第2話少女との日常、そして争い

「さて、それじゃお勉強の時間だ。まずキミが生きていたのは西暦2016年、今から約100年前のことだ。メリーが暮らしていた時代から50年くらい進んだ先、2070年、世界はアリアによって救われた」

 俺は綿のつまった足で起用に正座し目の前の講師、クロの話をじっくりと聞く。

「2070年までに何が起こったか、それは文献があまり残ってないから定かではないけど…環境破壊、テロリズムの増加、国交のねじれ、不況、様々な要因が絡みに絡み合って世界は未曽有の大戦争に襲われたという…その戦いの激しさを表してるのが、キミも見たあの東京タワーだ。あれは西暦の時代の残すべき遺産として今もあそこにいるんだよ。ま、勉強不足のラムネはあんまり知らないと思うけどね」

 現代でも起こっていた問題がさらに増加してそれが世界レベルにまで爆発して世界は崩壊しかけた、俺はそう考える。真実は闇の中だろうが想像するのは難くない。どうせ自国のプライドを懸けた人間同士の争いになにも知らず武力も持たぬ平凡な人間が巻き込まれたのだろう。

「滅びに向かう世界、そこに現れたのがラムネやショコラのような獣の耳を付けた人間、新人類よ。人間は種の保存のために屈強な獣の力を借りることを決め実験を始めた」

「つまりラムネたちは人と動物を交配させて作ったってことか?」

「そうね、あの子たちの遺伝子にはそれぞれの耳に際した動物の遺伝子が紛れている。遺伝子実験で生まれた新人類、けれどね、それは失敗作だったの」

「失敗作…?」

「そう。科学者たちはもっと獣のように屈強な人間を作ろうとしたけど受け継がれたのは中途半端な力。ほんの数分しか動物の力を解放できないあまりにも使えない新人類は廃棄されることとなった。けれど、彼らの中から反乱を起こしたものがいた、それが救世主アリアよ」

 勝手に作られて都合が悪ければ廃棄される、まるでSF小説のモンスターのようだ、なんて俺は思った。

「アリアは世界の平和を願い戦った、もちろん武力は使わずにだ。彼女らは人間の心を相手に戦った。自身らの残酷な処遇を、世界に広がる日常的悪夢にうなされる子供たちのことを、更地と化す都市、愛する者を失った涙、様々なことを彼女は語り、そして世界は彼女の望むように傾いていった」

「そして戦いが終わったのが2070年、そこからアリア歴が始まったってわけか?」

 俺の先走った答えにクロはうなずく。

「そこから世界には廃棄を免れた新人類があふれたの。新人類の実験はアリア歴が始まってから行われる事はなかったが、彼らは旧人類との交配でも生まれる。どんどん新人類があふれていき今では世界の半数が獣耳持ちだ」

「獣耳好き大歓喜な天国のような世界だな」

「世界は先の争いの原因をことごとく排除していった。その主なものが環境破壊に対するものよ。さすがに環境破壊は完全修復ができないけど遅らせることはできる。こうして機械文明の時代は終わりを迎えたというわけね」

「あれ?でも端末や無線機なんかはあるよな?それにこの部屋には電気が通っている。機械文明が廃れたなら無くなっていてもいいはずじゃないのか?」

 俺は天井でちかちかと点滅を繰り返す光を放つ蛍光灯を指して言った。

「もちろん完全になくすには人類は利便性を追求しすぎた。だから一部だけを残すことにしたんだよ。必要なものを必要な分だけ、それをモットーにね。そのおかげで一部の機械によって私たちの生活は支えられてるってわけ。で、その機械のほとんどはロシアや中国といったアジアの方で生産されていた。ほかの国は機械を作るための鉱石や燃料を費用にして機械を買っていた」

「なるほど…」

「世界は平和に回り始めた。争いもなく環境汚染も緩和されたこの世界、新人類と旧人類が手を取り合って優しい未来を創ろうとするこの世界が終わってしまったのは、つい5年前の出来事よ」

 急にクロの瞳が鋭くとがった。その瞳はぎらぎらと俺の奥にある見えない何かを睨んでいるように思えた。

「急にロシアは燃料や鉱石を求めて戦いを起こした。さっきも言った通り燃料は他国との交換でもらえば済む話だ。けれど奴らは侵略行為に走った。それは自国の経営が成り立たないという理由からだった。これまでの国交で赤字が続いていたのがついに爆発したのだろう、ロシアは過去の戦の時代の汚れたな、ソビエトへ名前を変え世界中に宣戦布告を行った。ただそれはソビエトが求めていたモノを持つ国だけであって私たちの国にはろくに資源もないから戦火からは免れた」

「いや、待て…じゃあどうやって機械と交換していたんだ?あいつらが欲してたのは燃料とかだろ?」

「燃料だけでご飯が食べれる?私たちは代わりとして食料を提供していた。けどそれは備蓄があったからか私たちの国は標的にはならなかった、3年前まではね…3年前、日本海沖で石油燃料が掘り起こされてしまった。本当にたまたまの出来事の積み重ね、たまたま沖を通った船がたまたま石油を発見して、それがたまたま今まで誰も見つけていなかった油田だったってだけ。そのせいで私たちも標的にされてしまった」

「そこからはラムネに聞いた。ホッカイドーが侵略されてどんどん南下して今ではここが最後の砦だって」

「そう…国の男たちはほとんどが戦場で死んでしまった…女性と学生の参戦が政府から発表されたのが大体1年くらい前ね。その時に私たちのチームは出来上がったのよ、学校が軍事学校に名前を変えた時にね。私たちは同じ学校の生徒だったけれどチームを組んだのよ、革命を願う平民の乙女、ジャンヌダルクとして、ね」

 はぁ、とため息をつくクロ。どうやら一通りの講義は終わったらしい。俺も張りつめていた集中の糸を切るためにくいっと伸びをした。きっと背骨があればバキバキと心地よい音を鳴らしただろうが今は内側の偏っていた綿が均等に戻るだけ、気持ちいいと言えば気持ちいいのだが人間の時のあの感覚よりはあんまりだ。

「日本政府はさ、なんでまだ戦ってるんだ?ほとんどの男が死んだなら降伏すればいいのに…」

「メリー、そんなことを街で言ってみな?たとえ人形だろうと永遠に頭と体がバイバイしちゃうよ?」

 クロの声音は決して冗談を言っている風には聞こえない。それ故さらに質が悪い寒気が俺の背を襲った。

「ま、ソビエトに侵略された国の末路を知ってれば誰だって降伏はしたくないって思うのが普通よ。負けたが最後自国の資源が空になるまで労働させられる…もちろん国民全員、大人も子供も老人も、誰だって平等にね。しかも朝昼晩休まずよ」

「うっはぁ…ブラック企業だなぁ…」

 俺が軽口を叩けるのは現状を見ていないから。きっと現実を見てしまえば言葉すら出なくなるだろう。

「ま、そういうわけで今日の授業は終わり!う~ん疲れたぁ…ってもう夜の8時じゃない!お腹空いたなぁ…ちょっとみんな!今日の晩ご飯当番誰よ!?」

 クロの叫びが薄い壁を越えてほかの少女たちの部屋を震わせる。

「今日の料理当番はショコラだよ!」

 帰ってきたのはラムネの声、やっぱり薄い壁に反響してまる聞こえだ。きっと冬場はこの壁のせいで相当寒いだろうな、なんてことが頭に浮かんだが関係ないことなので頭の隅へ。

「メリー…来て早々で悪いけど…今日のご飯、覚悟した方がいいよ…あれ?でも人形だから味覚は…いやいや、あの時ショコラの飴舐めて甘いって言ってたから味覚はあるわね…だったら本当に覚悟して…私たちのチームで一緒に戦うってことがどういうことか、教えてあげるわ」

「おいおい食事一つで大げさだろ?その言い方からしてショコラの料理はあんまりおいしくないとみた。まぁ少し不安だけど…そこまで覚悟してかかることではないだろう?」

 なんてことを言ったつい10分くらい前の自分を全力で殴ってやりたい。いや、殴るだけじゃ足りないから蹴り飛ばしてやりたい。俺が食卓について見たモノ、それはまるでこの世の食べ物とは思えないゲテモノぞろいだったのは言うまでもない。

「えっと…ショコラ…?今日の料理…何?」

「ん…チョコカレーライスにクッキーのてんぷら、後はプリン風茶わん蒸し」

 チョコカレーライス、ご飯にカレールーみたいにドロドロのチョコレートがかかってるだけ。クッキーのてんぷら、何もしなくてもサクサクなクッキーがさらにサクサクとし香ばしすぎる油の回った胃もたれするにおいを発する塊に。プリン風茶わん蒸し、プリンの生地に茶わん蒸しのだしを入れて蒸しあげた禁断の蒸し料理。

「ねぇラムネ…マリサとミントは…?」

「部屋にこもってる…あの子たち賢いから非常食持ってるんだよ…」

 うんざりと答えるラムネ、食卓に着かないという賢い選択肢ができるほどこの二人は非道にはなれなかったようだ。元来の優しさが邪魔をしてバラエティ番組でも見ないほどの罰ゲーム料理を平らげる、なんとも優しく涙が零れ落ちる性格なのだろう。

「じゃあ俺はその優しさに便乗してラムネたちに料理を譲ろうかな…」

「ちょっと待って、メリー。どこに行くのかな?」

「もしかして、私たちだけでこれを平らげろ、とは言わないよねぇ?」

 背後に感じるラムネとクロの悪魔の視線。振り向いたらきっと俺は石にされるどころかこの拷問的料理を腹いっぱいに押し込められるのだろう。それならば料理を食べなくて済む石になった方が1000倍マシである。

「お、俺急にお腹が痛くなってきたなぁ…食べたいのはやまやまだけど…この腹痛じゃ食べれないなぁ…」

「ねぇメリー?お腹痛いなら私が治してあげようか?そのお腹にたまってる綿を均せばいいんだよね?ご飯の前に腹パンはいかが?」

「いや、そんな前菜みたいなノリで腹パンはいらないから!」

 必死に逃げる俺とそれを追いかける悪魔二人。俺は悪魔から逃れるのに必死で気づかなかったが思わぬところから伏兵というのは現れるものだ。

「むぐっ!?」

「はい、メリーちゃん。ちゃんと食べないと大きくなれませんよ~…ほら、もぐもぐもぐ…おいしいねぇ。おいしいのはいっぱい食べないといけないよねぇ」

「うぐっ…うぇ…」

 俺の進む先に待ち構えていたのは悪魔より恐ろしいチョコカレーが乗ったスプーン、もちろんそれを持っているのはショコラだ。無垢なショコラはそれを俺の口へとまるでおままごとの人形にご飯を食べさせるように無情に無理やりねじ込んだ。無垢とは罪である、この言葉を放ったのはいったい誰だったか。吐きそうなほどに甘く煮詰められたチョコレートとお米本来の天然の甘さが口の中で爆ぜ、その先のことは全く記憶になかった。


