フェチ9 所冴ピ千安んぞ五郎の志を知らんわ
その日、光と闇の連合本部が設けられた田舎町の人気回転寿司店、美味い鯉の店内は、張り詰めた緊張感が支配する息苦しい空間と化していた。その原因となる人物は、所長、冴子、千佳、ピ・ティーコと相対するように立ち、瞳の奥に湧き立つ闘志を包み隠さず放っていた。人助け研究所が誇る究極の駄菓子マイスター、マスター五郎が乗り込んできたのだ。自分達を見限り、こうして敵意を剥き出しにするマスターに、冴子は歯軋りをして鋭い視線を送った。
「マスター、何故なんだ?何故あなたは私たちに牙を剥くんだ!?」
マスターは小さく笑みを浮かべ、懐に右手を入れて冴子を睨み返す。
「あなた方に、私の崇高な目的なぞ、理解できませんよ…。これから我が同胞となるあなた方には永遠に、ね…。」
「何を言って…」
「あの構えは…いかん!!冴子君!!!」
マスターの挙動を先に見切った所長は、冴子を守るように彼女の方に跳び、彼女の体を抱きしめて、床に転がった。冴子が立っていた場所に目をやると、丁度彼女の口があった所に、棒状のチョコ駄菓子を食べさせるように突き出したマスターが、そこにいた。そのチョコは、冴子が駄菓子屋でよく食べていた大好物だった。もし、あのまま棒立ちしていたら…そう思うと、冴子は体を震わせる。
「すまない、所長…。しかし、マスターが体術に長けるなんて、初耳だぞ。」
「仕方ないさ。マスターが自身の力で活動していたのが、君が組織に来るずっと前だからね。しかし、何年も中枢として活動し、自ら動くことを止めていたというのに…ブランクを全く感じさせないねぇ。」
「それはお互い様ですよ、所長。あなただって、神のヒグマと謳われたその実力、決して衰えてはいないみたいですね。」
「やっぱり、週一の筋トレのおかげかな。」
所長は冴子の体を離すと、立ち上がってマスターに右拳を向ける。一転して般若のような表情を作ると、マスターは再び懐に手を戻し、所長の動きを伺う。
「あっ、いらっしゃいませ!!」
二人の戦いを眺めていた千佳が、店に入ってきた客の対応に向かったのを合図に、所長が動く。右腕の贅肉が一瞬にして筋肉へと変貌し、握られた拳を軋ませながら、マスターに殴りかかる。
「サーモン・ハントォォォォォォォォォォ!!!!!」
説明しよう。サーモン・ハントとは、熊が遡上する鮭を手で素早く弾いて陸に上げるが如く、手首の捻りを生かした音速の拳打を相手に思いっきり打ち込む、所長の秘密奥義の一つなのだ。
「そう来ると思いましたよ!!」
マスターは所長の腕を掴みながら跳躍し、中空で倒立して所長の背後に着地した。すかさず所長は裏拳による二撃目を放つが、マスターはこれをバック転で回避する。
「バックオーライゾンババヌポ!!」
そんなマスターを待ち伏せしていたピ・ティーコは、マスターの移動速度にタイミングを合わせて足に力を込め、間合いに入ったところで渾身のハイキックを繰り出す。丁度床に手を着いて倒立状態の瞬間に放たれたため、マスターは攻撃を背中に受け、所長のいる方へと蹴り飛ばされた。
「ぐぅっ…!」
「いいぞ、ピ・ティーコ君!迎撃は任せろ!!」
所長は、勢いよく飛んでくるマスターに追い討ちをかけようと、右手を大きく後方に伸ばして、攻撃の瞬間を待った。危機的状況に陥ったマスターだが、彼は何故か笑っていた。
「ふふふ…所長、右腕をよく見なさい!」
「何?」
マスターに促され、所長が後方に伸ばした自分の右腕を見る。
「こっ、これは…!!!」
所長の右腕、先程マスターが触れた部分には、子供たちに人気のお菓子「全裸番長チョコ」のおまけシールが貼られていた。
「しっ、シークレットレアNo12…タスマニアデビル番長!!!!」
所長の瞳にハートマークが宿り、腕に張られたシールに夢中になる。マスターは攻撃態勢を解いた所長の肩を掴み、中空に飛んで一回転して、床に着地した。
「シークレットレア!シークレットレア!!」
「所長!!何をしている!!しっかりしろ!!!」
