【第三章】

「さ、今日も月野麻耶のところへ行くわよ!!」

「お前キャラの切り替え早いな!!」


 俺のツッコミもなんのその。アキは自らの体温冷却システムをフル稼働させ、二時間足らずで元気になった。そんな彼女に呆れつつ、俺は冷蔵庫を漁っている。


「ほれ。やるから出発前に飲んどけ」

「さんきゅー」


 俺が放り投げた緑茶のペットボトルを、アキは片手でキャッチ。って、二リットルのプラスチックボトルなんですけど。


「今コップも持って行くから」


 と言って俺が顔を上げると、ちょうどアキが蓋を開け、口をつけてラッパ飲みするところだった。


「おい! 俺の分は!?」


 しかしアキにその叫びは届かなかった。まるでアメリカの企業が開発した某掃除機のように、凄まじい吸引力でアキはお茶を飲み干した。あんまり急に飲み込むのも身体に悪いと思うのだが。


「ふう、落ち着いた」


 コトン、とテーブルに空のペットボトルを置いたアキは、満足気に伸びをする。

 まあ、いいか。これで昨日と同じように、麻耶と接触することができる。アキの変身能力のお陰で。実際、麻耶に訊きたいこともたくさんあるしな。


「よし、行くぞ」

「了解した」

「!?」


 突然響いた重苦しい声音に慌てて振り返ると、アキは既に変身を終えていた。


「今日はBGMはいらないからな? 頼りはお前の図体とショットガンだけだ。いいな?」

「了解した」


 同じ言葉を繰り返すあたりに、『ロボットがロボットに変身した=ますますロボット臭くなった』ことがひしひしと感じられる。まあ、その無機質さが一種の脅迫・牽制力になるわけで、『人間らしくしろ!』とは言えないのだが。

 軽いため息をつきながら、俺とアキは部屋を出て、再びキラキラ通りへと向かった。


         ※


「うわ!?」

「どひい!?」


 これが今回の、ツナギ二人組のリアクションである。


「いやー、そこまで怖がってもらわなくてもいいんだが……」

「月野麻耶に話がある。呼んで来い」

「へ、へい! ショットガン兄貴!」


 ツナギの一人がへこへこと頭を下げる。


「旦那も同伴なさいやすか?」

「……」

「旦那?」

「え、あ、はい? 旦那って、俺のこと?」

「左様でやんす、旦那! ショットガン兄貴に指示をなすっているところを見た者がおりやして、我々としてもVIP待遇でお迎えする所存でありやす、旦那!」

「はあ、そりゃどうも……」

「兄貴と旦那のお通りだ! 道を開けい!!」


 もう一人が大声で路地裏へと呼びかける。虎の威を借る狐状態だな、こりゃ。


 だが、それも長くは続かなかった。


「あれ? 麻耶姉? 麻耶姉は?」


 ツナギの一人が、公園状のスペースで声を張り上げる。


「おい何事だ!!」


 という怒声とともに、こちらの公園に続くドアが開き、拳銃を持った男が出てくる。が、アキの姿を認めた瞬間、


「あっ、こりゃあ失礼」


 と腰を折ってお辞儀をし、すぐに引っ込んだ。ここに巣くってる連中って、本当は気のいい奴らなんじゃなかろうか。

 それはさておき、麻耶がどこにいるのか分からないのは問題だ。

 俺たちはツナギ二人組を帰し、昨日麻耶に案内されたアジトへと向かった。


「ここで合ってるよな?」

「ああ」


 低い声で応じたアキに背を向け、俺は呼び鈴を鳴らした。うちのマンションのようにピンポーン、と明るい音はしない。代わりに何かがじゃらんじゃらんと鳴り響く。その音は、扉の向こうからだ。

 しかし、一向に誰かがドアを開けてくれる気配はない。誰かが『いる』気配はするのだが。

 さて、どうしようか。鍵もかかっているし。

 するとアキがずいっと前に出た。


「任せろ」


 とドスの効いた声を上げながら、そっと右手の掌を扉に当てた。金属製で錆びつき、ところどころ凹凸の残った鉄扉。それがミリミリと、ゆっくり押し開けられていく。そして俺の目に入ったのは――。


「誰だ、こんな時間……って、あ」

「あ」


 麻耶と目が合った。こちらに背を向け、立っている。

 それだけなら、何の問題もない。問題は、麻耶が上半身裸だったということだ。


「……」

「……」


 沈黙を破ったのは麻耶だった。


「おーい美耶、邪魔が入った。包丁持って出てこい」

「っておい待て待て待てえ~い!!」

「そう、そのちょっと長い薙刀みたいな包丁。出迎えてやれ」

「それ包丁って言わねえだろ!?」


 すると、部屋の隅から美耶が現れた。その包丁も怖かったが、それよりもその眼力が俺を恐れおののかせた。


「で、出直してきます! ですから命だけは――」


 と、ここまで言った時、


「ん?」


 俺は麻耶の手元を見た。握っているのは……包帯か?


「またお前らか! お姉ちゃんの、邪魔は、するな! 殺すぞ!」

「ひいいいいいいい!!」


 一語一句を区切りながら、包丁を振り回す美耶。するとアキが俺を後ろに突き飛ばし、美耶の両手ごと包丁の柄を握りしめた。


「ぐっ!」


 流石にアキの大男モードを前に、美耶はなす術がなかった。腕力に差がありすぎる。

 カラン、と包丁が床に落ちると同時、俺たちに全く無頓着だった麻耶が振り返った。


「ああ、何だあんたらか。美耶、もういいよ。あたいが片づけるから。向こう行ってな」

「……」


 どこか意気消沈した様子で、美耶はベッドの隅へと引っ込んだ。


「ぜーはー、ぜーはー……」


 俺は両手を膝につき、屈み込むような体勢で呼吸を整えていた。全く、なんて妹を持ってるんだ、こいつは。


「美耶、本気で俺を殺すつもりだったのか?」


 美耶は無言。ベッドの隅で膝を抱えて腰を下ろしている。何だよ、さっきはベラベラ物騒な言葉を並べ立てていたくせに。


「でな、麻耶。今日も少しは話を――」


 と俺が言いかけたのと、麻耶が振り向いたのは同時だった。って馬鹿野郎! 振り返ったらお前の、その……俺に見えちまうじゃねえか! ぺったんこの胸とか!

