第23話 二人の会話

 賢者ミカミの書斎には、読み切れないほどの本があった。一冊ずつ読んでいけば、何十年もかかりそうなほどだ。

 読むのをあきらめた私たちは、部屋を出た。


 あのよろいがまた襲ってこないだろうか。


 不安がる私に、シンドウは透明魔法「迷彩めいさい」をかけてくれた。「この『迷彩』魔法は、外から自分の体が見えなくなる。当然、自分自身ですら見えなくなるね」

 すなわち、透明人間になれる魔法だ。

 もし、以前の私なら、光学迷彩に大喜びしていただろう。もし、魔法を進んだ科学技術だと信じていた、以前の私ならば。

 けれど、この世界が異世界だと知った今は違う。

 私の持っている科学知識が通じないのだ。

 今の私は、お化けや迷信におびえる子供時代の私だった。

 わけのわからぬ化け物が出てくる。わけのわからぬ魔法を使いこなす人がいる。その答えや正体を教えてくれるネットなんてあるはずがなかった。


「僕の体にも『迷彩』魔法をかけておこう」

 そう言って、シンドウは自分の体も透明に変えた。

 私たちは、自分の体の色が消えていくのをながめていた。

 シンドウが私の手を握った。彼女の手は暖かくて、やわらかい。「お互いが見えないからね。迷子になったら困る。さあ、手をつなごう。間宮君」

 この友人だけが頼りだった。

 私はぎゅっと強く握り返した。

「怖がらなくてもよい」とシンドウが笑った。


 魔法で透明になった私とシンドウは、まず、一階の部屋を順に回っていくことにした。

 その結果、一階のどの部屋にも、コトリとドリィはいないことが判明した。

 二階へ続く階段は、廊下の奥へあった。

 私たちは二階へ上がった。


 二階は一階の構造と変わらなかった。せまくて薄暗うすぐらい廊下と、小さなドアが壁に並べられているだけだった。

殺風景さっぷうけいだね」と私は感想を述べた。「人が住んでいるようには思えないよ」

 すると、シンドウが止まった。「しっ。静かに。間宮君。人の声が聞こえるぞ。一人、いや、二人かな?」

 彼女の指示に従って、私は耳をすませた。

 女性二人の声が、廊下の奥にある部屋から聞こえてきた。その部屋のドアが半開はんびらきになっていたからだった。半開きのドアから、薄明かりがれている。

 一人の声は、しゃがれていて、聞き覚えのある声だった。洞窟どうくつで聞いたことがあった。

「ドリィだ」とシンドウがささやいた。

 もう一人は、どこかで聞いたことのあるような声だ。それも、ごく最近。


 誰だろう。


「あの部屋へ近づいてみよう」とシンドウが私の手を引っ張る。

 私たちの体が透明になっているとはいえ、危険に変わりない。

 ドアのすき間からのぞくと、部屋には二人、女がいるようだ。一人はまぎれもなく、村長の息子と付き合っているドリィだった。


 ドリィは立ったまま、部屋の中央に向かって、話を切り出す。「ねえ、ミカミ大おばさま。あたしね、そろそろ、家を出ようと思うの」

 もう一人は、部屋の中央にいるらしく、ドアの死角に入って見えなかった。

「ドリィや。ドリィ。お前がこの家を出たい気持ちは、あたしゃあ分かるよ。なにしろ、あたしゃお前の育て親だからな」

 会話の内容からさっするに、見えない相手は賢者ミカミなのだろう。落ち着き払った威厳いげんのある声だ。

 賢者ミカミは威厳を保ったままこう言った。

「でもね、それが、カナルの息子との結婚となると話は別さね」

「反対なの?大おばさま」

「賛成しかねるのだよ」


 賢者ミカミを「大おばさま」とドリィが呼んでいるところをみると、ドリィとミカミは親戚らしい。

 ミカミとは、どんな人物なのだろう?

 ゆったりとした声だった。なので、私よりも、はるかに年上に感じられる。隠遁いんとん生活を送っているということは、かなりの年寄りなのかもしれない。

「ドリィや、お前がウルと森で、ときどき会っていることも知っておる。

 だがな、父親のカナルは、息子のウルに、村長の役職を継がせようと考えていよう。お前にとっては、分相応ぶんそうおうな相手ではない」

 賢者ミカミはドリィの結婚に反対しているようだった。頭の固い人間だというのが、私の第一印象だった。


 ミカミは話を続ける。

「お前には、もっと、こんな辺鄙へんぴな村ではなく、大きな外の世界を見てほしいのだよ。村長夫人になれば、村に縛られてしまう。外へ出るチャンスを失うのだ。自分を縛るくさりを外すことはできなくなるのだ」

「かまうもんか。あたしはこの村が好き。村で一生を終えても別に――」とドリィが言いかけると、ミカミが割り込んだ。

「ドリィよ。両親を亡くしたお前を育てた私の言うことを聞けぬと申すか」

「聞けないと言ったら?」とドリィは反抗した。


 ミカミはため息をついた。「お前が、私の魔導書まどうしょをこっそり盗んで、売りさばいたことを、村長たちに告げねばなるまいな。さて、村長は盗人ぬすびとと息子を結婚させるかな?」

 声をふるわせながら、ドリィは「お、大おばさま!なんということを!あれは生活費のためなの」と泣いた。

 部屋をのぞいていた私は、ミカミがどんな外見がいけんなのか知りたくなった。

 私はミカミの姿が見えるように、少しだけ、体の向きを変えた。暖炉の前にドリィが立っていて、近くに、安楽椅子あんらくいすがある。そこに、ミカミが座っている。

「私の目が節穴ふしあなだと思うか?お前が、書斎から魔導書を盗んだこと。さらに、それを村長の娘コトリに売ったこと。……すべてを知っているのだ、ドリィよ」


 あれがミカミ?


 ミカミが、安楽椅子から立ち上がる。

 その姿は、よぼよぼのおばあさんではなかった。

 明らかに、ドリィよりも年下の姿だ。

 ミカミは幼女の姿をしていた。4、5歳以下の幼稚園児にしか見えなかった。

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