俺が人形になってケモミミ女の子たちを導くってマジ?

木根間鉄男

第1話プロローグ&獣っ娘がいるのは天国ですか?地獄ですか?

―プロローグ―



 ―俺はいったい、何になりたかったのだろうか?―


 暗闇の部屋、明かりといえばテレビのディスプレイから放たれる眼が悪くなりそうなそれのみ、部屋に響く音はカタカタとボタンをはじく音とぶぉーと唸るファンの音だけ。テレビ画面にはぼさぼさの髪の毛にクマを携えた男が一人、ニヤニヤといやらしい笑みを浮かべながら画面外の俺を見ていた。そいつの虚ろな瞳に映る俺の瞳の中にも、そいつの姿があった。不健康まるだしの鑑写しの俺自身はまたにやり、と笑う。その瞬間テレビから響くのは楽しげなファンファーレの音、それと同時にボタンをはじく音はやんだ。画面に映るのはYou Winの文字、やりこみ過ぎて見飽きたその文字を目で追いながらまた俺はボタンをはじき始める。


 ―いったい、どうしてこうなってしまったのだろうか?―


 自身のうちに湧き上がる疑問、それはゲームソフトをロードする時間と反比例して驚くべき速度で俺の内側を侵食した。一体俺は何になりたくて、何をしたくて、何をどうして今ここにいるのだろうか。自身に問いかけても、わからない。壊れてしまった心は、すでに答えを導くのを諦めてしまった、ただ一つ、絶対的で万能なジョーカーのような裏技の回答を見つけてしまったから。


 ―世界が、くだらないから―


―世界には、夢も希望もないから―


 ―世界には、正しいものなど何一つないから―


 俺は隠されたこの回答を見てしまってから、ずっとこうしている。何千、何万、何億と繰り返しゲームを起動させ、俺は世界の英雄となった。けれど仮想空間の俺が英雄になるたびに現実の俺自身はどんどん英雄から遠ざかっていく。かつて憧れたゲームの奥で俺の命令を待つだけの勇者も、今は遠く遠く、手も届かない天空にいる。ちなみに俺がいるのは地上よりもっと下、きっと下水管の中なのだろう。汚水にまみれ埃でくすんだパイプを見上げ、空の青を望むこともなく過ごすドブネズミのよう。


 ―いったい、俺の人生とは何だったのだろうか?―


 いくら問いかけたって人間界のゴミだまりに逃げ込んだ俺には神様は答えをくれない、それは閻魔様だって同じだ。彼らはいつだって人生を懸命に生きている人間を手招きするのに必死で何の生産性もなくひっそりと隅っこで誰にも見られずにいる俺のことなど忘れてしまっているのだろう。いっそ自分から神様か閻魔様の所へ遊びに行こうか、なんて思うけれど自身の命の管を切り裂く勇気もなければ部屋の中で惨めなてるてる坊主になる度胸もなかった。もしも俺の必要のない命を今日明日にでも病気で死んでしまう幼子に与えられたなら、なんて思っている間にゲームのロードが終わったようだ。俺はまた何度もやりつくした新しいステージに立つ。画面の中の俺には初めての光景でも現実の俺はもう見飽きてしまい目隠ししてもクリアできるような世界に、俺はまたふける。今はこうしていることが幸せだ、ゲームの中の俺と一体化している時だけが、自分の惨めさもゴミクズ加減も、逃げ出した負け犬だということを見なくて済むのだから。

「腹…減ったな…」

 いくら俺がゲームと一体化しようが腹は減る。体が自身の可愛い命を紡ぐために犠牲となる命を欲しがっている。一日中テレビ画面の前に貼りつくだけの生活だというのに俺の腹の虫は贅沢に肥え太った欲しがり屋さんだ。

「コンビニ…行くか…」

 また今日も家とコンビニの往復。あぁ、くだらない、くだらない、くだらない―

 いっそ世界が滅んでしまえばいいのに―

 それならば俺が勇気を振り絞って天国か地獄かの片道旅行を実行せずに済むし、生きとし生きるものが皆平等に滅びればきっと怖くもないのだろう。

 なんて妄想を抱きながら俺は部屋の外へ、つまらない現実へと足を踏み出す。


 ―あぁ…くだらない…つまらない…消えてしまえ…滅んでしまえ…―


 ―俺の思いを踏みにじったこの世界なんて、壊れてしまえばいい―


 外は世界をぼやけさせてしまうほどの、大雨だった。



―第1章「獣っ娘がいるのは天国ですか?地獄ですか?」―



「うぅ…寂しいよぉ…また家に帰ってこれなくなっちゃったって…うぅ…どうしてよ…お兄ちゃぁん…私はこんなに会いたいっていうのに…」

『大丈夫だよ。俺はお前のことちゃんと見守ってるからな。いい子にしてたらすぐに会えるって』

「うん…私、いい子にしてる…けど、すぐっていつよ?1時間後?2時間後?それとも10分後くらい?」

『それは俺にもわからないなぁ…なにせ俺は未来のことは見えないんだからな、ハハハ』

「笑い事じゃないよお兄ちゃぁん…私寂しくて死んじゃいそうなのぉ…ウサギは寂しいと死んじゃうんだぞ!」

『ははは、お前はウサギじゃなくて猫だろ?何言ってるんだよ』

「んもう…お兄ちゃんのバカぁ…」

 女の子の声が、聞こえる。やけに可愛らしい声の女の子だ。声だけでこの女の子がとても可愛らしくて元気そうな子だということが分かる。

(ていうか…この子誰だ?)

 瞳がうまく開かないのでわからない。真っ暗な視界の中聞こえる女の子の声、それに漂ってくるのはほんのりと甘酸っぱいいい匂い、俺が今まで嗅いだことのない匂いだ。

(スンスン…なんだろうこの匂い…甘いような酸っぱいような…レモン?オレンジ?いや、違うな…キャラメル?いや、それだと甘すぎる…う~ん…)

「お兄ちゃん…こんなに好きなのに会ってくれないなんて寂しすぎるよ…」

 嗅覚を存分に働かせていた俺は突然の温もりにドキッとする。俺は突然得体の知れない柔らかくて温かなものに包まれてしまったのだ、しかも強く。むにゅっとしていてプルンとしていて、とても安心する温かさだ。

(え…!?俺は今何に抱きしめられてるんだ!?というかここはどこなんだよ!動物園か!?俺はクマかなにかに抱き着かれてるのか!?ドッキリ!?ドッキリなのか!?あまりにもニートし過ぎた俺に母さんがショック療法でも試してるのか!?)

 いや、動物にしてはこの甘い匂いはおかしすぎる。動物ならもっと獣臭いはずだ、昔犬を飼っていたので奴らの獣臭さは体感済みだ。それに毛むくじゃらではないことからもこれが少なくとも動物園にいるタイプのものではないと分かる。

「はぁ…お兄ちゃぁん…私…とっても寂しいよぉ…」

(もしかして…俺、キャトられちゃった?少し昔に流行ったキャトルミューティレーションってやつ?じゃあ今俺を抱きしめてるのは宇宙人?でもこの可愛らしい典型的なブラコンセリフ…はっ!宇宙人はエロゲが好きだった!?)

 なんて意味の分からない思考が頭をよぎりまわる。視界が不自由なのはこんなにもつらいことだったのか、俺は改めて視力の大切さを実感する。これからはゲームをするときはちゃんと部屋を明るくしよう、なんて子供でもわかっていることを再確認し目を開ける努力をする。

「お兄ちゃぁん…好きなのぉ…大好きぃ…」

(エロゲするならちゃんとヘッドフォンしろよ宇宙人!萌えボイスダダ漏れだぞ!…っと、やった!目がひらい…た…え…?)

 俺の視界に明るさが戻った。差し込む光に一瞬くらみ目を細めたがだんだんと瞳が光に慣れてくるにつれて俺は現状の異常さを理解した。今まで頭で考えていた奇想天外な事柄があまりにも暢気すぎると思うほどに。どうせならキャトルミューティレーションに遭遇した方がよかったと思うほどに。

 俺の瞳の目の前には、瞳があった。瞳と瞳、見つめ合う。けれど俺の二つの瞳が見つめるのは、一つだけの真っ赤な瞳。まるで時々空に浮かぶ赤い月を見ているかのよう。月がだんだんと近づいていき、俺の唇に何か柔らかなものが触れて、離される。その瞬間俺を抱きしめていたものの正体が分かった。

 それは、巨人だった。

 巨大な女の子が、目の前にいた。今話題のマンガに出てくる奴らのように裸、というわけはなくちゃんと服を着ているが。だが俺はどうして巨人につかまってしまったのだろうか?世界には巨人があふれているわけもないし、第一まだ壁だって生まれてない。

「お兄ちゃん好きぃ…」

『ははは、俺も大好きだぞ』

 エロゲのボイスかと思った声はこの女の子が喋っていたこと、そしてもう一方の受け答えする声も、彼女のものだった。彼女は俺の身体を指でいじってまるで幼子が人形で一人遊びするみたいに応答させていた。

(かわいそうな子…)

 見た感じ幼子という年齢ではない、人間サイズの身長ならばもう高校生くらいの女の子がお兄ちゃん好き好きって言って人形相手に独り言、それはもうたまらないくらいに頭がかわいそうだ。まぁ引きこもっていた俺が言える立場じゃないが。

「お兄ちゃん…早く会いたいよぉ…」

 女の子は俺を抱きしめると急に頬をさらに赤く染めた。瞳はとろんと虚ろになり呼吸もどこか荒い息に変わっていく。上気した女の子の肌、その熱さが俺の体全体に伝わり自身の身体も熱くなってくるのが分かる。女の子はそのまま俺の身体を自身の股座(またぐら)へと…

