第5話

 きらり閃く光を追って、闇夜の中へ見えない手を伸ばす。煌めくは、色とりどりの輝きたち。強い光沢から淡く鈍いものまで、さまざまな光の中から理想をひとつずつ指先で選び出し紡いでゆく。そうしてブレスレットが、ティアラが、ネックレスが産み出されていくのだ。

 初めてだった。この手で光を紡ぎ損ねたのは、彼が初めてだったのだ。例え紡げたとしても何かが違った。彼自身が一つの宝石だったらどんなに良かっただろう。きらり閃く、強く、鈍く淡い光の一粒。この手の内に納められたら。あぁ、どんなに幸せだろうか。どんなに手を伸ばせど掴めないその光はまるであの――。

「納期、間に合うのか」

 突然の外からの刺激に驚き肩がはねた。自分の意志に関係なく世界を切り裂かれたことに対する苛立ちを隠しもせずに声の方向を睨みつけるが、酷使した目は霧がかかったようにぼやけている。二度三度瞬きをしてようやく像を結び、戸口に立つ次兄を映した。

「急に声かけるな。集中力が途切れる」

「声かける前から切れてただろ。俺のせいにするな」

 入室の許可なく入ってきた奏斗に指先で乱雑に髪を乱され、チッと舌を鳴らす。いつまで経っても彼は弟を子ども扱いするのだ。時折、末弟と勘違いしているのではないかと思ってしまうほどである。

 絡まった髪の毛を梳きながら高い位置にある顔を睨みつけた。

「店はいいのかよ」

「休憩中。没デザインないかと思って来てみた。あとは生存確認」

「死んでたまるか。没ならいつもの所にまとめてある」

 大した用事ではないことに会話への興味を失った隼人は、ペン先で部屋の隅にある箱を指し示した。しかし机の上に広げられた紙へと向き直ったものの、そこにはまだどんなものをつくるかさえ決まっていない創作案の箇条書きがあるのみ。その惨状に曖昧すぎる依頼内容を思い出し、目頭を押さえて嘆息した。

「いつもに増して多いな。……これもか? これなら十分金になりそうだけどな」

 次兄の手により机の上へと戻された紙切れ。こまごまと使う宝石やカット方法が描かれたそれを一瞥した隼人は、あっけなく指先でそれを弾き落とした。

「俺は気に入らなかった」

 リアにと思い描いたものだ。彼を思って描くものは、どれも気に入らない。満足がいかないのだ。どれもこれも、リアじゃない。

「ティアラ、ピアス……これは、アンクレットか。珍しい」

 検分を進めていた奏斗の声にその手元を覗いた。

「ん、あぁ。それはダメだ。もう少し手直しする奴だ」

 目が霞んでいるせいでなかなかピントが合わない。思考に漂う闇夜もずいぶんと薄く、集中力と気力の限界がすぐそこまで来ていた。ペンを握っていない空いた指先で兄の持つ描きかけのデザイン画を掴み、未処理の箱へ積み重ねる。

「そんなの注文入ってたか?」

「いいや、勝手に作ってる」

「へぇ、お前が。誰分だ?」

 検分しながら会話をしていただろう声がこちらを向いたのが分かった。だからこちらも顔を向けて簡潔に答えてやった。

「徒花のサラ」

 回答に、月光に似た瞳が探るように細められた。璃一と奏斗は同じ青色の瞳を持っているが、その色合いは比べるまでもないほどに違う。もちろん形も大きさも違うが、しかし二人はよく似ている。それはきっと血の繋がりではなく、共有してきた時間による酷似なのだろう。

「それ、璃一にそっくりだな」

 まどろみに片足を浸した思考は、頭に浮かんだことをそのまま外へと放出していた。そうして聞こえてきた考えなしの言葉に、隼人は自分で自分をせせら笑う。何が面白いんだか、分からないままに。内心を探ろうとしていた奏斗は、そんな突然笑い出した弟の姿に鼻白み、追究の手をやすやすと引っ込めてしまった。

