第8話 村の外へ

 私は、宿のベッドの中で、ひたすら、自分の体を見ていた。

 私は見覚えのない黒いまだら模様が、全身に広がっているのを見た。それは決して、気分のよいものではなかった。

 私がこの世界へ来る前には、こんなものはなかった。気絶している間に付けられたものだろうか。


 誰が?何のために?


 病気なのか。いや、違う。

 なぜなら、皮膚ひふが変色したものではない。上からられたものだ。私は、黒い部分をごしごしと腕でみがいてみたが、さっぱり落ちなかった。それが、なおさら不気味ぶきみだった。

「おい、シンドウ、起きているか」と、たまらず、私は、旅行バッグの中で寝ているはずのシンドウを呼びかけた。「おい、おい!」


 返事はない。

 どうすべきか。


 ひょっとしたら、外の音がバッグの中まで聞こえていないのかもしれなかった。だとしたら、バッグのふたを開けて、シンドウを起こすしかあるまい。

 しかし、開けるのは、彼女から禁じられている。今なら、玉手箱を開けた浦島太郎の気持ちが痛いほど理解できる。

 バッグの鍵穴かぎあなのぞいてみたが、当然ながら、何も見えない。


 残念だ。


 がっかりと肩を落とした。

「何を残念がっているんだい?間宮君」とバッグの中から、明らかにシンドウらしき声が聞こえてきた。

「シンドウ?聞こえていたのか?」と私は驚くように見つめる。「だったら、話は早い。すぐに出てきて、俺の体を見てくれ」

 バッグのふたがゆっくりとく。開いた旅行バッグからけむりが出てきた。シューシューと音を立てている。

 その煙が消えたと同時に、パジャマを着たシンドウの姿が現れた。パジャマの色が、緑と赤のしま模様で妙に派手はでだった。私のはだに塗られた黒い紋様もんようを見るなり、彼女は言った。「ふむ、これは珍しい。古代の魔法陣じゃないか」

「古代?」

「マール王国ができる、はるか以前のことだよ。いにしえの文明が作り出した魔法陣でね、ほら、そこに、今は誰も使っていない神聖文字が書かれている。君は、こんなものを、どこで書き付けられたのかい?」


 それはこっちが聞きたいくらいだった。


 しばらく、シンドウはじろじろと私の体をながめていた。そして、次のような結論にいたった。「ふうん、巨大化魔法の魔法陣に似ているな。おそらく、強力な魔力がふうじてあるね。むやみに黒い模様を消すのは危険だろう。間宮君。申しわけないが、僕も、それ以上のことは、まったくと言っていいほど、知らないのだ。これを付けた張本人ちょうほんにんに聞かないかぎりはね。だから、そのままにしておこう」

 仕方がないので、私は彼女に賛成した。「そうだね。消そうと思っても消せないし」

 学生服を着た私は、シンドウに謝った。「寝ているところをすまなかった」

「いや、寝てはないんだよ」と彼女が窓の外を見る。「今まで、村の外から、おかしな気配を感じたんだ。異常が起きているのだ」


 私には何も感じられなかった。

 虫のと、フクロウのホーホーという鳴き声ぐらいしか聞こえない。車の音すら聞こえない。

 だが、村の外へ出ることをすでに決心したシンドウは、パチンと指を鳴らして、一瞬いっしゅんで、パジャマから外出用の普段着に着替えた。「さあ、行こう、間宮君」


 宿屋の主人に村の外へ出ることを伝えた私たちは、宿屋をあとにした。

 街灯がいとうがなく、月明りを頼りに、村の道を行く。二つも月があったので、夜でも明るかった。


 本当に、村の外で、異常が起きているのだろうか。


 私は疑っていた。

 正直なところ、魔法使いのカンというものを信じてはいなかったのだ。

「もし、パトロールしても、何もなかったらどうするんだ?シンドウ」と気になった私は尋ねた。

「何も異常がなければ、宿屋に戻る。だがね、大気中のエーテルが明らかに乱れているのだ。僕が思うに、この雰囲気はただ事じゃ……おや、あれは誰だろう?」

 シンドウの目が道の先に向かう。見ると、早足はやあしで歩く人影が、道を伝っている。どうやら、その影は村の外へ出ようとしているようだった。

 顔が見えなかったが、あの立派な体格は、村長の息子、ウルに似ていた。

「あれはウルだよ。ちょうどいい」とシンドウは、ひそひそと声をひそめた。「僕たちと同じく、村の外へ出るようだ。何をやっているのだろうね?知られないように、後をつけてみよう」

