第4話導くのは絶望の先へ&エピローグ

「お前はまだこの状況でも足掻くというのか…?」

「あぁ…言っただろ?俺は絶望のその先へあいつらを導くんだって…」

 またいつもの彼の声が頭の奥に響いた。けれど今日の彼の声は俺の心を蝕まない。俺は今とてもすがすがしい気分で彼の声を聞いていた。

「その先に、何もないとしても、か?」

「何もない、か…なら、俺が作ってやるよ。その先の結末がないっていうなら、俺が無理やりハッピーエンドを書いてやる」

「けれど全員がハッピーエンドで終われる結末なんて存在しない…わかっているんじゃないか?」

「何が…言いたい?」

 頭の中の声は俺を嘲笑うような声を放つ。

「お前はもう、裏切り者の正体に気づいているんじゃないか…?」

「俺が…裏切り者の正体に気づいてるだって…?そんな冗談を…」

「冗談なんかじゃない…お前はそれを知って、無意識でそれを受け入れていないだけじゃないのか?また俺が死んだときのように無意識に現実から目を背けている…お前は、何も変わらないな」

「…」

 俺は彼の声に黙るしかなかった。

「都合が悪くなればだんまりか…まぁいい。お前が全員をハッピーエンドに導くなら好きにしろ。だが、今のお前には無理だろうな。現実から目を背け続け後悔すればいいさ」

 くくく、と意地の悪い笑みを浮かべて頭の声は遠のいていく。それと同時に俺の視界はだんだんと光に飲み込まれていく。思考も光の中へと飲み込まれ、俺の中の現実がまた眩んだような気がした。


「メリー、おはよう。もうみんな起きてるよ。あとはメリーの指示を待つだけ」

「なら起こしてくれてもよかったじゃないか…」

「私知ってるよ?メリー昨日の夜遅くまで何かしてたでしょ?寝不足は頭の働きを悪くさせるかなって思って起こさないようにしてたんだ」

「そっか…ありがと…」

 ラムネの小さな優しさが胸にしみる。絶望の世界ばかりを眺めていたこの心にはこんな小さな優しさでさえ大きな希望につながるものだ。

「でさ、昨日何してたの?ミントと一緒に何かごそごそしてたよね?もしかしてゲーム?」

「いや、さすがにこんな大事な前の日にゲームできるほど能天気でも何でもねぇよ」

 ラムネのおつむも相変わらず、けれどそんな相変わらずさに俺はぷっと吹き出してしまった。この戦いで俺たちの未来が決まる。あちら側も本気だ、もしこれを退ければ大幅に戦力を削ぐことができ今回とは逆の状態に持っていけるだろう。そして近いうちに戦いも決着する、彼女たちがもう銃を持たなくてもいい世界が訪れるのだ。彼女たちが笑顔で日常を過ごせる世界が、やってくるのだ。

「ラムネ…今日の戦い、絶対に勝とうな…」

「う、うん…けど、急にどうしたの?そんなに改まって…」

「決意表明、みたいなものかな。俺たちは勝って、絶対に生き残る…いいな」

「もちろんだよ。私たちは絶対に負けない…裏切り者なんかにも絶対に負けないよ」

「それじゃラムネ、連れて行ってくれ。俺を戦場に」

「うん、わかったよ。よろしくね、メリー」

 俺はラムネに連れられて戦場へ。仮設テントから外に出るとそこはもう日常とはかけ離れた空気が漂っていた。濃厚な煙の臭い、上がる爆発音に銃声、人々の怒声や涙を流す声。視界を埋めるのは2種類の人間、銃器を持ち声高らかに勝利をうたう者と、全身血にまみれた敗北者、そのどちらもが俺が生きていた現実では遠くかけ離れた世界で見られる光景で、改めて戦場の恐怖が背を駆け上ってきた。

「メリー…大丈夫?少し…震えてるよ…」

「武者震いっていえばかっこいいけどさ…やっぱり少し怖いかな…」

 あの時敗北を味わったせいか俺の背に走る恐怖は相当なものだった。あの時は運が良かっただけで、今回はもうないぞ、と俺の中の悪魔が叫ぶ。後ろ向きな悪魔を俺は振り払うようにポン、と頬をたたく。人間の時のようにいい感じの音は鳴らなかったけれど、それでも少しだけ後ろ向きな悪魔は心の中に引っ込んだような気がした。

「ま、この怖さも生きてる証ってね。生きてこそのこの感情…絶対に手放さない…」

「ふふ…メリーってば…」

 ラムネの顔に咲く太陽、それは俺に勇気を与える。あの日から後悔した俺に、あの日持ち合わせていなかった勇気を与えてくれる。きっと彼女は無意識だろうから、俺も心の中だけで彼女に感謝する。声に出すのは恥ずかしいし、まだ早い気がしたから。

「みんなお待たせ!」

「やっと起きたのね、メリー…お偉いさん特有の重役出勤ってやつ?」

「待ってる間…ショコラ、いっぱいお菓子食べれた…寝坊してくれて…ありがと」

「ショコラ、キミは食べすぎだ…もうちょっと節度をもってだな…」

「マリサ先輩、女の子はお菓子が大好きなんですから少しくらい許してやってくださいよ。ボクもお菓子を前にすると我慢できませんからね」

「ミント、お前男だろ!それにその言い方だとマリサが女の子じゃないみたいな言い方…あっ…」

「メリー君…その察したような眼は何だろうね?その眼は私のどこを見て何を察したのか教えてくれるかな?今すぐに言えば眼球をくりぬくくらいで許してあげるから」

「えっと…いつものくっ殺発言はどうしたんですかね…?」

「私はこの戦いが終わるまでは死ねないと思ってね。それに皆を守る立場の私が殺せ殺せと口に出すのもおかしいと思ってね、封印することにしたんだ」

「そ、そう…ですか…」

「で、メリー君?キミはどこを見て何を思ったのかな?」

 マリサの目が怖い、表情は笑ってるのに目が全然笑ってない。いつもの冗談が通じない。どうやら俺は戦いが始まる前に死んでしまうようだ。

「覚悟!」

「ギャー!?」


 まぁそんなドタドタがあったのがほんの数分前の出来事とは思えない戦場の空気に身をくるみ俺は命のやり取りの現場を見下ろす。フィールドは平野、この前ノエルたちと戦ったような場所、隠れる場所も少ないので伏兵の可能性は捨て去ることができるが平地で鉢合わせると少し厄介だ。一応遮蔽物として柵や土嚢が用意されているがそれもどれだけ役に立ってくれるか。現在の戦況としては拮抗状態が続いている。どちらも大きく踏み出せずにグダグダと犠牲者が増えるだけ。このままでは消耗戦になり、人間サイドのこちら側は明らかに不利となる。消耗戦はどれだけ体力と気力を温存できるかが勝利へのカギ、体力も気力も持ち合わせない機兵どもとの消耗戦はどうしても避けたい。

「メリー!みんな配置についたみたい!」

「オッケークロ…よし、皆、俺たちは今から相手の対象の首を取りに行く!援護はない、俺たちのチームだけでの攻撃だ」

『つまり…私たちだけの暗殺任務ということか?』

「そうだ、マリサ。そう考えてくれても構わない。ただその分難易度は高くなる…降りるなら、今だぞ…俺は何よりも自分たちの命を優先してもらいたい…だから…」

『はぁ…降りるなんて野暮ですよ、メリーちゃん。ボクたちは覚悟のうえでここに立ってます』

『そうだよ。メリー…もっと私たちのことを信用して…確かに命は大事だけど…それ以上に私たちはみんなのほうが大事なんだよ?みんなが戦ってるから、私も戦う…』

「そうだな、ラムネの言うとおりだ。私たちは仲間、誰一人も欠けてはいけない…皆で支えあってこそのチームジャンヌダルク、そうだろう?」

『ショコラも…そう思う…命、大事…けど…仲間、もっと大事…でも、お菓子、もっと大事』

「はは、ショコラは相変わらずだな…わかった。みんな、行くぞ…仲間のために、明日のために…希望のために戦え!」

『了解!』

 皆の気持ちが一つになるのを感じる。戦場に散らばっているみんなの心が、俺に伝わってくるようだ。これが、本当に気持ちが通じ合うということなのだろうか。とても心地が良くて、嬉しい。なんだってやれるんだっていう気持ちが奥底から湧き上がってくるよう。

「作戦、開始だ!」

 たった一人の大切な親友を救えなかった俺だけど、勇気を持つことができず後悔に人生を棒に振りかけた俺だけど、こんな俺に皆ついてきてくれる、こんな俺でも、みんなが引っ張ってくれる。どれだけ感謝してもし足りない。この感謝は勝利をもって収めるとしようじゃないか。諦めなかった俺になるためにも、勝つだけしかない。


「マリサとミントは前衛で敵を掻き乱して!ラムネはショコラを連れて前進!」

『マリサ、ポイントBに到着、戦闘を開始』

「よし、ミントはマリサとともに攻撃を引き付けろ!ラムネとショコラは隙があれば背後から狙い撃て!」

『こちらミント!戦闘終了!前進を再開!』

 拠点に俺とクロの声が響く。クロの手には端末、そこには仲間たちの現在位置がリアルタイムで送られてきている。彼女には端末からの仲間の位置情報を知らせてもらい俺が皆に指示を出すという戦闘スタイルだ。

「クロ!敵が近づいてきた、迎撃頼む!」

「了解!」

 クロのスナイパーが火を噴き近づく敵を一掃する。これもまたクロの役目、人形状態じゃ何もできない俺の護衛役も務めてくれているというわけだ。

「マリサは西側、ミントは東側へ敵を分散!ラムネたちは…そうだな…真ん中を突っ切れ!」

 これは命を懸けた戦い、俺の指示一つで皆が死ぬかもしれない。けれどもう俺は覚悟を決めている。ここでひよってしまうと逆に皆が危ういのだ、俺がしっかりと彼女たちを導くのだ。

 そしてこれは裏切り者との戦いでもある。

(さぁ裏切り者…準備は万端だ…かかってくるなら、きっと今しかない…)

「マリサとミントは敵を引き付けながら動いてくれ!ラムネ、お前はポイントDへ向かえ。ただ見つかるのは厄介だからポイントCからFを経由してくれ」

 この戦いでの裏切り者、それは誰なのか。俺自身確信を持ち誰が裏切り者かとは言えないのでこの戦いで尻尾をつかむしかないのだが、エサはもうすでに撒いておいた。皆を分割して相手が攻撃しやすいように動いてもらっている。要するに囮作戦だがこれでしか相手の尻尾を完全につかむことはできない。もし食いつかなかったらそれはそれでいいのだが、けれどこれ以上もない絶好の機会を逃すほど裏切り者はバカではないと思われる。

『こちらマリサ!前方に敵兵団を確認!』

「よし、攻撃を加えろ。ただし右サイドか左サイドから行え、真正面からの突撃は危険すぎる」

『了解!それじゃ右サイドから行くことにするよ』

「ラムネ、状況はどうだ?」

『順調順調!皆が敵を引き付けてくれてるおかげかな、全然敵とあたらないよ』

「けれど油断はするなよ…もしかしたら奇襲が待ち受けてるかもしれないからな」

『そうだね、前みたいに変な場所からの伏兵も注意しないとね』

 作戦は順調、俺の予想で言えばもうすぐ裏切り者は尻尾を出す。けれども俺の心の中では裏切り者が現れてほしくないと思っている。何せ俺の予想した裏切り者は…


(どうして順調に進んでるのよ…!?私はちゃんと作戦をリークしてる…それなのに…!)