「なんだよ、急に」

 思考は上滑りを続ける。

「こっちの考えてる事まで見透かして把握しようとしてる目が、そっくりだっての」

 言われた本人は瞬きをひとつ。呆れた口調で言い返した。

「兄弟なんだから似てても仕方ねぇだろ。てか、お前も似てるとこあるぞ」

「まぁ、兄弟だから」

 まどろみの海はすぐそこまで迫ってきている。しかしまだ眠るわけにはいかなかった。ここで眠れば確実に納期に間に合わなくなる。そしてなにより、蝶の気配がまだ消えていないのだ。今夢を見れば、確実にすべてを喰われる。なにか刺激をと思い、天井に手のひらを向け大きく伸びをした。凝り固まった筋肉が伸びて気持ちがいい。

「あぁ、そういや。璃一に伝言頼まれてるんだった」

「璃一から?」

 今こなしている作業で問い合わせたものはないはずだ。その他の工程で問題があったとも思えない。なんだろうかと隼人は首を傾げた。

「紫。だってさ」

「ムラサキ?」

「サイズまでは把握できてないけど、石は、紫がいいって言ってたかな」

 瞬間闇夜が広がり、光が瞬いた。意識の指先が強く主張するそれを掴み、より輝くための台座を形作ってゆく。

 紙を引き寄せ、机に転がっていた鉛筆を拾う。頭の中のそれをひとつ残さず、こぼさないよう描き記さなければ。ガリガリと鉛筆が紙をひっかく音がする。眠気は遠く、切れかけていた集中力が代わりに全身を浸した。

「じゃあ他のは貰って――……また急に入ったな」

 奏斗が何か言った気がしたが、その時にはもう何も聴こえなくなっていた。


 娼館・アマリディアの裏店である生活棟の一室で、隼人は衛士那と二人居心地悪く部屋の主を待っていた。指定された時刻はしばらく前に過ぎている。傾き、色付いた太陽がまだ娼館が動き始めるには早いことを知らせるが、彼女の事だ、この約束の前にもきっと予約客がすでに入っているのだろう。売れている娼婦相手に仕事をする時はしばしばこういったこともあった。だから彼と二人きりでなければくつろいで待っているところなのだが。

「そういえば、この間の彼。とても魅力的な子だったね」

 思わずうんざりと向けてしまった視線が絡まり、衛士那がうっすらと笑みを刷いた口で楽し気に話しかけてきた。

「この間の? 誰のことだ」

 その低い声が誰の事を言っているのかは分かったが、わざと惚けてみせる。

「リアだよ。君もずいぶん気に入っているような気がしたんだけどな」

「気に入って? 冗談だろ」

「僕もけっこう気になってね。今度遊びに行こうかと思ってるんだ」

 話が噛みあわない。がいつもの事だ。鑑賞するだけならばいくらでも一緒に居られる相手ではあるが、話しをするのはどうにも苦手である。

「好きにすればいいだろ」

「好きにするさ。それにしても、今回の依頼はなんだったんだろうね。もう少し明確にして欲しかったと思わない? これ以外にも仕事があるのにさ。時間が余計にかかった」

「それはご苦労様。アディスが忙しいようで俺も嬉しいよ」

「アーディラ・イースだ。略すならアーデにしてもらえないかな。それに、忙しいのはお互いさまだろう。ねぇ、ウェルノ」

 衛士那がジュエリーデザイナーとして雇われているアーディラ・イースは、老舗のジュエリーショップである。それ故に顧客も多く国内でも有数の店子だ。しかし最近ではその一部の客を隼人の所属する店であるウェル・ノルジアが奪い、あまつさえ今もなお勢いを増している状態でもあった。ライバル店として互いを尊重しあってはいるが、当然のごとく睨みあいを続けている状態の二店が揃っているこの状態が、居心地よいはずがない。加えて、相手には苦手意識をもっているのだ。室内の空気は悪くなる一方で呼吸さえも苦しくなってきそうである。

