第32話 サイの日誌(12月17日から12月30日まで)

12月17日


 聖都せいとの広場で、教皇の演説があった。

 信者諸君!無数の悪魔たちをほろぼしてきたが、ついに、敵が宣戦布告してきた。というのは、魔法使いたちが、各地で決起けっきした。この聖都を目指して襲いかかってくる。我々はあの魔法使いどもをせん滅せねばならぬ。

 そこで、250万もの軍勢を聖都に集めて、一気に決戦に持ち込もうというのが、教皇の考えであった。

 それを聞いて、私は嫌な予感がした。

 まさか、この聖都にまで、戦火がおよぶとは思わなかったのである


12月20日


 私が家に持ち帰った石は、徐々じょじょに大きくなりつつあった。

 この数日間、私は黒い石を観察した。机の引き出しに入らなくなったので、書斎に、鉄のオリを作って、そこへ石を閉じ込めた。

 もはや、石は石でなくなった。触れると、人間のはだのように柔らかい。うっすらとだが、人間の口も見られる。

 乳母うばと妻には、書斎に入らないよう言いつけておいた。

 一つまみの砂程度の大きさであった石の姿はなかった。いまや、人間の子供程度の大きさまで育っている。どこまで大きくなるのか見ておきたかった。

 この石は私だけの秘密にせねばなるまい


12月21日


 怪文書が世間で出回っていた。誰それが魔法使いだなどと、匿名とくめいで告発する文書であった。今日、その文書に名前の載った人間たちが、処刑所へ連れていかれるのを目撃した。

 人々はみな、狂っている。私もだ。

 私は仕事を終えたら、妻や息子の顔も見ずに、書斎へ入った。すでに、オリの中で、石の大きさは、我が身長と並んだ。人の形へと変貌へんぼうげている。一つだった目も、二つの瞳に分化した。

 私も狂い始めているのだ


12月22日


 石に髪が生え始めた。

 私と同じ銀髪である


12月23日


 妻が鍵のかかった書斎から奇妙な声を聞いた。ゴゴバ、ゴアアという甲高い、うなり声だと私に訴えた。

 ついに、あの石が舌を持ったのである。

 私は石のことを妻にせたままであった。もう隠し通せないと悟った私は妻に話す決心をした。


12月24日


 妻に育てている石の秘密を告白した。聖なる石が別のものへと変形していく様子を詳細に語った。それを聞いた妻はきょうがくした。彼女は、早く捨ててほしいと懇願こんがんした。

 書斎には鍵をかけておいた。今日、部屋の中で話し声がしたからである。ゴゴバ、ダシテ……ゴアア。どのような意味であろう。


12月25日


 聖都は静寂せいじゃくたもっていた。その有様ありさまは、あたかも生気せいきを抜かれた肉体のようである。

 魔法使いたちは、250万の軍勢と戦っている最中であった。明後日からは、聖なる石を砂つぶのように砕いて、軍兵に配る予定である。聖なる石さえあれば、魔法使いなど恐れるに足らぬ。魔法の効かない兵士が一万人以上も誕生するのだ。いよいよ、我らの勝利は間近である。

 最近は、書斎に近づかないようにしていた。いずれ石を捨てねばなるまい


12月26日


 時間がない。急いで書かねば。

 今日、石を捨てようとして、書斎に入った。オリの中は空であった。付近を探すと、カーテンが動くのが見えた。私は恐怖を感じながら、そこへ近づいた。奴が姿を現した。奴の外見は私そのものである。

 俺はお前だ。そう言って奴はせせら笑った。

 鏡を見ている気分である。とびかかった奴は、私の首をしめた。恐ろしい力である。抵抗しても無駄であった。私はもう死ぬのかとあきらめた。そのとき、奴の背後から忍び寄った妻が、固いレンガを怪物の頭へぶつけた。奴はゴゴバと、ノドの奥から奇妙な音を出しつつ、ガスとなって四散しさんした。

