第12話 恭順と共に生きねば
何の気兼ねも無しに踏み鳴らされる、騒々しい足音と、「おらぁ!武器を捨てろ!」という憲兵を舐めくさった怒号が、堅い部屋に反響する。一様に驚いた顔をする憲兵たちの顔が、今度は正面から見ることができた。
(バッテリングラムからのクロスオーバーエントリーか、手段としては月並みだが、それにしても動きに無駄がない。なかなか育ってくれたようだな。)
私がいなくても、同士や後輩たちがこれほどまで成長してくれていると、逆に物足りない感情を覚えるものだ。最高のタイミングでの突入に、思わず心の中で喝采を送った。
「くっ!放せ!」
「「ハウンティ!」」「「顧問!」」
先程の戦慄で心臓が強くバウンドしていたが、それも徐々に和らぐことだ。私は自分で作り上げた、険しい表情で睨む眼光とは裏腹に、ほっと安心しながらテログループの人質になった。首筋に銃口がつきつけられ、肌が切れそうなほど押し付けられた鉄の感触は、ばくばくと動く心臓から流れた脈の上に爪を立てた。身体を強く引かれ、手の自由もきかないので転びかけ、
「おう!しっかり立てええぇぇ!!」という熱い激励までもらってしまった。
憲兵には今銃を持っている隊員はいない。キーを作動させる隙を与える前に、私が捕まったからだ。武器は地元警察の携行する拳銃だけ。それに対してテログループは、突入時にドアを破壊した、円筒形の金属棒を持つひとりを除き、13人全員がライフルを持っている。
「お前らのキーをこっちによこせ!あと通信手段もだせ!でないとぶっ放すぞ!こいつが死ぬぞおぉっ!!」
喉の脈を潰す勢いで銃口がめり込まれる。いやはや、よく役になりきっている。すごい迫力だ。周りのテロリストの顔は確認できないが、今声を張り上げているリーダー格の奴は、私と元々同じくらいの身分の奴だったはずだ。
早い話が作戦遂行のプロだ。いくら憲兵とはいえど、あいつらが本気で急襲し、追い詰められたのだから、たかだか数名の憲兵程度が、隙を見つけることはできないだろう。つまり、言いなりにならざるをえない、絶望的状況である。
両者は反対の壁を背にし、中央にある程度の空間を開けて向き合った。更にグループの手先が、横から壁伝いに憲兵を囲もうと接近を狙うが、地元警察の応援がそれぞれ携行していた拳銃を構えてその勢いを留め、お互いに拮抗した。だが、私という人質がいる以上、三手四手と憲兵に不利な状況である。
「…わかった。キーは渡す。それと同時に私の部下を放せ。いいな?」
少佐は努めて冷静に、いち早く判断を下した。私はこの状況下でもその落ち着きを意外に思ったが、とはいっても判断を早めるために、この直後デカいカウントダウンが叫ばれることは、元テロリストとしては分かりきったことだったから、5秒の差など大した問題にはならないのだ。見上げた冷静さだと惚れ直したところで、そのような短い誤差の有無に、私のあるべき態度を崩すわけにはいかない。
「ふん、物分かりがいいな。」
「み…見捨てろ…。私にかまっても、今後隊の地位が向上するわけではない…」
「お前は黙ってろよ!……おぉ?」
じろり、とリーダーが私を見る。下品な嬉しそうな顔を描きながら、次いでいかにも冷めた顔に戻り、私を覇気で殺そうとする。熱い息が顔をくすぐるほど、すぐ近くまで詰め寄られた。
「ケッ、どこのお嬢様かと思ったらお前か。警察とつるんで権力ごっこかあ!?あぁ!?さぞかし面白いでしょうねぇぇ!!俺たちを裏切るのはよおお!!」
顔面を殴られて、私は倒れこんだ。あばらに足を当てられ、やや長い銃筒が後頭部に向けられた。流石プロ、筋書のアレンジもここまでやるのかと感心した。まぁ演技なら私も三か月ほど憲兵の前でやっていたのだが。
現場は一掃緊迫し、憲兵サイドから「待て!」と制止が入ったが、両脇の子分が声に応じて一歩踏み込みを見せて牽制し、憲兵の発言権を奪う。後ろに待機している、更に末端のしたっぱも、調子を合わせて私に殺意を向けた。
「あぁ?早くキーをよこせよ…」
