その日の帰り道、ハナミズキの街路樹を3人で歩いた。


 校舎のまえで、汐音に連れてこられた乃衣絵はうっとりとするほど愛らしかった。彼女が存在するだけで周りの景色でさえ樹には朝と違って見えた。


 樹がNタブレットのリアカメラを向けると、乃衣絵はほほえんでくれた。余計なことに汐音も割り込んできた。


 カシャリ。


 「星川さん、本当にありがとうございます。でも、いやなこと思い出したりして、ご迷惑じゃないですか」


 いや全然、そんなことはありませんよ、と心のなかで答えながら、樹は軽くできうる限り爽やかに微笑んだ。西洋人形のような彫りの深い顔立ちからはっきりきつい性格を想像していたのに、親しみやすいのんびりとした口ぶりで好感度が一気に倍増した。


 「役に立てればいいんですけどね。つかぬことをうかがいますが、犬童さんのお姉さんの具合はどうなんですか。いや好奇心とかじゃなくて合う前に知っておかなきゃと思って・・・・・・」


 これに対する乃衣絵の答えは意外なものだった。


 「あたしも詳しくはわからないんです。事故に遭うまえから疎遠で、いえ仲が悪いとかじゃなくて、姉は小学部から寮暮らしで、長期の休暇でも実家に戻らなくて・・・・・・。あたしは地元の公立でこの学園は高校からなんです。むしろ、汐音さんの方が親しいくらい」


 乃衣絵からそんなふうに振られて、汐音は弁明がましく説明を始めた。


 「神無さんは兄ととても仲が良かったんです。だから、何か知っているんじゃないかと思って。でも、かなりショックを受けていて話したりできない状況なんです」


 樹が足を運んだのは百パーセントといっていいくらい乃衣絵のためだったが、どうやら神無との面会に熱心なのは汐音の方らしかった。人間関係もなにやら複雑そうだ。


 一番近いターミナル駅。

 ビル屋上の広告塔では件の美少女アリスがにっこりと微笑む。

 市中を埋め尽くす情報機器につながった人たち。


 その一方で、つながることを拒むデジタル・アーミッシュと呼ばれる種族の台頭。


 光あるところに影あり。


 駅からほど近い青翠総合病院の最上階にある特別病棟、いわゆるVIPルームが犬童神無の病室だった。


 これだけの部屋にもう一年も入院しているとなると犬童家は想像を絶する富豪なのか、それともここに神無を隠しておきたいという大いなる意図が存在するのか・・・・・・。


 にこりともしない中年女性の看護師がエレベータで見舞客を先導すると、部屋の鍵を開けて中へ入るよう威圧的にうながした。

 樹たちが入室するとそのまま外側から部屋の鍵を閉めてしまった。なんだかいやな感じだった。


 広い病室の真ん中に高級そうなリクライニングベッドがあった。

 犬童神無はベッドを起こしてもたれかかるように座っていた。

 妹の乃衣絵によく似た美しい人だった。


 爆発時に負傷した傷がまだ治らないのか、左目に眼帯を当てている。


 そして、開けられた右目に宿されているのは深い絶望の光だった。


 妹の乃衣絵はその近づきがたさにこれ以上足を踏み入れることを躊躇しているようで、入り口付近で固まっていた。


 案の定、汐音の方がつかつかと歩み寄っていった。


 「神無さん、お加減はいかがですか。汐音です。草間汐音」

 犬童神無はまったく反応しない。


 「今日は僕のクラスメートの星川樹くんに来てもらいました。樹くんはあの爆発の時グラウンドゼロにいたそうなんです」

 神無の見開いた右目に何か映ろったような気がした。


 「星川くん、あの日の話を聞かせてよ」


 「ああ」


 意を決して、樹はあの日の現実を直視した。今まで誰にも話したことがなかった。救助隊に助け出されたときは呆然として話す余裕はなかったし、少し落ち着いた時にはもう関係者すべてに対して不信感でいっぱいだったから。


 正直に話す気になったのは、神無の垣間見せた絶望の深さからだった。どのような経緯で生き延びたかはわからなかったが、少なくとも神無があの時、あの空間にいたのは確かだ。


 「あの日の午後、俺は高校の校庭にいた。雲一つない晴れた日だった。体育の授業でサッカーをしていたら、日食かなにかみたいに空が暗くなって、急に肌寒くなった」


 「ずいぶん長い間に感じたけど、たぶん五分くらいだったと思う。そうしたら突然空のうえで青い閃光が広がる爆発が起きた」


 「時が止まったかのようだった。空には大きな黒い穴が開いていて、僕の周りからひとりまたひとりと人間が吸い込まれていった。俺の周りだけじゃない。あの領域からすべての生物が何もない空へとすごい勢いで吸い込まれたんだ。気がつけば僕だけが地上に取り残されていた」


 「俺は3日間町をうろついて、結局何も見つけられなくて、高校のグラウンドに戻ったところで幸いにも上空を飛んでいたヘリコプターに発見されて保護された」


そこまで一気に語ってしまうと、樹は押し黙った。語り尽くすことで自分自身にもこれまで押さえていた感情がわき上がるかと思ったが、それもなかった。


 一方、聞こえているのかいないのか定かではなかったが、神無もまたまったくの無表情である。


 「ねえ、神無さん。何か思い出した? 僕の兄さんが、草間凪人がどうしていたか覚えている?」


 その時樹は見た。草間凪人の名前を聞いたとたん、絶望を宿した神無のぽっかりとした瞳の奥に暗く峻烈な憎悪の炎が燃え上がるのを。


 「・・・・・・草間君、無理だってば。この人だって疲れている。早く帰ろう」


 危険だ。この人は危険すぎる。これ以上近寄ってはならない。

 そう本能が樹に告げた。

 だが、汐音はまだあきらめきれない様子で、神無のそばを動く気配がなかった。


 その時、同じく重たい空気に耐えかねた乃衣絵が助け船を出してくれた。


 「汐音さん、そろそろお暇しましょう。お姉ちゃん、また来るね」

 そういって、そのままナースコールのボタンを押した。


 そして、三人の見舞客が退出した直後。


 【至急】本校の学生であるホシカワイツキなる人物の詳細を早急に調査せよ


 重要度「高」のレッドフラグ付きのメッセージが何者かに送信された。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る