第7話

 昔から、美しいものが好きだった。人も、物もなんでも。それは生まれ持って得た感覚だったのかもしれないが、この国で生きていく過程で身に付いたものだとしても納得できるほどに、この国ケイヤにはそんなものが溢れかえっていた。他国からは欲望を満たす国と揶揄される、大帝国ザルドによって生み出された小さな国。その中で、ある時衛士那は出会ったのだ。感情の全てを奪われる美しさに。

 それが、ウェル・ノルジアの隼人がデザインした指輪だった。

 若干十一才にして彼は天才的なジュエリーデザイナーとしてその名を響かせ始めていた。そしてその存在が、衛士那にジュエリーデザイナーになるきっかけを与えたのだ。だから衛士那にとって隼人は、憧れであり尊敬の対象だった。その、双眸を見るまでは。

 なぜあんな醜い獣が、こんな美しいものを。

 崇拝にも近い好意が一転、憎悪へと変わった瞬間だった。我ながら呆れるほどの変わりようだと苦く笑うしかない。しかし頭で考えるより先に、脊髄反射で拒否反応が起きてしまうのだから仕方がないのだ。そしてどんなに作り手を嫌おうと、彼の作る作品は美しい。だからこそ。

「気に入らないねぇ」

「何が気に入らないんだよ」

 色付きのガラスレンズにより、ほぼ左右同じ色をした瞳が訝しげにこちらを向いた。隠れていようとその片目が獣の色をしていることには変わりはない。身体の奥底から黒く熱いものが広がる錯覚に陥る。慣れた手つきでその嫌悪感を抑え込み、横へ座る彼に笑いかけた。

「この依頼は、ウェル・ノルジアの名をより広める為のお膳立てだろう。これまでケイヤ女王の婚儀に指輪を献上するのはアーディラ・イースだった。それを押しのけて選ばれた、国外に大いに誇れる素晴らしい作品。って筋書で売り込んでいくんだと思ってたんだけどな」

「確かに、ザルド以外の国に名前を広めるのにこれほど大きな好機はないからな。でもだからこそ、素直に喜んで依頼を受ければいいだろ?」

「わざわざ説明をありがとう。俺だってできれば素直に喜びたいさ。でも、ミナセ?」

 問いかける仕草で視線を前に座る女郎へと移す。今日は上下ともきちんと身なりを整えている彼女は、神妙に返事をした。

「はい、衛士那様」

「この依頼、俺のデザインの方が勝っていたから選ばれたんだと思っていいんだよね」

 ミナセは目線だけを隼人へと向けた。それに対し、向けられた当人は肩をすくめて答えただけだ。すでに両者の間では話が成立していることを匂わす行動が、衛士那の問いへの答えのようなものだった。

「答えて、ミナセ」

 きちんと言葉にして。苛立ちを含んだ声に気づいたのだろう。女郎は覚悟を決めた顔つきで、睨んでいるかのようにまっすぐ衛士那と相対した。

「ウルフアイが作ったものを、ザルド王に渡すことはできないと、昨日ウェル・ノルジアから正式に辞退の連絡を受けました。樹様は、これは息子璃一が独断で進めていた話である。大変なご迷惑をおかけした、本当に申し訳ないと」

「なるほど。でもそれじゃあ俺の質問の答えにはなってないよね」

 ミナセの瞳が恐怖に揺れる。隠すつもりもない苛立ちが部屋を満たし、室内の温度を下げた。それでも稼ぎ頭の女郎は血の気の引いた唇を震わすことなく音を紡いでみせる。

「断りが無ければ、ウェル・ノルジア……隼人様を選んでいた。それが答え」

 緊張の糸は時間の経過と共に張りを強め今にも切れてしまいそうだ。

これほどまでに馬鹿にされたことが、今まであっただろうか。身体の芯を冷やす怒りに頭の中が徐々に白んでゆくのが分かった。同時に、ここで感情を破裂させても意味がない事も分かっている。過程や理由がどうであれ、大きな仕事を手に入れることができたのだ。だとすれば、彼女への返答はひとつしか用意されていないも当然と言えよう。あぁ今、自分はちゃんと笑えているのだろうか。

「分かった。この依頼、アーディラ・イースで引き受ける。それじゃあよろしくね、ミナセ」

「えぇ」

 なんとか絞り出したのだと知れる声でミナセは返事をした。隣に座っている男には、そこに居ると認識するだけで苛立ちが募るため挨拶もせずに部屋をでることとする。

「あぁ、気に入らないねぇ」

 誰にもぶつけられない怒りが、全身を駆け巡り脳が焼き切れてしまいそうだった。だんだんと思考の幅が狭くなってゆく中、ふいに浮かんできたのは彼の顔。左の親指で、右薬指にはまる指輪をひと撫で。衛士那は脳裏に浮かんだ彼の元へと足を向けていた。