 私は憤る、あまりにも作戦が順調に進んでいることに。先ほどから無線でこちらの状況をばれないように送っているというのに、どういうわけか全くそれが成功していない。

(まるで作戦自体が嘘みたいなように…)

 私は皆の進む先をリークしてそこに伏兵や奇襲なんかを用意してもらうようにしているのに、皆その場所を平然と進んでいるのに、どういうわけか奇襲関連の報告はない。相手サイドがさぼっている、というわけではないだろう。相手も本気で勝ちに来ているのだ、ここで手を抜くほどの甘ちゃんではないはずだ。

(ならどうしてよ…?もしかして…もう私は切り捨てられたっていうの…?私の今までの行動がダメだったっていうの?もう私は用済みで…きっとあの子も…)

 頭に浮かんだ暗い考えを切り捨てるように私は銃の引き金を引いていく。スコープ越しに見る世界はどうしてか私の心を落ち着かせる。拡大した視界で私の望むものだけを見る。近づく敵をほどほどに撃ち落としていき、戦況の様子を眺める。

(あれは…ラムネ…?)

 そこで私はラムネを目撃した、いや、目撃してしまった。そう、前方の敵陣にいるはずのラムネが、なぜかそれより後方の東側エリアにいたのだ。

(どうして…!?それに一緒にいるのは…ミント!?ショコラじゃない!)

 私は戦場を見渡して、絶句した。リークしていた移動情報と彼女たちの移動があべこべなのだ。まるで彼女たちが命令を無視して自分勝手に動いているような、そんな気がした。

(まさかこれって…)

 私は自身に与えられた端末を見てこの状況を確信した。

(端末の位置情報データが違う!これは…罠…そうか…私、失敗したんだ…これじゃもう、あの子は助からない…なら、最後に…)

 作戦失敗、頭によぎるのはそんな単語。文字にすればほんの少しのことでも私にとってはとてつもない重量と化して心の奥底まで落ちてくる。やがてその文字は絶望へと姿を変えて私の心の奥の奥にじわじわとしみこんでくる。

 こうなれば私に残された手段は一つだ、一番の脅威の排除、これしかもう方法は残されていない。たった一つ、あの人が喜ぶことをすればあの子の命だけは救われるかもしれない、私に残されたたった一つの望みのために、私は懐に隠し持っていた銃を取り出して狂気に染まる銃口を彼に向けた。

「裏切り者…発見…動かないで…」

「なっ…」

 突如背後からの声、自身の思惑に集中しすぎて気づけなかった。後頭部に突き付けられるのは冷たい銃口、背筋まで凍るその冷たさに私はもうなす術もなく銃を地面へ落した。落下した銃はカラカラと虚しい音を響かせて彼の足元へと転がった。人形の体を携えた不思議な彼のもとへと。

「メリーちゃん…予想通り…裏切り者は…クロ…」


「クロ…やっぱりお前が、裏切り者だったのか…どうして、お前が…」

「はぁ…やっぱりメリーにはかなわなかった、か…いいよ、私の負け。ショコラ、このままぶっ放して私の頭を吹っ飛ばしてよ」

「駄目だショコラ、撃つな。俺はクロの話を聞きたい…皆のことを思っていたクロが、どうして裏切ったのかを…」

 俺の予想が悪いほうへ的中してしまった。やはり裏切り者は、クロだった。目の前に突き付けられたどうしようもない事実、以前なら目を背けていたそれだが俺はもう目を背けないと決めた。懐刀として置いておいたショコラの銃口をうけ堪忍したように手を上げる彼女を俺はじっと見つめる。彼女の瞳には少しだが涙のようなものが見て取れた。

「その前に教えてよ…どうして私が裏切り者だったってわかったの?それに、どうしてみんなが違う場所に…?」

「思えば疑問に思っていたのはあの時、お前が実弾を隠し持っていた時に怪しいと思っていた。けれど俺はそんなはずはないと頭で否定していた、お前があの時、戦いに紛れてチームシャインユニコーンのメンバーを暗殺しようとしていたのを」

「へぇ…どうしてそう思ったの?実弾を持ってたのだってたまたまかもしれないよ?」

「あぁ、確かにたまたま持っていた可能性も否定できない。けれど隠していた6発目の弾丸、あれが引き金となった。お前はあの5発で敵の軍勢を止め、そして残された1発で一番の脅威であるノエルを殺そうとしていたと仮定するとどうして6番目の弾丸を隠していたかの説明がつく。それ以外にどうして1発だけ隠しておくか意味が見つからなかった」

「はは、正解だよ…さすがメリーだね。そんな小さなヒントから私のことを見つけるなんて…」

「それだけじゃない…あの敗北だってそうだ。作戦が漏れていないとあり得ない負け方、誰かが作戦をリークしたとしか思えない。そして一番早く情報をリークできたのは俺とずっと一緒にいたクロだけ…一番近くにいた奴が裏切り者だなんて思えない盲点を突かれた気分だよ」

「それは褒めてるってとらえたらいいのかな?」

「ご自由にどうぞ」

「はぁ…やっぱりメリーにはどう足掻いても勝てないってわけか…」

「俺は信じたくなかった、間違っていてほしいと思っていた。だから今回の作戦で見定めたんだ、偽の情報をリークさせてね。あいつらには事前に別の端末を持たせておいた」

「別の端末?」

 これさ、俺はそう言って端末を見せる。これは昨日ミントに頼んで作ってもらったもの、クロ以外全員に配布している。

「みんなには作戦開始前にこれを渡していったんだ、この端末で指示したことだけで動けってな。この端末にはSNS機能を組み込んでおいたからしゃべらなくても情報伝達ができるってわけさ」

「そっか…そういうことだったのね。ということはこの端末の位置情報も…」

「あぁ、ミントに頼んで作ってもらった。全部偽物さ」

 すべてはこのために用意しておいた偽物、作戦も指示もすべて偽物、彼女は俺の偽物に踊らされ、そして尻尾を出してしまった。

「皆これを渡したときに言ってたよ…クロが裏切り者なわけないって…俺も、信じたかった…今この状況も何かの間違いだって思いたかった…けど、もう証拠は出そろってしまった…さぁ、今度はクロが話す番だ…どうして、俺たちを裏切った…」

 俺は静かにそう言った。クロは、口を開かない。何かを思案するように難しそうな顔を浮かべるだけ。俺もショコラも黙り彼女の言葉を待った、まるで数時間待ったかと思うほどの空白の後に、彼女はようやく口を開いた。

「シロの…ためよ…」

「シロ、っていうとお前の妹か?」

「そうよ…そうね…事の発端は半年くらい前、突然シロが失踪したと思ったら私の端末に連絡があったのよ、シロを誘拐したって…」

「誘拐…?」

「そうよ…返してほしければそちらの情報をリークしろ、ってさ…私は必至だった、両親も戦争で死んで残されたのは私と妹だけ、私にとってはたった一人の大事な家族だった…シロだけは何があっても私が守ろうって思った…だから私は…」

 妹のために裏切った、というわけか。

「なぁ…なんでその時に皆に言わなかったんだ?たった一か月くらいしか皆と過ごしてない俺が言うのもなんだけどさ…あいつらならさ、助けてくれたんじゃないか?相談して、みんなで考えて、力を合わせてさ、どうにかしようって言ってくれたんじゃないのか?」

「うん…たぶん、みんななら言うと思った…けど、私は怖かった…みんなを、失うのが…私たちのチームはね、昔はもう少し人がいたの…けど、みんな死んじゃった…何とか運がよかった私たちは生き残った、でも死んじゃった人の数のほうが多い…私はね、もうみんなを、仲間を、親友を失いたくなかった!私が助けを求めたらきっとみんなに迷惑かけて、下手すれば殺されちゃうかもしれないのよ!私にとってはさ、みんなはシロと同じくらい大事なの!失いたくなかったの!」

 叫ぶようにそう言い放ったクロの言葉が俺の胸に刺さる。仲間思いの彼女だからこその言葉に、俺の心は動揺する。

「でもね、そんな時あいつは私に言ったの…情報をリークすれば大切な仲間は見逃してやるって…だから私は黙っていた…黙って、みんなの情報を流した…けど仕方なかったの!みんなのためよ…みんなのためだったんだから!」

「!」

 ぱしん―

 頬を叩く音が響き、のちに訪れるのは静寂。頬をぶたれたクロは放心し、やがて彼女の表情は歪んでいき、泣いた。

「ショコラ…?なに、してるんだ…?」

「クロ…間違ってる…皆のため…違う…ショコラたちに、頼ってくれること…それが…皆のため…ショコラたちは、苦しんでるクロを見るほうがつらい…一人で…悩まないで…」

 頬をぶったのは、ショコラだった。彼女の無表情な顔には珍しく怒りの感情が表れていた。

「でも…だって…皆に頼ったら…死んじゃうかもしれないから…ぐすっ…」

「確かに…ショコラたち、落ちこぼれ…けど、ショコラは自分の命が大事…きっとみんなも同じ…死んじゃったらおいしいお菓子も、食べれなくなるから…だからきっと…みんな死なないように、一生懸命…一生懸命だから…今まで生きてきた…それに…メリーちゃんも、いるよ…?メリーちゃんなら、良い考え…いっぱい出す…ショコラたち…メリーちゃんのおかげで…今も生きてる…違う…?」

「ショコラ…ごめんなさい…私…結局皆のこと、信用してなかったんだ…皆が死んじゃうかもしれないって理由で、逃げてたんだ…皆に話して突き放されるのが怖かった…それに…メリーが来た時には手遅れだって思った…もうみんな許してくれないと思った…だから、言えなかった…」

「大丈夫…みんな…いい子…許してくれるよ…だって…ショコラは、クロのこと…許すもん…ほら…お菓子、食べよ…?お菓子食べて…もう一回…仲良し…」

「ショコラ…うわぁぁぁぁぁん!」

「ふふ…クロ…赤ちゃんみたい…」

 ショコラの胸に泣きつくクロ。クロは今まで一人で背負いすぎていたのだ、仲間のため、妹のために自身では背負いきれないほどの重荷を背負いこんでいたのだ。今それが少しだが外れた、重荷から解き放たれた彼女はただ泣いた、今までの自身を後悔するように。ショコラはただ優しくポンポンと彼女の背中を撫でてやっていた。

(はは…俺の出番、なしか…やっぱり女の子同士の絆には横入りできないかもな…)

