第3話敗北の、その先へ

 あの戦いの日から一か月俺たちの活躍は目を見張るものがあった。奇跡的な大勝利を経験したことにより皆の士気は前よりもはるかに上がった。その士気は俺の指揮にも影響を与えることなる。彼女たちは勝利を与えてくれた俺を信用してか俺の与える指揮には背くことはなく忠実に遂行してくれた。まぁ俺が彼女たちの思いを推し量ったというのもあるが、今では彼女たちは自らが俺の求める行動を指揮なしでも実行してくれるほどに成長した。さんざん言われてきた落ちこぼれのレッテルはもう見る影もない。寮のぼろさは相変わらずだが、それももう直に改善されるという話が持ち掛けられた、一か月負けなしの元落ちこぼれには当然の処遇だろうといえる。すべてがうまくいっている、俺たちはそう確信していた。

「なんだよ…これ…」

 けれど甘さの後には必ず苦さがある、長く続く栄光などありえない、俺たちはそのことを改めて思い知らされた。

「みんな走って!ぼぉっとしないでよ!」

「どうしてこうなった…」

 俺はただ世界に問いかける、この理不尽の原因を。けれど世界から返ってくるのは目の前の残酷な結果のみ。俺が知りたいのは経緯であって結果ではない、けれど世界は俺に求めているものを知っているくせに、とあざ笑うようにただ残酷な事象を見せつける。

「頑張って!もうすぐしたら防衛班も来てくれるからだからそれまで足を止めないで!」

 俺を抱えるのは傷だらけのラムネ、後ろで必死に走る仲間たちもみな傷だらけ。鼓膜を震わせるのは爆発音と銃声、そして今まで聞いたこともない人間の声。それは断末魔、生きた人間が生を終わらせるのを拒むように叫ぶ。けれどその叫びも天の神様は聞き入れてはくれない。神様は聞く耳持たずただ人間をあちら側へ手招きするのに必死なようだ。

「ごめんなさい…ボク…そろそろダメみたい…」

「あきらめるなミント!みんなで必ず逃げ切る!私が肩を貸してやる!だからあきらめるな!」

「ありがとうございます…マリサ先輩…」

 視界がとらえるのはえぐられた地面、爆風と銃痕でボロボロだ。さらにその上に貼りつくは赤の命。かつて人だったものが流した命の液体、それは地面深くまで染み込みいつかは世界の養分に、なるはずだった。けれどこれほどまでに崩れ去った地面ではもう花も咲かないだろう、戦場に咲く一輪の花、そんなものは幻なのだ。希望なんてない、それは俺たちの進路に横たわる21グラムの抜けた今日この瞬間まで動いていたモノたちが物語る。

「どうしてこうなったどうしてこうなったどうしてこうなった!」

「メリーちゃん…」

「落ち着いてよメリー!」

「落ち着く?この状況でどうやって!?俺たちは、どうして負けたんだ!俺の作戦は完璧だった…なのに…なぜ負けた!」

 今日の作戦は完璧だった。負けるはずなんてない。そう、負けなんてありえないイージーミッションだったんだ。なのに俺たちは今こうしている通り敗走している。

「どうしてだ!」

 耳を襲う人の命を終わらせる音を切り裂いて、俺は叫ぶ。答えのない回答を求めて、ただただ強く叫んだ。

 世界はやはり、残酷だ―


「合同任務?」

「えぇ、なんでもほかのチームと一緒に敵の進行を止めるらしいわ。今までは守る戦いだったけれど今回からは取り戻すための戦いをするってわけよ。その一番初めの任務ってことで難易度は相当低めに設定されているわ」

「あ、ほんとだ。サイタマあたりをちょっとだけってことなら簡単だね」

 それは二日ほど前、クロが持ってきた作戦指令書から始まった。そう、それは簡単な任務。比較的機械兵の少ないエリアを選んでの侵略作戦、もちろん大人数でいけばいくほど負けの可能性も下がる。

「で、私たちの役割は前線での切込みだって」

「また危険な役割だな…」

「まぁ上もメリーの実力に一目置いてるってことでしょ?その見た目はどうかは知らないけどさ」

「うっせぇ」

 俺たちの実力が認められたからこそ重要で危険なポジションにつかされる、少しでも作戦の成功率を上げるために。少し前までは捨て駒みたく前線に送られていたが、やはりポジション的には変わらない、か。けれど変わったことといえば使える兵の数が増えたこと、俺たち以外にも8チームくらいの人数が前線に、ということは彼女たちに今までのように無理をさせなくて済むというわけだ。

「まぁそういうことなら、とにかく俺に任せておけよ、完璧な勝利を見せてやるよ」


 なんて言っていたのが嘘のように思える敗北。血でできたレッドカーペットを脱兎で駆ける俺たちはどこからどう見ても落ちこぼれを通り越したみじめな存在だったに違いない。そう、あまりにも滑稽で、あまりにも惨めで、まさに生き地獄。けれど生きているだけましだ、視界の先に転がるモノ言わぬ塊、背筋も凍るほどのその生気のなさに俺は嫌悪し、安堵する。今も心臓が動き、体に温もりがあることに。不謹慎ながら俺は死者を見て、自身の生の喜びをかみしめていたのだ。


「嘘…こんなの…現実じゃないよ…」

 無事生還できた俺たち、けれど残酷な現実は俺たちに噛みついて離れない。

「どうしてよ…ねぇ…こんなの…おかしいよ…」

 目の前にあるのは厳粛で空虚な造りの棺。そこに収められているのは、もちろん物言わぬ人だったもの。棺の中に納まるかつての人は、もうその柔和な笑みを浮かべることはない。ただ表情を固めてじっと目をつむるだけ、その瞳はもう、愛しの彼女のことをとらえることなどできない。

「どうして死んじゃったの…ねぇ…返事してよ…お兄ちゃん!」

 ノエルが、死んだ。最強とまでうたわれた彼も、死ぬのだ。人間だから、どれだけ人間離れした雰囲気をまとっていたって、彼は人間だから。

「何でよ…!なんで…私に…ごめんなさいって言わせてよ…!あの日のこと、お兄ちゃんに謝りたかったのに…!どうして…どうしてよ!なんでほんとに…死んじゃうのよ…!」

 チームシャインユニコーンは、チカを除いて全滅した。その引き金を引いたのは、俺たちの敗北だ。敗走を支援するために送り込まれた防衛部隊、それがノエルたちのチームだった。彼らは見事にその任を全うして、死んだ。自身の命さえなげうって、多数の命を救った彼らはのちに英雄と呼ばれるのだろうが、俺は彼らを讃えることなんてできなかった。

「死んだら終わりだろ…馬鹿野郎…」

 死ねば何もできない。どれだけ讃えられたところで嬉しいと感じることもできなければ、愛する人の涙をぬぐうことだってできないのだ。今目の前で泣きじゃくる愛する妹の頭を優しく撫でてやることだって、できないのだ。

「私…昨日約束したのに…お兄ちゃんにちゃんと謝るって…なのに…なんで死んじゃうのよ…!お兄ちゃんの…馬鹿…」


 それは昨日の夜の出来事だった。

「ねぇメリー…」

 夜の帳は降り空に昇るは月と星、けれど今日の彼らはシャイなのか少し雲に隠れてしまっていた。いつもより弱々しい光に照らされた彼女は言う。

「私さ…後悔してることが、あるんだ…」

「言わなくてもわかるよ。ノエルのことだろ?」

「ふふ…メリーには全部お見通しなんだ…」

「いや、お見通しっていうかお前がブラコンすぎてわかりやすいだけだっての」

 ラムネは自他ともに認めるブラコンっぷり、けれどそんな彼女がこの一月の間兄のことを一度も口に出さなかったとなれば世界が終わるよりも大事件なわけだ。俺以外にも仲間たちは皆ラムネのことを心配していろいろしているがとうのラムネは意識しているのかどうだか、普段通りのあっけらかんとした笑みを浮かべている。逆にそれが怖くてたまらなかったのだが…