「衛士那様?」

 部屋に入るなりベッドに押し倒された男は、戸惑いの色を乗せた黒い瞳で覆いかぶさる相手の名を呼んだ。

「なに?」

「どうか、なされましたか」

 組み敷かれていることにまったく動揺を見せない態度は、さすが男娼と言えよう。嫌がる素振りを見せれば可愛げがあるのだが、彼はそういった類の娼婦ではないだろうし、今は彼の中に湧き上がった疑問の答えを求めることの方が感情を占めているようだ。

「どうして」

 すぐにでも口づけできるほどに近づき問いを重ねた。

「良い言葉が見つからないのですが、あなた様らしくないと、申しましょうか……」

 彼の元へ来たのは今回を含めて二度だけである。それにも関わらず、リアは普段とは違う衛士那の雰囲気を敏感に感じ取っていた。無意識に口角が上がる。

「あぁ、少し機嫌が悪いんだ。怖い、リア?」

「鞘を無くした刃物のような方だとは、常々思っております」

 唐突な質問にも間を置かずに返した彼の答えに、衛士那はくつくつと喉の奥を震わせた。

「面白い言い様だね」

 下降の一途を辿っていた機嫌は僅かにだが上昇の兆しを見せ始めている。八つ当たりに、感情のままに襲い掛かろうと思っていたが、興を削がれた。衛士那はリアへの拘束を解いてやると上半身を起こし、背を壁に預けた。リアもまた乱れた髪を軽く整えながら横へ座る。同じく乱れた衣服から覗く白い肌に、激情の残滓が首をもたげるが、すぐに力なく霧散していった。

「襲われるかと思っておりました」

「そのつもりだったからね」

「もうやるつもりはないのですか」

「今はね」

 まとう雰囲気が違う理由を探るような問いかけがぽつりぽつりと降ってくる。傘をさそうかささまいか悩む程の小雨が、視界を煙らせた。いっそ土砂降りに降ればいい。横目で伺った視線に苛立ちを混ぜ込んだ。

「隼人様と何かあったのですか」

 濃い色の瞳は正確に視線の言葉を読み取った。彼の中で最も初めに引っかかった疑問であろうそれに、やはり口角が上がる。

「ケイヤの次期女王婚儀の話は耳に入っているかな」

 先日ミナセへ素案のデザイン画を渡してから、ようやくカヤノの名が人の口に上るようになった。それは、どこかで情報統制がなされていたとしか思えないタイミングの良さであったのだから、アーディラ・イースとしてはウェル・ノルジア璃一の情報収集能力の異常さに歯噛みするしかない。

「噂程度でしたら」

 予想通りの答えに衛士那は満足して頷いた。

「その時使う指輪のデザインをどちらが担当するか、隼人と競いあっていたんだ」

「では、隼人様が」

「いいや。正式に依頼を受けたのは、アーディラ・イース。つまり俺のデザイン画だった」

「では、どうして」

 当然の疑問である。会話の流れが淀むことなく進む心地よさに衛士那の舌は滑らかに動いた。

「単純に俺のデザイン画の方が優れていたからじゃない。あいつが、ウルフアイだったからなんだ」

 薄い唇が短く息を吸い込んだ。わずかに大きくなった瞳は驚きを表しているが、期待していたほどではない。そこから、リアが既に隼人の瞳の秘密を知っていることを察した。なんだ、つまらない。心の内で誰かが白々と呟いた。

「そんなことで手に入れた依頼を、素直に喜ぶことはできないだろ。だから、機嫌が悪かったんだよ」

 話の区切りに顎を引いたので、納得したと頷いたのだと思ったのだが、どうやら違ったようだ。

「衛士那様が私などにこの話をした理由がわかりました」

 リアはそう言った。

「へぇ。何が分かったの」

「私が、誰かにこの話をしないという確証はありません。そうなれば噂となってアーディラ・イースの評判が下がる結果となるはずです。けれどそうするには隼人様の瞳の話をしなければなりません。となれば、結果的に評判が落ちるのは、ウェル・ノルジアとなるでしょう」

「だから?」

「私が口の軽い娼婦だと思われていたのでしたら心外です。お客様の寝物語全てを己の胸の内に鍵を閉めておけない者は、娼婦としての価値が低い事を自ら宣伝するようなものですから」

「もちろん。リアがそんな低俗な娼婦だとは思っていないから話したんだよ。悔しいことを口にしないと身体の中で燻って思考の邪魔になるからね」

「邪推をしていたようですね。申し訳ございません」

 彼の言っていたことを考えていなかったわけではない。むしろそこまで計算をして話をしていたのだ。だから彼を咎めることなくその謝罪を笑って受け取った。

「じゃあ俺も邪推していい」

「何でしょうか」

「リアが話さないと言い切れるのは、それが隼人の不利になることだから、とか?」

 黒の瞳が剣を帯びる。変わったのはそれだけだ。気が付かなければ、その微笑みに騙されていただろう。

「いいえ、あの方は関係ございません」

 この言葉に。

「そう」

 確かに感じ取ることの出来る執着と依存。彼ら二人が男娼と客以上の関係と感情を持っていることが今のやり取りで良く知ることが出来た。そして、ここへ来るまでに感じていたものとまた別種の激情が身体の芯に宿る。まだ言葉にするには拙いそれはしかし、生まれたばかりだというのにもう既に、すべてを焼き尽くすような熱を持っていた。

