第4話 腐敗をなくすために
私は今朝から憲兵である。勿論、中身は全く違う、が。
そもそも、今まで長らく敵の一部としてしか憲兵を認識していなかった私が、すぐに心から憲兵に染まれるわけがなかった。いずれにしろ、私は監視しながら監視される、鏡のような存在なのだろう。得た情報を即座にリークしようにも、監視されているからこそ、そう簡単にはできない話だった。
直ぐに付随されて届けられた鍵を咥えて手かせを外し、制服に着替え、合わせて一緒に届けられた2つのメモを見ると、簡単な見取り図によって、これから向かうべき部屋と、今日から生活する宿舎の位置が書かれていた。
(まずは、仕事をするために目的の部屋に行こう。得た情報は流す機会ができるまで蓄積しておくしかないだろうな。)
宿舎は別棟にあるため、そっちのメモは元の通りに折り畳む。職場のメモに目を通しながら、朝食として用意された味のないライ麦パンを、貪るようにかじった。
つい強がった態度を取りがちだが、どうやら私は緊張していることを認めざるを得ないらしい。朝食は喉を通り過ぎたきりで、なんの幸福感も与えてくれない。胃の痛みは弱くもならず、かといって強くもならなかった。私の心拍を強く否定するような、じりじりとした圧迫感を加えるように。
(これから私は奴らの中に入っていき、どんな意地悪なことを言われるんだろう。鬼が出ようが蛇が出ようが、絶対に曲げられてはいけないな。)
私は絶対的なマイノリティーで、しかも非合法な、いびつな存在だった。自分の人生は一人で背負い込むことができる、なんて、自己啓発書には簡単に書いているが、私の双肩はこれからその重さに耐えることができるのだろうか。
先日はいきがって「私は死など怖くない」なんて叫んではいたが、生きる事の方が死ぬことより何倍も難しい事なのだった。
鉄の扉を、音を立てないように開けた。意外なことに鍵はかかっておらず、すんなり開いた。それでも軽く体を横にしながら、そっと留置所の鉄の扉から身を出した。
と、同時に、目の前にそいつがいた。
私を見張る看守である。戸の脇の柱を背にして立ち、黙って憎々しい横目でこちらを睨みつけていたのだ。
私の心臓は大きく収縮し、そして膨張した。顔では気にしていない風を装って、メモに目を落として歩き出す。口の中の水分がすべて、持って行かれた感じがした。
(いずれあいつとも会うんだろう。そして他の奴らも同じ目をして、私の前に立ちふさがるんだ。いやだなあ、本当に。)
誰もいない廊下を一人で歩く。むしろ孤独の方が今の私には気が楽だった。
あまりに静かなもので、私のやっていたことは間違ったことなのだろうか、という内省の時間にすることができた。
私が最も嫌いなものは何か。それは腐敗だ。公務員という役職は価値中立だが、大きな権力を持ち合わせている以上、それを用いる行動主は、模範的な潔癖性を持っているか、或いはそれが不可能ならば、権力を抑制するしかない、と。少なくとも、権力は大きいほど腐敗する、という理論は、私を含めた急進的な者でなくとも、世の中のほとんどの者に共有されているはずだ。一般の書物や古典の中にも相当数の記述がある。
この動機はまず正しいだろう。では、その手段はどうだった?私達が武器を手に取り、武器を持つ公務員へ攻撃したのは……
答えが出る前に目的の場へ到着した。ノックをして挨拶し、入室した。
「あぁ、来たわね。ハウンティ。」
例の穏やかな声が聞こえた。
そこは昨日私が来た、女憲兵の執務室だった。また何やら紅茶の匂いが、部屋に満ちている。部屋の主はデスクの上のティーカップに紅茶を注ぎ、私に持ってきて言った。
「緊張していては、良い仕事はできないわ。いつかあなたは、私たちと分かり合うことができると私は思うの。そのときまでに勝手に潰れないように、ね。」
幼いような、悪戯な、甘えるような、曰く表現しがたい笑顔でこちらを見た。
流石だった。私の今までの緊張も、殺伐とした反省も、全部お見通しというわけか。こいつには本当に舌を巻く。しかし、紅茶を飲むまでもなく、私の緊張は溶け始めていた。なぜだろう、こいつの声を聞いた後からだ。
(私はこいつに会えて…嬉しいのか…?)
