第6話 イデア・エレベータ

「君は憲兵を何だと思っとるのかね・・・!?」


 怒号と、不審な目を一身に浴びながらも、ラブラドーラは柳のように、涼しい顔で受け流していた。

「ですから、我々憲兵にとって、彼女は有益であります。私の裁量にどうかお任せください。」

いや、顔だけは涼しいが、肝は十分すぎるほど冷えていたのであった。ハウンティをスカウトしたのは、満足のいく自信があったわけでは決してない。


 いまだこの会議室で、ラブラドーラを「七光りのボンボン」として見ている人員はいないだろう。彼女はこの組織にとって、「しなくてもいいことをしている厄介者」だと思われている。酷ければ、将来に亘って笑いものになる事もあり得る。でも彼女は、対立する人々の思想を一蹴するわけにはいかなかった。


 ラブラドーラは以下のように認識した。私のすべきことは“根本を絶つこと”であって、ただ現状の犯罪を取り締まればいいというわけではない。原因を突き止め、その思想の内容を正さなければ、今の闘争が終わりなく繰り返されるだけである。だから、これはしなくてもよいことではなく、しなければならないことだ。

 残念だが、会議室組の連中にはそれが分からない。いま現場では、終わりの見えない戦いに疲労の色を浮かべる軍人が、空を見上げているのだ。彼らは、机の上だけで声を張り上げるが、結局の所は欲しい需要が現場組と異なっている。


 それなのに私がどうこういっても仕方がない、そうラブラドーラは悲観視した。そして、早々にその説得をあきらめ、裁量に任せる事の一点張りで押し通してきた。

 意外かもしれないが、その姿勢は同様の悩みを持つ軍人を刺激した。下士官から将校レベルだ。その名前が国民にギリギリ知れ渡っていない隊士間では、あまり今回の事でラブラドーラに反目を立てなかった。しかし、ただ「いい気味だ」と笑うだけで、自分の周りの仕事に戻り、味方はしなかった。組織内の彼女の孤立化は、崖を削る波に似たり、着々とその島を侵食し始めていた。


 怒号の主、ブルヘルム中将は更に叫ぶ。

「この動乱の折に勝手な行動は慎め!マスコミにだってどう説明するんだ!今回のようなことは特に問題で…」

「滅相もございません!」

 巧みに彼女は場を取り繕ってさえぎった。

「現状において完全に法の統治化にあります!次の遂行に向けて建設的に…」

ここがおかしなところだった。現状を見ればこそ、今は完全に内戦状態に近かった。商業施設間の人の移動は必要最小限になり、地方ではほとんど毎日のように家屋が破壊されていた。そこに住む人々が街を追われ、数年前の戸籍統計はもう完全にその信憑性を失っていた。今一番儲かっているサービス業が住宅の契約警備会社と警察だ、なんてジョークまで流れている。

 それにも関わらず、この将軍クラスの人々は、事態を危険団体による犯行と過小評価し、非常事態宣言を出すことを渋っていた。治安は政権のメンツであり、この国の最も権威ある教皇への報告が、「すばらしい国政で、国民は幸せな生活を送っている事」にどこまでもこだわった。

 軍隊の将軍や警察の参謀は、今のように、政府と違う見識の構成員を締め出すためのトラップを会話にちりばめ、意識の統制に気を使っている。組織内の中枢は、お互いがお互いを疑い合う、汚らしい構図が熟していたのであった。


「ふん!まあいい、今に見ていろ!そいつは絶対にクーデターを起こすだろう。そのときはすぐに首をぶっ飛ばしてやるから」

きびすを返して、ブルヘルム中将は国防省の会議室から引っ込んだ。

 憲兵隊の本部に戻るために、ラブラドーラも外へ出た。室内の暗さとは対照的に、その日は憎たらしいほどの快晴で、日差しは暑く、風は冷たかった。砂っぽい色にかすんだ、青のカーテンを忌々しく睨みながら、ラブラドーラは帰路に着いた。



「あら、お疲れ様。怖い顔ですね-。嫌なことがあったって顔に書かれてますねー。どうしたんでしょうか。」

私が困った顔でそちらに振り返ると、首一つ下にそいつの顔があった。

スズ・エスパニィ少尉である。厭味ったらしい呼びかけだが、ほとほと呆れ果てていた私にとっては、いまさら腹の立つことでもない。瞼を落としながら椅子を引き、腰を下ろした。

(あーあ、今日は実にくたびれた。)

