【第四章】

 沈黙が、俺の部屋を支配している。互いにテーブルの反対側になるように座っているのは、俺と、デフォルトの少女姿に戻ったアキだ。俺はあぐらをかいて胸の前で腕を組み、アキは正座して俯いている。そんな状態が、陽が昇っても続いていた。

 沈黙していると言っても、何の気配もないというわけではない。言葉を交わさないだけで、俺たちの『思考』は部屋に充満し、二人の胸を締めつけていた。

 その『思考』。一言で言えば、『月野麻耶救出作戦における失態に基づく悔しさ』から派生したプレッシャーだ。とは言いつつも、以前のように互いを責め合ったり、怒鳴り散らしたりするようなことはしていない。まあ、『どうにか次の手を打とう』という気になっているあたり、俺たちも少しは成長したということか。


 どのくらい二人で黙り込んでいたのか定かではないが、口を開いたのは俺の方だった。


「エアコン、つけるか」


 こくり、と頷くアキ。軽い空気の流れる音がし始めて、同時に沈黙も破られることとなった。


「やっぱり私、麻耶を撃つべきだったのかな……」

「いや、一概にそうも言えねえだろう。美耶を撃っちまった、って前科があるし」


 そう。これ以上下手に暴力沙汰を起こせば、麻耶の俺たちに対する信頼は失墜するばかりだ。実際あの場にいた時は、俺は何故アキが発砲しなかったのか訝しんでいた。だが、やはりアキも慎重にならざるを得なかった、ということは明確な事実だと思う。


「俺の方こそ」


 俺は力の入らない身体から声を発した。


「俺が麻耶に、両親のことを思い出させちまったから……」

「そんなこと――」


 とアキは言いかけたが、確かに麻耶に接する上で、俺に非があったと認めざるを得なかったようだ。続きは胸の奥に仕舞い込み、俺から視線を逸らす。


「ごめん」

「何がだ?」

「本当に言いづらいんだけど……」

「だから何だよ?」


 すると、アキは自らの短髪に指を通し、


「今晩は、麻耶の救出任務につき合えない」

「えっ?」


 俺は自分の足元から、自分の居城が崩れ去っていくような心細さを覚えた。


「そんな、どうしてだよ!?」


 慌てて声を張り上げる。


「本当にごめんなさい、私が相手にしてるのって、あなたたちだけじゃないから」


 ああ、確かに出会った時に言っていたな。『心理的弱者と健常者をペアにして、二人三脚で人生を歩んでいけるようにする』と。無責任だと言えばそうかもしれないが、アキとて時間に縛られる存在だ。アキを俺と麻耶のペア専属にはできないだろう。


「まあ、今晩は俺が何とかする。お前も無理すんなよ」


 再びこくり、と頷くアキ。


「じゃあ……」

「ああ」

「腰を上げ、廊下を進んでいくアキを、俺は玄関まで見送った。


         ※


「おっ! 旦那、ご苦労様です!」

「お、おう」

「麻耶姉のところっすね! ご案内致しやす!」

「ああ、悪い」


 キラキラ通り入り口、ツナギ二人組との会話。


「あれ? ショットガン兄貴は?」

「ん? アキか。えっと、あいつはだな……」


 正直に答えるわけにもいかないので、


「アメリカに一時帰国することになった。今出立の準備に追われてるんだ」


 と言ってみた。露骨に肩を落としすツナギ二人組。


「兄貴のショットガン捌き、また見たかったなあ……」


 おいおい、ありゃあ見世物じゃないんだぜ。


「まあ、旦那お一人の方が、俺らも変に緊張せずに済みます。お好みは?」

「は?」

「スピードとか、あ、昔は皆アンパンって呼んでましたね。あとハッパの種類は――」


 その後、二人は交互に俺の知らない単語を並べ立てた。それが危険ドラッグの名前であろうことは容易に想像がつく。


「おい、他に何かあったか?」

「いや、今ここにあるのはこんなもんだろう」


 二人は顔を見合わせてからさっとこちらに振り向き、


「で、どうしやす? 旦那」

「あー……。俺はクスリやハッパはやらないんだ」


 二人はぱっと驚いた顔をして、


「さ、左様でしたか! ご無礼を!」

「いや、いいんだ」

「おい、代わりにテキーラをお持ちしろ!」

「あーもう! 俺はミネラルウォーターでいいよ!!」


 何だかやけっぱちになった時の飲み会のノリだが、今の気分で酒は辛い。喉が渇かないよう、これだけを注文した。

 ペットボトルを揺らしながら歩いていくと、


「あっ、神崎さん」

「やあ、俊介くん」


 広場では、神崎が一人で煙草を吸っていた。麻耶たちのアジトに通じる扉に背を預けるようにして、柔和な笑みを浮かべてくる。

 普通だったら、また麻耶が飛び出してきて銃撃戦になるんじゃないか、などと思うところだ。だが、今の神崎の表情から、俺は不思議な安心感を覚えていた。今日はドンパチが起こらないような雰囲気だ。飽くまで俺の勘だが。


