第3話

 闇夜に輝くは、きらびやかな宝石たち。赤、青、緑と光を弾くそれらを指先で摘まんでは夜空に返してを繰り返す。時には手の内に納め――。

 三回。意識の外で響いた壁を叩く軽い音に、闇夜の中で散らばっていた宝石が霧散した。己の意識内に作った闇が晴らされ、飛び込んできた白い光に目が眩む。霞んだ焦点は徐々に像を結ばせ、白い紙と書きかけのデザイン画を瞳に写した。輪郭しか描かれていないそれに、頭の中へと実態のない手を伸ばす。漂う闇夜の中に完成形がまだあることを確かめると、ようやく隼人は音の発生源へと目を向けた。

「おかえり。帰ってるなら、声かけて欲しかったな」

 色素の薄い、美しい男が笑った。視界にそれを入れた瞬間に、また宝石が目の前に広がる。赤の宝石が目立つのは何かの警告だろうか。しかし、今は必要ないとそれを瞬きで消し彼は一番上の兄を睨み付けた。

「店番でもしろってか」

 唇の片端を歪めた笑いに、璃一は奏斗そっくりと口の中で呟いている。それに聞こえないふりをしていると、彼は肩をすくめて薄く刷いた笑みを消した。

「良くも悪くも、お前に商才は求めてないよ。そうじゃなくて、樹に帰ったら呼べって言われてたからさ」

「親父様が?」

 この兄は血の繋がっているはずの父親と十四、年が離れている。他の国ではどうかは知らないが、この国では兄弟だとしてもなんら疑問を覚えない年の差だ。その為、彼は父を名前で呼ぶ。呼ばれる本人も、その方が楽だと以前に言っていたほどだ。加えて、血の繋がりを感じながらも、確かに自分の子供であることを確信できないが故の呼び方なのだろう。

「珍しいことするからだよ」

 ずれた思考がその声に反応して目の前に戻ってきた。そろり。床に散らばる紙を踏まぬように近づいてきた兄に目線で問いかける。何を知っている? 薄氷のような瞳を笑みに細め、指先が目の下を撫でた。

「隈が薄くなってる。そんなに良かった、彼?」

 それが答えだった。つまり、この兄に自分の今日一日の行動を把握されているということだ。条件反射のように眉間にシワが寄り、舌先は高く音を鳴らしていた。

「弟のことまで探るのかよ」

「言っただろう、珍しいことするからだって。それに、兄が弟を心配して何が悪い」

「綺麗な建前だ」

「本心からの言葉さ」

 氷の瞳は表面を光らせ、内面を見せてはくれない。からかうような声音も彼の心を隠し、言葉の真偽をはかり知ることは叶わなかった。

「じゃあ安心させてやる。特に何もしてねぇよ。ちょっとベッド借りて昼寝してきただけだ」

「じゃあ明日の予約までしてきたのは、そのベッドの寝心地がとても良かったってことかな」

 絶句。脳が思考することを放棄して出来たほんのわずかな時間に、瞳は楽しげにと感情を表した微笑みを写していた。

「……どうやったらそこまで把握できるんだよ」

 ようやく出てきた言葉に、璃一は弟の髪をかき混ぜることでごまかした。

「ごめんね隼人。この事、樹にも話してあるんだ」

「それで呼び出しか」

 赤色の宝石の意味がようやく分かった。確かにあれは警告だったのだ。もう溜め息を吐くしかない、とこれ見よがしに呼気を吐き出した。それで心を動かす兄ではないことは知っている。それでも迷惑だと、機嫌を損ねたと言葉にせずに伝えてやりたかったのだ。めんどくせぇ、と。