「ちょっと待ったぁ!」

「ふぇ…!?」

「いやいやいや!それ以上はまずいから!たぶん倫理規制に引っかかるというか18歳未満閲覧禁止というか…とにかく俺がまだ見ちゃいけないものなんだよ!」

「え…?ふぇ…?な、何…?」

 女の子が不審げな顔で俺のことを見ている。その顔はなんで喋っているの、とでも言いたげな顔だ。けれどその顔も次第にニヤリとした笑みに変わっていき、最後には太陽みたいに眩しい満面の笑顔の花に変わった。

「うわぁ!喋った!なにこれなにこれ!喋るおもちゃ!?それともお兄ちゃんの分身!?うん、きっとそうだ!お兄ちゃんが私に悲しんでほしくないからってこんな機能を隠してたんだ!やったぁ!これでお兄ちゃんとずっと一緒におしゃべりできるよ!」

「はぁ…キミ、どんだけアホの子なんだよ…」

 巨人というのは頭の中がすっからかんなのだろうか。それとも脳みその半分以上はお花畑なのだろうか。

「というか…なんだ、この違和感…」

 俺はアホの子の頭の中なんてどうでもいいくらいの違和感に襲われた。声が、おかしい。どうおかしいと詳しくは言えないが、普段聞き慣れた自分の声よりもちょっとだけ高いような、けれども明らかに俺の声だと分かる不思議な感じ。それに体もうまく動かない。それはこのお花畑ちゃんにつかまれているせいというだけではないだろう。

 俺は辺りを見渡して状況確認をする。ここは、女の子の部屋、たぶん巨人ちゃんの部屋だ。今目の前にいるのは頭ゆるゆるなアホの子、これも間違いない。俺は目が覚めたらここにいて、この子にもてあそばれ、挙句の果てに性欲処理の道具にされそうになった、それもいい。なら俺がここに来る前はどうしていたか、思い出せ、俺。

(そう…俺はコンビニに腹ごしらえの弁当を買いに行った…確か外は雨が降ってたな…端末で天気予報を調べたら台風だって…そうだ!端末!端末になら時計機能もついてるしGPS機能もある!確か端末はポケットに…)

 俺は何とか動かしがたい腕を動かして自身のポケットに手を突っ込もうとして、気付いた。ポケットが、ない。確か俺はあの日ジャージを着ていた、もちろんポケットがついていたのは確認済みだ。じゃあどうして今ポケットがなく、代わりにモフモフとしたなにかがあるのだ?

 ぽんぽんとポケットを探して、俺はさらに気付く。足全体が、モフモフになっている、と。

 俺は恐る恐る下を向いた。そこには、俺の慣れ親しんだ足も、生まれた時から俺を男として規定する相棒も、なくなっていた。代わりにあるのはモフモフとした人形のような足、腕も見てみたがやはりモフモフ。

「おいおい…これってまさか…」

 まさかと思って俺はアホの子のキラキラした赤い二つの瞳を覗いた。そこには、羊のようにもこもこした全身になぜか頭の上にウサミミをはやした謎の生物の姿が映っていた。そしてそれは、まぎれもなく俺だと判断することができた。ただ頭で判断するのと頭で理解するのは別物で、俺がどうしてこんな謎生物の体になってしまったのかは不明である。目が覚めると謎の人形になっていた、これにはカフカもびっくりである。とりあえずここは…

「なんじゃこりゃー!」

 定番のセリフを叫んでみた。

「ん?お兄ちゃん何叫んでるの?」

「いや、これが叫ばずにいられるかっての!てかなにお兄ちゃんって!?」

「お兄ちゃんはお兄ちゃんだよ?それ以外の何者でもないって」

「あ、そ、そう…」

 とりあえずこの論争はあとに放置しておくとして、俺が今しなくてはいけないのは必要な情報を集めることだ。

「とりあえず君の名前を教えてくれ。あと身長も教えてほしい。で、よければなんだけど鏡も持ってるなら見せてほしいんだ」

「お兄ちゃんってば私の名前忘れちゃったの?お兄ちゃんなのに?」

「だから俺はお兄ちゃんじゃない。俺は要 陸斗(かなめ りくと)だ」

「こんな格好なのに要陸斗君?なんか違うよねぇ…あ、そうだ!キミはこれからメリーね!うん、これなら可愛い!」

 女の子は鏡に俺の姿を映してメリーと命名する。俺の身体はやはり羊とウサギの融合失敗生物のぬいぐるみだった。羊の姿からあの羊といえばの名前を取ったのか、それとも名前からメリーととったのかは謎だが、とにかく今は一刻も早く話を進めなくては。

「もうメリーでいいから!キミの名前を教えてくれ!あと身長も!」

「スリーサイズは?」

「す、スリーサイズ…ごくり…いやいやいや!いらないから!とにかく早く!」

 スリーサイズと言われた瞬間この子の可愛らしい顔立ちにはあまり似合わない大きな胸を見てドキドキとしてしまったのだが、それは内緒だ。

「私はラムネ!身長は…160センチ…嘘!冗談!ほんとは159センチなの!ごめんなさい!」

 身長159センチのラムネ、彼女の言うことが正しければやはり俺は小さな人形になってしまった、つまりおかしくなったのは俺自身ということになる。何が楽しくて俺はこんな魔法少女のマスコットキャラみたいなやつの身体にならないといけないのか、もしかしてこの子を魔法少女にするのが俺の指名なのか!?なんて馬鹿なことが考えられるくらいには状況に余裕が出てきたころ、俺はあることに気付いた。赤い瞳に似合う銀色のサイドポニーの頭の頂点にある者を。

「あれ…?ラムネの頭…それ、猫耳?」

「そうだよ!ニャーニャーニャー」

「人間に、猫耳…?猫耳カチューシャ?」

「違うよ!正真正銘本物の猫耳!触ってみる?」

「あ、あぁ…うわ…すっげぇ…ふにふにして柔らかい…それに、モフモフってしてる…」

「やん…くすぐったいよ、メリー…うふふ」

 どういうことだろう、人間の頭に、猫耳が生えている。念のために付け根を確認してみたがやっぱり頭部からぴょんと飛び出していて作り物でもカチューシャでも何でもないことが分かった。

 目が覚めてから分からないことだらけだけれど、一つだけわかることがある。これは、夢じゃない。どうしようもない、現実だ。まるでファンタジーゲームに迷い込んでしまったように思えるが、これは現実だと本能が叫んでいる。俺はどうしてこの現実に迷い込んだのか、それはきっと目の前のラムネに尋ねても答えは返ってこないのだろう。

 いつだって世界は理不尽だ。けれどこの理不尽は、世界に絶望した俺にとって何かを与えてくれる、そう思った。何かが始まる、そんな予感が心の奥底から流れ出して止まらない。

 俺は少しだけ、世界を許せたような、そんな気がした―


「あ…ありのまま今起こったことを話すぜ!俺はコンビニへ行ったと思っていたら気がついたら人形の体になり目の前には獣耳の女の子がいた!な…何を言ってるかわからねーと思うが俺も何が起こったかわからなかった…」

「メリー…それ誰に言ってるの?」

「ごめん、なんか言いたくなった。けど、ほんとにどうなってるんだよ、これ…」

 現実とわかったとしてもやはり夢のような現実を俺の普通の脳内は判断することができない。いや、たとえ俺の脳が奇人変人のそれであっても絶対に理解できていないと思うが。

「とりあえず教えてくれ…ここは、地球なのか?やっぱり宇宙人でしたってオチは無しにしてくれよ?」

「もう…メリーってば質問ばっかりで鬱陶しいよ!」

「こっちだって目が覚めたら変な体になって戸惑ってるんだよ。少しはこっちの気も考えてくれ」

「はぁ…分かったよ。ここは地球だよ。もっと狭い範囲でいうなら日本のトーキョーだよ」

 東京に猫耳の女の子、そうか、ここはコスプレ喫茶か。ということは秋葉原だな、なんて短絡的な考えができるほど俺も頭がお花畑ならよかったと思うが現実から目を背けてはいけないのだろう。

「ま、とにかく外に出てみる?百聞は一見に如かずってね」

「そう、だな。そうするよ」

 で、俺はラムネに抱えられて外に出ることになったのだが、そこは俺の想像をはるかに超えた世界が展開されていた。

「なんじゃこりゃー!」

 またもおきまりなセリフ。けれど口から出る言葉はそれ以外考えつかなかった。

「これが…東京だと…?おいおい…おかしすぎるぜ…」

 実際俺は東京に行ったことはないので詳しいことは言えないが、どう見てもここがテレビ画面から眺めた東京の景色と違うのはよくわかる。無機質な形状のビル群に鉄筋コンクリートの塊の集落、まるでダンジョンのように入り組んだ道路を走る排気ガスの塊たち、そして何を急いでいるのかせかせかと動き回るくたびれ顔の人間の群れも、ここにはいなかった。

 俺の目の前に展開された光景、それはまるでアニメに出てくるファンタジー世界のような街並みだった。石造りの街並みに整備されていない天然の土の道路、開くとからんからんと軽快な音を鳴らすドアのお店たち、それに今ではほとんど考えられない路上販売の群れ。そこを行きかう人々は現代では考えられないほど皆笑顔で賑わっていた。見上げた空は真っ青でどこにも排気ガスの気配など感じられない。