 しかし、その『ぺったんこ』が功を奏したらしい。麻耶が腕を組むと、ギリギリで隠れる。


「でも、異性の着替え中に乗り込んでくるとは、俊介、あんたも変態だな」

「変態言うな!!」

「だったらさっさと後ろ向けよ。ショットガン野郎、あんたも」


 ふう、とため息をついて俺は麻耶に背を向けた。後ろから刺されるのでは、とも思ったが、アキがちょうど俺を守るポジションについてくれた。普通の攻撃は、こいつには効かない。というか、すぐに修復されてしまう。

 それはいいとして。


「なあ、麻耶」

「何だ、変態」


 だから変態呼ばわりは止めろって言ってんだろうがーーー!!

 しかしそれでは話が進まないので、我慢して俺は麻耶へ問いを発した。


「お前、何をやってたんだ?」

「リスカ」

「は?」

「バーカ、リストカットだよ。そんな言葉も知らねえのか、変態は」


 今さっきと同様、グサッ、と変態呼ばわりが俺の胸を刺す。やっぱり辛いなこりゃ。って、そうじゃなくて。


「お前、リストカットなんてしてたのか!?」

「そうだよ。文句あるか、変態」


 それでライダースーツの上半身を脱いで、包帯を腕に巻いていたわけか。


「だ、だって……。そりゃあ酒とかに興味持っちまうのは仕方ねえとは思うけどよ、自傷行為は止めろよ。せっかく親からもらった身体なんだから」


 直後、ミシッ、と音がした。

 誰かが何かを殴ったとか、そんなことからではない。空気だ。このアジト内の空気が固体化し、そこに大きな亀裂が走ったような、想像上の破砕音だ。

 直後、麻耶は美耶の方へ向かう気配がした。


「美耶!!」

「助けて! 嫌っ! パパとママなんて、嫌っ!! 怖い、怖いよお姉ちゃん!!」


 切羽詰まった声音に、俺は振り返ってしまった。そこには、下着を身につけた麻耶と、彼女に肩を抱かれながら暴れ狂う美耶の姿があった。


「お、おいどうしたんだ!?」

「今、美耶を落ち着かせる!! あんたたちは外で少し待っててくれ!!」

「お、おう」


 突然追い返される身となった俺とアキだが、『待っててくれ』という麻耶の言葉を信じることにした。

 しばし、ひん曲がったドアの外から耳を澄ます。それなりに防音仕様になっているらしく、麻耶と美耶が何を話しているのかは分からなかったが、くぐもった低めの声と、反対に鋭い悲鳴のような声が交錯しているのは分かった。

 聞きながら、俺とアキは黙り込む。


 十分ほど経っただろうか、ドアの向こうからガンガンと叩く音がした。


「入っていいぞ」

「あ、ああ」


 今度は俺でも、ドアを押し開けることができた。そして俺の目に入ってきたのは、


「あれ? 麻耶だけか? 美耶は……」


 既にライダースーツの上半身を身にまとった麻耶は、無言でベッドの隅を顎でしゃくった。ベッドとシーツの間には、確かに膨らみが見える。美耶が塞ぎ込んでしまったのだろうか。


「悪かったな。美耶の奴、いつもああなんだ」 


 俺は声を低め、


「それって、お前らの両親の話をする時か?」


 と尋ねてみた。無言で頷く麻耶。


「あたいだってあんな親元は離れたかったし、美耶も連れてってくれってうるさくってさ。そしたら典型的な家出姉妹の出来上がりだ」


 おれは軽く深呼吸してから、尋ねた。


「その話、詳しく聞かせてもらってもいいか?」


 すると麻耶は肩を竦め、アキは軽く自分の後頭部に手を遣った。


「なあに、家が狂ってた。もう家族だなんて呼べなかった。それだけの話さ」


 月野麻耶・美耶姉妹は、とある上流階級の生まれだった。この街で『月野財閥』の名を知らない者はいない。俺は、そんなところで家出が起きるとは思ってもみなかったので、無意識のうちに財閥と麻耶たちを無関係だと判断していた。しかし、まさか『あの』月野財閥のご令嬢だったとは。

 麻耶と美耶は、決して厳しく教育されたわけではなかった。習い事も教養のための勉強も、長続きしなくとも両親は気にしなかった。


「そいつが気持ち悪くってな……」


 唇をへの字に曲げる麻耶。


「厳しい教育を受けなかったっていうよりは、叱ってもらう機会がなかった、っていうか」


 愛の反対は憎しみではなく、無関心である。これは、俺が心理学の本を漁って覚え込んだ知識の一つだ。


「そりゃ、執事さんやらメイドさんやら、随分よくしてくれたさ。でもな、誰もあたいらを叱らなかった。いや、叱ってくれなかった。まるであたいや美耶が、完璧な女の子でもあるかのように」


 宿題を忘れた。友達と喧嘩した。授業中居眠りをした。

 麻耶と美耶以外のクラスメイトは、皆そんなことで両親に叱られていた。しかし二人は、学年やクラスこそ違えど、誰からもお咎めなしだった。


「きっとアレだな。面倒が起こってもあたいらの経歴に傷がつかないように、根回しでもされてたんだろう」


 腰に手を当て、やれやれと首を振る麻耶。その歳でやられても格好がつかないだろうと思ったのだが、案外、様になっていた。

 そもそも、両親が多忙で麻耶たちと顔を会わせる機会が少なかった、ということもあるかもしれない。しかし、それを差し引いても、あまりにも無頓着な両親だったと、麻耶は語る。


「褒める。伸ばす。喜ばせる。そりゃ、ラッキーだと思った場面はたくさんあったよ。けどな、クラスメイトが皆、親父に叱られた、お袋に怒られたと聞く度に、あたいや美耶は、自分たちが『本当の子供』として扱われていないんじゃないか、って思い始めたんだ」