「ごめんねメリー…ショコラにも悪気はなかったっていうのは覚えておいてほしいな…」

「あ、あぁ…それは俺もわかってる…」

 あの恐ろしい料理を食わされてからかれこれ1時間、俺は気がつけばラムネの部屋のベッドにいた。彼女はすでにお風呂に入っていたらしく湯上りでほんのり上気した肌に髪からふんわりと香るシャンプーの匂いが俺の興奮を誘った。

「ほんとあの子ってば無類の甘いもの好きだからさ…」

「甘いもの好きもあそこまでこじれるともうな…」

「うん…そうだ、メリー、お腹空かない?」

「確かに空いた…」

 一口食べてギブアップしたから腹の虫は満足いかないという風に暴れまわっている。体の内側はすべて綿だというのにどういうわけか胃が騒いでいるのだ。

「それじゃミントの部屋に行こうか。あの子なら食べ物持ってるだろうしさ、それにゲームもあるし。親睦を深めるためにも一緒に遊ぼうよ」

 時間的には夜の9時を少し過ぎたころ、俺たちくらいの年代の子供にはまだ寝るには早すぎる時間、むしろここからが本命の時間帯だと言ってもいいだろう。俺は二つ返事でミントの部屋へ連れられていった。

「あ、ようこそラムネ先輩、それにメリーちゃん。どうしたのかな?」

「ごめん、ミント…食べ物、分けてくれないかな?メリーにはショコラの料理はきつすぎてさ…」

「そういうことならいいですよ。どうぞあがってくださいよ」

 人当たりの良い心地よい笑顔を浮かべたミントに連れられ部屋に入った俺は驚いた。そこには見たことのある物がたくさん置いてあったから。

「ミントの部屋っていつ見てもすごいよねぇ。こんなに昔のもの集めてるのってミントだけだよ」

 ミントの部屋は昔のもの、いや、俺が過ごしていた時代の物がたくさん置いてあった。本棚にはラノベがつまっているし、どういうわけかポストやらお店のノレンなんかも置かれている。用途はどうあれ俺はこの世界に来て初めて親近感を持つものに出会えた気がした。

「だってみんな可愛いじゃないですか?この赤いのだって正面から見たら顔みたいで可愛いですし、ほら、このカエルさんだってかわいいでしょ?」

 最近見なくなったが薬局の前に置かれているカエル人形を愛おしそうに撫でるミント。俺にはその可愛さはわからずにただ首をすくめるだけ。

「あとさ、久しぶりにゲームしようよ!今日はメリーも入れて3人で勝負だよ!」

「ゲームいいですね!それじゃ何にします?レース系?パズル対戦?それとも格ゲーですか?」

「俺は何でもできるぞ。まぁ得意ジャンルは戦術シミュレーションだけどさ」

「戦術シミュレーション?」

 首をかしげるラムネに俺は説明する。

「まぁ簡単に説明すると戦争ゲームさ。自軍を勝利に導くために自分自身が戦術を立てて兵士たちをフィールドに配置していくってやつ。ま、一人プレイが基本だけどな。ミント、俺はさっきも言った通りどんなジャンルもオッケーだ。どんとこい!」

「じゃあ片っ端からやりましょう!あ、お菓子用意してきますからラムネ先輩はゲームの用意しておいてくださいよ」

「ちょっと待ってくれ、ミント…このゲーム機…俺が知ってるのと少し違う…?」

 ラムネが取り出してきたコントローラーを見て俺はミントに尋ねた。そのコントローラーは普段俺が使っているものと酷似していたがやはりどこか少し違っていた。

「あぁ、それはボクの手作りです。ボク機械いじりが得意なんですよ。ゲームなんて博物館でしか触る機会がないですからね。一般家庭でもできるように技術を少し拝借してきました」

「なるほど…それじゃこれはミントオリジナルってわけか。じゃあラムネが持ってたのも?」

「えぇ、ボクが先輩に作ってあげたものですよ」

 ゲーム機を自分で作ってしまうなんてなかなかのメカニック。ミントの才能はきっと時代が違えばとても重宝していたと思われる。

「あ、ボクが作ったからと言ってボクに有利なように働く、とかはないんで心配しないでください」

「もしそうならゲーム好きの血が真っ先にこいつをぶっ壊すっての」

 なんて笑いあいながらこうして夜のゲーム大会が行われた。昼間の命のやり取りなど忘れてしまうくらいの楽しい時間が過ぎ去り、気付けば俺たちは皆寝落ちしてしまっていた。朝になっても俺の身体は元には戻らない、けれど今はこれでもいいかも、なんて思ったりした。


「おら!お前らもっと走れ!こんなんで息が切れてるようじゃまだ駄目だぞ!」

 眩い光の昼下がり、飲み込まれてしまいそうな青が広がる空の下、俺の怒声が響きそれに呼応するように女の子たちの息が切れたような気だるげな返事が聞こえる。俺はさっそくこのチームが落ちこぼれだという理由を知った。

「うぅ…疲れたよぉ…休憩しようよぉ…」

 ラムネ、基本スペックは平均よりやや高め。だがペース配分が下手で気分屋な所があるのでスタミナの消耗が激しい。調子に乗った時のスペックは目を見張るものがあるがすぐにダウンしてしまう。

「今だけはラムネに賛成…てかこんなランニング、私の性に合わないよぉ」

 クロ、作戦指揮をしていただけあって頭の回転や切れはいいが肉体労働はてんでダメ。引きこもっていた俺の方が運動できるかもしれないと思ってしまうほどに絶望的だった。ただ狙撃の才能は常人をはるかにしのぎほぼ100発100中といったところだ。

「はっ…ふっ…はっ…ふっ…」

「ショコラ!お前はもっと本気出せ!」

 ショコラは良くも悪くもマイペース、今もペースを乱さずに走っているがあれは走るというよりジョギングに近い速度だ。何を考えているかわからない性格同様彼女の実力も未知数、ブラックボックスといえよう。そんな彼女を戦場で操る自身はあまりない。

「ほら、キミたち、もう少し頑張ろう!私も一緒に隣で走ってやるからな」

 マリサ、彼女は仲間思いのいい子だ。けれどそれが彼女の実力の足を引っ張っている。マリサのスペックはここにいる誰よりも上だ、けれど自身の力を仲間たちに合わせて下方修正している節がある。今だって疲れ切ったラムネたちに合わせてせっかくの足の速さを台無しにしてしまっている。

「はふぅ…はふぅ…メリーちゃん…ボクが一番で…ゴールです…」

 ミント、小柄な身長からもわかる通りすばしっこく案外持久力も人一倍ある。だが銃器の扱いに関してはダメダメだ。本人曰く機械の知識が強いと言っていたので後でテストしてみなくては。

「はぁ…これで本当にやっていけるのか…?俺、あんなに強気なこと言ったのになんかすっげぇ自信なくしてきた…」


 事の発端はお昼ご飯を食べているころだった。少し遅れて食卓に現れたクロが皆に一言、言い放った。

「今週末の日曜日に模擬戦をやることになったの!これで勝てばこんなボロい寮からもおさらばよ!」

 けれど皆それに驚くこともやる気になることもなくただ少し薄めのお味噌汁をすすっている。クロもそんな皆の様子を予想していたのか何事もなかったかのように食卓につき身があるかどうかもわからないほどに縮こまった焼き魚に手を付け始めた。驚いているのは少なくとも俺だけ。

「え?お前ら反応それだけ?勝てばこの寮からもバイバイなんだろ?もっと喜ばないの?」

「喜ぶも何も勝ったらの話でしょ?私たちには無理無理…」

「うん…ショコラたち、落ちこぼれ…へなちょこ…はぁ…チョコ食べたい…」

「ショコラちゃん、チョコはごはんが終わってからね。で、一応聞きますけどクロ先輩…相手はどこのチームなんですか?」

「それなんだけど…私たちクロノス学院の誇り、通称戦場を駆ける天馬、チームシャインペガサスよ」

「ぶふっ!?」

 クールな雰囲気を常に放って上品に食べ物を口に運んでいたマリサが思わず吹き出してしまった。失礼、と口から飛び出したものを拭き取っていくが彼女のその手は少し震えていた。

「あ、そうだメリー、私たちはもともとクロノス学院っていう学校の生徒だったの。ま、今は軍事学校になってろくに授業なんて受けられてないけどさ。で、そのチームシャインペガサスってのは…」

「嘘…どうしてよ…お兄ちゃん…」

 ラムネの絶望した声、彼女のお箸からポロリと白米が落ちるのを横目にクロは苦笑いを浮かべながら続けた。

「今聞いた通り数少ない男の生き残り、ラムネのお兄さんがリーダーをしているチームで学園最強のチームなの…」

 学園最強のチーム、生き残りの男がリーダー、ラムネの兄、俺の頭に様々なワードが渦巻いては消えていく。けれどどうしても疑問が俺の頭に生まれ思考を征服してしまう。

「言い方悪いかもしれないけどさ…どうして落ちこぼれって言われてる俺たちのチームに戦いを挑む必要があるんだ?まさか弱いものをひたすらいたぶって楽しむちょっと特殊な人たちの集まりとか…?」

「それがね…メリー、昨日、目立ち過ぎたでしょ?」

「え…?」

「昨日の市街地戦、あそこで誰も考えつかない作戦を立てて指揮をした人形がいたって。で、その人形の持ち主はチームジャンヌダルクの女の子…」

「えっともしかして…」

「そう。メリーのことが特定されてラムネのお兄さん直々のご氏名が入ったってわけ」

「すいませんでしたー!」

 まず第一に頭を下げる。皆からフルボッコでもくらう覚悟はできている。たとえ綿でも殴られると痛いだろうな、なんて思いながら拳を待つが何も飛んでこない。覚悟を決めて強張った俺の体に触れたのは優しくて温かな手の平だった。

