幕間劇2 ありがとうございます でも、

 身を乗り出さんばかりに、スズ少尉は言った。いつもの子供のような声で、それも目を輝かせながら。

「ねぇ、ついてきてほしいんだけど!」


 遠征を前にピリピリしていた私は、またか、と思った。私は決して真面目な性格な訳ではないし、モラリストでもない。理屈はともかく、もし人道をそこまで重んじて、物事を解決しようとするなら、人生の途上で武力蜂起なんて呆れるような真似はしない。

 時に破壊とは、新しい芽吹きのための間引きだとする言い方もできるだろう。それは正しい。芽を自分で見定めていれば、の話だが。

 だが、彼女の不真面目ぶりはいろいろと考えさせられる。私は元犯罪者であり、世間に水面下で行われた司法取引から、今の憲兵の顧問という地位を与えられた。だから、兵の敷地の外には簡単に出ることはできないし、外部の人間と接触できない。その事情を分かっているはずなのに、彼女は私を外へと誘うのであった。


 私はこのところ、組織の暗号を解読しようと必死になって働いていた。寮に住み込みのため、職場に寝泊まりはしなかったが、総務課で一番遅くまで残って窓の鍵を占めるのも、朝一番早く出向くのも私だった。その私の動向を目の当たりにしながら、彼女なりに息抜きに声を掛けてくれているのかもしれない。

 そう思って誘いを受ける私も私である。外出と言っても兵舎周辺の散歩に留まっており、交通機関も徒歩であるため、すれ違う連中がマスコミかそうでないかに気を付ければ、首都郊外であるこの土地も、ある程度はどうにか切り抜けられる。

 今日は公園に連れ出された。枯葉が土の上に敷かれ、曇りと相まって、妙にさびしげに思えた。そこでスズ少尉は誰かを見つけ、声を掛けた。

「あ、シルヴァくん!こんにちは!」

椅子に座った少年のような彼は、ゆっくりと椅子ごと向き直った。

「こんにちは。」

「今日はひとり?散歩?」

「うん。」


 枯葉をガサガサと踏んで歩み寄ると、初め椅子だと思ったものは、大きな車輪のついた車椅子であることがすぐに分かった。濃い赤と茶色のチェック模様のひざ掛けの下に、両足は見えなかった。私も彼にこんにちは、と一礼すると、彼もまた頭を下げた。

「シルヴァ君っていってね、とっても頑張り屋さんなんだ。一人暮らしをしているみたい。」

「ふうん、それは大変だな。」

 彼は目を伏せがちにしながら、なにか元気がなさそうだった。私もこんな天気では、会話を弾ませにくい。彼はひざ掛けをつまみ、左右へと広げてしわを伸ばした。

 そういえば、さっき振り返る前に、車椅子の後ろについているポケットから、ちらりとブックカバーが見えたことに思いが至った。

「君は本を読むのかい?どんな本を読むの?」

「僕は…僕は、社会科や法制度の本を勉強してるんだ。」

手伝った方が良いかなどと考える前に、彼は慣れた手つきで本を取り出した。私は幸い健常な身体を持っているので、その意外な可動域の広さに驚いた。パラパラと文庫本のページを捲りながら、彼は何かの記述を探し始めた。カバーがかかっているから、誰の著書かは見当もつかない。

「いつも熱心に本を読んでいるよね、シルヴァ君。そういう本を読んでるんだ。」

「うん、僕の足が無くなっちゃったのは、この内戦のせいだから。」

私はスズ少尉を見ようとしてやめた。向こうもこちらを見ようとしたことが感じ取れた。我々大人が政治的主張を巡らせている間に、どこかで誰かが不利益を被っているということは、関心のない話ではない。周辺について、個別具体的でないながらも、当事者である我々は薄々と気付いている。

「じゃあ、シルヴァ君は、将来何になりたいの?」

「…。」

「それか、何をしたいの?」

少年のような彼は、重々しく口を開く。

「僕はね、戦争をなくすためにはどんなことが必要か…どういう過程と、どういう制度が、社会に求められているのかを、考えて、それを作れたらいいなと思って、勉強しているんだ。」

「へぇーっ!!偉いね!お姉さんたちにも、いつか教えてほしいなっ!」

「うむ、がんばれ。応援するぞ。」

「はい、ありがとうございます。でも、僕はまだまだ多くの事を勉強して、ひとつずつ、学問から眠れる心理をみつけていかなくちゃ…」


 私はこのとき、スズ少尉がこの少年に好意を持っているのが分かった。別にそれはかまわない。スズ少尉は案外年下が好みなのか…という事実だけが、新しい発見である。

 今日、この少年とは普通にあい、会話もしてしまった。だが流石に、この前まで指名手配所に載っていた顔がすぐ目の前に、顔なじみの憲兵と一緒に現れた、ということまでは照合できないだろう。それが私とスズ少尉の総意だった。

 改めて今から思い返すと、初対面のこの少年の正体について、私には理解しつくすことができなかったことを後悔することになる。彼はようやく見つけた本の一部を、声を出して読んでくれた。



『諸学問のなかで少しずつ真理を発見していく人は、金持ちになり始めた人たちが、まえに貧乏だった頃はるかに少ない利を得るのに費やした労力にくらべて、少ない労力で大きな利を得るのと、よく似ているからである。あるいは、軍の指揮官にたとえることもできる。指揮官は、―――』










『方法序説』p.88-(デカルト=谷川多佳子/岩波文庫)

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