第11話
そ、それにしても。
いつまでこうやっているつもりだ、比呂。私は何とか抜け出すべく、うぐうぐともがくが、比呂の腕は弱まることを知らない。こうやってゆるく窒息していくのは御免こうむりたい。
「ひ、比呂」
「なに?」
ひいいい。びっくりするほど甘い音を持った返事が耳に流れ込んでくる。陶酔しきってるなこいつ!この薄汚れた駅前繁華街で、王道少女マンガもびっくりするようなピンクな空気を嫌というほど漂わせることができるとは!逆に感心する!逆に!
などとくだらないことに感心している場合じゃなかった。その神経とは裏腹に、私の体は頑丈には出来ていない。正直苦しい。お花畑にいる比呂には申し訳ないのだが、私の方があの世のお花畑を見る勢いである。まだおばあちゃんにお迎えに来てもらいたくはないので、なんとか身じろぎして空間を奪取し、酔いまくってるとこ水を差すのは申し訳ないながらも率直に提言する。
「ちょっと、あの、苦しいので、離してほしいんだけど」
すると、比呂ははっとしたように身を離す。はあああああああ。呼吸って素晴らしい。
「ごめん、あの、ごめん」
「ああ、いやいや」と言ったきり私は何度か深呼吸を繰り返す。どんだけ力こめてるんだ。しかも骨骨ロックのようなこの私をここまでギューギューしたとして何が面白いんだか。いかんな。イケメンが彼女を文字通り抱き殺すなんてことはないように、もうちょっといろいろ余裕を持てるように指導しなければ、この先の比呂の恋路が思いやられる。
少し離れたとはいえ、手はそのままつなぎっぱなしではあるので、比呂は握る手の力を強くしたり弱くしたり、役人の子のごとくにぎにぎしている。うまいこと言った。
「なんか、感動したっていうか」
「は?感動?」
「樹里亜、小さいなって」
そう言いながらまたしても比呂は頬を赤らめる。そろそろ思考回路についていけなくなってきた。日本語は判るのに、何言ってるのか全然わからないよ、比呂。
照れたままはにかみつつ、じゃあ帰ろうっかと比呂はそのまま私の手を引いた。
「あのさ、で、で、デートって、どこでもいいの?」
デートで噛むなよ、比呂。ますます不安になってくるぜ。
「うん、比呂の行きたいところへ行くけど」
私は恐る恐るその顔を見上げる。幸せそうに緩んだ顔。心配だ。私でよかったら踏み台になろうとは思いはしたが、何かことごとく間違っているんじゃなかろうか。私で免疫をつけ経験を積むはずが、一人で大暴走しているようにも見える。大丈夫だろうか。とても心配だ。こういうのはやっぱり怜ちゃんに相談すべきかもしれない。
家にたどり着くまでしっかりと手は握られ、相変わらずほとんど言葉を発しないわけだが、見上げる比呂は満足そうだ。比呂はいったい何にこれだけ満足し、挙動不審な行動を繰り返すのだろうか。比呂がイケメンだから意味が分からないのか、比呂自体がちょっと意味のよくわからない生物なのか。
「じゃあ、また明日」
と私がいつものように手を振ってドアの前で別れようとすると、またしても比呂が後ろから抱きしめる。
「おやすみ」という小声が耳元に聞こえたかと思うと、そのまま忍者の勢いで自宅へ消えた。
全く、一体何なのだ。
比呂のピンクな空気に中てられて、急に疲労感がどっしりと私の両肩に落ちてきた。年は取りたくないものである。
さて夕飯も済んで、寝支度をして、さあお電話タイムである。お電話タイムなのは一方的に私の都合であって怜ちゃんの方はどうかは知らんが、私は迷うことなく電話をかける。
「あんた、ちょっと、今大丈夫か?くらいのメール寄こしなさいよ」
「いやちょっとさあ、人生に迷っていましてね」
「あんたの人生なんか一本道じゃん」
「な、まあそうかもしれないけど、いやまっすぐな人生だからこそ他人の人生わかり難いというか」
「意味が分からないよ、結局何?」
「んーと、あのさ、比呂の事なんだけど」
「また比呂君か。あんた家族でもないのにいろいろと首突っ込むのやめなさいよね」
比呂と付き合っているのだが、という前提があるのだがなかなかそれをカミングアウトできない。くっそう。これは秘密ではない秘密ではないのだ!と自分を説得するも、チャックされたお口はなかなか開かないものなのよ。
「あのさ、なんかちょっと浮わつきすぎてるような気がするんだよね」
「はあ?だって彼女出来たばっかりなんでしょ?そんなの当然じゃん。しかも高校生だし」
「いやなんか、なんというか、駅前とかで急に抱きしめちゃうとか別れ際もべたべたするというか」
「ちょっとそれ見てんの?あんた、まさかつけてるとかじゃないわよね?当人からしたら相当気持ち悪いわよ」
「別につけてるわけじゃないよ!偶然見かけたというかなんというか……。見かけたからこそ目に余るというか、なんかあんな比呂は見たことないし、常軌を逸しているんじゃないかと心配になって……」