「樹もお前を心配しているんだ」

「心配、ねぇ。それは、どちらの俺の事を心配してるんだろうな」

 息子としてか、デザイナーとしてか。なんでも知っている兄でも、父親の心の内までは知る由もないからか、曖昧に微笑んで答えを濁された。

「今から行ってくるよ。そこら辺に散らばってるやつ、使えそうなのあったら適当にやっといて」

 床に散らばるデザイン画を指差す。腰を下しそのひとつを手に取った兄は、そこそこの出来ばえだとひとりごちて整頓をし始めた。

「誰かを想像して描いたんじゃないの」

 紙を一枚ずつ検分している兄の言葉に、短く肯定を返す。

「でも、上手くまとまらなかった失敗作だから」

「そっか。早く行ってやりな。きっと待ちくたびれてる」

「分かってるよ」

 反抗期の子供のような物言いに、隼人は恥ずかしさにムズムズと口を動かした。璃一はそれに気づかないふり。店主の元へと向かう弟を無言で見送った。

 三回、音を鳴らすことはこの家の決まりのようなものだ。店主の部屋の前で誰何の声に名乗りを上げた隼人は、体を滑り込ませるようにして入室をした。

「璃一から、呼んでるって聞いたので」

彼とは仕事の時はいつも、中途半端な敬語で喋る。親子と言えど、今は店主とそれに雇われているデザイナーだ。少しばかりはけじめをつけるようにしていた。

「悪いが、大体のことはあいつから聞かせてもらった。それでひとつ訊きたくてな」

 四十路、男盛りの樹は魅力的な声音でそう切り出した。

「明日も予約してきたのは、何でだ」

「あそこのベッドが昼寝に最適だったから、ですかね」

「真面目に答えろ」

「……彼に会いたいから、以外にありますか」

「無いだろうな」

 多くの女郎と関係を持ってきた彼は、至極あっさりと隼人の言葉を認めた。

「けど、だったらもうひとつ訊かせろ。どうして会いたい」

 どうして。繰り返される問いに、答えはすぐに出てこなかった。直感的にまた会いたいと思ったのだ。そこに後から考えた理由を付けることは、言い訳をすることのように感じる。そして言い訳ではこの男は許さない。だから自分でも分からない、言い訳ではない答えを探すのに手間取り、まごついているのだ。

「デザインが、思い付かない」

 しばらくの時間をかけて辿り着いたのは、リアにも語った言葉。再び隼人が口を開くのを黙って待っていた樹は、目線で続きを促した。

「あいつに合うデザインがさっぱり見つからないん……です。だからもっとあいつと会って、あいつの事を知れば何か、描ける気がしたから」

 肺から空気を吐き出しながら、樹は首筋を爪で何度も引っ掻く。それに合わせて頭は落ち、くすんだ金色のつむじがよく見えるようになった。

「だったらダメだ。先にこの仕事やってから行け」

 机の上に置いてあった紙束を手渡される。荒々しい手つきの所為で、紙の端が皺で歪んでいた。それらは仕事の依頼書。かなりの量であるそれに目を通した隼人は目を剥いて敬語を殴り捨てた。

「ちょっと待てよ。この量と期限じゃ一週間はこもらなきゃならなくなる」

「その為に渡すんだ。当たり前だろう」

「言ってるだろ。俺は明日用事がある」

「キャンセル料がかかるならその分払う。だからその用事は諦めろ」

「意味わかんねぇよ」

 深い緑色の瞳に強い光が宿る。

「だったら訊くが、このまま描き続けたらどうなる。浮かばないデザイン画に思考停止させて、どん詰まるだけだろう。だったらそうなる前に手を打つ。それは、店主としてやって当たり前の事だ」

 再度、隼人は口を噤んだ。今彼が語った未来は否定できるものではなく、むしろ的を射ているだろう。反論などあるはずもないけれど、納得はいかなかった。だから、口を噤んだ。