 最悪の場合、自分たちは両親にとって不必要なのではないかと。笑顔の裏で、両親は自分たちの存在を頭の中からかき消そうとしているのではないかと。


「だから散々悪いことはやった。万引きしたり、バイク乗ったり、こんな路地をふらついてみたり。もちろん、親父やお袋が警察署にあたいたちを引き取りに来たことだって何度もあった。でもな――」


 両親は月野財閥、ひいてはこの街を盛り立てた立役者だ。少しの賄賂、少しの謝礼金で事は済んでしまう。そして翌日には、清廉潔白な月野姉妹の出来上がり。


「参ったね」


 麻耶は額に手を当て、天井を仰ぎ見るような動作をした。


「親父もお袋も、金であたいらを守ってるんだ。心とか愛とか、そんなもんじゃない。ったく、綺麗事ばっかり並べやがって。反吐が出るぜ」


 ……だそうだ。


「でも、お前らはちゃんと生活してるだろ? 飲酒はよくないと思うが。でも一体どうやって――」

「ん? ああ。金なら心配ない。毎月適当な額を、親父が振り込んでくれる」


『皮肉なもんだな』と一言挟んでから、


「子供に生活費を遣る、ってのは、普通は正しいことなんだろ? 小遣いとか。でもその金のお陰で、あたいらは住むところを見つけられたし、このキラキラ通りの皆も潤ってる。つまり、放っておかれても構わない状態にある、って言われたようなもんだ。あーあ、皮肉だ皮肉だ」

「ふむ……」


 俺は顎に手を遣って考え込んだ。まさか、そんな理由で家出が成立するとは。


「で? あんたらの仕事は? あたいらを両親の元に戻すことか?」

「――いや」


『その通りだ』と言いかけたアキを遮るようにして、俺は麻耶の問いにノーと言った。


「俺も、お前の両親はやっぱり変、っていうか、どこかおかしいと思う。だから、じっくり考えて、お前の手伝いがしたい。どうだ?」

「俊介……」


 驚いたのか、目を丸くした麻耶は、


「でもあんた、変態だからなあ……」

「っておい!!」


 蒸し返すな! 頼むから!


「全く……」


 俺は足元を見ながらため息をついた。変に勇気づけたり、逆に現実を直視させるのは、酷いことなのだろうとは想像がつく。しかし当然ながら、俺には臨床心理士の資格はない。

 どうやって現実との折り合いをつけ、麻耶を、可能であれば美耶を合わせた二人を、社会復帰させるべきか。


「なあ、麻耶」

「何だよ、変態」


 我慢だ。我慢しろよ、俺。


「お前、今一番何がしたい?」

「何って言われてもなあ……」


 麻耶は自分の後頭部をがりがりと掻いた。


「まあ、あたいにだって、このままじゃいけない、って意識はあるよ。でもなあ……」

「でも?」

「この状況を脱するのに、変態の世話になってからってのは寝覚めが悪いぜ」


 くーーっ、悔しい!! 俊介、耐えるんだぞ……。


「あ、そうだ!」

「何かあったのか!?」


 はっと顔を上げる俺。驚き半分、希望半分で。

 何もやりたいことが見つからない、というのが、生活していく上で一番の問題だ。大切なのは、望んだり生きたりすることに飽きないこと。そんな気持ちを麻耶が持ってくれたのなら、俺たちの関係は一歩前進――。


「テキーラ、まだ残ってた。飲んじまうわ」

「どはあーーーっ!!」


 俺はその場にズッコケた。慣れた所作で酒瓶に手を伸ばす麻耶。酒が飲みたい、ってのが『一番したいこと』だったのか。おいおい、前途多難だな、こりゃ。

 そんな俺の苦悩など微塵も感じていない様子で、麻耶は酒瓶を取り出す。


「お、まだ半分残ってんじゃん」


 麻耶はテキーラの瓶と、小さ目のコップを用意した。


「ほれ」

「あ、俺?」


 目前に突き出された、ガラス製のコップ。


「せっかくなんだし、一緒に飲み明かそうじゃねえか」

「はあ!? まあ、俺酒には弱くないけど……」


 しかし度数四十度を、水も氷も加えずに飲むとは。


「決定! さ、遠慮なく飲め!」

「な、なあ、アキは……」


 一度振り返り、アキの方を見たが、アキはゆっくりと首を左右に振るだけ。

「ああ、ショットガン兄貴のぶんはカウントしてねえよ。いかにも酒に強そうだから、面白いリアクションは期待できねえし、飲んだらテンション落ちる人種みたいだからな。さ、再会を祝して乾杯だ、俊介」

「お、おう、乾杯……」

「かんぱーーーい!!」


 麻耶は、その液体がミネラルウォーターでもあるかのように、喉を鳴らして飲んでいく。俺はといえば、刺激臭のする液体を、それの入ったコップを両手で握りしめることで手元に置いていた。


「おらおら、俊介も飲みなって!!」


 やむを得ず、コップの淵に口を近づける。と、その時、同時に二つのことが起こった。

 一つは、漂ってくるアルコールの香りに俺が鼻を突っ込んでしまったこと。

 もう一つは、これが麻耶との間接キスになる、ということを意識してしまったことだ。

 結果俺は、


「ぶふっ!!」


 と口に含んだ分のテキーラをリバースし、


「あっ、俊介!! 何してやがる! もったいねえ!」


 との怒声を浴びることとなった。


「ここに住んでるのだって、贅沢は言っていられないんだぜ? ただでさえ酒と、皆の分の薬物取引で消えちまうってのに……。酒くらい大事にしろ!」

「なんで未成年で飲酒をしてるお前に言われなきゃならん! 理不尽だ!」

「ふん、ちょうどいい。反省しろ、変態」


 畜っ生―――!!