 俺は子供のように泣きわめくクロのことを横目で見ることしかできない。彼女たちの強い絆に部外者の言葉なんて必要ないと思ったから。けれど…

「メリーちゃんも…来て…もう一回…皆で…仲良し…」

「ショコラ…」

「メリー…ごめんなさい…私、皆のこと、裏切ってた…お願い…メリー…シロのこと、私の大切な妹を、助けて…」

「あぁ…わかったよ…ヒーローが、どうにかしてやるよ!」


「で、どうにかするとは言ったけどさ、その連絡をよこした相手ってのはわかるのか?…もぐもぐ…」

「うん…もぐもぐ…わかるよ…」

 クロが落ち着いたので作戦再開、と思いきやショコラによっておやつタイムが開かれてしまった。彼女曰く一緒にお菓子を食べれば仲良し復活ということでどうしてもということらしい。断るのも気が引けるのでご相伴に与かることにした。ちなみに今日のおやつはドーナツだ、彼女の手作りらしくとてもおいしい。いつかの地獄のようなお菓子料理とは大違いだ。

「えっとね…確か…要陸斗、って言ってたっけ」

「要陸斗…?俺と同じ名前だ」

「メリーちゃん…変なこと言ってる…メリーちゃんは…メリーちゃん…その要何とかとは…違うよ?」

「いやいや、俺の本当の名前、メリーはラムネにつけてもらったんだ」

 俺と同じ名前の相手が、どうして敵国にいるのか。世界を探せば同姓同名の人間はいるかもしれないが、けれどそれにしては偶然なのだろうか。

「まぁいいや…それより、今からそいつと連絡をとれるか?」

「できるけど…どうして?」

「戦場に引っ張り出して、片を付ける」

「メリーが?」

「…皆が…」

「はぁ…やっぱりね、けど、いいよ。私もそろそろ利用されるだけは嫌だからね。一泡吹かせてあげなくちゃね」

 そして無線をとるクロ、すぐさまに無線はつながり相手が出た。

『どうした…先ほどから送られてくる情報が一致しない…どういうことだ…?まさか貴様…』

「そうだね、そのまさかさ。ごきげんよう、初めまして、要陸斗」

『貴様は…そうか…なるほど…そういうことか』

 こちらは何も言ってないが勝手に納得しだす俺と同姓同名の相手。聴くだけで不安をあおるような彼の声音はくくくと歪んだ笑みを漏らして言う。

『まぁいい。貴様らがどういう存在だろうと俺の計画に抜かりはない。何せそちら側に送り込んだ裏切り者は一人ではないのだからな…』

「裏切り者が…一人じゃない!?」

 驚いてクロを見るが彼女も知らなかったのか驚きの表情を浮かべている。

『今頃お前の大切な女の子が危ないんじゃないのかな?』

「…ラムネ!?」

 その言葉を最後に無線は途絶える。彼の声が聞こえなくなった瞬間俺はラムネに連絡を入れた。胸の奥底に眠る危険を伝える警笛が鳴りやまない。彼の言葉が、歪んだ彼の笑みをたたえた声音が、俺の不安を掻き乱す。

「ラムネ!聞こえるかラムネ!」

『…こちら…ラムネ…メリー…残念だけど…連絡は後…裏切り者が…見つかった…現在…交戦中…くっ…!ごめん!後で連絡する…!』

「ラムネ!ラムネ!」

 ぷつりと途切れ受信不能になった無線機を俺は投げつける。怒りに身を任せてもどうにもいかないというのはわかっている、けれどそれでもどうしても怒りを表さなければ俺の気が済まなかった。

「ラムネの現在位置は…!」

 本物の端末には本当のみんなの位置情報が記録されている。ラムネの現在位置を確認し、俺は戦場に出る覚悟を決めた。彼女を助けるためなら俺はなんだってする、その覚悟の元の行動だ。

「ラムネ…待ってろよ…俺が助けに行くからな…!」

「ちょっと待ってよメリー!助けるって言ってもその体じゃ…」

「わかってる…俺がこんな体だってことは…だからお願いだ…クロ…ショコラ…一生に一度のお願いだ、きいてくれるか…?」

「一生に一度って…大げさだなぁ…メリーの頼みなら何だってきくよ」

「うん…メリーちゃんの頼み事…断るなんて…できない…」

「そうか…ありがとう…それじゃあ二人とも…」

 俺は一拍呼吸を開けて言い放った。

「おっぱいを、揉ませてくれ」

 その後の二人のまるで道端で踏んづけてしまったガムを睨むような蔑んだ瞳を俺は一生忘れることができなかった。


「はぁはぁ…メリーってばこんな大事な時に連絡なんて…」

「あの慌てようだときっとボクたちの状況を知ったんでしょう…きっとあっちも進展があったはずです…」

「そっか…進展、か…」

 進展があった、ということはやはりメリーの読み通り…いや、それは今考えることではない。今私たちが処理しなければいけないのは目の前の事象であり、友人の裏切り疑惑は二の次に回さなければいけない案件だ。

「ハハハ!喋るくらいの余裕はあるってことかしら!?ならもっと私を楽しませてよ!ねぇ…ラムネ!」

「ぐっ…どうしてよ…チカ…」

 私たちの前に立ちはだかったのは、チカだった。殺人未遂で収監されていたはずのチカが戦場に出て、私の命を狙っている、第二の裏切り者として。彼女の瞳には私しか映っていないためミントを逃がそうとしたがどうにも言うことを聞いてくれなかったので共闘しているが、それでも彼女には敵わない。

「どうして?喋らなくちゃわからないかしら?そうね…あなたはバカだもんね、なら教えてあげる!私はノエルの一番を奪ったあなたを許さない!絶対に!」

「…やっぱり、か…」

 何かに憑りつかれたような狂気的な笑みを浮かべるチカに私は銃弾の嵐を食らわせる。けれど先の戦いで傷を負ったとは思えないほどの身体速度でそれは避けられてしまった。

「ミント!お願い!」

「えぇ、わかってますよラムネ先輩!」

 チカが避けた先に待ち構えるのはミントのマシンガンから繰り出される恐ろしい量の銃弾、けれどそれもやはりといっていいほどに簡単に避けられてしまった。

「やっぱり当たらない…どうして!」

「先輩落ち着いて!きっと何かトリックがあるはずです!」

 ミントの言葉で彼女を観察するがどこも異常な部分は見られない、いや、この驚異的な反応速度を異常と呼ばないならの話だが。

「トリックなんてどうやって見破ればいいのよ!あの異常な速度じゃそう簡単に弱点を探すなんて無理!」

「そうですね、先輩…けど、それは相手が人間ならの場合です…ボクの予想だとあの人はきっと…」

 そういってミントはポケットからボールのような何かを取り出してそれをチカに向かって投げつけた。

「そんなもの無駄よ!」

 けれどそれも空中で迎撃されてしまう。ボールのようなものは派手な爆発を起こすことなくあえなくその存在が世界から消えた。

「ちょっとミント!全然役に立ってないじゃない!」

「いいえ、先輩…よく見てください…」

「え…?」

 ミントが指さした先、そこにいたのは瞳を抑えて悶えるチカの姿だった。

「何が…おこったの…?」

「あの人の体はもう人間ではありません…機械に、なってしまったんです」

「機械…?」

「えぇ…機械といっても全身ではなく部分的にですが…銃弾にも反応できる瞳とそれに通ずる神経、そしてあの反射神経からするに命令形の神経も一部機械を入れている、ボクはそう仮定しました…そしてボクが投げたのは爆破した瞬間に妨害電波がこぼれるように設計した特殊なグレネード…」

「さっすがチーム随一のメカニックミント!」

「ま、試作型でしたけど成功してよかったです…それよりラムネ先輩!早く!」

「あ、うん!」

 ミントが作りだしてくれたチャンスを無駄にするわけにはいかない、私はおもいきりAKライフルをぶちかました。

「くっ…この程度…まだ私は戦える…!」

「避けた!?」

 彼女の執念の回避により私の攻撃は宙に霧散した。かろうじてヒットした弾丸も彼女の右腕の袖をべりりとちぎる程度だった。けれど私はそれを見て絶句する、彼女のあらわになった右腕に浮かんだ歪なアザを見て。

「チカ…何よ、その腕…あなたもしかして…」

「クヒヒ…これはね、とっても気持ち良いお注射の痕…お薬を打つと体も頭もふわふわぁってなってとっても気持ちよくって、なんでもできちゃいそうな気がするの…もうお薬なしじゃ何もできないくらい…あ、そうか…私、まだまだお薬が足りないから勝てないんだ…もっとお注射しなくちゃ…」

「やめて!」

 私の静止の声も宙に消える。彼女は歪な笑みを浮かべながら自身のポケットから取り出した注射器を固くなり注射針の通りにくくなった腕に無理やり突き刺した。そしてクスリを打ち込んだ瞬間、絶頂を迎えたように気持ちよさそうな、それでいて苦しそうな笑みを浮かべ、にやり、ほほ笑んだ。

「はは…ノエルが…見てる…あの邪魔な妹を殺してくれって…応援してる…私…頑張るよ…ノエル…クヒヒ…私が…あのクソ女を…殺してあげるから…!」

「幻覚に幻聴、それに中毒症状…先輩…やっぱりあれって…」

「うん…一番やっちゃいけない…おクスリ…」

 人類を怠惰と破滅に導く禁忌のクスリ、あまり勉強が得意ではない私でも知っている、遠い過去の世界から禁止されていた悪魔のクスリ。それに彼女は手を出してしまったのだ。

「あの人…機械だけじゃなくてドーピングまでして…そこまでしてラムネ先輩のこと…」

「けど、悪いのは私じゃない…チカよ…勝手に私に嫉妬して…」

「あ…?なに言ってるのよ…全部あんたのせいよ!あんたがいなければノエルは…ノエルはぁぁぁぁぁぁ!死ねラムねぇぇぇぇぇぇぇぇ!」

 彼女は銃からナイフへと得物を変え私に襲い掛かってきた。その様はまるで腹をすかせたライオンだ。威圧的で凶暴で、本能を突きつめた一匹の獣が、私の臓物を引き裂かんとする勢いで襲い掛かってきた。

 私は必至で銃を撃ちまくりそれを振り払おうとするが彼女の改造された体には傷一つつけることすらも許されない。まるで銃弾が彼女を避けていると勘違いするほどに攻撃が無駄に終わっていく。

「当たれ…当たれ…当たれぇぇぇぇぇ!」

 私は叫ぶ、気力だけでも負けないようにと。けれど現実は残酷であり、必ず終わりが訪れる、不変のものなんてないのだ。弾薬は底をつき、それと同時に私の人生も終了通知が目の前に突き付けられる。不変を刈り取る死神が、今私の首元を捉えて離さない。

「けど…私はまだ終われない…!絶対にあなたには負けられない…!お兄ちゃんの最後の意思にかけて…一番の座は譲れないの!」

 一瞬の判断が、私の生死を分けた。チカの攻撃が振り下ろされるその一瞬、私は銃を横に向けて彼女の攻撃を防いだ。カン、という音とともに腕に襲い来る鈍い反響、そのせいで銃を宙に手放してしまうが同時に彼女も反響により後方へ後ずさった。

