第11話 もしその証拠っていうのが

 日が真上から照らしているため、影は足元でぐずるように小さく動くだけだった。本来の冬らしい天気から一変して訪れた、春のような穏やかな気候ではあるが、空気に直接触れている指の先では、冬がそこにまだいるのが十分にわかる。

 町の中へ入ると、郊外こそ閑散としていたものの、公演会場へ近づくにつれて、田舎にしては異常ともいえるような数の集団が見えてきた。このガヤガヤと、体育館の入り口前に群れを作る全員が「インティファーダねっと」の会員というわけではあるまい。物珍しさに集まる客や、会員が声をかけて見学に誘われた観客など、様々な立場の客が来ている。勿論、この地の僻地っぷりから、周辺から村の境を越えて来るほどではない筈とはいえ、このうち何割が地元の民衆で、何割が実際の会員なのかがさっぱり分からないのだ。

 私は前線で破壊活動を専門にしていた身でありながら、そのスポンサーになりうる会員のことまでは把握していない。奴ら上層部も頭が良く、裏切りや政府による裏での拷問に備えて、情報を複合的に見ることができる存在を制限し続けた…つまり、情報の所有主を分散させたのだ。私を含めた構成員は、任された予算範囲などの断片的な情報だけが与えられ、それを実行に移していたため、専門外のことはひたすらに分からないのである。元組織の情報を握っているのではという推測から顧問として呼び声がかかったくせにである。

「やはり人目が多すぎるな。あれを制服で突っ切るのは見張りに見つかるだろう。」

「とは言っても、他の班は中にいるんだろ?合流はしなきゃ。窓口のあるロビーに行って…」

「?なぜだ。そんな自殺行為しないでも、忍び込めばいい。」

「えぇ、流石に無理だろ。窓は無理だし…」

「そりゃ今回は勝手が違って、手錠なんぞぶらさげてるからな。いつもならお前を肩車なり足場なりにして…」

「おい」

「まぁ窓は使わん。大方考えることはある。」

私たちは町営体育館の駐車場を回り込む。すると、眼鏡をかけた男がひとり、数段の外階段から続くベランダでタバコを吹かしていた。簡易の固定灰皿が設置されている。それでいて、こちらには特に気にしていない様子だ。あれほどまでに無防備なのだから、まさかスタッフではないだろう。しかし窓口はまだ開いていないから、一般の客でもない。混雑をよけて入る、プレミアの視聴者かなにかではないか。

「田舎の体育館でのイベントってのは、一階の非常口になってるベランダが、喫煙所用に解放されるんだよ。」

「へー、なるほど。」

顎に指をあてて、奴は頷いた。がっちりとしたコンクリートの階段と手すりに、薄く煙がたなびくのが見える。そういえば今は冬なのだ。

「だが、そこから入っても待ち伏せされて…ってことは?」

「スタッフの対応人数によるかな…かといって、公演時間が始まる数分前には内側から鍵をかけられることもありうるから、早め早めに決めなければならん。開けておく必要がないからな。あの男が引っ込み次第潜入するべきだと私は考える。」

「わかったよ。俺はその入り方すら気づかなかったんだから、侵入方法はお前に任せる。が、警戒はすべきだろう?逃走方法をきちんと練ってからだ。」

「ああ。ここで失敗するわけにもいかないからな。それに、私は頭は使えても実際の戦いはできない。お前はエスコートに温存しておかなければな。」

「か、からかうなよ。」

 長い間車に揺られたのだから、コンディションが万全でないのは承知の上だ。それはこの男でなくとも、他の憲兵たちでもそうだろう。


 だが、残念ながら今はまだ派手に闘うような予定はない。闘いえないのである。所詮我々は碁盤の上に配置された駒に過ぎないのだから。やがて眼鏡の男は吸殻を捨て、着ている作業着の胸ポケットに残りの煙草をしまい、中へ入って行った。戸口の周りに誰かいる様子でもないのを確認し、私たちは忍び込んだ。


