第3話 お前は、知っていたのだろうな
憲兵は私の味方ではなかった。
何故ならば、奴らは公務員だ。腐敗、
しかし、かといって明確な敵とも言い難かった。そもそも憲兵の職無内容は、違法な軍務、又は公務をした軍人を取り締まる事。加えてこの国では警察や保安隊にも警察権を行使してくれる。法に背かない一般人を違法逮捕、投獄したなんて話は、この現代では聞いたことがなかった。やっている事はほとんど私たちと同じ趣旨だ。
明確な違いは、法と効果だ。奴ら憲兵は法的に銃を扱う資格があるが、私達暴徒にはない。奴らの活動の中で裁きを受ける悪徳公務員は、裁判で勝てるか分からない者の検挙に消極的なため、全体の半数に満たないが、私たちは追い詰める事ができる。
私は悩み抜いた末、しぶしぶ承諾の旨を伝えた。
「わ、分かった。ひとまず、ここで首を縦に振るから、私達を…私の仲間の治療をたのむ。」
うつむきながら答えた。私の尻尾もしょんぼりと、床を指している。それとは対照的に、彼女の…つまり女憲兵の、うきうきとした表情が躍った。
彼女は知っていたのだった。もし私に死という選択を与えたなら、私は迷わずそれを行使したし、政治犯として死刑に処されても、乾ききった心に公開が湧くことはないだろう。だからこそ、私にその選択肢を与えなかったのだ。
ここで断って死刑判決を聞いた時、民衆たちはどう思う?憲兵は独立した機関ではないものの、やりたいことは私達と同じ…少なくともこのやり取りを見た、左右の答えを出していない民衆たちは、そう思うだろう。「検挙率の悪さ」への不満は、尚も食い下がって対立するほどの理由として認識されはしないだろうということが、予想できた。
(今後、私達が天下をひっくり返し、治める側の立場になった時に、民衆との間に軋轢を残しておくわけにはいかない。ここは大人しく引き下がり、情報収集に徹するべきだな。)
勿論、私の答えが最善の正解ではないことは分かっている。私よりも、あの時離れ離れになった上官の方が、もっと賢明な判断を下したかもしれない。あぁ、それを確かめる術がないのが本当に不安だ。
「じゃあ、交渉成立ってことで。明日からよろしくねっ。」
彼女はにこやかに言い、空っぽのティーカップに紅茶を注ぎ直した。私の何とか出した結論が、そんなに嬉しかったのか。悪い気はしなかった、なんてガラにもないことを思いながら、透き通った赤色の波を見る。
「しかし、それほど話は簡単なことではない筈だぞ。そっちは検事にどう交渉するんだ?今、私は期待すればいいのか?それとも悲観的に待っていればいいのか?」
こちらにも心の準備がある。特に、明日までに交渉を飲ませるなんて、簡単に言ってのけたが、この女もまだまだ若いのだ。難易度は極めて難しいことがよく分かる。
「…あぁ、そうね…」
女は口元の微笑みを崩さずに笑っていたが、一瞬目から輝きを失わせたのを、私は見逃さなかった。しかし、
「私にまかせなさい。」
女は優しく、自分に自信付けながら、私に続けた。
「明日の昼すぎまで、正確な答えを出します。だから、あなたは本当に働くことを考えて。」
「変に無理するなよ。」
「あら、気遣ってくれてありがとう。」
お互いに、あたかも友達のように、自然と笑みが出た。不思議な感覚だった。こんな笑い方を、公務員相手にもできるなんて、捕縛前には知らなかった。何より、本当にこの時間を楽しむことができた。
でも、こんな小説的な展開も、朝露が払われるかのように、膨大な時間の中のほんの一コマにすぎない。一分一秒が口惜しいのは、ひとえに繰り返し手に入らないからだ。
「さて、申し訳ないのだけれど、あなたをこのまま自由の身にはできないの。検事局から了承を得るまでは、あなたは罪人のまま。法を超えることはできないから、同じく檻の中で待っていてくれないかしら。手錠もね。」
なぁんだ。やっぱりそうか。今、私は罪人だったじゃないか。
楽しすぎて忘れていたが、ここは留置所だった。刑務所とは違うが、容疑をかけられている状態の人が身を拘束されている。というか本来は、私には手配書が公布されており、しかも現行犯で捕まったのだから、留置所にさえ身分不相応なのだ。それがたまたま憲兵の目にとまり、軍の異例の留置施設に押しこめられている。
頭では分かっているが、帰る場所が鉄だけでできた個室だという事実は、いざ認識するとあまりに寂しいものがあった。これがギャップの差だ。何を伝えたかったのか、思わず女憲兵の方を向いてしまったが、慌てて自分の先行きを見通すような、戦士の目を作った。
幸い、私の不自然な視線の変化は見られてなかったらしい。向こうを見ながら帽子をかぶるっていたそいつは、こちらに向き直ると、改めて私に言った。
