第9話

 25歳にして「萌え」を理解したワタクシ武藤樹里亜であります!今日も一日がんばるっぺよ~と鼻歌まじりにポップを書いていた。

 なんか、思っていたより順調に付き合ってるよね。誰かと付き合うなんてことは初めてだから、何がどうなるのかと戦々恐々としていたわけだけど、案外ちょろいというか、あんまり生活変わんないしね、これ。

 メールに返信するとか、普段の私は郵便局でも間に入ってるのかというペースにもかかわらず、対比呂戦におきましてはまめに返信している!すごい!驚天動地!天地無用!

 これがモエの効果だろうね。武藤萌にしたほうがいいんじゃないかというくらい使いこなしてるスペックだよねこれ。等と機嫌よく仕事を進める。愛想よくお客さんに接っする。例えCD棚から引き出してその後ばらばらと置かれていたとしても、アイウエオ順のところにサが差し込まれていてもな。

 フフフと、笑みをこぼしながらしゃがんでマリリンマンソンを握りしめていると「武藤さん……怖いです」と上からなのに足元から来たかと思う低い声がした。

 「おう!びっくりした!キョンちゃんか」

 「お客さんの方が武藤さん見てビビってますよ」

 「え?そう?なんでかね?」

マリリンマンソンを無事「M」欄に戻すと、私は手書きのポップをあっちこっちに張り付ける。

 「それから、武藤さんの描いてるそのウサギが、気味が悪いと評判ですが」

 「ええ!これが?かわいいのになあ」

 「そのウサギはJ-popのところには貼らないほうがいいと思いますが……」

どんな小さな紙にもきっちり描き込んだウサギを見つめる。お前、気味が悪いらしいよ。

 「色かな?」

 「違うと思います。ウサギはいいので、普通に字だけでいいと思います」

 「そっか。わかったよ。ウサギはDVDコーナーで使うよ」

 「テーマはホラーのところでお願いします」

行きかけた足を止めて後ろを振り返ると、無表情のキョンちゃんが「お願いします」と再度繰り返した。

 キョンちゃんは大学生でバイトさんだ。大学生なのにすごくまじめ。私もまじめに働いているけど、どういうわけかいっつもキョンちゃんに行動を制限される。

 そうは言っても、キョンちゃんはライブになると人柄が豹変する。がっつりダイブとかしちゃう。私にとっては一緒にライブ行きたくないタイプだから何度か誘われたけど、一緒した事はただの一度きり。

 まああれよ、キョンちゃんはきっと毎日をまじめに生きすぎてるんだよ。だからライブになるとタガが外れまくっちゃうんだよ。

 「でも自分たち働いているわけじゃないですか」とキョンちゃんは言う。

 「働いている時はまじめに働いたほうがいいと思います。給料もらってるんだし」休憩室でコーヒーを片手に、黒縁の眼鏡を指で押し上げながら言う。キョンちゃんはなんか書店男子の名を連ねそうなそこそこのイケメンさんだがどういうわけか変な黒縁メガネをしている。度は入ってないらしい。変なのと思ってはいるが、他人事だしな。どうでもいい。

 「ところで、武藤さんI factorってバンド知ってます?」 

突然思ってもみない方向から弾飛んできた!

 「え?あ、ああ、えーっと」

当然のごとくしどろもどろになる私。いや別に、何かやましい事があるわけでも隠し立てすることも何もないのだが、どういうわけか激しく動揺してしまう。いやだ、しゃべっちゃいけないと思うことによるこの副反応みたいなこれ。というわけで、私は休憩室の誰のものともしれぬ「音楽と人」を思わず握りながら、努めて平常心を装った。もう25歳だからこれくらいはできる。

 「あれ、案外食いつかないですね?すごい評判だからきっと語りだすだろうと思って休憩終りの10分前にこの話振ったのに」

 「私の周囲の人間ってどうしてこうもどいつもこいつも私の扱いがひどいのか!」

 「武藤さんのせいだと思いますけども」

 「あれ、今声に出てた?」

 「ええ」

 「キョンちゃんがいよいよ読心術できるようになったかと思ったよ!びっくりした!」

 「心の声をいきなり聞かされた方がびっくりですよ」

 「だよねー!えーっとI factorだっけ?」

 「なんだかボーカルがすごい美形らしいってtwitterでも結構話題になってますよ。って言っても自分周辺ですけど」

そんなにか!まずい私これ以上この話は挙動不審リミットに達する。即ちどういうことかというと、そろそろ蓋あいちゃいそう!!

 「あーまあはいそうね」

話題を切り替えるべく、私は頭に流れてくる自動音声を自動再生する。

 「……それだけ?」

 「えーっと、うん、ライブはすごい盛り上がっていた」

 「ボーカルどうですか?」

 くっくっそうううう!ボーカルですか!!歌う人ですよ!!!

