第21話
私たちはそうして家路についた。比呂はたびたびこちらを見ては柔らかく微笑む。なんだか急に大人びてきたように見えて、高校生の時間の流れは半端ないなと思う。
比呂の家ではまだ兄ちゃんがorzで、この体制を突っ込まれない限りはずっとこうしているんだろうなとぼんやり思っていたら、そんな状況を一切無視して比呂が兄ちゃんに突然言い放つ。
「俺さ、樹里亜と付き合ってるから」
でええええええ!その話今?むしろ、兄ちゃんにその体制は一体どうしたのか聞くのが先じゃないのか?
と思っていたら、兄ちゃんの方はorzから突然飛び起きて、でえええええ!と言い放つ。む、マスオさんネタは私の専売特許なのに!
「な、そ、そうなのか、お前たちつき合っているのか……こういう気持ちなんて言うんだけ。ggrksじゃなくて、gkbrじゃなくてえええええ!」
誰か兄ちゃんの脳みそ止めてやって。無理に使ってオーバーヒートになりかかっている!
「それから」
暴走中の兄ちゃんを目の前にして顔色変えずに比呂は続ける。
「樹里亜と仲が良かった兄貴は嫌いだったけど」
「どーん!!」と叫びながら後ろにジャンプしそのままorzになる兄ちゃん。すげえうっとおしい!!
これだけ奇怪な動きを展開しているのに、比呂はそれに全く突っ込まず、その上ちょっと横を向きながらこう言った。
「別に……今は嫌いじゃない」
な!!!!!!この兄貴殺しめ!ちょっと照れながら言ってみましたとか!必殺ツンデレみたいな!!!兄ちゃんHPゼロになっちゃうよ!
ほ、ほら、あれほら、生まれたての小鹿みたいに震えているじゃんか!兄ちゃん!!動きが怪しすぎる!
「ひ、比呂……俺……」
そう言うなり、兄ちゃんが比呂の胸に飛び込もうとする勢いで立ち上がる。ところが比呂は飛び込んできた兄ちゃんの後頭部をはたいて、まるで蠅のように打ち落とした。
「い、いたいーん。比呂りん……」
「そういうわけだから、兄貴、もう帰って?」
比呂は最近じゃめったにお目にかかれないような、そう、あの切れ者美少女ですら一撃でノックダウンさせてしまうような特上の笑顔で言うから、兄ちゃん存在否定されてるのに、メロメロな顔でハートを目から飛び出させながら「うん」と、恋する乙女のように上擦った声で言った。
「じ、じゃあ、兄ちゃん帰るね」
兄ちゃんは比呂のメロメロビームに撃たれたダメージに恍惚としながら靴を履き直す。
「そ、そっか。なんかさっきはもしかして、兄ちゃん邪魔しちゃったかな。テヘペロ!」
何やらぶつくさ言っている。大丈夫だろうか?精神のどこかに損傷を受けているのではないだろうか。
「それじゃ、またね」
兄ちゃんはさわやかな笑顔を残しドアを閉める。閉めた途端また開ける。
「結婚式では比呂りんにブーケ投げちゃうから!受け取ってね!!」
やべえ兄ちゃん。嫁にもらうんじゃなくて嫁に行くのだろうか……。遍く疑問を残して、そうして兄ちゃんは巣へ帰っていった。
あれで、結婚できるという世の中の摩訶不思議大冒険ぶりに、改めて私は絶句した。
そんな疲労の伴う一日もありつつ、私たちは無事に週末を迎えた。比呂はあの日から本当になんとなくだが、妙にべったりすることもなく、だからと言って挙動不審になることもなく、なんだか落ち着いた雰囲気になった。すげえ、比呂。このひと月の間に、人間のものすごい進化を見たような気がする!高校生の時間の流れは速いというがまさかここまでとは……。
そうか比呂……。もう後二カ月もすれば私に飽きてしまうんだな。そう考えると妙な寂寥感がしみこんでくる。そう一人で感慨にふけっていると、コンコンと、車の窓をノックされた。
顔を上げれば比呂が、お出かけ準備ばっちりで車のドアを開けた。
私が感慨深い気持ちで比呂を見ていると、「なにそれ、そのサングラス、ギャグ?」と私の顔を指さす。失礼な。今私は心の中のブラインドを指で少し開けながら、ワイングラスを振っているというのに……。
「え、もしかしてこれ変?」
「んーっと、今日の服にはあってないかも……」
ぐは!そうか!今日はセレクト的な玲ちゃんを着てきたのであった!私はおとなしく、ダッシュボードにサングラスを戻す。
「それじゃー行きますかー!」
アクセルを踏んで、まだ迎えたばかりの朝の中を走り出す。
先日物販で買ったI factorのミニアルバムをかけたら比呂にオーディオを破壊されそうな勢いで止められたので、残念だけどラジオに切り替えた。
山間を走っていれば、隙間隙間にきらめく海がチラリズムで見え始め、テンションがどんどん上がっていく。海に到着したときには、すでにテンションマックスだった。
「ウヒョー!着いたぞー!!」
叫びながら私は服を脱ぎ捨てる。ハイジのように!しかしデーテおばさんがお付ではないため、脱ぎながら服を拾いましたし、当然ですがちゃんと水着は下に着ております!大丈夫!隠す必要をあまり感じないような貧相な乳であっても!
