第9話 襲来

 洞窟の外で、大きな爆発音がしたかと思うと、おぞましい叫び声が、森中に響き渡った。

 石を見ていたシンドウがはっと顔を上げる。「村のほうからだ!間宮君」


 私たちは、時間を止められたままのウルを置いて、外へ走り出た。洞窟を後にして、急いで村へ向かう。

「このままでは間に合いそうにない。高速魔法を使う」とシンドウは言った。「君の足を見せたまえ」

 私は制服のズボンをたくしあげて、クツと足をふくらはぎの部分まで彼女に見せた。彼女は筆を取り出すと、高速魔法の「俊足しゅんそく」の魔法陣をクツに書いてくれた。呪文を唱えると、魔法陣の模様が光り始めた。

「これでよし。君は、どんな人間や魔物よりも速く走ることができる。制限時間は2時間だが、十分だろう」

「やはり、村に異変が起きたのだろうか」と私はズボンのすそを下ろして、走る準備をした。

「おそらく魔物だよ。襲ってきた魔物を倒すために、村人たちが火薬を爆発させたのだ。間宮君、急げ」


 魔法「俊足」のおかげで、あたかも風に乗っているかのように、私は森をかけ抜くことができた。これなら、オリンピックで金メダルを取るのも楽だろう。

 私たち二人は、すぐに、村の境界までやってきた。

 村の様子は、ひどいありさまだった。

 何体ものキメラが家にぶつかっては、その柱をへし折ろうとしていた。ところどころ、火が出て火事になっている家もあった。


 村道では、しゃがんで泣き出す少女がいた。そばに親はいなかった。

「間宮君!君はあの女の子を、安全なところまで避難させるのだ!」とシンドウは女の子を指さして叫んだ。

「じゃ、君は?」

「僕はあの魔物たちを、魔法ですべて追い出す」


 すべて?

 そんなことが可能なのだろうか。


 暗闇だったが、明らかに、敵の魔物は、数十体いる。キメラだけでなく、見たこともない象より大きな魔物が、大きな爪ときばで暴れまわっているのだ。あれらを一人で片付けられるとは無理に等しかった。

 シンドウはもう呪文を唱え始めていた。

 とにかく、言われたとおり、私は、道端みちばたで泣いていた少女のところまで走った。「大丈夫かい?」と声をかけたが、少女は泣いてばかりで返答がない。

「俺が守ってやる。親が来るまでの辛抱しんぼうだ」

 私は彼女の手を引っ張って、魔物がいなさそうなところを探した。怪物たちから離れた場所が良かった。


 できるだけ遠くへ。


 しかし、村の中で無事な所はなかった。村人たちは、あちらこちらを右往左往うおうさおうしている。中には、頭から血を流した者さえいた。

 一匹のキメラが私と少女の前に立ちふさがった。その魔物の大きな口には、子供が丸ごと一人入れそうな広さがあった。歯が闇夜なのに月に照らされて、するどく光る。

 私一人だけなら逃げられただろう。今の私の足は、魔法のおかげでスピードがかなり上がっている。このキメラの足よりも速いはずだ。なのに、少女を連れていくとなると遅くなる。少女を置いていけば、自分は助かるはずだと、頭ではわかっていた。

 少女はかわいそうに震えていた。


 私は決心した。「こっちへ!さあ、一緒に逃げるんだ」

 少女を背中におんぶした私は、一目散いちもくさんにキメラのわきをって、逃げ出した。弾丸だんがんになった気分だった。

 シンドウの呪文は、まだ終わっていないようだった。

 このままでは、村が滅ぼされてしまうだろう。


 さっきから、キメラが執拗しつように私たちを追いかけてきた。マラソン大会で、一度だけ、校内10位に入賞したことがあるので、脚力きゃくりょくには自信があったが、子供を背負って走ると、予想以上に体力をけずられた。


 もうだめだ。

 追いつかれる!


 そのときだった。背後はいごで、キメラが何かにぶつかった音がしたのは。

 何が起きたのか、私にはわからなかった。

 キメラが見えない壁にぶつかって、ぐきりと鈍い音を立てて、くずれ去った。

 少女を背中からおろして、近寄って調べると、たしかに、透明な壁がそこにあるのが分かった。「これはいったい……?」

 すると、どこからともなく、若い男の声が聞こえた。

「結界魔法『ウォール』ですよ」と男の声が言った。「どんな物体も通すことがない強力なバリアです。――おや、この子はけがをしていませんか?」

 振り返ると、少女のそばに、こん色の長いローブを着た青年が立っていた。いつの間にか、少女は手から血を流している。

「傷を回復魔法で治してあげましょう」と紺ローブの青年が言って、彼の手をかざすと、けがをした少女の腕が光り始めた。少女が笑顔で「ありがとうございました」と感謝した。

「どういたしまして。求道者きゅうどうしゃとして当然のことをしたまでです」と紺ローブの青年はにこやかに言った。


 その青年は、ほっそりとした細い顔だちと体格で、顔が子供のようにあどけなかったので、銀色の長髪がよく似合う。

 私と同い年だろうか。背はすらりと高く物腰ものごしは年上の大人のようだが、顔だけなら中学生にも見えた。

「ありがとうな」と私も青年にお礼を述べた。「もう少しで、キメラに殺されるところだったよ」

「失礼ですが、あなたはこの辺で見かけない顔ですね。どちらのかたですか?」

 私は自分の名前を紹介して、「シンドウ=サキという魔法使いの助手をしている」と答えた。

「ほう、あなたが間宮トオルさんですか。村長からお話を聞きました。ヒスイさんの行方を探すのを手伝っておられる魔法使いとか」

「そうだ」

「……しかしながら、不思議ですね。なぜ、あなたは、魔法を使って、モンスターと戦おうとしないのです。あなただって、魔法使いのはしくれでしょう?」


 魔法をまったく知らないからだ。


 けれど、これは言いわけにすらならなかった。もし、魔法を学びたければ、シンドウに土下座してでも頼む手段があっただろう。それをやらなかったのは、いざというときに、彼女に守ってもらえればいいという甘えた考えがあったからだ。

 魔法がなければ、誰も守ることができない。自分の身すらも。

 歯がゆい思いをしながら、私は青年へ言った。

「俺には力がないんだ」

 すると、興味なさげに私を見ていた青年の顔が、ぱっと輝き始めた。

筋力きんりょくがない?ふーむ、それはいけませんね。だとしたら、わが教団に入ってみませんか。間宮さん」と早口でまくし立てる。

「あ、あの……」

「あ、これは失礼。申し遅れました。私は、マッスル教団マール支部に所属する僧侶のスガ=トズラと申します。各地を旅して、この村で信者を募集しておるのです。以後、お見知りおきを」

 そう言って、スガは自分の服をめくって、自分のおなかを見せた。「どうですか。間宮さん、この筋肉!」

 見事にスガの腹筋ふっきんが割れていた。


 というか、この人、なんなんだろ。

 怪しい人以外の何ものでもない。


 さきほど命を助けられた少女ですら、顔から血の気が引いて、金切かなきり声でこう叫ぶ。

「へ、変態さんです!」


 イエス。君の言うとおりだ。


 今、私たちの目の前で、自分の腹筋を見せびらかせて、恍惚こうこつの表情を浮かべる僧侶(自称)がいる。

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