第8話 あなたがそれを望むなら
急速に現実が私を引き戻した。おまけに鼻っ面をへし折られてしまった。
「そうそう、公判日程で思い出したわ。ハウンティの裁判のことなんだけど、担当の弁護人の人が面会を希望しているわ。今度の休日の午後になるんだけど。ほら、明確な…司法取引について話すことになるわ。」
長らく記憶から抜け落ちていた、私の最も身近な謎。私は未だに、自分がとんとん拍子に憲兵の顧問になった意味がさっぱり分かっていなかったのだ。
(これからの私の境遇か…)
私は焦った。それどころか、焦りを通り越して腹が立ってきた。何か私のかぎつけていない裏情報があるのかとさえ疑ってしまう。それほど、少佐は落ち着いていた。私の気がチラつく一方で、彼女はさも当然のように椅子に座り続けている。その対照的な姿を、後ろのスズ少尉はどのように見ていたのだろうか。
私もまた声は落ち着かせながら、刺激しないように気を引き締め、静かに言う。
「憲兵は、私に何をさせようとしているんです?」
「あなたはあなたの仕事をすればいいわ。あなたなら、過去に組織にいた事はもう忘れて、まっとうな仕事の遂行ができるでしょうから。」
「……。」
改めて様子を見る。少佐に何か隠している様子はない。
でも、隠しているのだ。私はそれを知っている。
「少佐、穿ったことをお尋ねします。私の顧問就任の措置は、上層部からの命令ではなく、少佐ご自身の権限によるものであるという話を伺いました。しかも、少佐は士官内で、私の境遇を巡り、相当なご心労を重ねていると。何故、何故私がおめがねに適ったのでしょうか?」
「だから、あなたは優秀なのよ。あなたの生い立ちの資料は全部あるけど、元々孤児院にいたころは、ただの優秀な存在にすぎなかった。それが、今になって天才の軍師。おまけに内戦や銃所持を犯しているくせに、率いる兵員の略奪もゼロ。おまけに目をは引くのは非戦闘員への加虐の計算。テロ対策室の机上はいつも、下方修正の連続だったわ。」
孤児院というワードにスズ少尉が反応した。驚いたのかもしれない。だが、今はそれはいい。
「それでも、得心いきません。」
「うーん…?そうかな?」
ここまで食い下がると、少佐は流石にキョトンとしていられなくなった。ひたすらに困り顔で、嫌悪の色さえ見え始めた。だが、これは法曹界の常識から見て、異常事態であると言ってもよい。その違和感が何故通じないのか。
「あなたはいつも考えていることが謎なんですよ。今回の超法規的措置をどんな理由で、何故私に、行使したのか。その理屈が分からないんですよ。」
得も言われぬ空白が、私達3人を包もうとした。だが、そんなことは私が許さない。このまま殺された空気に抱きかかえられたままだったら、この前のように少佐に逃げられてしまいそうだったから。
「私は、不当な厚遇を受けていると…思います。」
私も言葉を続けるのに苦しいと感じ始めた。胸につかえたもやもやが、汚れた手で声帯を掴もうとするが、それを意志で振り払う。言わなければならない。
「身分不相応な勲章は名誉にはなりません。どうして私なんかが…」
そこまで言って、私ははっとした。瞬間的に、自分の言っている事に耐えられなくなった。こんな愚痴を聞かされても、事態を紐解くことにはならない。慌てて熱くなった目頭を押さえ、大きく息を吐いた。そして、壁に備え付けられたヒーターの傍まで歩み寄って、二人に背を向けて立った。
わかりきっている事だ。私は自分の事が嫌いだ。それなのに、どうして私はこれほどまで恵まれているのか。いずれ失速するし、昇ってきた高みの分、凋落も急勾配だろう。そのいずれが、今度の裁判のときかもしれない。そう考えると、私ほど不安定な身分も珍しいのだ。これほど高く高昇ってきてしまっても、それを裏打ちする努力や要素がないことは、この上なく不平等なのだ。
「あなたは、ここ最近の緻密な努力を思い返してみて、周りの反応が気になる?」