 ここが本当に東京かといわれると首を振るしかないだろう。

「車も…自転車も走ってない…移動手段は足だけ…こんなの本当にゲームの中の世界じゃないか」

「車?自転車?何それ美味しいの?…っていうかメリーってゲームするの?私大好きなんだぁ」

「あ、ゲームはあるのな」

 ラムネはポケットから四角い箱のようなものを取り出した。それは俺の見覚えのある物でよく使っていたゲーム機だった。二つ画面がついていてタッチペンを使って操作するというあれだ。

「お前それ!俺がやってたやつじゃん」

「え?嘘!?メリーって案外マニアックなんだね?」

「マニアック?いや、老若男女人気があったはずなんだけどな…まぁ確かにちょっとマニアックなソフトもあったけどほとんどが大衆向けのはず…」

「え?そうなの?でも友達でゲームなんてしてるの私とミントくらいだよ?あんなレトロ趣味してる子なんて最近いないって」

 そのミントという子のことは知らないが俺は驚きを覚える。どういうことか考えるのも疲れ頭が沸騰しそうになる。それを中和しようと空を仰ぎ見た途端ふと俺の視界に知っているものが映った。

「おい…あれって…東京タワーか?」

 今は別のタワーに取られてしまったが東京のシンボルといえばの真っ赤な電波塔、昔から赤い体で俺たちを見下ろしてきたあのタワーを俺の視界は捉えたが、やはりというべきかその姿はおかしかった。東京タワーがボロボロなのだ。鉄骨は朽ち果てぼろぼろに崩れ先端から中腹やや上まではぽっきりと消え去っている。それが印象的な赤い色だということだけが唯一東京タワーだと分かったが、もはやあれを東京タワーといえるのだろうか。いうならばタワーのなれの果て、死骸のようなものだ。死してなお街を見下ろす高さのそれに俺の脳内にはある仮説が浮かんだ。それは恐ろしい想像、ありえないと思えるもの、けれどこれしか納得しえる考察がないというほどにぴったりとはまるパズルのピース、俺は恐る恐るその考えを口に出した。

「もしかすると…ここは、未来の世界なのか…?」

 朽ち果てた東京タワー、それは明らかに年月を重ねたものと見える。耳が生えた人類、それも人類の進化の過程と仮定する。ゲームがレトロ趣味だというのもゲーム機自体が廃れてしまったからか。俺が暮らしていた時代から明らかに低くなった文明レベル、けれどこれを荒廃と呼ぶならば、もしかするとの可能性が膨れ上がり俺の中の全てのピースがもしかしての形に埋まっていく。

「何言ってるのメリー?未来の世界って何よ?さっきからわけが分からないことばっかり言って…」

「頼む!最後の質問だ!これに答えてくれたらもう何も質問しない。だから教えてくれ…今は、西暦何年だ?」

「せいれきって…何?」

「おいおい…マジかよ…冗談はやめてくれって」

「冗談なんて言ってないよ!メリーが真剣にお願いしてるのに私がふざけたこと言うと思ってるの!?私ってそんなに意地悪な子に見える?」

「いや、意地悪かどうかはさておきだ…よし、じゃあ質問を変えよう。今は、何年だ?」

「教えない!さっきの質問で最後だってメリー言ったじゃない!」

「頼む!一生のお願いだって!お願いだ!」

「はぁ…分かったよ。今はアリア歴50年」

「アリア歴…?」

「そう。アリア様が滅亡する世界を救ってから数えて50年目ってこと」

 アリア歴、滅亡寸前の世界、荒廃した文明、レトロ趣味のゲーム、死骸と化した東京タワー、それが導くものは一つだけだ。俺の答案用紙に嬉しくない花丸満点が付けられて返却された瞬間だった。

「やっぱり未来じゃないか!俺が住んでたのが2016年…世界の滅亡がいつになるかわからないけど50年以上、いや、きっと100年以上はたっているはずだ…なんだよこれ何だよこれ何だよこれ!」

「メリー?大丈夫…?落ち着いてよ」

「これが落ち着いてられるかよ!なんだよこれ!目が覚めたら人形の身体でさ!ただでさえ不自由な体だってのに今度はタイムスリップだと!?ふざけんなっての…俺が、なにしたっていうんだよ…なぁ神様…俺、悪いことしたか…?確かに世界はくだらないとか思ったよ!けれど…こんな仕打ちは最悪じゃねぇのかよ!」

 俺の声は気づけば涙に潤んでいた。今までためてきた不安と困惑とどうしてという気持ちが一気に爆発したのだ。

「メリー…落ち着いてって」

「うるせぇ!」

 自然と口から放った怒りの声、けれど次の瞬間ハッと我に返る。今までへらへらとした笑みを浮かべていたラムネが、しょんぼりとした顔を浮かべて黙り込んでしまったのだ。そうだ、俺は八つ当たりをしてしまったのだ。成り行きとはいえ今まで俺と一緒にいてくれて俺に教えてくれた女の子に俺は八つ当たりをしてしまったのだ。怒りたいのは彼女も同じ、心配して優しく声をかけたのに俺がひどい怒りの声を出してしまったから。

「ごめん、ラムネ…俺、ついカッとなって…」

「ううん、いいよ…私こそごめんね。私、やっぱり鬱陶しいよね…」

「そんなことないよ」

「いいよ、無理しなくて…ほんと、ごめんね…」

 ラムネの笑顔が傷ついてしまった。それは俺の勝手な怒りのせい。彼女の太陽のような眩い笑顔が今は曇り空に隠れて雨まで降りだしてしまいそうだ。降水確率でいうと70%くらいだろうか。俺は彼女の気を逸らすべく何か話の種を見つけようと周りを見渡した。

「あ!そういえばそこもかしこも女の人ばかりだけどどうしてなんだ?」

 街の中、数多の人が集まるそこにはどういうわけか女の人しか集まっていない。こんなに女の人ばかりが固まっているというのはたとえ俺が過ごしていた時代の東京でも一切ないだろう。まるで小物店かブティック店か長蛇の列が常のパンケーキ屋さんにでも迷い込んだ気分である。女の人、といってもラムネみたいに動物の耳を生やしている人もいるしそうじゃない人もいるのも不思議な所だ。未来人は全員獣耳ではないということなのだろうか。

「メリー…また質問なの?」

 少し悲しそうな顔を浮かべていたラムネだがふっと笑みを浮かべた。それは呆れにも近いようなものでも、彼女の顔に笑みの花が咲くには十分だった。

「ごめん。でも、俺やっぱり知っておきたいからさ…」

「はぁ…分かったよ。教えてあげる。それはね…」

 と、話し始めようとするラムネの言葉が轟音に覆われた。轟音というか爆音、ドガン!という爆発音がラムネの言葉をかき消し俺の耳を執拗なまでに振動させた。

「な、なんだ!?」

 その音が何かのイベントのものではないというのは音の凶悪さと周りの反応からうかがえる。かん高い悲鳴を上げ逃げ惑う人々、不安そうな顔を浮かべなにをしていいかわからずにその場にうずくまってしまった人、大事な金物を抱えて我先にと走り出した人、様々な人が同じ感情を抱えて街の中を逃げ惑う。

「ラムネ!」

 俺は彼女の名を呼び見上げた。きっと彼女もこの群衆と同じで不安げに慌てふためいていると思っていたから。少しでも平常に戻してあげた方がいいと考えて叫んだその言葉だが俺のお節介も虚しく宙に霧散した。

 ラムネの顔は先ほどまでのふわふわとしたものではなく、真剣そのものだった。キリリとした顔つきで爆発音のした方をじっと見据えている。彼女の瞳が捉えているのは宙に舞う黒煙、まるで戦の狼煙のような空へ上る黒蛇をただじっと見つめていた。

「行くよ、メリー!お兄ちゃんお願い…私に力を貸して!」

「お、おいラムネ!どこに行くんだよ!」

 それはもちろん聞くまでもなく人々が逃げている反対の方向、騒ぎの中心部分だ。その先に待ち構えているものの正体は俺にはわからないが明らかにこんな俺と同じくらいの年齢の女の子が首を突っ込んでいい事態だとは思えない。けれど彼女は一心にそこだけを見つめて駆ける、何の迷いも孕んでいない足をフル回転させて。

 彼女は道中に街のあちこちにある掃除用具入れのようなボックスから何かを取り出した。そのボックスは俺が初めて街を眺めた時から目についていた代物であり扉には明らかに開けてはいけないと言わんばかりの警告シールが貼られていた。彼女はそのボックスの扉にカードキーのようなものを通しその中から漆黒の物体を取り出してまた駆けだした。その代物は女の子が持つには大きすぎて厳つすぎるモノ、女の子が一生持たないであろう代物を彼女は抱えて走った、騒ぎの中央に構えた残酷な世界を見つめて。


「おいおい…なんだよこれ…これが現実だと…?こんなものが、現実と認められるわけない…」

 街の中央付近、広場に通じる通路の一つに隠れて俺は今日何度目かになる戸惑いのセリフを吐き出した。

「残念だけどこれだけは現実として受け止めてくれないとダメかな…あれが、私たちの世界を苦しめてるものだよ」

 苦々しいセリフを吐くラムネ、その視線の先にはブリキ仕掛けの最先端マシンが闊歩していた。人を模した銀色のフォルムに何の趣も感じない武骨な機械的な骨格、赤いレンズの瞳はどのようにして現実を捉えているのだろうか。そしてその手にはガトリングのような銃器がセットされていた。まさに殺人のためだけに作られた超ハイテクマシンとでも言ったところか。もちろんこれも現実だ、映画でよく見るCGとは出来が違い過ぎる。こちらの方がどこか生きていると感じるくらいだ。