「いいよ。メリーが気にする必要はないの…悪いのは私のお兄ちゃん。ほんっと強い人と戦うのが大好きなんだから…」

「いいのか?俺のせいだろ?みんなが強いチームに目を付けられたのは…それにラムネはお兄さんと…」

「けどメリーのおかげで昨日は助かった、違う?それにさ、お兄ちゃんと戦うってことは久しぶりにお兄ちゃんと会えるってことでしょ!むっはー!今からドキドキしてきた!どうしよどうしよ!おめかしした方がいいのかな?」

「は、はは…そういやお前ってこういうやつだったな…」

 身体の全ての細胞、脳細胞も含めそのすべてにブラコンの遺伝子が刻み込まれているラムネだ、これも再開のための礎として喜んでしまうのだろう。

「けど…みんなはどうなんだ?嫌、じゃないのか?」

「メリーちゃんがいるから…ショコラ…がんばる…」

「そうだ、ショコラの言う通り。私たちにはメリーくんという心強い可愛らしい仲間がついている!それに、シャインペガサスの人たちにいろいろ教わりたいこともあるからな」

「ボクも、別に異論はありません。みなさんがやる気ならボクも頑張る、ただそれだけです」

「みんな…よし、わかった!俺がお前ら全員勝利に導いてやる!たとえ相手が最強でも俺が勝たせてみせる!」

『おー!』

 熱を孕んだあの意気込みがつい数時間前の出来事とは思えないほどの今目の前の現状。俺の勝利宣言も揺らぎかけそうだ。けれど勝ってみせなくてはいけない。なぜなら俺は…

「救世主に…なるんだから…」


 さて、訓練を重ねて夜、黒のペンキをこぼしたような空に輝かしい星がキラキラと浮かび世界を照らしている。今も世界のどこかで戦いが起こっているとも知らずに星も月も世界に優しく、それでいてどこか寂しくなるような光を放っている。

 俺は空を見上げながらぼぉっとそう考えていた。都会のネオンの光にかき消されていた俺がいた世界の空とは違いこちらは吸い込まれそうなほど綺麗な星空だ。夜空がこんなに綺麗なんて一部屋での籠城生活を送っていた俺には知りえぬことだった。

「はふぅ…疲れたぁ…もう汗だくだよ…そうだみんな!お風呂屋さん行こうよ!こんな日には狭くてぬるい寮のお風呂よりさ、広くてあったかぁいお風呂屋さんのお風呂の方がいいよね!」

 ラムネの声に皆は賛同し、いざお風呂屋さんへ。

「そういえばメリーってちょっと臭いよね…うん!洗おう!」


「…あの…どうして俺、こんなことされてるわけ…?」

 肌が茹るような熱気にぴちゃぴちゃとした水音、そしてやけに反響して聞こえる女の子のきゃぴきゃぴとした声、けれど俺の視界はあまりにも真っ暗だ。ラムネに連れられた俺は女湯へ、その時はとてもドキドキして胸が高まり鼻血を抑えるのに必死だったのだが、今はそんな興奮もない。

「だって目隠ししてないとエッチな目で見るでしょ?」

「それならこんなことするよりミントと一緒に入れてくれればよかったんじゃ…ミントも一応は男だしさ」

「でもミントのこともエッチな目で見るでしょ?」

「心外だな!俺をどういうやつだと思ってるんだ!断じてエッチな目で見るなんてことは…」

「あ、ミントが裸のまま入ってきた」

「何!?早くこの目隠しを外せ!」

「ほら…言った通り…やっぱり変態さんだ」

「うるせぇ!とにかく俺は女の子の裸を…おっぱいを拝みたいんだよぉ!もうミントの合法おっぱいでもいいから見たいんだよぉ!」

 ぎゅっときつく縛られた目隠しは俺にも取ることはできずにただ暗闇の中妄想で楽しむしかなかった。そういえば俺はどうしてこんなにおっぱいを求めているのだろうか、いったん冷水を浴びせられた俺は理性を取り戻すがそれも熱気にあてられて靄へと変わる。

「ラムネ…メリーちゃん借りるよ…」

「え!?ちょっとショコラ!?何してるの!?」

 俺の体に何か冷たい液体をぶっかけられる、それと同時にもぎゅもぎゅと体を握られる。痛みはないが体から泡があふれて止まらない。

「メリーちゃんでショコラの体洗う…こしこし…こしこし…」

「ショコラ!メリーはスポンジじゃないよ!だからやめてあげてぇ!」

「こしこし…ん…おっぱいも洗う…んしょんしょ…」

「んほぉ!」

 俺は変な叫び声が自然と口から漏れるのを感じた。目隠しでわからないが会話から察すると俺は今全身を使ってショコラのあの幼い体形に似合わない巨乳を磨いているのだ。繊維の一本一本、その芯まで伝わってくるこのもっちりとして柔らかくて、それでいてたっぽりとしているのはショコラのおっぱいの感触なのか!興奮しすぎたせいか呼吸が荒く、苦しくなってくる。

「なんだこれ!こんな感触初めてだ!すべすべでもちもちで柔らかいのに自然と肌に吸い付いてくるこれが…これが…おっぱい…!俺…もう死んでもいいかも…」

 おっぱいの中で死ねるなら俺は本望だ。薄まる意識の中俺はそう思った。

「ちょっとショコラ!これ以上はダメ!ほんとにメリー死んじゃうから!大丈夫メリー!メリー!?」

「ぷはぁ!」

 泡だらけの体に水がかけられる。俺を包み込んでいた呼吸を邪魔する泡もふかふか天国ももうそこにはない。俺を包むのは熱いお湯となんともいえぬ喪失感と、後は体の内側まで水が染みこんだ言い表すのも困難な倦怠感だった。

「はぁ…よかったぁ…このままじゃメリー死んじゃうかと思った…」

「何してくれてるんだよラムネ!俺をあのまま死なせてくれよ!おっぱいの中で死ぬのが男の夢なんだよ!」

「うるさい変態!」

「もう…お風呂では少しくらい静かにしなさいよ」

「そうだぞ。たとえ私たちしかいなくても公共の場ではわきまえろ」

「は~い…」

 クロとマリサに叱られて俺は静かに身を任せることに。暗闇の中女の子たちが体を洗う音がやけにエッチな感じに響き脳内がピンクの妄想に染まっていくのが自分でもわかった。きっと俺が人間のままだったら股間に立派なテントが出来上がっていたことだろう。

「そういえばさ、クロって…おっぱい少しおっきくなったんじゃない?前までは私と同じくらいだったけど…う~ん…やっぱりちょっと成長してるよ」

「え…?そ、そうかな…?」

「絶対にそうだよ!何かしてるの?」

「う~ん…特にはなにも…あ、けどこの前牛乳を飲んだら胸が大きくなるって雑誌に載ってたかも…ほら、私牛乳好きだからさ、たぶんそのせいなんじゃない?」

「お菓子食べて…よく寝る…そしたら、ばいんばいん」

「私だって早寝早起きは欠かさないし牛乳もよく飲んでるというのに…くっ…殺せ…」

「ショコラはいいよねぇ。そんなにおっぱいおっきくて…」

「ラムネ…そんなにおっぱいおっきくしてどうするつもりなのさ?」

「もちろんお兄ちゃんを誘惑するの!お兄ちゃんも男の子だからおっきなおっぱいは好きだと思うの!だからおっぱいがおっきくなった私がちょっと誘ったら…キャッ!」

「男の子は…おっぱいが好き…なら、メリーちゃんも…おっぱい好き…?」

 ガールズトークが行われては俺は疎外されるしかない、ゆっくりとたらい風呂に使っていた俺だがふと体が宙に浮かび、そして次に何か柔らかなものに包まれる。この感触は先ほども味わった、おっぱいだ。けれど先ほどのそれとは少し感触が違う。もにゅりとしているのは同じだがこちらは少し弾力がある、あちらがプリンならばこちらは寒天ゼリーだろうか。そう考えるならばこのおっぱいはショコラのモノではない。故に二択、俺は神経を集中させておっぱいを触り、そして答える。

「これはラムネのおっぱいだ!この膨らみ加減に柔らかさにプルプルした感じ、これは絶対にラムネだ!間違いない!」

「なんで目隠ししてもわかるのよ!?」

「男の子…おっぱい好きだからわかる…それじゃ、これは?」

 つるぺったん。俺が次に触れたのはなだらかな平野、まったく膨らみのないまっ平ら、まるでまな板に触れたよう。こんな残念な胸は一人しかいない。

「これはマリサのおっぱいだ!まるで男のようにつるっつるだから簡単だな」

「じゃあこれは…?」

 つるぺったん。またも俺の手にはつるぺたなそれが触れた。

「何!?こっちにもマリサが…!?また分身!?」

「じゃあこれ」

「これもマリサじゃないか!マリサはいったい何人いるんだ!?」

「えっとメリー…言いにくいんだけどそれ…」

「壁…なんだけど…」

「私の胸は壁というわけか…くっ…殺せ…だがやはり貴様も道連れにする!こんな屈辱を与えた奴は生かしてはおけん!」

「ちょっとマリサ!ショコラも悪ふざけが過ぎるよ!」

「ごめん…」

 平穏だった風呂場が、一瞬で戦場と化した。俺に辱めを受けたと騒ぎだすマリサ、それをなだめる二人、風呂場にたらいやらお湯が飛び交いもう大惨事。そして視界が得られない俺の顔面にたらいがクリーンヒットした。

「いってぇ!」

 叫んだその瞬間、視界が真っ白に染まった。視界に広がる白、それは湯気だけだはなかった。

「こ、これは…!」

 俺の視界に広がる白、それは、女の子の柔らかそうな真っ白な素肌だった。まるで雪のように白いその体は少しピンクがさして色っぽくなっている。

「おっぱい様じゃー!」

 たわわなおっぱいがこの場を支配している。大きなもの、控えめなもの、やや大きめのもの、いろいろなおっぱいが俺の理性をえぐり取り息が上がる。鼓動もドキドキと早まり心臓の鳴らしすぎで死んでしまいそうだ。

「え…?」

 興奮を隠し切れない俺をよそに女の子たちは皆一様に固まっている。それは俺に裸を見られた、というだけでは不自然すぎる沈黙。そして彼女たちの視線は俺一点に注がれている。

「あの…みんな…どうしたんだ…?」

「…キャー!」

「へ、変態よ変態!」

「変態さん…怖い…」

「成敗!」

 マリサの投げたたらいが俺の顔面にヒットした一瞬、女の子たちの蔑むような視線に交じって俺は見てしまった、鏡に映った自分の姿を。それはどこからどう見ても見慣れた俺の懐かしい体だった。