「それでは、さっそく言ってくるから、あとは指示を待つように。私は少佐・憲兵隊長、ルートヴィヒ・カーノン・ラブラドーラⅡ世です。よろしく。
ルカちゃんって呼んでね。」
「い、いやです、少佐。」
「なによもー」
口を尖らせた無邪気な憲兵を送ると、私は来た道を、それも揺るぎなく無機質な道を、連れ戻されていく。どんな廊下かは、例の如く目隠しをされているため分からない。ただ、靴のカツンカツンという音が、壁と廊下に響いている。「私はこんな奴の足音なんかいらない」「私も受け取れない」なんて、次から次へと音が奥へ投げ渡されている。前を誘導する男の足音に、なんとなく重ね合わせてしまう。
男は特に気を利かせるわけでもない。そもそも足音については特に考えていないのだろう。他者の見ている世界は自分とは違うというのは、いかにも、当然な相違をもたらすのだ。
「お前は、」
ポツリ。
「知っていたのだろうな。」
またポツリ。特に不機嫌なつもりはないのだが、なんとなく断片的な聞き方になってしまった。
「どう思った?」
聞いた内容は、私の処遇について、奴がどう考えているか。訊いた内容は、奴が何を考えているのか。当て布から奥の空間を見透かせたなら、髭のオッサンがどんな表情かを見たかったが、
ある程度の時間を置き、男は答えた。
「私は少佐の判断を心より信用している。」
「?」
確かに私の質問は質問になっていなかったが、それに対しての男の答えもまた、答えになっていなかった。その時の私は答えの意味を適切に推測することができなかったことを、私は自白しなければなるまい。
火を見るよりも明らか、充分に質問の意図が伝わっていたと言えるだろう。つまり、信用とは何よりも具体的な肯定の答えなのだ。「この口髭のオッサンが適不適をどう思ったか」についての問いかけは、必ずしも「上司をどう見るか」ではない、というのが国語の述懐で問われることだ。だが、紙の上ではそうであっても、性格の前ではそうではない。
私を迎え入れる前に、当の女憲兵は、膨大な議論と説得を仲間内でしてきた。私の目に見えないところで。あからさまに奇天烈なこの女の提議を受け入れられない者の方が、多数だっただろう。犯罪者と仕事をしたいなんてもの好きがいてなるものか。しかし、女憲兵はいくら相手が多かろうと、「私の貢献力を信じて」ひとりひとりを理詰めで折って行ったらしかった。この男も長い説得の末、女に根負けしてしまったのかもしれない。
だがこのときの私は理解できず、尚も「上司だからと言って全肯定するのはおかしいんじゃないか」などと食い下がったが、「意図は本人に聞け」の一点張りで取り下げられ、不満を残すことになってしまった。もやもやとした気持ちは晴れなかったが、あくまでこれからの情報収集に役立てる為に、鉄の鳥籠へ戻ってからは、大人しい捕虜を演じていた。
正午を一時間ほど過ぎたころ、看守が昼食を持ってきた。簡素な、それも薄味で、何も温かみの無いスープ。
「すまない。聞きたいことがあるのだが。」
どうしても聞きたかったことを思い出した。その看守が知っているかどうかでいえば、知らない可能性の方が大きいだろう。信用に足りないことを言われても仕方のない。聞いても聞かなくてもいいようなことだが、暇なので聞いてみる。
「私が捕まった時、何故あの辺境に憲兵隊がいたのだ?それも、ただの軍隊や保安隊ではなかったのだと思うが。」
看守は小窓から怪訝そうな顔を覗かせて、返答を
だが、その看守は私の疑念に反して答えをくれた。
「その日の前日、あの町で大規模なテロを想定して、対しての防衛線の演習があった。その視察と会議のために憲兵隊が出張していた。」
「え」
「その帰り道にお前達がたまたま引っかかったんだよ。特に、兵を突っ込んだ護送車が砂地にタイヤを取られて、降車して警戒していた時に発見したらしい。」
「 」
そんなとんでもない不運に襲われていた話が、本当の事であると、看守の気の毒そうなにやけ顔から分かった。他人事なら笑いごとだが、今私は牢屋で自分のこれからを考えている身である。まさか自分の不憫なキャラクターがここに来て花開いたというのか。
果たしてあの若い少佐は明日昼までに、司法取引を成立させるのか…?浮かばれない感情で私は寝台の上に寝ころび、やや高い天井の隅の、カラメル色のシミを見てその日を過ごした。
明くる早朝、私の下に着替えの服が新しく届けられた。超特急でもやっと昼に届くと思っていた服と、白い腕章。心の中で女憲兵の頑張りを賞賛した。
今日から私は憲兵であった。
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