しかしながら、そのような薄い体にもってこいなのはこの三角ビキニなんだよね。おっぱい大きい女子なんかがこれ着ると、なんかちょっと目のやり場に困るのだけど、私の様なタイプには心配ご無用!
大体、服を着ると身動きがとり難くて重ね着嫌いの私としては、夏の水着ほど好きなものはない。
服など、最低限隠すべきものを隠しときゃいいのである!
水着になって身軽になった私は慣れた手つきでせっせと簡易テントを砂浜に設置。これ位はどうということもない。兄ちゃんとサバイバルしていたころと違って、最近の海辺用簡易テントはおしゃれだし簡単だ。
せっせと基地を作りつつ、私は何かを忘れていることに気づく。えーっと、なんだっけ。えーっと、ああ!比呂!
私ははっと気づいて周りを見渡すと、比呂がうつむいて立っている。
「ああ!比呂、ごめんごめん。つい浮かれて存在を……って比呂!!」
見ればうつむいた比呂の顔から血が垂れている!何だどうした!どこかで撃たれたのか?
「ちょ、鼻血が……」
へ?鼻血?ぽたりぽたりと手で押さえた鼻から地面に血が垂れた。な!まさか熱中症?車中でも水分とれと言ったのに!
私の手際がいいおかげで、基地は出来上がっている。比呂を手招きしてそこへ横になるように指示する。ああ、しかし、このまま横になったら頭が下がって喉に血が流れるから気持ち悪いよな。
「よし、比呂、ここに頭乗せな」
私は正座した自分の足を指差す。
「……えええ?」
「えええ?じゃない。ほら、ちょっと止まるまでそうしてな。クーラーボックスに飲み物あるからそれでも飲んで、保冷剤をここに当てて」
「いや、あの、でも」
「アウトドア歴の長い私の言うことは聞きなさいよ」
半ば強制的に比呂の頭を私の膝に乗せ、クーラーボックスに入れておいた冷たいタオルを顔にかける。
比呂の柔らかい髪が足に触れる。懐かしいなあ。こうやってお昼寝したこともあったなあ。随分と図体でっかくなっちゃったけど。
喉に血が流れるのを防ぐために、横向きで海の方へ顔を向けているから、比呂の後頭部の向こうに海が広がる。テントのおかげで切られた日差しが絶妙なコントラストだ。海って最高うううう!!
「比呂、どう?大丈夫?」
さっきから黙り込んでしまった比呂の様子を伺う。
「う、うん……もう止まったみたい」
比呂は顔からタオルもどけずにそのまま言う。
「そう?じゃあ、起きてみる」
「あのさ!」
「何?」
「俺、少し休んでから行くから、樹里亜は先に海で遊んでいていいよ!」
「ええ?それはなんか申し訳ないから、私もしばらくここにいるよ」
「いやまじで!大丈夫だから!俺大丈夫になったら、そっち行くから!」
そこまでをこちらも一切見ずに、体を横たえさせながら比呂が言うから、余計に心配になる。
「大丈夫?微動だにしないから、余計に心配なんだけど……」
「いいから!ほんとに!しばらくほっといてくれれば治るし!」
「そう?」
そうか、比呂。海好きな私に気を使ってくれているのだろうか。そういう気遣いは無駄にしちゃいけないな。
比呂の頭を膝からそっとおろし、私はその場で軽く体操する。うひょー!!天気もいいし、最高だね!
「樹里亜!」
「なに?」
「あのさ……パーカーとか着たほうがいいかも」
「え?」
「ほら、肌弱いのに、そ、そんな露出多いと、あとで日焼けとか」
「日焼け止めなら滴るほど塗ってきたけど」
「いやあの、そのさ、やっぱり海の日差しはなめちゃいけないし」
「うぬぬぬ。確かに。もう年も年だしね」
比呂に言われるまま私はパーカータイプのラッシュガードを羽織った。これで良し!シュノーケリングの道具を持って、待っておれー!!海ー!!
一時はどうなるかと思った比呂の体調も、何事もなかったかのように回復!やれやれよかった。
比呂は昔、私が泳ぎを教えただけあって、今でも上手に泳げるからシュノーケリングも楽しめたようだ。千葉の海とはいえ侮りがたい、きれいな海中がそこにある。
比呂が不意に、海から顔を上げ、満面の笑みで叫んだ。
「樹里亜!すごい、俺すごいの発見した!」
「ええ?なに、魚?」
「魚じゃない!ウミウシ!」
「……へえ、ウミウシ」
「ウミウシってかわいくね?俺、なんか好きなんだよねー!ウミウシ!あの前後がわからなくて、存在が意味不明なとこ!」
比呂はウミウシに遭遇できて、とてもうれしそうだが、反対に私はキョンちゃんの勝ち誇った声を心で聞いて絶望した。
『武藤さんを好きなんて、珍獣好きとかそういう心理なのかと』
ハダカデバネズミじゃなかった!ウミウシだった!
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