「無駄ですよ、冴子君。」
冴子が必死に声をかけても、所長は耳に届いていないように腕に張られたシールを撫で回していた。彼の異様な様子を見て、ピ・ティーコは気を引き締め直す。
「なるほどゾンババヌポ。冴子に仕掛けた時と同じように、個々の好みに合わせた物を与えることで魅了し、堕ちた者たちを自在に操るという精神操作系の戦術ゾンババヌポね。」
「御名答。さすがは悪の組織の親玉…といったところでしょうか。しかし、仕組みを見破ったところで、あなたたちに抗う術はないのですよ。」
ピ・ティーコに向き直り、再び懐に手を入れるマスター。しかしピ・ティーコは、鼻息を噴き出し、胸を張って高笑いした。
「ごぎゃげぎゃぎゃ!!お前の仲間たちの好みなら熟知済みだろうゾンババヌポが、秘密結社の首領たる私の好みを貴様が知るはずないだろうゾンババヌポ!!」
「果たして、そうでしょうか?」
マスターは、懐から勢いよく何かをピ・ティーコに投げつけた。ピ・ティーコは紙一重でそれを交わそうと体を動かした。動かしたのだが…ふと何かに気付き、咄嗟に投げられたものを掴み、それを自分の顔に押し付けた。ピ・ティーコが手にしたものに、冴子は見覚えがあった、というかあり過ぎた。
「あっ、あれは…!!」
「ぐへへへへへ!!スーハースーハー!!!ごげげげげげ!!!」
猫ちゃんの刺繍が施されたオレンジ色の座布団。冴子が本部で使っていた、専用のものだった。
「冴子のにほひぃぃぃぃゾンババヌポ!!しゃへこほぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!」
「ババゾノさん!!!」
座布団に染み込んだ冴子の香りに夢中になるピ・ティーコ。彼女の瞳にもハートマークが宿り、あえなく陥落した。
「さぁ、後は君だけですよ?冴子君…。」
「ひっ…。」
マスターは、冴子の好物のチョコ棒を両手に持ち、ゆっくりと冴子に近付いていく。圧倒的力の差に冴子は思わず腰を抜かし、床に尻餅をついてしまった。マスターは動けない冴子の前に立ち、ゆっくりとチョコの先端を口元に近づける。
「さぁ、あなたも私と共にフェチの会に入会しましょう…。」
「くっ、ここまでか…!!」
敗北を確信した冴子が、チョコを受け入れようとゆっくりと口を開いた、その時だった。
「うるせえよ、バカ。」
「…え?」
「むっ、誰です!?」
二人は、声の聞こえた一人用の席に目を向けた。そこに座っていた見覚えのある姿。河童だ。河童が御丁寧にかっぱ巻きを食べて無表情にこちらを見ている。
「いや、あれはかっぱ巻きではない!あれは…」
もう一度よく彼の手に収められた巻き寿司の中身を注視してみよう。青々とした進めの色、一見するとキュウリと見間違うが、拡大すると、何やらもにゃもにゃした集まりに見える。
「わ、わさびの巻物!?」
この河童、罰ゲームの定番、わさび寿司を顔色一つ変えずに食べているのだ。
「人の好みにケチつけんなよ。」
これは失礼。改めて…。緑色の体にギザギザのついた頭の皿、亀のような甲羅を背中…から外して隣の席に置いている。金色のすぅぱぁKではなく、彼は人助け研究所との因縁深い、例の河童である。
「飯食ってるときぐらい静かにしろよ。埃立つだろバカ。」
河童は無表情で立ち上がり、首をコキコキ鳴らして、マスターの方を向いた。マスターは冴子に伸ばすチョコ棒を懐にしまい、手を入れたまま河童に体を向ける。
「邪魔立てするなら、あなたも容赦しませんよ?」
「外でやれよ、外で。」
「世迷い言を!!」
マスターは素早く河童との距離を詰め、懐から写真集を取り出し、河童に見せ付ける。中年男性のハゲ頭を集めたツルピカ写真集だ。
「あなたの嗜好は先の戦いや冴子君たちの情報で認知済み!不測の事態に備えて、用意しておいて正解でした!」
河童の顔に写真集を押し付け、勝ち誇った表情のマスター。河童は無表情のまま、ゆっくりと両手を伸ばし…。
「ここまでか…!!」
