Ⅲ 紫丁香花(ライラック)
ⅰ
五月。
天晴れなほどに五月晴れ。
せっかく咲き始めた
五月特有のメランコリーより気怠さが勝った陽気だった。
木漏れ日のカフェテラス。
いつもの
そして、いつものメンバー。
いつの間にか、樹はふたりと過ごす時間に安らぎを覚えていた。
はい、今日のお題です。
世界の始まりは何だと思う?
「音楽。エルの導きのもとアイヌアのあやなす妙なる調べから世界が生まれたの」
と、乃衣絵。
トルーキンだね。格調高いね。君は我が愛しのエルフだよ。でも、こちらの求める答えになってないから60点。
樹はオムライスのカレースプーンで皿をチーンと二回叩いた。
「夢だね。この世のすべてはアザトースの見る夢に過ぎないのさ」
はい、はい、クトゥルフ神話ね。さすが、奥深いね、ダークだね。
って、普段から考えていること真っ黒だろ。乃衣絵ちゃんがどん引きじゃないか。汐音、お前は論外だ。0点。チーン。
「そんな哲学的な話を始めたりして、どうしたんだい、ホッシー?」
と、相変わらずちまちまとミックスサンドを食べている汐音。
だいたい、最近のホッシーはおかしい。授業中やる気のないのはいつものことだけど、最近は昼寝ばかりしているし。
汐音は汐音で心配そうに樹の様子をちらちらと伺っている。
「哲学的じゃなくて科学的な話だよ」
憮然としながら樹は答えた。
「じゃあ、やっぱり音楽よ。ビッグバンの宇宙は厳密には真空ではなかったから音が聞こえたそうよ」
乃衣絵は取調室で自白を求められている容疑者並の食欲をみせて、大盛りのカツ丼をほとんど平らげている。
そのとき、第三者の声が割って入った。
「君は音より光を選ぶのかな?創世記の光あれってやつ」
真後ろから聞こえるのは例のバリトン。
「実際に光子がその姿を現すのは、ビッグバンから三十八万年後、宇宙の晴れ上がりまで待たなくてはならない。だが、宇宙が生まれて八万年後にはすでに銀河の萌芽があった。これをどう考える?」
オープンカフェの後ろの席に座った
いつも距離が近すぎるんだよ。
樹はそのがっちりと組まれた腕をもがくように外した。
「輝く星々を生み出したのは闇さ。始めに闇ありき。光がその姿を捉えることができないダークマターの塊が星の素を創った」
「一方で、ダークマターは平行宇宙の根拠にもなりうる。我々には見ることも触ることもできないダークマターは我々の宇宙と重なり合う無限の宇宙の存在を示しているのさ」
(平行宇宙・・・・・・)
この嫌みったらしい自信家の青年をよりによって自らの運命のキーパーソンとはみじんも思っていないが、そろそろまた姿を現す頃だと予想していた。
「速水さん、星川くんと知り合いなんですか」
きょとんとした顔で汐音が質した。
「まあね、僕はこの高等部の生徒の信任を得ているから全校生徒と知り合いと言っていい」
でも、つい最近星川くんにあなたの名前聞かれたんですけど、という言葉は汐音もさすがに飲み込んだ。
いつの間にふたりは知り合いになったんだろうか。
乃衣絵はなぜか不機嫌そうに黙り込んでしまった。
「用件は何ですか?」
樹はつっけんどんな感じで聞いた。
「ジャーン、重大発表だよ。君たちの部活動の新設が許可された」
と、おどけた身振りで有栖。
「ぶ、部活って一体何を始めるんです?だいたい新設なんて申請してませんが」
「そうだな、無難にロボット研究会とでもしておこうか。君はサクラ重化学の誇る装機の立派な訓練生だから。ねっ、樹くん?」
樹はただ狼狽するしかなかった。
いつか告げようと思っていた当面の秘密が最悪の形でバラされてしまったのだから。
あたりに漂うのは、重い、重い沈黙。
「顧問は原田先生に頼んでおいた。お仲間にもよく説明しておいてくれたまえ。それじゃあね」
有栖は満面の笑みをたたえて去っていった。
そして、立ち去る有栖の後をなぜだか乃衣絵は追いかけていった。
残された樹は汐音からの百万連射の質問と非難の嵐を覚悟した。
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