「麻耶は今日はいないんですか?」

「いるにはいる」


 頷いてみせる神崎。


「そうか、アキくんは今日はいないのか。なら、私と俊介くんで麻耶の元を訪ねてみないかい? 会って喋って、問題はそれからだ」


 俺は無言で首を縦に振った。


「んじゃ」


 神崎に先導されて、俺は再び狭苦しいビルの間に足を踏み入れた。


「おーい、神崎だよー」


 そう言いながら、神崎は拳銃を取り出し、グリップで扉を無造作に叩いた。金属音が、扉の向こうで反響する。すると、


「姉御一人か?」


 との返答。麻耶だ。


「いや、俊介くんも一緒だ」


 という返答の重なり合いの末、僅かにドアが開かれ、麻耶の瞳がこちらを窺ってきた。


「美耶がようやく寝ついたところだ。広場で待っててくれ」


『美耶に余計な心配をかけたくない』というのが、麻耶の言わんとするところなのだろう。

 

 俺と神崎は、再び廃ビルの合間を歩いていた。人間二人が並んで歩くのに、ちょうどいい道幅だ。


「そうそう、せっかくだから俊介くん」

「はい?」

「少し私の話を聞いてみてくれないかい」

「はあ」


 俺は、自分の後頭部に腕を回したまま返事をした。しかし、次の瞬間、神崎から発せられた言葉は、そんな安易な態度で聞けるものではなかった。


「君は『死ぬ』ってどういうことだと思う?」


 唐突な問いかけに、俺は


「とっ、突然何を言い出すんですか!?」


 慌てた俺は咄嗟に神崎の腕を取ろうとしたが、神崎はするりと通り抜けてしまった。神崎の背中から、言葉が投げかけられる。


「いや、あまりに突然だったようだね。失敬」


 語るテーマに比べ、神崎の落ち着き払った態度は絶妙なギャップを生み出していた。そのギャップが、俺の神経を逆撫でする。そして、次の瞬間だった。


「私は一回、死んでみようと思う」


 時間が、止まった。何? 『死んでみよう』だって?

 尋ねたいことが、一気に俺の頭の中に氾濫した。何か大変なことがあったのか? 心に傷を負ったのか? そもそも、俺なんかが聞いていいことなのか?

 俺は離れゆく神崎の背中を、引き留める言葉も見つけられないまま見つめていた。


「ああ、いやいや」


 神崎は振り返り、いつもの穏やかな笑みを浮かべた。


「今の私は、別に何か特殊な事情を抱えているわけじゃない。心理的にも安定はしていると思う。ただね――」


 その続きを聞くにあたり、俺はごくり、と唾を飲んだ。


「死にたくはないが、生きていたくもない。そう思ったのさ」

「な……ななっ、何ですって!?」


 俺は半ばパニックになりかけた。

 こんな知的で美形な若い女性が、『特殊な事情を抱えているわけじゃない』にも関わらず、自らの命を絶とうとしていることに驚愕していた。その驚愕は、一転して恐怖に変わる。


「ちょっと待ってくださいよ、神崎さん!!」

「大丈夫だよ。死ぬときは一酸化炭素中毒に頼る。眠るように死ねるそうだ。皆には迷惑はかけない」


 問題はそこじゃない。


「ど、どうして死ぬ必要があるんですか、神崎さん! あなたはまだ若いんです、これから先明るい未来が――」

「君は本当に信じているのか? 『明るい未来』だなんて」

「ッ!」


 そう言われてしまうと……。

 政治家の汚職、天変地異、世界情勢の暗黒化など、この国、否、世界が混沌の中に放り込まれようとしている今現在。確かに、『明るい未来』など、信じられるようで信じられない。そんなもの、胡散臭い政治家の決まり文句だ。


「私は、つまらない人生を送るつもりはない。それにね」


 神崎はくるり、とポニーテールを揺らしながら振り返った。

 そして顔をずいっと近づけながら、


「何故自殺はいけないと思う?」

「え? だってそりゃあ……」


 俺にだって、言いたいことはあった。一人の自殺が、周囲の人間にどれだけの心的禍根を残すものか。それを、神崎は分かっていない。だが、神崎の目に揺るぎはなかった。熟考し、完全な理論武装で守られた瞳をしている。


