魔法と推理

村上玄太郎

第一章 異世界と魔法使いと推理

第1話 世界の果てで

 目覚めると、世界の果てみたいな所だった。

 小さな村らしい。周りに、赤茶のレンガの家がぽつんと建っている。人が見当たらない。

 ここはどこだ?

 思い出してみよう。

 私が高校に通っているとき、急に目の前が暗くなった。

 そのまま、その場へ倒れこんだのだ。

 ほっぺに冷たい感触がある。起き上がって、指でぬぐうと、それはどろだった。

 土の香りが、ぷんと私の鼻を刺激した。

 起きたばかりで、目がぼやけていたが、アスファルトが張られた普段の通学路ではないのはわかる。

 すると、外国か。

 私は、潜水艦の潜望鏡せんぼうきょうのように首を伸ばして、見回した。

 屋根の上にある風見かざみどりが、くるくると風に回転させられている。

 レンガの家はいびつな四角で、近づいてみると、透明なガラスがびっしりとレンガのすき間を埋めているのが分かった。木のドアには、日本語ではない意味不明な文字が書かれている。

 ここは日本ではない。

 この異常な状況を分析している自分の冷静さに驚いた。もし、子供の時なら泣き叫んでいたかもしれない。

 再び、村の中を歩き始める。

 すると、白い服を着た少女を見つけた。

 奇妙だった。

 純白のカーディアンに、短パンをはいて、黒いロングブーツ。帽子はかぶっておらず、少年と見まがうような短髪。背は私の身長の半分くらい。

 木の棒を持って、地面になにやら落書きをしている。

 声をかけてみようか。

 だが、こちらから声をかける前に、少女は、私のほうを見るなり、こう呼びかけた。「君も魔法使いなんだね。だったら、一緒いっしょに手伝ってくれないか」

「何を手伝うのかい?」と不思議に思った私は聞いた。

「これだよ」

 白い服の子は、木の棒で、土に丸を描いてみせた。「この魔法陣はなかなか作るのが難しくてね。すぐにはできないんだ」

 子供の遊びに付き合うつもりはなかったが、妙に、心ひかれるものがあった。

 私が乗り気になって、どのように魔法陣を書けばいいのか、と問うと、その子はこう答えた。

烈風れっぷう呪文とか、風を呼び起こせるものなら、なんでもいい。ついでに、呪文じゅもんを唱えてくれるとありがたいな」

「呪文?」

「わかった。僕が唱える。君はその上に立ってさえくれればいい」と少女はできかけの魔法陣を指でさした。

 言っている意味が分からないまま、私は、丸やら、三角、見たこともない不思議な文字が円に沿って書かれた「魔法陣」の上へ、のそりと立った。

 だが、こんな遊びをしている場合ではない。

 私は、ここがどこなのかすら知らないでいるのだ。

 魔法陣の続きを書こうとした少女に向かって、こうたずねた。「今、私は迷子になっているんだ。ここはどこの、どういう場所なんだ?」

「マール王国のラキア村。かなりの辺境だからね。名前を知らないのも無理はないよ」

 マール?ラキア?

 一度も聞いたことがない国名だ。

 少女が魔法陣を書いている間、私は自分の置かれた事態をできるだけ客観的に考えた。

 異常事態。

 それは理解した。

 私が気を失っている間に、日本から、どこか見知らぬ外国へ連れてこられたのだ。親から私へのサプライズ・プレゼント?いや、それとも、某国ぼうこく拉致らちなのかもしれない。

 まて、それはおかしい。

 私は今までの会話が日本語だったことに、気が付いた。

 明らかに、落書きをしている目の前の少女は、日本人離れした顔だちをしている。顔の輪郭線りんかくせんが細くて、あどけなさが残っているものの、落ち着いた雰囲気ふんいきを持った美しさを備えている。

 ここが日本以外の国だったとして、流ちょうな日本語を上から目線で話せる子供がいるものだろうか。

 じっと見つめていた私に気づいたらしい。

「そういえば、まだ、自己紹介が済んでいなかったね」と少女はていねいにお辞儀じぎをした。「僕の名前はシンドウ=サキ。17歳の魔法使いなんだ。各地を旅している。君の名は?」

 あわてて、私は自分の名前と出身地を説明した。

「間宮トオル。東京で高校に通っているんだ。高校一年生で……」

 ということは、この子、私より1歳年上だということになる。

 お前、年上なのかよ!と叫びたくなるのをぐっとこらえ、ふたたび紹介を続けた。「朝起きて、学校に行こうとした道で、突然、意識を失って、ここに来たんだ」

「そうか、それは空間転送だな。魔法使いだと、よくあるんだよ。間宮君」

 よくあるのですか?