「気に入らないねぇ」

 本当に気に入らない。衛士那様と呼ばれる名前に、また炎が揺れた。

「君と会って話せば話すほど、あいつから奪いたくなる」

「あいつ、とはどなたのことでしょう」

 客の激情など慣れたものか。冷静な声音で対応を続ける彼の耳元へ唇を寄せる。

「あの獣。隼人なんかじゃなくて、俺を選びなよ」

 くつくつくつ。耳に吹き込まれる笑声に、今度は怒りの感情を乗せた視線がヘーゼルを射抜いた。ほら、リア。君をそんな風に乱すのはいつだってあいつだろう。

「美しいものには美しいものが相応しい。美しい君に、醜いあいつは似合わないと思うけどな」

「それは、あなた様の価値観でございましょう」

「でもあの瞳を知っているんだろう」

「この国で生まれ育ったのではございませんので、どんな瞳の色をしていようと私には関係ありません」

「そんなこと関係なく愛してるって?」

 瞬間、リアは唇を噛みしめて言葉を飲み込んだ。どんな形であれ肯定することは出来ないだろう。あくまでも衛士那はリアの客だ。店を通して公言していない限り娼婦は、誰のものでもあってはならない。ほんのひと時だとしても、その部屋にいる限りは相対している客のものでなければならないのだ。しかし沈黙は肯定である。

「どうして美しいものは皆あいつを選ぶんだろう……なんで、あんな醜いものを」

「お言葉ですが、あなた様は生まれた時から美しいものに選ばれているではありませんか」

「だから余計に気に入らない。あいつに、君を渡したくない」

 再びの沈黙。リアは舌先で唇を湿らせた。艶めかしいはずのその仕草も今は、衛士那の目には挑発的に映る。

「お客様にこのようなことは言いたくはないのですが」

「なに?」

「醜いものが嫌いとおっしゃっておりますが、男の嫉妬は、醜くないのですか?」

 頬をおもいきり殴られたかのように目の前に光が飛び散った。衝撃としか言いようがない。ほんの少し前まで拙い灯火でしかなかったそれは、名を得てさらに火力を増してゆく。プライドを傷つけられ、既に本来の形を失っていた理性がその炎に崩れてゆく。目の前が真っ白だ。もう自分が何をしているのかさえ分からない。

「――……ください! おやめください! 衛士那様!!」

 耳元で名前を叫ばれ、ようやく目の前の霧が晴れた。戻ってきた視界ではリアが激しくせき込み喉を大きく鳴らしている。自身の体は誰かに背後から脇の下へ腕を通し、彼から距離を開けるように引き剥がされていた。細い首に残る赤い痕と手のひらに残る感触に、彼の首を絞めていたのだと思い至る。

「衛士那様」

 まだ動きの鈍い脳が新たな人物を捕らえた。徒花の店主、杏華だ。衛士那の名を呼んだ彼女は部屋の惨状に言葉を途切れさせる。驚愕に立ち尽くした時間は短かった。部屋を一周見渡した彼女は、誰からも事情を聴かずにリアの前へ立ち、その頬を強く叩いたのだ。

「なんてことをしてくれた……。身の程を弁えな、男娼風情が」

 黒い瞳が丸く開き、驚きを露わに雇い主を見つめた。それに彼女が応えることはない。視線を外されたことにリアは動揺を表し、悲しみに項垂れた。その一連の流れを他人事の様に眺めていた衛士那は、杏華が彼に向って頭を下げたことで思考を現実に引き戻した。そうだった。この惨劇は自分がしでかしたことだったな。すっかりと落ち着いた心は未だ遠くを彷徨っている。

「本日は衛士那さまにこのような不快な思いをさせてしまい、大変申し訳ございませんでした。リアにはきつく言い聞かせ、二度とこのような事がないよう指導してゆきます。お詫びになるか分かりませんが、誰か別の者を宛がわせては頂けないでしょうか」

長台詞を滞ることなく言い切った杏華はそこで言葉を切り、衛士那の反応を待った。

「いらないよ。彼以外、誰もいらない。俺の方こそ済まなかったね。ついカッとなって、お恥ずかしい。……もし、どうしてもお詫びをしたいと言うなら、この事を何処にも漏らさないようにしてもらいたいな。勿論、こちらも言いふらしたりはしない」

「是非とない事でございます。ユト、手を離しなさい。それから、衛士那さまの見送りを」

「はい、お館様」

 もう一度謝罪をしようとしたのだろう。衛士那と視線を合わせた杏華の顔から血の気が引き、恐怖に身体を強張らせたのが分かった。いったい自分は今どんな顔をしているというのだろう。

 鞘を無くした刃物のような方だとは、常々思っております。

 ふいに思い出されたセリフに笑い声が漏れそうになった。あぁ、言い得て妙だな。むき出しの刃が一度でも血の温もりを覚えてしまえば、鞘など不要でしかないのだから。

 あぁ、血が欲しい。

 喉の奥で、笑声が弾けた。ぎしり、何かが軋む音が聞こえる。

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