「ゆっくりでいいよ。君は私に反論したいんだろう? 試しに言ってみなよ、君が今何を考えているのか」

「それは……」


 ええい、強行突入だ。


「麻耶や美耶、それにここにいる皆が悲しみます!」

「何故?」

「神崎さんと、二度と会えなくなるからです! 話をしたり、一緒に酒を飲んだり、西部劇の銃撃戦ごっこをしたり……。それができなくなるって寂しいことじゃないですか。悲しいことじゃないですか。あなたは、そんな大事なことを無視してまで死にたいんですか!?」


 すると神崎は、軽い調子で口笛を吹いた。


「なるほど。素晴らしい回答だね」

「……」


 俺は黙って、神崎の次の言葉を待つ。すると神崎は身を起こし、胸の前で腕を組んだ。


「しかし、素晴らしすぎる。これを『理想』と呼ぶんだ、俊介くん。残念だけど、赤点は免れないね」


 俺は黙ったまま。しかし、ふつふつと腹の底から怒りが湧いてくるのを感じてはいた。

 俺は、皆が思っていることを代弁したかったのだ。『自らの経験』も含めて。それを、たった一言『赤点』で退けようというのか?


「あんた……残された人の気持ちを何だと思って……!」

「申し訳ないとは思っているよ」


 神崎は少しばかり、眉尻を下げた。


「しかし、私の思う回答はこうだ。『やってみなければ分からない』ってね」

「だから、それを『やってしまったら』もう……」

「じゃあ、君は考えたことがあるかい?」


 神崎はダメージジーンズのポケットから両手を出し、腕を広げながら、


「上手く自殺できてしまった人の気持ちを、考えたことがあるかい?」

「……は?」

「例えば、自殺未遂をして改心し、『生きていてよかったです』という『生存者』、すなわち自殺に失敗した人の話ならいくらでも聞ける。テレビを点けて放っておけば、まあ月に一回くらいは流れてるんじゃないかな、そんな番組。でも、考えてもみてほしい」


 神崎の顔つきは穏やかだったが、目だけは笑っていなかった。


「上手く自殺を成功させた人が、何をどう思っているか」

「……どういう意味です?」

「要は、『生きている時より死んでいる時の方がマシだ』という答えが出てくる可能性があること、そして私たち生存者には、それを確かめる術がない、ということさ」


 俺はその言葉を解しかねたので、目線を強めることで神崎に先を促した。


「例えば、『あの時死ななくてよかった!』『生き残って救われた!』と言う人の言葉は、この世界にはごまんと溢れている」


 微動だにせず、俺は口を閉ざしたまま。


「だけど、それを鵜呑みにするのはナンセンス、いや、統計学上の暴挙だ。だって、同じように『自殺を試みた人』がいるにも関わらず、そのうちの『生き残った人』の意見しか採用しないのだから」


『ポイントはね』と言いながら、神崎は人差し指を立てた。


「無事に『死ねた人』の意見を採用していない、否、したくともできないということなんだ。例えば、著名人で言うところの芥川竜之介かな、彼は自殺した。もし彼が自殺に失敗し、『生き残った人』として『生きていてよかった!』と語る可能性もある。だが、我々人間は、あちらの世界――死者の世界に飛び込んで、マイクとカメラで自殺者の意見を聞くことができない」

「つまり、自殺者たちには『死んでよかった!』と思っている奴もいるかもしれない、ってことか?」

「ビンゴ」


 神崎は上げていた人差し指をカクッと曲げて、俺の眉間を指した。


「一体誰が保証してくれるんだろうね? 『生きている方が楽しい』とか、『死ぬよりも価値ある行為だ』とか。『神様か?』なんて馬鹿言わないでくれよ、俊介くん。いるかどうか分からない存在に依存した理論には、説得力がない。そういう意味で、少なくとも私は、自分を納得させてくれるメディアに出会ったことはない」


『そんな当たり前じゃないか!』と言おうと思ったが、それでは神崎の理論武装には歯が立たない。それどころか、その論理性を強化することになってしまう。


「ま、そんなこんなで、私は死ぬことを割と真剣に考えているのさ。皆にはヤク中になってサツにパクられたとでも噂を流しておくよ。皆を騙すのはそれなりに心苦しいけど、突然いなくなってしまう分には、それなりにリアリティがある噂を流しておかなくちゃね。だからさっき、『皆に迷惑はかけない』と言ったのさ」


