第15話
こ、これはかなり荒ぶってらっしゃる!どうしよう。砂糖を吐き散らしながら低血糖になっている場合ではない。私は私の頭の中のありとあらゆる知恵袋をひっくり返して、唐突に一つの見解を得た。
比呂を見上げる。片手を比呂の目の前に持っていく。
「どうどう」
ど、どうだ?これで少しは落ち着いてくれるだろうか。伸ばした自分の手の隙間から比呂を覗き見る。
「俺……なんか変な事言ってるかなあ」
見えるのはなんだかひどく打ちひしがれている比呂だった。どうした。さっきから比呂は上がったり下がったりまさにエレベーターのようだ。
「変なことは言っていないよ。そうだその通りだ。前提として正しいと思う」
そうだ言ってることは間違っていない。何者であるかという以前に比呂は比呂なんだから。砂糖の配分がおかしいだけだ。
で?
で、どうしたんだああああ。まずい、さっきの砂糖大放出で、圧倒的に脳みそのブドウ糖が足りない。
そもそも、私はこれだけ真剣な人間と向かい合ったことなどない!よく考えたら年は取ってるが精神の修行レベルが比呂たち高校生と同等あるいはそれ以下!
無理ゲーじゃんか無理ゲー!!と、混乱を極めている己に構っている場合ではない。目の間で比呂がしっとりと打ちひしがれているんだから。
私は息を吸い込んで下腹に力をこめながらはっきりと発言する。
「約束は守る!」
「……え?」
「比呂は結局どこへ行きたいんだ?」
「えっと……」
「さあ!遠慮なく言いたまえ!」
そう言うと、比呂はうっすら頬を染めて、それからはにかみながらこう言った。
「……海に行きたい」
海!!まさしくサマーバケーション!!なるほど夏休み!
「あいわかった!必ずやその願い叶えてしんぜようぞ!貴公の行きたい場所は海でよろしいか!」
「うん、海、行こう」
そう言いながら、比呂はくすくすと笑う。
「どうした?」
「樹里亜って変わらないよね。俺が弱ると、突然言葉遣いがおかしくなるところ」
「そうか?」
「何とかしようとしてくれてんだなって昔から思ってた」
「う……まあなんだ、年相応の対応ができなくてすまないと思っています」
「いいんだ、そんなこと。俺にとってはそれでいいんだ」
そうして比呂は笑顔になった。
「うん、まあ、じゃあ俺、先に行くよ」
「待たれい!」
「え?」
「一緒に行こう。ただし手はつながないがな」
「いいの?」
「いい考えがある」
私たちはそのままライブハウスを出る。思った通り、比呂の存在に恋愛的に心がやられちゃってる女子が複数目に入るし、何あいつ?という恋愛的な方面からのまさかの蔑みなまなざしを真正面から受ける。そんなこと未だかつてなかった。私という存在そのものに対する蔑みなまなざしなら慣れっこだけど!テヘペロ☆
「ではヒロさん、次回のライブの打ち合わせの件ですが、次の現場に行きながらお話ししましょう」
私は声を張り上げながら足早に歩く。比呂は最初びっくりしてたけど、こくこくととりあえず頷いて話を合わせようとしている。
「ファンの子に手を振って」私が囁くと、遠巻きにしていた女子らに片手を振ってにこりと笑った。
キャーって言うささやかな歓声をやり過ごしながら、足早にそこを後にし、タクシーを見つけられる場所まで来て、とりあえず飛び乗った。
本当は「運転手さん、前の車追ってください!!」ってのをやってみたいのだがそんな遊びをしている場合ではないので、申し訳ないけど最寄駅まで乗せてもらう。このまま家まで帰る予算はさすがの25歳でも薄給に付きご用意できません。
乗ってすぐ降りるという、運転手さんには非常に申し訳ない使い方をしてしまった。ごめんごめんと走り去る車に頭を下げる。
「さあ、帰るか」
と、比呂を見上げれば、タクシーの中でゆるく繋ぎなおされた指を、しっかりと握られる。
浮上したようだな。ビルの谷間に月も出て、今宵も名月かな。
「なんか」
「え?」
「なんか面白かったね、今の、ドラマみたい」
と、比呂が含み笑いをする。
「アドリブにしてはよくできたな」
「デキる秘書っぽかった」
「それはあれだな、今日の服の一部に怜ちゃんのエキスが含まれているからだな」
「エキスって何それ」
「今日の服は怜ちゃんが選んだからさ」
「そうなんだ」
「そうって……、比呂さ」
私は立ち止まって、比呂に問う。
「今日は実は普段とは違う服を着てみたんだけど、気付かなかった?今日はメンバーの人とも会うというし、もう25歳なんだから少しはまともな服がよろしかろうと怜ちゃんも言ってて、何がどのようにいいかもわからないんだけど、とりあえずこれがいいというから着てるんだけど」
「何着てても樹里亜は樹里亜だから好きな服着ればいいじゃね?俺は別に今のも似合うと思うけどいつものも似合ってると思うよ」
唐突に怜ちゃんの言葉が思い出される。
『あんたの全てが好きだからいいんじゃないの?』
ひ、比呂……?
