第2話 酌量の余地はなし

 まさか。そこにいたのは憲兵だった。


 それも、かなり柔らかみのある女の子だから更に驚いた。部屋の中だというのに帽子をかぶり、つーんと澄ました顔をしていた。

 どうやら書類を読んでいたようだが、私がデスクの前へ行くと同時に、書類から目を離し、デスクの端に置いて、こちらを正面から見た。

 なんと、表情はここまで変われるのか。さっきまでの澄ました顔をこいつだと言うならば、例えるなら閉じたつぼみを見て花の名を言っているに過ぎなかった。厚みのあるまぶたが開かれて現れた、大きな琥珀色の目。口元は横に伸び、温かみを与える顔が私に向けられた。

「おっ」

と小さい声を漏らして、帽子を外し、書類の上にかぶせた。どうやら、私を見上げて初めて、自分が室内で帽子をかぶっているのに気付いたようだ。そんな、憲兵の制服を裏切るように天然な性格の彼女は、明るい声で私を迎えた。

「あなたが、ハウンティね。噂は聞いているわ。よろしく。」

帽子を脱いであらわになった、大きく下向きにおられた耳と、クリーム色の波、そしてふわりと丸みを帯びた髪。そこで私は思い出した。こいつはこの国の軍隊の少佐で、親に大臣を持つ上流階級の娘、国家権力の申し子として悪名高い、「ラブラドーラⅡ世」だった。



 警戒しようにも、しようがなかった。外から見れば、私の顔は怪訝そうな表情一色で塗り潰されていた事だろう。しかしその理由は、私がここへ呼ばれた用事よりも、この女自身への疑問の方が大きかった。およそ引き締まっていないその声は、私の緊張感を部屋の外へ放り投げてしまったようで、どうしても警戒することが適わない。

「ま、まさか…あなたがこのような人柄だとは思わなかったよ…です。」

私の慣れない敬語のことは気にせず、彼女は

「えへへ、そうかな」

なんて困り顔で笑って見せた。

 

 この女の父親に当たる大臣は、非常に大きな権力を持っていた。この民主政治という状況にありながら、長らくその地位を不動のものとしていた。私がこの運動に身を投じるずっと前、それどころか私の母親がまだ生きていて、幼くして私が孤児になる前から、ずっと大臣にいた。何人かの大臣はその顔を変えたが、大体トップは決まった顔で、何人かで代表の地位をたらい回しにしてきた。普通、民主政治ではそんな図太い奴はチートを使っている。(詳しい説明はこの場では控える。)そんな親を持っているのだから、1,2年前に紙面を飾った『軍の大型新人 異例の出世!』『大臣の娘 早くも特進』なんて記事、七光りの預かり社員でしかないと思ったし、間違いなく無能であると決めつけていた。そして、何より「階級の高いことを利用して高給を得よう」としている大臣の心が簡単に透けて見えていた。だから、この親子供に好感を持つ…などということは全く考慮の事の外であり、革命の矛先の一つととらえることに、私も、私以外の革命派も、さして違和感を感じなかった。

「この部屋ではリラックスしていいのよ。今紅茶を入れるから、良かったらそのソファに座って、待ってて。丁度ティータイムだし、話はお茶をしながらでいいわ。あっと、でも、その手かせをつけたままだと飲めなかったわね・・・」

 しかし、いざ目の前の、素直なこいつを見てどうだろう。猫をかぶっている様子はない。思い違いだったというか、決めつけだったというか。部屋の出入り口で、この女の警護のために直立不動で待機している、さっきの憲兵に困った顔を見せてやると、にんまりとした表情を厚い口髭くちひげの下に隠し、得意げな横目をこっちに流してきた。なんて顔してやがる。

「外してあげるわ。ただ、暴れたりしたらどうなるかは…言わなくてもわかるわね?」

などと遠回しに強迫を言いながら、私に近づいて手を取った。私と大体同じくらいの身長で、同じくらいの年齢。下向きに角ばった耳と、対照的にふわふわな弾力を持った髪と尻尾。そんなに長いと現場で動きにくいんじゃないかと思った。こいつが前線で動いていることは想像もできないが。