 「イ、イケメンなんじゃないかなあ」

 「へえ。それから?」

 「うまいと思うよ、声もいいし」

 「なんか、武藤さんからまともな返事もらうと嘘くさいですね」

 「なら聞くな!」

 「……なにか聞かれたくないことでもあるんですか?」

 「聞かれたくない事などない!」

ふと時計を見れば休憩終りだ!やった!と立ち上がる。キョンちゃんの眼鏡の奥で光る一重の目怖い!笑うと目が細くなって人がよさそうに見えるから、ファンもそこそこいて柱の陰から見てる女子とかたまにいるもんな。にも拘らず私には殺人光線投げてくるからな。黙ってると眼光鋭すぎ。拳法の達人かそれに準ずる関係者ではないかと私は疑っている。

 私が転がるように休憩室を出ようとすると「武藤さん」とさらに声が追いかけてくる。

 ぎゃーなんなんだよう!

 「武藤さん、制服のジッパー全開ですよ」

 「うわー!!!!!!!!」

私はあわてて制服であるキュロットの横のジッパーを上げる。おううう……イタイ……これはイタイ……。

 「なんでもう少し早く注意してくれないんだ!」

 「ああ、すみません二時間前に気付きましたが忘れてました」

く、くっそう嫌な奴すぎる!!!!!それに比べて比呂はなんて癒し系なんだ。あいつ本当は背中割れて中から犬でも出てくるんじゃないの?


 楽しく働いていたというのに、やはりキョンちゃんのシフトの日はもっと自分を鎮めなければ!なにしろ、休憩が終わったら、早番パートの小林ママさんが帰ってしまうからな。小林ママさんと後半も働きたい……。意地悪キョンちゃんと二人なんて胃が痛い……。

 と思っているうちに、柔らかな笑みを残して小林ママさんが帰っていく、いやだ、ママ、帰らないで……。

 よし、きびきび働こう、端っこで。レジはキョンちゃんに任せ、私は店の端であいうえおを呟きながらCDの整理に精を出す。そうこうしているうちに時間は経っていく。弱冠背中に視線を感じるが、殺される距離じゃない。やはり距離を稼ぐのは大切だ。

 「樹里亜」

 聞きなれた声が耳を通っていく。振り向くと、遠慮がちに比呂が立っていた。

 「比呂!どうしたの?CD買いに来たの?」

 「いや、別にその……会いたかった……から」

不意に顔を横に向ける比呂。ぐはあ!なんというかわいらしい生き物なんだこれ!やっぱり中身犬とかじゃないの?!

 「そっか!私も顔見たかった!癒されたよ!疲れ吹き飛んだよ!」

 そう言うと、比呂はますます顔を赤くしてうつむく。何をそんなに照れることがあるんだ。テレテレスイッチでもあるのか?

 「あ、あのさ、もうあと1時間くらい?」

 「ああ、うんそうだけど?」

 「じゃあ、向こうのマックで待ってる」

 「ええ?いいよ、1時間待つとか」

 「一緒に、帰りたいから」

 「あの」

比呂の声にかぶさるように、低い声が地を這った。

 「仕事中なんですが、武藤さん」

ひいい!気配無かった!今気配無かったよキョンちゃん!やっぱり拳法だよ、こいつ拳法だ。

 「ああ、はいはい、別にさぼっちゃいないし!!今度は私がレジ変わるね!はははは!」

 「じゃ、じゃあ樹里亜、あとでね」

 「ありがとうございました」

キョンちゃんはいつものようにそう言う。いつものようになんだけど、不意に比呂が足を止めてキョンちゃんを見た。

 「ありがとうございました」

もう一度キョンちゃんは言う。そうして二人でしばし見つめ合って、それで比呂は振り返って私を見ると、一度目を合わせて笑顔を見せ、店を出て行く。なんだろ、今の。知り合い?

 「キョンちゃん、比呂と知り合い?」

 「さあ。自分の記憶にはありませんね、ところで武藤さん」

 「はいはい!仕事ね仕事!」

キョンちゃんは仕事中の雑談嫌いなんだよね、このまじめさんめ!

 「武藤さん、今の、もしかして彼氏とかですか?」

 「う、いやまあ、そのうんまあ」

自慢できる彼氏だ!と先日大見得切ったわけなので、私は思い切って肯定する。こそこそした彼女なんて、比呂の初恋に申し訳ない。なるべくいい思い出にしなければな!

 「……高校生ですよね、彼。しかもすごくイケメンですね」

 「ははは、まあそうだね」

 「どんな薬盛ったんですか?」

 「あのね!どうして私の魅力だと思わないんだ!」

 「顕微鏡で見なくちゃわからないような魅力に、気付く人間なんてめったにいないですよ」

 「なんだそれこら!失礼すぎる!」

 「どこで知り合ったんですか?」

 「いやなんて言うの、ほらそれ、幼馴染というかお隣さんというか」

 「幼馴染って年離れすぎてません?遊ぶような年齢ですか?」

 「え?遊んだけど?」

 「ええ?だって彼が小学生の時って武藤さん高校生ですよね?」

 「うん。だから?」

 「え、だからって」

 「ポケモンカードゲームとか~ DSとか~ 結構遊べるよ!」

 「へえ……」

 「ああ、興味ないよね!はいはい!仕事仕事!」

そのまましばらくキョンちゃんは顎に手を当てて考え込んでいた。それほど不思議ですかね、小学生と遊ぶ高校生は?


  

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