「ラムネ先輩!大丈夫ですか!?」

「ふぅ…危ない…あとちょっとでも遅れてたら死ぬところだったよ…」

「殺し…損ねた…ノエル…ごめんなさい…ごめんなさいごめんなさいごめんなさい…けど、次こそは必ず仕留めて見せるから…見てて…ノエル…」

 彼女は完全に狂ってしまっていた。もはや人間の面影はなく例えるならば壊れた機械人形とでもいうべきか。歪な表情が悲しみや笑みにくるりくるりと顔を変え、最後には殺意となって私へと降り注ぐ。まるで視線だけで人が殺せるような、そんな殺意的視線を私は真正面から受け止めた。私は受け止めなければならないのだ、彼女が愛した男の一番の存在として、すべての業を受け入れる。

「ねぇミント…きっと今しかチャンスがないと思うから先に言っておくよ…今までありがとう…」

「ラムネ…先輩…?」

「ごめん…ミント…私はね、チカを倒さなくちゃいけないの…決着をつけて、全部終わらせるの…本当に自分勝手な戦いだけど…許して…あと…メリーにもありがとうって、言っておいて…」

「ちょっと待ってくださいよ、先輩!」

「はぁはぁ…ラムネぇぇぇぇぇぇ!」

 ミントの静止の声、それを押しつぶすチカの咆哮が響いた。まるで獣的なそれに私の内臓はびりびりと痺れ本能は必至に撤退を促す。けれど私は自身の本能を抑え込み目の前の獣に向かい合う。一番の愛を欲した獣に、終止符を打つために。

「いくよ、チカ…殺されても、文句は言わないでね…」

「先輩!待ってください!先輩…せんぱぁぁぁぁい!」

 ミントの叫び声を無視して私は駆ける。自身の全力をもってチカを倒すために。たとえこの身が滅びようとも、相手を道連れにする覚悟で。

「ビーストオープン…最大出力!」

 私の血液に潜む獣の遺伝子がぐつぐつと煮えたぎる。体の奥がかっと熱くなり視界がぼやける。自分の意識もだんだんと遠のいて頭を支配するのは獣的な感情のみ。私の中で煮えたぎったDNAはやがて神経細胞を刺激して全身を燃えるような熱が包んだ。

「うぉぉぉおぉぉぉぉぉ!」

 私は吠える、自身の獣を剥き出しにして。遠のいた意識も、ぼやけた視界も次第に戻っていく、それを獣のモノとして。私の体はもうすでに獣だ、私は一匹の獣、猫の力を取り込んだ一匹の獣だ。

「チカ…覚悟しろ!」

 扱いなれていないナイフを握り私はチカへ攻撃を仕掛ける。猫の遺伝子で増幅された脚力と動体視力はチカの体を十分にとらえる。人間の時の視界よりも遅く見えるチカの動きに私は一太刀浴びせる。けれどチカはそれを優に受け止めてにやりと笑った。彼女も獣の力を開放していたのだ。

 やばい、獣特有の危機察知能力が私の行動を速めた。先ほどまで私がいた場所に抉りこむようなナイフの攻撃が入る。空を切り裂いたその攻撃を避け私はまた反撃に出る。だがそれもやはりナイフで受け止められ、そこからは高速の打ち合いだ。

 私かチカ、どちらが先に獣の力に飲まれてしまうか、ここからは耐久戦だ。互いが獣の本能丸出しでの高速での打ち合い、それに変化を加えたのはチカだった。

「ぐあっ…!痛い…!」

 彼女は私の攻撃を弾きその隙をついて首元に噛みついてきた。猫特有の体の捻りをみせ、なんとか首元への攻撃は避けたが代わりに右肩に彼女の牙が食い込んだ。イヌ科の引きちぎることに特化した牙が私の肩の肉を削ぎ落とそうと必死に食らいついてくる。

「ぐるるるるる…!」

「くっ…ぐあぁ…!」

 私の口から洩れるのはとても女の子とは思えないほどの苦痛に満ちた呻き。予想以上に肉を噛み千切られるのは傷みが激しい。何とか引きはがそうとチカの体に蹴りを入れるが歯が肉に食い込んでこのままでは引きはがすと同時に肩の肉も抉り取られてしまう。ならば…

「ふしゃー!」

 相手が犬の武器を使うならば私は猫の武器だ。ネコ科特有の鋭い爪で私は彼女の顔面を思いきり切り裂いた。

「あぁぁぁぁ!眼が…!」

 瞬間彼女の歪んだ顔に咲く真っ赤な花。彼女の右半分の顔につけられた大きなひっかき傷は瞳すらも抉り潰していた。瞳を片方失った痛みに彼女の口が離れた、その隙に私は蹴りを入れて目的通り彼女を振り下ろした。

「これでどう…!ふしゃー!」

 私はめちゃくちゃに爪で彼女の体を切り裂いていく。けれども彼女は増幅された反射神経でそれを防いでいくが、やはり片目だけではすべての攻撃に対処することができず傷を作っていく。猫の鋭い爪はチカの肉をじわじわと抉りながら彼女の体力も奪っていく。血を失いすぎた彼女はもはや意識も朦朧で見るに堪えない。

「とどめよ、チカ…ごめんだけど、やっぱりお兄ちゃんは私のもの…誰にも譲れないの…でも、私が死ぬまでは譲ってあげる…天国で、お兄ちゃんと仲良くね…必殺、猫パンチ!」

 必殺、なんて大げさに言ってみたがただのパンチだ。けれどチカの鳩尾をとらえた私の拳は確実に彼女の体をノックアウトまでもっていくことができた。

「ぐはっ…!けほけほっ…はぁ…はぁ…私が…負けた…?ううん…まだ…負けてない…お薬が…足りないだけ…そう…お薬を使えば…私は…勝てる…クヒヒ…」

「ううん…もう、あなたの負け…その体じゃ…もう無理よ…」

 どさり、チカが地面に倒れた。その体はぴくぴくと痙攣を繰り返し苦しそうな息を繰り返すだけだった。

「えへへ…ミント…決死の覚悟だったけど…どうにか…勝てたみたい…」

「ラムネ…先輩…」

 私たちの事の顛末を心配そうに眺めていたミントに、私は勝利のブイサインを送った。ミントは心配そうな顔を瞬時に歪ませ泣きそうな瞳で私を見る。潤んだその瞳に映った私はひどくボロボロで、笑えてきてしまう。これが勝利の笑みというやつだろうか。すがすがしいと同時に、どこか悲しい気分になった。

 戦いが終わった疲労と獣化の副作用で体がとてつもなく重く立っているのもやっとだ。視界もふらふらとして意識もまるで居眠りしてしまう寸前のようにくらくらだ。そのせいで私は気づけなかった、背後で最後の抵抗を見せる、彼女のことに。

「私は…負けない…見てて…ノエル…私が…勝つところを…!死ね…ラムネぇぇぇぇぇぇ!」

 その瞬間、パン、と乾いた音だけが戦場に響き渡った。


 戦場に響いたのは命を削る乾いた音。命を刈り取る死神の足音はその場にいる全員の鼓膜を震わせ彼女らに冷たさを植え付けていく。冷気を帯びた死神は彼女らの背中から全身へ這い回り言いようのない絶望を与えた。

「ラムネ先輩…!」

 ミントが叫ぶ。大切な仲間が、どうにか生きていてほしいと願って。

「…」

 かくいうラムネはぎゅっと眼をつむり生者の誰もが知らない死の瞬間の痛みに耐える。彼女の中の時間は永遠にも似たスローモーションに陥るが、ふと彼女は瞳を開いた。いつまでたっても彼女の体に痛みが訪れないのを不安に思ったのか、彼女は背後を振り向いた。

「うがぁぁぁぁぁぁぁ!」

 それを見た瞬間、彼女の世界は正常な時を取り戻した。背後では右手から酷い出血をし、のたうち回るチカの姿が。零れ落ちる赤に構わずに必死に地面に転がった殺意を握ろうとするがもう彼女の体力ではそれは無理なことだった。彼女はもどかし気に獣のようなうめき声を漏らし気を失った。

「どう…なったの…?」

「ふぅ…何とか間に合ったみたい…」

「その声…クロ!?」

「お待たせ、ラムネ」

 彼女が振り向いたその先、そこにいたのは俺を含めた仲間の姿。ラムネの瞳に浮かぶのは安堵の涙、そして輝く笑顔だった。

「ここまで全速力で飛ばしてきたけど…いやぁ…ぎりぎりだったね」

「ありがとうクロ!」

 結果から話すとクロがぎりぎりの瞬間にチカの手から銃を弾き飛ばしてくれた。本当にぎりぎりの間合いだったが、こうして彼女は生きている、それだけで俺はほっと胸をなでおろした。心臓がバクバクと今も焦りの高鳴りを引きずっているのを胸に当てた手が感じ取っていた。

「そういえば…クロ…裏切り者候補だって聞いたけど…ウソ、だよね…?」

「ううん…ほんと…私、みんなに嘘ついてた…」

 そしてクロは語りだす、恐る恐る自身の罪を。彼女の声音には明らかに恐怖が込められていた。嫌われたらどうしよう、みんなが受け入れてくれなかったらどうしよう、彼女のダダ漏れの不安は真相を知る俺の心も不安にさせた。けれど、彼女の不安はただの杞憂に終わることとなる、ラムネのいつものような太陽の笑みで。

「な~んだ…もう…そんなことならはじめっから私たちに言ってよ!私たち仲間なんだよ?クロが困ってたら絶対に助けるのに…」

「あはは…ショコラと同じこと言ってる…」

 クロの顔にも笑顔が咲いた。泣きそうで今にも崩れてしまいそうだったけれど、それでも彼女は笑った。仲間に受け入れてもらえた安堵から。

「…ってメリーがまた人間に戻ってる!?どうして!?」

「いやぁ…それも説明しなくちゃいけないな…」

 今更の驚きに呆れた笑みを浮かべ、場を引き締めるために俺はコホンと一つ、わざとらしい咳をこぼす。

「みんな…心して聞いてくれ…実は俺はな…」

『ごくり…』

 皆が息をのむ音が伝わる。精一杯の間をためて俺は言い放った、俺自身の真実を。

「おっぱいを触ると人間に戻れるらしい」

「…」

「…」

「…」

「え!?なんか驚くなりリアクションないの!?」

「は?」

 沈黙プラスジト目は相当つらい。さらにラムネの今すぐ死ねといわんばかりの蔑んだ瞳も俺の精神を粉々に砕き切った。一周して何かに目覚めてしまいそうな蔑んだ瞳を俺は見渡してもう一度わざとの咳をする。

「正確に言えばエロい気分になると戻るってとこかな。まぁ一番わかりやすい方法で言えばおっぱいを触るってことだ。現にこの体に戻る前にクロとショコラのおっぱいを堪能させてもらった」