 通学路で気を失った次の瞬間に、突如とつじょ、異国の地で目が覚めることが、たびたびあるのですか?

 私の頭は混乱した。

 さっきから、少女、――正確には、私より年上である自称「魔法使い」との会話がうまくかみ合っていない。これは、二人が会話の前提としているものが違うからだ。

 コミュニケーションの食い違いをただすには、より多くの情報を交換する必要があった。

「少し分かりやすいように整理しようよ。シンドウ」と私は彼女に呼びかけた。「このままだと、私たちは互いに誤解したままだ」

「同感だね。では、間宮君、君から僕に質問してくれたまえ。僕が知る限りのことを教えてしんぜよう」

 ここがどこなのか?

 それはさっき質問したばかりだった。同じ問いには、同じ答えが返ってくるだろう。別の問いが必要だった。

 しばらく考えているうちに、名案が頭に浮かんだ。

「東京を知っているか?」

「トーキョー、知らないな」とシンドウは首を振った。

「だったら、日本はどうだろう?ニ・ホ・ン、聞いたことがあるのかい」

 彼女は私の問いに「申しわけないが知らない」と答えた。私はたたみかけるように質問した。「地球という星は知っているか?」

 ノーという答えが返ってきた。しかし、彼女はこう答えた。「でも、月なら知っているぜ。ほら、見てごらん。あそこに月が二つ出ている」

 これは、私にとって、それで十分すぎる回答だった。

 朝焼けの東空に、二つの満月が双子のように並んでいた。


 なんてことだ。

 ここは地球ではない。

 ショックのあまり、しばらく口が開きっぱなしだった私を見て、シンドウが声をかけた。「質問は以上のようだね、間宮君」

 元の星へ戻るにはどうすればいいのかを問いかける気力すら失ってしまった。別の星に来てしまったのだ。

 どうやって?

 空間転送で来たのだとシンドウは言ったが、それは信じることができない。私は自分が着ている学生服を見た。そのソデに、うっすらとコーヒーのシミが付いていた。朝、急いでいたために、飲みかけのコーヒーをこぼしたのだ。まだ、シミがかわいていない。ということは、冷凍されて、宇宙船などで運ばれたわけではないということだ。

 SFでありがちな瞬間移動が成立するには、とほうもないエネルギーが必要なのだ、という最近の研究を知っていた私は、科学的な考えから、空間転送がありえないことだと結論づけ……。

「魔法だよ」

 はっと我に返ると、シンドウが魔法陣を書き終えていた。「さあ、できたぞ。間宮君、今から素晴らしい実験をやるからね。もし危ないと思ったら、すぐに僕に言ってくれ。その時は魔法を解除するから」

「何を言っているんだ?シンドウ、おい?」

 地面に書かれていた魔法陣が光り輝いた。丸や三角、それに謎文字の線がまるで、切り込みを入れたかのように、あざやかに光り始めたのだ。

 その時、信じられないことが私の身に起きた。

 地面から突風に突き上げられたかと思うと、ふわりと、私の体が宙に浮いたのだ。

 馬鹿な!

 どうしても信じることができなかった。

 地面には何もないのだ。送風機も、それらしき機械も。

 あるのは、先ほど自称17才の魔法使いが書いた魔法陣だけなのだ。

 風が地面から出ていた。

 いや、光っている魔法陣から吹いているというべきか。

 ゴウという風のうなる音がした。

 私は空を見上げた。雲すらない。

 晴れていた。

 つまり、この風が、自然現象でないことは確かだった。

「嘘だろ!おい!」

 そう叫びながら、手足をバタバタと動かす私を見て、シンドウはにやりと笑った。「どうやら、実験は成功のようだな」

 彼女は、口の中で、もごもとと理解不能な言葉をとなえ始めた。

 聞こえないくらい小さなつぶやきだったが、はっきりと最後の言葉だけは聞こえた。


威風堂々いふうどうどうにして、疾風怒濤しっぷうどとう、風よ、吹き飛ばせ


 私は確信した。

 この魔法の実験は、私の死をもって、確実に失敗に終わる、と。

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