 ウルらしき人影は、何度も後ろを振り返ったが、どうやら、こっちには気が付いていないようだった。私たちは、彼を尾行することにした。


 私とシンドウは、夜の闇にまぎれて、なるべく、ウルと一定の距離を保ちながら、彼を尾行していた。

 私が驚いたのは、夜であるにかかわらず、シンドウが彼を見失なかったことだ。彼女の暗視あんし魔法で、夜間でも、はっきりと昼のように彼の姿が見えるらしい。それに対して、私は何度かウルの居場所いばしょが分からなくなった。

 というような事情があって、私はシンドウのそばに、ぴったりと張り付いていなければならなかった。だが、シンドウは、私がくっつきすぎても、抗議しなかった。

「間宮君、見たまえ。ここが死の森だ」

 村の外には、木々の生い茂った森が広がっており、「死の森」と呼ばれていた。それが村を外界がいかいから遠ざけていた。

 シンドウがなぜ死の森と呼ばれるかを説明してくれた。「この森はね、人間はおろか、魔物ですら近づかない、奇妙な森なのだ。この村へ来る前に、僕は入ってみたが、生き物は鳥だけで、魔物はいなかった。歩行する生物だけを殺すような仕かけがあるかもしれないので、気を付けたほうがいいよ」

 そういう大事なことは、前もって言ってほしかった。

 時すでに遅く、ウルを追ってきた私たちは、森の奥深くに入り込んでしまっていた。

 ひしゃげた木が不気味に、空へ枝を伸ばしている。まるで、人間の手が、空中をつかもうとしているようだった。こんな所に長くいたら、どんな人間でも恐怖で狂ってしまうだろう。

 いったい、村長の息子は、こんな恐ろしい場所にどんな用事があるというのだろう。

 森の奥に大木があって、その根元は、あたかも丘のように土が盛り上がっている。そこに、ぽっかりと洞窟どうくつの横穴が空いていた。見ると、人が入れるくらいの大きさだった。


「ウルがあの洞窟に入っていったぞ」とシンドウは私の手を引っ張った。「さあ、僕たちも行こう」

 私たちは、その横穴から入った。

 洞窟の中を歩いていくと、ところどころ、木の根っこが飛び出ており、私は何度もつまづきそうになった。明かりは一切いっさいないのだ。

 暗い中を進むと、途中で、ほこらがまつってあった。

 ほこらは、大木の根をって作ってあり、日本のやしろで見かけるような鳥居とりいとやぐらに似ていた。おそらく何かの儀式に使ったようだと、シンドウは言った。


 そのとき、さらに奥から、誰かの言い争う声が聞こえた。二人分の声だった。

「あの声は誰のだろう?」と私は思わず叫んだ。

「静かに。間宮君。一方は男で、一方は女のようだが……」

 シンドウの言うとおり、若い男女の声だった。男のほうには、聞きおぼえがあった。


 ウルだ。

 では、女のほうは誰だろう。


 かなりのガラガラ声なので、妹でも母親でもなかった。

 私は聞き耳を立てる。

 ウルは金切り声で叫んでいた。「なんてこった!この前、俺に買わせようとした魔導書まどうしょはどうした?」

「もう、別の奴に売ったさ!」とガラガラ声の女。

「あれがあれば、ここの石を直せる魔法が書いてあったかもしれないのに――」とウル。

 どうやら、ウルは「魔導書」というものを使って、何かを修理しようとしたらしい。


「あきれた」

 そう言って女が、こちらへ向かってくる気配があった。

 シンドウがほこらのかげに隠れろと、目と手で合図したので、とっさに私は、その場で身をしゃがませた。

 ランプを持った女が私の目の前を歩く。


 間一髪かんいっぱつだ。

 向こうは気が付いていない。

「――今、なんて言った?」とウルが問いただすと、女は怒り出した。

「あきれたと言ったの!いい?ウル。今、あたしたちがやらなければならないのは、壊れた石ころを直すことじゃない。そうよね?あたしたちの将来がどうなるかを、真剣に考えるべきなのに。……ご両親に会わせてくれるって、言ったのおぼえてる?」