「もし胸を触られて戻らなかったらあのまま引き裂いているところだったよ…今も四肢をバラバラにして地中に埋めてやりたいくらいだけどさ」

「メリーちゃんの触り方…とってもえっちだった…ショコラ…壊れちゃうかと思った…」

 彼女たちのたっぽりとしたおっぱいの感触は今も手に焼き付いて離れない。過去に触ったラムネのおっぱいもよかったがクロは張りがあってプリンとしてたし、ショコラはもう絶品でマシュマロのような極上の触り心地だった。

「鼻の下伸びてる…変態」

「うっせぇ」

「…で、どうしてエッチな気分になると戻るってわかったの?」

 ラムネの疑問ももっともだ、俺は彼女に話す、俺が人形の体になった時から感じていた違和に。

「俺が人形になったときにな、なんていえばいいのかな…体が本能的におっぱいを求めていたんだ」

「は?」

 蔑んだ視線、ありがとうございます!もはや慣れてしまい快楽的にも感じるその視線を全身で味わいながら俺は続ける。

「俺は人の体の時は女の子にあまり興味はなかった。まぁ誤解を招くから言い直すけれど人並みには興味があったけれどそれほど飢えてはいなかった。けれどこの体になった瞬間体が本能的におっぱいを求めたんだ…何はともかくおっぱいな思考になったわけだが…それともう一つ俺が元に戻った状況を覚えているか?」

「えっと…お風呂でおっぱいに触ったときと、私をかばってくれた時…あ、あの時もあんな危機的状況だっていうのに私のおっぱい触ってた」

「で、今さっき私たちのおっぱいを触った…見事におっぱいがトリガーになってるわね…」

「Q.E.D…?」

「推測だらけの証明だからショコラの言うように完全証明にはならないけどさ、それでも俺の推測は大体あっていると思う…」

 今思えばラムネをかばったあの時がこの推測の重要なキーとなったといえよう。あの時ラムネを助けたいという強い願いが俺の奥底の本能を無意識に呼び起こし彼女のおっぱいを求めさせた、というわけだ。

「変態…」

「変態ですね…あんなにかわいい見た目だったのに中身にこんな不潔なものがしまわれていたなんて…驚きです…」

「でも…メリーちゃんはメリーちゃん…皆の大事な仲間…違う…?」

「…まぁ、そうだけど…」

「うおぉぉぉ!ショコラはいい子だなぁ…!」

「気持ち悪いから変な男泣きはしないで…」

 まぁなんだ、こうして人間モードに戻ったわけだが、ラムネも無事だしどうやら俺の行き過ぎた心配だったのだろう。クロたちはおっぱいの揉まれ損だと思うが改めてそういうことを言えば殴られそうなのでやめておく。あとはみんなでこの戦場を生き抜けば…


「あれ…?なんか…忘れてるような気が…」

「そういえば…マリサがいないね」

「そうだマリサだ!あいつには本来の作戦通り敵陣に潜入しての暗殺を頼んであったんだけど…大丈夫かな?全然連絡ないし…」

 クロの裏切り事件やラムネのピンチですっかり忘れていたマリサの存在、俺は早急に彼女に連絡をしようと無線のスイッチを入れた。だがその瞬間無線はノイズとともに歪な男の声を吐き出した。

『貴様が心配しているのは…この女のことか?』

 無線が終わると同時に何かが地面を転がる音が聞こえた。俺たちがいっせいにそちらを向くと、そこにはボロボロに傷を負ったマリサが横たわっていた。体のあちこちから出血し、素人目から見てもヤバめな状態。かろうじて息はしているもののその息遣いは危険信号として俺たちの鼓膜に響いた。

「マリサ!」

「待て…動くな」

 一歩を踏み出した俺を制止する言葉、視界の先を睨むとそこには男がいた。漆黒のハンドガンを殺意を孕む煌きに輝かせその先端が俺をとらえていた。軽量の殺人兵器を持つ男を見て、俺は絶句する。

「お前は…俺…?」

 そう、その男の顔は、どこからどう見ても見飽きた自分の顔。歪な笑みを貼りつけた悪人面を浮かべ、さらには中二病みたく黒のマントを纏ってはいるけれどはっきりとわかる、あれは、俺自身だ。

「よう…初めまして、いや、久しぶりといったほうがいいかな…俺」

「え…?メリーが二人…?」

「ショコラ…頭が…ぐるぐる…」

 みんなも困惑の表情を浮かべて俺と俺を交互に見比べて首をかしげていた。

「メリー?そうか…俺はそんな変な名前で呼ばれていたのか…まぁ区別するにはいいか」

 俺は、いや、要陸斗は嘲笑混じりの息を吐いた。陸斗の動作一つ一つが俺をいらだたせる、これは一種の才能なんじゃないか、なんてくだらない思考が一瞬頭をよぎった。

「お前は…何者だ…?どうして俺の体を…」

「おや?君は偽物だと思っているのかな、俺自身が…でも残念。偽物はお前だよ、メリー」

「俺が…偽物…?」

「そう、偽物さ…俺の中に眠っていたどうしようもない偽物の感情、それがお前さ」

 びしり、とマンガに出てきそうなポーズとともに指をさされた俺は困惑する。俺が偽物で、目の前の陸斗が本物…。確かに体を持つほうが本物だとすれば相手は本物だといえるが、それでも俺には心がある、記憶がある、要陸斗としての。

「そうだな…馬鹿なおまえにもわかるように話してやるよ…お前は、俺自身から飛び出た感情だ」

「俺自身の…感情?」

 ますますわからない、俺どころか彼女たちも困惑だ。

「はぁ…わかったよ、全部順を追って説明してやる。ちゃんとついて来いよ」

 案外優しい彼はこうして語り始める、俺自身が知らなかった俺自身を。


 俺はあの日、コンビニへ出かけた。あの日の天気は大雨、記録的豪雨で雷も鳴っていた。俺は傘をさしてぼぉっとコンビニへの道を歩いていた、その時だった。

「ぐあっ!」

 それは一瞬だった。俺のさしていた傘へ、雷が落ちたのだ。偶然の偶然が重なった悲劇的運命。けれど幸運なことに俺は雷が直撃する一瞬前に傘から手を放していたのだ。そのおかげで内臓が焼け焦げる、なんてことはなかったが体へのダメージがゼロとは言えなかった。俺は脳にダメージを負って意識不明の重体と化した。なんでそんなことを知っているといわれれば説明に困るが、不思議なことに俺は俺自身を俯瞰的に眺めていたんだ。霊体、といえばわかりやすいだろう、俺は幽霊となり自身の顛末を見守っていたのだ。

 今の医療技術でもいつ目覚めるかわからないと話す医者の言葉を聞き涙する父親と母親に俺は涙、ではなく笑いが込み上げてきた。心に傷を負ったとか適当な理由をつけて引きこもりライフを満喫していた俺を、まだ息子として心配していた両親のバカさ加減がとてつもなく笑えてしまった。両親は必至に俺が目覚めると信じていたけれど、俺はそんな姿を笑い眺めて月日は流れた。

 俺が意識を失って5年くらいが経過したころだ、事態は急変した。

「冷凍保存…ですか?」

 国連の連中まで認めた冷凍保存法、それは現在の医療では治る見込みのない未来を奪われてしまった子供たちを冷凍保存し、未来の医療に託そうという何ともSFチックで馬鹿げた法律だった。技術の進歩というのは本当におせっかいなものだ、人間に永遠に生きるチャンスまで与えてしまったのだから。両親は俺が蘇る可能性があるならば、と喜んで合意してしまった。そこで俺の意識が一度途絶える、というのも冷凍保存されてしまったからだ。


 そして意識が戻ったのは、7年ほど前だ。俺の体は冷凍保存されたまま地中に埋まっていたらしい、なんでも世界を破滅寸前まで追い込んだ戦いに巻き込まれカプセルが埋まってしまったようだ。それでも機能だけは生きていた冷凍カプセルは俺の命をつなぎとめ、俺はソビエトお手製の機械の脳を得て蘇った。その蘇る瞬間に、俺の心は二つに分かれた、いや、明確に言えば心を一つ捨てたといえよう。実際俺の心が二つに分かれたのはあの雷に打たれたときだろう、俺の中では正義の味方になりたかった後悔した自分と、世界を恨み悪の種をばらまきたいと願った自分が、別れたんだ。簡単に言えば善の心と悪の心、俺自身は悪の心というわけだな。

 体にも機械を取り入れ俺は驚異的な速さで人間としての動作を取り戻していった、日を追うごとに膨らんでいく悪の種をばらまくために。俺がターゲットに選んだのは、もちろん憎むべき世界。俺はゲームでいえば魔王として世界に立つ、そう決めたのだ。ヒーローを目指していた人間が魔王に落ちる…シナリオとしては3流だけれど滑稽で面白いだろう?

 俺はソビエトの連中をそそのかした、このままの貿易を続けていればいつか自国の燃料資源も他国との貿易で得た資源も枯渇する、自国の優秀な技術を使い他国を占領すればいいのではないか、と。赤字続きの国にこの言葉はまるで天からのお告げのように聞こえただろう。彼らは平和な世界を瞬時に壊し戦いの手を広げたというわけだ。

 けれど世界征服といったって実質俺は手を加えていない。それはあまりにもつまらない、そう考えて俺はゲーム盤へと降り立った。それがそこにいる女、クロの妹を人質に取ったり、そこに転がっている醜い嫉妬の塊にクスリの良さを教えたり、と様々なことをしたものだ。人の心を操るのはとても気持ちがよかった、そうしている時だけは満たされて生きていると実感できた。過去に正義の味方ごっこをしていた自分がバカらしく思えてくるほど、人を貶めるのは面白かった。


「…と、まぁ話せばこんなものか…ちなみに俺が7年たってもこの姿なのは冷凍保存の副作用だ。どうやら成長に影響が出るようだが…まぁ大人になってもこの姿というのもなかなかに乙なものさ。それに世界を混沌に陥れた魔王が実は子供だった、なんてのもなかなかに味があるシナリオだろう?」

「お前がやってきたことはわかった…けどやっぱりどうして俺自身が今ここにいるのかがわからない…」

「さぁな?俺にもよくわからん。だが推測としてはお前は俺から心が切り離され世界を彷徨い、ようやく自分の心にフィットする体を見つけた、というところだろうな」

 俺自身が意識不明に陥っていた時にあいつは霊体として漂っていたと言っていた、ならば俺も霊体となり7年もの間彷徨っていた、ということだろうか。それにしてはこの人間の時の体はどこから出てきたのだろうか。

「その肉体もきっと魂の名残だろうな。魂がまだ自らの肉体を持つと錯覚しているのだろうさ」

「本当にSFだな…」

 あまりにもありがちな設定だがそれでもどうしてか俺自身の言葉は妙に納得してしまう。それに彼の言っていた善の心、悪の心も妙に納得しえることだ。俺はこの世界で目覚めるまで正義になることを許さなかった世界を恨んでいたのに、この世界に来てからまるで頭から抜け落ちてしまったようにそう感じなかった。それはきっとこいつと俺が分かれてしまったから、そう説明づければ納得もしえる。