「でもなんで今更…それに俺になんて…」

「なんとなく…本当になんとなく…メリーに聞いてほしいって…ううん、違う、か…メリーになら話しやすいかなって…見た目が人形だからかな?」

「じゃあ俺は人形みたいに黙ってればいいのか?」

「ううん!ちゃんと喋って!私の言葉にうなずくだけでもいいから…でないと、不安になっちゃう…」

 少しうつむいた彼女だがぱっと顔を上げた。意思を込めた表情が暗い月明かりに照らされる。けれど表情とは裏腹に彼女の口から洩れる言葉は弱々しく風が吹けば飛ばされてしまいそう。

「まぁ…その…さ…あの日メリーは聞いてたと思うけど…私、お兄ちゃんに嫌いって、死んじゃえって言っちゃったんだ…」

「あぁ、そうだな」

 あの日、兄からのプレゼントをもらってラムネが吐いた一言、それは表に出さないだけでずっと彼女の心にまるで喉奥に引っかかった小骨のように違和感を残していたようだ。だがそのことについて言い出せなかった俺のほうがよりもどかしさを覚えていたが。

「確かに俺もさ、あの時なんでお前が死んじゃえって言ったのか気になってたんだよ。あの日もらった人形、今も部屋に飾ってあるじゃん。気に入らなかったわけではないんだろ?」

「うん。むしろ好みだね。やっぱりお兄ちゃんナイスチョイス!」

 不細工なウサギのようなよくわからない人形が好みというラムネの趣味の悪さは置いておくとして、俺は話を促す。

「えっとね…あの時の私ね、いろんなものがぐちゃぐちゃ~ってなってよくわかんなくなって…」

「いや、いろんなものって言われても…」

「とにかく!あの時私の頭の中がぐちゃぐちゃに混じって…それで…私、お兄ちゃんにとっては妹でしかないんだって思って…あんなこと言っちゃった…」

「は?ノエルにとってお前は妹だろ?まさか義理とか複雑な関係とか…」

 首を振るラムネ。まぁ俺もそうは思っていないが、ここはお約束ということで。

「言い方を変えよっか…お兄ちゃんは私のことを、ただの妹としか見てないって思った…」

 彼女が強調した、ただの、という言葉。その中には兄のことが大好きな彼女の複雑な気持ちが隠されていることに、俺は気づいてしまった。彼女は俺の答案にマルを付けるべく話を進めていく。

「お兄ちゃんがあの日私にくれたもの…それはほかの子たちにあげるのと同じ人形だった…確かにプレゼントをくれたのは嬉しかった…けど、みんなと同じじゃダメなの!私は…私だけの特別なものがほしかった!お兄ちゃんなら私に特別なものをくれると思ってた!」

 気が付けばラムネの声には涙が混じり始めていた。本当にいつものおちゃらけた感じはどこへやら、だ。

「私はお兄ちゃんのことを特別な人だって思ってるの…私がお兄ちゃんを好きって気持ちはきっと本物…お兄ちゃんも私のことを好きって思ってくれてる…だって私の誕生日にはいつも無理してでも帰ってきてくれたしクリスマスとかのイベントだってずっと一緒に過ごすくらい!買い物も一緒、まるでデートみたいにくっついて街を歩いて…けどね、私はお兄ちゃんの中での特別にはなれなかったみたい…」

「ラムネ…」

 ラムネは本気で兄のことを愛しているのだ。それが異常な気持ちだとかそんなもの関係なくただ純粋に兄のことを愛している。けれどその兄が自身の気持ちに応えてくれなかったと、彼女はそう思っているのだろう。いや、そう思い込んでいるのだ。

「私ね、お兄ちゃんには一生彼女なんてできない、ううん、彼女を作らないんだろうなって思ってた。なんてったってお兄ちゃんは私のことを一番優先してくれるんだもん。どんな女の子がすり寄ってきたって妹のほうが大事だからって断るって思ってた!けど…お兄ちゃんは彼女を作ってた…正直私なんかがかないっこないくらい美人でかわいくて…その時から私、気づいてたの…お兄ちゃんが私のことをただの妹としか見てないって…」

「それが、普通なんじゃないか…?いくら仲良くたって…」

「そんなことわかってるよ!わかってるけど…私が許さないの…私の中のお兄ちゃんは私のことを一番に愛してくれるって、そう思い込んでたから…ショックで…どうしようって…フラれちゃったって…いろんなことがダムが壊れたみたいに押し寄せてきて…気づいたらお兄ちゃんにひどいこと言っちゃった…」

 涙、怒り、悲しみ、後悔、彼女の表情はクルクルと変わる。まるでルーレットの目のように止まるたびにいろいろな表情を見せ、そのすべてが兄のことを思ってのことだった。それほどまでに彼女は兄のことを愛しているのだ、俺はそう感じた瞬間、どこか胸がチクリと痛んだ気がした。けれどそれにかまうことなく俺は言葉を紡いだ。

「確かに、ノエルはお前のことを特別な、それこそ恋愛対象としてみてないかもしれない。けどな、お前が一番大切な妹だってことは変わらないんじゃないか?たとえ彼女ができたって、皆と同じ人形を買ってきたって、それは変わらないんじゃないのか?」

「ううん…お兄ちゃんの中の私はきっとただの妹…一番大切なのは彼女のチカだよ」

「それはお前が思い込んでるだけだろ?本当の気持ちは本人に聞かなくちゃわからない。けど、俺ならわかる。きっとノエルならお前のことを一番に思ってるって。根拠なんてないけどさ、でも俺、わかるんだ…ノエルがラムネと一緒にいるときの幸せそうな顔、チカと一緒にいるときよりも嬉しそうで、心から安心したような穏やかそうな顔…」

 俺は彼の柔和な笑みを思い出す。彼の優しさを孕む笑みの奥底には、きっと一番大切な妹の存在があるからなのだ。そしてその大切な妹に、彼の笑顔は伝染した。

「お前がそんな顔してたらきっとノエルは悲しむぞ?今だってラムネのことが心配でたまらないって顔してるんじゃないか?」

 俺の言葉を聞き、彼女の顔は少しだけ晴れやかになった。

「メリー…ありがと…そういってもらえて…なんか安心した気がする…うん、私、お兄ちゃんに聞いてみる…私のこと、大事かどうか…きっとお兄ちゃんなら私のことを思って一番大事っていうんだろうけど…うん、ここでうじうじ考えてても仕方ないよね!」