私らしくないのは分かっている。こいつの天然ペースに載せられっぱなしなのは、良い事ではない。こいつを操るためには、まずこいつを私に依存させる必要がある。
「少佐、この度は私の身を超える処遇、本当にありがとうございました。」
「ううん、いいわ。それに、この職務があなたの本質を超えているか、いないかは、あなたのこれからの働き次第だと思うのよ。」
何度も言うが、私はあまり敬語に慣れていない。きっぱりと内心を表現するので手一杯だ。(まぁ、「あたかも内心を表現してみせた」という表現が最も妥当ではあるが。)
「飲み終わったら、すぐに行きましょう。」
少佐は先に飲み終わり、流しへカップを置くと、凛とした表情で帽子を被ったのであった。
歩きながら、私は何気なく疑問を口に出してみた。
「そういえば、私には帽子はまだ支給されていないのですか?」
「あるにはあるんだけど…」
少しもじもじするように少佐は口をつぐんだ。そんなにころころと多様な表情を披露されると、憲兵隊長であることはおろか、同じくらいの年齢ということさえ忘れてしまいがちになってしまうものだ。あんたはお人形さんか。
「あなたには、主に室内などで仕事をしてもらうわ。外に行くときは必ず私の付添いとして出てもらいたいの。その時になるまででいいかしら。」
「了解しました。」
別にこれといった異論があるわけではない。今の所、外に出たいとは思ってもいない。だが、私は唐突に、今まで考えていなかったことに思い至った。いま私はどこにいるのだろうか。いや、ここが廊下で、執務室から職場に向かっているとかいうことではなく、私はこの国のどこにいるんだ?
憲兵本部総務課、と書かれた部屋に着いた。ということは、私が気絶した地点から相当離れた、首都まで運ばれてきたのか。憲兵本部、なんとも仰々しい名前だが、ドアはカチャン、などと、気の抜ける音を立てて開いた。
「おはようございまーす。」
「失礼します。」
一瞬でこちらに視線が集まったのが分かる。
私の新しい同僚たちの視線は、なんというか、風当たりは大したことはなかったが、それ以上に複雑だった。
憲兵には大きく分けると3通りのパターンがあった。まず、看守のように私に憎悪を抱いているグループ。私は指名手配されるほどの悪者だったわけだ。こいつらも私たちによって仲間を傷つけられたりもしただろう。しかしその燃える炎のような目は、当初の緊張ほど多くはいなかった。
次に、好意的かは分からないが、こちらへの興味を持っている憲兵。これは全部少佐の考えに賛同し、説得する側に回った奴らなんだろうか。とすれば、少佐の人徳あるためなんだろう。
最後に、私的な感情を外に出さないように気を使ってくれている憲兵。私を根に持っているようだが、「仕事は仕事だから」という割り切り方をして、落ち着いた顔をしている。とても暗くて冷たい目を覗かせていて、私としてはこのグループが最も心に刺さった。
「さあ皆、今日から情報顧問として招くことになった、ハウンティ氏よ。知っての通り、ハウンティ氏は実戦経験に加え、世の革命軍の実状をよく知っているわ。情報は皆が主体的になって引き出すように。」
なるほど、そういうカラクリか。私にも、自分にも、角を立てずに落ち着かせる場所。それが情報顧問。だとすれば、ひょっとしたら、私は掴めるかもしれない。
この瞬間に私が説明する事。私は上手く自分を作ることはできないけれど、私は私の思っていることを話した。
「私は手伝うためにここへ来た。」
整然と静まり返った部屋に私の声を通していく。
ここにいる憲兵、いない憲兵、そのすべての人が聞いても納得できるようなことを言う必要が前提としてある。しかし、普遍的になりすぎても光らない。その辺の勘定は私は苦手だったが、しかし戦略の立て方は絶対に間違えない。
「何を手伝うかと言えば、情報の収集ではない。諸君らが新しい価値観、新しい世界の見方に触れるための手伝いだ。だから、今回の少佐のスカウトについては、本当にありがたいと思っている。その期待に応えてみせよう。」
私の戦術家としてのプライドは、私の細い肩と、背中を押した。媚を売るつもりはない。かといって尊敬を得ようとすれば、犯罪者上がりの私では、公務員からのブーイングの波に会うだけだ。共通のテーゼを前面に持ってくる。
「それは…“腐敗”をなくすためにだ…!」
語気をやや強める。彼らが息を呑んだのを、目を細めながら確認した。隣の少佐も顎に当てていた指を離した。ここから一気にたたみかける。
「私は腐敗という腐敗を、この国から葬り去りたいのです。その目的の為には、私は武装蜂起もしたし、君たちとも協力しようと思う。」
私は少佐とは真逆の性格だ。私は自分の思っていることと真逆の事を述べることはできない、不器用さがある。彼女はその持前の素直さから思ってもいないことを言えない不器用さがある。されど、彼女は天然で形がないが、私には一本の柱としての意地がある。最も憲兵らしくない彼女との違いは、規律への重視にこだわる事だ。
「だから、諸君らが私を警戒した方がいいだろう。私はもし誰かが贈賄や収賄、不当な経費使用によって、国民の意に背くならば、その場で切り捨てる所存だ。私に殺されないよう、くれぐれも注意するがいい。公益のために、これからよろしくお願いする。」
そう締めくくって、私はニヤリと笑い、スッと頭を下げた。姿勢にも気を抜かない。背筋を常に張りつめたまま、腰から折り曲げた。
彼らは知っている筈なのだ。私個人があえて非戦闘員に攻撃したことがないことを。だから、公益というワードは使う価値がある。
空気がわっと弾けた。中立以上の印象を持ってくれていた憲兵らの、積極的な拍手が、他の大勢の拍手を誘発させた。その場のほとんど全員が手を打ち鳴らした。
耐えきった。もう、これで。
私は憲兵だ。
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