「反論がなければ、さっさと仕事にかかれ。ぼんやりと立ってる暇は無いだろう」

「分かってます。せっかく頂けた仕事を無下にするつもりはありません。納期も、質も完璧にこなします。……当たり前ですが」

 息子のぶっきらぼうな物言いに、父は苦笑し追い払うように手を振った。

「さっさと行け」

「失礼します」

 入ってきた時と同じように扉の隙間から退出をする。

「そうだ、隼人」

 扉を閉め切る寸前で、名を呼ばれた。

「それが終わったなら好きにしていいからな」

「言われなくても」

 相手の顔も見ずに言い放ち、今度こそ扉を閉める。視界には既に闇が浮かび始めていた。そこに、夕焼けの空のように少しずつ宝石が煌めきだす。部屋へと続く廊下を歩きながら、依頼書の一枚ずつに丁寧に目を通した。文字列が水晶板に写ったとたんそれは脳内で解け、紡がれ、指輪やブレスレットへと形作られてゆく。金額情報、納期が瞬く石を選別し、位置を決め……。間近にある人間の気配に、隼人は目線を上げた。

「何が必要?」

 璃一だ。その姿に、意識が半分現実へと戻ってくる。どうやら自分の部屋の前まで来ていたようだ。もう居ないと思っていた長兄の存在に疑問符が浮かぶが、それよりも先に彼からの問いかけが脳裏を駆け抜けていた。

「加工部門のスケジュールと素材の納期。それと、これ」

 箇条書きにして隅にまとめてあった物が考えるよりも先に口を出る。璃一は手早く手帳にメモすると、目の前に突きつけられた紙に、ピントを合わせるように目を眇めた。

「シルバーじゃダメなのか」

 問いかけに、左斜め下へ視線がずれる。本人は気付いていないだろうが、考え事をするときの癖だ。脳内に蓄積されたデータを引っ張り出しているのだろう。しかし僅かに待つだけで答えはもたらされた。

「ダメだね。彼女はプラチナが好きなんだ」

「このままだとかなり重くなる。シルバーで良ければ納期に余裕を持てるんだが」

 再びの沈黙は、唇をひと舐めする間に終わった。

「余裕を持たせるデザインにするとか、まぁどうにかするんだね。ちなみに、ジルジオは今別の作業中でしばらく手は空かない」

「アリッサは」

「まだ空いてるはずだよ」

 打開する手はあるということか。

 隼人はシルバーで作られたデザインを消し去り、プラチナのデザイン画をさらに詳しく描き始めた。理想の出来上がりは透かしが多く細かな作業になりそうだ。

「……結局プラチナかよ。アリッサに特注入りそうだって伝えといて」

「了解。他には」

「今のとこない」

「分かった」

 余計なことは言わずに去っていった兄の存在は、すぐに意識の外へと消えていった。今度こそ闇夜に身を浸す。そうなれば必然と何も見えなくなるはずなのに、今回は何故だかあの男の姿がちらついた。

 隼人様。声が、瞳が己の名前を何度も呼ぶのだ。その度に不必要な石が煌めき、作業の手を止められる。

 悪かったって。そんなに出てくるな。少し、うるさいぞ。

 何度目かの呼び掛けに少し辟易してそう言えば、リアは従順な男娼よろしくひっそりと口を閉ざした。悪いな。もう一度謝ると、今度はその身を闇に溶かして姿をも消す。最後に一刺し、視線を寄越して。

 闇夜は深まる。星の煌めきは一層極まり、白い紙を浮き立たせた。そうなれば自然と、孵化が始まる。――まさに、今。足元に散らばる白色の、その上に乗せられた黒を吸い上げるようにして、蝶が一頭、羽根を広げた。視界の端でそれを捕らえた隼人は、ひゅっと高い音をたてて息を飲み込んだ。まずい。そうは思うが、もうどうしようも出来ない。蝶は次々と生まれ羽ばたき、ゆらゆらと宙を舞いだす。羽根も文様も黒色をしているはずなのに闇に溶けないそれは、光に導かれるように宝石へと近づいてゆく。

「触れるな!」

 叫んだところで無駄だ。蝶は蝶。人間の意志など関係なく生きている。捕まえようとする手のひらからゆらゆらと逃げ、六本の足で宝石を掴むとその長い口で輝きを飲み込んでしまった。そうしてひとつ、またひとつと石は輝きを失わせ闇を広くさせる。枯れた宝石は闇の底へ捨て、また次の石へと蝶が舞う。