 私は妻と抱き合った。

 聖なる石の正体はヒトモドキであった。

 もう時間が残り少ない。これから、私は教会の宝物殿ほうもつでんへ行く。そこに陳列ちんれつされている聖なる石をすべて盗むつもりだ。聖なる石はどれだけ小さく砕いても処分できない。恐るべきヒトモドキの種を、どこかへ隠さなければいけない


12月27日


 盗んだ石に小さくなるよう命令すると、本当に小さくなってしまった。

 朝、縮小した石を持って、聖都ガイマイトを出発


12月28日


 昼過ぎに、聖都ガイマイトに帰ってくると、妻と息子が出迎えてくれた。

 私は成功した。人類をヒトモドキの厄災やくさいから救ったのである。聖なる石を盗まねば、一万体以上ものヒトモドキの種が兵士たちに配られていたのだから。

 聖都とは別の場所へ隠しておいた。あそこならば、教団の連中も見つけられまい。

 やがて、なわのハシゴと香油を持って、石を捨てた峡谷きょうこくへ向かった。ハシゴを使って、谷の底へ下りると、何体ものヒトモドキになりかけた石のかけらを見つけた。今まで、私が捨ててきたものであった。私は石に香油こうゆをかけて、火を放った。だが、石は燃えなかった。燃えずに残ったので、あきらめた。

 やはり、どこか人のいない場所に隠さねばならない。

 石の数が少ないので、川かさが増したときに、相当数そうとうすうが下流へと流されたのであろう。そういえば、下流の村では、ヒトモドキの被害が多いと聞く。

 人の気配を感じたので、急いでハシゴを上る。私の後に続いて、何者かがハシゴを上ってくる。頂上まで着くと、私はハシゴの縄を切った。きりのこもった谷底で、ゴゴバと悲しげな声が上がった


12月29日


 250万の軍隊は、魔法使いの魔法によって全滅した。

 私は、妻と息子を遠い田舎へ避難ひなんさせることにした。

 この日誌を、私の遺言書として愛する彼女にたくしておこう


12月30日



 愛する息子へ


 これが最期の日記となりました。これを君が読んでいるときには、私はもうすでに死んでいるでしょう。聖なる石を盗んだ時点で、父は死刑になることを覚悟していました。教会の宝を盗むことは大罪なのです。君は不思議に思うかもしれません。なぜ、聖なる石を盗んだのかと。石の正体がヒトモドキであることを、他の人に知らせれば済む話ではないか。そう考えても無理はありません。

 私はただ怖かったのです。仕事の放棄ほうきを知られるのが恐怖だったわけでありません。本当は、魔法使いの仲間だと後ろ指をさされるのが怖かったのです。聖なる石は強力な武器でした。それをヒトモドキだと言えば、気味悪きみわるがった兵士や処刑隊が使わなくなり、魔法使いにすることになります。あいつは魔法使いを助けるために、石の正体をばらしたのだと言われるのが恐ろしかったのです。

 人々は疑心暗鬼ぎしんあんきにかられていました。告白すれば、私も他人が魔法使いに見えていました。狂気のとりことなった私は、石の正体を知ってからは、完全に正気しょうきを失ってしまったのです。私は250万人の兵士を見殺しにしました。ヒトモドキが生まれなくなれば、それで良かったのです。

 同胞どうほうを助けようとした魔法使い。制度を守ろうとした教皇。さらに、聖都せいとの人たちも、処刑隊も、私もみな、正しいことをしたつもりになっていました。その結果、みな、誤った道を選んでしまいました。もっと、よりよい方法があったはずなのに。

 昔、偉い聖者が魔法使いにいじめられている民衆へ向かって言いました。お前たちは魔法を使えないが、すばらしい筋肉があるではないかと。そう言って、民衆をお救いになったのです。筋肉だけを信じていた信者がなぜ、人殺しをすることになったのでしょうか。

 私は教会に出向でむきます。私の罪を裁いてもらうためです。死刑となるでしょう。君は罪人の息子として、あざ笑われるのでしょう。それが無念でなりません。なにか助けてあげたくても、死んでいてはどうすることもできないのです。

 もし、君が道に迷ったとき、父の声を聞きたくば、おのれの良心に語りかけなさい。困っている人々の声に耳をかたむけなさい。父は君を誇りに思います

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る