第10話 あらゆる危機は存在していない
ガタゴトと輸送車に揺られながら、私を含めた憲兵10名は『紫の峠』を目指す。距離的には首都からそう離れていないのだが、いかんせん険しい悪路である。スムーズに進むことはできず、中の憲兵らは時間をもてあそびながら、ただぼんやりしていた。持ち込んだ資料を読もうにも、車体が激しく振動するので、あまり集中するのに向いている環境ではないのだ。
この国はいつもこんな調子だ。道はあってないようなもので、都市と都市の間が極限の環境で隔てられている。だからこそ、「イデア・エレベーター」が世に現れた時は革命的な話題を呼び、放たれた銃弾のように一瞬で普及した。その反面、人員や食材などの物理的な移動を必要とする時は、まだまだ遅れていると実感させられるのである。
かつて、誰かが荷物を運んでいた時代には、道路整備への費用はもっと重ねられていたらしい。調べ物をしている最中に偶然見つけた、2世代前という中途半端な過去の記録だ。だが、「イデア・エレベーター」の出現以後は、誰も進んで移動しようとしなくなった。それはそうだ、こんなに大変な思いをさせられるんだから。結果、この文明は道路整備を後回しにした。必要最小限を除き、都市と都市の直接交流が途絶え、電子マネーや電子輸送が独り歩きする世界。私は、便利ではあるが、味気のない世界だと思う。評論家じみた表現を好みたくないが、もっとバランスのとれた繁栄を望むことが、間違っているとは信じたくない。
しかし、考えてみればいつ以来だろうか。私が門の外へ出たのは。逮捕されてから初めての門外は、仕事という理由ではあったが、まぁありがたいと思えるようなものではあった。いつも公営施設によって建設された
私の外出が可能になる瞬間というのは、「官帽が支給された時」、そうラブラドーラ少佐は言った。世間やマスコミに私の存在が公表され、肯定的に認知されたその時…私は「憲兵という公職に努めるハウンティ」として、出ることができる。その瞬間まで私自身が公組織に隠され続けることは、はっきり言って不満の無いことだ。自分に満足のいく保護を買っていられるのだから。
それに社会に対しても、胸を張って面会できるようになる自信がまだない。少なくとも、この革命の作戦の成功なくして、私は肩身の狭い思いをし続けるのだろう。
「……。」
私はつぶっていた目を開き、帽子を被っている奴らを見回す。隣の奴と喋っている奴もいれば、無理しながら資料に何やら書き込んでいる奴もいる。私と同じ職種でありながら、私と違う境遇を…もっと言えば、ひとりびとりが異なった境遇を、その身に刻んでいる。暗がりの中にいる憲兵らの外套の隙間に見る制服は、更に暗い
勲章は主張をやめて、ただ沈黙していた。ガタゴトガタゴト、車体が大きく揺れ続ける。
「なあ、スズ少尉」
「名前で呼んでよねー。」
「す、スズ。けっこうな時間揺られているけど、コンディションは大丈夫か?さっきから水分も取っていないしな。」
「ありがと。でもそれはこっちの
「ん。だが、もし私が倒れても、お前らは各自の判断で戦えはするだろ。武器は取り出せるんだから、身は守れるだろうし。」
「まあそうね。けどさ、」
スズ少尉は軍のイデア・エレベーターのキーを取り出して摘み上げた。赤銅色をしている鍵は私がかつて持っていた鍵に驚くほど似ていた。金属特有の光沢は、むしろ彼らの胸についている勲章より光っていたが、
「私、思うのよ。こういうのはやっぱり、私みたいないい加減な奴よりも、頭の切れるアンタみたいなのが持ってるべきなんじゃない?」
スズ少尉は力無さげに笑い、摘んだ鍵を手の中で、軽くもてあそんだ。キーに付いた同じ素材のタグが手からはみ出し、くたびれたように
「……誰もやりたがらないのにか?」
「なんだ、役職の需要の低さは気付いてたか。ねえ、持っとく?」
まったく、こいつは。緊張感のない奴だ。
「しっかりしろよ!こいつの管理者はお前だろうが。易々と他人に渡すもんじゃないだろ。もっとシャキッとしろ。シャキッと。」
私はわざと他の奴らに聞こえるように、少し大きな声で喝を入れた。私が持っていた方が本当は好都合なのだが、まだまだ作戦実行にも時間がある。できることならもっと引き伸ばして持たせておかなければ不自然に思われてしまう。