「ラムネ…こいつらは…」

「そうだね。答えるついでにさっきの質問にも答えてあげる。こいつらは機械兵…って見たまんまの名前だね。まぁいいや。この機械兵たちは日本を占拠するためにやってきたのよ」

「は?日本を占拠?」

「今は質問は無し。とにかく私の話を聞いて。機械兵は海を越えてソビエトからやってきた。初めはホッカイドー、そこからだんだん南下してきて今はトーキョー、首都はオーサカに移したけれどそれでもここが私たち日本の最終防衛ライン。トーキョーを死守するために何人もの大人の男の人が徴兵されて死んでいった。これが街に女の人しかいない理由。今まではここもまだ戦火に飲み込まれてなかったけど…もうだめみたいだね」

 ソビエトの侵略、首都を移した日本、最終防衛ライントーキョー、まさにゲームの世界だ。

「この街には家計を支える男手が亡くなった女の人たちが集まって作られた街だった。女性の避難場所として平和を保ってたのに…それがどうして!防衛戦線はどうなってるのよ!」

 もちろんその答えは現状をあまり知らない俺でも答えることができる。防衛戦線は突破されたのだ、今ここで敵の機械兵がいるのがその答えの裏付けでもある。

 俺たちも逃げないとやばいこの現状、けれど俺の心臓はいやに高鳴っていた。俺が画面の外から眺めていた世界が、今目の前に展開されている。プレイヤーの手腕一つで世界をハッピーエンドに導くことのできる世界が、今目の前にある。この世界なら俺は、あこがれていた存在になれる。俺の鼓動は恐怖よりも興奮により支配され耳につくほどの大きな脈動で胸を叩いた。

「そこのあなた!なにぼーっとしてるのよ!死にたいの!?」

「はっ…!ご、ごめんなさい!」

 ふと背後から聞こえた鋭い声、それにラムネが振り向くとそこにはラムネと同じくらいの年代の女の子がいた。その鋭い声に似合うきりりとした顔立ちにつりあがったメガネ、クラスでよくいる仕切り屋みたいな雰囲気の彼女はその雰囲気通りの言葉を口からこぼす。

「私はチームブルーラビットの望月霧華。あなた!所属部隊と名前を教えて」

「はい!私はチームジャンヌダルクの佐竹ラムネです!」

 キリリとあいさつするラムネと違い霧華はいぶかしむ視線をこちらに向けている。

「チームジャンヌダルク?あの落ちこぼれチームのか?まぁいい。今は一人でも戦力が必要な状況だ、落ちこぼれチームの一人だとしても構わないか。佐竹、キミの武装は…と、聞くまでもないか。カラシニコフの後期世代、落ちこぼれらしく歩をわきまえたか?」

 霧華はラムネを見下すような言葉を吐くが彼女はそれを微塵も気にした雰囲気もない。それはどういうわけか俺にはわからない、ただ一つ分かるのはこの霧華という少女もラムネも、普通の女の子らしからぬものを肩から提げているということだけ。それは銃器だ。ラムネはライフル銃を、霧華は厳ついフォルムをしたマシンガンだ。それはあのどこかしこにあったボックスの中に納まっていたもの、あのボックスは武器庫だったのだ。俺はちらりとしか中を見ていないが相当な量の兵器が中に詰められていたのが確認できている。

「で、その胸に抱いているものは何だ?新型の爆弾か?」

「ううん。メリーだよ。ほら、メリー。霧華さんにあいさつして?」

「えっと…ど、どうも…?」

「しゃ、喋った!?な、なんだそれは!?新手の兵器か!?」

「だからメリーだよ。兵器でも何でもないよ!」

「そ、そうか…」

 まぁ普通の人ならそんな反応するよな。驚きを隠せない霧華に頭をかきながら謝る。ていうか俺が謝る必要ってあったのかな?

「コホン!とにかくだ!現状を確認する!先ほど入った情報によると防衛戦の穴をついて敵の機械兵が侵入してきたとのことだ。防衛戦線はまだ侵入を続ける機械兵と交戦中だ。私たちはこの街に流れ込んできた機械兵を殲滅することにある。幸いなことに数としてはたいしたことはないが、奴らは自爆覚悟の特攻を仕掛けてきているようだ。この街にある火薬庫を狙っての戦略らしい。もし火薬庫で自爆でもされれば…」

「その瞬間街は大爆発の中に沈むってわけね」

「ま、簡単に言えばゲームオーバーってわけか。で、俺たちは火薬庫を全力で死守しろってか?」

「いや、違う。機械兵が火薬庫にたどり着く前に全力で潰しきるのだ。奴らは死ぬことも能わぬブリキの人形。私たちが銃弾の雨を降らせたとしてもきっとそれを覚悟で吹き飛ばしに来るだろう」

 人ではできないようなことをやってのけるのが機械の仕事ってわけか。なんとも仕事熱心な奴らだ。少しくらいサボればいいのに、と思うのは俺だけではないだろう。

「もう一つ幸運なことに奴らは塊、つまりグループになって行動しているようだ。一体だけでの爆発では吹き飛ばしきれないと判断したのか。まぁとにかくだ。今私たちがやらなければいけないのは一つ、目の前にいる機械兵を潰すことだ…さぁ行くぞ佐竹!私に続け!」

「うん!わかった!」

 状況を言い終えるや否や銃を構えて突撃してしまう霧華。その瞳には敵を潰すということしか映っていない。そしてそれはラムネも同じでもう戦場で戦う兵士の顔をしていた。

「ちょっと待て!お前ら死ぬ気か!?なんのプランもなく突撃なんて自殺行為だ!」

 けれど俺はそれが気に入らなかった。だから声を荒げる、この少女たちの命を守るために。

「それは私もわかっている!けれどやらなければいけないのだ!この場所なら仲間たちに無線で連絡してある!ほかの奴らが来る前に私たちが少しでも食い止めていなければいけないのだ!」

「お前ら二人がいくら頑張ったところでせいぜい数十秒が関の山じゃないのか!?なら無駄な命を消費するよりも仲間が来てから作戦をたてた方が…」

「うるさい!人形の分際で私に指図するな!いくぞ佐竹!その人形はここに捨てて行け!」

 脳天まで響く霧華の怒りの声、この人にはもう何を言っても通じない、そんな予感がびりびりと俺の脳内までゆるがせ声を縛った。俺を捨てろと言われたラムネはどうすればいいのか戸惑い顔を浮かべながら霧華と俺を交互に見る。その様子にさらに怒りを増したような霧華は大きなため息をつき俺たちに背を向けてしまった。

「はぁ…分かった。キミたちがそういう態度なら仕方ない。私一人でも食い止めてみせる!この命が尽きるまで!」

「待ってよ霧華さん!メリーの言うとおり行かない方がいいよ!」

「ダメだラムネ!あいつはもう…」

 ラムネが決意した時にはもうすべてが手遅れだった。死を覚悟した未来溢れる少女が隠れていた通路から飛び出た瞬間、その体が一瞬にしてハチの巣となった。ズガガガガが!と耳が焼けるような銃声に肉が抉り取られる歪で生々しい音、噴き出した命が地面に零れ落ちる生命の終わる音、それらの音が完璧なまでのハーモニーを奏で俺の鼓膜を死のオーケストラとして震わせた。

 俺の目の前で、一人の命が終わった。それはあっという間の出来事。俺が一つ命を繋ぐための呼吸を行う間に、霧華の命を繋ぐための呼吸が止まった。あまりにもあっという間で、あまりにも呆気ない。命を張ってでも食い止めて見せると言い張っていた少女が一発も発砲する間もなく死んだ。これが死の瞬間、人間の生命が終わる瞬間、初めて見た人の死の瞬間。それがたとえ出会って間もない他人のものであっても俺の心には十分にその死にざまが焼き付けられた。

「う…そ…」

「ラムネ!」

 あっけにとられてその場に固まってしまったラムネ、俺は叫ぶ、俺も彼女と同じように固まってしまいそうになったがどうにか自信を奮い立たせる。4分の3オンス、21グラムと規定される命の重さを失わないために。俺の声にラムネはハッと我に返る、彼女が現実に戻ってくるのはあまりにも早かった、まるで何度も人の死を見ているとでもいう風に。

「ラムネ…ごめん…俺が、もう少し強く止めれば…」

 俺は後悔を孕む声をかけながらラムネの顔を見てぎょっとした。いや、そんな生易しいものではない、背筋が凍り付いたとでもいうべきか。

 ラムネの瞳はもう21グラム軽くなった霧華の身体を人としては見ていなかった。今ラムネの瞳に移る霧華はただのモノと化していた。スプーン、時計、石ころ、それらと同じ存在としてラムネの視界は霧華を捉えて現実だけを強く見据える。

「いいよ。メリーが気にすることはない…あの子がメリーの忠告を振り切っただけなんだから」

「ラムネ…」

「そんなことより!これからどうしよう!?逃げた方がいいのかな!?でもあいつらを止めないと街が…う~ん…困ったなぁ…」

 先ほどの死の瞬間がループする脳内を何とか頭を振って正常に戻す。俺は自身を画面外から眺める。普段からこうすればどこか頭がさっぱりとしいい考えが思いつくから、自身の身体をゲームのキャラクターにたとえ意識だけはそれを操るプレイヤーだ。俺はボードを俯瞰で眺める、今まで手に入れた情報カードと照らし合わせながら。