気が滅入りそうになるが、背筋だけはピンと伸ばしたまま、ため息をついた。

 話す事なんて何もないのに、スズ少尉はそのまま小首を掲げながらこちらを覗き込んでいた。

「なんだ」

「いや喋ってよ、その理由を!普通、会話を続けるでしょ!」

そういわれても。喋りたくないんだよこっちは。

非常に億劫である。やはり私に公務員なんて合わないだろう。後ろ向きな感情が、私の中でむくむくと湧きあがった。前線で指揮を執っていた頃に比べ、私の精神は明らかに衰弱していたのだ。


「なぁ…憲兵ってなんだろうな?」

思わず、笑ってしまいそうになる。この状況下におかれた自分を。

 私にはもう分からない。この堅苦しい紺色の制服も、腕章も、靴も。自分の肌の上に這ってはいるが、自分が着ている感覚がしない。自分ではないのだ。

 私の鬱々とした表情を和らげようと思ったのか、それともかねてからの性格からか、スズ少尉は目尻をそのままで、口の端をチョイとあげて笑った。

「あなたが思っているほど複雑なものじゃないよ。」


 その時私は、ほんのちょっぴり、嬉しくなった。こいつの魅力が少し分かったというか何というか。つまり、スズ少尉は私を元気にしたいのだろう。それは確かに、心からの笑顔ではない作られたものだけれど、私を元気にしたいという動機、或いは私にいい恰好を見せようという動機は、私を、仕事を共にする仲間だと認識してくれている証拠だ。

「…そうか。分からんなぁ。何だろう、憲兵とは。」

何人かが部屋の反対側の、コピー機の周辺で集まって「あれー、ああでもないこうでもない」とやっているのを眺めながら、私は答えた。今、あいつらとこの2人の他には誰もいない。昼休みは終わっているものの、完全に出払っており、外からの陽気な光がカーテンを逆向きに照らし、その色をいっそう濃くさせている。私を取り囲む感じは、こんなにも、学生の放課後のように穏やかだというのに。

 唐突に少尉が話を振る。

「ねぇ、暇ならちょっと付き合ってほしいんだけど。」

「…別にそれはかまわんぞ。」

私は本当に構わないつもりだった。この後私がどうなろうと、さっきの奴らの述懐にはまったように、べらべらと情報を垂れ流さざるを得ない状況になるよりは、落第成績でもとって、無様にクビになる方がましだ。

 ほんの一瞬ラブラドーラの悲しい顔が脳裏をよぎったが、そんなことは泡沫うたかたの夢と割り切り、すぐに消し去った。


 

 この世界では交通が非常に不便である。砂漠があれば氷河があり、林があれば町がある。起伏にとんだ地形のため、私達の先祖は災害に苦しみ、あちらこちらで物資の不足が頻発した。そこで、二つのものが発展した。ひとつは食料の供給力だが、もうひとつは物資の輸送である。

 ―非実在イデア・箱舟エレベーター― 発明した会社から、人はそう呼ぶ。

 私たちは、なんの手続きも無しに一瞬で、別空間にある倉庫から、道具をひっぱり出すことができる。これは壊れやすいものを除けば、市販の工業製品は大抵が可能であり、民間人に大変重宝されているサービスだ。ただ、そんな四次元ポケットは、完全には個人の所有物ではなく、銀行口座のように倉庫会社が統括管理している。悪用がいくらでもできるシステムだからだ。現に私は犯罪者とあって、倉庫が差し押さえられ、キーはあるが利用できない状態になっている。

 今回来たのは、まあ、公営の倉庫で、軍事物資を扱っているところだった。スズ少尉は私を連れて、廊下を歩き、中庭を通り、別の棟のここまで連れてきた。こういうところの見学は、私にとって生まれて初めてのことだった。

「ふうん…でかいなぁ」

倉庫も、重火器も。自動車工場でも見ているようだ。入ってすぐの厚いガラス越しに、整備士が忙しそうに動いているのが分かる。立体駐車場のような頑丈な鉄骨の上で、奇抜な色に染まりながら火器が消えた。今度は奥の壁に銃が揃えて出現した。

 軍隊が持っている兵器は、小銃や刀は個人に支給されたものの筈だが、目の前で整備士が部品を分解している小銃の列はいまいちそのように見えず、共同管理下にあるようにしか見えない。はたしてこれが、正確に個人のもとにとんでいくのだろうかと疑問に思い始める。