「ラムネ、聞く前にノエルに言うことがあるんじゃないか?」

「お兄ちゃんに言うこと…?なんだろ?愛してる?それとも早くその女と別れろ?あ、婚姻届けをもってここにサインと拇印を押しなさいとか!?」

「なんでお前はそんな方向へぶっ飛ぶんだよ…ちげぇよ、ごめんなさい、だろ?自分の言葉で後悔してるようにきっとノエルもその言葉で傷ついてるはずだからさ…」

「わかった…じゃあ今から行ってくる!」

「待て待て待て!今は真夜中だぞ?さすがにこんな時間に行けばたとえ妹だろうと迷惑だって…」

「そっか…じゃあ明日!明日お兄ちゃんにごめんなさいって言う!」


 雲から顔を出した月が照らし出したラムネの満面の笑顔、胸がドキリするほどの破壊力を持ったあの笑顔が遠い日のことのように思えるのは俺の気のせいだろうか。

「ラムネ…」

「うぅ…お兄ちゃぁん…ぐすっ…うわぁぁぁぁぁぁん!」

 空の色は今日も青、彼女の涙に濡れた空は青く青く、どこまでも青く、天に昇る彼女の兄のことを歓迎している風にも見えた。


「ラムネ…!あなた…!」

「チカ…?」

 泣いて泣いて、泣き疲れて何とか落ち着いたラムネのもとに現れたのは、チカだった。体中に包帯を巻き付けていかにも重症なチカだが彼女は力強い足取りでラムネの元まで歩いてきた。その瞳にたぎるよくわからない炎に操られるように彼女の足は動き、そしてラムネをとらえた、瞬間彼女の内に秘めていた思いが爆発した。

「ラムネ…!どうしてあなたなのよ!どうして…!」

 この短い期間で聞き飽きたどうしてという言葉、けれどこの時のどうしては何に対しての言葉か俺もラムネもわからずにぽかんとするしかなかった。

「チ、チカ!?どういうことよ!放して…!」

「やめろチカ!ラムネが苦しがってるだろう!?」

 ラムネの首元を思いきり掴み上げたチカ、掴まれた服がラムネの首に締まり苦しそうな息を吐いているにも関わらずチカの手は緩まることを知らなかった。

「かはっ…!やめ…て…よ…チ…カ…」

「やめろって言ってるだろ!」

 苦しそうなラムネを見かねて俺はチカの手に思いきり体当たりをかましてやった。予想外の方面からの攻撃でか彼女の手はラムネから放れた。けほけほと咳き込みながら呼吸を整えるラムネ、彼女の瞳に映るチカはあの命を持たぬ兵隊と同じ存在として認識されていた。

「どうしてよ…どうしてあなたが…ノエルの一番なの…?」

「え…?」

 その言葉に固まったのは俺だけではなく、ラムネもだった。空気が一瞬にして硬直し次の言葉がこぼれるまでがとてつもなく長いように思えた。このまま言葉が続かないのではないかと思うくらいの沈黙だが安心したことにチカは言葉を発した。

「なんで…ノエルは私のことじゃなくてあなたのことをあんなに思っていたのよ!あなたはただの妹!そうでしょ!?」

「待ってよチカ!話が見えない!」

「わかったわ…空っぽな脳みそなあなたでもわかりやすいように教えてあげる…あの人が…ノエルが死んだ時の状況をね…」

 そうして彼女は語りだす、まるで呪いの言葉を紡ぐように。いや、それは紛れもなく呪いの言葉だ、ラムネにとっての。

「ノエルはね、死ぬ前に私をかばってくれた…けど、それだけだった…あの人はね、私のことをかばって生きろって言ってくれた…けど、そのあとの言葉が私には許せなかった…妹のことを、よろしくって…ラムネに会ったら謝っていたって言っておいてくれって…」

「何よ…それ…」

「ノエルはね、自分が死ぬ時まであなたのことを思っていた!私のことなんて一言も言わなかった!愛してたとかも言わなかった!言ったのはラムネ!あなたのことだけ!もっとラムネと一緒にいたかったとかラムネのこれからが心配だとか口を開けばラムネラムネラムネ…!どうして!?どうして私じゃないの!?私がノエルの彼氏だったのに!」

 さらに彼女の呪いの言葉は続く。怒りと憎しみと、涙が混じった声で。

「私と恋人になった後もノエルの一番はラムネだった!何をするにもラムネのことが一番!私が新しい服を着たって髪形を変えたってあの人の目にはラムネのことしか映ってなかった!とんだシスコン野郎よ…ラムネの話なんて飽きるほど聞いた…そのときね、思ったの。この人はたぶらかされてるんだって…妹なのにしつこく兄に迫る淫乱なメス豚にたぶらかされてるんだって…もし妹があんなにもべったりくっつかないなら、ノエルは私のことが一番になるんじゃないかって…だから私言ってやったのよ!あの日ラムネへのプレゼントを選んでるノエルにラムネの友達にも同じものをプレゼントしたらって!そしたらもう私の思い通り!ラムネは怒ってノエルのことが嫌いって言った!けどね…私は失敗した…離れるとあの人はもっとラムネのことを思うようになった…そう、死ぬまでね…」

「お兄ちゃんが…そこまで私のことを思ってくれてたなんて…」

 ラムネの瞳から、涙がこぼれた。それは永遠に兄から聞くことのできないと思っていた答えを聞けたからか、それとも自身の杞憂が晴れたからか、どちらにしろ彼女の瞳に映る涙は目の前の醜い少女のそれとは違っていることは明らかだ。

「何泣いてるのよ…!何嬉しそうにしてるのよ!私は…あなたを許さない!私の好きだったノエルのことを…最後までくれなかったあなたのことを…許さない!」

「危ない!ラムネ!」

 それは刹那の出来事。チカが懐から取り出したのは、ナイフ。鋭く尖り刃がきらりと鏡のように反射して彼女の憎悪に満ち溢れた表情を映した。

「あなたは絶対に許さない…!死ね!」

「やめろ!」

 俺はもう一度彼女の手に体当たりをかますが同じ攻撃は二度も通じないようだ。俺の体は軽くはじかれてラムネの胸元へ吸い込まれる。

(胸元…?おっぱい…?俺は今…おっぱいの中に…?いやいや!俺この状況でおっぱいなんて楽しんでる余裕ないだろ!)

 緊迫した状況、けれど俺の頭の中はおっぱいのことでいっぱいだった。どういうことかわからない、けれど本能がおっぱいを求めてやまない。気が付けば俺はこんな状況だというのに、おっぱいをパフパフしていた。

「ちょっとメリー!?な、何やってるの!?」

「わけのわからない人形とともに死ね!ラムネぇぇぇぇぇぇ!」

 ぐしゅり、静寂の中、響いた生々しい肉のえぐれる音。血が噴き出して地面にぼたぼたと零れ落ちる。ナイフを持つ彼女の手は真っ赤に染まり顔は憎悪を浮かべたまま固まり動かない、いや、動けなくなっていた。瞳だけは何とか動かせるようでその二つの血走った眼は化け物でも見たかのように驚きと恐怖で見開かれていた。

「ど、どうして…なんで…何が起こったのよ…!?」

「え…?私…何とも、ない…?」

「いってぇな、おい…何してくれんだよ…綿が飛び出ちゃうじゃないか…あれ…?綿…?なにこれ…あったかい…」

 俺の体に感じた違和、俺は視界を下げて気が付いた。俺の体から零れ落ちるのは綿ではなく、血だ。人間の肉体に深々と突き刺さるナイフ、もう少し刃がデカければ綿が飛び出しているところだったが、何とか出血だけでおさまっているようだ。

(なんで俺…人間に…?)

