第17話

 「比呂、だいじょ……う!」

 止まったままの比呂を下から覗き込めば、いきなり肩を掴まれる。なんだなんだ?

 街頭の明かりでも顔が真っ赤であることは視認できたが、目が目が!いやムスカではない!何だろう、目が怖い!やはり的外れな事をしてしまったのだろうか?

 と思うや否や、唇に生温かいものが触れた。歯ががちっという。痛い。何がどうした、と動転しながら気づいたんだけど比呂との顔面距離がほぼゼロ。これはどうしたことか!どうしたもこうしたもない!

 マウストゥマウスじゃないかこれー!!

 待て!比呂!初めてのチュウが豚骨長浜ラーメンでもいいのか?!とどうでもいい事が頭をよぎる。いかん、私の方がすべての生体機能を停止しそう。

 そんな危機的状況がしばらく経過したのち、チュッという音を立てて比呂が離れる。

 え、なんで、え、なんで?どうしてこのような展開に!手を繋ぐんだって大変そうだったというのに、突然のレベルアップは比呂の方ではないか!

 はうあああああ!それにしてもまさかの路チュウ!!なんということだ、この私が路チュウをすることになるとは!

 動揺と混乱で呆然としていると、比呂はうっとりと私を見つめていた。再び長い腕が私を囲う。

 「好き……樹里亜、好きだよ」

そうささやいた。知ってる!知ってるけども!

 「もう一回してもいい?」

 「な!なななな!だ、ダメに決まってるよ!ここここ公道じゃないですか!」

 「樹里亜が動揺してるー。かわいい」

ぎゅうっと抱きしめられる。普通動揺する!こんな場所でいきなりチュウが繰り出されたら、誰しも動揺するだろう!

 一体この数十分の間に、本当はどれくらい時間が流れてしまったというのか。時間が加速しているような気がしてならない。というか、比呂の胸中で何が起こったというのか。

 いや、そうか、これが高校生の時間の速度なのか!この調子で走り去って3か月後には、もう飽きちゃうという、そういう計算なんだな?ひー。高校を7年も前に卒業しちゃってる私に、この速さついていけぬ。

 などと漠然と頭に相対性理論を展開していたら、比呂が私の肩を抱き、歩きはじめる。たまにその手が髪をなでる。見上げれば、こちらが白目になるほど甘い顔をして私を見ている。

 「かわいい……樹里亜」

 ひいい!!比呂……大丈夫か比呂……。嫌な予感しかしない。嫌な予感しか、しない……。



 結果的に言うと、嫌な予感は的中し、大変な事になってきた。

 比呂が、キョンちゃんに近いレベルの面倒くさい人物に変貌したのである。なぜだ!手をつなぐだけで頬を赤く染めていたあの比呂が、何かが乗り移ったか、はたまたつきものでも落ちたのか、吹っ切れたかのように急にべったべったするようになってしまった。毎日迎えに来るし、その帰り道、隙あらばチュウを仕掛けてくる。あまつさえ「キスして?」とかおねだりする。

  私は一々その変貌ぶりにおののき、そんな私を見るだに比呂は「かわいい」を連発する。閉所恐怖症でも暗所恐怖症でもなかったのに、私は今、暗くて狭いところに比呂が添付されるだけで、逃げ出したい衝動にかられるようになった。なんということだよ……。まったく心身ともに疲れ切る。この数日の事だというのに。

 ぐったりしながら、新作を棚に並べていると、キョンちゃんが手伝ってくれた。

 「大変ですよね、高校生と付き合うのは」

 「え、なんで?」

 「なんでって」

と言いながら、にやりと私を見た。何を考えているのかそして何を言おうとしているのか、もう考えることもできん。

 「じゃこれ捨てときますね~」とやけに機嫌よく、キョンちゃんは段ボールやら何やらを持って行ってくれた。


 比呂は恋愛方面のスキルを飛躍的に伸ばしている。今後のことを考えるにはよいステップといえるが、しかし、こちらは飛び級とか無理だから!そもそも元のスペックにも大きな違いがあるのを、年齢差でカバーしているようなものだし、恋愛方面においてはほぼ同格。その恋愛カテゴリーで、比呂がスペックを最大に使えるようになってしまったら、私には対応できぬ!ゲームボーイで3DSのソフトやろうとするようなものである。無理ゲー無理ゲー!!