 なんだかむず痒い気持ちになり、私は

「こんなところに私を連れてきて、見せてしまって良かったのか?」

と尋ねた。スズ少尉は素知らぬ顔で、

「別に見たからってなんもできないでしょー。それにこれでも一部隊のものだし。」

とつっけんどんに返した。普通、連れてくること自体は警戒するものだろうが、確かにその少尉の返答もまた事実だった。おそらく、この通路の幅を超える大型の機械でもなければこのガラスは壊せそうもないし、ましてやことなんてできない。

「ちょっとここで待ってて。すぐ終わるわ。」

そういうと、スズ少尉は小管制室と書かれた部屋に入っていった。扉の中に何があるのだろうか、気にはなるが、もう憲兵の仕事に失望して、やる気も反抗心も無かった。見ている分にも楽しい倉庫の中を、何の考えも無しにぼんやりと見続けていた。

(あの銃は、私の同志を撃った銃なのだろうか、これから撃つ銃なのだろうか…)

 10秒も経つか経たないかで、エスパニィ少尉の声が扉越しに聞こえてきた。

「「こらーーっ、寝るなーーっ!!」」

唐突だったので思わず吹き出してしまった。まったく、ご苦労なことだな。苦笑する顔を扉から戻し、ガラスの中へと向けた。うっすらと自分の顔が映るが、どんな表情をしているのかは分からない。こんな気晴らしに誘われるほど、疲れた顔でもしていたのだろうか。


 西日の照らす中庭で、私は前を歩く少尉に聞いた。特に関心はないのだが、管制室の中はどうなっていたのだろうかを。

「あぁ。モニターがあって、入ってきた武器と出て行った武器の履歴が計上されているわ。それと、その場所から死角になっているところの防犯カメラの映像。通報装置なんかよ。その場所にあなたが入ってきてたら、通報してたかもね。」

おいおい、そいつは御免こうむるな…なんて思いながら、私はとした。

通報され、失望されることを御免こうむるというのか!私はさっきあれほど幻滅しながら、いまだにこの憲兵という職業に執着があるというのか!私は自分の急激な心情の変化の激しさに動揺し、困惑し、激しい恐怖さえ覚えた。思わずその場に立ちすくんでしまった。

 足が動かなくなってしまった私を不審がることもなく、スズ少尉は自然に追い打ちをかけた。

「私ね、ホントはちょっと、信じられなかったんだ。隙間から見られるかもとも思った。けど…」

小さい彼女が、私の止まった影を見て、足を止めた。

「でも、…裏切らないでくれて、本当にありがとうっ!」

振り向いて、そう笑いかけた。ほんのりと夕日に照らされながら、その笑顔はまぶしかった。さっきのような口元だけを上げたものではなく、顔全体で、無邪気に、ただ笑ったのだった。


 私はやっと分かった。憲兵とか、公務員とか、革命家とか…それを複雑にしていたのは、私だったのだ。苦労して、悩んで、奥歯をかみしめて、でも見えなくて。


 違うのだ。そうではないのだ。“何の職業についているか”が大事なのではなく、“その人の心がどうあるか”なのだ。公務員が絶対に腐敗するわけがなく、不満を持った人が正しいというものでもない。「過ぎたるを知り、及ばざるを恥じること」、それは、ひとりひとりの心境に根差していた。私はいつの間にか、同じ意見の身内で固まっている間に、そのことを忘れてしまっていたのだ。

 好きになって当然とか、嫌われて当然とか、そんな当然は存在しない。いままでそんな声が周りに溢れていたけれど、私はこの尊敬すべき同僚のおかげで、目から鱗が落ちた。これから先、私にしかできない仕事があるだろう。それは、以前私が挨拶した内容だ。私は私が理想とする憲兵を目指して、自分がなってやるのだという目標が、炎とともに卵から生まれた。


「おーい、スズ~、ハウンティ~。なにー、仲良くなったのー?」

遠くからラブラドーラ少佐が歩いてきた。そういえば、今日は日中はいなかったな。

「はいっ!」

「ええ、とても。」

 二人して敬礼で上官を迎える。穏やかでおおらかな少佐は、私よりも嬉しそうな顔をしているように見えた。

 私にしかできない仕事を、絶対にやりきってみせる。新たな決意を胸に、私は新しい一歩を踏み出した。

 もうすぐ寒さの厳しい季節がやってくるだろう。日が傾く頃合いは早くなり、夕焼け色に西の空が染まる一方で、もう東の空には夜の兆しが訪れていた。建物のガラスに反射し、より一層、青いペンキが圧力を放っているようだ。雲は日に照らされ、ほんの少し濁りながら漂っていく。

そういえば、今日はよく晴れた一日だったな。明日もきっと晴れるだろう。



さようなら、自分。そして初めまして。



私は今、憲兵です。

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