 チカにとっては目の前に急に男が出てきて驚きだが俺だって驚きだ、何せ急に前触れもなく元に戻っているのだから。インスタント説はこれで否定されたわけだが、どうして戻ったのか心当たりもない。けれど今は考えることが億劫だ。血を失いすぎたみたいだ。遅れてやってくる痛みも相まって俺の視界はだんだんと闇へ途切れていく。

「けど…このままじゃ寝れないよな…」

 俺の腹から引き抜かれようとする刃を、ぎゅっと握った。手に血が滲むのもかまわずに俺は握る、悲劇のヒロイン気取りの少女に、俺の大切に思っている少女が殺されないために。

「メリー!?」

「ラムネ!俺のことは気にしないで…こいつを早く!」

「う、うん…!」

 そこからは視界も意識もぐらつきはっきりとはおぼえていないが、何とかラムネがチカを取り押さえたのを見届けるように俺の意識はその座から引きずり降ろされた。


「お前はまた他人に希望を与えた。まるでそうすることが自分の義務であるというように」

 眠る意識の中、また声が響く。暗闇にいるといつもそうだ、起きていても寝ていても、それに関係なく闇の中では声だけが響くのだ、あの時失った彼の声で響く。

「お前はあの子に希望を与えた。けれど結果はどうだ?その希望は無残にも踏みつぶされてしまった」

 確かに声の言うとおり、俺はラムネに希望を与えた。仲直りの手助けをして彼女の中に巣食っていた暗い部分を取り去ってやった。けれど結果はどうだ?彼女は希望を手にしたまま、その希望を投げる相手を見失った。手の中の希望はやがてドロドロに腐り絶望へと姿を変え彼女の心を苛んだ。

「お前は助けたつもりでいるが、それがどういう結果を生むか知らない。あの少女の仲間だってそうだ。お前が助けたことで生まれた希望が今はどうだ、絶望に染まっているだろう!お前は人を幸せになんてしない…つかの間の幸せな夢を見せ辛い現実に引きずり落とす悪魔なんだよ!」

「俺が…悪魔…」

 その言葉に、俺は反論することができなかった。俺は、いつもそうだ。人を助けようと必死になる。それは初めはいい方向に傾くがやがて絶望へと染まっていく。俺の行動は常に裏目に出る、良かれと思った行動も、無意識の行動も。

「お前のような悪魔は誰とも関わらずに社会の隅で膝を抱えてるのがお似合いなんだよ!」

 あの絶望の日々のように、俺はまた現実から逃げ出すのか。痛みも何もない世界の隅に逃げ込んで、自身の都合のいい世界を映すただの1と0の集合体に縋り付くのだろうか。

「嫌だ…」

「あ…?」

「そんなのはもう…ごめんだ!俺はもうあの日の俺じゃないんだよ!」

 俺は叫んだ。いつもなら抵抗もせずに受け入れていた言葉の羅列に、ついに牙をむいた。

「あぁそうさ!確かに俺は悪魔かもしれない!人を不幸にするかもしれない、いや、もうしてしまったのかもしれない…けどな!俺は諦めない…お前の時のように、俺はもう諦めたりしない…絶望?知るかよ!そんなバッドエンドは俺が書き換えてやるよ!」

「はんっ…そんな夢物語、どの口が語るか!」

「たとえ夢物語でもいい…俺は決めたんだ…あの子たちを幸せにするって…そのためなら絶望だって乗り越えるさ…それにお前は知らないかもしれないけどさ、主人公の前には必ず絶望っていう名の大きな壁が立ちはだかるんだよ。それをどうにかして乗り越えるのが主人公の…いいや、ヒーローの役目なのさ」


「メリー!?よかったぁ…ちゃんと生きててくれた…」

「…ったく…人を勝手に死人扱いするなよ…いてて…」

「駄目だよ!まだ治療したばっかりなんだから!動かないで、傷が開いちゃうよ?」

 目を覚ました俺の瞳に映ったのは心配そうな顔を浮かべたラムネ、なんだか彼女の顔を見ただけで心が落ち着く。俺は彼女に支えられて横たわっていたベッドから何とか上半身だけを起こした。見渡した部屋は女の子らしい装飾、どうやら寮のラムネの部屋みたいだ。

「俺は…どれだけ眠っていた?」

「う~ん…3時間くらい?」

「そっか…」

 そういえばまだ人の姿のままだ。体の懐かしい感覚を探りながら凝り固まった筋肉を傷口に無理ないようにほぐしていく。

「えっと…俺の傷って、どうなんだ?深いのか?それにチカはどうしたんだ?」

「ちょっと待ってよ!一気に質問しないで!頭が混乱しちゃう」

「あ、ごめん…」

「えっとじゃあ一つずつ…メリーの傷はたいしたことないよ。確かに深いところまでナイフが刺さってたけど内臓は奇跡的に無傷みたい。だからちょっと縫うだけで大丈夫だってさ」

「そうか…」

 俺はほっと一息つき傷口をさする。包帯越しでも少し痛んだがとてもというわけではなくラムネの言っていることも本当だろう。

「チカは、捕まったよ。殺人未遂…これからどうなるかはわからないけど…たぶん処罰はあんまりないんじゃないかな。あの子の実力は戦いに必要だからね」

「ラムネはさ、チカのこと、恨んでないか?」

「私が?ううん…恨むなんてこと、私がしちゃいけないよ…私はあの子に一番を奪われたって思ってたけど、そうじゃなかった。あの子はずっと一番になりたくて、一番になったふりをして、苦しんでた…私っていう一番のことがどうしようもなく嫌いでたまらなくてしちゃったこと…それは許されることじゃないけどさ、それでも私が恨むなんてことはやっぱり何か違うんじゃないかって思うの…」

 ノエルの中の一番、彼女らの思いの交錯、様々な思いが複雑に絡み合って起こった今回の事件。少女たちはただ願っただろう、愛する人の一番になることを。けれどもうその愛する人はこの世にはいない、この先彼女たちはどうやって生きていくのだろうか、なんて俺が想像しても意味もないこと。俺がすることはただ一つ、ラムネのことをノエルの代わりに支えてあげるだけだ。

「ラムネ…今日から俺をノエルだと思って甘えてくれてもいいからな」

「は?なに言ってるのメリー…お兄ちゃんは一人!代わりはいないよ…それにメリーはなんかお兄ちゃんとは思えないの…言葉で言い表せないけど…なんだろ…お兄ちゃんとは違う特別な何かって感じかな」

「特別な何か、か…」

 なんとも曖昧な表現、けれど俺の心はなんだかそれだけで満たされたような気がした。

「そうだ、一つ報告があって…私たちのことが落ちこぼれから期待外れにランクアップしたよ!」

「元気に言う報告かよ、それ…てかランクアップどころか下がってる気もするし…」

 そんな報告いらないよ、なんて笑いあうも訪れた無言。しばしの無言がお互いの空気を気まずいものに変化させる。その空白の静寂に耐え切れなくなったのはラムネだった、彼女は思い出したように声を上げる。

「あ、そうだ!ねぇメリー、あの時なんで私をかばったの?」

「あの時?」

「チカに刺されそうになった時だよ!あの時メリーが人間の姿に戻ってびっくりした私は動けなかったんだ、けどね、メリーが私のこと突き飛ばしてかばってくれたんだよ?」

「そうなのか…?あの時は必死で覚えてない…」

 ラムネのピンチに突然の変身、頭が付いていかずに覚えもなかったことだが体がとっさに反応したのだろう。けど一つだけ確信できることがあった。

「無意識だけどさ、俺はラムネのことを守りたかったんだと思う。ラムネの中のヒーローに、俺はなりたかったんだと思う…」

「ヒーロー…?」

「そう、ヒーロー、救世主、正義の味方。まぁ言い方なんてそれぞれだけどさ、俺はそれになりたかったんだよ。今も、昔も…ってこれは前にも言ったか」

「言ったけど…今もなんて話はしなかったよ?」

「あぁそうか…俺、あの時過去形で言ったんだっけか…」

 俺の心に巣食う正義の味方になりたいという呪縛、それが俺に関わる人間のすべてを絡めとり破滅へと導いてしまう。俺の無意識の行動が、すべての引き金となる。

「なぁ…俺の話をさ、少し聞いてくれないか?」

 ずっと内に秘めてきた思いを、俺は吐き出す。俺の内側にたまりにたまった黒い部分を、なぜかラムネには吐き出そうと思った。命を賭してでも守りたいと思った存在だからか、いや、それ以上の何かとなる存在の彼女に、俺は自身のすべてを知ってもらいたかった。