ラブラドーラ少佐は、私にゆっくりと話した。わたしが返答に戸惑うと、彼女は温かく言った。
「そこが、あなたが頑張り屋な所よ。」
無理矢理に感情をひっこめると、いつも眉間にしわが寄ってしまう。昔から怖がられることもあったけれど、これはもう習慣化された私の特性の一部だ。黙りこくって二人の方を振り返った。
「私はあなたほど、野心的で、面白い人材を他に知らないわ。だから。
だから手元に置いておきたいの。」
私はいつものんびりとした少佐を、子供だと思っていた。今この返答だって、大の大人が、しかも公務の場で述べることも、私にとっては間違っている。それなのに、私は胸を打たれた。憲兵になる前に、絶対に腐敗・癒着を許さず、戦い抜いて見せると誓ったのに、だ。
にもかかわらず、これほど大人びた魅力を宿しているものを、どう子供と見ることができるだろう。私の目の機能が屈折してしまったのだろうか。現に目の前はこれほどぼやけているではないか。
目の前の大人子供は、諭すようにも甘えるようにも聞こえるような、いわく二つへと裁くことができない声で突っ張った。
「私は私の生まれ育ったこの国が好きだし、教皇庁も好き。だから、この国の未来をよりよくするために、この内戦を満足な形で終わらせる。だから、最強の憲兵を作りたい。確かに、法律関係者の常識は大切だわ。でもね、理想と現実とが離れているからこそ、この政治組織に何が必要なのかが分かる。
ねぇ、力が必要なのよ。人々に、一秒でも早く安らぎを与える力が。」
あの時と寸分の狂いもない、透き通った瞳が映える。そういえばこの女は、こういう奴だった。
「少佐、憲兵は変えることができますか。この腐敗に満ちた天下を。」
「あなたがそれを望むなら。」
「分かりました。」
私はこれ以上何も言えなかった。これ以上隠している物は何もないとわかりえた。少佐の考えていることは至極もっともで、一職業軍人に普通に見られるものだ。政治観の左右はこれ以上踏み入って追究しても仕方のない話だ。上官なのだから。
裁判と弁護人の資料が入った紙封筒を片手に、暗くなった廊下を歩く。本当に日の落ちるのが早くなった。それでいて空は曇っている。明日には降り出しているだろう。
「ねぇ、今も怖い?」
後ろから恐る恐る着いてきたスズ少尉に、またも素っ気なく返答する。
「あぁ、怖いね。」
歩く先の廊下の奥の暗がりに、非常口とだけくり抜かれた、緑色の光が灯っているのを見据えた。まだ新しい安全灯は、決して歪んではいない。きっぱりと、自らの姿を示していた。
本当は、どうでもよかった。裁判を経て、世界から嫌われ者になるかもしれないこと。それは、革命の運動に参加した瞬間から、自分が嫌われるかどうかなんて他の一笑に付されても、意に反すに足りない。だから、私は前線で声をからして駆け回ることができた。誰も私達を覚えてくれていなくとも、私たちは理想に情熱をささげたことが、意味のないことだとはとても思わない。
また、私の処遇についてもそうだ。下手をしたら私は『赤土の荒野』の衝突で死んでいたかもしれない。だのに、九死に一生を救われて、今私は生き延びている。私は命が続く限り、次の遠征での作戦を成功させる必要がある。
私は、本当に生きているのだろうか。今ここにいる私は、ハウンティではなく、一度死んで生まれ変わった何者かなんじゃないのか。そんなことをふと考えたことがあった。
だがどこまで考えても、私はあくまで私だ。私は私の目的の為にどんな手段でも採ってやるし、どんな奴でも利用する。いつか、すべての命が、避けられる筈の
そうである筈なのに、なぜ私は恐れているのか、何を恐れているというのか…
「じゃあ、すまないなスズ。私は資料に目を通しておきたいから。あとは、一人にしてくれ。」
総務課の事務室に着いた。振り返って一瞥すると、その小さい背丈のくせに大きな眼を持っているその女は、更に大きくその眼を開いて驚いたようだった。
「ん?なんだ。」