「で、あたいらはどうしたらいい?」

「は?」

「おい、『は?』じゃねえよ変態!! お前ら、あたいたちを助けにきたんだろ? 誰も頼んでないけどな」


 そいつはもっともだ。


「ま、まあ、常日頃のお前らの生活を観察して、何かしら折り合いをつけていくよ。それしかねえだろ?」

「つ・ま・り」


 麻耶は、赤くなる気配など微塵もない、しかし確かな酒臭さを漂わせながら、顔をずいっと近づけた。


「しばらくあたいらの行動を拝見、ってわけだな?」

「ん、ああ、そういうことに――」

「ケッ、やっぱ変態じゃん、変態は」


 次の瞬間、


「うおあああああああ!!」


 俺は全身を震わせながら雄叫びを上げた。さすがに麻耶も、びくりと肩を震わせる。


「うるっせえんだよ麻耶!! 人を変態変態変態変態、散々罵倒しやがって!!」

「へ、へんた……じゃない、俊介……?」

「いいか、ぺったんこのガキ大将!!」


 俺もまた、少し身体を屈めるようにして麻耶に顔を近づける。


「俺はただのお守りじゃねえ、お前の社会復帰を望んでここに来てるんだ! まあ半分は、そこにいるターミネーター紛いの奴に巻き込まれたんだがな!!」

「あ、そ、そうだったの……?」


 形勢逆転。


「今まで俺は、人に流されるままに生きてきた。大学だって二浪したし、入学したからと言ってろくに講義にも出ちゃいねえ。でもな、目の前で死にたがっていたり、自分の未来を棒に振ろうとしたりしている奴を見ると、そう、胃袋が燃え上がるようにムカついて、キレちまって、そして――」


 俺はすっと息を吸って、


「……寂しいんだ」


 あれ? きちんと息を吸ったはずなのに、最後の一言だけ小声になってしまった。麻耶の顔から目を逸らし、俺は麻耶のブーツに視線を落とす。ずずっ、と鼻水をすすりながら、涙が出そうになっているのをなんとか持ちこたえようとした、その時。

 麻耶のブーツが一歩、こちらに近づく。目の端で、麻耶の腕が上がるのが見える。俺の胸に、麻耶の頭が当てられる。

 俺が麻耶に、抱きしめられている……?

 すっと俺の後頭部に、麻耶の腕が回される。


「ごめんな、俊介。あたい、ずっとあんたらのことを疑ってたんだ。今までもこうやって、カウンセラーだの警察だの、やって来ることはあったしな」


 いずれも追い返したというから、すごい話だ。二人一組で行動している警官だって銃で脅されれば逃げ腰になるだろうし、カウンセラーなんてツナギ二人組にかかればすぐに追い返されるだろう。

 そもそも、ここに麻耶と美耶がいるという確証を得ている人間がどれだけいるのか、怪しいものだが。


「俊介、話さなくてもいいよ。でも、あんたにも経験があるんだね? 大事な人に見捨てられた過去が」

「あ、うん、まあ……」

「じゃあ、お互い様だ」


 そう言って麻耶は俺の胸から顔を離し、微笑んで見せた。その笑顔は、どこか大人びていて、でも幼さが残っていて、そして俺の心の傷を優しく包み込んでくれるような深みがあって。

 その瞬間、ドクン、と、一際大きく俺の心臓が躍動した。

 何だ? 俺は何を考えている? まさか、いや本当にまさかとは思うんだが……。

 俺はぶるぶるとかぶりを振って、『その考え』を却下した。

 だってそう簡単には言えねえだろ? 『惚れました』なんて。


「いや、違う。こんなはずは……」

「ん? どうした俊介?」


 小声で呟く俺を、心配げに見つめる麻耶。


「……何でもない。忘れてくれ」


 自分でもこんなか弱い声が出せるのかと半ば驚きつつ、俺はそう言って視線を逸らした。


「ふーん、変なの」

「変なのは元からの俺の性分なんだ」

「だろうな」


 僅かな沈黙が舞い降りる。


「で、今日はこれから何をするんだ?」

「とりあえず表に出よう。この部屋、ビルとビルの境目にあるから、暗くてしょうがねえんだ」

「それもそうだな」


 正気を取り戻した俺は、素直に首肯する。


「美耶、お前も来るか?」


 優しげな麻耶の声音。俺もそちらに視線を遣ると、布団から美耶が顔を出して、無言のまま俺たちを見つめていた。


「留守番の方がいいか?」


 麻耶の再びの問いに、美耶はこくこくと小さく頷いた。


「たまには顔出せよ、皆心配してるんだから。さ、来いよ、俊介」

「あ、ああ」

「ショットガン兄貴は……まあ、適当なところで警備についてくれ」

「了解した」

「あたいから攻撃許可を出す。挙動不審な奴がいたらぶっ放せ!!」

「了解した」

「っておい!!」


 ドアを開きかけた麻耶の背中に、俺は声をぶつけた。


「お前それって……。自分が昨日みたいなドンパチを見たいから言ってるんじゃねえだろうな?」

「え、ダメ?」

「ダメに決まってんだろうが!!」


 俺は口角泡を飛ばしながら、


「こいつは護衛! 戦闘員じゃな――」

「にしちゃあ随分と手馴れた動作だったじゃないか? 昨日の銃撃戦。こっちがゴム弾を使っているとしても、ほぼ実銃に近いものに撃たれて痛そうな顔一つしない。こいつ、一体何者なんだ?」