 ガチャリ、という音とともに枷が外れた。木製だと思っていたが、両の手の接合部は金属製だったらしい。長らく固定されていた手に自由が戻ったことは、私の心的余裕を幾分か回復させた。

 そう簡単に捕縛ほばくした奴の手錠を外していいのかと思うかもしれないが、外したのは軍隊の少佐だ。一般のテロリストが、出入り口の男も含めて鍛え抜かれた公式の兵二人を相手に挑戦行為をするわけがないだろう、という考えだろう。またこの部屋には、女の棚の上の、色鮮やかな薬品の詰まった試験管しか攻撃力のありそうなものは目につかなかった。普通、銃の一挺や二挺は少佐の部屋にあるはずだが、それを私の前でチラつかせることはなかった。そう考えると、堂々と並べているこの薬品も、危険性がないからこそ置いている、と推測できる。この女、なかなか頭がいいらしい。


 ソファで待っていると、

「はい、どうぞ。」

と紅茶が差し出された。おいしそうな匂いに、思わず尻尾が揺れてしまう。こ、これは「揺れている」のであって「振っている」訳ではない、断じて。紅茶に毒が入っていないかの確認のために、目を輝かせて、いや光らせた。香りを楽しまず、匂いを探ってみた。


ぐうぅ~~


 そんな椅子の軋む音がどこからか聞こえた…いや、それはいいのか。おそらく前後一日以上は腹に何もいれていない。別に恥ずかしくないし。恥ずかしくないし。飲むべきか飲まざるべきかをうつむいて葛藤していると、少佐本人が見かねてフォローしてくれた。

「食べていいのよ?あなたが気絶してたからこそ食べ物を提供することができなかったけれど、そもそも収監した罪人とはいえ、食べ物を提供しなかったり、劇物を盛ったりしたら私たちが逮捕されちゃうわ。このクッキーも食べてみて。」

 気を使ってくれたのか、気を使わせるほど私が切迫して見えたのか。後者だったらまさに恥ずかしいを通り越して、本当に逃走するレベルなのだが、このときはそんなことどうでもよかった。お茶とお菓子を一口食べると、また一つまた一つと手が伸びた。とても美味しくて、何だかとても幸せな気持ちになった。思わず目を潤ませてしまったが、これが相手に見えたかどうかは分からない。女憲兵の表情は変わることなく、ただこちらを見て微笑んでいるだけだった。

「あなたも飲んで。」

「いえ、自分は…」

「もう注いじゃったわ。遠慮しないで飲みなさい。」

 戸口の憲兵にもティーカップを渡すと、自分の分の紅茶を注ぎ、女憲兵は私の向かい側に座った。皿の上のお茶菓子はあらかた無くなって、皿の底に描かれたユーカリの葉の上に、数個と粉を残すだけになった。私は高ぶっていた感情を何とか脇へ置き、気持ちを切り替えた。大きく一呼吸をつき、これから述べられるであろう、言葉を待った。すなわち、これから私がここへ呼ばれた意味について。


「さて、戦犯ハウンティ、」

女憲兵は落ち着き払って、しかしまるで厳しさを感じさせずに言い出した。

「いかにも。私がハウンティで間違いありません。」

この繋ぎの相槌は普段は言わないのだが、お茶とお菓子を御馳走になったのだから、とりあえず敬意として、必要最小限の「謝意の表明」として述べた。あくまで礼節は尊ばれなければならない。相も変わらず落ち着いて、ラブラドーラⅡ世は話を続ける。


「ここからは大人のビジネスの話をしましょう。」

来た。これは間違いなく司法取引だ。

 確かに私は革命軍の中でかなりの昇進のスピードだった。目の前のこいつは昇進というか最初から一定の地位の保証があったとは思うが、私は人材管理に適合しながら、間違いなく実力で登りつめた。だが、その早さは紛れもなく「政府側に大きな損壊を与えたこと」に裏打ちされている。つまり、政府側に頑張って嫌われることをした功労を買われてのことだ。そんな奴の処遇なんて困る事この上ないだろう。あっちからすれば検察にいち早く引き渡したくて仕方のないはずだ。