 体育館の中は、むしろ外より寒く、廊下は結露していて多少湿っぽかった。これだけでも、連日この建物が周囲の住民に使われているのが分かる。水滴の張り付いた建物は、窓でも壁でも触れたところから指紋を記録していくだろうから、我々にとってこの建物自体が敵の要塞である。床には緑色のマットが敷かれており、普段は土足では立ち入らないがイベントのある場合だけは特別仕様、といったオモムキなのだろう。

「と、もたもた観察している場合ではないな。町営の体育館なのだから、建物自体が小さい。スタッフが何人いるかも分からないのに、合流前に奴らと会うのはやばいな。」

「あぁ、とは言ってもどこを当たるんだ…?建物の間取を把握している奴さんと、していないこっちとじゃあ、全然…」

「ふたりとも!こっちこっち!」

ヒソヒソと話をし合っていたが、不意に第三の低く小さい声が切り裂いて入ってきた。別行動をしていた班員が、目の前の二階へと続く階段の踊り場からこっちを手招きしていた。すぐに足音を消して階段を駆け上る。充分注意したつもりではあったが、階段の角の、湿った滑り止めに軍靴が滑り、ギュウっと音を立てた。流石にバツが悪くなったが、後ろからもっと不器用な音が聞こえてきたので何も考えないことにした。

「とりあえず控え場所を確保した。一旦会議だ。みんないる。」

先頭を移動しながら、我々を、いや私を横目で見た。

「会議か。」

「お前の事だぞ、ハウンティ。」

やっぱりか…面倒だが、必要な経費と考えるべきだろう。二階へ上がるとすぐに折れ、私たちは控室へと入った。

 紺色の制服の集団が中央に少佐を囲んで顔を合わせていた。午前の内に出ていた2つの班と、地元の警察が何人か。

中は何らかの機材や用具でごった返しているかと思ったが、いくつかの積みあげられた椅子を除き、その部屋は何もないがらんとした空間だった。隠れるものが何もない場所に隊員を集めるのは不自然だ…そう思ったが、部屋に入った後、後ろで扉が閉められ、内鍵がカチャリと音を立てた。なるほど、内鍵さえかければ我々の集会は見つからない。よくこんな好都合な部屋を見つけたことだ。軽く開かないことを確認したその憲兵が、すぐに寄ってきた。

「ハウンティ顧問、当の件について報告を。」

「はい。」

 私は一歩前に出て話を始める。

「本部の軍隊が、私の身柄の捕縛を求めて追跡してきています。本部の意向としては、作戦を即刻中止することを求めています。一方で、現場における私の判断としては、このタイミングでの中止はすべきではないと考えます。理由は、第一に作戦を遂行した方が安全であること。私は作戦立案の中核に携わる者として、この場にいる隊員を安全に首都に帰還させる義務があります。第二に、私の必要最小限の行動だけを保証してくれさえすれば、つまり私に武器を取らせないことや、手首を固め続けるように管理すれば、私はこの作戦部隊に無害であり続けることができる。いたって簡単です。」

「本部の通達するであろう証拠について。心当たりは?」

「ありません…と、そう言い切るのは適切ではないでしょう。」

私は隊員の顔を見回した。ちらりと目が合ったスズ少尉の顔を流し、一呼吸着く。

「ひとつだけ、たったひとつだけです。」

私は少佐に向き直った。壁を背にしてパイプ椅子に座る少佐は、私の目を除きながら、しかしあの初対面の、執務室での時とは違って、帽子を被ったままだった。私は勢いを保ちながら、だが自棄の感情さえをもにじませながら、壁に、その空虚な目に言葉を放り投げた。



「私の過去が、彼らそのものだったから。」

決して嘘ではない。事実だ。真実ではないが。

 少佐は目にいつもの無邪気な輝きを戻し、逆に控室はしゅんとした空気に包まれた。それは、ここで私の報告を聞く憲兵たちも、同じ気持ちだったからだろう。私の回心を信じきることができなかったことを引き合いに出すと、ここまでしおらしくなるのは、正直に言うと実動部隊としてあまり感心できない。もっと非情でなければ憲兵なんてできやしない筈だが、それなのにこの少佐の周辺は随分純粋すぎる。技術的に見て高度な動きはできるというのに、それとも寧ろそちらが満足にできる分、考察に美徳から判断している余裕があるという事だろうか、私には分からない。とにかく、これはチャンスなのだ。