「あー……えーっとだな、こいつは……」

「俺はターミ――」

「嘘つけ!!」


 俺は思いっきりアキの脛を蹴っ飛ばしたが、その屈強な身体はビクともしない。

 絶対遊んでるよな、コイツ。


「ま、いいや。あんたらから無理に話を聞こうとは、あたいも考えてないよ」


 それは助かる。


「じゃ、行こうぜ」

「お、おう」

「了解した」


 こうして俺たちは雑居――というか廃ビル内の隙間を出て、再び空の元へ出た。まだまだ日の出には時間がある。ビルの屋上に切り取られた夜空に、星が瞬く。


「おっと」


 ぼーっとしていた俺は、前を行く麻耶にぶつかってしまった。しかし、


「わ、悪い」

「いや」


 麻耶は何ともないように、振り返りもせずにいた。その視線の先にあるのは、


「綺麗……」


 俺の目の先にあるのと同じく、星空だった。

 中央繁華街からは、とても拝むことができない夜空。俺は軽く膝を折り、麻耶の隣に並んだ。


「真夏の三角形、だな」

「うん」


 こくり、と素直に頷く麻耶。このビルの合間から見える三角形の角は二つだけだったが、それでも十分な輝度を誇っていた星々は、だいぶ見応えがあった。

 俺は麻耶を急かすことなく、そんな麻耶の横顔をずっと見ていた。先ほど抱きしめられた時はドキリとしてしまったが、今はどこか、胸が温まるような穏やかな感覚に包まれていた。

 すると唐突に麻耶はこちらに振り向き、


「あんた、いつまで見てんの? ってか、いつからあたいの顔なんて見てたの?」


 え、『いつから』って言われても……。


「そ、そんなの人の勝手だろ!? 何を見ていようが」

「また『変態』って呼ぶよ?」

「勘弁してください」


 俺は麻耶の前に回り込み、土下座した。完全敗北だ。すると、


「ぷっ、くくく……はははは……」

「何だよ!」


 俺は勢いよく立ち上がった。


「人が土下座してんのに、笑うこたあねえだろ!?」

「だってさあ、弱み握られてへいこらするのって、馬鹿な『大人』のやることじゃねえか? あんまり馬鹿馬鹿しくてさあ!」


『いやー、悪い悪い』と、腹を抱えたまま繰り返す麻耶。

 ん? 待てよ……?


「麻耶、お前は大人が嫌いなのか?」

「当ったりめえじゃん。あんなに信用できねえ生き物、他に思いつくかあ?」

「ん……」


 俺は首を縦にも横にも振れなかった。仮にも俺は二十歳過ぎ、一応『大人』にカテゴライズされてしまう。そうは言っても、麻耶がそこまで気にすることはないだろうな。


 とは言っても、やはり麻耶より歳をくっている身としては、なかなかヘヴィーな話題だな。何とか変更せねば。しかし心配するまでもなく、麻耶の方から新たな話のネタが飛んできた。


「でも、ぼんやり夜空を眺めるなんて、元から好きだったのか? 天体観測とか?」

「いや、特別ってわけじゃないが、高校時代は天文部にいたな」

「サークル?」

「ああ」


 すると麻耶は『ふむ』と唇に人差し指を当て、


「俊介、あんた意外と、ロマンチストなんだな」

「はあ!?」


 俺は麻耶の言葉を否定するべく、あたふたと両手を振り回した。


「どっ、どどどどうして俺がロ、ロマン、ロマンチストなんだよ!?」


 すると麻耶は目を点にして、


「何でそんなに慌ててるんだ? いいじゃん、ロマンチスト」

「い、いいのか!?」

「そりゃあそうだろう!」


 麻耶はありもしない胸を張った。


「だってロマンチストってさ、いつでも現実遊離できるじゃん」


 どういう意味だ?

 疑問が顔に出たのだろう、麻耶は『そんな膨れっ面すんなって!』と言って手をひらひらと振った。


「だって、現実遊離ができるってことは、いつでも自分の世界に没頭できる、ってことだろ。たとえ世界が、どれほど残酷でも」

「ざ、残酷……?」


 突然の鋭い言葉に、俺は少しばかり狼狽えた。俺と目を合わせながら、細い目を糸のようにする麻耶。


「あたいや美耶にとって世界がどう残酷なのか、ってことはさっき話したろ? もちろん、こういう状況を活かして悪党になっちまう奴、ってのもいるんだろうけどな。親からホイホイ金を引き出せる状態で家出してるわけだし。まあ、あたいはヤクはやらねえから、部屋代以外は皆に分けてやってるんだけど」


 そばに座り込んで何かのクスリを注射している不良の一人を見ながら、麻耶は言った。麻耶の姿に、軽く頷いてみせる頬のこけた不良。


「じゃあ、お前がボスなんだな、キラキラ通りの」

「は?」


 麻耶はふとこちらに顔を向け、


「違えよ。神崎の姉御がいる」

「何? 『神崎の姉御』?」

「たまーに来るんだ。あたいたちを住まわせてくれたのも姉御だし。命の恩人みてえなもんかな」


 ふうん、と息をついて、俺は視線を前方に戻した。


「おっと、ちっとばかし話がズレたな。そう、ロマンチストの話だ」

「そう! だから俺はロマンチストなんかじゃ――」

「どうしてそんなにロマンチストを嫌うんだ?」


 俺は再び麻耶に向かい、両腕を広げながら、


「ロマンチストが嫌いなんじゃない、ロマンチストにされるのが嫌いなんだ!」

「かーっ、面倒な奴……」


 麻耶は自分の額をぴしゃりと叩いた。


「お前は俺の事情を知らないからそんなことが言えるんだよ! 俺の――」


 と言いかけて、俺の喉から上は固まってしまった。と同時に、ある考えもまた生まれた。この事実を麻耶に語る日がいつか来るのだろうか、と。

 しかしそんな考えが脳裏をよぎったのは一瞬のこと。『俺の』と言いかけた直後に、


「むぐ!?」


 俺は麻耶に掌で口を封じられた。


「わ、悪い、俊介にも事情はあるんだもんな、無理に聞こうとはしないって約束だったのに。すまねえ」

「んむ……あ、ああ」


 手を離し、再び前方に目を遣る麻耶。公園状の広場はもうすぐだ。

 と、その時だった。


「ん?」

「どうした、麻耶?」

「あんたらはここで待ってろ」


 すると、一体いつの間に仕込んでいたのか、拳銃――実銃を取り出した。


「な、何だよ!?」

「シッ!!」


 麻耶は俺たちを後ろへ押しやり、ビルの影と、その影に切り取られた照明の織りなす光の境目に顔を出した。ごくり、と唾を飲んだ――のは俺の方だ。

 すると全く唐突に、麻耶は拳銃を握ったまま飛び出した。広場に出る。

 銃声が響いたのは、まさに同時。しかも麻耶の拳銃とは違う、ピシュン、という消音器つきの銃声もする。跳弾が俺の足元のアスファルトを穿ち、


「ひっ!」


 硝煙の煙が上がる。

 その後も銃声は響き合い、潰し合い、ぶつかり合った。実際はほんの三十秒ほどの間だったが、俺は恐怖で半ばパニック、冷静に時間を測ることなど不可能。   ショットガンを取り出したアキに後ろ襟を引っ張られ、