比呂はもしかすると、私なんかよりもずっと高い精神の修行をしているのか……。
「?何?」
私がひたすら見上げ続けていると、比呂がそう聞いてきたので
「大きくなれよ」
と、告げる。
「え?樹里亜はもっと背が高いほうがいいの?俺結構高い方なんだけどなあ」
牛乳もっと飲もうかなと呟く。
「比呂」
「ん?」
「比呂はさ、どっちが好き?いつものTシャツか今日みたいな服か」
「だから、どっちでもいいって」
「比呂がいいという方を着てくるよ、海にさ」
「俺が選んでいいの?」
うむと、私は固く頷く。
「えっと、どっちとも選べないけどあえて言うなら」
「あえて言うなら!」
「今日みたいのは見たことないからまた見たい」
「しかと心得た!」
私が胸をたたくと、比呂ははにかんだ笑みを浮かべてこちらを見ながら、言う。
「なんか」
「なんだ?」
「付き合ってるっぽい」
「付き合っているでしょうよ」
「そうじゃないよ。なんつーか、うん。なんでもない」
なんだかよくわからないが、比呂は大変満足しているようなので、まあいいか。
さて、無事にメンバーへの紹介を彼女として立派に果たしたわけで、私の彼女スキルも一つ上がったような気がする。上がったところで、今後何かの役に立つとは思えない。
朝くらい顔を見たいというから、テスト期間中である今週の怒涛の遅番シフトはキョンちゃんである。
シフトを見て「えー、極端すぎる」と文句垂れてたが、実際週が始まるとキョンちゃんの機嫌はうなぎのぼりになった。
よくわからないけど、きっとキョンちゃんの生活習慣は変えられなかったんだと思う。今週のキョンちゃんと言ったら顔色もすこぶる良いし生き生きとしている。それだけならいいけど、有り余った余力で私に絡んでくるからたちが悪い。
遅番だと何がどのように都合がいいのか全く予想できないけど、よくわからないテンションが続くと心底迷惑なんで、来週から通常のシフトを組もうと思う。
しかし、いくら有り余るエネルギーがあるからと言ってキョンちゃんは正直うっとおしい。その上それを見守る小林ママさんも面倒くさいので、本日は全員が雁首そろえる時間に朝礼を開きたいと思います。朝じゃないけどな。
「皆さん」
私は二人を集める。とはいうものの営業中の店内である。店に店員が誰もいないというのはいただけない。
「私にはれっきとした恋人がいます!」
そう宣言すると、店の端っこでDVDを選んでいたお客さんがDVDを取り落しそうになるのが万引き防止用ミラーで確認できた。すまぬ、客よ。我々には会議室はない。事件は現場で起きてるからな!
「ええ!!!」
この一言に正しい反応をしたのは小林ママさんだ。
「なので、これ以上私にちょっかいを出すな!清水恭介君」
「ちょっかい?いや俺真剣ですけど」
「にやにやしながら言われたところで真剣味など無しも同然!もし今後も続くようなら怒涛の早番にするからな!」
「職権乱用ですよ、武藤店長代理」
「キョンちゃんはキョンちゃんの濫用だと思います!」
「なかなかいいとこつくね、武藤店長代理」
「恋人というのはどんな人なの?樹里亜ちゃん!」
小林ママさんが挙手しながら言う。というか、あんなにキョンちゃん推しだったのに、キョンちゃんの事は聞かなくてもいいのか!
「小林さん……聞いて驚くかもしれませんが、幼馴染で7歳下の高校生であります!」
遠くでがたっという音がした。ミラーを見ればお客さんが今度は鞄を落としていた。
「なんですって―!!」
小林ママさんが大袈裟に驚く。
「ええー!!そういうつながりだったんだ!」
キョンちゃんが妙に納得する。
「あれだ、刷りこみだよね、ほらヒヨコが初めて見たのを親だと思うとかなんとか」
「チェストー!」
「意味の分からない掛け声はやめてください、店長代理」
「うるさいチェストー!!」
そんな細々とした遣り取りをしていたら、驚愕のまま固まった小林ママさんが目に入る。
「小林さん……大丈夫ですか?」
そう問えば、突然電源入ったかのように「素敵―!」と叫んだ。遠くのお客さんがもうなんか棒立ちしているし、今入ってきたお客さんも何事かという顔をしているので「いらっしゃいませー!」と居酒屋もこれほどではというほどの声で大歓迎すれば、戸惑いながら洋楽top10のコーナーに移動していった。
「年の差年下幼馴染!」
「こ、小林さん……?」
「年の差年下幼馴染!!なんてゴチソウサマなの!!」
小林さん……ストライクゾーン広すぎる。
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