第22話

 七月の暮れ方六時。まだ日は細く長く海を照らしている。ああきれいだなあと、がぶ飲みクリームソーダをがぶ飲みして休憩する、アクアラインは海ほたる。

 「よくそんなのがぶ飲みできるね?」

 と、比呂が恐ろしげな視線をくれる。がぶ飲みと書いてあるのだからがぶ飲みである。商品名と内容に偽りなし!JARO不要の商品である。素晴らしい。

 「どう、比呂。楽しかった?」

 がぶ飲みクリームソーダに対して奇妙な色を投げる視線以外は、生まれつきやや淡い色の髪を海風にそよがせ、夕日が映えるなるほどイケメンな横顔に話しかける。

 すると、比呂は眩しそうにこちらを振り返って「すごく楽しかった!」と言った。

 昔からそういう笑顔は変わらない。たかが公園でも、たかが駄菓子屋でも、たかがマリオカートでも。比呂はものすごく楽しい場所だったかのようにいつもそう言って笑った。あのころもっと、海や山に連れ出してやればよかったなあと思いつつ、兄ちゃんいるからダメだなと思いなおす。

 比呂は私の隣から真後ろに移動すると、そのまま私の肩に顎を乗せた。

 「また行きたい。もう一回行けないかなあ?」

 「無理でしょ。これからツアーやるんでしょ?」

 「そうだけど、例えば、ほら、前の日の夜から出て、ちょっと、と、泊まって朝から海とかさ!」

 「無理無理。大体、ツアーとか練習とかやってるうちに比呂の予定空くの、お盆以降だし。お盆以降の海なんてクラゲが出る。刺されたことないから知らないだろうけど、すっごい痛いからね」

私は身を震わす。

 「痛いなんて、この世のすべての感情の中で一番唾棄すべき感覚だよね!痛いの大っ嫌い!」

そう力説すれば、比呂は「そ、そう……」と微妙な雰囲気を漂わせた。チキンと言われようとも痛い事は嫌いなのだ。その辺はどんなに嘲笑されても構わないとさえ思っている。私が痛い事から逃げ回ることを、バカにしたければとことんバカにし、嘲るがいい!

 「それにさ、比呂は高3じゃん。進路もあるし、遊んでばかりはいられないでしょ」

そうそう、比呂の学校は地元で割と有名な進学校なんだから。

 「俺さ、高校でたら働きたい」

 「ええ!」

思いがけない比呂の言葉に少し驚く。そりゃ社会人のお手本で、かつカッコよく仕事してる私がそばにいるからそう思うこともさもありなんだけど。

 「いや、働くのはいいけど、比呂の学校ってほとんど進学でしょ?」

 「うん、そうだけど」

 「バンドはどうするのさ」

 「バンドはさ、あれ実はうちのメンバーはそれぞれ他に自分たちのバンドがあってさ。I factorは息抜きの趣味みたいなものだって言ってたよ。バンドでガチガチにやってると、ガス抜きが欲しくなるんだって。だからガッツリメジャーめざしますっていうバンドじゃないんだよね、あれ。それに」

相変わらず私の肩に顎をつけながら、比呂がすっと息を吸い込んで、不意に体を固くさせて、こう言った。

 「俺、高校でたら結婚したいんだ」

 は?

 え?はああああ!結婚!!!18で?????

 いや、いや、まあそういう考えもあるかもしれないけど、結婚……。私はすぐ真横の比呂の顔を見ようと、体を引く。比呂は至近でまじまじと見る私の視線をものともせず、横顔を見せている。

 そ、そういう夢はあっていいけど、結婚って一人じゃできないからね!結婚したい!って思っても、まず相手がいないと成立しないし、高校でてすぐ結婚と言ってもそれまでにそういう人に巡り合えるかどうかも分からないし……。世の中甘く見過ぎてないか?私がぐるぐると脳みそがバターになるほど回転させていると、比呂は私の目を探るように言う。

 「樹里亜は結婚、考えた事、ある?」

そんなことが自分に起きる可能性はつい最近まで全くなかったが、、あの兄ちゃんが結婚すると聞いて、あわよくばそういう事があるやもしれぬと頭に何度かよぎらせたが……。

 「そりゃ考える事はあるけど」

そう答えれば、比呂は目を見開いて私を見た。

 「ほんとに……?」

その目が微妙な揺れで私を見る。そこで私は、はっと気づいた。私と兄ちゃんがかつて二人でキャンプに興じていたというあの日々が、もしかして比呂の精神的トラウマになっているのではないか?三人で遊んでいたはずが、いつの間にか自分だけ置いてけぼり、仲間はずれ……。そんな風に捉えていたとしたら、兄ちゃんが結婚し、この私がもし仮に何かの間違いで結婚することになったら、またしても自分は置いていかれると!!