「人質の解放が条件だ。強迫もまた人質を損なうものとみなす!健全な状態を保たぬのならば、交渉はそちらから破ったとするが、よろしいか?」
下らない演技だと自分は分かっているからいいが、憲兵たちはいたって真剣だった。こんな非常事態に凛とした少佐の栗色の目には、ベターの結果を求めようとする、いや絶対に射止めてみせるとする炎が見えた。やはり私は直視できない。
「おうおう、こんなつまんねぇやつ捨ててやるわ。」
リーダ―は相変わらずの口ぶりで憲兵を煽る。本当はそんな意図はない。シナリオでは、この後私ごと持ち帰られることになっている。だからこそ、移動に速やかに移れるよう、丸まっていた私は襟首を握られて、強引に立ち上がらせられた。この意図を、憲兵は「取引に応じる様子」と肯定的にくみ取らざるを得ない。それ以外の選択肢が失われているから。
「少尉、キーを。」
「…っはい。」
スズは腕の外側に着いたポケットから、ジャラリ、とキーを取り出した。朝に見たあのキーと同じ、武器庫の門を開くもの。それも、個々の憲兵たちの持つような、専用に割り振られたものではない。憲兵の一部隊が持つすべての銃を、剣を、矢を、毒を、引き出す力。向かって左の窓から入る、昼の日差しを浴びて、赤銅色はいっそう輝いた。その輝きの強さだけが、朝とはささやかに違う、いつものスズ少尉のキー。
そのキーがリーダーの傍の床に投げ出された。床は堅いフローリングではなく、いわゆるマット素材である。キーは滑るでもなく、半ば音を抑えながら床に跳ねた。
「けっ」
と嘲りながらしたっぱは、その軍用倉庫のキーを拾い上げた。リーダー格もその様子を見ており、私のことは注意の外にあった。私の作戦立案のもとに想定された「軍用イデア・エレベーター」の制圧作戦、それを実行させたことで、INTEDのテロ犯たちは今の全体像のみに目を向け、細部の動向から目を逸らしていた。不審な動きを誰かがしたならば、私が異常を知らせると言う暗黙の了解を誰もが信じていたのだ。それは、この作戦の中心が、自然にも私になっていたということ。
作戦を立案した私と、それを実行した犯人たち。そして、私を助けようと易々とキーを手放した憲兵。この状況では、私はどちらにも信頼されているという事なのだろうか。では信頼とは何だろう。平気で私の前に隙を曝け出すことが信頼なのか?
「…。」
私はそうは思わない。私は先程、スズ少尉に密告された時、彼女の恐怖の涙を見た。そして、執務室で私を諭したハウンティ少佐を、思い返した。そんな私は、制圧劇の峠を越えて、一方では思いのほか上手くいっていたこの作戦に酔い、また一方ではあまりにうまく行き過ぎてつまらないような顔もしていたそのリーダーの横顔を、ただ無感動に観察した。私が望む世界に変えていくことができる、その言葉をぼんやりと思い出しがら。
「さよなら。私の同志。」
私はリーダーのこめかみを、拳銃で撃ち抜いた。その場のすべての者は、私が武器を持っていることに、気づかぬままであった。
久しぶりに構えた銃は、信じられないほど大きな声で唸った。紛れもない無機物なのに、獰猛な獣のように。それも、「ズドン」と軽快な破裂音だったらどれほどかはマシだったであろう。だが残念にも「ウオォン」という形容に近い、悲しい悲しい獣の嘆き声だった。今まで聞いたことがない銃の声に、私は冷酷になりきれない自分の内面と、「必要性」という名のもとにかつての仲間たちに襲い掛かる外的行動との摩擦を嗅がされた。実に焦げ臭い。
そして全く頃合いを同じくして、大きな音を立てながら、西日を私たちに浴びせていた窓が破裂し、鍵を拾い上げた雑魚が流血とともに倒れた。
「…ついに、来た。賭けは私の勝ちだぞ、マドレフ!」
どろどろの溶岩が裂けた岩肌から噴き出すように、しかし不思議にも大しけの雨のように、窓の方向へ鮮やかな色をした血潮が吹き荒らされた。私の紺色の制服に返り血が花びらを描く。
「なっ」
憲兵もテロ犯も共に凍り付き、言葉が失われたが、戦闘慣れした上級の部下たちは反射的に、銃弾の入射した窓へと飛び掛かり、銃を打ち鳴らした。そこで、私は遅れをとって棒立ちの