「あいてえ!」


 尻から地面についた。


 ここから先は、後で麻耶が説明してくれたところによる。

 麻耶がいつも座っているソファに『相手』は座っていた。それを目視した麻耶は、愛用のリボルバー拳銃で攻撃を開始。飛び出した瞬間に相手の眉間を撃ち抜くつもりだったが、相手は背中に重心をかけ、ソファごと後ろに倒れ込んだ。

 相手はごろりとソファの陰から転がり出て、オートマチック拳銃で牽制。麻耶は小回りの利く自分の全身を使い、銃撃しながら側転し、広場の反対側のビルへ。そのビルのドアを引き開け、盾代わりにするも呆気なく貫通され、『リロード!!』と叫んだ。


「どうやら勝負がついたようだ」


 広場に顔だけ出しながら、アキは言った。耳を塞ぎ、うずくまっていた俺は


「どはあっ!!」


 と息の塊を吐き出し、四つん這いになって荒い呼吸を繰り返す胸を押さえた。


「何だったんだ、今のは……」


 すると見ている前で、麻耶と『相手』は無防備な体勢で近づき、すっと手を差し伸べ合った。


「腕を上げたね、麻耶」

「神崎さん、来るなら一本連絡くらいくださいよ……」


 神崎? 今話題に上がっていた、あの『神崎』さんのことか?


「ああ、悪い悪い。ちょっと盗聴される恐れがあったんでね」

「公安にでも?」

「ああ。尻尾は掴まれてないけど、尻尾の毛を二、三本採取されたかもしれない」

「公安かあ……。また厄介ですね」


 などなど恐ろしい会話を交わす二人。だが、雰囲気は穏やかだ。話しかけるなら今だろう。


「この人が、神崎、さん?」


 俺がアキの陰からそっと顔を出すと、


「ああ、紹介します。こっちのおっさんはショットガン兄貴。このショットガンは空砲ですけど、圧縮空気の威力はなかなかのもんです」

「ほうほう。で、陰にいるのは?」


 ギクッ。


「俊介って奴です。あたいたちを助けに来たらしいんですけど、あんまり進んでないですね。正直、何でここにいるのか分かりません」

「へ~え。珍しいことをする人がいたものだね」

「ちょ、ちょっと待ってくれ、何の話だか……」

「それより挨拶が先だね。私は神崎龍美。一応ここのボス、っていうか、時々遊びに来てる。よろしく」


 長身で痩躯の女性。サッパリとまとめられたポニーテール。知性の光を湛えた瞳。


「よ、よろしくお願いします……」


 アキに続いて、俺は手を差し出した。先ほどまで実銃を握っていたとは思えない、柔らかくて温かい手だ。

 近づいてみて、俺は神崎龍美なる女性の醸し出す場違いな雰囲気に気がついた。

 こんなところに来ているというのに、服装は若干フォーマルなのだ。薄手のカッターシャツの上に、肩までで切れた紺のベスト。それに合わせたような、一見地味なスラックス。ガンベルトは腰ではなく、肩から提げるタイプを使っている。

 それにしても、まさか麻耶が敬語を使う相手に出会えるとは。正直、麻耶のキャラが揺らいだが、


「おら、あんたらも自己紹介しな!」


 ああ、やっぱりいつもの麻耶だ。

 俺とアキは簡単な自己紹介を済ませ(アキが人工知能であることは伏せたが)、俺より頭一つは背が高い神崎に頭を下げた。


「そんなにかしこまらなくてもいいんだよ、俊介くん。君は麻耶に気に入られているようだからね」

「え? は、はい!?」

「ちょっ、何言ってるんですか神崎さん!!」

「麻耶、素直になりなって。でないと俊介くんの頭の風通しがよくなっちゃうよ?」

「ひぇっ!」


 俺は顔から血の気が引いた。と同時に、麻耶の顔は紅潮した。さすがに先ほど抱き合った仲としては、否定できないことではあるが。


「神崎さんも、彼氏でも作ればいいんですよ! ちょっと待っててください、美耶を呼んできますから」

「ういーっす」


 ずかずかと麻耶が去っていく後ろ姿を見ながら、神崎はひらひらと手を振った。

 麻耶の姿が消えてから、


「よいしょっと……」


 神崎はソファを元に戻した。


「俊介くん、君も座りなよ。足元ふらついてるよ?」

「あ、はい、そうですね……」


 別に恐喝されたわけではない。脅しをかけられたわけでもない。ただ、あれだけの銃撃戦をやってのけた神崎なる人物に、逆らってはいけないのだという本能が、俺の脳内で警鐘を鳴らしていた。

 俺は素直にお言葉に甘えることにした。でも、『足元ふらついてる』って……。先ほどのお二人の銃撃戦がすごすぎて、怖くて震えているんです、とはとても言えない。

 恐る恐る、神崎の隣、と言ってもソファの端っこに腰を下ろす俺。すると神崎は俺の心を読んだのかのようなことを言い出した。


「そんなに怖がらないでほしいな。さっきのは、私と麻耶の挨拶みたいなものだから」


 ……って余計怖いわ!!

