくる。

でも、それは流せたり、少し背伸びすれば解決できるような、小さな問題だ。

それが姿かたちをごっそり変える理由になるとは考えにくい。

些細な理由でこういう変化が起きるなら、満員電車の中は化け物だらけになっているだろう。

とにかく、思いついた原因を手帳に書きだす。

その横に否定する理由も一緒に増えていく。

しばらくやってお手上げだと思った。

床に寝ころぼうとして、やめる。

起き上がるときに伸びた髪を巻き込んで痛い思いをしたから。

世の人たちはどうやって防いでいるのだろう?


原因は思いつかないまま、数日が経った。

どうしようか、と悩んで結局、一番似合うと思った新しい服に着替えて、友人との待ち合わせ場所に向かった。

こんなことになっていると伝えたら、そんなこともあるさ、と軽く流されてしまったのだけど。

そんな彼なので驚きはしないに違いない。

実際に会ってみると、

「身体の調子はどうなんだ?」

とこちらの身を案じてはくれた。

大丈夫、と伝えると早く治るといいな、と一言。

「あのさ」

どうして、ここで一言置いたのだろう、と自分でも疑問には感じつつ、

「この前、いけなかったケーキ屋いこうよ」

「あの、女の子が多くては入れなかった店か」

すぐに思い出してくれた。

二人で遊んでいるときにその店を見つけたのだけど、店内を覗くと女の子が圧倒的に多く、男二人で入るのには抵抗が、とあきらめてしまった。

いまならいけるだろう、と。

「いまならカップルに見えないこともない、か?」

「見えると思う」

「それなら、もう少し気合い入れた格好にしてきたのに。これじゃ」

「これじゃ?」

「バランス悪いだろう」

「清潔感はあるから合格だって」

「ならいいか」

頬をぽりぽりとかきながら彼はいう。

そのしぐさにドキッとしている自分に気が付いて、内心でわー、と叫んだ。

そして、原因がわかった。

こいつだ。

前に一緒にバーで飲んだ時、話や仕草が自分よりずっと、大人で見とれていたの思い出した。

同性相手にときめいたりするのだな、と冷静に思っていたつもりだった。

顕在意識とは別に深層意識は全く、別のことを考えていたのだ。

「どうした?」

顔をあげると、心配そうな表情の彼の顔が見えた。

「い、いや、大丈夫」

「カロリーでも気にしてるのか?」

「今日は気にないで楽しむつもり」

「普段は気にしているのか。健康志向、大いに結構だ」

気を使わせてしまった。

「ケーキ屋は逃げないが、ケーキはなくなるからな。いこう」

十分ほど並んで件の店には入れた。

彼は手前、自分は奥の壁側の席に座る。

これもさりげないけど、心遣いだと気が付いた、気が付いてしまった。

こうやって、向かいって座って、メニューを選ぶのは何度か経験があるのに今日はドキドキしている。

自分の性別が行方不明になっているのを感じてメニューを持ち上げて顔を隠す。

見せられない、見せられない、見せられない。

「決まったか?」

「ま、まだ。目移りしちゃって」

「俺もだ」

気づかれてない。

たぶん。

「チョコレートケーキもいいがモンブランも捨てがたい」

「そうだね、栗の季節だよね」

しゃべり方がおかしい。

意識すればするほど、余計に悪くなっている。

気づかれてる。

たぶん。

どうしよう。

ちらっと、メニューごしに彼を見る。

頬杖をつきながらメニューを眺めている。

暇そうにもとれるが目は真剣だった。

彼が甘いものも好きなのはよく知っている。

そしてそれにきゅんとした自分がいる。

どうしよう、というか、どうした、というか、どうなっているんだ。

「モンブランにしよう、かな」

「せっかくだから、俺もそうしよう」

そういって彼は横を通っていた店員さんを捕まえる。

「こちらのセットもお得ですよ」

と店員さんはカップル向けのセットを案内してくれた。

顔から火が出るだとか、ぼんと音をたてるとか今の自分のためにあるのだろう。

店員さんはにこにこしている。

彼は涼しい顔のまま、

「二人なら食べきれるだろう。ダメなら頑張るから――これを」

「お飲み物はいかがなさいますか?」

「アイスコーヒーを1つ」

「もう一つお願いします」

注文を終えてから、

「カップルじゃないのに頼んでよかったのかな」

「ダメだったらすすめてこないよ」

と彼。

この度胸があればなぁ。

「変じゃなかったかな」

「何が?」

自分を指さすと彼は、変なところなんてないよ、と笑った。

「でも、意識しすぎだとは思う」

胸をなでおろした瞬間に刺された。

「その、なんだ。場の空気に流されるなよ」

そういって彼は窓のほうを見る。

頬が少し赤い気がする。

「頬、赤いよ」

「気のせいだろう、たぶん」

友よ、お前もか。

「少し、うれしい」

「なんでだよ」

「気合い入れてお洒落した甲斐があるなって」

何かとんでもないことを言った気が。

妙な沈黙が訪れた。

なんていえばいいのだろう?

むず痒い?

タイミングよく先の店員さんがモンブランを運んできてくれた。

モンブランを一口食べ、コーヒーを一口んでから、

「お洒落って大変か?」

「それなりに。でも、甲斐はある」

なるほど、気が付かないと怒られるわけだ。

「しかし、どうやって調べたんだ?」

「ネットで動画見たり、ファッション系のサイト見て、あとは練習」

「そうか。努力家だなあ」

「肌が荒れるとかもなかったし、運がよかったよ」

モンブランの栗をつつきながら、

「君とじゃなかったら、こういうことできなかったし」

彼は静かグラスの水を飲みほした。

「今日、どうした、本当に」

「自分でもわからないんだ。ただ、綺麗な姿を見てほしくて頑張ったのは本当で」

「こういっては何だけど、恋する乙女じゃないか」

「……そうかも」

今まで意識させなかったものが、壁を作っていた要素がなくなったのだから。

そう考えると今の自分の変化はよくわかるものだ。

「まぁ、お前なら、歓迎だけど」

頬をかきながら彼はいう。

「お前なら歓迎ってなんだよ」

「付き合いが長い。多少のことなら受け止められるし、応えられる」

「まるでこっちが投げるばかりの人間のように言うね」

「重たくはないだろ、重たくは」

「僕だって、受け止められるし、応えられる自信がある……なんか、告白みたいだね」

「みたい、ではなくて、そのものだろう。まわりが気にして静かになっている」

彼の言葉に周りを見た。

視線に気が付いて、みな動き出した。

「うわぁ……」

ここのところ、ずっと、うわぁ、と言っている。

「ずっと、好きだったんだよ。ようやく、素直に言えるようになった」

「その言葉はうれしい。でも、それを認めたら、戻れなくなるんじゃないか?」

「かもしれない。でも、ここは素直になろうと思う」

「変なところで大胆だよな」

「返事は?」

彼は苦笑してから、真顔になって、

「受けて立つ」

「なんだよ、それ」

肯定なのはわかるけど、それはいくら何でもあんまりじゃあないかな。

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