 飄々と語る神崎に、俺は一気に頭が沸騰するのを感じた。そんな理屈、許せない。許してたまるものか。


「この野郎!!」


 俺は思いっきり地面を蹴って、神崎に殴りかかっていた――はずが、簡単に足を引っかけられ、


「ぶへっ!」


 見事に転倒することになった。


「暴力に訴えるにはまだ早いよ、俊介くん」

「何だと!? お、俺だって、喧嘩なんかしたことないけど……。でも、あんたを力づくでも止めなきゃ気が済まねえんだ!!」

「だからその前にさ」


 すると神崎は、すっと息を吸ってから


「どうして君に、この話をしたと思う?」

「は、はあ!?」

「落ち着いて考えてごらんよ、誰にも真実を明かさずに私が消えれば、皆無駄に慌てることはない。君もね。だが、私は自分の思いを君に託した。何故だと思う?」


「そ、それは……」

「誰にも真実を知らせないでいたら、麻耶たちの心配は募るばかりだ。ここにはいろんな連中がいるけど、麻耶や美耶ほど私に懐いてくれた人間はいない」

「分かってるなら、自殺なんて思いとどまって……」

「だからさ、それじゃあ満足できないから、死んでみようと思ってるんじゃないか」


 神崎は軽く肩を上下させた。

 っておいおい、神崎さん。答えをはぐらかしているぞ。『何故俺に自殺の真実を託すのか』という問いを自分から提示しているくせに。


「歯切れが悪いな、神崎さん」


 神崎はつと視線を上げ、俺の目を覗き込む。すると、ふっと脱力し、微笑んだ。


「君は気づいていないんだね?」

「なっ、何がだよ」

「君のことが、好きなんだ」


 ……へ?

 この話題になんとか食いついていこうとしていた俺は、唐突に牙が引っ込んでしまった。


「えっ、あ、それはどういう風の吹き回しで……?」


 その時の俺は、よほど滑稽な顔をしていたのだろう。神崎は


「ぷっ……ははっ」


 と身体をくの字に曲げた。


「なーんてね。でも嘘じゃないんだ。私も人間として、君の尽力を尊敬しているし、厄介事を解決する能力も高いと思う」


 そして、


「君のことが好きなのは、月野麻耶。彼女だよ」

「……」


 今度こそ、俺は完全に顎を外した。


「あっ、あああいつがお、俺の、ことを……?」

「そんなに驚かないでくれよ」


『鈍いなあ』と続ける神崎。余計なお世話だ。……と普段ならツッコミたいところだが、そんなことを考えられないほど、俺は動揺していた。


「まあ、話は戻るけど、この件は君が口頭で伝えてくれても構わないし、これを渡すだけでも構わない」


 そう言いながら、神崎はジャケットの胸ポケットから一枚の封筒を俺に差し出した。宛名は、『月野麻耶様』『月野美耶様』とボールペンで書かれている。随分と素っ気ない印象を受けたが、きちんと二人の名前を明記するあたりは、神崎の真剣さ、几帳面さを思わせるところだった。


「もしここで俺がこの手紙を破ったら?」

「仕方ない、メールで麻耶の携帯に連絡する。そうなると、私が生きている間しかこの情報を送ることができなくなるから、君にとっては有利だろう、俊介くん」


『もし君が本気だったらね』と続ける。その時だった。


「ええ、彼は本気でしょうね、神崎さん」


 俺の背後から、静かな、しかし怒気を叩きつけるような声が響き渡った。

 俺は振り返らない。誰の声かはすぐに察せられたし、そもそも誰かとこれ以上真剣な話をする勇気がなかった。


「立ち聞きはよくないけど、どこから聞いてたんだい、麻耶?」

「そうね、『死人に口なし』のところから」


 なるほど、死んだ人間の意見を訊くことはできない、という件からか。


「俊介、どいて」


 俺は身体を九十度回し、ゆっくりと後退した。廃ビルの外壁に背中がつく。その時、俺はようやく気づいた。麻耶の全身が震えていることに。怒りからか緊張からか、はたまた恐怖からかは分からない。だが、どす黒い煙が足元から立ち昇っているような、そんな雰囲気だった。

 一方の神崎は、特にこれといった動作をしない。ふーーーっ、と長く息を吐く。それだけだ。

 麻耶は震える手をガンベルトに回し、すっと引き抜いた。


「お、おい何やってんだよ!?」

「あの女を殺す」

「こんなところで撃ってみろ、跳弾して危険だろ!?」

「なら伏せてろ!!」


 麻耶はゆっくりと銃口を上げる。まさにその瞬間だった。

 何の予備動作もなしに、神崎が脱兎のごとく麻耶に突っ込んだ。


「ぐっ!」


 突然のタックルに、麻耶は拳銃を取り落とす。すかさず神崎はその拳銃を足で滑らせ、麻耶の手の届かないところへ。麻耶の意識がそちらにずれた瞬間、神崎は思い切り平手打ちをかました。

 しかし麻耶もさるもので、叩かれた方向へ身体を回転させ、回し蹴りを繰り出す。神崎は肘でそれをガードするが、この距離感での接近は危険と判断したのか、バックステップで距離を取る。