「わかった。けど、話すなら全部話して…今のメリー、とっても辛そうで見てられないの…内側にたまってるもの、全部私に吐き出していいから…」

「ありがとな、ラムネ…」

 俺は語る、自身の過去を。まるで物語を読み聞かせるようにじっくりと一ページずつ丁寧に彼女へと語って聞かせた。


 俺は昔からヒーローが好きだった。何度傷ついても立ち上がり人のために戦う正義の味方が大好きだった。俺はヒーローにあこがれて、将来はヒーローになりたいと願った。

「ねぇお父さん!どうやったらヒーローになれるの?」

「そうだなぁ…」

 俺の父親は警官だった。悪事を許さず街の人たちの平和のために日夜働くまるでヒーローみたいな職業の父親に俺はあこがれていた。幼き日の俺にとって父親はテレビ画面から抜け出てきたヒーローみたいな存在だったのだ。

「良いことをすればいいと思うぞ」

「良いことって…?」

「そうだなぁ…例えば人が嫌がる仕事を進んで引き受けたり、困ってる子がいたら助けてあげたり…」

「わかった!じゃあ俺良いことするよ!」

「けどな、いいことをするには勇気が必要なんだ。困ってる子を助けるのも、悪いことをしている子を止めるのにも、嫌なことを引き受けるのだって勇気が必要なんだ。それだけは忘れるなよ」

 当時の父親のその言葉、俺は理解できなかったが今ではわかる。父さんは俺にこう言いたかったのだ、良いことが必ずしも全員にとって良いことではない、けれどお前は本当に良いことができるのか、と。勇気なんて言葉で俺を舞い上がらせたが父さんが言いたかったのは正義の先にある破滅のことだったなんて、当時の俺の無邪気さではまだまだ知ることもなかった。


 その日から俺の良いことをする日々は始まった。先生と一緒に教室にプリントを運んだり掃除当番でもないのに掃除を手伝ったり、委員長だって何度も経験した。それがヒーローになれる道だと信じ俺は頑張った。その夢は幼い俺の奥底に染み付き今でも拭えない何かとなった。

「陸斗!一緒に帰ろうぜ!」

「あぁ、そうだな、タカ」

 中学に上がるもヒーローの夢は消えない。そんな俺の幼稚な夢を笑わなかったのが大親友の成瀬隆弘(なるせたかひろ)、俺はタカと呼んでいた。

「あ、ちょっと待ってくれ…こらお前ら!壁に落書きするなよ!先生方が苦労して掃除してくれてるんだぞ!」

「ゲッ…変人要だ…逃げろ!」

「はぁ…ったく…いつまでも小学生みたいなことしてるんじゃねぇよ…タカ、悪い、俺ちょっとこれ掃除してから帰るわ」

「まったく…壁の落書きさえ見逃さないとはとんだヒーロー気質なことで。ま、俺も手伝ってやるよ。二人でやればすぐに終わるだろ?」

「ありがとな、タカ」

 タカとは本当の友達で俺が心から信用できる仲だった。自分で言うのもなんだがとんでもないヒーロー気質な俺は学校では変人と呼ばれて少し皆と距離があったが、それでもタカだけはそんな俺ともちゃんと仲良くしてくれた。タカがいたからこそ俺は俺の正義を貫けたんだと思う。


 けれど俺が高校に上がったころ、人生の歯車は狂い始めた。

「おい…お前気持ち悪いんだよ!」

「あんな変人とつるんでるなんてお前も頭沸いてるんじゃねぇのかよ!」

「偽善者の仲間は死ね!」

 タカが、いじめの被害にあった。彼らは俺ではなく、俺の友人のタカを選んだ。けれど俺はそれに気づかなかった、いや、気づけなかった。何か違和感を感じたがタカはそれをすぐに隠してしまい俺には何も言わない。タカは俺に気づかれまいと一人でいじめと闘い続けていたのだ。

 けれどそんなことずっと隠し通せるわけもなく、俺はタカがいじめられていることに気が付いたが、それがすべての引き金となった。

「やめろ!タカをいじめるんじゃねぇよ!」

 正義の味方には強さも必要だ、そう思って筋トレを続けていた俺の拳はいじめていた奴らを屠るにはどうということはなかった。朝飯前、こんなにもあっけない相手にタカはいじめられていたのかと思うと胸糞が悪くなった。

「タカ…大丈夫か?」

 俺はタカを心配して声をかける。いじめっ子どもにぼこぼこに殴られ腫れ上がった顔、その顔がいびつに歪んで俺を見た。その顔は、本来いじめっ子たちに向けられるそれだった。怒りと憎悪にまみれた顔が、俺のことをとらえた。

「タ、タカ…?」

 困惑した俺の間抜け面がタカの怒りに満ちた瞳に映る。

「お前のせいだ…」

「え…?」

「誰が助けてくれって言った!?俺は助けなんてほしくなかった!これに耐えればあいつらは飽きて違う相手をいじめる!俺はそう思って今日まで必死に耐えたっていうのに…お前はそれを台無しにした!」

「タ、タカ…?どうしたんだよ…」

 俺はどういうことかわからずに困惑顔を浮かべるだけ。だってそうだろう、助けた相手に褒められこそすれこんなにも怒り交じりの声をもらうなんて思いもよらなかったから。

「俺はずっとお前だけにはばれないように耐えた!お前に知られれば絶対に助けに来る…そう思ったから!」

「ど、どうして俺が助けちゃいけなかったんだよ…?」

「お前は知らないんだ…いじめられた奴らを助けた先にあるものを…俺は知っている!お前が自己中心的な偽善の心で助けた相手がどうなったのかを!中学一年の時にいじめられていたくらいあいつ!あいつはお前が助けた後もっと酷いいじめにあった…お前にばれないようにじわりじわりと精神的にいたぶられてな!二年に上がってからあいつの姿を見たか?あいつは引きこもっちまったんだよ!」

「そ、そんな…」

「ほかにもあるぞ…お前の偽善的な行動が…中二の時にコンビニで出会ったクラスメイト…あの時あいつは親から預かった3000円の入った財布をなくしたといっていた。お前はあの時快く自身の持っていた大切な金を渡したが本当はそれは嘘だった。あいつは財布なんてなくしていなかった。なくしたふりをしてお前の偽善者の心に付け込んだだけだった!俺はあの時止めたよな?けどお前はそれを振り払った!お前の救いの心はすべて偽善による自己の満足によるもの、そしてその偽善は強者の食い物にされるだけなんだ!」

「そんなこと…全員が全員ってことないだろ…?」

「お前はいいように利用されていただけなんだよ…とっくに気づけよ…お前のせいで周りの奴らは堕落した…掃除もお前に任せればやってくれるからさぼっても良いとかクラスのもめごともお前がなんとかしてくれるからって先生は丸投げにした…そして俺は知っているぞ!お前はあまつさえカンニングの手助けさえした!高校一年の夏休み前のテストの日、補習が嫌だっていうやつにテストの答案を見せてしまった!お前が良かれと思った行動、それは正義ではなく立派な悪!お前は正義とうたいながら悪の種をばらまいているにすぎないんだよ!」