「そうよ~スズ。初めての遠征だからって弱気じゃダメなんだから、こう、シャキッと~」
「少佐も!少佐もシャキッとしてください!」
「ん~?してるわよ?」
可愛らしく、可憐に、少佐は突っ込んだ首を横にかしげた。
そんなこんなで私達は、『紫の峠』の町の端っこに着いた。途中の道が舗装もボロボロの山道だった割に、外から見ただけではあるが、街に高い建物もいくらかあるのを視れば、誰もが不思議な気分になるだろう。流石に摩天楼と言うのはお粗末だが、コンクリート製の建物が体育館の周辺を取り囲み、周辺には町役場や図書館もあるらしい。この区画だけは立派に見せたいという見栄のようなものだろう。
人の行き来が少なくなってしまったとはいえ、そういう見栄が過去にあったことを示す名残がその建物達なのだとしたら、これから先、そういった感情は次第に忘れ去られていくということだ。文明の推移の途上はまさに今私達の生きる時代そのもので繰り広げられているのである。
もし仕事でなかったのならこのまま見物に行きたいものだが、不用意に街中に軍用の輸送車が入り込むのはマズい。索敵をしているテロ犯達に下手な誤解を与えて刺激を与えるわけにはいかない。一番の悪手はそこの住民が軍とグルになって呼び寄せた、と思われることだ。実際、そこで生活をしている市民は関係がないわけだから。テロ犯の全員が全員騎士道を持っている訳ではないので、市民への加虐を最小に抑えることには細心の注意を払わなければならない。
一連の説明をし終え、一度拠点を郊外に置き、徒歩で町営体育館――マドレフによる公演が開催される会場――に行くべきだ、と進言し、少佐からの了承を得た。さっそく身支度を整える。
街中に入るとこの紺色の制服も、白い腕章も、鉛色の軍靴も、すべてが目立って見える。少なくともこの町は、恵まれた治安のよさの為に、普段憲兵は立ち入らない。地元の警察がいれば事足りるような社会になっているのだ。制服は身分証明の必要上仕方がないとして、腕章は外していくことにした。
とは言っても、制服を着てぞろぞろと歩いては、やはりまだ索敵に見つかるので、3人1組、合計3組で別行動をし、後で落ち合うことにした。尚、余った私は一人留守番をしながら、午後から一組と交代し、体育館に行くことにした。
3組はそれぞれ、町役場に突入許可の要請、地元警察署への挨拶(協力要請)、体育館周辺の巡回という役を作った。3組目の状況が最も大切なので、昼になったタイミングで私に報告に来させ、その時に入れ替わる。私の存在は門外不出の為、露出は極力削らなければ、大きなトラブルになることは想像に難くない。そういった理由から私は独りぼっちで9名を送り出し、通信無線機の前に座った。
さて、一刻を回る前に、憲兵本部から通信が入った。耳をつんざくような警告音が車内に響いたため、瞬間的に内容を確認し、煩わしいアラームを止める。うん、ついに来たか。
「…ハウンティ裏切り、作戦の中断と当人の捕縛、か…。ふふ、こんなところで中断なんてさせるものかよ。ただ、履歴自体は消せもしないし隠せもしない。どうしたものかな。」
文面を読み進めると、すぐに本部の軍隊が追いつく、ということが分かった。予想はできたが、やはり邪魔になる物だな。軍隊に到着されては私のやりたいことが無理矢理できなくなってしまうし、今この瞬間に私が無線機を独占していた場合にも対応できる。実際ほぼ独占しているし。
「…どうする?ぶっこわすか?」
GPSがある以上、この車の位置はあちらさんに丸分かりだ。そのGPSを担う媒体の電源を切ろうとしても、もう遅い。
人工衛星が飛んでいるであろう空を睨みつけた。晴れてはいたが、雲もまばらに見え、空はいつか見た青よりも、もっとずっとくすんだ薄い青をしていた。
通信関係の責任者は、この小隊ではスズ少尉だ。武器庫同様、無線も専門のパッドから管理できる。ただ、それをいつも持ち歩くわけではなく、彼女が街に持って行ったのは、より小型化されたものだ。今ここに正規のパッドがあるため、私でも情報を本部に送ることができる。
「何度も何度も彼女の名前を用いるのも申し訳ないが、使わざるを得ないか…」
腕を組んで、文面としばらく睨めっこをし、この後どう動くかを計算する。あれこれ考えていると、突如、思い立つ物があった。一周回って、自分名義でも十分ではないか?