「ねぇメリー…私さ、まだあいつの言ってることよくわかってないけどさ…けど、一つだけ言えるよ…あいつを倒せば…全部終われるんだよね?」

「全部終わる?ハハハ!そんなはずはないさ!俺を倒したって意味はない、俺が悪の種を植え付けた人間がどれだけいると思う!?そいつを倒さなければすべて終わりとは言えないさ」

 鼻につく嘲笑の言葉、けれど俺はそれを返すように鼻で笑った。そんな俺の態度が気に食わなかったのか彼は明らかにイラついた表情を見せる。

「そうかな?少なくともお前を倒せば悪の種を振りまくやつはいなくなる…これ以上悪が広がる心配もないさ」

「忘れたか?お前も、俺だ。悪の種をばらまくのはお前も同じだぞ?」

「そうだな…けど、俺はもう変わったんだ…俺は絶望のその先を掴むんだ…絶望のまま止まったお前とは違う!俺は希望を掴み…そして証明する…正義は必ず、勝つってことをな!」

「何が正義だ!まだ正義の味方ごっこに現を抜かすのか!」

「うるせぇ!俺はいつだって正義の味方になりたいんだ…俺からそれを取ればもう何にもなくなっちまうくらいになぁ!」

「いいだろう…かかってこい!正義が必ず勝つことは幻想だとその身に刻んでやる!」

 そして、俺と俺との史上最大の喧嘩が始まった。


「なぁ、悪い方の俺…あいにくだが俺は銃器の扱いに関してはてんでだめだ…だから素手での殴り合いってことでどうだ?」

「そうだな…少しでも勝利の夢を見せてやるのも悪者の務めってな。いいぞ、素手でかかってこい…ぐふっ!」

 のんきに余裕なんて見せつけているからだ、俺は一発相手の顔面へとパンチを食らわせた。

「いってぇな…これじゃどっちが悪者かわかんねぇだろ…」

「勝ったほうが正義なんだよ」

「へへ、言うじゃねぇか…おら!」

「ぐっ…!まだまだぁ!」

 俺の拳が互いの体に打ち込まれる。俺が打ち込んでは相手が打ち込みその繰り返し。けれど明らかに俺のほうが不利だった。彼の拳がまるで鉄球が体を襲ったかのような激しい痛みとなって俺の体に刻まれていく。

「てめぇ…機械で身体能力あげてるな…」

「まぁな。けどだからといって勝負の方法を変えたりは…しないよなぁ?」

「あぁ…ミント!例のアレを頼む!」

「了解しました、メリーちゃん!」

「させるかよ!俺の優秀な奴隷ども!あいつらの動きを止めてろ!」

 彼の合図とともにどこに隠れていたのか、無数の機械兵が姿を現した。それは一直線に彼女たちに向かって攻撃を始める。

「ちっ…クロ!お前はマリサを安全なところまで連れて行け!そこから狙撃だ!ラムネ!お前まだ動けるか?」

「うん…何とかね…けど限界が近いかも…」

「わかった、無理のない程度でいいから少しでもショコラと協力して敵を倒してくれ」

「うん…メリー…頑張ってね」

「あぁ、もちろんさ」

 ラムネに励まされるとどうしてか体の奥底から力が湧いてくるようだ。ラムネの言葉で俺のやる気はマックスに、今なら千人力だ。

「さぁ…いくぞ俺!」

 俺は自身の全力をもって彼の鳩尾を殴った。彼はごふりと大きく息を吐き出すがひるんだのも一瞬、次の瞬間には俺の頭蓋に彼の拳がヒットしていた。何とか意識を失わずに済んだが視界が歪む。

「ふはは…ざまぁねぇな。そんなにボロボロになってもお前は絶望の先に行きたいっていうのかよ」

「あぁ…そうさ…俺は、絶望の先にあるものを…見てみたいんだよ…」

「お前の進む先はどうあがいても絶望だ。無意識に悪の種を振りまくお前の末路は決まってるんだよ!」

 今度は陸斗の攻撃が俺の鳩尾を襲う番だ。けれど俺は何とかそれを左に避け、それと同時に体勢を崩した陸斗の背に思いきり肘を振り下ろした。バキバキという嫌な音ともに彼は傷みに目を見開く、だがそれでも彼の闘志は消えていなかった。彼はその体勢のまま回し蹴りを俺の体にぶち込んだ。

「ぐはっ!」

「お前はどう転んでも絶望だ…絶望を受け入れて負けを認めろ」

「嫌だ…俺はもう諦めない…未来がどんな絶望に染まっていても…それを受け入れたりしない…俺は必ず希望を掴み取って見せるんだ…自分の手で、希望を作り出すんだ!だから希望の前に…消えろ!」

「ぐふっ!…希望希望ってさっきからうるせぇんだよクソがぁ!」

 空中で何とか体勢を立て直した俺の渾身の拳を受けても彼は少しひるんだだけ、今度は彼の裏拳が疾風の如く襲いかかり俺の体はくの字に後方に吹き飛んだ。

「かはっ!」

 後方の岩に背をぶつけ肺の中の空気が圧迫され口から真っ赤な命とともに零れた。けほけほ、と咳き込み体に何とか酸素を取り込もうと口をパクパクと金魚のように動かす。

「俺は…負けない…なんとしても…希望を…」

 立ち上がろうとしたが体がそれを拒んだ。ガクリ、と膝が折れ足に力が入らず立っているのもやっとだ。視界もぼやけ赤く染まり始めていた。

「ハハハ!そんな状態でもまだ希望とのたまうか!ならいいぜ…お前が死ぬ前に…信じていた希望を刈り取ってやるからよ!貴様は絶望の中で死ぬんだよ!」

 彼は駆けた、俺の倒れている方、ではなく逆の方向へ。どういうことだ、脳みそをフルに動かして考えて、そして答えが出た。

「やめろ…やめてくれ…!殺すなら…俺だけでいいだろ…!」

「駄目だね。俺はもう決めたんだ。お前の大事な希望を摘み取ってから殺すってな」

 彼の進む方角には、ラムネ。今も戦っているがもうボロボロで辛そうだ。

「ラムネ!逃げろ!」

 俺は喉を振り絞り必死に叫んだ。けれど彼女は俺の声が聞こえていないのかその場から動かない。俺はさらにラムネの名を呼んだ。けれど彼女は微動だにしない。

「もしかして…」

『えへへ…ごめん…もう…動けないや…』

 無線から聞こえたラムネの恥ずかしそうな声。それと同時に視界はラムネに銃口を向ける陸斗の姿をとらえた。

「死ねぇぇぇぇ!」

「ラムネぇぇぇぇぇ!」

 俺の叫び声も虚しく、乾いた死を告げる音が鼓膜を震わせた。


 これまで運命の幸運に愛され続けた少女も、3度目の正直というべきか、今回ばかりは本当に死んでしまうのではないかと思った。俺の中の希望が、消えていく音を聞き届けながら悲しみにギュッと目を閉じる。目の前の絶望を見ないように強く、強く目をつむった。

「何…貴様…どうして…?」

 けれど、現実はもう残酷ではなかった。希望の欠片は、もう俺の目の前に広がっていたのだ。

「嘘…」

「え…?」

 あまりにも素っ頓狂な声に、俺は目を開いた。そして、見た。世界の希望と絶望が入り混じるその瞬間を。

「どうして…チカ…!」

 二度あることは三度ある、今度はいつの間にか立ち上がっていたチカが身を挺してラムネのことを守っていた。その胸には大きな穴が開き命の液体がとめどなくどうしようもない量零れ落ちていた。

「ぐふっ…!はぁはぁ…ノエル…最後にあなたの言いつけ…守ったよ…これで…胸を張って…ノエルのところに…いける…」

「この薬中女がぁ!」

「チカ!チカぁ!」

 バン、バン!乾いた音が連続で響く。それはチカの命が終わる音、彼女のか細い体に銃弾が何発もえぐりこみ命を根こそぎ抉り取った。怒り交じりの銃弾をすべて受け止めたチカは満足そうにその場に倒れ伏し、二度と起き上がることはなかった。

「うぅ…チカ…どうしてあなたが死ぬのよ…」

 忌み嫌っていた相手を助けて、彼女は死んだ。それが彼女の一番愛した男の頼みだったから。

「メリーちゃん!今のうちです!これを使ってください!」

 あまりの出来事に呆けていた俺に鋭いミントの言葉が刺さる。その言葉で意識を何とか戻した俺はミントが投げたものを受け取る。それはあの手榴弾、俺は残った力を振り絞り彼に突撃をかけた。

「うおらぁぁぁぁぁぁぁ!」

 手榴弾の爆発、それと同時に俺は彼にとどめを食らわせるべく全身の筋肉を躍動させた。

「なんだこれは…!?体が…動かない!」

「俺の…勝ちだぁぁぁぁ!」

 爆発的な筋肉の活動、力任せの拳が動けない陸斗の体を襲う。限界を超えた筋肉が悲鳴を痛みと変換し俺の体を蝕むが、そんなことを無視して俺は殴り続ける。俺の一番大切な希望に傷をつけようとした彼を、許すことができなかったから。

「これで…チェックメイトだ」

 地面に伏した彼に、俺は彼が落とした銃を拾い突き付けた。王手、チェックメイト、言い方は何であれもうこのゲームは俺の勝ちだ、抗う術はもう相手には残されていない。たとえ機械の機能が蘇ったとしても、俺が加えた打撃で全身の骨がバキバキに崩れているのだからもう動けるはずもなかった。けれど彼は不敵に笑う。その笑みが俺の背筋にどうしようもない冷たさを与えた。

「くくく…あぁ、いいさ…殺せよ…だがな…覚悟しておけ…俺を殺すということは、自分を殺すことだ、と」

「お前みたいなクズ野郎が自分だって?笑わせる…俺はな、陸斗、お前を殺すんだ。どうしようもない悪の種をばらまく世界の悪をな」

「いいや、違うさ…お前が今から殺すのは俺の体だ…つまり俺自身の器…体が死ねば心も無条件に死ぬ…」

「何が…言いたい…?」

「俺が死ねば、別れた心であるお前も死ぬだろうってことさ…ま、推測だがな。けれど可能性としては十分にあり得る話だと思わないか?」

 そんなことはもう薄々勘付いていた。だから今更驚くことなどない。

「だろうな。ま、死なばもろとも、さ…お前という最低な存在がこの世から消えるならば、俺の命なんて安いものさ。それに俺は一度死んだような身だ、今ここにいるのは神様からのボーナスステージみたいなもんだしさ…もう、終わってもいいかなって…」