「全部お前が悪い」

 暗闇に響く声が俺のことをなじる。懐かしい彼の声を使い俺の心を抉っていく言葉が鳴りやまない。

「すべてお前が悪いんだ。お前の偽善のせいで…」

「違う!俺は偽善なんかじゃ…」

「本当にそう言えるのか?」

 闇に光る瞳は俺を蔑むようなあの日の視線とおんなじだ。

「何もかもがお前の自分勝手な思いが生み出したんだ。お前がただ自己満足を得るためだけに俺は利用されたんだよ」

「利用したなんて…そんなことない!」

「本当にそうなのか?口ではそう言っておきながらお前は腹の中では満足していたんだ。悲劇を救う主人公を演じて悦に浸っていたんだ」

「やめろ…やめてくれ…!」

 俺は叫び、耳をふさぐ。けれど声は聞こえる、俺の頭の中、脳の奥底から響く声が俺を蝕んでいく。

「俺はお前に救いなんて求めていなかった!なのにお前は…俺を助けた…そのせいで俺は…!すべてお前のせいだ…俺の全てを奪ったお前を…俺は許さない!」

「やめろ…!やめてくれぇ!」


「はぁはぁ…」

 気がつけば俺の意識は現実に戻ってきていた。視界の先にあるのは闇ではなく眩しいくらいの光だ。俺をなじる彼の声ももう響いていない。俺の耳に聞こえるのは扇風機が必死に冷風を送り込んでくる音のみ。

「はぁはぁ…くそ…嫌な夢だ…」

 背中にはべったりと冷や汗があふれシャツが貼りつき気持ちが悪い。頭も変にくらくらして今も視界が揺れているようだ。それに体も気怠いし。ただ体のコントロールはどういうわけか前よりもスムーズにできている。

「あれ…?そういえば俺…」

 歪んでいた意識が覚醒と同時にだんだんと鮮明になっていく。そして思い出すのは気を失う前の惨事。

「そういえば俺…たらいを顔面に当てられて…」

 そのせいで気絶させられてしまったんだっけ。

「あの時のおっぱいは眼福だったなぁ…って違う!俺の身体だ!あの時鏡に映ったのってやっぱり…」

 俺は急いで自身の手を見た。そこには綿ではなくしっかりと血と肉がつまった人間の手があった。道理で動きやすいわけだ、自身のしっかりとした体なのだから。

「でも…どうしてだ?」

 俺は頭を巡らせる。今俺の身体はこうして元の人間の姿に戻っている、しかもあの時の自分のまま、ということは俺はやはり俺自身なのだろう。記憶を人形に移植されたとかそんなSFチックなことはないと分かりホッと一息。

「もしかしてお湯か?俺カップ麺みたくお湯をかけられると元に戻るのか?」

 さすがに自分がインスタント即席人間になってしまったと思うのは気が引けるが、今はそれしか有力な説がないわけで。また自分自身で実験しようと思う。

「あ、よかった。気が付いたんだ。心配したんだよ?」

「お、ラムネか」

 俺が寝ていたどことも知れぬ畳の部屋にラムネがやってきた。その手にはコーヒー牛乳が二本握られていた。

「私のこと知ってるってことは…やっぱりメリーなの?」

「うん…まぁ、そうだな」

「急に人の姿になったと思ったら気を失っちゃって…それで放っておくのもあれだから温泉のおかみさんに頼んで部屋を貸してもらって寝かしてたんだけど…急にうなされ始めて…大丈夫なの?」

「まぁ…何とか…」

 ラムネに心配をかけまいと俺は誤魔化す。きっと目が泳いでいるだろうが気にしない。こんなに優しいラムネにこれ以上の心配をかけるのはやはり心苦しい。

「あ、そうだ。はい、これ。冷たいからゆっくり飲むんだよ?」

 ラムネから渡されるコーヒー牛乳をありがとうと言って受け取り喉に流し込む。程よい甘みのきんきんに冷たい液体が悪夢にうなされカラカラになった喉に染みこんで犯罪的な快楽となり俺の渇きを癒していく。

「あ、そういえば…誰が服を着せてくれたんだ?」

「ぶふっ!」

 美味しそうにコーヒー牛乳を飲んでいたラムネが急にむせ始める。俺は慌てて手近にあったティッシュを彼女に手渡した。

「えっと…一応…みんなで…」

「そうか…ありがとな」

「どういたしまして」

「えっと…それでな、ちょっと言いにくいんだけど…見た?」

「見たって…何を…?」

「そりゃ俺の恥ずかしい部分だよ…」

 頬を赤らめうつむくラムネのその反応、ということはやっぱり俺は見られてしまったようだ。

「えっとその…見たっていうか…見えちゃったっていうか…その…なんて言うか…」

「ま、これ以上隠しても仕方ないし、俺もそろそろ向き合わなくちゃなって思うんだ…だからラムネ、見てくれ」

「キャー!変態!」

「頼む…ラムネ…俺のを、しっかり見てくれ…」

「しっかり見てくれって…それ絶対変態さんだよぉ…ふえぇぇ…人間の時のメリーってこんなに変態さんだったのぉ…?」

「変態…?何を言ってるんだ?違うよ、俺の腕だよ」

「腕…?」

 ラムネは赤く染めた頬をそのままにいぶかしげに俺のまくり上げた腕を見て、絶句した。

「メリー…それって…」

「うん…これ、リスカの傷…俺さ、昔死のうとしたんだよ。何度も何度も切ったけどさ、結局死ねなかった」

「ど、どうして…」

 彼女の瞳に映るのは俺の何でもないとでもいう風に笑う顔と、歪な線状痕が残る右腕。

「その、さ…俺、友達に嫌われてさ、ショックで…死のうって思った」

「そんなことで…」

「俺にとってはそんなことじゃないさ。俺にとってはとっても大事な親友で、一番の友達だった…俺はそいつのヒーローになりたかったんだよ…」

「ヒーロー?」

「ま、子供のころの夢ってやつだよ。正義の味方に、なりたかったんだ」

 俺はふっと笑ってみせる。過去形で綴った自身の言葉、どうしてか今も正義の味方になりたいとは恥ずかしくて言えなかった。

「でも…なんで私にそんな大事なことを…?」

「どうしてだろうな?自分でもよくわからない…どういうわけかラムネには話していいかなって思った…ほんと、どうしてだろうな?」

 この言葉通り俺はよくわからない感情に突き動かされて彼女に秘密の一つを暴露した。ほとんどを濁しての逃げの姿勢の暴露だったけれど、それでも彼女には少しでも知ってほしいと思った。秘密の共有が、俺と彼女の繋がりを強くするんじゃないか、そう思って。もちろんあの悪夢に突き動かされたというのもあるが、やはり一番は彼女へのよくわからない気持ちによってだ。

 どこか納得していない表情のラムネ、この話をこれ以上引きずりたくないので俺は話題を変えることに。

「そういえばさ、お前は俺の恥ずかしい何を見たんだ?ん?教えてくれよ」

「え?そ、それは…その…恥ずかしい何かって言ったらもうそれしかないんじゃない…?」

「え~わかんないなぁ…?俺バカだから何のことだか全然わかんなぁい」

「うぅ…あの…その…メリーのお股のゾウさん…見えちゃった…」

「俺股間にゾウなんて飼ってないんだけどなぁ?それはゾウじゃなくてなんて言うんだっけなぁ?」

「えと…その…お…おち…ん…って!メリーのバカぁ!」

「はぐっ…!」

 俺の股間の恥ずかしいところにラムネの投げた牛乳瓶がクリーンヒット!クリティカルヒットのダメージは俺の体に言い様のない死にも等しい痛みを与えるのに十分すぎた。

「ら、ラムネ…股間は…アウト…です…」

 その瞬間だった、俺の視界が急激に縮まる。体の中の質量が失われ内側に流れる血の感触がどこか遠くのものに感じるようになった。

「あ、元に戻った」

 ラムネの簡潔なその言葉通り、俺の身体は人形の姿に戻ってしまった。

「もしかして俺って…股間に何か当たったら人形になっちゃう?」

 そんな変身能力だったらいらないな、なんて思いながら俺はポリポリと頭を掻いた。頭から零れ落ちるのはほんのごく少量の毛クズであって俺の身体には痛みも何も全く残っていなかった。

「ま、メリーが元に戻ったことだし、今日は帰ろっか。もうみんな先に帰って心配してるだろうし、早く帰ろうよ」

 こうして夜は更けていく。たとえ過去にどれだけ悔いても償うことができない罪を犯した俺にも平等に、夜の闇は意識を眠りの底へと引きずり込んだ。


 その日から訓練を重ねていき早週末、来るべきは日曜日、3日前から降り続いていた大雨なんて忘れた空は恐ろしいほどに晴れ渡り太陽が俺たちの結末を楽しそうに眺めているよう。狂おしいほどの快晴の下俺はこの数日間で未知数の成長を遂げた彼女たちの方を向いた。

「よし!今日が決戦の日だ!たとえ相手がどんな奴らでもぎゃふんと言わせてやろうじゃないか!」

「お兄ちゃんと戦うのは心苦しいけど…でもやるしかないんだよね」

「私たちがどれだけ成長したかってのを見せてやろうよ!」

「あぁ、そうだな。これ以上落ちこぼれなんて呼ばせはしないさ!」

「えぇ、マリサ先輩の言う通りです!ボクたちは落ちこぼれなんかじゃない!勝ってそれを証明しましょう!」

「ショコラ…負けない…」

 あのショコラでさえ意気込んでいる今日この戦い、彼女たちの強い思いに応えて俺も頑張らなくては。

「へぇ…なかなか威勢がいい子たちじゃないか」

「誰だ!?」

 背後からの声に俺は振り向く。そこにいたのはにこやかな笑みを浮かべた男だった。

「やぁ、キミたち。ボクはノエル、チームシャインユニコーンのリーダーをやってるんだ、よろしくね、小さな英雄さん」

「ということはお前がラムネの…」

「お兄ちゃーん!」

 俺が答えを言い終える前にラムネは彼に抱き着いていた。やはりノエルはラムネの兄だったようでどことなく顔つきや雰囲気、それに頭のてっぺんの獣耳にも似ているところがあった。