 少佐はすぐに答えを出した。

「分かったわ。作戦を続ける。時間ももう迫ってきている…」

途中で言葉が消えた。そして私もうれしい顔を作りかけてとした。視界の端の端に、挙げられた手が見えた。見過ごさなかったのが不思議なくらいの、とてもとても、存在感の小さな手。

「…もしその証拠っていうのが、」

不安げにスズは話し始め、勝ち誇っていた私は一気に背筋が凍りついた。まさかあのスズが感づいたと言うのか。しかも、その意見は確信を持っていて、部隊に共有するものだという危険性の程度まで察しているのか。


「本部の証拠っていうのが、通信機器を通して、武力介入に対しての指示を、インティファーダねっとに与えるものだったとしたら?」


 スズは言い切った。言い切ってしまった。

目測を完全に見誤った。事態が急速に動き始める。

 ここに来てなんという悲劇だ。いや、後になって考えれば無様な喜劇だ。スズには隠しきれていたと思ったのに、その彼女は私が考えていた不真面目さを超えて優秀な頭を持っていた。しかも、それでいて彼女は純粋だった。おどおどして、泣きそうになりながらも言い切った彼女の言葉を聞いて、周りの憲兵はギョッとした表情で私に一斉に視線を向けた。

 スズが遠征直前の一件で、端末を押収した主導的立場であることは、もはやだれもが知っている。だからこそその場の全員が、スズが何を言おうとしているのかを理解するのに1秒もいらない。動揺と戦慄が強く私を揺さぶった。



 私は精一杯の怪訝そうな表情を作って首をかしげ、肩をすくめた。必死に回答を探すが、即答もできない。せめて矛盾したことは言えない。落ち着け、落ち着けと暗示のように自分に言い聞かせる。

「まず、そうだな。その場合は…うん、確かに究極的な危機だろう。その中では、作戦続行の判断は採らざるべきだな。少佐のお考えに従う。」

だが、この状況下で少佐に判断を投げるのもおかしな話だ。それでは私が、相当の緊張状態によって判断を下せなかった、ということが火を見るより明らかではないか。なんとか言葉を繋ぎながら、注目を集める必要がある。

「ただ、例えば、私と組織とのコネクションが未だ繋がっていることが可能か、と言えば、そう考えるのは難しいんじゃないか。なぁ、分かるだろうか?」

私は考えながらゆっくりと歩きながら輪から外れ、思考をフルスピードで巡らす。

「私はまだ、憲兵になって3か月…か?そんな私が憲兵を欺いて、組織に戻ると言うのは、あまりに青すぎる。もう少し、情報を蓄積させ、旨味という旨味を吸い取ってから、流した方が良いだろう。それに、わざわざスズ…少尉に、隠された遠隔端末の事を教えたりしないさ。違うかね?」

やっとこ繋いだが、もうあとの祭りか。心臓は激しく動き続けるのに、肺は凝り固まってまともに息を生み出そうとしない。憲兵たちの反応を直視することが難しい。冷酷さが足りないのは、何を隠そう私自身であった。甘ったるい同僚たちに囲まれ、居心地の良さを何気なく感じていた、私が一番甘い。甘すぎる。

 これは失敗だ、そう思いつめた瞬間だった。


 唐突に、まさに狙ったかのようなそのタイミングで、天井に設置されたスピーカーから、ピンポンパンポンと連絡用の放送が入った。マイクのジーーッという、耳鳴りのような、或いは虫の羽音のような、古めかしいノイズが何秒か流れた。緊張状態の中、驚かされた私たち憲兵の視線を、天井の灰色の平たいスピーカーが総ナメにする。

 直後、部屋が揺れた。

武装した男たちが爆音とともにドアを破壊し、部屋になだれ込んできた。上を向いた枯れ枝のようなライフル部隊に、最も近い場所にいたのは、自分から歩いて憲兵からはみ出た私だった。



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