第3話 ハンドパワー その三

いやいやいや、手がどうしたよ!

 大きな手がいいんだったらミッキーマウスで十分じゃね?ミッキーで萌えるかっての。

 自分のデスクに戻ってみれば、ファイルがきちんと置いてある。

 「あ、ありがとう」

 そう隣に声をかければ、「どういたしまして」とキーを叩く手を止めずに声だけが戻ってくる。

 ……いや!いやいやいや、なんだっけ、えーっと。

 とファイルを開き、ついちらりと隣の手を見る。

 うっ。

 声にならないうめきを漏らす。

 花村のくせに!!この5年間全然気が付かなかった!こんな手をしてたのかこいつは!

 私と手の大きさなんて大差ないんじゃね?とか思ってたわけだけど、カタカタとキーを叩く指は長い。適度に節くれだって血管とか浮いてる。

 んああっ!ついガン見してしまったあああ!!仕事仕事!!

 ファイルを広げる。動くな私の頭よ、動くな私の頭よと念じているのに、頭は動かないが目だけがちらりと右隣に動いてしまう。

 くっそう!花村め!!集中できん!!

 「夏原さん、どうしたの?疲れてる?」

 そのうち、私の挙動不審さに気付いた花村が、ふと手を止めて私を見る。

 キーボードの上で動きを止めた手は、手首が少し持ち上がって手の筋が浮く。

 あああああ!何見てんだよう!私!目が私の意思に反して花村の手を凝視してしまう!鬼太郎のお父さんにでも憑依されたのか!

 「あーえーっとね、はいこれ」

 さっきまで意識外の場所でガン見していた手が差し出される。その手の上にはチョコレートのパッケージ。

 「これ、どうぞ。やっぱり疲れた時は甘いものだよね」

 そう言ってへらりと笑う。

 「ありがとう」

 去っていく手を残像で網膜に残しながら、チョコを受け取る。

 「それ、すごいおいしいからコストコでつい箱買いしちゃったんだよね」

 コストコ?独身28歳がコストコなんか行くか?

 「コストコ?誰と行くの?」

 と無意識にうっかり口を滑らせた。ぐああああ!この聞き方ではまるで私が花村に気があって、半同棲でもしてるんじゃないの?本当はモテないとかいってずっと付き合ってる彼女とかいるんじゃないの?的な何かに聞こえるじゃないか!

 しかし花村は、そんな言葉のあやみたいなものが分かるタイプではないので、素直にスルーしてくれる。

 「姉家族と行くんだよね。一人暮らしって買い物とか面倒だから、一緒に行ってシェアしてもらうんだ」

 テヘペロって言葉が飛び出してきそうな勢いで花村が言う。シェアとか!女子会か!

 それでいつもと同じようににこにこしている顔を見てほっとする。花村がこういうことに極端に鈍くてよかったよ、ほんとに。

 いや!いやそうじゃないよ!「ほんとに」じゃないよ私ったら!

 花村なんか全然タイプじゃないんだから。これじゃまるで私が気にしてるみたいじゃん。

 全然よ、全然。ハンガーにスーツ掛けてんのかって感じだし。花村なんか、梅の木みたいなものなんだから。

 そうして私はもらったチョコをぱくりと食べる。

 ほんとこれおいしいんだけど。

 そう思って顔を上げれば、ばちっと花村と目が合った。げ。食べてるとこ見てるとか趣味悪い。

 「おいしいでしょ?」

 「うん」

 答えれば、満足そうに頷いて、また例の手がキーボード操作を開始する。キーボードに落とす影が、手の厚みを訴えてきて、またしても私の目は私の意思に反して自動操縦されるのだった。



 時計を見れば、もうすぐ終業時刻だ。目が勝手にそわそわしやがるから、なかなか仕事がはかどらなかったが、何とかして今日中に資料を作らないと明日から外回りに出られぬ。

 途中から正気を取り戻した私は、猛烈にパソコンを叩きホッチキスを連打し、クリアファイルにふりわけ、サンプルをまとめ、そんなセットをいくつか作って残業一時間で終わらすことができた。ふう。

 はっとして隣を見れば、花村はすでにいなかった。そう言えば「お疲れ様~」とか聞いたような気がする。

 うーんと伸びをしてデスク周りをチェックし、私も帰宅の準備をする。

 まだ残っている人たちに挨拶をし、事務の子たちのデスクを見ればもう千沙も帰っていた。まあね、千沙が残業するわけないし。


 会社の外へ出れば、日が落ちて湿度の上がった風が吹き抜けていった。

 これからどんどん気温が上がって、また真夏が来る。

 夏と言えばライフセーバーだよね!おいしい季節がやってくるぜ!とはいうものの、彼らの大半は年下になる昨今。結婚が目の前にぶら下がるお年頃の私は、いつまでも火遊びしているわけにはいかない。もう彼らは私には手の届かない存在になってしまうのだ。

 ああ、どこかにいないかしら。公務員でゴリマッチョみたいな。ボランティアでライフセーバーやってます、みたいな。

 そんなことをぼんやり考えながら、ふとまた花村の手が目に浮かぶ。ああいう手をしてるってことは体もそこそこ……は!!何考えてんだ私!!