 二人は狭い路地で戦いながら、神崎が後退する形で広場へと出ていく。


「なかなかやるね。できるようになった」

「あんたが訓練してくれたお陰でね!」

「それはそれは」


 押されているように見えるものの、神崎のフットワークには余裕がある。対する麻耶は、隙こそ見せないものの、実際はがむしゃらなようだ。戦い方がワンパターン化している。ストレートに回し蹴り、それを防がれては前に出る。それからジャブかストレートで、再び回し蹴り。これでは読まれて当然というものだ。

 やがて二人は広場へ出た。すると神崎はバク転し、互いの攻撃の届かないところまで距離を取った。すっと右手を上げ、掌を麻耶に突きつける。麻耶も腕は下げないまでも、深呼吸をして落ち着きを取り戻した。


「さっきの話を聞いていたのなら、私の考えは理解してくれたんだろう?」


 僅かに乱れた呼吸を整えながら、神崎は尋ねた。しかし、麻耶はとんでもないことを口にした。


「分っかるわけねえだろ馬ーーー鹿!!」

「なっ!!」


 俺は驚いた。あれほど神崎を慕っていた麻耶が、そこまで言い切るとは。


「姉御、あんたのことはよく分かんねえ! あたい、ろくに学校通ってないしな!

 でも、一つだけ言わせてくれ。あたいはあんたがいなくなるなんて、絶対に嫌だ!!」

「だから、それについては説明を――」

「それはあなたがそう思い込んでるだけですよ、神崎さん。俺や麻耶が、あなたのことを理解したなんて」


 二人の休戦によって落ち着きを取り戻した俺は、辛うじて喋りだした。敬語で。


「まさか、『死んだら何も感じなくなるから、生きているうちに何をしても構わない』なんて思ってるんじゃないでしょうね?」

「何だと!!」


 食いついてきたのは麻耶だ。ただし、食いつく相手は俺ではない。


「本当なのか、姉御!? あたいらを助けておいて、かと言ってまともな生活なんて出来てなくて、未来なんて全然見えなくて……。まだまだあたいらは子供だ、姉御に助けてほしいんだよ! 甘えさせてほしいんだよ! それでも、それを中途半端に投げ出して、人助けをしたつもりになってるのか!? 救世主にでもなったつもりか!! この――」


 その時、俺の背中に冷たいものが走った。


「待て麻耶、それ以上言うな!!」


 慌てて麻耶に飛びかかる勢いで、俺は麻耶の口を塞いだ。すると、


「ほほう」


 神崎が、目を細めて見ていた。麻耶ではなく、俺を。


「さすが仲介のプロの面目躍如といったところかな、俊介くん」


 俺は何とか、目を逸らさないようにと努力しながら、神崎を見返した。そして、先ほどの冷たさの原因を目にしてしまった。

 光だ。微かな、しかし鋭利な光沢――拳銃のグリップだった。どこまで本気だったかは不確かだが、これで麻耶を脅すつもりだったのか。

 神崎はしばし、胸に手を当て、夜空を見上げながら呼吸を落ち着かせようとしていた。拳銃は既にガンベルトに戻されている。かと思うと、唐突に、空を見上げながら語りだした。


「私は飽きたよ、この世界に。あの世に逝ってみてもいいだろうな、って思うくらいには」


『この歳になって言うのも何だが』と言葉を繋げながら、


「私はこの世界に希望というのものを見出だしたことがあまりないんだ。あるのは暗いニュースと、それを回避していられるだけの酒に煙草にクスリ。私にはそれしか残っていない」


 家族とも離縁状態だと言うが、それ以上は語らなかった。


「それでもう、飽きちゃったんだよね。生きていることに。さっき言おうとしたのは、そういうこと」


 俺たちの間に、暗い沈黙が舞い落ちる。

 その沈黙を破ったのは、俺たち三人ではなかった。


「……お姉ちゃん?」


 突然の声に、俺は跳び上がり、麻耶はばっと振り返った。神崎は、軽く首を曲げながら四人目の登場人物の方を見つめている。


「やあ、美耶ちゃん」


 飽くまで朗らかに、神崎は美耶に声をかけた。


「神崎のお姉ちゃん、どうしたの? さっき、死んじゃうみたいなことを言ってたけど……」


 その時、俺は確かに見た。神崎の目元が引きつるのが。


「美耶、お前は引っ込んでな! こいつはもう、今までの神崎お姉ちゃんじゃない、ただの死に急ぎ野郎だ!」

「じゃあそんな私を止めようとしている君たちは何者なんだい? 『生き急ぎ野郎』かな?」

「そんな言葉遊びにつき合っていられるか! あんたなんか、生きる勇気がないんだろ? ただ傷つくのが怖いんだろ? そんな奴が、まともにあっさり死ねるわけねえじゃんか!!」