 奴らが目指しているのは火薬庫だ、火薬庫はこの街の奥だと言っていた、方向としては機械兵の進む先だ。奴らはセットになって行動している、今現在目の前にいるのは4体一組だ。奴らの攻撃方法はその手に備えられた砲身、それと自爆、あの爆発は自爆だったと仮定、ではどうして爆発を起こしたのか。考えられることは一つ、霧華の言動から考えるとこの街には戦える人材が潜んでいる、ラムネも銃器の扱いはできるみたいだし、戦える人間の誰かが破壊した、いや、致命傷を与え自爆させたとでもいうべきだな。集団の奴らと戦うには一人では無理だ、ならば方法は一つ、この街に潜む戦える人間と共闘すること。

「ラムネ!俺を下ろしてくれ」

「え…?う、うん…」

 だったら行動は一つだ、無線を確保して共闘の申し出をする。

「ちょっとメリー!?どこに行くの!?そっちは機械兵がいるよ!危ないって!」

「危なくてもこれはやらなくちゃいけない手だ…俺なら身体が小さいから狙われにくいはずだ」

 人形の身体がこういう時に役立つ。慣れていないせいで動かしにくいがそれでも俺は霧華の脱け殻へと駆けた。無線機を求めて。俺は角から飛び出して敵の衆目の下に躍り出た。

「あった!こんなに目につきやすいところにつけておいてくれてるとは感謝だな…しかも壊れてないし」

 幸い無線機は無傷、しかも二の腕のポケットに入れられていたことから簡単に取りやすそうだ。俺は全速力で駆ける。

(くそ…!遠い…!人の身体ならきっと一歩か二歩くらいで届くってのに…)

 内心でごねながら俺は何とか目的のポイントへたどり着く。幸いにも機械兵はこちらのことを認識していない。この隙に急いでポケットから取り出すだけ、俺は体全体を使ってポケットのマジックテープをべりり、と剥がした。

「ダメ!メリー!」

 だけどその瞬間だった、機械兵の視線が一斉にこちらを向いた。その銃口ももちろんこちらへ向けられている。マジックテープを剥がす音で気づかれたのか?いや、そんな小さな音で気づくなら俺が動いている音も察知されたはずじゃ…

「って考え事はあとか…!逃げなくちゃ!…くそ…重い…!やっぱり人間の身体がよかったぜ…」

 人間のころなら片手でひょいと持ち上げられる無線機も今はとても重くて運ぶのも一苦労だ。アンテナ部分を持ち引きずっていくがそれでも進んでいる感覚がない。今は一分一秒を争う事態、こうしている間にもいつ俺がハチの巣にされ内側から綿の血を流すかわかったものじゃない。

「くそ…!動けよ…!頼む…!もっと早く動いてくれぇ!」

 けれど俺の叫びは虚しく響くだけ。こちらを向いた狂気を孕む銃口、完全に狙いを付けられた。あとはそれが火を噴き俺は何度も目にしたゲームオーバー画面を見るだけ。もちろんその画面にはコンティニューの文字など一つもないが。

(あぁ…くそ…調子に乗って出しゃばらなければよかったかな…)

 なんて後悔してももう遅い。銃口が今、火を噴いた。

「メリー!早く!」

 ズガガガガガ!

 ラムネの声を引き裂くほどの銃声が、響いた。無数の鉛の弾が命を刈り取るためだけに空中に放射され俺の身体は銃弾の嵐の中雨ざらしに、なるはずだった。

「メリー!急いで!」

「あれ…?死んで…ない?」

「そんなことはいいから急いでよ!」

 どういうわけか銃弾は俺の姿ではなく全く別の方向を撃ち抜いただけ。頭に浮かぶ疑問符を今だけはかき消して俺は進み、何とか無事にラムネの元へ戻ることができた。

「ふぅ…何とか生きてる…でも、どうしてだ?あれ完全に俺死んだかもって思ったのに…」

「それはラムネちゃんに感謝しなくちゃね!」

「もしかしてお前が何かしたのか?」

「うん。あいつらの性質を逆手に取ったの。あいつらはね、音に反応するんだよ」

「音?そういえばあいつらが銃を撃つ前に何かバン!っていう音が響いたような…」

 あの時響いたバン!という音、それは壁に野球ボールをぶつけたような音に似ていた。

「そう。あの時私が石を投げたの、向こう側の建物に向かってね。あいつらはより大きな音に反応する、大きな音を放つ方が脅威だと考えてね。もちろん一番に反応するのは人間の熱による生体反応だけど…メリーのことはただの人形だって考えたみたいだよ」

「なるほど…それで俺が動いていても敵は気づかなかったってわけか。人形はもともと生きてるわけないし人より熱も低い、足音も綿がつまった足では出ない…マジックテープの音に反応したのはそのせいか…それにしてもお前すごいな、ここからあっちの建物まで結構距離あるぞ?」

「こう見えても私は野球少女なのだ!昔はお兄ちゃんと一緒にキャッチボールしてね、すごく上手だって褒められたんだよ!」

 あまりにも意外すぎる才能、けれどそのおかげで俺は今こうして息をして頼みの無線機まで手に入れることができた。

「さて、ラムネ。こいつで霧華の仲間に連絡を取ってくれ。あいつらの性能を逆手に取ったいい考えがある」

「わかった…それじゃ連絡してみるね」

『何?こっちはまだ戦闘中で手が離せない…残念だけど支援はもう少し待って!』

「えっと…その…」

『あなた…リーダーじゃない!?リーダーはどうしたのよ!まさか…』

「えぇ…霧華さんは、戦死しました…」

『なんてことよ…リーダー…あれほど一人で突っ込むなっていったのに…ほんとにバカなんだから…死んじゃったら文句も言えないじゃない…』

 ノイズに揺れる無線の先から銃声に交じって聞こえる悲しみを孕む声音。リーダーと呼ばれていた霧華の死の悲しみは俺たちが簡単に推し量れるものではないだろう。けれど今は悲しみに暮れている暇はないのだ、ラムネは素早く話を畳みかける。

「私はチームジャンヌダルクのラムネ。お願い、私に協力して…あなたたちのリーダーの仇を討つためにも…私の作戦に協力してほしいの…」

『落ちこぼれチームのあなたの作戦なんて本当は乗りたくないんだけど…こっちも結構ギリギリだしリーダーを殺されて黙ってるなんて無理…いいよ、その作戦、乗ってあげる』

「ありがとう…」

『私はセリ、よろしくね。それで作戦っていうのは?』


 俺はラムネを経由してセリに作戦を伝える。初めは疑っていたセリだが話を聞いていくうちにだんだんとこちらを信じてくれるようになり二つ返事で了解してくれた。

「メリー、やったよ!あっちは作戦に乗ってくれるんだって!」

「よし、ならこっちも動き始めるとするか」

「うん!」

「まずは火薬が必要だな…行くぞ、ラムネ!目指すは火薬庫だ!」

 こうして俺の初めての作戦が始まった。これはゲームではない、一つでも間違えれば死の暗闇へとゲームオーバーしてしまう命がけの駆け引き。けれど俺の心はどうしてか昂っていた。胸に広がる熱いドキドキが死んだような生活をしていた俺を生者のいる現実へと引き戻してくれたようだ。俺はまだ死んでいない、ならばこの命を有効活用しなくては、過去に憧れた存在になるために。



「どうしたのセリ?暗い顔して…」

「そうよ。いつものセリらしくないわ」

「咲…リリ…落ち着いて聞いて…リーダーが死んだ…」

「嘘…」

 無線からの通話内容をセリは仲間の咲とリリに聞かせる。二人とも驚いたような顔を浮かべたのち悲しみに表情を歪ませる。涙まで浮かべて二人とも世界が終わったような表情だ。それもそのはず、彼女たちにとって霧華はカリスマ的存在で大切な友人だった。いつも勝ち気で怒りっぽいけれど、それでも優しくて温かみがあって何よりも仲間のことを考えてくれていた存在、それが霧華だったのだ。そんな大事な親友が死に悲しまない人間などいない。もしいるとすればそれは目の前の機械の群れだろう。彼女たちはこの群れの前にもう一つの群れを潰している、ラムネたちが聞いた爆発音の原因となる個体たちだ。ただ一戦交えた後というのと親友の死が彼女たちを戦闘どころではなくしている。

「ねぇ聞いて…無線の先の子は絶対に勝てるっていう作戦を提示してきた…私はそれに乗るよ、リーダーの仇討ちだから」

 悲しみの底から立ち上がったセリだがほかの仲間はどこか乗り気ではないのは見てわかる。

「ねぇお願い!あなたたちも協力して…これはみんなで力を合わせないとできないことだから…それとも死ぬ気なの?何もせずに死ぬ…それが一番リーダーの嫌いなことだったよね?覚えてる?」

 二人の少女は涙交じりにこくりとうなずく。

「リーダーは…霧華はいつも言ってた…死ぬときは、何かを残したいって…あとに続く何かを残して私は死にたいって…ほんと飽きるほど言ってた言葉、私はそれを受け継ぐよ…あの子のために、あの子が残してくれたチャンスに賭けるよ」

 自身の命の灯を他の者へと引き継ぎたいと願っていた霧華の心を、彼女たちは受け継がねばならなかった。戦続きで疲弊した世界に咲いた自己犠牲の危険を孕んだ優しい花の種は彼女たちの胸に降り立ち急速に根をはる。

「わかった…私たちも、行くよ」

「お願い…まずは咲、あなたはここに向かって」

 セリがポケットから取り出したのはGPS機能付きの携帯端末だった。過去の機械文明の名残が今もこうして戦場で生きている。その画面に移された場所を見て彼女は首をひねる。

