そんな未来を夢見たりして
景崎 周
そんな未来を夢見たりして
ぽちゃん、と遠くの波間で小魚が跳ねた。
「釣れねぇなぁ」
「本当にな」
紫色の空を仰いで、ため息をつく。
日の出前の仄明るい岸壁に立ち、俺とノゾムの二人はサビキ釣りに興じていた。
高校最後の思い出を作ろう、なんて深夜に家を飛び出したはいいものの、収穫は殆ど無い。だのに、周りのおっちゃんたちは次々と大物を釣り上げていくではないか。
不公平だ。神様はどこまでも俺たちに冷酷で無慈悲だ。ちょっとくらい甘やかしてくれてもいいのではないだろうか。
「なあ、カナタ」
「んー」
「なんか面白い事しろよ」
「具体的には?」
「奇声を上げて海に飛び込む」
「殺す気か」
ノゾムはからからと楽しそうに笑った。
ここは潮の流れが速い。落ちたら一大事どころではないと知っている筈なのに、これだ。ふざけるのも大概にしてもらいたい。
いつも軽口をたたいておどける道化も、ここまでくると考え物だ。
悪いとは言わないけれど。
「だって暇なんだもんよぉ」
ノゾムは口を尖らせてぶつぶつと文句を言った後、静かになった。
妖怪の町、
俺たちが水面とにらめっこしている間に、夜間点灯していた照明は消えていた。夜明けは近い。
コンクリートの岸壁には絶えず穏やかな波が打ち付け、清々しい音色を奏でている。紫一色に染まった足元に、深い藍色の水面。得体のしれないものが這い上がってきそうだ。
前方に目を向ければ、夜明け前の薄明りに対岸がぼんやりと浮かび上がる。海沿いに建った家屋の明かりと、その後ろに聳える山々の色合いが、俺は大好きだった。あちら側は島根県で、こちら側は鳥取県。どこか、あの世とこの世のように思えて惹かれてしまう。
そして、此岸と彼岸を結ぶのはトラス構造の
少し古めかしさを覚えるその形に、温かみを感じるのはなぜだろう。幼いころからずっと見ている景色だから、だろうか。そうだ、きっと遺伝子か何かに組み込まれているからこんな感情を抱いてしまうに違いない。
田舎らしい田舎の風景が紫に染まるさまは、言葉に表せない程に絶景だ。
ああ、でも、そんな事より魚が釣りたい。
「こりゃあ、南蛮漬けくらいにしかならないな」
タイを釣ってやるんだなどと息巻いていたのに、収穫は小さなアジとイワシ数匹。
とても煮つけや焼き魚にはならない大きさの小魚ばかりだ。南蛮漬けが一番妥当な調理法である。
「いいじゃん、俺南蛮漬け好きよ?」
ぼそりと呟くと、すかさずノゾムが乗ってくる。
「お前は好き嫌いがなくて本当に助かるよ」
「あれ、俺褒められてる?」
「褒めてない」
「うそつけぇ。ほら、もっと褒めて! 俺を褒め讃えて! 崇め讃えて! ほらほら!」
「煩い黙れ」
「へぇーい」
ちょっと気持ち悪いくらい聞き分けがいいノゾムのお蔭で、再び沈黙が訪れる。
しかし、いくら黙って真剣に釣り糸を垂らしても獲物はかからない。
何度かエサを補充するも、結果は変化なしだ。
「なぁ」
結局、十分も経たずにノゾムに話しかけていた。
「なんでございますか旦那様」
「荷造り、もう済んだのかよ。明後日には行くんだろ、東京」
「えぇー、その話する?」
「ふざけないで真面目に答えろ」
隙あらばおどける。それがノゾムのアイデンティティーでもあった。だが、残念ながら俺はそれをかわす術を身に着けているのだ。
「はいはい。一応荷物はまとめたよ。家具とか電化製品はあっちで買う予定。いやぁ、これで俺も晴れてシティボーイですよ! 渋谷とか新宿とか代官山とかを颯爽と歩いちゃうわけですよ! おしゃんてぃーなカフェでコーヒーとホットサンドをいただいちゃったりするわけですよ!」
「東京なぁ……。俺、あんなビルばっかりのところにいたら、ひと月で気が触れるわ」
「やだ、カナタったら繊細」
「お前が図太いだけだろうが」
ノゾムは歯を見せて笑った。
高校卒業後、俺は地元の大学に進学し、ノゾムは東京の大学へと進む。
鼻たれ小僧の頃から行動を共にしていた二人も、これを機に暫しのお別れだ。身体の一部のような人物と離れ離れになる。悲しくて心細い現実だった。ノゾムにとってもそうであってほしい。
また、ちゃぷん、と魚が跳ねた。
「夏休みには必ず帰るから。だからもう一回二人でここに来ような。でっかいタイ、百匹くらい釣ろうぜ」
「約束だからな。破ったら許さない」
「物騒だなぁ。絶対に守るって。俺嘘つかないもん」
「嘘つけ」
思えばずっと、俺とノゾムは一緒にいた。
ノゾムといると落ち着くし、馬鹿をやるのも楽しい。
みなと祭りの花火も、水木しげるロードのブロンズ像も、お台場公園の桜も、海とくらしの史料館を飾る剥製の魚も、思い出を切り取ればいつもノゾムの姿がある。
そうやってずっと一緒だったのに、ノゾムは遠くに行ってしまう。
「カナタ」
ぱちゃん、と波がひと際大きく囀った。
「ん」
気がつくと、空が橙色に色づき始めていた。見惚れている間に、橙は次第に海を染め上げ、揺らめく水面を美しく彩る。
こんな色の宝石、どこかにあったらいいのに。
「俺たちが大人になって、一人前の男になったころには、さ」
「うん」
「――俺たち、結婚できるようになってるかな」
遠くで海鳥の鳴き声がした。
「……さぁな」
今はまだ、未来のことはわからない。
だから、夢を見る事だけは赦してほしい。
「指輪はお前が買えよ」
「えー、俺ヒモにされるの? ま、いいけどさ」
離れても離れられないひと。
その手を握って、精一杯の笑顔を作った。
そんな未来を夢見たりして 景崎 周 @0obkbko0
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