例えば、嘘つきが「私は嘘つきです」と言ったらどうなるのか。勿論どうにもならない。どうにかなるのはその言葉を聞いた奴だ。受け手の方は混乱するだろう、「矛盾している」とかなんとか、あれこれ考え始める。情報というのはいつだってそういうあやふやな、抽象的な物を分析したからといって満足のいく訳ではない。その発言に嘘や矛盾が含まれているかも当然対象だ。従って、ここでの返信の正解はこうだ。
「――抵抗の意思はなく、しかし同時に作戦を中断する意思もない。市民の便益の為に著しく反する可能性があるため、早期の解決を優先する。そして、追跡した軍については、個人的な感情はともかく脇に置き、出迎える準備はする。また、自身の捕縛についても、活動範囲の制限はやむなしとして、作戦遂行中、即ち夕方の前には拘束に応じる。当車両はいっさいの異常がないため、その追跡する軍の人数を変える必要は決してなく、ルートを迂回させる必要も決してない。あらゆる危機は存在していない。
文作成:ハウンティ……と。よっしゃ、嫌味なほど具体的な文ができた。」
さて、追跡する軍の数を増やす必要があるか、どんなルートで進めばいいか、せいぜい悩むがいいさ……本部の憲兵さん。
文の応酬を小型端末で確認していたスズは、初めこそ大変だと思ったが、ハウンティの意図をくみ取り、「なるほどね」と関心の息さえ漏らすほどだった。現地警察署に向かう班員と情報を共有しながら言う。
「やっぱりさすがハウンティよ。私達よりよっぽど情報の扱いに長けているわ。今の所私達に危害を加えようとするそぶりも見せないし、本部は空回りしてるんじゃないですかね。」
「さっきもアイツに当然のような怒られ方してたしな、お前。少なくともあの時、もしクーデターの意思があるんだったら、鍵盗られてたぜ。な。」
「うん、ただ…」
一人が困ったように零す。
「この本部の言う、映像証拠っていうのはどういうものなんだ?」
「えっ?証拠…」
「確かに、これに関しての具体的な説明は省かれているけど、本部が追跡を出すくらいの物なんだろ?そこ結構大事なんじゃないか。」
「普通に考えて、追跡の軍隊が持ってくるだろ。ハウンティ本人も捕縛にやむなし、だってさ。なにやらかしたんだ?アイツ。いや、わざとやったのもあるかもな。」
ふざけて嘲笑する二人を前に、スズ少尉は考えを巡らしたが、都合の悪いことに思い当たる所がすぐに見つかった。涼しい風が彼女の顔を撫で、身震いを我慢できなかった彼女は、すぐにその考えを頭から離そうとした。
体育館の周辺巡回から3名が帰ってきた。やったことと言えば歩きまわってきただけだが、周辺の建造物からの銃の射程可能性や、一定間隔に前を通過する客足、テロ犯とスタッフの照合など、確認する項目が多岐に渡ったため、心なしか疲れの色が見えた。
「やあ、今はさっぱりだが、この後そこそこの客が入るみたいだったぜ…ってどした?ハウンティ顧問。機嫌悪いみたいだが。」
「あぁ、強烈に機嫌が悪い。本部から面倒くさい伝達が入った。要は大人しくしてろってさ。そこの画面に出してるから、確認しといてくれ。」
「うわー、何やらかしたんだよ顧問、ここ最近のお前さんらしくねーな。変わったと思ったんだが、なんかドジでも踏んだのか。」
私は肩をすくめ、手錠を自分の片手にはめた。もう一方を投げやりに頼み、両手の自由を自分から奪ってもらう。はーあ、とため息をつきながら椅子に腰を下ろした。
「さて、読んでの通り作戦自体は遂行中だ。心配せずとも、お巡りさんとしての仕事は最後までやるよ。あと、かねての作戦のうち、少し手順を変える。私の個人行動だけで体育館に行くはずだったが、誰か付添いがいないと本部が唾を飛ばすほどキレるからな。お前らのうち1名を付添いにする。」
「残りの2名が追跡の対応?嫌だよ俺。」
「俺も嫌だぞ。何で本人不在なのに追跡の対応させられるんだ。」
そりゃあ、嫌なのは分かっている。ただ、私が実際に現場にいないとダメだろ。憲兵的にも…革命的にも。
「そこをなんとか頼むわ。つーか、あいつらのことなんか知らん。で、メモの準備ができたぞ。見たモン全部を忘れる前に喋れ。早く。おい。」
「どんだけ不機嫌なんだよ。まず、予測する客の数は……で職員の数は……」
ある程度話を聞いてしばらくしても、追っ手は接触してこなかった。追伸なども入っていない。
「昼を過ぎてしばらく経ったが、まだ来ないと言うことは、私からの直接の返信がある程度は効いてるということか…?まぁいい。来なかったということは多少あちらに非があるということだ。出向くぞ。」
「おい、待てよ。どう言えばいい?」
「目安とはいえ、指定された時刻まで追いつかなかった本部が悪い。こっちは全く虚言を言っていないし、それなのに慎重になりすぎて進んでこなかったんだから、不慮の事態に対して現場裁量を組んだだけだ、とでも言っとけ。私と彼は現場の体育館にまっすぐ行く。」
追跡班には一切の興味もなかった。こんなんで慎重になっているようなら、どうせ有能な情報参謀がいないと言う事だろう。そんなつまらん、頭の固い奴らのお守りをしている訳にもいかない。
(それに…来ないのはもしかしたら…別の理由からかもしれないぞ…)
そうも思ったが、どちらにせよ使えるものは何でも使う。それだけだ。私は官帽も持たないし、変装の小道具も持っていない。ただ外套を肩からかけ、手錠に繋がれただけの、元犯罪者に過ぎないのだから、今私にできる事に全力を尽くさなければ。これから向かう街の、不格好な林のような建物を黙って見すえた。
不意に後ろを見ると、さっきの3人が慌てて目を逸らした。私は笑うでもなく嘆くでもなく、口をつぐんで、騒がしくなるであろう街への一歩を踏み出した。
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