 どうしよう、欲求不満なんだろうか……。そういえば、前の彼とさよならしてからもう二年……。

 花村のことを笑っていられなくなる。とはいうものの、好みのゴリマッチョとの出会いの場も最近じゃ枯渇気味。逆ナンするような年でもなし。本当に狩り尽くしてしまったのだろうか……。

 ふと、駅前のDVDレンタル屋の前で足を止める。

 そうだ。映画でたらふくマッチョを見れば少しは心も癒されるのではないだろうか。あんな花がひょこひょこ動くようなものじゃ私の飢えはしのげない。

 自動ドアを抜けて、これでもかと屈強な男たちが登場する洋画を目を皿のようにして探す。

 「あれ、夏原さん」

 聞き覚えのある声が頭上から降ってきて、見上げる。

 げっ!!!!!花村!!!!!

 「おつかれ~。今帰り?」

 「うううううん!」

 どっちだよ!ってか花村相手に何動揺してんだよ!

 見れば例の手が、DVDに触れていた。

 はおうううううう!いかん!!早くDVDを見て、心をなだめなければ!

 「夏原さん、映画好きなの?」

 にこりと笑って夏原が邪気なく言う。28歳にもなって笑顔が無邪気って意味わからない。

 しかし私もいい大人なので、視線を無理やりDVDの棚に戻し、平然と答える。

 「好きってほどじゃないけど、まあたまに」

 とそっけなくやり過ごす。私が花村に対してそっけないのは今に始まったことではないので、別に不自然ではない。

 「そうなんだ~」

 「花村君は、映画好きなの?」

 「うん。家でDVD見るのが好きなんだよね」

 「映画館いかないの?」

 「うーん、映画館って人が集まるし、あんまりそう言う場所好きじゃないし」

 「へえ、そうなんだ。映画好きな人って大きな画面や良い音で聴きたいかと思ってた」

 「それが良いに決まってるけど、あんまり外出たくなくて」

 出不精か!

 「じゃあ、デートとかどうすんの?」

 「デート?うーん。そんなのしたこと無いからわかんない」

 「へあ??」

 「言ったじゃん、俺13年くらい彼女なんていないし」

 そう言ってへらりと笑った。

 「夏原さんって、どんなの見るの?」

 「んー、トランスポーターとか好きなあ」

 答えるとへらへらっと笑う。

 「あー、夏原さん、やっぱりアクション系が好きなんだ?」

 「やっぱりって何よ」

 「戦闘民族っていうからさ~」

 「映画くらいスカッとしたいじゃん」

 「普段から、夏原さんはスカッとしてそうだけど」

 「私は別に拳で勝負しているわけじゃないからね!」

 「そりゃそーだ」

 「花村君は何を見るのよ?」

 「俺はね、ジョニー・デップが好きだから、役者見しちゃうっていうか。ジョニデが出てるならとりあえず何でも見るって感じかなあ」

 「ええ?ジョニー・デップ?」

 「夏原さんのアンテナには引っかからない?」

 「なーんか、なよなよしててあんまり」

 「ジョニデはアクションって感じじゃないもんね」

 「男だったら、戦えって言いたいわ」

 「夏原さんもブレないね」

 結局なんだかんだと映画の話をしながら、私たちはお店をぐるぐる回って、お互い目当ての映画を手にし、店を出た。

 一個だけ見たい映画が被ってしまって、しかも一本しかない。

 どうするか。

 私がちらりと花村を見上げる。

 「じゃあ、先に夏原さん借りていいよ。俺次借りるし」

 「え、でも」

 「別に急いでないから」

 そう言って笑う。

 「あ、でも、花村君が先に見つけたのに、なんか悪いよ」

 「そしたら期限内に見たら貸してよ。それで俺が返しとけばいいでしょ?期限内に見れなかったらそれでもいいし」

 「じゃあ、そしたら……」

 そこまで言って、私は息を止めた。なーにーをー言おうとしてるんじゃ私は!!

 「ん?気にしないで。じゃあ、また明日~」

 そう言って花村はさっさと雑踏の向こうに消えていった。

 『じゃあ、そしたら、一緒に見ようか』と言い出そうとしたなんて、何考えてんだ私!!

 というかさ、今の雰囲気だったら花村が誘うべきとこじゃない?という考えが浮かんで私はあわててそれを打ち消す。

 いやいやいや!!手一つでこれとか!!

 こんなに手が気になるなんて、アダムスファミリーじゃないんだから!

よっぽどマッチョが不足してるに違いない。早く家帰って見ようっと。


 

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