「今、階級、少尉付けないで名前で呼んだよね?」
少々、迂闊だった。
「そ、そうだったか。申し訳ございません、少尉。」
「いや、全然!いいの!また後で昔話聞かせてよね!」
興奮気味に小さく叫ぶと、スズ少尉は上機嫌に部屋の中に去って行った。戸がピシャリと閉まったのを見届けて、私は苦笑すると、自分の宿舎に帰るために、肌寒い天気の中を、急ぐ。
およそ3ヶ月ぶりの、定刻通りの退勤。
私が“怖い”と表現したもの。それは、今の私を友として囲う二人を、失う事だった。そんなこととても晒せない、晒せやしない。キャラじゃないんだから。同時に、こいつらは、緊急時には私の弱点ともなるだろう。あれほど憲兵の身分に動揺したのに、まさか守るものが増えてしまうなんて、おかしな話だ。そう思いながら、いつも通りの私らしく、この曇り空に似合わない感情を心の底にしまい込んだ。
私は宿舎に着いた。だが、そのまま中へは入らなかった。脇へそれて陰に隠れると、そこから真っ直ぐに追跡者をとらえた。
「バレバレだな。下手な芝居は辞めろ。」
足音を消そうとしていたが、その意識がむしろ顕著に表れていた。後ろにいた二人組の正体、それは、見知らぬオッサンと、よく知っているオッサンだった。
そいつらは、こちらにバレていないと高をくくっていたのだろう。驚いて体を強張らせると、深い帽子をとってこちらに寄ってきた。よくよく見ると、前者もまた軍隊の関係者ではあった。ただ、頭の中に情報として入っていただけで、実際は初対面の、非常に整った顔をしたオジサマだった。
「おや、シュナウザー大尉。女子寮の前までついてくるとは、訴えられたいのでしょうか。」
「相変わらず生意気な口だな。顧問殿。」
一応、波風を立てないように敬礼だけはしておく。
軍隊においては階級が絶対である。ただ、内務班の中ではそうではない。例えば、少尉と中尉では勿論中尉の方が上だ。だが、他に慣習的な一年兵、二年兵などというヒエラルキーがある。これは一般の会社でもそうだろう。私は顧問という、階級から独立した肩書を持っている、極めて政治的な存在だが、まあ憲兵という地位に長く尽くした功労の意味を込めて、こちらは対応させられるのである。
そして、もう一人の短髪の中年男性は、本当に驚いた様子で、
「むう、いつから気づいていたんだ?」
と漏らした。昨今は侮られることが多かったからか、そう悪い気はしないな。
「お初にお目にかかります、パーシェスク警察総長。」
私はペコリ、と頭を下げ、そして、さらに遠くにいた、男なのか女なのかよく分からない奴を指した。
「もう一人のあちらの方は、どなた様ですか。」
オッサン二名はギョッとした。指差された身元不詳の対象は、そそくさと建物の影へ隠れた。
「わ、私らは知らんぞ。」
「いや、確かに、もう一つ気配があった。隠さなくてもいいではないですか。私の機嫌を損なうだけです。」
「い、いや…」
ここにきて、総長と目配せをした大尉が、向こうの建物へ駆けて行った。こいつらごと着けられていたのだろうなあ。ただ、こんな若造に分かったのに、ベテランが分からなかったなんてプライドの傷つく話だろう。
門と塀で囲まれた憲兵本部の敷地内に、得体のしれない侵入者がいたのか。安全上強烈に気になる話だが、ここはこちらがひとつ膝を折って、役者になろう。客としてきている以上、目の前のオッサンはvipだ。寮の影へ誘導して、話を聞く。
「本日はどういったご用件でしょうか。」
確かめに行った大尉を抜きにして話をおっぱじめる。
「ああ、君について、な。」
警察総長もまた直前の案件を脇へ流すほど肝の据わった性分のようだ。私はあたりに目を光らせながら、総長の話に耳を傾けた。
「話…といっても、今は込み入った話はしない。今日はただ、忠告に来ただけだよ。
ただの、忠告にね。」
警察総長はニヤリと笑った。
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