第13話
スマホが一台割れたところで、よくある事なんだってさ!
まだ大学生だっていうのに、とんでもない人生送っていやがるぜ、あの男。そのうちいたいけな女子に刺されても、よくある事ですからとか言うに違いない。ああ恐ろしい。しかもスマホのデータ、全部バックアップしてるんだとさ。「いつ誰に割られるかわからないからね。 備えよ常に!」ってものすごい良い笑顔でさわやかに言われても、内容がひどすぎる。
「それにしても」
割れて画面の向こうが真っ黒になったスマホをじっと見ながらキョンちゃんは言った。なんだろう。宇宙からの通信でも読んでいるのだろうか。
私はキョンちゃんの話よりも、今まさに床にしたたかに打ち付けられ何の電気的活動をしえない物体の黒い画面を見つめる。
「武藤さんって反応つまらないですよね。彼氏とちゃんと恋愛してるんですか?」
「反応がつまらないとか意味わからないけど、その辺はキョンちゃんには関係ないじゃんか」
「もしかして……顔に似合わずものすごいアレなんですか?」
「は?ものすごいアレ?」
「ええ。大体高校生の男子なんてそんなもんじゃないかと」
「全然意味が分からないけれど」
「つまり○□※△……」
「ぎゃーーーーーー!!!」
信じられぬ!!この男!職場の廊下でなんてことを言い出す!しかも昼間っから!私が驚愕で打ち震えていると、キョンちゃんは長い指で自分の顎をさすりながら、小首をかしげる。
「あれ?」
あれ?じゃ、ねーーー!
「武藤さんって、〇□※△×とか」
「うごううううううううううううううう!」
私はとびのいて耳を塞いで座り込むと、上からキョンちゃんが覗き込みながら嫌な顔で笑った。
「顔真っ赤ですけど、下ネタダメなんですか」
「やめろ!早く帰れ!この変態が!!」
「へーー?別に普通の話ですが」
「普通じゃね――!!もう帰れ―!!!」
「はいはい。ではお疲れ様です。来週は遅番入れてくださいよ」
そう言いながら、にやにやしている。まだ何か言うかと身構えていたら、案外キョンちゃんはさっくり帰っていった。
全くうちの従業員の人間性とんでもないな、と思いながらさくさくと事務仕事を進めます。それから今、お隣で延々と恋愛論を展開している小林ママさんにも一言物申さねばならぬ。小さな店だというのに案外いろんなことが大変だ。本業以外でな。
それからの1週間は怒涛の早番漬けにしたキョンちゃんから、ささやかな接触時間帯にちょっと意味の分からない種類の笑顔を向けられつつ、ここで突っ込んだら、絶対いろいろ言われるとあえて全スルーしていると、そのうち週後半から段々機嫌が悪くなってきた。スマホを割った時はそうでもなかったのに。気分屋さんめ。早く社会でもまれろ!
この早番連続という理不尽な上司の決定にいろいろ言いたいことはあるだろうが、まだ学生なんだから朝は早く起きるべきである。朝から働いてそののち勉学に励む。学生のくせに色ごとに熟れた生活なんか送ってるとろくな人間にならんからな。キョンちゃんの私生活を整えながら間接的に比呂にかかっている変な恋愛脳的魔法が薄れていく(だろう)。まさに一石二鳥。くくく。うっかり声に出てしまったらしく、小林さんが「なにが、『くくく』なんですか?」と内容を聞きたがっている。目の中にハート飛んでる。天然だとは思っていたが恋愛脳を併発しているとは!うちの従業員は何故こうも皆一様に斜め上を生きているのか。
小林ママさん対策としては、思い切って比呂との関係を暴露したほうが私のためにいいかもしれない。しかし高校の制服でやってこられると、いくらなんでも小林さんの恋愛脳引き出しでさえも入りきらないかと思うので、最初は私服で面通ししてもらおう。
と、小林ママさん対応策を「地味系メガネ男子×天然美少女」のモエ要素を熱烈に語り続けるご本人のありがたい話を適当に流しながら、悶々と考えていた。そんなよんきびう(金曜日)。
そして土曜日の朝が来た。クローゼットの前に、セレクトされたニットカットソーと短パンがかけてある。これは先日怜ちゃんが片道1時間かけて10分で選んでくれた代物である。
本日は比呂のライブであるので、これを着用してみんとてするなり。
いやもしかするとさ、あれからかれこれ7日くらい過ぎたから、もう比呂の中で盛り上がった恋愛感情的なものが消えうせてるかもしれないけどな。
「ごめん、俺やっぱり……」
と、悲しそうに眉を下げる比呂に
「あばよ!」
って言い捨てるところまで脳内演出は出来上がっているのだ。あとは比呂の出方を待つばかり!