「アーディラ・イース様、ウェル・ノルジア様。お待たせして大変申し訳ございませんでした」

 最高潮に悪くなった空気を艶やかな女性の声が切り裂いた。その姿もまた色っぽく、身体中から色気を滲み出している。

「いい恰好だな、ミナセ。その姿を見れただけでも待ったかいはあったよ」

 素肌に丈の長いニットのTシャツを着ただけの姿に、隼人は口笛を吹いて称賛した。少しすぼめられた裾から延びる脚に、情事の跡が覗く。やはり、客が付いていたようだ。

「朴念仁に褒められてもいい気はしないわ」

 出だしの敬語を早々に投げだした彼女は赤い唇で笑った。

「相変わらず綺麗だね、ミナセ」

「ありがとう、衛士那様。今日は忙しいのにお待たせして本当にごめんなさい」

「構わないよ。売れている花を相手にできて、こちらとしても光栄だからね」

「遅れてきたクセにって思われるかもしれないけれど。今回の依頼、どんなものが出来上がるかとても楽しみにしていたの」

「その割にはずいぶんと曖昧な依頼内容だったけどな」

 嫌味をふんだんに含んだ口調に、ミナセの返答は眉をくもらせるのみだった。

 今欲しいジュエリーがある。それを、描いてきて欲しい。

 たったそれだけの言葉で始まった今回の仕事は、衛士那も言っていたとおり通常のものよりも時間がかかる内容だった。ジュエリーとは、指輪なのかネックレスなのかさえ分からなかったのだから。そして今も、正当は得られない。鼻から息を吐き出し、ため息の代わりとする。

「これが違うって言うなら、何がどう違うのか詳しく説明してもらうからな」

「隣に同じく。よろしくお願いするよ」

 テーブルの上へ並べられた二枚のデザイン画。そのどちらもが指輪を描いていた。

指輪を描くことは、二人とも依頼を受けた時点から考えていた。理由は、娼婦からの曖昧な注文は往々にして指輪の場合が多いからだ。それは誰かの物になることを公にするのが難しいからだろう。それでも使う石は指定されることが大半だ。だから“ずいぶんと曖昧”で“時間がかかる”依頼となったのである。

二人のデザイン画の大きな違いは使われている石の種類だ。衛士那はダイヤモンドを、隼人はアメジストを中心にしていた。

「隼人様……どこでお聞きに」

 紫色の配色にミナセは大きな瞳をさらに丸くさせ、隣からも息をのむ音が聞こえた。

「サイズは把握してないけど、石は紫って情報が入ってな。それと今回の曖昧な依頼内容を考えた結果だけど、なんか違ってたか?」

 シルバー部分に刻む予定の文様を指さす。それはこの国、小国ケイヤを生み出した大帝国ザルドの国章だった。

 ここで少し、この国の話をしよう。

 小国ケイヤの歴史は、ザルドとの戦に負けた時から始まる。その時分にはまた別の名前が付いていたそうだが、誰かが意図的に消したのだろう。どの文献にも記されなかったその名前は、ずいぶんと昔に本当の意味で消滅してしまった。

話を戻そう。戦により、多くの人命と豊かな土地を失った小さな国では、残された人々が進まない復興に憔悴して生きていた。それを耳にしたのが当時のザルド帝国女王、ケイヤだった。彼女は元々娼婦だったのだが、お忍びで遊びに来ていた後の国王に見初められて女王になったという異例の経歴の持ち主である。故に、いつかは娼婦も幸せに暮らせるような国を作りたいと考えていた。加えて彼女は並外れた才能を持つ軍師でもあった。

 ある時、彼女は夫である国王に耳打ちをした。

「次の戦、私の作戦で勝利した暁には、隣にあるあの小国を、褒美としていただけないでしょうか」

 国王は二つ返事でその約束を了承したそうだ。結果は、この国があることから分かるだろう。そうして彼女は娼婦が幸せに暮らす為の国を作り出したのだ。故に、この国の娼婦の地位は高く、その生活を生涯守られているのである。

 彼女のその後の功績を称え、後に両国の間にはひとつ決まり事が誕生した。

ひとつ、ケイヤを統べる者はザルド帝国国王の妻であること。

当然のごとく、それは形だけの婚姻であり、ザルド帝国女王はまた別に存在する。つまり、国王には二人妻がいることになるのだ。そして妻の証として二人には指輪が送られる。国章の中心に、王家を象徴する色である紫の宝石、アメジストを嵌めた指輪を。