「私もよくわからないけど…きっと何か考えがあってのことだと思うの。だからお願い」

「わかった」

 咲は自身の身長の3分の2ほどもありそうなスナイパーライフルを胸に抱えて走る。内心では疑問が渦巻くが散っていった霧華の残してくれたチャンスだと信じてただただ走った。

「リリは私と一緒に誘導をお願い。このポイントに指定された時間につけばいいって言ってたけど…」

「うわぁ…何それ…難しそう…」

「しかも銃は合図があるまで絶対に使うなだって。何よそれ…」

「ほんとに信用していい相手なの?」

「例の落ちこぼれのジャンヌダルクたちよ」

「マジで…?セリ…よくそれ引き受けようと思ったわね…」

「私も何でかよくわからないけど…きっとリーダーがやれって言ってる気がしてさ…っと無駄話してる暇はないね、行よリリ!死なないでよね!」

「もち!」

 こうして二人も戦場を駆ける。その胸の内には無残に散って行った彼女の力強い魂が乗り移っているかのように、不思議と恐怖を感じることはなかった。



「こちらコードネームジャンヌ!ラビットアイ、準備はできた?」

『ラビットアイ、指定ポイントに到着、ターゲットは補足してる。あとは風向きとかの調整だけ』

「ラビットフットはどう?」

『こちらラビットフット…何とか引き寄せることはできたけど…こっちはやばいかな…ヘマして撃たれちゃった…』

「傷は大丈夫!?」

『なんとか…脇腹を少しかすめただけ…歩けるよ…ただ、ラビットハンドはダメ…足を撃たれてリタイアよ』

「死んで…ないよね?」

『もちろん…あの子はそう簡単にくたばらないよ…』

 ラビットアイこと咲は順調、ラビットフットのセリはギリギリ、ラビットハンドのリリはリタイア、けれど死傷者は無し、か。少し手間取ったが俺の作戦通りに事は進んだ。あとはチャンスを待つだけだ。

『こちらラビットフット…誘導成功…何とか…時間通りよ…』

「ありがとうラビットフット…ううん、セリちゃん…あとは私に任せて…メリー、タイミングは?」

 彼女たちが戦ってくれている間俺たちが何もしていなかったわけではない。仕掛けを作りセリたちと同じく誘導に徹し、後は俺が合図を下すだけだった。

 この街は将棋やら囲碁やらと同じように碁盤の目のような通路で成り立っている。そのおかげで角に隠れながら行動するのは簡単であり、今もこうして曲がり角からじっくりと機械兵を観察することができている。ゆっくりとした足取りで歩く機械兵、その先に待っているのはがらくたへの道だとも知らずに働き者のAIに記されたプログラミング通りの足取りで目的地まで進んでいく。

「もう少しだ…3…2…1…ラビットアイ、ファイア!」

「ラビットアイ、ファイア!」

 俺の命令を無線越しに伝えたラムネ、その声とほぼ同じタイミングで耳を劈くような銃声が街の静寂を包み込んだ。バン!と響いた銃声に何事かと振り向く機械兵たち、だがその後に響く盛大な爆音に彼らのプログラミングされた視界は釘付けとなった。

「やったねラビットアイ…ううん、咲ちゃん!成功だよ!」

『ふぅ…緊張、した…あんな小さなものをこんな遠くから撃つなんて…初めて…はふぅ…』

 無線越しに聞こえる気の抜けた声、それとは裏腹に俺たちの少し先ではごうごうとオレンジの火が呻っていた。まるで彼らに殺された者たちの恨みが形を持ったように。

 スナイパー担当の咲が狙ったもの、それはこの街に点在する武器庫だった。貫通力の高いスナイパーライフルならば武器庫の固い外殻も撃ちぬけるだろうと判断しての作戦、もちろん武器庫を撃ち抜くだけではあんな爆音は響かない。それがただの武器庫ならば、ね。俺たちが求めた物、それは火薬だ、あの武器庫には火薬を大量に仕込んでいたのだ。火薬は銃弾により爆発、中に入っていた爆薬やら弾薬やらにも発火し武器庫ごと爆発四散したというわけである。そのおかげで硬い武器庫の壁がものすごい勢いをつけて機械兵の身体を襲う。

 だがそれだけではなかった。爆発の炎が地面に撒いたガソリンに着火しオレンジの炎を湧き上がらせたのだ、それが今目の前に展開されている恨みの業火の元凶だ。

『ちょっと待ってよ!あの爆発に巻き込まれてもアイツら生きてるよ!?あの炎で誤爆させるとか武器庫の壁で衝撃を与えて自爆させるとかじゃないの!?』

 焦ったような咲の声が無線機越しに響く。自分の信じていた相手に裏切られたような、責めるような、途方に暮れるようなどうしようもない声音も孕んでいるように聞こえる。

「まぁ見ててよ。これから面白くなるからさ」

『え…?』

 かえってラムネはさぞ愉快そうな笑みを向ける。まるでいたずらっ子のようなそれだ。

 機械兵は飛び込んできた壁の破片たちを敵の攻撃だと思い込んだようだ。爆音も相まって敵がそちらへいると勘違いし武器庫があった方へ思い切り銃を撃ちまくった。

「へへ…ドカン」

 その瞬間、ドガン!と爆音が響いた。今日何度目かの爆音は何度聞いても慣れることはなく耳が痺れてしまいそうだ。だがそんな痺れも目の前のすがすがしい光景を見れば興味すらなくなるほどだ。

「これがメリーのやりたかったこと…すごい…」

 ラムネが驚きの顔でこちらを見つめ、俺は思わずへへ、と得意げな声音を漏らした。俺の視界の先、そこでは爆発四散した機械兵の破片たちが無残に地面に打ち付けられる光景が広がっていた。

『ねぇ…あなたたち…何を…したの?私のところからじゃよく見えなかったよ』

 無線越しのセリの声にラムネは自慢げに答えた。

「相手を同士討ちにしたの。セリが連れて来てくれた機械兵たちとね」

『どういうこと…?』

「さっきの武器庫の爆発、それは機械兵にダメージを与えるモノじゃなくて注意を向けるためのものだったの。機械兵は音で敵を見分けるからね。けど音だけじゃ本当に敵かどうか判断できない。あいつらはそこで一種の疑心暗鬼のような状態に陥った。だから次に使うのは生体認証。これは熱認証によるものだけど火柱でうまく熱の感知ができない。けれどね、機械兵には一番優先すべき適性判断方法があるの…」

『それって…ダメージ判定?』

「そう。あいつらの体に一つでも攻撃が入ったらそちらに敵がいるから攻撃しろってプログラムされてる。自分たちに攻撃するのは敵しかいないってなんとも安直な考えよね。あの破片は爆音で疑っていた敵判断を確定させるものだったの。でね、あいつらは銃を撃ちまくったんだけど…その先にいたのはセリが連れて来てくれた機械兵だった」

『でも機械兵には味方を判断できるプログラムがついてるはずだよ?同士討ちをしようとすれば銃にセーフティがかかるんじゃ…』

「そのための炎ってわけよ。言ったでしょ?あいつらは熱認証、熱で視界を保ってるのよ。けど高温の炎の壁は向こう側を見せることはなかった。つまり壁の先に味方がいたってわからないってわけだ。それはセリたちが連れて来てくれた機械兵たちも同じで同士討ちしたってわけ」

 加えて言えば奴らは自らの軍の弾丸を浴びてダメージが蓄積し自爆した、というわけだ。一瞬でもタイミングを逃せば失敗していたかもしれないギリギリの作戦、けれどそれが成功したのはやはりセリたちの協力が大きい。感謝してもし足りないくらいだ。

『あれ…?でもこんな回りくどいことしなくても私が狙撃で仕留めてれば…』

「一発で仕留められる自信はあったのか?」

 疑問気な咲の言葉に俺は無線を借りて答えた。

「狙撃で倒すとしても少なくとも相手の数だけ銃弾が必要。スナイパーはその威力ゆえ銃声も大きい…つまり敵にばれやすいんだ。しかも相手は機械だ、きっと正確な遠距離射撃も可能だろう。もし失敗していれば…死んでいたかもしれないぞ?」

 できるだけリスクを回避した結果がこの作戦だ。まぁ一種の賭けだが死の危険にさらされるよりはましだ。

 しかし改めて機械の死骸を見ると皮肉なものだ。完璧な機械ゆえ自身の完璧さに溺れ、あまつさえ同士討ちで死んでしまうとは。敵ながらそこは同情するが俺の胸に広がるすがすがしさで吹き荒れる嵐にそんなものは吹き飛んでしまった。

『チームブルーラビット、聞こえますか?街に侵入した敵はすべて殲滅された。火薬庫も無事だ。市民の犠牲者もなし。街の2割は崩壊してしまったがそれでもおつりがくるくらいの成果だ。帰投せよ』

 霧華に借りた無線から響くのは勝利を告げる宣言。けれど彼女らには勝利の喜びはなく浮かぶのはただ終わったという喪失感だった。


「ふぅ…お疲れさま、メリー。いやぁ…メリーすごいね、あんな作戦立てちゃうなんて…もう惚れちゃいそうだよ」

「お?好きなだけ惚れてくれて構わないぞ?女の子からの好意ならいつでもウェルカムだ」

「あ、でも私はお兄ちゃん一筋だから遠慮しておくよ。ごめんなさい」

「告白してないのにフラれた!?」

 なんて馬鹿なやり取りをしながら俺たちは街を後にする。戦闘の傷が残る街並みだが人々はそれでも絶望してはいなかった。避難していた人々は徐々に街に戻ってき、瓦礫を撤去したりしている。きっとこの様子なら復興もすぐに済みそうだろう。

