第3話 矛盾

 キメラは私とシンドウを交互ににらみつけた。

 私は風の魔法陣がある方向へ走り始めた。られて、魔物のキメラも、そちらの方向へ走り始める。 

 シンドウは走り去る私のほうを振り向いた。

「まさか、君は」

「シンドウ、お前のあの魔法陣に向かって、その火をはなて」

「なるほどね、天才的な発想だ。間宮君」

 彼女にほめられても、照れている余裕よゆうはなかった。

 あれだ。

 シンドウが作った光り輝く魔法陣は、まだ効果が切れていないので、風がびゅうと音をたてて上昇していた。弱い風だが、これで十分だった。

 ついに、キメラが私に追い付いてきた。

 キメラの爪が私の背中の後ろで、空を切った。地面の岩がくだける音がした。このとき、もし、後ろを振り返っていたならば、その爪の威力いりょくに私は気を失っていただろう。

 私は魔法陣へ飛び込んだ。

 と同時に、足でけって、大きくジャンプした。魔法の風のおかげで、走り幅跳はばとびの選手のように、四、五メートルは飛べた。

 しかし、巨大な体を持つキメラは、自身の重さで、そこまで飛ぶことができない。ジャンプせずに、そのまま、魔法陣の上を通り過ぎようとする。

 着地地点で倒れたまま、私はさけぶ。

「今だ!シンドウ。やれ!」


火よ燦爛さんらんたるほむらとなれ


 シンドウが放り投げた火球は、勢いよくキメラの顔に当たった。魔物がもだえ苦しみながら、めらめらと燃え上がる顔の炎を、前足で消そうとする。が、火は魔法陣から供給きょうきゅうされた新鮮な空気を吸って、いよいよ火柱となって燃え上がるばかりだった。体全体を燃えつくしてしまうと、気流に乗った火の粉が、空を赤くめた。

「これはいけないな。火の粉が飛び散って、村全体が火事になってしまう」と、今度はシンドウは水の呪文を唱えて、これを消火した。

 あっという間の出来事だった。

 燃えた魔物は灰となっていた。

 なんの武器や道具を使うこともなく、あの強大なキメラをやっつけたのだ。私は身震みぶるいした。背中にたきのような汗が流れる。シャツは汗でぬれてしまった。

 駆け寄るシンドウに、私はこう言った。「さあ、魔物退治を手伝ったんだ。空間転送の魔法について教えてくれ」

「わかった。だが、その前に、服を着替えたほうがいいね」

 私の学生服は、先の戦闘でボロボロになってしまっていた。親に怒られるだろうと、私は心配した。元の世界へ帰れればの話だったが。

 シンドウが、人差し指をひとつ、突き上げて、空中で回転させた。

 それは、おまじないだった。私のボロボロ服が、みるまに新品同様に変わった。私は学生服の裏を見た。そこには私の名前の刺繍ししゅうがあった。これなら、洗濯機せんたくきもいらないだろう。

 落ち着いたところで、シンドウが私に空間転送について教えてくれた。

「要するに、移動魔法なんだよ。魔法をかけた物体を、どこにでも、移動させることができる。でも、空間転送には、問題が一つあるんだ」

「問題?」

 彼女が語ったところによれば、ある物体や人物に「空間転送」の魔法をかけると、本人ですら予想できない場所に「転送」されてしまうというのだ。魔法で、ランダムな場所にワープするわけだ。

「例えば、すぐ近くだったり、海の中だったり、岩の中だったり、壁の中に空間転送されてしまうんだね。とにかく、目的地がどこかを決めることができないので、誰も使いたがらない。ただ、その危険性を知らない新米しんまいの魔法使いが使うのだ」

 だから、彼女は初めて私と会ったときに、私を、うっかり危険な魔法を試した新米の魔法使いだと考えたという。

「ひどいじゃないか」と私はシンドウに抗議こうぎした。「俺は魔法使いじゃないぜ。さっきだって、一度も魔法を使えなかっただろう」

 もし、魔法使いならば、空を飛んで逃げていてもおかしくなかった。

 ところが、奇妙なことをシンドウは私に告げた。「君は魔法を使っているのだよ」

「いつだい?」

「今だよ」

「使った覚えはないぜ」

 私は魔法の呪文を唱えてもいないし、どんな魔法があるのかも知らない。「冗談のつもりか。シンドウ?」

 冗談ではないとシンドウは、私の肩をつかんだ。「信じてくれ。間宮君。君は知恵が回るし、僕の言っていることを理解してくれる人間だと思う。だから、僕の言っていることを信じて」