 ただ、シャープなイメージの神崎が柔らかい笑顔を浮かべていたので、俺はジリジリと少しずつ、神崎との距離を詰めた。すると、神崎はとんでもないことを何ともないような顔で行い始めた。どこに仕舞ってあったのか、注射器を取り出したのだ。

 慣れた手つきで、腕に針を突き刺す。普通なら止めに入るべきところだ。が、繰り返すようだが相手は立派なガンスリンガーなのだ。とても『止めた方がいいですよ』とは言い出せない。


「俊介くん」

「はぁあぁい!!」


 何とか恐怖の念を抑え込もうとして、奇声を上げる俺。


「質問が二つあるんだけど、いいかい?」


 その物腰の柔らかさに、俺は再び落ち着きを取り戻そうとした。


「なっ、何でしょう?」

「君は、酒や煙草やクスリの経験はあるかい?」

「酒は時々飲みますけど……。煙草とクスリはやりません」

「そうかそうか」


 納得した様子で頷く神崎。その手には、いつの間にか注射器ではなく煙草が握られており、もう一方の手には百円ライターがある。これまた慣れた所作で一服した神崎は、俺に煙がかからないように注意しながら、ふうーーーっと灰色の息を吐いた。


「えっと……もう一つの質問って――」

「君、麻耶に気はあるかい?」

「ぶはっ!?」


 突然何を言い出すんだ、この人は!? 唐突にもほどがある。『んなことあるわけないでしょう!?』と反論しかけて、しかし俺は、今日の麻耶との遣り取りを思い返してみた。

 恋愛感情か否かは別として、この僅か二日間のうちに、麻耶と俺の間に何らかの絆が生まれたのは事実だ。その――麻耶の境遇を聞いたり、抱きしめられてみたり。


「俊介くん? 俊介くーん」

「はっ、はい!!」


 今度は運動部のノリの返事になってしまった。俺の顔を覗き込んだ神崎は、美人の部類に入るであろうその顔を俺に近づけた。と思うとぱっと顔を離し、


「ああ、ごめんごめん。こういうことはよく考えてから答える必要があるよね。失敬!」


 と言って俺に軽く手を合わせた。

 そのいかにも気遣わしげな、それでいてひょうきんな神崎に、先ほどまでの恐怖感はどこへやら、俺は自分から神崎に声をかけていた。


「あの、神崎さん」

「ああ、『龍美』でいいよ。君は麻耶の恋人――でなくとも友達だろう? もっと馴れ馴れしくしてくれて構わないよ」

「いえ、な、何となく……」


 すると神崎はふふっ、と笑って、


「君は真面目だなあ」


 いえ、呼び捨てにする度胸がないだけです。


「で、何だい? 質問があるんだろう?」

「あっ、はい」


 俺は神崎と目を合わせた。


「あなたがここのボスだって聞きましたけど、どうなってるんです? ここの序列関係というか」

「いや、そんなものはないよ」


 笑みを深めながら、


「皆が好きなことを好きなようにやる。それだけさ」

「でも、クスリは危ないんじゃ……」

「オランダでは、危険なクスリの使用を防ぐために、あまり刺激のないクスリの使用は許されているんだ。ここの皆が使っているのはそれに準拠している。安上がりだし、麻耶の両親のくれるお金も多額だし。まあ、大丈夫なんじゃないかな」


 それから俺は、ずっと聞きたかったことを神崎に投げかけた。


「どうして月野姉妹を助けたんです? 住めるところを探してあげたんでしょう?」

「うん。両親との確執、っていうのは誰しもあるからね。それがあまりにも酷かったんだ、麻耶たちは。だから仲間に入れてあげたんだ。ここなら警察もなかなか入ってこられないしね。ああ、言っておくけど――」


 煙草の灰をトントンと叩いて落としながら、


「拾ったとか、そんな言葉は使わないでくれよ。同情臭くて、嫌いなんだ」


 ああよかった、危うく『拾った』って言葉、使いそうだったぜ。


「銃の使い方もあなたが?」

「うん。飽くまで護身用にね」


 その言葉に、俺は違和感を覚えた。

『護身用』だって? バンバン撃ち合っていたじゃないか。そんな危険な道に、麻耶を誘ったというのか? 

 神崎に親しみを覚えていた俺は、しかし、ここに至って真逆の感情を抱いた。

 怒りだ。先ほどまでの恐怖感はどこへやら、俺の体内の血という血が沸きたつようだった。


「神崎さん、あなたは麻耶に……!」

「ん? どうしたんだい?」


 俺はダン、と足の裏を叩きつけるようにして立ち上がった。


「あんたが麻耶に拳銃の使い方を教えたんだな!? あんな危険な……!」


 と言いかけたところで、ぐいと襟を掴まれた。神崎に、ではなく、後ろで待機していたアキに。


「アキ!! 何しやがる!!」

「君では彼女には勝てない。致命傷を負うか、下手をすれば殺される」


 俺を後ろに追いやりながら、背中のショットガンに手をかけるアキ。


「そんな物騒なこと、私はしないよ」


 カラカラと笑いながら、神崎はガンベルトを外してソファに置いた。


「大丈夫だよ、ショットガンの兄貴。私は丸腰だ」


 両の掌を上に向け、肩を竦めてみせる神崎。しかしその時、


「あっ! あんたら何やってんだよ!?」


 麻耶がビルの隙間の暗がりから出てきた。後ろには、二本のおさげが揺れているのが見える。美耶の手を引きながら帰ってきたらしい。


「ほら美耶、神崎の姉御だよ」


 すると美耶は、じりじりと神崎に近づいた。彼女もやはり、拳銃が怖いのだろうか。


「美耶ちゃん! 見ない間に大きくなったなあ!」


 満面の笑みで両腕を広げてみせる神崎。その姿に、ようやく警戒心が解けたらしく、美耶は微笑しながら神崎の胸に飛び込んだ。

 その光景を満足気に見守る麻耶だったが、俺は気づいてしまっていた。

 左足の動きが鈍い……?

 俺は麻耶に耳打ちするようにして、


「なあ、その足、どうしたんだ?」

「え? 足だって? 何の――」

「誤魔化すな。さっき神崎さんに撃たれただろ?」

「なあに、このくらいの傷、いつでも負うさ」


 その言葉に、俺は戦慄した。

『いつでもこんな傷を負う』だって!?