「おっ、ラムネ、久しぶりだな。元気だったか?ごめんな、兄ちゃん忙しかったから全然会えなくて…」

「むぅ…それが久しぶりにあった妹に言うセリフかな?ここは離れてる間寂しくて死んじゃいそうだったとかさ、無言で再開のキスを交わす、とかそういう場面じゃないの!?」

「ははは、ラムネは相変わらずだな」

 ラムネのブラコンセリフを相変わらずと笑ってスルーとは、また今度この人にラムネの扱い方を聞いておかなければ。

「あ、そうそう。ラムネ、今日は紹介したい人がいるんだけど、いいかな?」

「紹介したい人?」

 ノエルはうなずいて手招いた。現れたのは犬耳に黒髪が綺麗なおしとやかそうな雰囲気を与える顔つきの女性だった。

「えっと、紹介するよ…ボクの彼女、チカだ、よろしく頼むよ」

「改めまして、私はチカ、ノエルくんから話は聞いてるよ、かわいい妹さんがいるって…ほんとにかわいいね、私の妹にしたいくらい」

「ははは、何言ってるんだよチカ。もうすぐラムネもチカの妹になるんだよ?」

「もう…恥ずかしいこと言わないでよぉ…」

「は…?」

 人目もお構いなしに熱々のバカップル具合のノエルとチカに威圧的な声を隠し切れなかったのはラムネだった。普段の彼女のにこにこ顔はどこへやら、今は青筋まで浮かべて明らかに怒りの表情満載だった。

「ねぇお兄ちゃん…この女、誰?」

 ただその表情を笑顔の仮面に押し込めてはいるが、けれどやはり俺にはその下の鬼のような怒り顔が見えてしまっていた。

「だからさっきも言ったと思うけど、ボクの彼女のチカだよ」

「え?お兄ちゃん彼女できたの?どうして?なんで?いつ?私に断りもなく?」

「次にラムネにあったら言おうと思ってたんだけど…機会が全然なくてさ、遅れちゃって…」

 ポリポリと頭を掻くノエル、兄だというのに妹の仮面の下が見えていないのか、それともただマイペースすぎるだけか、どちらにしろこの態度がさらにラムネの怒りを買ったのは明白だ。

「何よそれ…お兄ちゃんに彼女?私がいるのに…私がこんなにもお兄ちゃんのこと好きだって言ってるのに…お兄ちゃんは私じゃダメなんだ…」

「ら、ラムネ…?」

 やっとラムネの異変に気付いたノエル、けれど時すでに遅しだ。

「お兄ちゃんのバカ!もう知らない!メリー!早く試合の準備するよ!これはもう本当の戦争なんだから!」

「あ、あぁ…そう、だな…」

 涙交じりの怒りを孕んだラムネに気圧されて俺は彼女に連れられて行く。去り際にちらりと見えたチカの横顔が、どこか笑って見えたのは気のせいだったのだろうか。

「メリー…絶対勝とうね。勝って…お兄ちゃんとあの女を別れさせてやるんだから!」

 こうして怒りのままに戦いの火ぶたは切って落とされた。初めはチームのプライドをかけての戦いだったが気がつけば大規模な兄妹喧嘩に発展していた。


 戦いのルールは簡単、相手チームを全滅させる、もしくは拠点のフラッグを落とせば勝ち、なんともシンプルだ。使用する武器は自由、ただし非殺傷の物に限る。銃弾の代わりに使用されるペイント弾を身体に5発食らう、もしくは模造刀などの刃物系の攻撃を一度でも体に浴びる、その時点で死亡判定とされ戦闘から離脱される。爆発物は危険なのでもちろん使用禁止だ。制限時間は無し、どちらかが潰れるまで試合は続く。

 戦いの場所は平野、岩や茂みなど天然の遮蔽物がたくさんあり奇襲などにもうってつけのフィールドだ。作戦次第では実力差も埋められる。こちらは俺含め6人、対して相手は5人、数的には有利だが俺はこの体なので実働部隊としての戦力は0だ。故に高台の拠点から端末のGPS機能で皆の場所を確認しながら指揮を飛ばすのだが…

「ミント!突っ込みすぎだ!いったん引いて援護を待て!」

『いえ、それはできません!もう相手を一人追い詰めてるんです!後一発でも食らわせれば…』

「ダメだ!それ以上は罠の可能性が…」

『キャッ!?し、茂みから一人出てきました!伏兵です…!』

「だから言っただろ!とにかく逃げろ!マリサ!ミントの援護はまだか!?」

『こちらマリサ、ラムネが手こずっているようだからそちらの援護に回った。もう少し待ってほしい!』

「ラムネはそこで敵を惹きつける役目だ!援護なんかいらないんだよ!早くミントの方へ向かえ!」

『けれど…』

「いいから早く!…ショコラ!お前も勝手な行動はよせ!」

『怒鳴らないでよ…メリーちゃん…』

「好きで怒鳴ってるんじゃない…あぁくそ…!どうしてこうも思い通りに動いてくれないんだよ!」

「ふふ…相当手こずってるみたいね、メリー」

「なんか落ちこぼれって言われてる真の意味が分かった気がする…」

 拠点からスナイパーライフルで戦場を覗くクロに俺は呆れ声で返す。誰も俺の指示を聞いてくれない、それが今一番の難題だ。彼女たちは指令を無視して自身の思うように動く、これこそが落ちこぼれと呼ばれる一番の理由だと俺は判断した。命令に沿った作戦を展開できない、自身の感情によって行動の順序を決めてしまっている。

「なんでだよ…どうして…」

「メリーはさ、みんなのことちゃんと一人の人として見てる?」

「どういう、ことだよ…」

「なんか戦いに入ってからメリー、みんなのこと道具としか見てない気がするの。なんて言うのかな…私たちをさ、チェスか将棋の駒みたいに扱ってさ…そんなんじゃ誰もメリーの言うこと聞いてくれないよ」

「…」

 確かに俺は彼女たちをゲーム盤の一つの駒としか見ていなかったのかもしれない。俺の指示一つで動く便利な駒としか思っていなかったのかもしれない。けれどそれが最適解だと思ったから俺はそれに従って指示を送っているだけだ、責められることでもないはずだ。

「メリー…私たちは、人間なの…駒じゃない…ちゃんと私たちには私たちの思いがある…心があるの。それをちゃんと見てあげて…いい?これはゲームじゃない…わかるよね?」

「クロ…」

 そうか、彼女たちにもちゃんと自分の意思がある、行動したい理由がある。俺は彼女たちの意思をくみ取り、それを踏まえたうえで指示を出さなければいけなかったのか。彼女たちはゲームのNPCでも何でもない、生きている人間だ、俺は彼女たちを指示することで彼女たちの思いを守ってあげなければいけないのだ、そう気づいた。

「ありがとう、クロ…おかげでなんか気づけたかもしれない」

「ま、作戦指揮だった身としては当然のことよ。これも一種の作戦ってね」

『こちらラムネ!食い止めるはずだったけど倒しちゃった!これからどうしたらいい?』

 無線機からこぼれるのはラムネの声、彼女の声音には何かを待ちわびてうずうずしているようなそんな色が見て取れた。だから俺は指示を出す、彼女の心を踏まえた最適な指揮を。

「ラムネ…お前はチカと戦って来い!ずっとそうしてきたかったんだろ?」

『でも…いいの?こんなのメリーの作戦らしくないよ?』

「いや、いいんだ。俺はお前たちの意思を汲み取ったうえで最適な作戦を練り直す。全部俺に任せてお前は戦って来い!チカは今ショコラがいる付近にいる」

「わかった!ありがとね、メリー!」

 嬉しそうなその声とともに無線は途切れる。隣ではクロが親指をくいっと突き立ててこちらにウインクを向けていた。どうやら俺の作戦指揮は彼女にとっては満点だったらしい。

「ミント!そこに茂みがあるはずだ、そこに隠れながらお前のすばしっこさを見せてやれ!」

『了解!』

「マリサ!ミントがお困りのようだ、助けられるのはお前しかいない…やってくれるか?」

『もちろん!待ってなさいよミント!今助けてやるからね!』

 すばしっこいミントが相手を攪乱させている間に仲間思いのマリサを焚き付けてやればあちら側は問題ない。

「ショコラ!お前はどうしたい?」

『ショコラはね…う~んと…そうだ!いっぱい戦いたい!』

「そうか、いっぱい戦いたいか!なら存分に暴れてやれ!もうすぐそこにラムネが来るはずだ、二人でがんばって暴れて来い!」

『うん!ショコラ、いっぱい暴れる!メリーちゃん…ショコラがんばったらね、お菓子、頂戴ね』

「あぁ、いいぜ。お菓子なんていくらでも買ってやるよ」

『ほんと?嬉しい…ショコラね、キャラメルがいいなぁ…あ、キャンディーも欲しいし…チョコも食べたい…!』

「あぁ、全部買ってやるから…だから思う存分暴れろ!…ラムネ!ショコラが思いっきり暴れてくれるみたいだ、お前はショコラの援護をしながらチカを倒せ」

『了解!』

 ショコラはマイペースな性格だから作戦下で思い通りに動かすのは困難だろう。だったらショコラを軸に作戦を展開すればいいのだ。彼女がしたいことを優先的にさせてあげ他の皆をサポートにあてる、そうすればおのずと作戦の基盤も整ってくる。