「あ、そうだ、メリー!お願いがあるの」

「お願い?」

「うん…えっとね、私たちと一緒に、戦ってくれるかな?」

「戦う…?話が飛び過ぎでよくわからないんだけど…」

「えっと…要するに私たちのチームジャンヌダルクで戦闘指揮をして欲しいの。あの子たちが言ってた通り私たちのチームは落ちこぼれ…何をやってもだめで戦場でも足を引っ張ってばっかり…でもね!メリーが作戦を立てて私たちを指揮してくれたらダメな私たちでも活躍できるかなって…ダメ、かな…?」

 少し不安げに俺の方を見つめるラムネ、きっと断られるかもと恐れているのだろう。

「そう、だよね…急にこんなこと言われても、困っちゃうよね…」

「いや、いいぞ」

「やっぱり断るよね…って…え!?嘘…?いいの…?ほんとに?言っておくけど私たちとっても弱いよ?へなちょこだよ?ポンコツだよ?それでもほんとにいいの?」

「そこまで卑下するなっての…入りたくなくなるから」

「う、嘘嘘!私たちさいきょー!うぃーあーすとろんぐ!」

「はは、どっちなんだよ…」

 なんて俺は呆れつつも笑みをこぼした。

「ま、俺にはさ、行くところなんて無いし加えて言えばこの体だ。不自由極まりないけどさ、それでも必要だって言ってくれるなら…俺は喜んでお前たちを導くよ。作戦でも何でも立ててやる。だから…改めてよろしくな、ラムネ」

「メリー…」

「あ、けど一つ条件だ。この世界がどうしてこうなったのか教えてくれ。さすがにどうしてこの戦いが起こったのかとかが分からなかったら加担するのもためらわれるからな」

 俺は知らなくてはいけない、人間に操られている人間より優秀で感情を持たぬ兵士がどうして敵に回ったのかを。そしてどうしてこんな少女たちまでもが戦いに巻き込まれてしまわなくてはいけなかったのかを。

「それなら私より適任がいるからその子にお願いするよ。それじゃ早速レッツゴー!」

 くるくると表情を変えるラムネに抱えられ俺は決意を固める。理不尽な世界に生きる少女を、この温かな優しさを与えてくれたラムネを、必ず救ってみせる、と。


「着いたよ!ここが私たちチームジャンヌダルクの寮!」

「こ、ここが…寮…?」

 俺の目の前にあるのはどこからどう見てもぼろアパートだ。外壁は日に焼け味わい深さを通り越して気持ち悪い人の顔のような染みを作り、材質もぼろぼろと風化して台風でも来たら壊れてしまいそう。2階に上がる階段も朽ち果て少しでも重いものと一緒に乗ろうとすれば外れてしまいそう、というか途中の一段が外れてしまっている。きっとこれじゃ中も相当な悲惨さだろう、と思っていたが、やはり俺の予想は悪い方向に的中した。

「はい、ここが談話室。みんなを呼んでくるからちょっと待っててね」

 中も相当なおんぼろ、子供のころ近所の幽霊屋敷を探索した時の雰囲気がそこにはあった。談話室と呼ばれるここだがあるのはテーブルと机と少量のタンスのみ。シンクはあるがお世辞にも清潔感があるとは言えない。

「なんかゴキブリとかでそう…」

 このサイズで奴らと遭遇なんてしたらそれはもうモンスターにしか見えないだろうな、なんて背筋の寒くなる想像をしているうちにどたどたという音が響き渡った。防音にもならない壁の薄さに呆れた息をこぼしながらも俺は今にも破れてしまいそうな扉の方を向いた。

「もうちょっと待ってね、みんな来ると思うから」

「あぁ…と、その前に一つ質問だ。俺が最初に目覚めた場所、あれってお前の家だろ?なんでこんなところに住んでるんだよ…」

「今日はたまたま家に帰る用事があっただけ。ほんとはチームのみんなと寮で待機してなくちゃいけないの。外出届だって滅多なことがないと出ないんだから」

「そ、そうか…」

 ドン引き気味な俺を無視してラムネはシンクへ向かって湯を沸かし始めた。だがそのためのヤカンもえらくみすぼらしいもので見ていられない。本当にこんな貧乏を通り越した壮絶な場所で生活しているのかと疑問に思うが彼女の手際の良さからそれが本当だと分かる。

「もう…ラムネってば何なのよ…急にみんな呼び出して…」

 と、外からがやがやとした女の子の声、ラムネの仲間たちが来たのか、俺は身構える。

「みんな!この子が今日から新しい仲間になるメリーよ!仲良くしてあげてね!」

 部屋に入ってきた4人の子たちがぽかんとした顔で俺を見た。その後になにを言っているとラムネの顔を見て、彼女のそのニコニコ顔にあてられてまた俺の顔を見る。

「ほら、まずはメリーから挨拶して!」

 ラムネのキラキラとした瞳が俺を見る。俺はその瞳に急かされるように声を発した。

「えっと…俺はメリー、今日から作戦指揮としてこのチームに入れてもらうことになった…えっと…よろしく」

 数瞬の無言、その間に俺の中に駆け巡るのは一つ。

(ヤベ…!つい勢いでメリーって名乗っちまった…!)

 なぜか俺の中に浮かんだのはそんなこと、不安とかはもう先ほどの戦闘で鈍ってしまっていたせいだろうか。

「か、かわいい…」

「え…?」

 一人の女の子がそうつぶやいた、それと同時に

「ラムネ!なによこの子!超かわいい!」

「メリーちゃんっていうんだ。へぇ…すごいねぇ」

 俺の方へ伸ばされる無数の手、俺の体のあちこちを柔らかな女の子の手が触れていく。

「や、やめてって!そこくすぐったい!…ってどこ触ってるんだって!やめろって!」

「ちょっとみんな!メリーは私のものだよ!誰にもあげないんだから!」

 ラムネが俺のことを女の子の柔らか手のひら地獄から救い上げてくれてほっと一息つくと同時にどうしてか少し名残惜しいものを感じた。

「まぁそういうことだから今日からメリーはみんなの仲間、いいでしょ?」

「えっと…いいも何もまずどうしてこの子喋ってるの…?人形でしょ?」

 黒髪のポニーテールの女の子がいぶかしげな視線で俺のことを見た。睨まれた、そう思ってしまったのはきっとその子の目が釣り目がちだったからだろう。

「う~ん…私もわかんない!何か気がついたら喋ってた」

 真剣そうな女の子とはうって変わりラムネはあっけらかんと言い放つ。戦場で見せたあの鋭い表情はどこへやら、彼女の顔に広がるのは殴りたいと思うほどのバカ面だった。

「その…ごめんだけど私よくわからない人形に指揮されるってのはちょっと…」

「確かにキミたちが戸惑うのもわかる。けどこれだけは知っておいてくれ。俺は人間だ。こんな体で信じてもらえるかどうかわかんないけど…もとは人間だった。気がついたらこんな体になってたってだけ。きっと何か理由があるはずなんだ…その理由を見つけるまでだけでもいい…俺に居場所を与えてくれないか?」

 戸惑っているのはなにも少女たちだけではない、俺も戸惑っている。そのことを伝え自身のことをどうにかおいてもらえるように説得する。理不尽な境遇を話して同情を得ているようで少し辛いが今はそれをおして話すのが常だろう。

「メリーはね、とってもすごいんだよ。さっきだって私たちが考えつかないようなやり方で機械兵を一気に破壊したの」

「う~ん…」

 少女は釣り目を困惑気味に歪ませてしぶしぶ顔をあげた。

「わかった。とりあえず今は様子見ってことでここにおいてあげる。よろしくね、メリー」

「あぁ…えっと…」

「あ、そういえば名乗ってなかったね。私はクロ。年齢はラムネと同じ17よ、よろしくね」

「あぁ、よろしく、クロ」

 スラリとしてるけれど出るところはちゃんと女の子らしく出ている黒髪の女の子、クロ、彼女の頭のてっぺんにはラムネのような耳は生えていない。

「あれ?クロは耳がついてないのか?」

「私は旧人類だからね。ついてないんだよ」

「クロ、メリーはあんまりこの世界のことについて知らないから後でゆっくり教えてあげて。とにかく今は自己紹介が先だよ」

「そうだね…えっとそうだ、私はこのチームのリーダーで指揮をしてるの。もしも私よりもダメな指揮をしたら…その時はわかってるよね?」

 にこりとした笑みを浮かべたクロの奥底に何か冷たいものを感じたのは俺の気のせいではないはずだ。

「メリーちゃん、はい。キャンディーあげる」

「えっと…その…ありがとう?」

 次に俺の目の前に現れたのは、おっぱいだった。俺が机の上に座っているということもあって彼女たちを下から眺めている姿勢になるが、それでもこの声の主はどう見てもおっぱいだった。おっぱいが喋っている、それほどまでに大きなおっぱいが彼女の顔を隠してしまっていた。

 キャンディーをあげると言っていた少女、だが彼女の手にキャンディーは握られていない。どういうことかと疑問に思っているとふと少女の顔がドアップに現れた。俺に合わせて目線を下げてくれたのだ。

 ふわふわのブラウンの髪に少し虚ろな赤い右眼と青色の左眼、見ただけで和やかな気持ちにさせてくれるおっとり系な女の子の口からはキャンディーの棒がぴょこぴょこと飛び出ていた。

