第6話

 そのまま私はエントランスを抜け、誰もいないエレベーターに乗り込み、我が家へと向かう。

 家に入れば母が「おかえりー」といつもの調子で言う。別段、私の服装についての言及はない。というか、ずっとこんな服装だから余計に何も言わないか。とりあえず荷物を部屋に置いて、と自室を開けると姿見があって、やっぱりど根性と書いてある。

 今まで考えたこともなかったが、このまま比呂の隣にいたら、きのこババアが君臨していることになるのだろうか。そして、「ひどい!!」と言われるのだろうか。それって、もしかして私の存在自体が比呂にとっての黒歴史になるのでは……。最初の彼女がきのこババア……。

 「俺の黒歴史だよ」なんてうなだれながら、遠くない未来、スマホに残った私の写真を屈辱とともに消し去るのだろうか。

 私は遠い日の比呂を思い浮かべる。あんなに私になついていたあの少年の人生に、私が黒歴史を刻む可能性がわずかながらにもあるということにおののく。

 私はよっちゃんイカと缶ビールの入ったビニール袋をそっと机の上に置くと、母の「どこ行くのー!」という声を背中で聞きながら、マンションを駆け抜けた。エレベータの中でも走った。因みにこのスニーカーは歩くと光る優れものだ。子供用品売り場に行かないと手に入らない。軽快に走れば、夕闇に私の靴が光って唸る。唸らない。

 そのまま電車に乗って都心へ向かう。目指すは大手企業のOL様だー!


 私のような人間を通すまじと、見えない結界を張ってる大手企業様の前で私はメールを打つ。もう終業時間のはず。ビルの灯りがビルとビルの間で干渉し合って万華鏡になってるガラスの扉をじっと見据えていた。ど根性をそこに映し出しながら。

 しばらくすると、帰社する人々の群れの中から、慌てふためく我らがカリスマOLの怜ちゃんがご登場だ。

 「怜ちゃーん」

とにこやかに手を振ると、腕をタックルされてそのまま激走させられる。私の靴が2倍速できらきら光った。

 そのまま無言で200メートルくらい離れたところのスターバックスに担ぎ込まれた。何やら不可解な呪文のような種類のコーヒーを買い求め、店の奥に席を取ると「一体どうしたのよ」と言う。