「俺が…悪…?」

「そうさ…お前は悪だ!お前の行動に救いなんてない!俺はきっとあの時のあいつみたいにもっと陰湿にいじめられるんだろう…それも全部お前のせいだ!お前が悪いんだ!」

 叫び声の奥に混じる涙の声に、俺はその時気づくことができなかった。もし気づいていればきっと未来は変わっていたかもしれない。けれどいくらIf(もしも)の話をしたところで過ぎ去った過去は戻らない、哀れな俺の結末は変わってはくれないのだ。


「え…?タカが…死んだ…?」

 あの事件から3か月の後、タカは耐え切れずに自らの命を絶った。前よりも壮絶に、前よりも静かに行われるいじめに彼の心はもう限界寸前だったのだ。そしてとうとう彼は最後の一歩を踏み出した、神に助けを求めるかのように。

「俺が…殺してしまったんだ…タカを…」

 あの日タカから聞いた呪いの言葉、蔑みとともに送られた言葉たちに、俺は絶望した。正義を振りまいた結果がこれだ、後先考えない結果が俺の心を苛み苦しめ世界から色を奪った。葬儀の時に触れてしまったタカの身体の驚くべき冷たさが、俺からすべてを奪った。

「陸斗…学校は…」

「行かない」

「お父さん心配してたわよ…少しでも顔を見せてあげなさい…」

「気が向いたら」

「陸斗…」

 こんな悪の種をばらまく俺は、社会にいてはいけないのだ、そう思った俺は真っ暗な闇の中、4畳半の四角の中に潜り込んだ。そこから俺の地獄は始まった。朝から晩までゲームをする日々、安直な俺の命令で正義を実行する主人公は悪を振りまくことはない、ゲームの中ならば理想の俺となれる、俺はずいぶんとゲームに熱中した。ゲームをしていないとタカの呪いの言葉がよみがえり俺を苛む、酷いときは眠ることさえも妨げたくらいだ。日を追うごとに親が作ってくれた暖かな愛情のこもった料理が喉を通らなくなり気づけばコンビニの大量生産の冷たい食事を好むようになっていた。

 俺の命令が電気信号に変わり0と1でプログラミングされた正義を実行する主人公、俺をむしばむ呪いの言葉、眠れない日々、喉を通らない温もり、俺はそんな生活に耐えきれなくなって、自殺を図った。けれど世界はそう簡単に俺を逃がしてはくれなかった。

「なんでまだ生きてるんだよ…!」

 切っても切っても死ぬことができない、いずれ俺は生きていることこそが罰なんだと思い始めた。本当はSOSを求めていたタカのことを自身の勇気のなさで殺してしまった罰だ、と。


「そこからはもう堕落した日々さ。ひたすらゲームをして過ごして…気が付いたらこの時代にいたってわけ」

「メリー…」

「あぁ、別にお前は同情なんてしなくていいぞ。俺が勝手に話しただけだから。お前はただバカみたいな奴だ、って思ってくれればいいから」

「そんなこと…思えるわけないでしょ…辛かったよね…メリー…私にはその辛さのほんの一ミリも分け合うことができないけど…こうしてメリーを包み込むことだけはできる…メリー…今までよく頑張ったね…」

「あ、あぁ…」

 俺の頬には、無意識に温かな液体が流れ落ちていた。それは俺がずっと耐えてきたこと、耐えて耐えて耐え抜いた悲しみと孤独が今、彼女によって絆されたのだ。それによって俺の罪が軽くなる、なんてことはない。けれども、俺の心にまた温かなものをあふれさせるには十分すぎた。

「ねぇメリー…ちょっと気になったんだけどさ、どうして私たちを助けようと思ったの?メリーが関わったことは全部裏目に出ちゃうんでしょ?その…言っちゃ悪いけど今だって悪い方向に傾いてるし…」

「あぁ、それはな…俺は、その先を求めようと思ったからだ。絶望のその先に浮かぶ希望を、手に入れようと思ったから」

「絶望の先の希望…?」

「あぁ…俺はあの時、諦めてしまった。目の前の絶望に屈してしまったんだ。けどな、タカはあの時俺に助けを求めていた。あの言葉はただ俺のことを罵倒するだけじゃなかったんだ。あの時タカは、俺のことを試していた…自身の正義の本当の在り方を…偽善が勇気によって正義に変わるその瞬間を…けど、俺には応えられなかった…」

「ちょっと待ってよ…どういうことよ、それ…」

「俺さ、思うんだ。タカのあの言葉は俺を試すためのものだって。俺に本当に正義の心があるならば、その正義が偽善ではないならば、勇気をもって俺のことを救って見せろって。救う者の覚悟を、問いかけてきてたんだよ…」

 タカは俺がそれでも立ち上がると思っていた、立ちふさがる絶望に勇気をもって立ち向かうことこそ正義の味方の条件、彼はそう信じていたから。けれど俺は屈してしまった。絶望の前に結末が奪われ、バッドエンドを迎えてしまった。だから今回は違う、世界から乖離された俺に与えられたチャンスなんだ、俺はもう、後悔はしたくない。

「その時の俺は覚悟が足りなかった…けど、今は違う…必ず、どんなことがあってもハッピーエンドまでお前らを、いや、ラムネを導いてやるって…そう思った…不思議だよな…次に目が覚めたらこんなことを思ってたなんて…都合のいい奴すぎるぜ…」

「メリー…ふふ…やっぱりメリーは強いね。もう立派な正義の味方だよ」

「いいや、まだまだだよ…まだお前を助けられていない…ノエルを失った悲しみを、埋めてあげないと…」

「えっとね…そのことなんだけど…もういいの。私はお兄ちゃんの一番だった、それが知れただけでも十分だよ…けどね、もしもあの時メリーに何か言われなかったらきっとこんな気持ちにはならなかったと思う…もっと苦しくて、もっと後悔してたと思う…それにね!」

 ラムネはにっと笑って何かを取り出した。それは兄からの最後のプレゼントになったあの趣味の悪い人形だった。ラムネは笑いながらその人形の腹をぐいっと押した、すると…

『ラムネ、兄ちゃんがいなくても寂しくないか?』

『おやすみ、ラムネ』

『兄ちゃんもラムネに会いたくてたまらないよ』

 人形から発せられるのはノエルの言葉、腹を押すたびに様々なパターンの音声が漏れてそのどれもがラムネのことを思っての言葉だった。

「やっぱりお兄ちゃんは私のこと一番だって、わかったの…お兄ちゃんは私だけにこれをプレゼントしてくれたんだ…見た目はみんなと一緒だけど…中にはお兄ちゃんの愛情がいっぱいつまってた!それだけで十分だよ!」

「そうか、よかったな、ラムネ」

『ラムネ…世界で一番愛してるよ。大好きだ…』

「キャー!お兄ちゃんが愛してるって言ってくれた!愛してるって言われたの初めて!ねぇもっと言ってもっと言って!」

 何度もお腹を押さえるが結局愛してるという言葉はもう人形の口から漏れることはなかった。まるで天国からのノエルのメッセージ、大切な妹を喜ばせる言葉に、俺は自然と心がほっこりとした気がした。

 彼女を救うのは今は兄のノエルに譲るとして、ノエルなしに回るこの先に待ち受ける世界で、俺はこんな太陽のような彼女の笑みを守ろうと、彼の遺した人形に誓った。ラムネの笑顔のある日々が俺にとっての世界そのものなのだから。


