第22話 賢者ミカミ

 コトリの手がかりを求めて、私たちは書斎しょさいの本をあさった。

 書斎には、大きな机があった。

 館のあるじであるかのように、シンドウはその席へ座る。すると、机の上に、論文が書かれた紙を見つけた。

 論文の表紙には、「ミカミ・A.」と署名してあった。シンドウが手に取って読み始める。

「間宮君、この論文は賢者のものだよ。タイトルは、ええと、『光の粒子りゅうしに関するエーテルの波の揺らぎと分離についての考察』。僕は以前、魔導工学まどうこうがくの分野で、研究論文を出したことがあるから、賢者ミカミのことを調べたことがある。うん、まさしく賢者ミカミの署名だ」

 シンドウが話してくれたところによると、優秀な業績を残した魔法使いには、国家から「賢者」の称号が送られ、研究費が出る。魔法使いミカミは、優れた研究成果を出したので、「賢者ミカミ」と呼ばれるようになったのだ。

 そして、マール王国の要職を与えられる。実際に賢者ミカミは大臣になった。だが、もう引退している。

「――これが、僕の知っている賢者ミカミの半生はんせいさ。魔法使いなら、だれもが一度はあこがれる人物だよ。まさか、あのミカミが、こんな小さな村の赤い館へ引きこもっているとはね」

「そんなにすごい人なのかい?」

 私には専門知識がなかった。「その光なんたらという論文は、すごい研究なのか?」

「画期的だね。光をエーテルの波と考えれば、さまざまな魔法の組成そせいを説明できるのだから。物体のワープも瞬時に可能となるよ」


 そんなバカな。

 ありえなかった。


 光が波の性質を持っていることは知っていた。しかし、エーテルを媒体ばいたいとする波だという仮説は、今では否定されている。

 魔法の世界とはいえ、科学の物理法則を無視してワープができるなんてありえない。


 光速度不変の原理に反しているのではないか。


 私はシンドウにそのことを説明しようとした。

「光の速度は一定なんだよ。これが俺たちの世界でなされている説明なんだ」と私。

「なるほど。時速40ヅカールで進む光が、時速10ヅカールの光を発しても、時速50ヅカールの光にはならない。時速10ヅカールのままだとする前提が成立するのだね」とシンドウが納得した。


 一を聞いて十を知りやがった。


 とはいえ、彼女が科学知識をもっているわけではなかった。私も魔導工学の知識がなかった。二人がお互いに、知識を深めることはできなさそうだった。

 私はたとえ話を混ぜることにした。これで、賢者のエーテル仮説がおかしいことに気づくはずだ。

「海辺の波を追いかけている人は、波が遅く進んでいるように見える。では、反対に、波に真正面から向かっている人にはどう見えるか?」

「それは、速く見えるだろう」とシンドウは答えた。

「では、海水の波ではなく、エーテルの波でも同じことが起きるはずだ。ところが、これだと、『光の速度が一定だ』という説明と食い違うんだ。俺たちの世界では、光の波を追いかけても、遅くはならない。真正面に向かっても、速くならない」


 シンドウはミカミの論文をぺらぺらとめくった。「確かに、君の言っていることが事実であれば、論文に矛盾があるね」

「そうだろ。その賢者の仮説はおかしいんだ」

 やれやれと私は思った。

 「魔導工学」と言うくらいだから、この世界にも、科学が存在するのだと考えたのが愚かだった。

 ところが、シンドウは私の意見に反対した。「いや、おかしくはないよ。僕たちの世界の物理法則と、君たちの世界の法則が違うとすればね。――前に言っていたじゃないか。君の世界には魔法がないのだろう?つまり、君が住んでいる世界は、僕たちの魔導工学が通じないのだ」

 それを聞いて、私は身をふるわせた。

 怒りではなかった。恐怖からだった。


 ここは、別の惑星ではない。

 ここは、過去や未来といった時間軸の異なる場所でもない。

 まったく科学が通用しない異世界なのだ。

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