第2話 魔法が存在する世界

 人類は大昔から空を自由に飛ぶことを夢見てきた。

 それが飛行機の開発へとつながったことは、わざわざ言うまでもない。私だって、飛行機を見ると、その情熱に身をがされることもある。

 OK。

 今まさに、夢をかなえようとしているじゃないか。

 私は空を飛んでいるのだ。

 下から風に吹かれて。

 吹き飛ばされて。

 突風がボクサーのパンチのように、私の全身を打ち込みながら。

「シンドウ!呪文をやめろ!」という私の叫び声も、むなしく風にかき消された。

 死んじゃう。死んじゃうから。

 まだ、16歳の若さで死にたくはなかった。

 下にいるシンドウに必死に呼びかけてみたが、魔法陣の隣で呪文じゅもんを唱える彼女の耳には、まったく届かないらしい。

 騒ぎを聞いた村人たちがシンドウのもとへ集まり始めた。男女とも、地味な服装だった。光沢こうたくのない、あさでこしらえた服がつぎはぎだらけでみすぼらしかった。シンドウや私の着ている服とは大違いだった。

 生きるか死ぬかの瀬戸際せとぎわで、こんな冷静な分析をしている自分がうらめしい。

 途切とぎれながら、シンドウの声が聞こえた。

「おおい、間宮君、……飛び心地ここちは最高かな?」

 笑いながらシンドウは大きく手をっている。

 ははは……。

 最悪だよ!

 もう、さっきから五分以上、飛んでいるのだが、そろそろ、浮かんだ高さがビル4階に達し始めていた。鳥が目の先で飛んでいる。すでに、高所恐怖症の人間なら、怖くて気絶してもいいころだ。

「よし、そろそろ、魔法を解除するぞ。いいかい、風がなくなるから、後は魔法で飛んでくれ」とさらに、シンドウが追い討ちをかけるようなことを言う。

 なぜ、ちゃんと魔法を覚えておかなかったんだと最期に後悔する。

 ――魔法?

 そうだ。この世界に魔法があるのであれば、私にも使えるのではないか。そう思いつくと、私は自分の知っている、あらゆる呪文を口に出してみた。

 しかし、効果はなかった。

 シンドウは私を「魔法使い」と呼んでいた。ならば、私に魔法が使えないはずがない。

 いくら、魔法の言葉を唱えても無駄だった。なるほど、私はシンドウと違って「魔法使い」ではない。当たり前の結論を得たところで、私は別の方法を試すことにした。

「助けて!」

 シンドウは「魔法解除!」と叫んで、片手を大きく突き上げた。

 風がやんだ。

 とたんに、私の体が落下し始めた。

 地上から10メートル以上は離れているだろう。下が土だったとしても、到底とうてい助かる見込みはなかった。

「シンドウ、おれは飛べないんだ!助けてくれ!」と落ちながら私は言った。

 それを見ていたシンドウは、ようやく、この事態を理解したのか、魔法陣の上に立って、先ほどの呪文を繰り返した。風がまた舞い上がる。そして、彼女の体を私の所まで運んできた。私の腕をつかむと、自分へ引き寄せた。

 彼女は私の耳にそっとささやいた。「君は魔法使いのくせに飛べないんだな」

「悪かったな、シンドウ」

「いいさ。僕が魔法を教えてあげる。今のは烈風魔法の中でも弱い「旋風つむじ」というのだ」

 シンドウはちょっとずつ、風を弱めるための(だと思う)呪文をとなえ始めた。手をつないだ二人の体がゆっくりと、地上に降り始める。

 地上では、先ほどから野次馬となった村人たちが、珍しそうに私たち二人を見上げては、「すごいぞ」や「魔法使いだ!」などとはやし立てていた。

「彼らは魔法使いではないからね。魔法を初めて見る者もいるかもしれない。この村は魔法を使える人間が少ないのだよ」とシンドウが説明した。

 どうやら、この世界全員が魔法を使えるわけではないらしい。

 シンドウといった、一部の人間のみが魔法を使えるわけだ。

 ……ん?

 私は妙なひっかかりを覚えた。

 最初に出会ったとき、シンドウは私を「魔法使い」だと考えた。この世界には魔法使いと、村人のように、そうでない部類の人間とに分かれている。それを彼女はどうやって区別しているのか。

 私がこの疑問を彼女にぶつけると、思ってもみない答えが返ってきた。「当然じゃないか。間宮君、君は魔法使いだ。なぜなら、君は今もなお魔法を使っているからだ」


 すでに、「魔法」と、それを利用できる「魔法使い」の存在を信じていた私にとって、シンドウの言葉は、とても受け入れられるものではなかった。

 ――今もなお魔法を使っているだって!?