「さて…そろそろ疲れちゃったし…寝ようか」

「え…?ちょっと待てって!なんで俺の布団に…!」

「俺の布団?なに言ってるのよ、その布団もともと私のだし」

「あ、そっか…」

 今俺はラムネの部屋で看病されていることを忘れていた。夜も更けもう寝る時間、草木も眠るこの時間、外には夜の帳が深くかかり気温も心なしか下がっている気がする。少し開いた窓から入ってくる冷たい風、それに乗って夜の訪れを喜ぶ虫たちのささやかな合唱会が聞こえてくる。

 けれど今の俺にはそんな風情あるものを楽しむ余裕なんてなかった。

「や、やめろよラムネ…!布団に入りたいなら俺が動くから…いてて…」

「怪我人はベッドで安静にしてなさい」

 無理やり布団に入り込んできたラムネにドギマギとしてしまう。女の子のいい匂いがすごく近くで感じる。人形の時ラムネに抱きしめられることが多かったが、生身の体で触れ合うとそれはそれでまた別の趣というか興奮というものがある。ポカポカする温かさにどくどくと脈打つ鼓動、生々しい吐息が俺の感覚のすべてを刺激する。

「せめてほかの奴の部屋に行くとかさ…ないのか?」

「メリーが人形に戻れば一件落着なんじゃない?」

「あ、そうか…っていやいや!戻り方もわかってないんだぞ!」

「そうなの?自分の好きな時に戻れるとかじゃないんだ」

「当たり前だっての。そんな都合のいい体なら苦労してないよ」

「ま、そうだよね」

 あっけらかんと言い放つラムネだが俺は彼女のようにあっけらかんとすることもできない。女の子と一緒に寝るなんてことは引きこもりライフで人生を棒にふりかけた俺にとっては経験なんてあるわけもなく、ドキドキとして死んでしまいそう。この心臓の鼓動がラムネにばれているんじゃないかと思ってしまうが彼女はそんなのお構いなしか瞳を閉じ始めていた。

「待て待て待て!そうだ!布団をもう一つ敷けば…」

「この部屋にそんなスペースはないよ…おやすみ…むにゃむにゃ…」

 その言葉を最後にラムネは気持ちよさそうな寝息を立て始めた。もう完全に眠ってしまったようだ。そりゃ今日は様々なことが起こって彼女も疲れてるだろうからすぐに寝付いてしまうのは仕方ないが、せめて俺のことをどうにか気を使ってほしかった。というか今の俺は人間の男なのだ、ただの人形じゃない。もう少し危機感というものを持ってほしいものだ。

(はぁ…なんだよ、こいつ…もう…)

 俺はため息をつくと同時に、自身の心の中にある寂しさにも似た感情に気が付いた。自分はどうしてこんな気持ちになっているのか、わからない。自身に問いかけてみてもわからない感情は俺の奥底でわだかまりを生み、やがて全身を支配していく。そしてそれは俺の中に渦巻く欲望とぐちゃぐちゃに混ざり合いとんでもない衝動を俺に植え付けた。

「ごくり…」

(今ラムネは眠っている…ということは…俺の好き勝手にしても…いやいやいや…ちょっと待て!俺どうしちゃったんだよ!エロ同人の読みすぎか!?)

 胸元が大きく開いたかわいらしいパジャマ姿のラムネ、警戒心も何もなくただ安らかにぐっすりと眠っているその姿に、いつもの彼女とは違う劣情を俺は抱いていた。俺は、彼女のことを…

「す、少しだけ…なら…」

 俺は今、最低なことをしようとしている。ヒーローにあるまじき行為、寝ているラムネの、おっぱいを触ろうとしている!きっとヒーローなら勇気をもって自身の欲望を抑えつけたのだろう、けれど俺の中で生まれた邪悪な勇気は彼女のその豊満な果実をもいでやろうと必死だ。

(やめろ俺…!最低な行為だぞ…!)

 頭ではどれだけそう思っても体は俺の制御から外れラムネの胸元へと手をもっていっている。もし誰かがゲームの主人公のように俺を操っているにしても悪趣味すぎる。

「あ…触っちゃった…柔らかい…」

 頭の中で盛大な葛藤と言い訳がぐるぐると回っている間に俺の手は柔らかな双丘を揉みしだいていた。手の平でむにゅむにゅと形を変える柔らかな女の子だけの部分、おっぱい!俺は今、ラムネのおっぱいを…

「ん…メリー…」

「!?」

 ラムネの口から声が漏れた瞬間俺は全身の血の気が一瞬で引いた、それと同時に手は驚くべきスピードでおっぱいを離れていく。名残惜しさなんて感じる暇もない、俺の全身を支配する後悔と罪悪感、そして流れるは走馬燈。

(母さん、父さん、ダメな息子でごめんなさい…息子が性犯罪をおこして死ぬことを許してください…)

 けれどどれだけ待ってもラムネの粛正は訪れない。恐る恐る彼女のほうをうかがってみるとどうやら寝言のようだ、目はしっかりとつむられすやすやと規則正しい寝息をこぼしている。俺はほっと胸をなでおろして彼女のほうを向く。

 もうおっぱいへの欲望は沸いてこなくなったが、次に沸いてきたのはもっと危ない欲求。

(ラムネの唇が…ほしい…ラムネと…キスをしたい…)

 もはや病気のように俺はラムネを欲していた。その欲求は厄介で理性までもが支配され俺は無意識に意識的にラムネの唇へと吸い込まれていた。

「ラムネ…」

 やばいと思ったが欲求を抑えられなかった。そんな言い訳なんて通用するわけもなく、俺は彼女の唇へと…

 その瞬間だった、俺の視界がまたも縮んでいく。体の感覚もどこか遠くなりやがて俺の体は綿に支配された。

(はぁ…やばかった…)

 ベストタイミングというかバッドタイミングというか、どちらともつかない感情のまま俺の体はまた人形に戻ってしまった。あの時抱いていた欲望も薄れたが俺の中では疑問が生まれた。どうしてラムネをあれ程までに求めてしまったのか。どうしてラムネとキスをしたい、なんて思ってしまったのか。

 答えなんて知っているくせに、俺の頭の中で自身を嗤う声が響く。

(あぁ、そうさ…俺はこの気持ちを、知っている…けれど、本当にそれがこの気持ちだなんて、俺は認めたくない…)

 もし認めてしまえば楽になれる、けれどその先に待ち受けているものが俺は怖くなった。絶望に立ち向かうとか威勢のいい言葉を吐いたものの、俺の前に塞がるこの壁を超えることは今の俺にはできなかった。壁、といってもとても低く少しジャンプすれば飛び越えられる程度のほんの小さな壁、けれど俺はそんな壁の前で足踏みをしている。

 恋、というどうしようもない壁の前では俺の正義の心も無意味だった。

(俺はラムネのことが…)

 初めてこの気持ちに気づいたのはいつだっただろうか、俺は気が付けばラムネのことが好きになっていた。どんどんと膨らんでいくこの気持ち、守りたいと思うと同時に愛おしくて壊したくなる矛盾を孕んだ感情。俺がこの感情を認めてしまえばもう今の関係でいられなくなる、今の心地よい関係が壊れてしまうのを、俺は恐れているのだろうか。

 いろいろなことが頭をよぎっては消えていく。結局俺はどうしたいのか、自問自答を繰り返した夜は明け朝は訪れる。朝のすがすがしい日差しに照らされたラムネの姿は、いつもより輝いて見えた。