 その言葉に、神崎は一歩、退いた。


「あっさり死ねるわけ、ない……?」

「ああそうだ!! それに、そんなことを考えながらここに来た、ってことは、まだこの世に未練があるってことだ。そうだろ!?」

「……」


 初めて、神崎の顔から感情が消えた。生きるのを嫌悪する気持ちと、麻耶から伝わってきた感情。その二つがぶつかり合って、相殺し合っているかのように見えた。


「だったら、生きろよ! あんたはもう大人だ。過去に何かあったとしても、それを乗り越える力はある! だから、だから……」

「――自殺はしないと、彼女たちに約束してください」


 詰まってしまった麻耶の言葉の続きを、俺が引き受けた。

 まさに、その時だった。

 ギイッ、と不吉な音が、頭上から降ってきた。同時にボルトのようなものが、俺の足元に落ちる。見上げると、


「げっ!!」


 この広場を分断するかのように、高さ十メートルほどのところに走っていた太いパイプがミシミシと音を立てて落下した。ちょうど、俺たちの頭上に。

 全員が目を見開いてその様子を見つめる。

 最初に動いたのは、麻耶だった。


「美耶!!」


 慌てて妹の手を取り、奥に逃げようとした。が、


「ぐっ!!」


 急に無理な角度で足を捻ったらしく、


「お姉ちゃん!!」


 麻耶は美耶を投げ出すようにして倒れ込んだ。


「あの馬鹿!!」


 反対側に逃げていた俺は、


「ええい、ったく!!」


 再び落下しかけているパイプの真下に向かって突進、


「麻耶!!」


 半ば引きずるようにして、麻耶に肩を貸す。美耶は既に安全なところに立っていたが、


「美耶、来るんじゃねえ!!」


 飛び出して来ようとする美耶を、俺が怒声で留まらせた。しかし、片足しか使えない人間の身体は重い。体勢を崩しながら何とか前進するが、間に合わない。


 このままここで、お陀仏か――。そう思った次の瞬間、


「どはっ!!」

「きゃあっ!!」


 俺たちの背中が、とんでもない勢いで突き飛ばされた。振り返るまでもない。そこに立っていたのは、


「神崎さん!!」


 明後日の方向に、俺は叫んだ。

 その直後、背後からズシャアアア、と金属の擦れ合う轟音がした。神崎に突き飛ばされた勢いで、俺と麻耶は頭からアスファルト上に倒れ込む。


「姉御!」


 真っ先に振り返ったのは麻耶だ。


「姉御!! 神崎の姉御!!」

「待て、麻耶!!」


 俺は麻耶の肩を掴んで引き戻した。


「おい、まだ何か降って来るかもしれないぞ! お前まで巻き込まれる!」

「でも姉御が!!」


 直後、俺は自分の右手に痛みを感じた。同時に、左頬に手を当てた麻耶の姿が目に入る。俺は、麻耶を引っ叩いたのだ。しかし、麻耶は怯まなかった。


「だって、姉御はずっとあたいたちの面倒を見てくれたんだ!! このまま見捨てろっていうのかよ!?」


『ああそうだ!』とは言えなかった。ここで神崎の死を断定してしまったら、俺は何か、自分の生きる価値を見失ってしまうような気がする。かつて自殺に関わったことがある者として。たとえ神崎が、本気で自殺を考えるような奴だったとしても。


 その時だった。


「いいんだ、俊介くん……」

「姉御? 姉御なのか!?」


 その場で立ち竦んだまま、声を上げる麻耶。


「お前はそこを動くな」


 俺はビルの壁面を見上げながら、ゆっくりと声のした方――と言ってもかなりアバウトだが――へと向かう。どうやら、これ以上の崩落はないらしい。


「神崎さん、聞こえていたら答えてください! 神崎さん!」

「……ここだよ」

「うわ!」


 ちょうど足元から、神崎の声が聞こえた。見下ろすと、煤で汚れたような神崎が、うつ伏せの状態で横たわっていた。彼女自身も脱出を試みたのだろう、頭から膝のあたりまでは無事だった。問題は、膝から下だ。