 そうか、比呂……。そんな風に心を痛めているなんて。

 私は真後ろに立つ比呂を振り返る。そしてその目をはっきりと見てこう言う。

 「そんなに急ぐな。比呂。比呂の人生はまだ始まったばっかりじゃん。たくさんのいろんなことが比呂を待ってる。比呂はまだ、何にでもなれるし、どこへでも行けるんだよ?」

 「でも、俺……!」

 「私はここにいる」

 「樹里亜……」

 「私はずっと変わらずにここにいるよ。比呂の側に。何があっても比呂の味方だ。だから比呂の好きな人生を選んでいけばいい。あわてる必要もない。もっとたくさんのドアを開けていきなよ。目の前に並んだドアはどれだって開けて良いんだから」

 そう言って私は頷いた。すると、比呂が大きな図体で私に抱きつく。いつの間にか私の身長をはるか抜かしていったその頭が私の肩に乗るから、私はそれをゆっくりと撫でる。

 「……わかった」

 鼻をずずっとすすって、はあっと息を吐きながら比呂が耳元で言う。

 あれ、大丈夫か?風邪でも引いたか?



 夕闇と共に、このデートという名の遠足は無事に終了する。大丈夫、家に着くまでが遠足だからね。お互い、「またね」と手を振って玄関に入るとこまでやりきった!

 水着を洗濯したり、片づけをしながらふと手を止める。そこには最近比呂からしか連絡が来ないという寂しいスマホが目に入る。そう言えば、怜ちゃん、何で何にも言ってこないんだろうか。

 あれほど、バンドの男に気をつけろ!いいか!気をつけろ!とアテンションプリーズ繰り返していたというのに、あれからさっぱりだし、恵美ちんだって何にも言ってこない……。これは一体……。まさか!!

 の、まさかでした!

 比呂たちがツアーでとりあえず最初は仙台行きますという前日、お見送りに来てみれば、sinさんの腕に絡み付いている恵美ちんに遭遇した。

 この小悪魔め!やっぱりそうか!高校の時から恵美ちんは、全く変わらない黒魔術でこうやって男を仕留めていく。なんという肉食系!大方、恵美ちんがなんだかんだとのんべんだらり、怜ちゃんを丸め込んだのだろう。いろいろ言っても、怜ちゃんはまっすぐな性格だからな。悪く言えば単純だからな。

 比呂の件は改めて、私の口からお話ししよう。なんかとんでもない事実がまことしやかにささやかれているような気がする!

 「樹里亜は、一緒に来れないの?」

と、比呂がまゆを下げて言う。

 「はあ?あったりまえでしょうが!どこの世界にライブについてくる彼女がおりますか!」

 「ここに居まーす☆」

振り返れば、ド金髪をゆるく編んで、夜なのにサングラスしてる恵美ちんが手を上げた。

 「な!マジですか!」

 「有給もらっちゃった!」テヘペロって!テヘペロってえええええ!

 「……樹里亜」

比呂が淋しそうに私を見る。無理に決まっている!社会人なめんな!!いや恵美ちん社会なめすぎ!

 「だからと言って、」

sinさんが口をはさむ。

 「愛が無いわけじゃねえよ、ねえ彼女さん」

 「そ、そうだぞ、比呂。あれも愛だが、これも愛だ!」

 私はその手にワンピースの最新刊を握らせる。

 「わあ!もう最新刊でてたんだ!」

 「うん。これで和めよ。それから埼玉のライブには行けるし、行ける限りのライブに行くから」

 「わかった。待ってる」

 「がんばれ!」

 「うん!」

荷物をうんと積み込んで、車は準備万全だ。私は車に手を振る。さて出発という段になって、最後に車に乗り込もうとしていたsinさんが私を手招きする。

 「なんですか?」

車の死角でタバコをケースにもみ消しながら、sinさんは言う。

 「あのさ、比呂はこのバンドをお遊びバンドだって言ってない?」

 「はあ、まあ。なんというか気楽にやるためのバンドだとは聞いてますが……」

 「実はさ、あいつはまだ若いし、こっちの要望押し付けるのは悪いからまだ言ってないけど、いくとこまでいこうと思てるんだ、このメンバーで」

 「え」

 「うん、いけるならメージャーにね」

 「そ、そうなんですか」

 「彼女さんはどう?」

 「どうって」

 「そこまでやられると困るとかさ」

 「いや!まさか!私は」

私はsinさんをしっかり見据える。

 「私は、比呂のやりたい様にやればいいと思っています。続けるにしろ、辞めるにしろ」

 「そうか」

sinさんはにっかりと笑う。そうしてさっと車に乗り込むと、当たり前のように恵美ちんを抱き寄せる。ぐは!いや、まだ笑わない!車が行ってから笑う!

メンバーそれぞれと、そして比呂が手を振る中、車は一路、最初の土地仙台へ向かって行った。

 テールランプが見えなくなって、私はこらえていた笑いを一気に噴出させる。

 さすが!さすが小悪魔恵美ちん!!まじで黒魔術!まじで!!!



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