 期待できることと言えば組織内の情報を聞き出す事だろう。しかし、テロや暴動なんて変更の多いアクションに、部隊展開や今後の具体的目標なんてそうそう通らない。人事だっての情報だって、名前は知っているが実際に会ったことのない人ばかりだ。直近の変更以外は、すでに政府側も多くを掴んでいるとみていい。

 つまり、どれほどつつかれようが、私は成り上がってすぐの末端構成員でしかない。大して情報を持っていない。もし多少刑罰を減少させるものであったとしたら、適当なお弁ちゃらを言って、組織に迷惑がかからないようにし、刑務所に入るとしよう。それも、思い切り真相から政府を遠ざけて…そう考えた。私は姿勢をある程度楽にして、女の話を聞くことにした。

「ふむ、続けろ。」

(私なんかを信用してしまったら最後だな…)

 そう不敵に思い、私は見透かしていることを悟られぬよう目を細めた。

 静かに紅茶をすすり、そっとカップから唇を離した。息をのむほどその女は可憐で、弱々しくて、守ってあげたいとさえ思った。その感情を抱かせたことには敵ながらあっぱれとしか言いようがない。でも、その女とのお茶会もすぐに終わり、訣別の時間がやってくる。

「理解してくれたのなら話が早いわ。説明するわね…」

 別れの言葉を今のうちに考えておこう。あなたの淹れたお茶、本当においしかったわ。正直、あなたとのこのお茶会、最後の一滴に至るまで楽しかった。…本当だぜ?


 ラブラドーラⅡ世は席を立ち、窓辺から外を見た。木の枠にガラスを張った窓からは、さっきまで青空が覗いていたが、どうやら雲が増え始めたようだった。風も出てきて、緑色の木の葉がちらりちらりと揺れているのが見える。あの葉がざわざわと鳴っているのか、それともほとんど無音なのかは外に出なければ分からない。つまり、これから先に知るすべが、一生ないということだ。そこに犯罪者としての厳しさを初めて感じた。



 しかし、女の吐いた言葉はそんな私の郷愁を勢いよく流し去った。しかも冷水なんてものじゃない。私の心臓に油をかぶせてきたのだ。

「まず、あなたの身の処遇についての対応は、執行猶予5年。これを検察側に打診するわ。」

「は!?」


 度肝を抜かれた。何をどうしてそんな甘い結論になったんだ!?これに合う対価なんて何を喋らされるというんだ!?空から恐怖の大魔王が降り立った感覚。しかも緊張と警戒心というバイクに乗ってきやがった。

(こいつは、何を考えている…?)

 真意がどこにあるのか探るため、思わず女の顔を覗き込む。

 いや、それだけでは終わらせてくれなかった。油は大波となって、何の遠慮もなく私を流し去るつもりだったようだ。



「代わりにあなたは、私の直接の監視下で、動乱の収拾のために働いてもらうわ。」



「……は…」

長い絶句が、部屋に横たわった。言葉が見つからない。

「ね?全く悪い話ではないはずよ?」

こちらの動揺を見越して話していた女は、念を押しながらこちらに茶目っ気溢れるウィンクをした。こちらの実現可能性は未知数、逆に相手のメリットの信用度は計測不能なほど小さい。それでもこちらを信用しなければ、そんな恐ろしい提示なんてできっこない。こんな大博打、その辺にいる馬鹿だって仕掛けまい。


 ただ、一つだけ認めなければならないことがある。私の抱えたその絶句の間に、彼女が裏切るかもしれない、なんてことは全く思い浮かべていなかったのだ。この短時間で私に魅せてきた、人心掌握の源。脅威を覚えるほどの「素直さ」を持つ彼女は、世界で一番その職に不釣り合いだった。



 彼女は憲兵であった。

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