「カヤノの為と言った覚えはないわ」

 震える声で告げられた名前に、隼人は唇の両端を上げて笑った。

「へぇ、カヤノなんだ。次の女王は」

「しらばっくれるな。分かってて作ってきたんだろう」

 冷たい美貌に温もりを与えていたヘーゼルの瞳を凍らせ、衛士那はなんとか笑みを保ったような表情をしていた。それに対しても、せせら笑う。

「俺はホントに知らねぇよ」

「璃一様ね……。あの方は本当に、どこまでと繋がって……」

「それも知らない、し興味もない。それよりも、あんな曖昧な依頼で今までどうやって婚儀の指輪を作らせていたのかの方が気になるね」

 いや、今まではこんな方法で作らせたりしてこなかったのだろう。簡単に推論できる結末に、やはり隼人は笑った。今までは、アーディラ・イースにしか依頼してこなかったのだ。そこしか、無かったから。

「まぁなんにせよ、二つの店に依頼かけてんだ。石さえ替えれば衛士那のデザインでも十分すぎるだろ? 好きな方を選ぶんだな」

 挑発的な物言いに、ミナセは唇を噛みしめた。

「商売道具、傷つけるなよ」

それを見咎め、テーブルの上に手をついて彼女に近づき、空いた手で顎をすくい上げる。重ねた柔らかな唇は、甘い味がした。すぐに離れた薄い唇に、物言いたげな瞳がこちらを睨みつけていた。それに、笑みを送りつける。

「いい結果を待ってるぜ、ミナセ」

 また近いうちに来る。そう囁きながら思い出していたのは、別の唇だった。そして思い出してしまえば、どうしようもなく会いたくなってしまう。そんな身体の奥から湧き上がる温かな感情を、隼人は持て余していた。

「ずいぶんと早いお帰りね」

 嫌味だろう口ぶりの言葉に意識が目の前に戻る。二人分の訝し気な視線を受け止め、隼人は片手を上げた。

「悪いな、今、用事が出来たんだ」

「今?」

 今度はハッキリと疑問を浮かべた瞳に映る自分は、遠くてよくは見えないが、やわらかく笑っているようだ。

「人に会いに行くんだよ」

「人に?」

 単語を疑問形で繰り返すばかりの娼婦に、あぁと短く返答する。

「誰なの?」

 その質問は、こちらの引いた線引きに踏み込みすぎていた。頭からつま先までが一瞬で冷え、それでも溢れる冷気が視線となって彼女を突き刺した。強張ったミナセとは別の声が、再び線を越える。

「リアだろう?」

「まぁな」

 別の誰かが彼の名前を呼んだ。それだけのことに、脳の奥が灼けるような感覚がした。彼に関わることで派生する感情の全てを、隼人は持て余していた。それはまるで。

「まるで、恋でもしてるみたいね」

 海が、凪いだ。感情と熱は急速に身体の奥へと戻り、自身を取り戻す。

「へぇ。娼婦に恋はしないんじゃなかったのかい」

 冷静になった頭に、衛士那のからかった言葉が入り込んできた。

そういえば、そうだったな。自嘲に顔が歪む。娼婦だけではなく、誰にも恋することが出来ないのだと思っていた。だからあいつは。

「――……あいつは、特別なんだよ。なにもかも、な」

 そう言って今度こそ隼人は部屋を後にした。

「気に食わないねぇ」

 低い呟きが、耳に付いた。

 徒花が今日休みであることは、アマリディアへ行く前に把握していた。一通り依頼を終えてようやく得られた休息の時を彼と過ごそうかと考えていたからである。しかし、休みならば寄らずに家へ帰って眠ろうかと考えていたのだ。その睡眠への欲求は、裏通りを歩く今も絶えることなく頭を支配している。けれど今はそれよりも、彼に会いたい感情が勝っているようだ。芯の霞んだ脳みそが紡ぐ思考に笑った。

 もうすぐこの前立ち止まった徒花の店前という所で、男の子がひとりせわしなくあたりを見回しながら立っていた。七つか八つほどだろうか。まだまだ幼い顔立ちではあるが、将来有望なのは確かである。足音に気が付いたのであろう、少年が視線を上げた。深い茶色の瞳に、ひたと見つめられる。