 蝶が舞う。

 また一匹、蝶が舞う。

 蝶が舞う。

 ゆらゆらと蝶は舞う。

 蝶が舞う。

 ひらひらと蝶は舞い。

 蝶が舞う。

 また一頭、蝶が――。

「隼人」

 眼球に光が飛び込んできた。そのあまりに強い刺激に脳の奥が痺れる。

「隼人、起きなよ」

 頭蓋骨の中を響く声は、璃一のものだろうか。起きろと言っていたような気がする。起きる? 馬鹿を言え。さっきまでちゃんと起きて仕事を、して……。

「助かったぁ。全部喰われるところだったわ」

 夢の世界から抜け出したばかりの掠れた声が、覚醒を促した声に礼を述べた。

「また蝶の夢でも見ていたの」

 労わるような声音に、まだ夢の残滓の残っている瞼を薄く開ける。先ほどは眼が眩むほどまぶしいと思った光はむしろ淡く、明け方なのか夕暮れなのか夜との境目の色をしていた。微かに色づいたそれに色素の薄い髪を染めながら、兄は机の周りを綺麗に片付けているようだ。

「そう、蝶の夢。今っておはよう?」

「おはようだね。とりあえず全部加工部門に回したから、一端休憩中だった様子かな」

 璃一の言葉に改めて机の上を見渡す。処理済みの箱の中には依頼書の束。処理前の箱は空なのが見てとれた。

「……仕事、終わってたのか。あぁぁぁー良かったぁ。もうほぼ食い散らかされてカスしか残ってねーよ。まだ仕事残ってるのにどうしようとか思ってたわ。ていうかあんだけ働いてたら出なくなるに決まってるだろ。結局どん詰まりじゃねーか、あのクソ親父……あー、疲れたぁ」

 使われていなかった喉は、突然の仕事に抗議するように途中で掠れだした。

「あの夢見たんだったら、あまり眠れてないんでしょう。隈がひどい。もう一眠りすれば」

「今眠ったら、今度こそ全部喰われる」

 まだ眠気に痺れている頭を髪の毛と共にかき混ぜ覚醒を促す。椅子から降りたとたんふらついたのはきっと寝不足だけが原因ではないはずだ。途中から時間感覚すら無くなっていたのだから、人間らしい生活をしていなかったのだろう。

「なんか胃に入れたい」

 食べていないことを思い出すと、胃から空腹感が急激に湧いてきた。しかし急に固形物を食べる気にはならない。

「アサミさんがお前の集中力がそろそろ切れる頃だからってスープ作ってくれていたはずだよ」

「あの人そんなことまで把握できんの」

「いや、俺がもうすぐ仕事終わりそうだって話したからかな」

「だろうな」

 なけなしの力を振り絞って台所を目指す。壁に手をついて歩かなければ本当にへたりこみそうだ。

「食べたら行くの、彼のところ」

 問いかけに、振り返ることもせずに答える。

「行ける状況ならな」

「なら大丈夫。今日一日は休憩してていいよ」

「あっそ」

 夢の残滓か、黒蝶が視界の端を横切った。


 明け方まであっただろう集中力までも、蝶に喰われてしまったようだ。大まかなデザインが雑多に浮かんでは消えてを繰り返すのを、吐き出すように描き続ける。そうしなければ本当に何も浮かばなくなってしまうのは経験上よく知っていた。しかし、そんなことまだ一度しか会ったことのない彼には分からないだろう。明らかに機嫌を損ねた態度に、笑みを含んだ吐息をこぼした。

「隼人様。ここがどこかお忘れなのではないですか」

 笑ったことを見咎めるように放たれた言葉は、棘が多く耳に入ったそばから隼人を小さく刺してゆく。

「徒花だろう、ここは」

 目も合わせずに言い返した。それでいてノートの上を走る鉛筆は止めることはしない。ようやくまともな輪郭になり始めたのだ。ここまでくればスランプに陥ることは滅多にないが筆が気持ちよく進むときには描き続けた方がいい。そんな持論を彼に説くつもりはないから、心の内だけで言い訳のように呟く。