「やめてメリー!」

 けれど俺の声を遮ったのはラムネだった。

「メリー…自分の命を粗末にしないでよ…そんな奴のために…死なないでよ…」

「けど、こいつがいなくならないと戦争は終わらない…」

「そんなことはわかってる!でも…でも…私は許せないの!私の好きな人が私の目の前から消えていくのは…もう…嫌なの…」

「好きな…人…?」

 俺はその言葉に困惑する。ラムネならきっと大切な人だ、とか言いそうだったのに。

「うん…私ね、メリーのことが好き…お兄ちゃんのことも好きだったけど…男の子として本当に好きなのはメリーなの…優しくて、私のことを励ましてくれて…私たちに希望を与えてくれたそんなメリーが…大好きなの!」

「ラムネ…」

「初めは何とも思ってなかったけど…でもだんだんメリーの魅力に魅かれていった…優しくて自分のことよりも人のことを気にして…それに命を張って私をかばってくれたメリーのことが…気づいたら好きになってたの…」

 ラムネが、俺のことを好きだったなんて。俺は口から自然と笑みが漏れた。驚きを通り越して自身の心を押し殺していた虚しさが今となって笑いに変わった。

「ハハハ…そうか…ラムネが、俺のことを…好き…そうか…」

「え?なにがおかしいの!?」

「いや、なんだ…その…俺もさ、お前のことが好きだったからさ…なんだろうな…お前は俺のことを絶望から引き上げてくれたっていうかさ…ラムネの存在があったからこそ今の俺があるっていうか…あぁ、うまく言えないや…とにかくだ!俺はラムネのことが好きだ」

 ラムネの精一杯の告白に応えるように、俺は彼女への思いを爆発させた。人生最初で最後の、盛大な告白だ。不思議と緊張はしない。言葉は浮かばなかったが彼女への愛をつづるのに言葉なんてモノでは足りなかった。もっと高度で高尚で稚拙な愛を語るにはどれだけ人類が進化しようとも無理なはずだ。だから俺はただ一言だけの言葉にすべての愛を乗せる、散りゆく世界に送る最後の愛を。

「ラムネ…大好きだ…」

「メリー…私も…メリーのことが…大好き!だから…」

「ごめん…俺はもう決めたんだ…こいつと一緒に消えるって…ごめんな…希望を手に入れてみせるって言ったのに…お前のことは救えなかった…けどさ、世界はきっとこれから良い方向に転がっていく…そこで違う男を好きになってさ…そしたらこの絶望も夢だって思えるようになるからさ…だから…もう俺のことは、忘れてくれ」

 忘れてくれ、自身が吐いた言葉で胸が切り裂かれる痛みを味わう。本音をこぼせば彼女には俺のことは忘れてほしくない、永遠の愛を独占していたい、けれども、無理なのだ。俺が本音を言えば、どうしようもなく彼女を絶望へと落としてしまう。結局俺は最後まで悪の種をばらまくのをやめられなかった、というわけだ。

「そんなこと…できるはずないよ…だってこんなに好きなんだもん!メリーの思いを上書きできるような人なんてもうこの世にいないよ!だから…だから私を置いていかないでよ…!メリー!」

 涙混じりのラムネの言葉に、俺は何も答えない。声を出せばきっと彼女の心を傷つけてしまうから、声を出せばきっと俺の覚悟が揺らいでしまうから。俺の瞳から無意識に熱い液体がこぼれて地にぽたりと落ちた。ラムネへの思いが胸から溢れて心がぐちゃぐちゃに溶けて爆発寸前だ。

「おい…俺…もう、終わりにしようか…」

 だからもう終わらせることにした、心が彼女への愛で、ラムネへの執着で爆発する前に。もっと生きたい、心の奥底がそう叫ばない前に。

「俺が言うのもあれだけどさ…本当に…いいのか…?あいつ…お前の言葉を待ってるぞ…?」

 背後のラムネの視線を振り払うように俺は頭を振った。

「ううん…もう、いいんだ…これ以上ここにいたら…死ぬのが辛くなっちまう…」

「そうか…なんだ…その…ごめんな…」

「最後に謝るんじゃねぇよ…ほんとに…辛くなっちまうだろ…」

「辛かったらやめてもいいんだぜ?そしたら俺も生き残れて万々歳さ」

「はは、そんなこと、許すわけないだろ…それじゃ…」

 俺は俺の眉間にしっかりと照準を合わせた。初めて持つ銃は想像していたよりもあまりにも重く、これが命を奪う道具だと考えればあまりにも軽すぎた。銃口が震える。手が震えて本能が死を拒んでいる。けれど俺はもう決めたのだ、絶望を断ち切る、と。

「待ってメリー!死なないでよぉぉぉぉぉぉ!」

「じゃあな…俺…あの世でまた、会おうぜ」

 その言葉を最後に、世界から悪をばらまく忌まわしき俺という存在は消え去った。一陣のそよ風が、まるでそれを讃えるかのように世界になびいた。



―エピローグ―



 季節は移り変わり、春。街に生えた木々は人々に見られるのを恥じらうかのようにピンクに染まりその花びらを優しいそよ風に乗せて宙に踊らせている。まるでアーチのようにかかる桜並木の中心を花びらに祝福されるように制服姿の女の子は歩く。その足取りは妙に軽やかで誰が見ても彼女の嬉しいという気持ちがわかる。

「ふんふんふ~ん♪」

 柔らかな春風が彼女の楽しそうな鼻歌を世界に響かせる。世界は今日も、穏やかに回っていく。

「あ、クロ先輩!待ってくださいよぉ!」

「ん?あぁ、ミント、おはよう」

「はぁはぁ…おはようございます…クロ先輩…ふぅ…」

 鼻歌を歌っていた少女、クロに声をかけたのは男なのに女の子用の制服に身を包んだミントだった。ミントの女装は今に始まったことではないのでクロも何も言わない。ただクロは心の中では自分より似合っているかも、なんて対抗心を燃やしてはいたが。

「そんなに走らなくてもよかったんじゃない?別に行き先はおんなじなんだしさ」

「もう…クロ先輩って薄情ですね。ちょっとくらい待つっていうことを覚えてください!」

「ごめんごめん…あ、ミント、ちょっとじっとしてて…はい、取れた。頭に花びらついてたよ。そのまま学校行ってたら恥ずかしい目にあってたかもね」

 なんて言ってにっと笑うクロ。ミントもそれにつられてクスリと笑った。

「あれ?そう言えばラムネ先輩は一緒じゃないんですか?いつも二人とも一緒だったのに…」

「あぁ、ラムネは今日日直だから先に行っちゃったのよ」

「なるほど…ってあれ、ショコラちゃんじゃないですか?」

「はぁ…またあの子コンビニに寄り道してお菓子食べて…ほら、ショコラ、行くよ」

「ふぁ~い…」

 コンビニ前でひたすらにお菓子をむさぼっていたショコラも仲間に加え彼女たち三人は桜並木の道を歩く。平凡な日常の道を、彼女たちは歩いていく。

「はむはむ…」

「ショコラ、歩きながら食べるのは行儀悪いからやめなさいっていつも言ってるでしょ?」

「むぅ…クロ、お母さんみたい…いつも…がみがみ…ショコラ…そんなクロのこと…嫌い!」

「ハハハ、クロ先輩ってば嫌われちゃったみたいですよ?」

「いいですよ~だ!どうせ私はいっつも嫌われ者な役回りですよ!」

 彼女たちの笑い声が、太陽に照らされてきらきらと眩いくらいに輝いた。彼女たちはさらに歩いて目的地である学校を目指す。

「あ、そういえばもうすぐマリサが退院できるんだって。いやぁ…長かったねぇ…あれから1年かぁ…いろんなことが、あったよねぇ…」

「そうですね…マリサ先輩はじめはもう歩けないんじゃないかって言われてましたけど…必死なリハビリで無事歩けるまで回復してましたし、喜ぶべきことばかりですよ」

「うん…ショコラも…マリサ帰ってくるの…楽しみ」

「マリサ曰く今月中には何とかなるって言ってたし、また病院に顔でも見せに行ってあげようよ」

 と、そんな会話をする三人の背後からかけてくる存在があった。

「お姉ちゃ~ん!」

 走ってくる少女は慌てた声でそう叫ぶ。

「シロ!?どうして?学校はこっち側じゃないでしょ?」

「お姉ちゃん…プリント…忘れてたから…はぁはぁ…もう…おっちょこちょいなんだからぁ」

「ごめんね、シロ!」

「本当に悪いって思ってるなら…今日のおやつはプリンね!しかも私の好きなケーキ屋さんの特性プリン!」

「なっ…!それ一個どれだけすると思ってるのよ!?」

「お姉ちゃん?プリント持っていかなかったらお姉ちゃん困っちゃうんじゃなかったのかなぁ?教室で恥かくところだったんじゃないかなぁ?」

「うぐぐ…」

「プリントとプリン…お姉ちゃんにとってはどっちが痛手かなぁ?」

 にこやかな表情で迫るのはクロの妹、シロ。完全に姉の扱いに慣れている彼女の威圧的な顔にクロはもう姉の威厳台無しだ。

「はい…プリンを、買わせていただきます…」

「よろしい!」

 満面の笑みでプリントを渡すシロ。彼女にはやっぱり敵わないな、と内心で苦笑する姉だった。

「いいなぁ…プリン…ショコラも…プリン…食べたい…」

「ショコラちゃんも食べたいんだって…お姉ちゃん♪」

「はい…ショコラの分も…買わせていただきます…」

「うん!それじゃあお姉ちゃん!プリンほんとに頼んだからねー!」

 嵐の如くやってきたシロは姉を弄び、また嵐のように帰っていく。その様子を恨みがましくも穏やかな笑みで見守るクロだった。


「おはよう、ラムネ」

 学校につき学年が違う彼女たちと別れたクロは一人教室にたどり着く。教室には彼女の大親友、ラムネの姿があった。

「おはよ~…はぁ…日直なんて面倒なことやってられないよ…」

「ハハハ、そういわないでさ」

「せめて日直頑張ったらご褒美にケーキでもくれればいいのに…」

「思考がショコラ寄りになってきてるし…」

 ラムネもクロも笑いあう、いつもの光景。けれどそこには一人、足りていなかった。自称正義の味方の、彼の姿が。

「はぁ…こんな時メリーがいてくれれば何か面白いことでも言ってくれるんだけどなぁ…」

「メリーって面白発言するキャラだったっけ?」

「面白発言っていうか…存在自体が面白い?」

「かわいそうなこと言ってあげないで…草葉の陰で泣いてるよ」

「メリー…」

 ラムネがポツリ、とつぶやく。彼女の愛した少年の名前を。その瞬間だった。

「やっべ!遅れた!」

 激しく扉を開く音が、簡素で寂しげな教室に響いた。扉が開くとともに吹き抜ける風に少女たちは振り向く。そして扉の先に見た、朝のまばゆい光をまとったヒーローの姿を。

「…ってあれ?まだみんな来てない…ぎりぎりだと思ったのに…ん?…あ!俺の時計が30分ずれてる!?くっそぉ…こんなことなら走らなくてよかったのに…」

「ごめん、ラムネ…さっきの言葉撤回。やっぱり存在自体が面白いや」

「でしょ?」

 フフフ、と笑う彼女らにどういう状況かわからないと首をかしげる少年。けれど少年はそんなのお構いなしとでもいう風に元気な笑みを浮かべた、彼女たちに救われた彼の一番の笑みを。