「いいんじゃないの。人生に一度くらい常軌を逸した時期があっても。大体比呂君高校生でしょ。高校生なんてたった一ヶ月付き合いが持続しただけで、クリスマス並みの大イベントになるんだから、その辺察してあげないさいよ」
「へ?一カ月で?」
「そうよ。高校生なんて数か月で恋愛が終わる、こちらからしてみれば超短期クールで動いているんだからね。まあ盛り上がってるならそのままほっときなさいよ。あと二か月もすれば別れてるから」
「えええ!なんと!二か月じゃレジ打ちだって怪しいよ」
「ワカモノは時間の流れが異様にゆっくりなのよ!こっちは25歳以降の時間が加速度的に進んで行くのにおびえているというのに」
そういうと、怜ちゃんは電話口でぶつぶつと呪いの言葉を吐き出したので、早々に電話を切った。怜ちゃんの愚痴は魔女の呪いのように長いし、こっちも呪われてくる。
そうか。これほど比呂が盛り上がっているとはいえ、あと三カ月くらいでさっぱり冷めていくのか。なんだか世の無常を感じるね。そう言われれば、あと三ヶ月いい思い出を作ってやらなければならない。
ぐわーっと盛り上がっているならそれに乗ってやろう。ジェットコースターのようなものだ。あー楽しかった、で終われるようにしとけば、次のジェットコースターはもっと楽しめるに違いない。
それにしても、年の差というものをひしひしと感じるぜ。高校生ってすごい生き物だな。そういえば怜ちゃんもとっかえひっかえだったが、またか!とは思っても、もうか!とは思わなかった。恵美ちんはミステリアスすぎていつ誰とどれくらいの時期付き合っていたのか知れない。それに引き比べて、私は高校生の恋愛も20代前半の恋愛もしたことが無いので比較のしようが無いけどな。怜ちゃんの事をそう思って見ていたということは、私も高校生の頃は素敵な時間軸にいたんだろうなきっと。なんかライブばっかり行っているうちに高校卒業してたけどな。む、そう考えると次のライブまでの間隔がすごく長かったような気がする!そうかこの気持ちか!よし、次は気を引き締めて、比呂の言動であっけにとられぬよう気を引き締めて当たろう。
人生というのは日々勉強だなと、昨夜考えた事を牛のごとく反芻しながら発注作業をしていると、返品作業をしていた小林ママさんが、ふふっと笑みを零した。小林ママさんは天然さんなので、突然笑い声を上げても驚かない。むしろキョンちゃんの無表情で繰り出す正論の方が常軌を逸しているように感じる。
「いよいよキョンちゃんも正念場ね……」
小林ママさんが笑みを浮かべたまま、意味不明な予言を呟く。
「え?なんですか?キョンちゃんがどうしたんですか?」
小林ママさんは私がスルーしているとこういう謎めいたことを永遠に繰り返して言うので、早めに問うた方がいい。それしてもうちの店はちょっと変わった人ばっかりだな。どうしてこういう人間が集まってしまうのだろうか。
「見て、これを」
ママさんは引き出しから昨日のレジ〆の際の書類を引っ張り出す。私の事をハダカデバネズミとのたまった罪でキョンちゃんに押し付けたものである。手渡されても、別段おかしなところはない。
「ほらこれ」
ママさんの、鮮やかに彩られたものが降り注いだようなネイルが施された指先が示す場所を見る。
ハンコ―。ハンコが押してある。キョンちゃんは斉藤恭介だから、斉藤である。これが何か?
「逆さでしょ?」
そう言われてみれば逆さだ。
「はあ、まあそういうことってたまにありますし」
「あのキョンちゃんがハンコを逆さに押すと思う?何か動揺するようなことがあったはず!!」
いよいよもってママさんは盛り上がり始めた。まさに「じっちゃんの名にかけて!」くらいは言いそうな雰囲気である。
「昨日、何があったの?樹里亜ちゃんとキョンちゃんの間で」
小林ママさんは容疑者を追い詰めるがごとく私ににじり寄る。
「別に、何も!」
「いやいや、そんなことはないわよ」
「普段通りに……昨日はハダカデバネズミについてちょっと言い合っただけですけど……。まさか!ハダカデバネズミに私が好印象を持たなかった事に傷ついたとか?」
ちょっと無理だ、ハダカデバネズミに好印象を持つことは無理だ。
「樹里亜ちゃん……。キョンちゃんは奥手だし、樹里亜ちゃんは鈍いからちょっと言っておくけど、キョンちゃんは樹里亜ちゃんのことが好きだと思う」
小林ママさんは私を真剣に見ながらそう言い切った。真正面で吹きださなかった私を褒めてほしい。やべえよ、ママさんやべえよ。
ママさんは、なぜそう思ったかの経緯を熱烈に話し始めたんだけど、それちょっと前に教えてくれたママさんお勧めのweb恋愛小説まんまあらすじだよう。
それをBGMにしながら私は黙々と発注作業を続ける。どうして私の周りはこうやってちょっと変な人たちが集まっているのだろうか!
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