「はい、どーぞ」

 彼女の口から取り出されるキャンディー、イチゴ味だろうピンク色のそれは彼女の唾液に濡れててらてらといやらしい輝きを放っていた。

「えっと…舐めかけなんだけど…」

「キャンディー…嫌い…?」

「いや、好き、だけど…」

 好きといった瞬間ずいっと差し出されるキャンディー、俺の口まであともう少しのところに迫りくる。これは舐めないと進まないな、俺は観念してキャンディーを舐めた。

「甘い…」

「うん、イチゴ、甘いよね…ショコラ、イチゴ味大好き」

 ショコラと自分のことを呼んだ女の子は幼い顔を嬉しそうに歪めた。マイペースすぎる彼女には頭上の垂れたウサギの耳がよく似合う、ただその巨大すぎるおっぱいはあまりにも不釣り合いで似合わないが。

「ショコラ、自己紹介がまだ全然進んでないよ?」

「はっ、そうだった…ショコラはね、ショコラっていうの。キャンディー大好き。キャンディー好きな子に悪い子いない。だからメリーちゃんはいい子…えっと…そだ、ショコラ銃の扱いうまいよ?また見せてあげるね」

「あぁ、ありがと」

 おっとりしたショコラは一通り言いたいことを言い終わると満足したようにキャンディーを舐める作業に戻ってしまった。本当にマイペースすぎてつかみどころがよくわからない。

「ショコラはこう見えて14歳なの。全然そう見えないよねぇ」

「あぁ…そうだな…」

 ラムネの視線の先、そこにはやっぱり大きなおっぱいが。俺の視線も低身長の割に巨大すぎる胸に釘付けだ。

「やめないか、女の子の胸をじっと見るのは!」

「いて…」

「ほら、メリーくんもだ。失礼じゃないのか?」

 ラムネの頭にはきつめに、俺の頭には優しく手刀を入れたのはなんと美少年だった。すらりとしたまるでモデルのような体に端正のとれた顔つき、美しい真っ黒の髪の毛は女の人みたいに長いがその女性らしさが逆にギャップとなり少年の美しさをさらに際立たせていた。さらに言えば頭のてっぺんにちょこんと控えめに可愛らしい丸みを帯びた猫の耳がついていることも際立ちの一つだ。

「うわぁ…綺麗な男の人…すげぇ…なんか変な気に目覚めそう…」

「男の人…?メリーくんは何か勘違いしていないかな?」

「え?いや…勘違いも何も…だってどこからどう見ても男だろ?」

「いや、私は女だよ、なぁラムネ?」

「えっと…うん…マリサは、女の人だよ…」

「女の人!?嘘だぁ」

 女の人と言われてもマリサはどう見ても男だ。ズボンをはいていることもそうだがその証拠はただ一つ。

「女ならなんでこんなにぺったんこなんだよ、絶対これ男の胸板だって!」

 そう、おっぱいがないのだ。つるぺったん、完全な平野、ここまできれいな平野は俺も見たことがない。ショコラのおっぱいが荘厳さを孕む富士山ならばこちらは地平線広がる荒野だ。まさか女のはずがないと笑い飛ばす俺だが他の皆は笑っていない。巨乳組は申し訳なさそうに俯いてしまっている始末、まぁショコラは呑気に飴を舐めているが。

「もしかして…ほんとに…女…?」

「くっ…殺せ…」

 顔を真っ赤にしたマリサが小さくつぶやく。その顔は恥辱に染まりきりセリフと相まって薄い本でよく見る女騎士そのもので。

「女としてこれほどの屈辱はない…!くっ…殺せ…」

「いやいやいや!それはさすがに言い過ぎじゃ…」

「そんなことあるものか!私だって女なのに男のような胸だなんて…恥辱にもほどがある!私は貴様を殺して死ぬんだ!」

「わ!?ま、待て待て待て!その物騒なものしまえ!」

 マリサが懐から取り出したのは小さなナイフ、ただそれは刃に俺の顔がくっきりと反射して映るほどに鋭く研ぎ澄まされていた。

「ご、ごめんって!俺も軽率だった!マリサの胸は十分にあるからその物騒なのしまえって!」

「私の胸が十分だと!?貴様ふざけているな!くっ…殺せ…!」

「どういえばいいんだよもう!ラムネとめてくれよぉ!」

 そこから数分、ラムネたちの説得により何とか落ち着きを取り戻したマリサは先ほどとは違う意味で顔を赤く染めて俺の前に立った。

「すまない…先ほどは見苦しいところを見せてしまったな…」

「いや…その…俺も悪かった…無自覚でつい…」

「あぁそうだ!改めて…私はマリサ、18だ。よろしくな」

「あぁ、よろしく」

 こうして握手してみるとマリサの手のひらは女の人のそれみたくすべすべとして柔らかかった。

「さて、ラストはボクだね。ボクはミント、15歳、よろしくねメリーちゃん」

「キミがミントか。ラムネから聞いてるよ、ゲームが好きなんだって?」

「はい!ボクゲーム大好きなんです!メリーちゃんもゲーム好きなんですか?じゃあまた今度ボクと一緒にゲームしましょう!負けませんよ!」

 ふんわりとしたボブヘアーの金髪の旧人類の少女、ミントは人当たりのよさそうな愛くるしい表情でほほ笑んだ。その笑みはまるで天使のそれのように純粋で見ているこちらまでも笑顔にしてしまいそうな魔力が込められていた。

「あの…メリーちゃん…その…一回抱きしめてもいいですか!?」

 突然真剣な顔をしたかと思えば何を言うのやら、俺は心地よく二つ返事を返す。

「ふわぁ…メリーちゃんふわふわだぁ…ふわふわでかわいくってもうたまらないです!頬ずりしちゃえ!すりすり~」

 ミントは可愛らしいものが大好きのようだ、俺の体にミントのぷにっとした頬が当たり心地いい。まさに天国のように思える。しかもふんわりとしたいい匂いがする。

「ちょっとミント!メリーはもともとお兄ちゃんが私にくれた物なの!だからそうしていいのも私だけなんだから!」

「キャッ…!」

 突然ラムネに怒られたことで驚くミント、その瞬間俺の身体はミントの支えを失って宙に浮かんだ。

「うわわ…!やばいやばい…!…っと…間一髪だぜ…」

 俺は空中でじたばた腕を動かし何とかつかんだもの、それはミントのスカートだった。咄嗟のことだからこのことはノーカウントで。それにしてもミントの股部分にしがみつく俺ってなんだか滑稽かも…

「キャッ!?ちょっとメリーちゃんってば…やめてよ…そんなところ触っちゃボク…」

「え…?なにこれ…柔らかい…」

 スカートがなびいて俺の身体がミントの股に当たるという大事件、けれどミントの股間部分は柔らかい何かで俺を優しく包み込んでくれた。柔らかくてふにふにしててちょっとこりっとしているこの感触を、俺は知っている。

「えっと…ミント…ちなみに聞くけど…キミの性別は…?」

「メリーちゃんってばいきなりそんな質問…セクハラですよ…ボクの一番大事なところ触ったんですからそれくらいわかるんじゃないですか…?」

「じゃあやっぱり俺が触ってるのって…ミントの…」

「はい…メリーちゃんが今触ってるのは…ボクのゾウさんです…」

 こんなにかわいいミントが男の子のはずがない。けれど現実は残酷で、こんなに可愛らしいミントも股間にゾウさんを飼っている立派な男の娘だった。

「まさかミントが男の娘だったなんて…驚きだ…」

 ミントに机に下ろしてもらい改めて彼の身体を見ていく。ふにゃりとして可愛らしい女の子のような表情、華奢でほっそりとしていて色白の女の子みたいな体つき、服も女の子のものでどこからどう見ても女の子、だが男だ。それに…

「マリサよりおっぱいが大きいのに…」

 だが男だ。

「くっ…殺せ…!だがやはり貴様を先に葬らねばならぬようだな!」

「ちょっと落ち着いてよマリサ!それにメリーも何またバカなこと言ってるの!みんな思ってるけど口に出さなかったんだよ!なのにあぁもう!」

 狭い談話室が揺らぐほどの大騒ぎ、俺たちのファーストコンタクトはこんなドタバタの間に終わっていく。そういえば俺ってこんなにおっぱい星人だったかな、なんてことをふと思ったがそれもこの喧騒の中に消えていくだけだった。



 世界は、残酷だ―

 いまさらそんなことを世界に言っても無駄だってことはわかっている。だから私はその言葉を心の内に飲み込み日々を過ごしている。吐き出さずにたまりにたまったその言葉は私の内側で消化不良を起こしてもう気持ち悪いというレベルではない。

 世界は、くだらない―

 私は思う、どうして私たちのような女の子が戦わなければいけないのか、と。私くらいの年代の女の子はふつうおめかしを楽しんだり友達と街に買い物に出たり、恋に生きたりするという。けれど私たちに与えられた日常、それは戦いだった。

 命のない人形の群れを、命をかけて殺すなんていう賭けた代償に見合わないほどのくだらない戦争ゲーム。そんな戦いを押し付けられそれが日常だと錯覚して私たちは生きる。

 こんな世界、誰か救ってよ―

 私の言葉はまだ声には出ない。声に出すと虚しくなってしまうから。声に出すとこの惨めな現実を受け入れてしまっていると思ったから。だから私は声に出さずにただ願う。

 誰かお願い…私を、助けてよ…このくだらない世界から…引き上げてよ…―

 私の願いは、神様に聞き届けられたのか、この時の私はまだ知らない。小さくて可愛らしい救世主が現れるのは、まだ先のことだから。



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