「くっ!!この、ふざけんな!二重かよ!」
「このやろう!よくもデトレフを!」
窓へと出向いた奴らに向けて体勢を立て直す。撃たれた奴の名前だろうか。
ようやく頭が現実に到達した彼らは、窓に沿って平行に並んでおり、外からの警戒を強めるやつらと、一歩遅れて反応したしたっぱどもが、背中合わせで守りあう。拾い上げたキーから銃を呼び出そうとしている様子だが、どうにもできないらしい。それは、私が細工をした
だが、軍用の防護盾は、凄まじい音を奏でながらも私を護り、銃弾を弾き返した。じれったく思った雑魚が盾をいなそうと接近してきたが、「なにやってんだ馬鹿!」と窓を向く上司に横目で怒鳴られるのを待たずに、一人が私に足を撃たれてその場に倒れこんだ。
部屋の奥でも同じようなことが起こり、憲兵によって銃が撃たれたようだ。あちらは流石に戦いのプロ集団だけあって、既に防護盾を持つ者と銃で狙う者との役割をそれぞれ立て終わっていた。守られている地元警察が、外部に応援を呼んでいるのが認識できる。
だが、もう警察の応援は直々に来ているのだ。鍵を拾い上げた雑魚を射抜いて殺したのは、パーシェスク総長が出動させた特殊部隊の働きだろう。あの日の夕方、私が憲兵隊に内密に依頼した、この二重スパイ作戦の補助。その点で、私は「賭けに勝った」のである。総長は、最終的に私が筋書き通りに敵に情報を送り、遠征に出発していったのを見届け、出動に踏み切ったのであった。
圧倒的な数の差の銃に包囲され、もう死ぬか投降するしかない、そう悟ったテロ犯達は、銃口を下げ、心底悔しそうに私を見ていた。私はそのむき出しの殺意と牙を、やはりつまらないと思いながら見ることしかできなかった。
「残念だ、ハウンティ。」
と憎々しげに奴は言った。目を腫らす彼らの顔、歯を食いしばる顔。そういえば、こんな奴らも昔いたのだな。私がかつて背負った顔。でも、いい加減戦いは終わらせなければならない。恭順と共に生きねば前へ進まぬのだ。
「お前はもう、権力の犬に成り下がったんだな。もう、俺たちと共に戦っていたあの頃のお前は、憲兵たちに殺されたんだな…」
「そうだ。私はまともに自分の上司の目を見れないのに、君たちの目を見ることには、何ら臆する感情が湧いてこない。少佐に毒されてしまったんだろう。」
彼らに聞こえたかどうかは分からない。いや、聞こえなくてもどうでもよいことを、ぼそぼそと呟いた。
屋上にアンカーをセッティングし、ラぺリングで窓から突入した特殊部隊と、破壊された中のドアから入ってきた特殊部隊に挟まれた彼らは、不思議なことに誰もライフルで自殺せず、ただ茫然とその場に突っ立っていた。砕けたガラスと鮮血が交じり合った床には、二人の負傷者と二つの屍が蹲っていた。日が大きく傾き、もう茜色に身を染めた太陽が、紅の壁画を尚赤く照らし出していた。最も卑劣で、最も凄惨な、私の起こした革命は、あってはならないはずの美しさを、目の前にもたらしていた。
一連の事件は収束し、遠征という大舞台は鎮圧成功という勝利で閉幕した。
「いや~もうだめかと思ったよ。」
「すげぇことやったな、顧問。」
本部の廊下で待ち受けていた熱烈な賞賛に、あぁありがとう、お疲れ様などと軽く返し、私は少佐の、いや新中佐の執務室へと急ぐ。事件後の対応にありったけの時間がかかってしまった。
結局、マドレフは現場に現れなかった。喫煙席にいたオッサンは、最初からテロ犯だったのが私には分かっていたのだが、直接戦闘はしない、ドア破壊用の荷物持ちだった。喫煙所から立ち去ったと思わせながら、後から私達をつけて、会議している場所を突き止めたのもその男だ。襲撃の失敗と同時に建物の外へ逃げようとしていたところを、警察の特殊部隊に取り押さえられたようだ。