「あ、隼人様」

 疑問を孕んだ視線が答えにたどりつき俄かに瞳を光らせたと思えば、まだ高い声に名を呼ばれた。

「俺を知ってるのか」

「はい。リア兄様の付き人ですので、よく知っています」

 リアと同種の娼婦となるのだろう。普段から敬語を使うように躾けられているようだ。

「あぁ。ユナか。なら悪い、リアを呼んできてくれないか?」

「兄様を……でも……」

 使いきれていない敬語が綻ぶ。

「休みなのは知ってる。会いに来ると言ってあるんだ。それじゃ、ダメかな」

 出まかせの嘘だ。しかし目線を合わせるために膝を折り、困った様子をみせれば純粋なその目は逡巡するように揺らめき始めた。基本的に、休日の娼婦と会うことはできない。その決まりを守ろうか、隼人の言葉通り約束があるのならば呼びに行こうかと迷っているのかと思っていたが、しばしば通りを伺う視線と固く握りしめられた拳に違う可能性を見出す。

「何か、来るのか?」

「え、あの。……甘味屋さんがもうじき来るんです。みんなの分も頼まれてて、あの」

 なるほど、と得心した隼人は知らず頷いていた。娼婦街から出ることが叶わない子どもたちにとって、甘味屋は数少ない楽しみのはずだ。それを奪ってしまうのはさすがに忍びない。

「そっか。じゃあ俺がここに居て、甘味屋が来たら捕まえておくよ。それならいいか?」

「ほんと?」

 小さな目を丸くしたユナに頷き返すと、その頬を喜びに染めて頷き返してきた。

「絶対だよ。すぐ戻るから!」

 すっかり敬語を忘れて去ってゆく小さな背中に、光がきらめく。寝不足の所為で抑えの利かない頭は、場所をわきまえず闇夜を刷き星を散らばせた。それを見えない手が掴み……。あぁ、紙とペンが欲しいな。

 意識の中へ潜り込まないよう気を付けながら待っていると、向こうから同じ煌めきが近づいてきた。腕に以前廊下で会った青年を抱いている。彼もこちらに気がついたらしい、首をかしげつつ声を掛けてきた。

「あれ、えぇと、リアの」

「俺はそんなに有名なのか、サラ」

 呼ばれた名前にサラは幼い顔立ちを綻ばせた。

「あ、僕の名前。リアに聞いたのかな。なら同じ、リアから聞いたから、貴方のことも知っているの」

「なるほど。で、こっちは」

 先ほどから気になっているのは、こちらの青年の方だろう。意識が闇夜と現在を行き来しているお陰か、目を合わせればそれぞれが持つきらめきの違いが良く分かった。

「ユトだ。よろしく」

「ユト。あんたユナと血縁あるよな。兄弟?」

「いや、ユナは甥だけど。分かるほど似てるか」

 腕の中でサラが首を横に振る。そう、外見的要素で似ている部分を探すのは、ユナの幼さも相まって難しいはずだ。けれど今目の前に見えているのは、そんな景色ではない。

「そっくりだろ。同じ石ばかりが浮かぶ」

「は?」

 だから、と説明をする前に待ちかねた人物の声がした。

「隼人様、お待たせいたしました。それから、ユナがご迷惑をおかけ致しました」

 横に並んだユナの頭を抑え、自身も頭を下げながらリアは謝罪した。迷惑をかけられたつもりは全くない。ひらひらと右手を振って顔を上げさせた。

「いいよ。少ない楽しみを俺が奪う所だったんだ。な、ユナ。ありがとうな」

 しゃがんでその小さな頭を撫で、大きな瞳をのぞき込む。無礼を働いたと不安に揺れていたそれは、隼人の笑顔に喜びを滲ませた。純粋なその色に、自然と笑みが深まる。

「それから、これは未来のお前への投資だ。それだけの価値があると思って励めよ」

 小さな手に握らせたのは、一枚の硬貨。その感触に、ユナは頬を染め力強く頷いた。

「はい、ありがとうございます。隼人様」

「それと、サラ。あんたにこれ」

 膝を折ったままカバンから取り出した細いリングを、サラに手渡す。ユナの腕から落ちないように、バランスを保ちながらそれを受け取ったサラは、顔の高さにまで上げしげしげと眺め始めた。