「へぇ…ショコラまで使いこなすなんて…私のできなかったことをこんな短時間でやるなんて…やっぱりメリーってすごいね」

「俺なんてまだまだだよ…この部隊をずっと支えてきたクロの方がすごいって」

「私が支えてきた、か…」

「どうした、クロ?」

 クロの顔が一瞬曇ったがそれも一瞬、彼女は何でもなさそうに笑顔を向けた。

「大丈夫。それより私にも指揮をちょうだい」

「そうだな…ミントたちの方の牽制をお願いしていいか?」

「了解!」

 こうして戦場の流れは俺たちの方に傾いてきた。あの男が動き出すまでは。


「ミントの方の敵が逃げていくよ!どういうことかな?」

『こちらミント!敵が逃げていってます!まだトドメはさしてないので撤退ですかね?』

「クロも観察してくれているが…あまり深入りはするな。マリサと追い込みながらも優位を崩すな」

『わかりました!…ってうわ!?な、なんですかこれ!?』

 突然無線に走る雑音、ノイズに交じって聞こえるのは銃声。

「どうした!返事しろ!おい!」

 俺の呼び声にも答えない、不安な心地が俺の中に駆け巡っていく。隣でスコープを覗いていたクロが真っ青な顔で震えているのも俺の不安を掻き乱すには十分だった。

「ミント!どうしたんだよ!マリサも返事をしろ!」

『…こちらミント…やられちゃった…』

『こちらマリサ…同じく…ふがいない…くっ…殺せ…』

 一気に二人もやられてしまった。俺の中に落ちた不安の種が一気に成長した。今まで優位に立っていた彼女たちの敗北、それは不安という生易しい言葉だけでは語れない。

「クロ!どういうことだ!?戦場で何が起こったんだ!」

「ノエルだよ…ハメられたんだ…逃げた奴は囮だったんだ…私たちはまんまとそれに引っかかった…」

「ノエルだと!?それに囮!?もう少し詳しく言ってくれ!」

「あいつらは逃げると見せかけてミントとマリサを茂みの中から引きずり出した。あいつらが逃げたその先にノエルがいた、ただそれだけのことだよ」

「いや、でもたとえ相手がノエルだとしても一気に二人もなんて…」

「ノエルは数少ない男の生き残りだよ?後方でずっと隠れながら指揮をして生き延びてきただけじゃないんだよ?あの人は…私たち全員でかかっても勝てないんだよ…」


 時同じくしてこちらはラムネたちの戦場。ラムネとショコラの前にはチカがいた。互いが銃を構えて緊迫した状況が続いている。

「可愛いあなたたちにはそんな物騒なものは似合わないよ?早めに降参するのが身のためだと思うんだけど?」

「残念、私たちがそう簡単に諦めると思う?ショコラはお菓子のため、私はお兄ちゃんのため、全力を尽くすって決めてるんだから!」

「あらあら、かわいいこと…それじゃ私もノエルのために全力を出そうかしら…!」

 ぎゅっと強く銃を握りなおしたチカ、それが前進の合図だった。彼女の突進がラムネたちを襲う。

「ショコラ!お願い!」

「任せて…」

 ラムネの前に躍り出たショコラは構えたマシンガンを撃ち放った。連続で撃ちだされる弾丸がチカの身体を襲う。けれど彼女はそれを、ギリギリでかわした。そう、ギリギリで、だ。もちろん普段の彼女の実力ならば余裕でかわせているはずなのだが、ショコラの攻撃はそうはいかなかった。

「ど、どういうことよ…この子のリズムが…読めない…!?」

「そうよ、これがショコラの力よ。この子はね、人とは違うリズムの中生きてるの」

「人とは違うリズム…?」

「ほら、人には心地よく感じるリズムがあるって聞いたことない?人は無意識にそのリズムの中で行動してるって。あなただって銃を避けるときはそのリズムに合わせて体を動かしてるはずよ?」

 人の体内のリズム、鼓動のようにしっかりとした一拍一拍を刻む物を聞くと落ち着き、そしてそこから半拍でもずれると気持ちの悪い音のならびと化してしまう。

「けれどショコラのリズムはね、無意識に半拍ずれているの。だから誰もこの子のペースに合わせることはできない…」

 ショコラの刻むリズム、それは4拍子のように思えるがどこかずれてしまっている独特なリズム、故に彼女の刻む銃弾のリズムには誰も追いつくことができない。それは歴戦のチカにだって難しくこうしてギリギリの回避が何とか成功するくらいなのだ。

「へぇ…不思議な子なのね。でも、あなたがどんなリズムを奏でたって私がそれをかき消せば問題ないんじゃないのかな!」

「ショコラ危ない!」

 チカの持つ機関銃から放たれる銃弾の嵐、それは一直線にショコラの身体をべったりと汚した。ほぼ無敵を誇るショコラの攻撃リズム、けれど彼女の防御はからっきしでゆっくりとしたマイペースな動きでしか動けないショコラは銃弾を避けるというほどの反射神経は持ち合わせていない。いや、持ち合わせているかもしれないが体に染みついたのんびりペースがついて行かないのだ。故に彼女の戦闘スタイルは一撃必殺、相手を倒し損ねれば自分自身が倒される、そんなむちゃくちゃな覚悟の中彼女は戦場に立っていたのだ。

「うぅ…ショコラ…負けちゃった…チカちゃんに…汚されちゃったよぉ…」

「人聞き悪いこと言わないの…さて、それじゃ次はあなたの番よ、ラムネちゃん。いくら未来の妹だからって手加減はしないんだからね!」

「は?誰があんたの未来の妹なもんですか!もし私が勝ったらお兄ちゃんと別れて!二度とお兄ちゃんに近づかないで!いい?」

「それじゃ私からも一ついい?私が勝ったら二度とノエルに色目を使わないで。ノエルの彼女は私一人、あなたが変な気をおこしてるからノエルは私のことを心から好きになれないのよ」

 バチバチと視線の火花が飛び散る。もしも彼女たちの視線の狭間に立てばそれだけで視線の炎で焼き殺されるんじゃないかと思うほどに、彼女たちは敵意剥き出しの視線をぶつけていた。

 ラムネは改めて自身の得物のチェックをする。銃弾はフルで装填されている、握り心地もいつもと同じ、相手に向ける殺意に銃口の先端が煌めいた瞬間、それが勝負の始まりだった。

「お兄ちゃんを返してもらうよ、このメスブタ!」

「いつまでもノエルに色目使ってるんじゃねぇよ淫乱妹!」

 二人の銃撃はほぼ互角だった。きっと普段のラムネなら瞬時に敗北し決着がついているだろうが、今の怒りにパワーアップした彼女は特別製だった。兄への思いだけでチカと互角に争っている。気力だけでここまでするとはチカも驚きに顔を歪ませる、けれどもその表情から余裕の色は消えない。

「へぇ…なかなかやるね…これならどうかしら!」

 チカが機関銃を捨てて突撃してくる。その意外な行動にラムネは驚き一瞬の怯み、それが彼女の致命的なミスとなった。掌底が放たれてラムネの得物は宙へ舞う、からりと銃が地面を転がるころにはラムネの体は後方へ吹き飛んでいた。

「ぐっ…!」

「ふぅ…久しぶりにやってみたけどまだまだ腕は衰えていないようね」

「くっ…はぁはぁ…暴力に走るなんて…とんでもないゴリラ女ね…なんでお兄ちゃんがこんな奴を好きになったんだか…お兄ちゃんの見る目の無さには呆れちゃうわ…」

 肺から飛び出した空気を必死に体に戻す間もラムネは悪態をつくことを忘れない。チカは自身にとって兄を奪った忌むべき相手なのだ、気力だけでもいいから負けてはいけない相手だ。

「フン…負け犬の遠吠えかしら?醜いわよ」

「負け犬?ううん…私は猫よ…ただし、負け猫なんかにはならない!」

 力強いその言葉とともにラムネの頭のてっぺんの耳がピクリと動いた。それが、覚醒の合図だ。

「あなた…まさか自分の力を解放するというの!?私一人を倒すためだけに!?」

「えぇ…あなたを倒す、それが私のこの戦いの目標…ついさっきできた目標だけどね…けど、それを達成するためなら私はどうなっても構わない…みんなが、メリーが勝ちに導いてくれるから…だから私は勝利の、お兄ちゃんの障害になる一人を倒すんだって…そう決めた…だから!」

 ラムネの赤い瞳が猫のように細まった。その瞬間だった、彼女の身体がそこから一瞬で消え去った。ラムネの身体は宙に舞い上がりそこから急降下、猫のように鋭くとがった爪がチカの身体を襲った。

「ふしゃー!」

 これこそ彼女たち獣耳が生えた新人類の能力だ。新人類はただ動物の耳が生えているだけというわけではない。普段は隠されているが、自身の獣としての力を解き放つことができるのだ。

 ラムネは猫とのハイブリッド、猫自慢の脚力と鋭い爪がチカの身体を襲う。けれどチカはそれをことごとく拳で撃ち落としていく。

「にゃー!」

 ラムネは何を思ったのか身をひるがえして地面に着地し、またもその姿を消した。瞬発力を極限まで高めた彼女が向かった先、それは地面に落とした自分の得物。それを拾いチカに向けたが、そこには彼女の姿はなかった。

「にゃっ!?」

「ここだよ…」

 背後から聞こえた声に振り向こうとしたラムネ、だが頭の後ろで鳴るかちゃりと敗北を表す音に彼女の首は止まる。

「その心意気はよかったよ。能力を生かした戦い方もよかった。けど、私も能力を解放していたとしたら?」

 チカの頭には犬の耳、彼女の犬の力がそうさせたのだ。犬、視力は弱いが動体視力がよく嗅覚も鋭い、瞬発力も猫には劣るがそれでも素早いものだ。

「あなたの動きと匂いでどこに行くのかは分かった。だから先回りした。それだけよ」

「…」

 ラムネは何も言わない。

「あなた、言ったわよね、もう二度とノエルに近づかないって。いいわね?」

(お兄ちゃん…私、悔しいよ…!私、こんなにもお兄ちゃんが好きなのに…どうして…お兄ちゃん…!ねぇ…誰か助けてよ…私を、救ってよ…お願い…メリー…)

 ラムネはどういうわけかメリーのことを思っていた。自身でも無意識、どうしてメリーの姿が浮かんだのかわからない、けれどラムネはメリーに願いを請うていた。

 チェックメイト寸前、その瞬間だった。戦場に響き渡るは爆発音。彼女たちの敏感になった鼓膜を震わせる爆音に二人とも顔をしかめて爆発の方を向いた。

「ねぇチカ…模擬線で爆弾は使っちゃいけなかったよね?」

「えぇ…そうね…それに、あっちは戦場とは違う方向よ。ほかにもこの場所で演習を行う部隊はいないはず…何かおかしいわね…」

「ここはいったん休戦ってことで、どう?」

「逃げた、ね…」

「そう思ってくれても構わない。負けるのが怖い臆病者だって思ってくれても構わない。けど今は目の前のイレギュラーをどうにかしないといけないってのはあなたもわかるでしょ?」

「そう、だね…分かった。いったん休戦しましょう」

「メリー聞こえる!?メリー!」


「何よアイツ!攻撃を全部かわしてる!?弾丸が見えてるっていうの!?」

 耳に響くのはクロのイラついた声と立て続けにスナイパーライフルが火を噴く音、耳が壊れてしまいそうなほどの音を放つ漆黒の凶器はいまだに敵の姿を捉えられずにいらだたしげに弾丸だけを吐き続けている。

「おかしいわ、こんなの…!」

 俺も双眼鏡から戦場の様子を確認して絶句しているところだ。ノエルが一人でこちらに向かってきている、それはいいのだが彼は襲いくる弾丸を全て避けているのだ、しかもギリギリのタイミングでさも余裕そうに。顔色一つ変えずにそうすることが当然だとでもいう風に我が道を進むノエルに俺は言いようのない恐怖を覚えた。