まあとにかく、本日は早番であるので、さっさと着替えて出勤するがよろし。
七月も後半に差し掛かり、日差しはギンギンで、風はベターッと付きまとう、そんな日本の夏がいよいよ降臨である。
サマーニットでは日本の夏には暑いのではないかと思ったけれど、案外さらっとしていて気持ちがいい。翻って足は出し過ぎなのではないかとは思うので、いつもよりも丁寧に日焼け止めを塗る。こう見えて私は案外肌が弱い。本当は紫外線っていう夏のお気に入りTシャツが着たい。鏡を見ると、未だ髪型がきのこババアだったので、同時に買ったピンで前髪を横にちょっと留める。
いいのか悪いのか全く判断できないが、怜ちゃんの言葉だけを信じて私は身支度を終えた。よしっと気合を入れて部屋のドアを開ければ、廊下を歩いていた母が気を失いそうな顔をしている。
「ど、ど、どうしたのよ、あんたその恰好……」
「え?」
「いや、あのその、まさかあんた、お見合いとか?」
「……いってきます」
母と話していては時間の無駄である。私は怜ちゃんがこれもセレクトした、ピンヒールのサンダルを履く。
「ひいいいいい!」
後ろから断末魔が聞こえる。
「あんた……あんた本当に一体どうしたの?」
ドアを閉めるとき一度振り返れば、母が三途の川で石を崩された子供のような顔をして佇んでいるのが目に入った。
あの反応ないだろ!いや、もしかして、あの反応が正しいのだろうか。わからぬ。自分で着ているものの良しあしが全く分からぬ!いつもだったら、単語のセレクトが悪かったかなあくらいで済むが、もしかして私は裸で歩いているんじゃないかという疑惑が頭をもたげてきた。ただ怜ちゃんを信じるのみなのだが、これ以上おかしな反応を周りがしだしたら、それ本気でやばいっつうことだ。すなわち、カリスマOL怜ちゃんのセンスもあやうしってわけだ。ぶは!怜ちゃんのくせにー!と思いつつ、この際馬鹿にされるのは私だけだと気付いて落胆する。
お店の方は土曜日なので、そこそこお客の出入りがありつつも、本日は他店のバイトさんがヘルプで来てくれているせいか、つつがなく過ぎていく。自店の店員だと平和じゃないというところが私的に痛ましい。
この他店の女子は、実にかわいらしいお嬢さんなのだが、どうもキョンちゃんの事を恋愛的に気に入っているみたいだ。いかん!あんな男の毒牙にかかるなど!もっと世の中を知ればいいと思って、ホラー映画とか進めてみるが、怖いのは嫌いなんだって。今に本当のホラーを見ることになるからな。気をつけろ!やつに気をつけろ!と心で叫びながらにこやかに一日を過ごす。
「なんか違うと思ったら」
彼女がかわいらしくネイルの施された指で自分の前髪に触れる。
「これ、かわいいですね、武藤さん」
うっほ!まじか!かわいいか!よかった。とりあえず髪型は大丈夫みたいだよ、怜ちゃん!
そしてライブに備え、本日は早番のため、時間通りにそそくさと着替えて速やかに店を出ようとする。レジのそばを通ると
「わあ!武藤さん、今日すごくかわいいですね!」
と両手を合わせて褒めてくれる。
おうう。どうにか20代前半女子的に、洋服センスは大丈夫みたいだぜ、怜ちゃん。
ここで、怜ちゃんのセレクトとやらが部分的に証明された。全体的にはまだわからないけどな。そこで私は、さりげなく聞く。
「そう?ありがとう。いつものと、どっちが似合うかなあ?」
「今の方です!今の方が絶対かわいいですよ!」
即答される。私の洋服センスが今、先日のスマホのごとく地に落ちた。
「そ、そっか……」
微妙な気持になりながら、曖昧に微笑む。彼女の方は私のその反応が思いがけなかったのか、頭にはてなをはやしながらも、とりあえず私に合わせてほほ笑んだ。
「じゃ、じゃあ、お疲れ様です。あとをよろしくお願いします」
これ以上場の雰囲気を気まずくさせても仕方がない。何とかそれだけを正気で言い切って、ふらふらと店を後にした。誰でもいい、あのTシャツがお前には一番似合ってるぜと白い歯をきらめかせながら親指を立ててほしい。
等と考えているうちに、ライブハウス至近の駅までやってきた。ちょっと様子を見に行くと、まだまだ開演までには時間があるのにもうすでにお客さんが並んでいて驚く。私はほとんど、授業参観に来る母のような気持ちになっているので、そんなお客さんの反応がちょっとうれしい。比呂、頑張るのよ!
そうして踵を返し、今日は恵美ちんと来る予定なので、待ち合わせ場所に戻る。
待ち合わせにはちょっと早かったから、外は暑いしどっか適当に店にでも入るかと一旦立ち止まった待ち合わせ場所から移動しかけると、突然背後から覆いかぶさるように何者かの腕が肩に巻きつく。
「ぎゃあ!」
人間驚いたときはどんな声が出るかわからないものである。まさか私がギャートルズのような声を出すとは!
耳に触れる吐息に、「樹里亜……」という声が漏れた。
あれ、全然恋愛感情的なものが薄れていないような気がする!
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