「おや、覚えておいででしたか。買った男娼の相手もせず、部屋に着いたとたん仕事を始め、あまつさえそれを今の今までやり続けていらっしゃるので、すっかりお忘れなのかと思っておりました」

 あまりの言いように、今度ははっきりと笑みをこぼした。

「あんたって、意外と棘が多いよな」

 ついに鉛筆を放り出し、顎を手のひらに乗せて闇をまとった男娼を見やった。白いシーツの上に気だるげに寝転ぶ細い姿態。たったそれだけの情景なのに、過分な色艶が零れんばかりにあふれ出していた。彼と本来の目的で相対したのならば唾を飲み込んでその魔性に引きずりこまれていただろう。薄く、色の濃い唇が皮肉に弧を描く。

「ご存じありませんか。綺麗な花には棘があるものですよ」

「自分で言うか」

「事実にございましょう?」

「確かに、こんないい花を放っておくわけにはいかねぇな」

 男の言い様にクツクツと喉を震わせた隼人は鷹揚に立ち上がり、ベッドの端へと腰を下ろした。誘ってきたのは彼のはずなのに、その本人は無意識か逃げるように間を開けて座りなおす。思わず眉が曇ったのを自覚する。

「誰の為のデザインですか」

 ごまかすような下手くそな話題転換に、その行動が無意識では無いのだと推測する。ならばこの態度は何だというのだろうか。

「知ってどうする」

 なんでそんな態度をとる? 舌の上まで来ていた二つ目の疑問は、音にすることなく飲み下された。聞いても詮無い気がしたのだ。

「少し気になっただけです。……申し訳ございません。興味本位で訊くことではございませんでした。どうかお忘れください」

「いいよ、どうせ仕事じゃない。そこで見かけた男娼のイメージだよ。髪が長くて細っこい、なんでか床に座ってたから目を引かれたんだ」

「きっとサラでしょう。よろしければ呼んでまいりましょうか」

 少しは軟化したと思ったのだが、まだ棘は残っていたようだ。チクリ、肌を刺す。

「やけに機嫌が悪いな」

 真面目な声音でそう言えば、リアはためらうように唇をひと舐めした。そんな姿まで色っぽい。

「明日も来る。そうお館様に言づけておきながら、一週間も放っておいたあなた様がいけないのです」

「親父様が大量に仕事を寄越さなければ来ていたさ。それに、言葉遊びなんて良くあることだろう」

 守られない口約束にいちいち腹を立てていたら、彼の仕事上きりがないはずだ。思い当たる節がやはりあるのだろう。彼はその指摘に顔を背けて言葉を詰まらせた。

「……それこそ言葉遊びにございます。あまりにも隼人様がつれない態度をされていたので、少し意地悪くつついてしまいました。ご不快に思われたのならば、心よりお詫びを申し上げます。申し訳ございません」

「そう何度も謝るな。気分を害したわけじゃない。ただ純粋に疑問に思っただけだ。俺こそ悪かった。仕事をしているあんたに対して不誠実だったな」

 お詫びになるか分からないが、と言葉を繋ぎながらノートやら鉛筆を入れてきたカバンを漁った。指先に触れる冷たい感触で探し物が見つかったことを確かめ、丁寧に外へと取り出したそれは、シルバーの鎖を幾重にも巻いたブレスレット。鎖をまとめる部分には深い紫色をしたガラス玉が宝石のようにカットされてはまっている。

「まだ試作品だけど、あんたをイメージしたアクセサリー。大きさとか適当に作ったから、付けてみて」

「ありがとうございます」

 手のひらに乗せられたそれをじっと見つめ、硬い声音で礼を述べたリアは、微かに震える指先でそれを左の手首へと通した。

「適当、という割にはずいぶんとぴったりですね。綺麗……」

 長い前髪で表情を隠し、声音だけは完璧に演技しているが、震える手は隠し通せていない。それを見逃すはずもなく、隼人は落胆の溜息をついた。

「気に入らないか」

「そんなことございません」

 上げられた顔は言葉通りに隼人の言葉を否定している。けれど、一度気づいてしまえばそれが嘘だということは至極簡単に分かることだった。

「いいや、嘘だ」

「嘘ではございません。勝手に決めつけないでください」

「嘘だ」

「隼人様っ」

 真実を確かめたくて、逃がさないようにその手首を強く掴み、黒にほど近い色をした瞳をのぞき込んだ。普段ならばけしてそんなことはしなかっただろう。頭の隅の冷静な部分が嘲笑していた。なにしてるんだと。