「大丈夫ですか!?」

「どう見える?」

「ど、どうって……」


 俺が狼狽している様が面白かったのか、神崎は脱力したように表情を和らげた。


「なるほどな、君たちの言う通りだ」

「ちょっ、喋らない方が――」

「私は今、君たちを助けたいと思った。助けなければと。そのためなら……まだ死ぬのも早いかもしれないな……」


 それからゆっくりと、神崎の瞳が閉ざされた。


「神崎さん?」


 俺は神崎の肩や頬を叩いた。


「ちょっと、神崎さん!!」

「姉御!!」


 俺の言葉を無視して、駆け寄ってくる麻耶。


「俊介、姉御は!?」


『大丈夫だ』と言ってやりたかったが、神崎が目を閉じてしまったので、安易に答えるわけにもいかない。


「姉御……!」


 気を失った神崎に泣きすがる麻耶。振り返ると、その様子を心配げに見つめる美耶と目が合った。しかし、その表情からは何も読み取れない。

 俺は前方に視線を戻した。


「まずはこのパイプをどかさねえとな……。麻耶、お前はそっちだ。持ち上げられるか?」

「んっ……」


 びくともしないので、俺も


「ふっ!」


 パイプの下に手を入れ、力を込めてみる。が、やはりぴくりとも動かない。

 ちょうどその時、


「おい、パイプが落ちてるぞ!!」

「広場の方だ!!」

「誰か怪我人はいないか!?」


 不良たちが、パイプを挟んだ反対側から駆けてくる。


「動ける奴は返事してくれ!!」


 俺は手でメガホンを作り、


「俺だ、俊介だ! 麻耶と美耶もいる! 神崎の足が下敷きになった!」

「分かりやした! 皆、一気に持ち上げるぞ! せーのっ!」


 と言った直後、


「あ、兄貴!?」


 ん? 兄貴だって?


「皆、どいていろ」


 この声、間違いなく変身した時のアキの声だ。異常を察知して駆けつけてくれたのか。しかしアキとて、こんな太いパイプを一人で持ち上げるのは――。

 と思って見ていると、何の掛け声もなく、唐突にパイプは端から持ち上がり、


「神崎を引っ張り出せ!」


 とのアキの声が。


「あ、お、おう! 麻耶、右手を!」

「うん!」


 俺と麻耶は、二人で神崎を引きずった。十分離れてから、


「アキ、もういいぞ!」


 するとパイプを両手で支えていたアキは、ゆっくりとこちら側に身体をずらし、慎重に置いた。ちょうど、自分がパイプの下を潜ってきたように。俺は慌てて駆け寄り、アキに尋ねた。


「アキ、神崎の容体は!?」

「上半身は異常ない。骨も無事だ。だがやはり、膝から下が酷いな」


 俺は、屈み込んだアキの背中から顔を出し、その先の神崎の足を見た。


「うっ……」


 一言で言えば、決してテレビでは映されないような大怪我だった。関節はあらぬ方向に曲がり、血だまりが広がって、アスファルトが神崎の気力を吸い取っていくかのように見えた。