「あれがほんとに人の行動かよ…明らかにチートすぎるぜ…いや…バグって言えばいいのかもな」

 彼は世界のチートか、それとも人間のバグが産み落とした人ならざるものか、それは誰にも分らない。銃弾の中歩く彼の笑顔を浮かべた表情の裏側に隠されたなにかから俺は実際目を背けてしまっていた。

「これが生き残った男の力だっていうの…!?冗談じゃない!」

 ノエルが一歩を踏み出すごとに俺の背に冷や汗が走る。寒気が体を襲い手は震え、本能が逃げろと騒ぐ。自身の力では戦うことすらも許されない相手だ、故に逃げろ、本能がざわざわと心を押しつぶす音だけが聞こえる。けれど俺は足をぐっと踏みしめて立つ、今も闘っている彼女たちを置いて逃げるなんて他ならなかったから。恐怖なんておいて行け、今も闘っている彼女たちの導きの光となれ、自身にそう言い聞かせ何とか気を紛らわせる。

「クロ!弾丸をあまり無駄にするな!今は遠いから避けられているけれど、近づけば当てるチャンスはきっと生まれる…だから無駄撃ちは控えろ」

「けど撃ちまくってないとアイツあっという間にこっちまでくるよ!陣地を取られちゃ私たちの負けなんだよ!」

「くそ…引くに引けない…まさに八方ふさがりってやつか…ならいっそ背水の陣にでも出てみるか?」

「背水の陣って…自殺志願者になるの間違いじゃない?あいつの前では後のない決死の攻撃もきっとちっぽけな自殺願望にしか見えてないはずよ」

「はは、そりゃ困ったな」

 あまりの恐怖に自然と顔が引きつり思わず笑顔が漏れた。感情と行動が矛盾したその一瞬だった。

 ドガン!

 鼓膜を破らんばかりの爆発音、俺たちはノエルそっちのけで急いでそちらの方を向いた。戦場の西側、そこから上がる黒煙の凄まじい量に爆発の威力がうかがえる。空に昇る龍のような黒煙に俺の本能はざわざわとざわめきだす。

『メリー聞こえる!?メリー!』

「あぁ、聞こえてるさ、ラムネ」

『爆発だよ!そっちからはなにか確認できる!?』

 俺は双眼鏡をのぞき爆発の現場を見た。そこにいたのはイレギュラーな存在、機械の兵隊たち、感情を持たぬ兵器どもがこちらへ進軍を開始していたのだ。

「敵だ!機械兵が…少なくとも200!」

『200か、はは…』

「また前線の奴らが取り逃がしたのかも…なにせここは戦場に最も近い場所、侵入されたらここを必ず通るの」

「なるほど…防衛戦の延長戦を俺たちにしろってか…ラムネ!お前が一番敵に近い!状況の確認だけでもいいから頼めるか!?」

『えっと…それなんだけど…無理っぽい…動けない…』

「ふざけるなよ!動けないってどういうことだよ!まさかまだチカと戦うってのか!?今は非常事態だ!そんなの後回しに…」

『違うよ!ほんとに…動けないの…』

 無線機越しのラムネの声に嘘はない、それはわかった。でも俺の頭に浮かんだ疑問符は突然の乱入者による困惑と混じって怒りと化して口から零れ落ちていた。けれど俺の無意識の感情の声を遮ってくれたのはクロだった。

「あの子…獣の解放(ビーストオープン)を使ったのよ!まったく…どうして私たちの許可なく使っちゃうかなぁ…」

「ビーストオープン…?どういうことだ?」

「新人類の話はしたよね、獣と人の配合種(ハイブリッド)だって。あの子たちには獣の遺伝子が混じってる、だから獣の耳が生えている、けれどそれだけが新人類の特徴じゃないの。ビーストオープン、それがあの子たち新人類に隠された力。自身に刻み付けられた獣の遺伝子を活性化させて一時的に獣の力を体現させる能力よ」

「というと…ラムネでいえば猫の力がついたってことか?」

「そうね、あの子の場合猫だから瞬発力やジャンプ力が大幅に上がってるはずよ。あとは暗いところでもよく目が見えるとかね」

 ビーストオープン、それが自身に動物の力を与えるということはわかった。けれどそれが動けないことに繋がるのかわからない。俺の疑問を汲み取ったのかクロはさらに話を進める。

「けどその力は一時的なもので、反動も大きい…数分間しか使用できないし使った後は動くことすら困難な体の疲労が襲ってくる。体の筋肉が覚醒するからとかって話を聞いたことあるけど詳しいことはまだわかってない。この欠点が解消されてなかったから過去に新人類の実験体は廃棄されかけた」

「なるほど…つまり必殺技みたいなものか」

「ま、必殺かどうかは別として考え方としては間違ってないわね。あの子ってばほんと無茶して…」

 ため息交じりのクロの声に俺は同意しかねた。大好きな兄を取られたのだ、その仕返しは全力をもって、それがラムネという少女の性格だ、俺は知っているのだ、まだ彼女と過ごした日は浅いけれど彼女のことならばたいていは。彼女が本来明け透けな性格だということもあるが、どういうわけか俺の興味が彼女のことを知りたいと欲したから。

『こちらノエル…聞こえるかい?ボクの仲間も敵を確認した。どうだろう、ここは共闘と行こうじゃないか』

「こちらメリー…了解です。それは願ってもないことですよ」

『よし、それじゃあさっそくで悪いんだけど…弾薬を分けてもらえるかな?』

「弾薬、ですか…?」

 俺の疑問にノエルは申し訳なさそうに答える。

『ボクたちの部隊の皆は模擬戦しかしないし邪魔になるからって実弾を誰も持ってきてないんだ、もちろんボク含めてね…ものぐさでごめん…だからもしもそっちの部隊の誰かが持っていたら分けてほしいな、なんて…』

「おいおい…こちらメリー!誰か実弾を持っていないか?」

 俺は片っ端から無線をかけまわるが誰しも答えはNOだった。本当に皆ものぐさすぎる。不測の事態に備えるのが戦場の基本だが、やはり今はイレギュラーすぎる。今度からはイレギュラーに対応できるようにしなければ、と内心で反省するが時すでに遅し、敵はもう目の前に迫ってきていた。

「こっちも全滅だ、ノエル…どうする?撤退するか?」

『撤退、が賢い判断なんだろうけど…敵を目の前にしてみすみす逃げ帰るのはボクのプライドが許さない…それにチカもラムネも動けない状態なんだろう?ボクの大切な彼女も妹も置いて戦場から逃げるなんてできるわけないよ』

「ま、そう言うと思ってたよ」

 ここで大事な人を置いてでも逃げると言えばたとえ綿の拳だとしてもノエルのことをぶん殴らないと気が済まなかったからな。

「えっと…メリー…その、さ…私、実弾、持ってるよ?」

「はい!?」

 突然のクロの告白、彼女の手の平には申し訳なさそうに銃弾が5つ転がっていた。どうして持っていたかと聞くのはあとにして、今はこれをノエルに報告しなくては。

「あ~…ノエル、良い報告と悪い報告があるんだが…どっちから先に聞きたい?」

『ベタな質問だね…それじゃとりあえず良い報告からどうぞ』

 呆れたようなノエルの声が無線から響く、無線越しでも彼が肩をすくめているのが分かるようだ。

「銃弾が見つかった」

『本当に!?よかった…これで戦えるよ…って期待しすぎもだめか…あとに控えてる悪い報告…聞きたくないけど、聞くしかないよね…』

「あぁ…俺も言いたくないんだけど…銃弾は5発しかなかった。しかもスナイパーライフル用の特殊な弾丸だ」

『あ~…こりゃ絶体絶命のピンチってやつだね。けど、ボク的には藁にもすがりたい気分なんだ。まぁ考えようによってはさ、スナイパー用の銃弾5発は藁よりもずいぶん頼りがいがあると思わないかい?』

「ノエル…うまいこと言ったつもりか?」

『ごめん…けどさ、その5発に希望を繋いでみようよ。あいにくこちらには自分でいうのもなんだけど優秀な脳みそが2つもある。ボクと、キミだ。それに優秀なスナイパーの腕もある、ボクをしとめようとした銃弾だ、ボクがその腕前は保証するよ…さて、メリーくん、キミにはそこから何が見える?』

 俺は辺りを見渡す。目に映るのは緑があふれる茂みにところどころに転がる大きな岩、そして急な斜面を携えた小高い丘、その斜面にはぬかるんだ地面が目視できる。

「…丘…?」

『丘が、見えるのかい?』

「はい…クロ!確か昨日までの天気は…」

「うん…大雨だよ」

 大雨、斜面、丘、ここまで来れば俺の頭の中に勝利の方程式は思い浮かんでいた。

「丘だ!あいつらの進行上の丘、それを使うんだ!昨日までの大雨で地面はぬかるんでいる、運良く行けば土砂を起こせるかもしれない!そしてあいつらを飲み込んでやればいい!」

『ナイスだよ、メリーくん!けど…どうやって土砂を起こすのかい?』

「丘の斜面に生えた木々が土砂を防いでくれていた、それを倒せば…」

『なるほど…でもスナイパーライフルでどうやって木を倒すんだい?』

「それは…」

 俺はそこで答えを見失う。たとえスナイパーライフルという貫通性の高い武器があるとしても木を倒すにはそれなりの弾数が必要だ、5発ではどうにもならないだろう。土砂という一番の答えを失い俺は回答を導き出せずに宙に視線をさまよわせる。

『ま、ここはボクの出番だね。ボクの部隊に剣の達人の女の子がいる。彼女に任せればいい』

「え…?でも…」

『大丈夫…木にギリギリ倒れない程度の切り口を入れておいてもらうだけさ。あとはそこめがけてスナイパーライフルをぶっ放せば…』

「なるほど…!自発的に土砂崩れを起こせるってわけか!」

『あとは5発で土砂崩れを起こせるかどうかだよね。倒せる木の数は5本、正解の木を切り倒さないとボクたちはジ・エンドってわけさ』

 ハハハ、と無線越しに笑うノエル。何がおかしいのかわからないが、俺も自然と口から笑みが漏れていた。この笑みは、自身に満ち溢れた心が漏らしたもの。この作戦の絶対的な勝率に対する笑みだ。

「うちのスナイパーの腕を舐めないでくれるかな。それにあんたも言っただろ、最高の脳が二つそろってるって…答えを導き出すのは、俺たち脳みその仕事だ」

『確かにそうだ』


 こうして俺たちの作戦は始まった。ノエルの言う剣の達人はあっという間に木々に切れ込みを入れていった。土砂の重さでグラグラと揺れる木々の群れ、けれどギリギリに倒れない微妙な立ち位置で、見ているこちらがひやひやとしそうだ。この作戦、すべてのタイミングが合わなければ俺たちの負けは確定する。もしここで強風が吹き木々が倒れてしまい土砂が起こってしまえば、敵を飲み込めずに失敗となる、運も必要な史上最高のとんでもゲーム。

「クロ…まずは一発目。真ん中より少し右側、あの小さい木を狙え…3…2…1…ファイア!」

 バン!