「アンクレット。足に付けるやつだよ」

 筋肉がほとんどないのだろう。異常に細い脚を見て、もう一度アンクレットを見やったサラはふぅんと鼻で相槌を打った。

「ありがと」

 綺麗に弧を描く唇は娼婦のそれで、本当に喜んだかは分からない。できれば付けて見せて欲しいと口を開きかけるが、それよりも前に呆れを多分に含んだ声が意識を引っ張った。

「隼人様、私に用事があるのではないのですか」

「あぁ悪いな」

 ぽつり、ため息を吐いてリアは身を翻した。

「中にいらして下さい。ご案内致します」

 遠ざかる白い首筋に、ドクリと心臓が鳴る。けれど、いつものように光が煌めかない。ただ身体の奥で、火が灯るだけの感覚を覚えた。やがてこの身を焼き尽くすだろうその炎の名前を、隼人はまだ知らない。激情の名を持つ獣の名前さえまだ、知らずにいるのだから。

 こちらです。と案内されたその部屋は、生活感の乏しい殺風景な空間だった。

「椅子も何もないんだな」

 大きな引き戸棚と緑色をした変わった床。その中で、窓の近くに置かれたベッドが明らかに浮いていた。どうぞ、とそこへ腰を掛けるように勧める彼は、肩をすくめるだけだ。

「お館様のお気遣いで故郷に似た部屋をいただいております。床は畳、引き戸は箪笥と言うそうですよ」

「言うそうです、か」

 言葉尻を捕らえて繰り返すと、リアは自嘲の笑みを浮かべて遠くへ目線を向けた。

「覚えていないのです。いくつまでその地で暮らしていたのかも、忘れてしまいました」

「それなのによく四水(しすい)出身だって分かったな。それも、故郷の衣装だろ」

 袖があるだけの縦に長い布を、腰のあたりで縛っただけの衣服を顎で示す。彼は幅の広がった袖口を、広げて見せるように上げた。

「えぇ、これは着物だそうです。出身地はタグに書いてあるものですから、本人が忘れていても分かります」

 しかし、とリアは続ける。

「もう気が付いていらっしゃるかと思っておりました」

「狼(ろう)、華南(かなん)出身と似てて区別つかねぇよ。なんでそう思ったんだ」

「隼人様のお名前です。四水特有の名前でしたので」

 指先まで整った長い人差し指が、空中に隼人の名前を刻んだ。教えた覚えは無いが、ある程度の顧客情報は事前に知らされているのだろう。さして疑問を抱かなかった頭を振って、彼の答えを否定した。

「うちの創業者が四水出身だから代々名乗ってるだけで、血筋自体はずいぶんと薄くなってるよ。それに生まれも育ちもこの国の人間だからな。よそ者の区別はつかない」

「なるほど、その通りですね」

 頭を振った所為だろう、視界がぐらりと揺れて身体が傾いた。手をついて身体を支えるが目の前に火花が散ってしばらく動けそうにない。

「隼人様!」

 焦った声音で叫んだリアが両手で頬を挟み、顔をのぞき込んできた。霞む視界に細い柳眉をしかめる彼が映る。相も変わらず、美しい。

「いつから寝ていられないのですか、ひどい隈だ」

「さぁ……うたたねぐらいはしてたけど、ちゃんと眠ったのは……いつだったかなぁ」

 やわらかく頬を挟んでいた両手が離れ、今度は勢いを持って戻ってきた。高い音が耳に響く。音の割に刺激は小さく、それでも頭の中の靄を少し晴らすのに効果を示した。

「私の所にくる暇があるのならば、真っすぐ帰って休んでください」

「そのつもりだったよ。だったけど、会いたくなっちまったら、もうどうしようもねぇだろ?」

 くつくつくつと喉の奥が笑う。それにますます眉間のしわを深くしたリアは、長くため息を吐き出した。

「でしたら、ここでお休みください。隣に、おりますから」

 うん、と彼の手に自分の手を重ね頷いた。そのまま、まどろみ落ちそうになる思考がわずかな引っかかりに再度浮上する。

「ここって、洗面所とかある?」

 戸惑う彼に案内されたそこで薄いガラスの鎧を剥がし、頼りない紗幕を下ろした。鏡越しに見た自身の顔はお世辞にも健康的とは言えない。くつくつくつとまた笑いが込み上げてきた。いったい自分は、どれだけ彼を求めれば気が済むのだろう。

まどろみの中、どうやってベッドまでたどり着いたのだろうか。もう意識も曖昧だ。そんな中で、眠りの海に身体を沈ませた思考は、彼の袖を引き腕の中へ閉じ込めていた。

「隼人様?」

 驚く声を最後に、ふつり、意識が途切れた。

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