今回の遠征では、「敵を騙すにはまず味方から」という手法で、キーを非公式にスズ少尉からくすね盗り、取引が停止済みの私のキーをすり替えてポケットに突っ込んだのである。何より、私がかつて使っていたキーがあそこまで憲兵のマスターキーに似ていたことが、スズ少尉をもこれほど上手く騙すことができた最大の理由だろう。また、パーシェスク総長を味方につけることができたこと、これも運頼みだったことだ。特に、忠実に私の発案を実行してくれたこと。流石に、あの現地会議でスズ少尉に告発されたことには肝を冷やしたが、実に私は運がよかった。
だが、私が最もうれしかったことは、作戦の成功そのものではなかった。今回の遠征は目的ではなく、地位固めの手段に過ぎない。そして何より…
『われらが憲兵、紫の峠を制圧!INTETを十名余逮捕!!』という見出しが、掲示板にも内部報告用のチラシにもセンセーショナルに踊る。この件で、私という人材抜擢に一役買ったラブラドーラ少佐は、中佐へと階級を上げ、当憲兵隊は一層まばゆい名声を、その掌の上に握りしめた。
本隊の軍は元々私とラブラドーラ少佐を好かない者たちから成る。監視カメラの映像を、決定的な理由として私を罷免しようと追いかけたわけだが、結果は私の忠誠に軍配が上がり、しかもその過程でまんまと乗せられて、今の落ち込み具合は見る影もない。首領マドレフの逮捕には至らなかったが、運良くほぼ無犠牲で作戦を遂行し終え、しかも警察総長がその全容を把握していたという実情は、私にとって、そして私を抜擢した少佐にとっても、さらにはラブラドーラ少佐を慕った派閥全員にとっても、これ以上面白いものはないという最高のリベンジであったのだ。
だから私は、その喜びのもとに少佐の執務室に走った。扉は開いている。急いで側面を適度にたたき、彼女に語り掛けた。
「ラブラドーラ新中佐、本日の作戦遂行は大変ご苦労おかけいたしました!」
部屋には電気がついていない。暗がりの中に足を進めた。
「そしてご昇進、大変おめでとうございます…!ご昇進の式典についてお話があります。が、もしお疲れのようでしたら明日以降に回しますが。いずれにせよ、今回のことで我々はなお一層、世論から支持を集めると予測されます。私の身という機密は、公に知れ渡ってしまうことでしょうが…ただ、それでも批判に耐えうるほどの功績を積んだつもりです。…少佐?」
ところが彼女は、私と目を合わせず、口も閉ざしまま、椅子から立ち上がり、部屋から去ろうとした。廊下に出るところで立ち止まり、彼女は私を、無機的に物質を見るような目を以て、こちらに半分振り返ったのだ。明らかな軽蔑の表情をにじませながら。
「ふうん…」
口を横一文字に結んだ彼女は、結局口を開くことなく、逆光のむこうから私を見返した。
「……!」
すぐそこに立っているはずなのに、周りの闇が急速に彼女を、私から遠いところへと離したように感じられた。
私はただ、中佐に好かれようとしただけだった。そのためには、私の人材抜擢によって失われた、組織の面目を取り返すこと。私自身も悔しかったから。
「あ、あぁ…」
それでも私は今後悔している。自分自身に絶望している。なぜなら、彼女の容赦のない軽蔑の表情に
「あああ!」
私はそう叫びだしたかった。だがどうしようもない疲労感が、絶望が、私の喉をつぶし、
「…ぁ。」
という小さい音が出ただけだった。愛する人のためにひたすら捨ててきたつもりであったが、私は愛した人に捨てられてしまった。もう何も私は持っていないのだった。
ラブラドーラは歩き出す。騒がしくなる憲兵隊総務課へと続く廊下を、ただぼんやりと何も考えずに。この事件を境に、憲兵の政府内の地位は警察に並び、軍隊の中で突出した存在へと踊りだすことになった。
(今回のことで、被害者がいなかったのは、ただの奇跡に過ぎない…)
彼女は思い返す。何故自分がハウンティを引き抜いたというのか。
(私はあのとき、私の大義の命じるままに、引き抜いた。それが間違っていたというの?でも、どこから…?)
しんしんとした寒さが身を縛る、ある冬の日の暮れの話である。
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