「何が気に入らない? デザインか、素材か。なぁ、何が、気に入らない?」

「ですから、嘘ではないと申しております。離して下さい。鎖が食い込んで、痛い」

「リア」

 名前を唱えると、苦痛に歪んでいた瞳が動揺に揺れた。

「リア。なぁ、教えてくれ。何が――」

「お願いです! お願いです隼人様、手を、離してください」

 ついに声まで震わせたその姿に、頭の芯が急速に冷えてゆく。手を離したところでもう遅い、白い肌にはハッキリと赤い跡が残されていた。

「ありがとう、ございます。自分勝手に申し訳ございません」

「言っただろう、何度も謝るな。それに、今のはどう考えても俺が悪い」

 リア。もう一度名前を呼ぶと、恐れるように肩を震わせた。

「今日は帰るよ。……明日また、会いに来る」

 今度は笑みに肩を震わせ、リアは顔を上げて微笑んだ。

「それこそ、嘘にございましょう」

 いいや。吐息の様な声で否定する。

「必ずだ」

 瞼を閉じる彼に、触れるだけのキスをして部屋から出てゆく。

「必ず……か」

 囁きのような声が、耳に届いた。

期待を含んだその声を何度も頭の中で繰り返しながら階段を下りると、赤毛の女店主が気だるそうに客を待っていた。

「少しは愛想よくしてねぇと、客が入らないと思うけど?」

 適当な金額を差し出し、戯れの会話を楽しむ。手の内の紙幣を数えながら店主もまた会話に応えた。

「私の愛想が悪くても、品が良けりゃ客は来るんだよ……さて、それで?」

「ん?」

 数え終えた金を軽く振りながら、彼女が訊いてくる。何を言いたいのかは分かっていたけれどわざとはぐらかし、女が好む笑みを浮かべるが、効果は無いようだ。冷たい視線が突き刺さる。

「料金が多いけど、サービスかい」

「いいや、頼み事。リアを明日空けといて貰えないか」

「そう言われて、前回は無駄になったけどね」

「必ず来る。今回は璃一に、これ以上仕事が入らないように頼んであるから。だから頼む」

「そうだねぇ……」

 大根役者が。分かりやすい焦らしを、ただ待つ。おとなしく待つこと数秒、店主はうっかり惚れてしまいそうな笑みを浮かべ、交換条件を出してきた。

「アマリディアにこれから足を運んで貰えないか?」

「アマリディア……。誰の差金だよ」

「あの人の頼みは聞いておいた方がいいんだよ。どこまでも続く情報網の一端を時折、覗き見ることを許してくれるからね」

思い当たる人物など、ひとりしかいない。隼人は今この場にいないその人に向かって盛大に舌打ちをした。

「分かった。行けばいいんだろ。だから、明日は必ずだ」

「徒花の店主として約束するよ」

「恩に着る」

「また明日、お待ちしております」

 慇懃無礼な言葉を背に店を出る。目指すはアマリディア。娼婦街の奥にあるその店は、国内外でもその名を知らしめている娼婦館の大店である。その女郎頭が、ミナセだ。何度か仕事の依頼を受けたことはあるけれど、こんな形で呼ばれたのは初めてのことだろう。加えて、璃一を通しての依頼だ。

何かあるとしか思えない少し先の事を考えると、大変に憂鬱ではあるが、明日の為には仕方がない。薄暗くなってきた空にため息を吐き出し、隼人は足を急がせた。

黒蝶から、逃げるように。

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