「冗談じゃねえよ!!」


 突如として、俺は大声を張り上げた。


「いっつもこんな怪我してたら、いつか死ぬぞ!! なのにどうしてそんなことをするんだ!? 自分の身体だぞ、親にもらったもんだろうが!!」


 と言った直後、俺は内心『しまった!』と思った。


「何? 『親からもらった』だと?」


 そう。そのフレーズが、麻耶にはたまらなく屈辱的であろうことを、怒りのあまり忘れていたのだ。


「ああそうかい、あんたは大学生、いいところのお坊ちゃんだもんな、そう感じるだろうよ。けどな!!」


 麻耶はずんずんと俺に近づき、掌で俺の胸板を押した。


「あたいらはあんたなんかとは違う! 親から大事なものを貰いそびれてる! 『感情』だよ俊介、『感情』だ!!」


 敢えて『愛情』と言わなかったところに、俺は麻耶の意地を見たように思った。一番欲しがってるくせに。


「あたいとしたことが……。迂闊だったよ。少しでもあんたに同情しそうになっちまったことが」

「同情なんかじゃねえ!! 俺にだって、俺にだって『感情』を潰された原因が――」

「じゃあ何だよ、その『原因』って? あたいは話したぞ、あたいらの両親がいかに酷い奴だったか!! あんたは自分の話をしない。いや、できねえんだ!! 口に出して明確にするのが怖えんだろ!! 違うか!? この臆病者!!」


 変態の次は臆病者ときたか。こいつはもうどうしようもないな。


「……帰るぞ、アキ。もう十分だ」


 俺はすっと身体を半回転させ、来た道に足を向けた。アキもそれにしたがう――はずだったが、ズドン、という銃声に、俺は思わず振り返った。

 次の瞬間、俺の足元で火花が散った。跳弾したらしい。いや、そんなことより、


「おっ、おい、誰が撃って――」

「よせ、麻耶!!」


 カシャッ、とオートマチック拳銃のスライド音がした。神崎が拳銃を構えたのは、銃声がしてからのこと。間違いない、撃ったのは麻耶だ。振り返ってみれば、そのリボルバーの銃口から硝煙が立ち上っている。


「麻耶、お前!!」


『俺を殺そうとしたのか?』と尋ねようとした時、


「伏せろ!」

「ぐえっ!」


 今日一番の勢いでアキが俺を突き飛ばし、うつ伏せにしてからショットガンを構えた。

 ここにいるのは五人。殺傷武器を持っているのは三人。殺気だっているのは一人。

 麻耶はアキを、アキは麻耶を狙っている。神崎はそっと銃口を下げ、麻耶の足元を狙っているようだ。致命傷を避け、後遺症も残さずに麻耶を止めるにはいい狙いだが、足を掠めるように撃つのは至難の業だ。

 しかし、アキが撃たないのはどういうわけか。ショットガンから発射されるのは飽くまで空気砲。一番殺傷性が低く、汎用性は高い。


「アキ、早く麻耶を……」


 しかしアキは、無言でショットガンを構えたままだ。何故撃とうとしないんだ?


「落ち着け、麻耶。銃を仕舞って、アジトに戻れ」


 淡々と命令口調で麻耶に語りかける神崎。だが麻耶は、アキの足の間で横たわる俺に視線を突き刺している。これではアスファルトに縫いつけられそうだ。


「もう日の出も近い。シャワーで頭を冷やして、ゆっくり眠れ」

「そこでへばってる奴の脳天をぶち抜いたら、家出前みたいにスヤスヤ眠るよ」


 俺はようやく気づいた。自分の全身が汗だくであることに。シャツが肌に張りつき、呼吸も荒く、吐き気がする。頭痛も多少。一部の隙間もなく、あらゆる方向から槍や銃剣を突きつけられてるような気分だ。肌全体がヒリヒリし、手先や足先が震えだす。


「くっ……」


 俺は目をぎゅっと閉じ、拳を握りしめた。

 その直後、銃声が響き渡り――はしなかった。美耶の、悲鳴によって。


「皆、もう喧嘩は止めてよ!!」


 その声に、アキ以外の全員が固まった。

 しばし沈黙する俺たち。聞こえるのは、嗚咽混じりの美耶の呼吸音だ。


「あっ」


 神崎の手を振り払い、美耶は麻耶に抱きついた。


「お姉ちゃん、もう止めよう? 私たちが喧嘩したら、私は誰を頼ればいいの? パパとママみたいな、変な大人たちのところに行くことになっちゃうよ?」


 それから思いっきり、


「だから皆、止めてよッ!!」


 その悲鳴にも似た叫びは、どんな弾丸よりも鋭く俺たちの胸を貫通した。俺は馬鹿みたいに顎を外し、麻耶は拳銃の狙いを大きく外した。アキと神崎の二人は、狙いこそ外さなかったものの、引き金を引くに引けない状態になってしまったように見える。


「み、美耶……」

「もう、もう止めて、もう……」


 おさげをゆらしながら、美耶は自分の顔を麻耶の肩に押しつけた。

 麻耶は俺を一瞥し、ギリッ、と短い歯ぎしりをしたが、すぐに銃口を下に向け、ガンベルトに収めた。神崎も、それを見届けたようにするりと拳銃を引っ込める。アキはぐるん、とショットガンの銃身を回し、背負い込んだ。


「俊介くん、アキくん、今日のところは引き揚げてもらえるかい? どうにも雲行きが怪しいのでね」


 神崎の言葉は柔らかだったが、その目はまだ警戒を解いていないものだったと思う。『思う』というのは、俺にはその時の神崎を見返すだけの勇気がなかったからだ。


「俊介、帰るぞ」


 相変わらず重苦しい声音で、アキはそう告げ、俺の片腕を引いて立たせた。その間、ずっと美耶の嗚咽が続いていたのは言うまでもない。

 神崎に対する俺の返答を待っていたのだろう、俺は


「……はい」


 と告げた。

 俺は踵を返し、アキもそれに続く。

 全く、なんでこんなことになっちまったんだ……?

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