「おはよう、ラムネ!クロ!」

「うん…おはよう、メリー!」


 さて、あの後の話を少ししようか。俺が俺自身の眉間を撃ち抜いた後の話だ。

「メリー…メリー!」

「ごめんな…ラムネ…本当に…ごめん…」

 彼の眉間には銃の跡が生々しくついていた。悪の種をばらまく邪悪な存在は、あっけなく死んだのだ。それと同時に俺の体も光に包まれる。まるでSF映画のキャラのような死に方に俺は内心苦笑した。こんな死に方を味わえる人間なんて俺しかいないだろうな、なんて死に際だというのに変なことが頭をよぎる。

「メリー…!待ってよ…私を置いてかないでよ…!私の前から消えないでよ…!」

「ごめん…だけどもうどうすることもできないや…なぁラムネ…最後にお願いだ…俺が好きだった、ラムネの笑顔を、最後に見せてくれよ」

「バカ…!こんな状況で笑えるわけないじゃない…!」

「頼むよ…ラムネの泣き顔が最後に見る顔だなんてさ…悲しすぎるじゃないか…せめて愛した人の顔は、笑顔じゃないと…」

 俺の言葉に彼女はうつむいた。何か考えているのかじっと彼女はうつむき、そして急に顔を上げた。その顔にはくしゃくしゃに歪み今にも崩れてしまいそうだったけれど、笑顔が咲いていた。俺の愛した笑顔の花が、そこにあった。

「ハハハ…なんだよ…その顔…可笑しすぎ…」

「うるさい…バカ…」

「ごめんごめん…それじゃ…ありがとな、ラムネ…大好きだったよ…」

 俺はラムネに最後の言葉を語る。もっといっぱい話したいことがあった。もっといっぱい彼女に伝えたいことがあった。けれど、これだけで十分だ。この言葉だけで、彼女への思いを閉めよう。ありがとう、大好き、これだけ言えればもう後悔なんて、ないのだから。

「私も…ありがとう…大好きだったよ…メリー…」

 彼女の言葉を聞き終えるや否や光が激しく俺の体を包んだ。まるで神様が絶妙のタイミングで死期を選んでくれたような、そんな気がする。もしそれならば上に行ったときにお礼でも言っておこう、なんてまたどうでもいいことが頭をよぎり、俺を包んでいた光が霧散した。

「…あれ?俺…なんで…?え…?今ので…死ぬんじゃないの!?」

 体を包んでいる光が消えても、俺の視界は世界を変わらずに映していた。もしかしたら幽霊となったのかもしれない、なんて思ったけれど周りのみんなの様子を見てわかった、俺は死んでいなかった。彼女たちがそろいもそろってあんぐりと口を開け驚きと嬉しさと困惑が入り混じった微妙な表情を浮かべ、そして状況を悟りその顔は一気に喜びの涙浮かぶものへと変わった。

「メリー!よかった!生きてた…!生きてたよぉ…神様…ありがとう…!」

 感極まってラムネが俺の体に抱き着いてきた。俺の体はしっかりとそれを受け止める。

「メリー…あったかい…ちゃんと…生きてる…心臓も…動いてる…」

 俺の胸に顔をうずめてニコニコとした顔を浮かべるラムネに気恥ずかしさを覚える。さすがにここまでのスキンシップは人形の時にも味わったこともなく、心臓の鼓動は一気に最高潮に達した。せっかく生き残ることができたというのにこれではまた死んでしまうではないか。

「えっと…ラムネ…その…近いっていうか…なんていうか…恥ずかしい…」

 改めてラムネのことを見ていると自分のさっきの告白がとても恥ずかしく思えてくる。あれは死を前提とした最大の告白でありこうして生き残ってしまった今となれば黒歴史に認定されるほどの恥ずかしさだ。俺はこのまま生き恥を抱えて生きて行かなければならないのかと思うと気持ちがずん、と重くなるのを感じるとともにまぁいつかは彼女に伝えなければならないことだったんだ、とどうにか開き直ることで心の負担を軽くした。

 ラムネも俺と同じ恥ずかしさを味わったようで顔を一気に、まるで茹でたタコのように真っ赤に染めて俺から体を外した。けどどうして過去の気恥ずかしさが逆に気持ちいい。お互いの気持ちを包み隠さずぶちまけたおかげだろうか、ラムネとの心の距離がいつもより近い気がした。

「えっと…あの…お二人さん…お取込み中悪いんだけど…」

『あ…』

 クロに言われ俺たちはそろって間抜けな声を放った。俺たちの周りには意思を持たぬ機械の兵士たち、そういえばまだ戦いは終わっていなかったのだ。諸悪の根源を倒したからと言ってまだ戦争は続いている。

「よし…みんな…絶望は倒した…あとは希望を掴み取るだけだ!行くぞ!」

『おー!』


 そして戦いはこちら側の勝利で終わった。相手は一番の戦犯を失い戦意喪失、あの戦いから一か月もしないうちに降伏を宣言した。これは後から知った情報だがソビエトのすべてを牛耳っていたのは悪い俺自身でありそれがいなくなったことにより圧力をかけられていた穏健派が立ち上がり停戦まで持っていけたようだ。平和を愛するこの世界はこれまでの貿易によるソビエトへの圧迫を認め対等な貿易ができるように現在方法を模索中だがそれももうすぐ解決に向かうだろう。何せ平和を愛する人々なのだ、優しい心を持ち合わせいずれきっとまた平和な世界を築き上げてくれるはずだろう。

 世界にはまだもう一人の俺がばらまいた悪の種がはびこっているがそれもだんだんと生息規模を狭め根絶の道をたどっている。世界は戦っていたことなど忘れたかのように今日も平和に回っていくのだ。

 そして俺はというと、どういうわけかまだ生きている。俺自身の推測が間違っていた、といえばいいのか、とにかく喜ぶべきことだ。


 まぁそういうわけで世界は平和を取り戻し、無事ハッピーエンドを迎えた、というわけだ。俺も人々には知られていないがヒーローとして活躍できた、彼女たちもこうして平凡な女子学生としての生活を送れている、こんなに幸せなハッピーエンドは昨今の漫画や映画にもないんじゃないかと思う。

「ふわぁ…ねむ…」

 俺は教室に零れ落ちる暖かな春の陽気にあてられてあくびを一つこぼした。その瞬間だった、ポン、と俺の体が一瞬にして縮む感覚、また人形の体に戻ってしまった。世界が平和になってもまだ相変わらず俺は人形の姿に戻ってしまうが、それでも命があることを足し引きすれば十分すぎるプラスだ。どうにも人間の体を維持できる時間は決められておらず不定期で人形の体に戻ってしまう。どうにも不便だ、ただ人間に戻りたいなと思うときは今も手に残るおっぱいの感触を思い出すだけでいいので簡単だ。

「もう…またメリーってば人形になっちゃって…ま、そっちの方が可愛いからいいんだけどね!」

「人形が彼氏って…嫌じゃないか?」

「全然!」

「そ、そうか…」

 まぁ兄のことが好きだとか言っていたラムネならばそれくらいなんともないか、なんて変に納得する。

「あ、そうだ!ねぇメリー…お願い!宿題見せて!」

「は?やってなかったのかよ…」

「いいじゃん…どうせメリーが完璧に答えてやってきてくれるし…」

「しょうがないなぁ…」

「やったぁ!」

「こら、メリー!ラムネを甘やかさないの!」

「クロがぶった!親父にもぶたれたことないのに!てかなんで俺がぶたれなくちゃいけないのさ!」

「女の子をぶつなんてできないからね。それに人形なんだからたいして痛くないでしょ?」

「酷い…!」

「あはは!」

 こうして今日も平和な時が訪れる。未来永劫変わることのない平和な日常が、彼女たちを祝福するかのように今日も、明日も、訪れる。桜もそれを祝うように自身の花びらを散らせて喜んでいる。

 世界は俺が思っていたよりもまだ捨てたもんじゃないようだ。こんなに穏やかで素晴らしい世界に、風が吹く、平和を讃える柔らかな風が、優しく俺の頬を撫でた。


 世界は、希望に満ちている―



 ヒーローになりたい、俺は強く願った。絶望にも屈しない、強い勇気を持ちたい、俺は強く乞うた。かつて助けることができなかった友のことが俺の魂にずしりとのしかかる。

 心だけとなり世界を漂う俺自身、やり残したことがたくさんある中で死んでたまるか、なんて思いながら今日も彷徨う。


 世界は、残酷だ―


 かつて自分自身が零した言葉が、どこからか聞こえた。俺はまるで暗闇に輝く電灯を目指す夜光虫のように本能的にそちらへ吸い込まれた。


 世界は、くだらない―


 そう、世界はくだらないのだ。ヒーローになりたかった俺を嘲笑うように回るこんな世界は、本当にくだらない。もう崩れてしまえとさえ思える。


 こんな世界、誰か救ってよー


「救う…?」


 俺は戸惑う。世界を、救うということに。俺は今まで壊れてしまえと思うばかりで、世界を良い方向に変革することを望まなかった。もし俺自身が世界を良い方向に転がすことができれば、世界を救うことができれば、俺はヒーローになれるのではないか。けれど俺なんかでは無理だ、俺の善意の行動はすべて裏目となって世界に現れるのだから。世界を救う行為なんてしてしまえば逆に世界が滅びかねない。


 誰かお願い…私を、助けてよ…このくだらない世界から…引き上げてよ…―


 けれど俺はその言葉に、逆らうことができなかった。悲しみと後悔を孕むその声に、俺の心は鷲掴みにされた。世界を救うなんて大それたことは俺にはまだできない。けれどこの子のことを救いあげることくらいならば、俺でもできるのではないか。かつて俺ができなかったくだらない世界からの救出を。今目の前に与えられたのはチャンスだ。もう一度人生をやり直せるチャンスなのだ。


「俺は…この子を…助けたい…」


 俺は願う、今にも消えてしまいそうな弱々しい彼女の気持ちを救いあげたい、と。


「俺にもう一度チャンスを…ヒーローになるチャンスを…!」


 俺は叫ぶ、世界へ向けて。


『行ってこい、陸斗…今度のお前ならできるさ…俺のことでこんなに心を痛めてくれたお前なら…きっと絶望の先へと行ける…俺は信じてるぜ…親友…』


 ふいに響いた声に導かれるように、俺の視界は眩んだ。俺はヒーローになるんだ、その願いとともに俺の心はどこかに吸い込まれた。


 そして俺が次に目を開けた時には、ヒーローとしての最大の活躍の舞台に立っていた。県も魔法もなかったけれど、彼女たちに希望を導くために俺という存在は再びこの世に、体を得たのだ。


 彼女たちの日常的な温かな笑顔を、取り戻すために―




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俺が人形になってケモミミ女の子たちを導くってマジ? 木根間鉄男 @light4365

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