「覚えてるさ。でも、今はまだ、そんな時期じゃない」

「遅すぎるのよ。かなり、待った。……自分でも、嫌になるくらい。さよなら」と女は歩みを速めた。「そんなに大事なら、石とでも結婚すればいいんだ!」

 ウルが女を追いかける。

「おい、待てよ!ドリィ」

 ドリィと呼ばれた女は、追いかけるウルを無視して、洞窟の出口へ向かおうとする。肩をつかんで、それを引き止めるウルが「話を聞けよ!」と叫んだ。

「大きな声を出さないでよ。この洞窟の中はひびくから」とドリィが振り返った。「あんたなんて、ヒトモドキに殺されればいいさ」

「そんな……」

 あんぐりと口を開けたまま、何も言えなくなったウルを置いて、彼女は洞窟から出ていってしまった。

 取り残された彼が、ほこらの前に立って、悪態あくたいをつく。

「畜生め!ふざけるなよ、まったく――ん?」

 私とシンドウは、ほこらの陰にいたが、運悪く、ウルが私の気配に気づいた。とっさに、彼は自分の剣をいた。

「お、おい!誰だ?出てこい!」とウルは剣をぶんぶんと振り回す。

 出ていっても、剣で切られない保証はなかった。

 困っていると、さきほどからシンドウが、呪文をとなえていた。


永久にして永遠とわ、原始より流れし久遠くおんの時よ、止まれ


 すると、ぴたっとウルの動きが止まった。

 もう少しで、剣のが、私の鼻をそぎ落とす所までせまっていたので、恐怖のあまり、私はへなへなと、その場へ座り込んだ。

 ウルは何も言わない。動こうともしない。


 シンドウが自分のかけた魔法を説明した。「この魔法はね、時間魔法の一種で、『時間停止』と言うのだ。その名の通り、ある空間の時間を20時間ぐらい、止めることができる。今、ウルの周囲の時間を止めたから、彼はそこから動くことができないし、自分が止まっていることすら、気づかないだろう。もちろん、僕たちも彼をその場から動かせない」

「だけど、シンドウ、この姿を彼女に見られたら、まずいんじゃないか?」

 ドリィが戻ってくる気配けはいはなかった。このままにしておこうと、シンドウは答えた。

「ケンカ別れしたようだし、彼女は帰ってこまい。それよりも、間宮君、僕は、彼の言っていた石が何なのか気になるのだ。よほど重要な石を壊したらしいね」

 私たちは壊れた石を探すことにした。とは言え、ウルの持っていたランプでは、探し物をするのに暗すぎた。そこで、シンドウは照明魔法を使って、洞窟の内部を明るく照らした。「明るくなっただろう」

 明るすぎて、まぶしいくらいだった。


 明るい土の地面を、うようにして探してみるが、くさった根っこばかりで、それらしき石は見つからない。

 数十分後、石のかけらを見つけたのは、シンドウだった。「あったぞ、間宮君。他にも、かけらが散らばっているようなので、大きな石だったことがわかるね」

 その石は、光沢こうたくのある白と銀がり交ざった色をしており、私の世界でいう大理石に似ている。何の変哲へんてつもない石で、それほど、重要そうにも見えなかった。しかし、シンドウは、この石のかけらがふつうとは違う点を挙げた。「これは魔力がこもっていそうだ。光にかざすと、青い光がちらちらと見える。これは魔力が流れているあかしなんだ。いいかい、照明魔法によって、光らせば、ほら、ごらん」

 シンドウが持っていた石は、白から少しづつ、緑色へと変わっていった。その姿は宝石のエメラルドみたいだった。

「すごいな。でも、何に使うんだろう?」と私は疑問に思ったことを口にした。「ウルに石の使い方を聞いてみないと、さすがに、わからないぜ」

「そうだね。君のいうとおりだ」とシンドウはうなずいた。しかし、彼女は即座そくざに、私の提案をった。「時間停止には、一つ、大きな問題があってね。一定期間が過ぎないと、僕ですら、魔法解除ができないのだ。ゆえに、あと20時間ほど、ウルは何も答えることができないだろう」

 ウルが答えることができないのだから、当然、この石がなんなのかすら、いまだ不明だ。


 シンドウは石を縮小魔法で小さくして、ポケットに入れた。とりあえず、村に持って帰って、村長か誰かに、それとなく聞いてみるつもりだと彼女は言った。

 だけども、この石の正体を知るのは、もっと、はるかあとになるのだった。

 なぜなら、私たちが森の外にいる間に、魔物たちが村を襲ってきたのだから。

 残念ながら、シンドウの予感が当たっていた。

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