 一体どうしたのよはこっちのセリフである。まさかこんなヒール高い靴で、怜ちゃんが神風のごとく疾走するとは思わなかったよ。

 そういうと、デコピンされる。

 「痛いよ!」

 「あんたはいろんな意味で目立つから、突然会社まで来られたら驚くでしょうが」

 「目立つ……。それはもしかして私のファッションセンスの事ですかね?」

そう言うと、怜ちゃんは得体のしれないコーヒーをごくごく飲んだ。

 「ファッションセンス?あのね、あんたのはまずファッションにもなってないから」

 「えー!それはひどい」

 「それはヒドイはこっちのセリフよ」

 「というかさ、ライブにはさ、Tシャツにハーフパンツが一番実用的なんだよー!リュックなら手もあく上に、物販買ってこれるし!」

 「そういうこと言ってんじゃないのよ。Tシャツにハーフパンツっていうラフなスタイルが悪いとは言ってない。そのセレクトの問題よ」

 「セレクトね……ダメ?」

 「人の服についてとやかく言うつもりはないけど、私的には無いね」

 「えー、これは2番目にお気に入りなのに」

 「ちなみに1番目はどんなのよ?」

 「『明日は働く!』って書いてある。インパクトが気に入った。なかなか含蓄もある」

そういうと、怜ちゃんは頭を抱えた。

 「もういいよ、別に。あんたがどこへ向かって突っ走ろうが私には関係ないし。で、結局会いに来るまでの緊急事態ってなんなの?」

 「ああ!うっかり忘れるとこだった!あのね、実は先ほど女子高生にきのこババアと言われてね……」

ぶっと、怜ちゃんはコーヒーを噴く。

 「そ、そう。それで?」

 「それで、ちょっと我が身を省みまして……」

 「省みてなんなのよ」

 「近い未来に、私に恋する男子がいたとするじゃない」

今度は怜ちゃん、コーヒー飲んでもいないのに、ぶっと言った。ぶっだって!カリスマOLにはあるまじき行為だね。

 「まあいいや、続けてよ」という怜ちゃんの肩がなんか震えているけど、見ぬふりをして続ける。

 「いやその人がね、私と歩くことによって、人から悪く言われたら申し訳ないかなあと」

 「あのさ、突っ込みたいところはいっぱいあるけど、その黒目がちの瞳で眉下げられたら、ため息しかでんわ」

 「ため息はいくつついてもいいけど、どうしたらいいかと」

 「まあ、でもさ、その人はきっとあんたの全てが好きだからいいんじゃないの?あんたに好きな人ができて、振り向かせたい!とか彼氏が欲しい!とか言うならアドバイスの一つも必要かもしれないけど、いつかあんたを好きになるかもしれない男だったら、そのままでいいんじゃん?その男が今のあんたに惚れてくれた方が、後々面倒ないよ」

 「そ、そうか。そんなもんか……」

 「まあとにかく、そんな夢物語で真剣に悩めるところがあんたの意味不明なところだよね。恵美も個性的だけど女子力高いから、その点あんたは女子力が圧倒的にゼロってところがなんというかチートだよね、逆に」

などと、よくわからない感じだか綺麗にまとまったので、私たちはお店を出た。結局あのコーヒーは何だったのか。不可思議な味がする。


 まあそうだよね。前回のライブだって、オバキューのTシャツだったけど、比呂は別に何にも言わなかったし。オバキューでも頬染めてたし。私がきのこババアだっていいんだよね比呂的には。

 となんとなく納得したけど、違う違うよそうじゃない!!と、怜ちゃんと別れて自宅の最寄り駅に着いてから気が付いた!

 別に私はこの服装で比呂に嫌われたらどうしようと考えていたのではなかった!

 対外的に見て、私ヤバイんじゃないの?を聞きたかったのだ。

 あわわわ、本題それてたよ……。早く家に帰って電話しなくちゃ。私は足早に家路へ急ぐ。靴がペカペカ光る。

 と、マンションまで数歩と行ったところで、リュックを後ろから掴まれる。何しやがると後ろを振り向けば、比呂が立っていた。

 「ああ、おかえり」

 「……た……だいま」

頬染めていやがるぜ!ど根性Tシャツでもな!それきり比呂は何も言わないから、私も黙って先ほど走り回ったエレベーターに乗り込む。終始無言だし。ちらりと比呂を見ると、ばっちり目が合う。途端に顔を赤くする比呂。なんだこの反応!イケメンなのになんの余裕もありゃしないぜ!

 やがて到着し、自動ドアがするすると開く。

 「じゃあ、またね」と手を振ると、比呂は「あのさ!」と言う。そう言われれば私も向き直る。なんじゃらほい。

 「あの、今度のライブ、来る?」

 「うん。ああ、友達と行くことになってるけど」

 「メンバーにさ、紹介したいっていうか」

 「は?え?誰を?」

 「樹里亜……をさ……俺の……彼女だって」

語尾がデクレッシェンドだけど、私をメンバーに紹介するって言ったよね!この子は!黒歴史暴走中すぎる!

 「ええええ?」

 「待っててくれる?」

そ、そんな目で見るな!私がポケモンカードを大人買いしているのを横目で見ているような顔を!!

 「いや、まあ、別にいいけど」

そう言うと、耳まで赤くして比呂が笑顔になった。ああ、かわいいなあ。昔から笑った顔は変わらんな。

 「ほんとに?」

 「うん」

 「じゃあ、また、メールするから」

と言い残し、彼はお隣に消えた。

 ふと思う。あれ、メンバーに紹介って「俺の彼女です」って威張って見せれる商品か、私は……。女子力ゼロの個性派でいいのだろうか。

 たとえば個性派バンドのような方たちだったらあるいはいいかもしれない。なんかそう言う方が馴染むような気がするが、いかんせん比呂はそう言うバンドではない上に、比呂自体がびっくり物件のイケメンときた。

 もう!なんでイケメンは美少女と恋愛しないんだ!おかげで飛んだとばっちりだよ!

 私はいささかの怒りを感じながら、やっぱり怜ちゃんに電話するのだった。

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