 空気の振動、飛翔する弾丸、撃ち抜かれ倒れる木、少し漏れる土砂流、けれどほんの少し、作戦に支障はない。

「よし、いいぞ、クロ…次は二発目だ」

 この調子でクロは二発、三発、四発と次々とシュートを決めていく。よほどの緊張感なのか彼女の額には大量の汗がしたたり落ち息も上がっている。けれどどういうわけか彼女は笑っていた。極度の緊張が彼女の興奮状態を高めたのか、クロの高揚した勝利を確信したような笑みがかえって心地よい。

「さぁラストだ、クロ…決めてくれよ…あとは真ん中の大きな木だけだ…タイミングもバッチリ…3…2…1…ファイア!」

 それは俺たちの祝砲とも変わる銃声に、なるはずだった。クロの一撃で木は倒れ重要なストッパーを失った土砂は流れ落ち、それをスイッチとし他の木々も土砂の勢いで倒れ物言わぬ兵士どもをぺちゃんこにする、そのはずだった。けれど現状は違った。

「嘘!?倒れない!?」

「まさか…予想以上に強度が高かったのか…まぁそりゃそうか…あれを倒せば土砂が落ちてくるってことはあいつにかかる負荷も相当…それを耐え抜くには相当な強度が必要ってわけになる…」

「それじゃ…作戦失敗なのか!?」

 俺の悲鳴にも似たその声にノエルは力なく頷いた。拠点に戻ってきたパーティメンバーでさえ落胆の声を漏らす。俺たちは、敗北したのだ。

「みんな!至急頼みたいことがある!チカとラムネを連れて帰って来てくれ!あの子たちはまだ動けないでいる!急いでだ!」

 ノエルの声に慌てた雰囲気の仲間たちが次々と拠点から飛び出していく。残ったメンツも敗走の用意を整えて完全に落胆ムードだ。けれど、一人だけこの敗北の中、前を向いている人間がいた。

「まだよ!まだ…私たちは負けてない!ここで負けるなんて…嫌!」

 クロが、叫んだ。彼女の叫び声も負けを認め鈍ってしまった俺たちの脳内には響かない。

「ここで終わるのは…なんか違うの…ほんとは使いたくなかったけど…!」

 ガシャン!スナイパーライフルに一発の弾丸が、装填された。それは6発目の、弾丸。どこに隠し持っていたのか、また彼女に対する疑問は増えたが今は関係ない。その弾丸は俺たち全員の希望、この弾丸で、すべてが決まるのだ。

 バン!

 銃弾が、放たれた。最後の砦だった働き者の木はその役目を終えて宙に吹き飛んだ。その瞬間、豪快な土砂崩れ、3日連続の雨で緩み切った斜面は濁流とも呼べるほどの土砂を無機質な命に振り下ろし彼らの機能を全停止させた。

 喜びに沸く仲間たち、興奮を隠し切れずに叫ぶなど様々な嬉々としたリアクションが飛び交う中、クロだけはどこか悲しげな顔を浮かべていたのを見たのは、俺の気のせいだったのだろうか。それに、彼女の唇がどうしてか「ごめんね」と動くのを俺は見た気がした。


「皆さんお疲れ様です!好きなだけどんどん食べてください!」

 かくして戦闘は終了、奇跡的な勝利の喜びが冷めやらぬまま日は傾きやがて訪れる夜の帳、俺たちの前には豪華な食事、輝くばかりのおいしそうなモノに囲まれて俺たちは野獣のようにそれを貪り食っていく。現在祝勝会中、ここでは朝方敵対していた相手同士も関係なく、ただ好きなように飲み騒ぐだけ。未成年でお酒は飲めないが皆酒が入ったように陽気に騒ぎあっている。

「お兄ちゃぁん…あ~んしてよぉ…あ~ん」

「ノエル!私が彼女なんだから私にしてくれるよね!」

「あ!割り込みは禁止!今は兄妹水入らずで楽しむの!」

「何言ってるのよ泥棒猫!今はノエルは私のものよ!離れなさい!」

「ハハハ、ノエルも大変だな」

「そう、みたいだね…」

 からかうように笑みを向ける俺にノエルは居心地が悪そうポリポリと頭を掻いた。片方が妹だとはいえこれほど女の子にモテるなんてのはうらやましい、と思ったがラムネとチカのまるで獣のようなそれを見ているとどうもそう考えるのは浅はかなんじゃないかと思える。

「ていうかあなた!今日の戦いは私の勝ちだったんだから譲りなさいよ!」

「あれはノーカンだって決めたでしょ!ねちねちと言わないでくれるかな?」

「何よそれ!やっぱりあなたとは一度本気で決着つけたほうがよさそうね…ま、私が勝つけどね」

「何をー!私だってお兄ちゃんとイチャイチャするためなら本気になるよ!もちろん命だってかけてあげる!」

「そう簡単に命をかけるなって…」

 二人の喧嘩まがいの言いあいを苦笑いで見つめていたノエルだがふと、ポン、と手を打ち鳴らしてどこかに消えてしまった。次に現れた彼の手には大きな袋が、まるで季節外れのサンタさんのようだ。

「はい、ラムネ。これプレゼントだ。最近会えてないからさ、そのお詫びっていうか…」

「え…?いいの…?」

「あぁ、いいぞ。ラムネが気に入ってくれるかわかんないけど…」

 ラムネが嬉々として袋を開けるとそこには大量の人形がつまっていた。ただそのどれもが同じ型だけれども。

「こんなにいっぱいくれるの!?」

「いや、それは日頃ラムネがお世話になってる仲間の子たちにもあげようと思ってさ。やっぱり気に入ってくれるかわからないけど…みんなに渡しておいてくれるか?」

 その言葉を聞くや否やラムネの顔から笑顔が消えた。次いで浮かんだのはさみしそうな表情、そして泣きそうな顔になり、やがて怒り顔、まるでころころと仮面を取り換えているよう。

「ん…?どうしたんだラムネ…?」

 訪れる無言に疑問を覚えたノエルはラムネに尋ねる、だが彼女から返ってきた答えはきっと彼の想定外の言葉に違いなかった。きっとノエルが一度だってラムネの口から聞いたこともない言葉が、いま彼女の口から涙とともにぶちまけられた。

「お兄ちゃんのバカ!大っ嫌い!死んじゃえ!」

「ら、む…ね…?」

「お兄ちゃんなんかもう知らない!お兄ちゃんなんか大っ嫌い!こんなのもいらないよ!」

「ラムネ…!」

 まさに脱兎のごとく、彼女はその場から逃げ出した。大好きな兄からもらったプレゼントさえ地面に投げつけてただただ逃げ出した。彼女の涙の真の理由を知らないノエルだがとっさに追いかけようとして、止まった、いや、止められた、彼の恋人の手によって。

「離してくれ、チカ!ボクはラムネを…!」

「今行ってもきっと怒らせるだけよ?あの子くらいの年齢の子はデリケートなんだから…もう少し様子を見ましょう?」

「そ、そう、だな…」

 どういうわけか、俺もその場から離れることができなかった。彼女の涙を見てしまったからか、それとも彼女の今まで見たことのない感情に驚いてしまったからか、もしかしたら、彼女の奥深くに潜り込むのがためらわれてしまったからなのかもしれない。俺は彼女の深くに踏み込んでもいいのだろうか、もし踏み込んで中途半端な慰めの言葉で彼女を傷つけはしないだろうか。

(俺は…またあの日のようなことを、繰り返すのか…?)

 俺の中に思い出されるのはあの日の恐怖、かの親友が見せた蔑みの瞳、あの時の恐怖が体をよぎり全身に寒気が走る。そして思い出されるのは、あの日触れた彼のとてつもなく冷たい身体、俺の中の世界が途絶えた瞬間、俺はその日の再来を、恐怖しているのだ。今新しい世界で歩みだした足が、また暗い部屋の中に根っこを張ってしまうのを、恐れているから。

「…」

 俺はただ黙っているだけ。食事も摂る気も失せ、俺はただ端っこのほうで騒がしい世界を眺める、まるで俺だけが世界から隔離されてしまったように。


『今回のことは、どういうことかわかっているのか?』

「はい、わかっています…裏切り、です…」

『あぁ、そうだ。貴様は命令を無視し、あまつさえ我が軍勢を退けた。これは立派な裏切り行為であり、その罰が求められるのはもちろん…わかっているよな?』

「待ってください!罰なら私が受けます!だから妹には…!」

 暗闇の中、叫び声だけがむなしく響いた。叫び声を聞いた無線の先の人間はただそれをほくそ笑むだけ。人を嘲るような声音でさらに彼は言葉を紡いでいく。

『だが貴様は裏切りを起こした…裏切り者の言葉など聞く意味もないだろう?違うか?』

「ですが…!」

 引き下がることのない言葉、無線越しの男は相手をもてあそぶようにさらに続ける。声だけで男の口元がいびつに歪んでいるのがわかるくらいだ。

『くくく…滑稽だな、プライドはないのか?』

「お願いします!妹だけは…妹だけには手を出さないで!」

『はぁ…わかった。だが覚えておけ。次はない。この言葉は本当だ。次に貴様がしくじったときは…その時は貴様の大切な妹の命は、ないと思え』

 その言葉を最後に無線は切れた。空間を支配するのは異様なノイズの音だけ。

「ごめんなさい…ごめんなさい…」

 少女の漏らす嗚咽はノイズよりも小さい。助けを求めようにもだれにも頼ることができない、そんな理不尽な世界に彼女は絶望の涙を流す。理不尽にとらわれた妹を思い、ただ彼女は求める、自身への赦しと、地獄のような黒に満ちた世界に光を与えてくれるヒーローを。

「お願いよ…誰か…誰か、助けてよ…」

 けれど少女の言葉はだれにも届かない。進むべき道を奪われ暗闇に落とされた少女は今日も、明日も、きっとその先もさまようのだろう、仲間という大切な存在を欺きながら。



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