 とうとう、彼女は、種明かしをしてくれた。


「種を明かせば、かんたんなことなんだよ。間宮君。最初、君の服を一目見たときに、めくれた生地きじの裏に、僕の知らない外国の言葉でいつけられていたのを見つけた。文字のはばから察するに、人の名前だろうと見当をつけた。服の持ち主である君の名だろう。君は僕の知らない外国語を使っていると考えた。ところが、君は僕となんなく会話をしている」

「そりゃ、そうだ。シンドウ、お前は日本語を話しているじゃないか」と私は言った。

 彼女は首を振った。

「違う。僕はマール語で話をしている。二ホンなんて国は知らないし、ニホン語は聞いたこともない。つまり、君は知らないうちに、僕のマール語をニホン語に訳して聞いてるんだよ。つじつまが合わない。矛盾している。ゆえに、君は翻訳ほんやく魔法を今も使っている。そう結論づけたのだ」

 シンドウの説明によれば、「翻訳魔法」とは、相手の話す言葉や、自分のしゃべる言葉を、相手に理解できそうな言葉に変えて伝える魔法らしい。「初歩的な魔法だよ、間宮君」

 確かに、私はなぜ、別世界に来て、そこの住民とよどみなく会話ができるのか、初めに不思議に思ったものだ。なるほど、魔法のせいだったんだと納得しかけた。だが、一つ、疑問がわいてきた。「だが、待てよ。その推理には無理がある。二か国語を話せる人間だっているわけだろ?お前たちの言語――マール語をたまたま知っているだけかもしれないじゃないか」

「君がマール語を知っている可能性は成立する」とシンドウは認めた。さらに、彼女はポケットから、木でできたメガネを取り出して、私に渡してくれた。

 このメガネをかけてくれないかと頼まれた私は、ゆっくりと自分の顔にかけてみた。

「なんだい、これは?」

「間宮君が今つけている翻訳メガネは、特殊な魔法がかけられている。これをかけた者は、外国の文字を読めるようになるんだよ。さあ、旋風つむじの魔法陣のところまで行って、そこのマール文字を読みたまえ」

 言われるがまま、私は魔法陣へ行って、そこに書かれてある文字を読んだ。メガネをかける前は、理解不能だった文字が、今では読めるようになっていた。

 そこには、こう書かれていた。


「注意。この魔法陣の中は大変危険です。あなたの身体、命に危険が及ぶ可能性があります。くれぐれも、円の中に立ち入らないようにしてください」


 シンドウはにやにやしながら、あっけにとられている私に言った。「魔法の実験がてら、君の言語能力を試させてもらったんだ。魔法陣の外へ出なかったということは、君は僕たちの言語を知らなかった。一方で、僕も君の使う言語を知らなかった。だが、会話は成り立つ。さて、この矛盾を魔法以外で説明できるというのであれば教えてほしい」

 私はウームとうなり声を上げた。

 くやしいが、私はシンドウの推理を認めざるを得なかった。「……わかった、信じるよ。まるで、名探偵みたいだな」

「探偵ではないよ、魔法使いなのだよ。君もね」

 魔法使いの素質そしつを持っている人は生まれたときから、翻訳魔法を無意識のうちに使っている。だから、魔法使いか一般人であるかを区別するには、外国の言葉で試験するらしい。このようにシンドウは説明した。

「しかし、シンドウ、外国語のテストは苦手だったぜ」と私は自分のテストの低い点数を思い出してみた。

「君は、この国に空間転送されたときに、初めて使えるようになったわけだね。間宮君」

 私は頭を整理したかった。

 「空間転送」という魔法で飛ばされた私は、「翻訳魔法」を使える魔法使い。でも、魔法を使っている自覚はない。

 結局、元の世界に帰る方法は、今のところ、ないということか。

 魔法も役に立ちそうにない。

 しょんぼりする私だったが、ふと、自分のポケットをまさぐっているうちに、スマートフォンがあったのを思い出した。

 そうだ。連絡する方法があった。

 ところが、私のスマートフォンは、電源が入らなかった。さっきの騒ぎで壊れてしまったのだろうか。なんども電源スイッチを押すが、入らない。これでは、親や友達に連絡が取れない。

「充電器を持ってないか?シンドウ」と私はたずねてみた。

「ジュウデンキ?」

「そう、スマホに電気を入れるやつ」

「スマホ?デンキ?間宮君、何だい、それは」

 私は血の気が引く思いがした。

 シンドウは知らないのだ。

 いや、シンドウだけではないだろう。この世界の住人は、電話といった科学技術を知らないのだ。

 心のどこかで、私は元の世界とつながっているつもりでいた。なぜなら、ネットにつながれば、あるいは、携帯電話がつながれば、すぐに連絡をとれるからだった。どこかで、そんな安心感をいだいていたのだ。

 今、その願いは無残むざんにもくだかれた。

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