冴子は絶望し、マスターは満面の笑みを浮かべる。ふと、マスターの足が床を離れる。
「へ?」
体を持ち上げられる感覚に襲われたと思いきや、すぐに全身に衝撃が走り抜けた。
「おぐぇ!!」
「なっ…!?」
言葉を失う冴子の瞳には、背中から地に落ち、白目を向いて気絶するマスターの姿が映っていた。写真集は依然として彼に握られている。河童が一本背負いをかけたのだ。
「…お前、写真集は…?」
理解が追いついていない様子で、冴子は河童に率直な疑問をぶつける。河童は、席に戻り、甲羅から支払い用の万札を出して、テーブルに置き、甲羅を背負って店の出口へと向かった。
「3日前に飽きたわ、ボケ。」
無表情で舌打ちして、河童は静かに、店を出ていった。冴子は、彼が出ていった方をただ呆然と見ていることしかできなかった。
「ちゃんと、事情を説明してくれるね、マスター?」
「…はい。」
死と隣り合う苦しい熱戦を終えた回転寿司店内。右奥のファミリー席に、洗脳が解けた所長とピ・ティーコ、敗北を認めたマスター、千佳と冴子が集まり、マスター謀反の理由を聞いていた。
「実は、私…悪堕ちというものに憧れてまして…。」
「「「「はぁ!?」」」ゾンババヌポ!?」
衝撃の告白に、一同は思わず間の抜けた声を上げた。マスターは恥ずかしそうに顔を赤らめ、下を向きながら説明を続ける。
「それで、ですね…、完全に悪に染まるというのは私の中の正義の心が良しとしなくて、かといってこの胸の願望をなんとしても叶えたくて…。そしたら、居酒屋で出会ったすぅぱぁKさん…金色の河童さんからお誘いを受けまして。フェチの会という正義とも悪とも区別しがたい組織に身を置くのであれば、私の心は満たされるな、と。」
「それで、私たちも懐柔して、悪堕ちの喜びを無理矢理共有させようとしたのか…。」
「いやはや申し訳ない…。一度スイッチが入ると、自分でも止められなくなってしまって。正義の組織をフェチの会の傘下に置くのも悪くないかなと…。」
「悪いに決まってるだろ!!」
「ひぃ!反省してます!!」
冴子にピコピコハンマーで何度も叩かれながら、マスターは皆に謝罪した。ついでに冴子は、依然として座布団に顔を埋めているピ・ティーコにコブラツイストを決めた。
「なにはともあれ、これで二人はマスターさんのお店に戻るんですね。少し寂しいです。」
「ははは、美味しいお寿司屋さんが目と鼻の先にあることを知ったわけだし、時々顔を出すから安心するといいよ!」
「千佳さんさえ宜しければ、うちの店にも顔を出して下さいね。」
「はい!冴子の働きぶりも気になるし、そうさせてもらいますね!」
千佳は、所長とマスターと握手を交わし、元気に頷いて見せた。所長とマスターもそれにつられて笑みをこぼす。
「こ、これにて正義と悪の共同戦線は終わりゾンババ…ヌポォォォォォォォォ!!っが、また、共通の敵が出てきた時には、宜しくたの…冴子、ブレイクブレイクゾンババヌポ!!!!」
冴コブラに絡め捕られて、叫び声を上げるピ・ティーコを見て、その場に居た誰もが声を大にして笑い合った。
ようやく、我欲に囚われていたマスターを正気に戻し、光の居城を取り戻した人助け研究所とはた迷惑追求所の連合戦士たち。再び道を違えて歩みだす二つの勢力だが、彼らの信念の先に待ち構えるのは輝かしい未来か、それとも絶望へと続く破滅の世界か。
己を信じ、運命を切り開き、ひたすらに突き進め、戦士たちよ。
☆今日のぷーたん☆
「drrrrrrrrrrrrrr」
宇宙からの交信を受けて、ぷーたんは遥かな銀河に旅立つの。ブラックホールのチョコレート、キラキラときめく数多の彗星、焼き立てこんがり真っ赤な太陽。目指すは失われた楽園、天球。オゾン層の崩壊を止めるために、急いで、ぷーたん!
明日は、どんな顔を見せてくれるかな? ぷーたん、またね!
☆ーーーーーーー☆
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