「三十分以内に病院に連れていく必要がある」

「じゃ、じゃあ一一九番を……」

「駄目だ」


 スマホを取り出した俺を、アキが手で制した。

 そして俺は気づいた。こんなところに救急車は呼べない。公共機関の侵入を許せば、ここに集っている皆が、後日一斉検挙される可能性がある。


「アキ、変身して神崎を病院に運べないか? あるいは、ここから離れてから救急車を呼ぶとか」

「よし、その手でいこう。後は任せてくれ。随時連絡する」

「分かった」


 俺はしっかりとアキの目を見つめ返した。アキは頷き、神崎を背負って颯爽と駆け出していった。

 それにしても、何故俺はここにいる連中の味方をしているのだろう? いつの間にやら『旦那』と呼ばれるまでになって。

 もしかしたら、俺はここに集う若者たちに共感しているのかもしれない。


 大人に反抗したい、一矢報いたい、恨みを晴らしたい。きっとそんな理由で、彼らは飲酒・喫煙をし、危険ドラッグに手を出し、キラキラ通りを占拠したのだ。

 彼らと同じことはせずとも、大人の言うことやることに違和感を覚えているという意味では、俺も彼らと一緒なのかもしれない。

 俺の黙考を破ったのは、麻耶の威勢のいい掛け声だった。


「皆、神崎の姉御はショットガン兄貴が救出した! もう心配いらないぞ!!」


 あたりから一斉に、安堵のため息が漏れる。


「だから皆、自分の持ち場に戻ってくれ!!」


 互いに肩を叩いたり、笑みを浮かべたりしながら、不良たちは自分の居場所へ帰っていく。しかし、


「なあ麻耶、どうかしたのか?」

「は? 何が?」

「いや、何だか皆を帰すのに随分焦ってるように見えたから、何かあったのかと思ってな」


 すると、何やらごにょごにょと呟いた。


「ん? 何だって?」


 すると突然、


「こっち!」


 麻耶は俺の手を引いて、アジトへ続くビルの隙間へと俺を連れ込んだ。


「な、何だよ? いきなりどうしたってんだ?」


 その問いに対する答えはない。しかし、先ほど身を呈して守った妹・美耶を置き去りにしてまで、ぐいぐいと先に進んでいく。


「おい、いい加減わけを――」

「……」


 だんまりか。さすがに俺は腕が痛くなってきたが、麻耶は時折後ろ、俺よりもずっと後ろまで見通している。否、警戒している。不良たちはともかく、美耶の姿も見えない。

 と、俺が確認したその直後、


「ここだ」

「おっと!」


 俺は慌てて立ち止まった。気づけば、俺と麻耶は、月野姉妹のアジトへ来ていた。

 麻耶はじゃらり、とキーホルダーを取り出し、ドアを開ける。慎重に左右を見渡してから、するりとアジトへ入っていくのかと思いきや、


「あんたも!」

「え? ああ」


 俺は上腕を掴まれ、勢いよく引っ張り込まれた。ミシリ、と音を立てて、扉が閉ざされる。


「何だよ急に?」

「さっきあんた、余計なことしただろ!」

「よ、余計なこと?」


 いやいや、俺は神崎を助けようと必死で――って待てよ?


「さっき俺がお前を引っ叩いたことか?」

「そうだ!!」


 俯いて肯定の怒声を上げる麻耶。だが、なかなか顔を上げようとはしない。


「あー、えっと……そうだな、あれはつい咄嗟に」


『お前の身を守るため』などとは気恥ずかしくて言えなかった。しかし、次に麻耶の口から発せられたのは、思いがけない一言だった。


「……ありがとう、俊介」

「え? 『ありがとう』って一体……。俺はお前に暴力を振るったんだぞ!? それなのに――」


 続く台詞は言えなかった。麻耶が、俯いたまま俺の胸に顔を押しつけてきたからだ。


「お、おい、麻耶!?」

「あたい、誰にも叱ってもらえなかった。誰からも期待されなかったし、だから誰の目にも留まらなかった。でも、あんたはそんなあたいを叩いてくれた。心配してくれたんだ。だから、ありがとう」


 すると、


「馬鹿言え」


 俺の口から、自然と言葉が溢れてきた。


「俺にだって、お前は大切なんだ。『救出目標』とかって最初は言ってたけど、今はそんなんじゃない。助けたいんだ。お前のことを。お前が大切だって、思えるんだよ」

「本当に?」


 麻耶は涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げた。


「ああ、本当だ」

「どうして? あたい、こんな不良だし、粗暴だし、何一つ俊介のためになるようなことはしてないよ? それなのに……」


 はあ。俺はため息をつき、一旦自分の腰に手を遣った。


「何だよ。俺から言わせる気かよ」


 じろり、と麻耶を睨んでみたが、麻耶は瞳を真ん丸にして俺の言葉を待っている。そしてその言葉は、あまりにも呆気なく俺から紡ぎ出された。


「しょうがねえだろ。俺、お前のこと、好きになっちまったんだから」


 論理的飛躍が過ぎたかもしれない。だが、両親との関係でトラブルを持ち、さらには愛情を受けられなかった麻耶の境遇を、放っておくわけにはいかなかった。

 守りたかったのだ。俺の、この手で。

 麻耶の方はと言えば、これでもかと目を見開き、俺の目を覗き込んでいる。

 俺は、両手を麻耶の肩に載せ、『言いたいことは言った』という満足感を得て、『俺は帰るぞ』と告げようとした。

 その時、麻耶は俺の両手首を掴み、押し返すようにして再び俺との距離を詰めた。


「あたいも、好き」


 麻耶が背伸びをする。視線の高さが合う。そして俺たち二人は目を閉じた。

 心臓がバクバクするわけではないし、頭にお星様が浮かぶわけでもない。それだけ、安堵感に満ちた、長いようで短い柔らかな接触。それは、確かにキスだった。


「ぷはっ!」


 麻耶が軽く息を荒げる。


「息、止めちゃった」

「俺もだ」


 そうして、俺と麻耶は照れ隠しに顔を逸らしつつ、しかし笑みを禁じえなかった。


         ※


「引き留めて悪かったな、俊介。もう陽は昇っちまったけど、大丈夫か?」

「ああ。サングラスがあるからな」


 さっとポケットから引き出して装着してみると、


「うっわ、似合わねーーー!」

「うっ、うるせえよ」


 俺は慌てて麻耶と美耶に背を向ける。


「また……来てくれる?」

「まあ、ヒーローを気取りたくなったら来てやるよ」

「うん」


 ふと振り返ると、麻耶はぽっと頬を赤らめた。その時になってようやく、俺もドキリ、と心臓が高鳴った。


「……」

「なっ、何見てんのよ」

「何でもない!!」


 俺は叫ぶようにして、広場を横切り、もう通い慣れてしまった裏路地に入っていった。

 だって、『何でもない』としか答えられないだろう? あんなにかわいい麻耶の姿を見たの、初めてだったんだから。

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