「はぁ…結局あの負けで寮の移動もなしになっちゃったし…ほんと最悪だよ」

「なんかボク、自信なくしちゃいました…」

「私もだ…くっ…殺せ…」

「お菓子…おいしく感じない…やっぱり…ショックだったから…?」

「落ちこぼれって言われるのはまだよかったけど…期待外れっていうのは堪えるね…」

「みんな…」

 負けを痛感して一週間、けれど皆の心から敗北のショックは消えることはなかった。これまでの快勝もあいまってか、やはりあの記録的敗北の経験は軽く乗り越えられるものではなかった。

「ほんっとに何なのよあの日の戦いは…!なんで敵があんなところで待ち伏せてるのよ!」

「ラムネ先輩も待ち伏せに違和感を覚えたんですか?実はボクもなんです…あの伏兵は戦術としてはおかしすぎます…たとえ戦術の素人でもあそこに伏兵を置くなんて考えられません…」

「そういえば…一度メリー君からの指示で進路を変えたのだがそれを予測したように相手が回り込んできたときがあったな…」

「ショコラも…それ、あった…まるで…メリーちゃんの指示…先読みしたみたい…」

「先読み…すると相手はメリーと同じ、いや、それ以上の実力を持つ戦術家だったと考えるのが妥当か…」

「まぁ確かにみんなの言う通り相手が俺よりも実力が高かったと考えるのは普通だろう…俺が生きていた時代にも人間の頭脳よりも賢いコンピュータがあったんだ。相手もそれに似たようなものを使っていたと考えられるが…」

 将棋やら囲碁はその筋のプロでも倒せないほどのプログラムが完成された、戦術に関しても同じようなプログラムができていてもおかしくはない。けれど本当にそれで片付けていいのだろうか。俺の頭の中にはある仮説が浮かんでいた。

(もしかすると…裏切り者がいる…?)

 けれどそれは口には出せない。確信のない裏切り者の存在は仲間内で疑心暗鬼を引き起こすこととなる。ただでさえ敗北のショックで彼女たちのポテンシャルは落ちているのに俺が適当なことを言って追い打ちをかけてはいけないだろう。

(けれど…やっぱり裏切り者は、いる…あんな負け方、戦術が相手サイドに漏れていなければできるはずがない…)

「メリー?どうしたの、そんな思いつめたような顔して…」

「あ、いや、別に何でもない。気にしないでくれ」

「そう…?」

(そうだ、まだ仮説の状態だ…俺たちのチームの中に裏切り者がいるとも限らない。疑わしきはあの作戦に参加した全員、いや、俺の指示を受け取った全員だ)

 ラムネたちに勘繰られないように俺は表情をいつものように整え彼女たちとの何気ない日常話に潜り込んでいく。

「そういえば…クロには確か妹さん、シロちゃんだっけか、がいたよね…元気なのかな?」

「え…?ど、どうしてそんなこと聞くのかな…?」

 マリサの一言にクロが少したじろいだように見えた。けれど次の瞬間にはいつものクロの仮面が彼女の顔にべったりと貼りついていた。

「いや…ほら、心配してるんじゃないかと思ってさ」

「心配…?」

「あぁ、姉が負けたとなればやはり心配するものだろう…それにラムネのように後悔する前に、一度会いに行ってはどうかな?」

「そ、そうね…そうしてみるわ…」

「確かクロ先輩の妹さんってとってもかわいかったような…あぁ…久しぶりにボクも会いたくなっちゃいました。会いに行くっていうより連れてきたほうがいいんじゃないですか?先輩方も会いたいですよね?」

「ショコラ…あの子、好き…一緒にお菓子…食べたい」

「えっと…それじゃそのうちに…」

 こうしてクロの妹の話題は終わったのだが、やはりどこかいつものクロとは様子が違うように見えた。俺の、気のせいだろうか。裏切り者がいるという状況で少し過敏になりすぎてしまっているのかもしれない。

(けど、一度クロには話をつけないといけないかもしれないな…前の銃弾の件も結局話せてないし…)

 と、俺がそう考えた瞬間だった。突然に鳴り響いたクロの端末、一瞬びくりと肩を震わせた彼女は恐る恐る通話ボタンを押した。

「はい、こちらチームジャンヌダルクのクロ…はい…はい…わかり、ました…」

 クロの顔からおおよそ表情といえるものが一切消え去った。彼女はただの無表情で声に絶望を孕ませて言った。

「出撃命令よ…奴らが攻めてくる…しかも、今まででは考えられないくらいの大軍で…」

「は…?どうしてこのタイミングで…いや、違う…こんなタイミングだからこそ、か…」

「メリー!何一人で納得してるのよ!」

「あの侵攻作戦の時に俺たちは戦力を一気に集中させすぎた。そのせいで主力のほとんどは全滅、生き残った人数は3割にいくかどうか…つまり俺たちには今兵力が足りないんだ!」

 敗北の後形勢を立て直す間もなくの進軍、いや、違う、これは仕組まれたシナリオだ。すべてが裏切り者によって仕組まれた壮絶なバッドエンドへ向かうシナリオだったのだ。

「くそ…!そういうことか…俺たちは…手の平の上で踊らされていたってわけかよ…!クロ!出撃はいつからだ!」

「今日の夜には指定されたポイントについてないといけない。開戦は明日の朝よ」

(裏切り者を探す時間も与えてくれないってわけか…!くそ…!)

「よし…わかった。みんな、行くぞ…くれぐれも、死ぬなよ…俺が戦術で守ってやるが、どうなるかわかんねぇ…この前みたいなことが起こる可能性もある…少しでもおかしいと思ったら逃げてくれ…俺の命令に命を投げうたなくてもいいから…」

「はぁ…メリーってば…私たちにはメリーしか頼れる人はいないんだよ?私たちのことを導く立場なのにそんなに弱気でいいわけ?」

「はは…そうか…わかった。お前らの命、この俺が全部預かった!お前らを…勝利の先に導いてやるよ!」

「それでこそメリー!」

 こうして俺たちの最大の戦いは始まることとなった。皆の闘志は最高潮、敗北で沈んでいたとは思えない空気だ。けれど、クロだけが浮かない顔を浮かべているように見えたのはやはり俺の気のせいだろうか。


「これはどういうことなんですか!」

『どういうこととは、なんだ?』

「これこそ私に対しての裏切りではないでしょうか!」

『裏切り…?はて…何のことやら…くくく…』

 無線越しの男の声がまたも愉快そうにゆがんだ。少女は声を荒げる。

「私は命令通りに動いた!なのにどうして…もしかしたら私、死ぬかもしれないんですよ…!」

『好きに死ねばいいさ。貴様が言っていたのは妹の命のことだ。それに俺も言ったぞ、妹には手は出さない、と』

 話しているだけで少女の心は怒りと殺気によって掻き乱される。もしも今無線の男が目の前にいればすぐ様にでも首根っこをかき切ってやりたい衝動に駆られる。

『くくく…俺は命令は守るぞ…お前の命は…そうだな…働きによっては考えてやらなくもない。生きて妹と会いたければ貴様は精いっぱいの役割を果たせ』

「わかりました…」

 その言葉を最後に無線が切れる。無線から音が聞こえなくなると同時、彼女はぎゅっと力を込めて無線機が壊れてしまうのではないかと思うほどに握りしめた、忌々しい相手の名を呪うように呟きながら。

「クソ…要陸斗…私がこの手で殺す…シロを助けたら、絶対にだ…」



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