 なぜこうなったのか……。選択肢をいちいち間違えているんじゃないだろうか、私は。

 当初の目標は、まだまだ恋愛には疎い比呂のゆるくほんわかとした思い出づくりと、今後の比呂の恋愛ごとへの踏み台にと考えて行動してきているというのに、どういうわけか目指せキョンちゃんばりのギラギラした感じになってきているような……。

 私は頭を抱える。そんなこと言ったって、私は男女のお付き合いを思うままにできる技術など持ち合わせていない。恋愛的レベルの低さといったら、雨が降る前日のツバメの飛行に等しいんだからな。逆にこの低技術低飛行であるにも関わらず、そこから急上昇できる比呂の持ち合わせたスペックの方が、さすがイケメンとしか言いようがない。

 あいつ、もしかするととんでもないタイプになるのではないか。今までとは逆の意味でものすごく心配になってきた。どうしよう。あたり構わず女子を口説くようになってしまったら!もし、そのきっかけが私だったとしたら!

 女子のお客さんに愛想よく接客しながら、隙あらばどうにかしようとしているキョンちゃんをじっと見る。

 ここはやはり、道を踏み外した本人に聞いてみよう。

 「キョンちゃん」

 「なんですか?」

 「キョンちゃんの最初の彼女ってどんな人だった?」

 「なんでそんなこと突然知りたいんですか?」

 「いやちょっと、参考までに……」

 「はあ。参考?ご参考になるかはわかりませんが、中三の時の家庭教師ですよ、大学生の」

 な!年上!まさかの共通点だよこれ!!いやでもな、キョンちゃんの彼女というからには、なんかこういわゆる大学生のお姉さん的な、髪なんか巻いちゃって、まつ毛なんかばさばさでっていうあれだよなきっと。

 「いや、割と大人しそうな真面目な人でした。化粧もあんまりしないような」

 「でえええー??」

マスオさんの様な驚き方を思わずしてしまった。いやまさかそんな!いやまさかそんな!!

 「なんでそんなことになったの?」

 「聞きたいですか?」

そう言うと、キョンちゃんはにやにやした。いかん、退避信号出た!

 「いや聞きたくない!!もうこれでいい!ありがとう!大変参考になった!」

と言って私はキョンちゃんから逃げ出すべく、外へゴミ捨てに取り掛かった。あいつほっとくとペラペラペラペラろくでも無い事を喋りやがるからな。

 いやでもしかし、ちょっとなんか比呂と私の状況に似てないか?やばいのか?このままだと比呂はキョンちゃんのようになってしまうのでは!

 これは飽きるまでとか言わずに、さっさと別れて離れた方がよいのではないか。

 むう、悩む……。難しすぎる。スキルが無さすぎる。なんて残念なんだ、私は。

 「樹里亜」

突然後ろからの本人登場で、一瞬跳ね上がる。それにしても毎日毎日よく迎えに来るよ……。

 「もう少しで終わるからちょっと待ってて」

 「うん。じゃあその辺にいるよ」そう言って、比呂は私に手を振る。

 やや挙動不審気味だった比呂は、最近じゃ妙になれた雰囲気になってしまった。一カ月近くも付き合いを続けていればその通りだろうけど。まあいい。彼女の前で挙動不審になっているのを見かけたら、私だって気が気じゃない。今後展開する恋愛を比呂はきっとうまくこなしてくれるだろう。そうじゃなかったら!今この私が!血を吐くような思いで踏ん張っている意味が無い!

 やれやれ。滞りなく閉店作業をし、キョンちゃんの「初カノの話ならいつでもしますよ」という怪しげな売り文句を華麗にスルーし、「はいはいお疲れ様でした!」と店からとっとと追い出した。

 藪をつついたのは私ではあるので自業自得といえばそれまでだが、全くキョンちゃんは藪だらけだな。

 ドアに鍵をかけていると、比呂が現れる。

 「お疲れ様」

 そう言って、イチゴ・オレをくれた。いつもジュースを用意していてくれる。いいやつなんだよな、比呂。だから頼む、もう少し離れろうううう!

 「あ、そうだ、来週の海の件だけど」

 「うん」

 「車でやっぱり3時間近くかかるから、早朝集合するけど大丈夫?」

 「うん、大丈夫」

 「で、4時には寒くなるから、それくらいをめどに帰る感じで」

 「帰る?」

 「うん?だってそれ以上は真夏でも海辺寒いよ」

 「いや……そうじゃなくて」

 「私は次の日仕事だし、あんまり遅くなると大変だから」

 「え、3時間運転するのに日帰り?」

 「ああ!大丈夫大丈夫。車の運転は好きだから適当に休憩しながら帰るし、比呂は寝ててもいいよ」

 「……次の日休みにできないの?」

 「うーん、連休はねー。スタッフの都合もあるし。大丈夫だよ、次の日は遅番だし」

 「そ……う」

 「うん。心配ないさ。楽しみにしててよ」

そう言って見上げるけれど、比呂は微妙な顔をしていた。あれ、なんだ。もっと楽しそうにすると思ったのに。 



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