 思い出せ。

 私は普通の世界で生きてきた、ごく標準的な高校生だ。ある日、魔法が使えるようになった経験はない。テストの成績は平均より下のことが多いではないか。魔法が使えるなら、テストを満点にできるではないか。気になるあの子のハートも射ぬくことができるはずではないか。……思い出せ。なんだかみじめな気分になってきたが、魔法を使った記憶がないかを思い出すのだ。

 ない。

 そもそも、私の世界では魔法は存在しない。存在しないのであれば、私は魔法を使えるわけがなかった。「――君の勘違かんちがいだ。シンドウ。おれが魔法を使えるわけがないんだよ。俺は君のような魔法使いじゃないんだ」

「いや」とシンドウはにっこりと笑った。「君に自覚がないだけだ。君は魔法を使っているのだよ」

 彼女の謎かけに、私が答えあぐねていると、村の男が一人、息を切らして、こちらへ向かってきた。

 彼は私たちを見るなり、泣かんばかりの大声を出した。

「お願いです!旅の大魔法使い様。魔物まものが村の北に出ました!ああ、あなたがたのお力がなければ、どうしようもないのです。すぐ来てください」

「では、急いで参りましょう。間宮君、魔法のレクチャーは後回しだ。魔物が出現したようだ」

「魔物が暴れて、けが人が出ています。魔法で退治しなければ、村が滅びます。さ、お早く!」

「急ごうか。間宮君。君も手伝ってくれ」

 シンドウは私の手を引っ張って、男が案内する村の北という場所へ向かった。

 嫌な予感がする。

 魔物がどんなものかはわからない。「魔物」と言うくらいだから、凶悪な怪物なのかもしれなかった。しかし、それは重要なことではない。今のセリフ「けが人が出ています」から考えて、かなり、獰猛どうもうで力の強い生き物らしい。

 ははーん。

 さては、死にますね。

 頭の中の警報がさっきから鳴りっぱなしだった。村の北へ行くということは、すなわち、下りた踏切の遮断機しゃだんきを無視して渡るような行為に近かった。電車がそこまで来ている。まちがいなく。

「すまない。シンドウ」と私は彼女の手を振りほどいた。

「どうしたんだ?」

「魔物退治はできない。けが人が出たんだろ。危険だよ」

「そうか。それは残念だ。では、僕一人でやろう」と彼女は言った。「しかし、せっかく、お礼に、あとで空間転送の魔法について教えてあげようと思っていたのに……」

 畜生。

 空間転送がどんなものかはともかく、魔法を使えば、元の世界へ戻れるわけだ。だとしたら、彼女へ付いていったほうが良いかもしれない。私は迷った。

 だが、迷う時間すらなかった。

 村人たちが騒ぎ始めた。

 それに気づいた彼女が私に告げた。「間宮君、あそこだ。あの家の影にいる」

 レンガの家がぽつんと建っていた。

 その影を見ると、じょじょに形が変わっていく。

 まちがいなく、あそこに魔物がいる。

 恐怖に耐えきれなかった村の男が「うわあ、お助けを!」と叫んで、どこかへ逃げてしまった。屈強くっきょうな男ですら、逃げ出すような魔物など考えたくもない。ほかの村人たちも、散り散りに退散してしまった。

 あたりは私たち二人と魔物だけになった。

 ゆっくりと、魔物の姿が現れる。

 シンドウが身構える。

「キメラだな。さてと、戦闘開始だ」

 「キメラ」と呼ばれた魔物はライオンに似ていた。似ているというよりも、むしろ、ライオンに鳥のくちばしと羽毛を付けたような感じだった。体の大きさが大人の倍以上。4本足には鋭い爪が光っている。こんな生物がいるとは思わなかった私は、おもわず、のけぞった。

 きっと、戦えば殺される。

 そう思いながら、私も村人たちと同様に逃げ出そうとした。「逃げよう、シンドウ!」

「待ってくれ、魔法が発動するまでもう少しなんだ」とシンドウはさっきの風の呪文とは違う不思議な言葉を唱え続けていた。「時間かせぎを頼むよ」

 頭のよい人なら、この状況をすぐに理解してくれると思う。武器を持っておらず、魔法も使えない平凡な高校生が、いきなり、見たこともない怪物と戦うのだという、この危機的な状況を。

 これなら、地上にぶつかっていたほうが良かった。どちらも死ぬことには変わりないが、こんな魔物になぶり殺されるよりはまだいい。

 武器がなければ、作ればいいじゃないかと考える人もいるだろう。道端みちばたに落ちている石ころを投げれば、怒らせこそすれ、倒せることはできないだろう。

 考えろ。

 まだ、キメラとの距離はある。敵は獲物えものの品定めをしているせいで、近寄ってこない。私は試しに一歩動いてみた。キメラの細長い目が、大きく見開く。私の姿をとらえたのだろう。よし、かなり、まずい。

 じりじりと近づいてくる。間合いを詰めようとしているのだ。

 私はシンドウのほうを向いてみた。魔法のおかげで、彼女の手の平には、大きな火球ができていた。あれで攻撃するつもりらしい。私は一か八か、けに出ることにした。

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